CRYCHIC交響曲   作:りょーへい

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『人生には取返しのつかないことがあると云う人と、ないと云う人がいる』
『でも——死ですらないものをこの目で見た今の僕は、もっとろくでもない教義にとりつかれていた』

『人生には、取り返しのつかないことしかない』



18番 地獄

 

 

 ✿ ✿ ✿

 

 セックス、ドラッグ、ロックンロール。

 昔のイギリスだかどこかの曲のフレーズで、いつしか独り歩きしてアメリカで爛れた文化の象徴として流行したらしい。それが起爆剤になったのか、迷惑なことに極東の島国にまで流れ、むつみちゃんが言っていた3要素が浸透してしまったのだ。性欲を女と言い換えている辺りが特に度し難い。

 とはいっても。シチュエーションはともかく、いつかは『そういうこと』にも遭遇すると思うから、ひとまず置いといて。

 お酒も、まぁ……ほとんど記憶に残っていないし、若気の至りとしていつか笑い話にでもできればな、と思うくらいのオチなのだけど。

 薬物に関わる日が来るとは、露ほども想像したことなかった。飲みこんだ人の生を壊す、天国へ導く悪魔の錠剤。

 その使者は、この5日間ずっとすぐ傍に潜んでいたのだ。メジャーバンドを餌に虐殺を目論んでいた、復讐者が。

 

 ✿ ✿ ✿

 

 

 鈴虫の鳴き声で意識が起き始めた。ぼんやりする記憶と視界。ガチッという音が足下から聴こえて、一気に覚醒する。気を失う前は喫茶店前にいたのに、今は椅子に座って両足首を手錠で繋がれている。後ろに回されてる両手も動かせない、同じだ。ブワッと汗が噴き出る。状況よりも場所をへ意識を向け、見回す。

 どこかの屋内広間、その角に私はいた。コンクリートの壁は途中で鉄骨がむき出しになってる。窓はガラスが嵌ってなくて、部屋中央の机とPC機器以外は何もない。工事を打ち切られた廃ビル、だろうか。屋外に見えるのはオレンジ色の陽光を照り返す仮設階段と、背の高い木々の緑のみ。3階辺りにいると分かるだけで土地勘は全く働かない。

 余計に拉致されたという事実を突きつけられるだけだった。頭が真っ暗になる。みんなと横一列で固まってるのは幸が不幸か。口だけは自由なので、一番右端の私はみんなを呼ぼうとした。

 

「も、もうやめて……」

 

 声がみんなとは反対側の壁から聞こえてきた。喉がギクリと固まる。

 

「これ打ち終わったら好きにしていいぞ」

「い、いや、それしたら耐えられない、お願い止めて!」

「おおおれにうってくれぇ! 今度こそ辿り着きそうなんだ、早くクレよぉ!」

 

 女の悲鳴と男の狂った声。1人だけ平静なのが尚異様だった。見えないのが余計に想像力をかきたてる。

 

「やめてやめてもう入ってこないで落ちるオチるおおちぃいいやああああ!」

「ヒヒヒヒヒヒッ! てんしが哭いてるッまぶしいぃいああはははっはは!」

 

 侵されている。変質していく感じ。拉致される直前聞いた話が頭の端っこに這い寄る。これ以上考えたくない。

 男の絶叫はブツリと途切れた。女は静かになった後、ガチャガチャと器具らしき音を挟んで、再び壊れた叫び声を上げる。音源が窓側の方へ移動し、壁に反響しなくなって、下向きに遠ざかっていく……。私は後ろのガラス抜き窓を愕然と見た。本能的に背くように体を前に折り曲げ目を瞑り耳を力ませ耳鳴りで遮断する。鈍い音なんて聴こえなかった、何も聴こえなかった……!

 椅子に座って蹲ったまま、おそるおそる横目を向けると、みんなも私と同じ姿勢に変わっていた。声なんてかけられるはずもなかった。足の爪先から脳のてっぺんまで凍り付いた全身が、大鐘みたいな鼓動でヒビ割れそうになりながら、黙りこくる。

 だから、隣の部屋から聞こえるその声も、はっきり聞き取れた。

 

「今の女は失敗だが、十分改良したろ。俺らも楽しんで……」

「大量生産の体勢整えるまで消費するな」風見さんの声だ。

「わ、分かった。言う通りにする」

「赤坂の首尾は」

「平坂組は予定通り現れたが探偵団がいなかった」

「土壇場で標的変えた弊害でもうバレたか。嗅ぎつけられる前提でここに組員招集しろ、全員で皆殺しだ。警戒システムは常に誰か見張れ」

 

 5日間聴いた、人の良さそうな柔らかさは皆無だったけど。間違いない、会話の内容的に、この人が……今回の敵、だったんだ。困惑すべき事実だろうけど、頭はとっくに麻痺していてそれどころじゃない。殺害に躊躇のない声は、自分たちの生死も頓着していないように思えて、いつ心臓が握り潰されるか分かったものじゃなかった。

 声が足音と一緒に近づいてきて、数えきれないほどのやくざ(見て分かるようになってしまった)を連れて、元作業仲間の誘拐犯が現れた。野音会場ではしなかった無機質な目を寄こしてくる。

 

「起きてましたか。豊川祥子さん、あなたの家に身代金を要求します。みなさんは人質です」

「ど、どうして……」私から一番遠い、端のさきちゃんが呻く。

「忙しいので最低限だけ。最低でも10億です。ゴネられたりモタついだ分だけ1人ずつ痛めつけたビデオを送ります。無事に帰りたければ誠心誠意ご家族に訴えてください」

「じゅ、10億って、そんな大金何に使うの……」これは真ん中のたきちゃん

「父の政界復帰資金に、協力関係である組への報酬、何より……あぁ面倒だ、大人しく黙っててください」

 

 愛想が完全になくなったその人は、パソコン作業に取り掛かった。問い質したいことはたくさんあるのに、やくざを従える人はしゃべりかけるなオーラを発している。

 でもともりちゃんは。そういう空気が読めなかった。

 

「あ、あの、風見さん……これ解いて、帰して——」

 

 大概の人が邪険にあしらえない天然へ、風見氏は舌打ちした。机に置かれた深紅の缶を、彼女に向かって乱暴に投げつける。身をすくめたともりちゃんの頭1つ分上を通り過ぎて、壁にぶつかりひしゃげる。開いた穴から炭酸が毒々しい音を立てて吐き出され、溶けていく。

 

「燈! おいアンタ、わけわかんないけどやり過ぎでしょ! 次やったら絶対——」

「たきちゃんやめて、刺激しないで!」

 

 たきちゃんが右隣のともりちゃんを気遣いながら吠えて、ともりちゃんのさらに右隣の私はたまらず遮った。こんなときまでよく噛みつけるよ、状況分かってるの? ……彼女の靴がカタカタ床を鳴らしていた。

 そこまで含めて横目で見ていた、私たちのリーダーが、こんなときだというのに凛然と振る舞う。

 

「風見さん、1つ教えて頂きたいのですが。標的はフェケテリコと聞いてました。なぜ(わたくし)達を?」

「情報が洩れてたのはこっちも把握してたんです。それを逆利用して、より大金を毟れる獲物に鞍替えしただけです」

 

 心臓がズグンと痛む。私は探偵団の情報網を過信していたんだ。虚脱した体で項垂れる。——心の奥底から顔を覗かせる望みから、目を逸らそうとしながら。

 気高い彼女がどういう行動にでるか、読めていたから。ズルくて浅ましくて自分本位な生存本能を抱く私が、心底おぞましかった。

 

「分かりました。身代金交渉には親身に付き合います。その代わりみんなを帰してください」

「ハァ!?」即怒れるたきちゃんが眩しかった。

「目的がお金なら、(わたくし)1人で——」

「人質だと言ったでしょう。脅しになる材料は1人も逃がしませんよ」

「なっ!? なら(わたくし)がここで舌を噛んで——」

「——嵌めろ」

 

 にやけ顔のやくざが、狼狽えたさきちゃんに近づいて、手に持っていたものを彼女の口に突っ込む、猿轡だ。

 ついに私たちの中心が、顔をひしゃげてしまった。精神的支柱が微かな望み諸共、粉々に砕け散っていく。支えを失った心から色が抜け、視界は褪せていき、やくざたちの下衆極まりない会話が耳を通り過ぎる。

 

「てかそいつの隣にいるのって、あの若葉睦だろ? 森みなみの娘」

「なぁ、こいつ好きにしてもいいよな」「ロリコンかよ」

「てかエロい動画撮ろうぜ。両親が有名芸能人なんだし、ポルノ動画なんて、使い道しかないだろ」

「それいいな」

 

 喫茶店のときまで信頼していた偽善者の、閃いたような明るい声で腑が煮えくりかえる。体中を虫が這うような不快感で、手放し掛けた意識が現実に繋ぎ止められる。

 

「そいつ持て余してたんだよ。金なら豊川でいいし。親のスキャンダルに繋がる記録で若葉家脅してやるか。親が豊川グループのCM起用されるくらいだ、家同士の影響力も期待していいだろ」

「じゃあヤっていいんだな?」

「やり過ぎるなよ。そいつにも身代金払わせるよう訴えさせるから」

「じゃあ前戯ってことで……」

 

 心が死にかけていても生理的に身が震えた。その勢いでむつみちゃんを見る。身体を折り曲げたまま、ずっと黙っていた、元芸能人にして両親が有名人。今は、肩が上下するくらい呼吸が荒くなってる。猥褻されそうになってるから、だけ? 録画の開始音で、彼女の丸まった背中がビクンと痙攣した。もしこの期に及んで、親のことで追い詰められていたら——。

 

「へへっ、興奮してるみたいじゃねぇか。アがるなぁ」

「豊川さんは勝手に動かないでください」

 

 手足を拘束されたままやくざに体当たりしようとした幼馴染は、風見氏に水色の髪を引っ張られて椅子に引きずり戻される。

 

「見た目よりじゃじゃ馬だ、椅子に縛りつけろ」

「へいへい、風見は女子供にも容赦ねぇなぁ」

「可哀そうとは思うよ。だが、神の思し召しってやつだ」

 

 誰かと似て非なるセリフに胸奥で何かが煮え滾る。けど何十人といる暴力的組織を前に、グズグズと冷え固まるだけだった。女一人で何ができるの。大切な友達が玩具にされる。何もできない——!

 醜い笑みで鼻息荒くした男が、気持ち悪い手つきでガクガク震える人形へ近づく。その手が止まる。小石を蹴とばされたから。

 男は一緒に浴びせられた砂埃を腕で払いながら半眼でねめつける。その先では、顔にかかった長い黒髪を首振って払う少女が、ギロリと睨み返していた。

 

「黙れ。触れんな。死ね」

 

 噴火寸前の地揺れみたいな、ドスの利いた声が轟く。空気をビリビリ震わす余波が、縮こまった心臓に届き、1つ脈打つ。

 

「ガキが、いい度胸してんな。お前は死ぬまでいたぶってもいいってのが分からねぇのか」

「分からないわけないだろ、馬鹿か? 無抵抗の女しか襲えない男は頭終わってるな」

「……調子のんなよ」

「こっちの台詞だ」

 

 胸倉掴まれても、むしろ眼に強い炎を燃え上がらせるたきちゃんを見て、私の心臓が強く跳ねた。正気に戻る。

 馬鹿は私だ。むつみちゃんが一生残る傷をつけられそうになってるのに、何諦めてるの? それで友達のつもりなの!?

 さきちゃんもともりちゃんも、みんな助けないと。不器用で真っすぐで、誰よりも熱く強い仲間意識を持っている、自分より友達のことばっかりなたきちゃんみたいに……あのときみたいに——

 中学の秋に手を差し伸べてくれた記憶は、どんな地獄にいようと鮮明に思い出せた。振る舞い方を見失うくらい偽善に悩んだ私へ、彼女は真摯に目を合わせて言い切った。

 

『そよが偽善者だったおかげで、CRYCHICは成り立ってたんだよ』

 

 記憶を再生していた脳が走馬灯のようにこの5日間を駆け巡る。この場を覆すヒントを通過する度に、天啓を得たように活力が全身に巡る。視界がクリアになった私は、一瞬で笑顔を作れていた。

 そうだ、口だけは自由だった。今この状況で私にできる、たった1つの冴えたやり方。

 

「上等だ、景気付けにお前からブチ犯して——」

「これ以上私たちに触らない方がいいですよー?」

 

 愛想よく、明るい声で。

 私は言葉を抜き放った。

 




 ✿後書き✿

 原作における薬物への快楽症状や拒絶反応は、ここまで即効的ではありません。実験による改造でこの即効性を実現している、と表現したかったのですがどう考えても非現実的、という自覚はあります。
 しかしこうでもしないと色々と不都合なので、あえてここまで誇張させてます。
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