CRYCHIC交響曲   作:りょーへい

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『ぼくは知らなくちゃいけないんだ。だって、ぼくは彩夏が——のを止められたはずなんだ。もっと、ぼくがもっと多くを、もっと早くに知っていれば、止められたはずなんだ。彩夏があぁなったのはぼくのせいだ。今からでも、知らなくちゃいけない、なんとしてでも、そうでなければ、ぼくは、ぼくは……』



22番 傷痕

 

 

「——改めて、僕たちの事件に巻き込んでごめん。せめて、他に訊きたいことがあれば何でも答えるよ」

 

 照明どころかディスプレイの明かりすらほとんど利かない暗室で、藤島さんから事件について一通り聞き終わる。話が具体的に分かってしまった今、私は惨い真実による吐き気を堪えながら答えを探していた。どうすればこうならなかったのか、怪しい点に気付ける場面があったんじゃないか、どうして私はもっと——。

 ぐずぐずな思考回路で立ち尽くしていると、犯人に一番恨まれていた探偵が、こちらに背を向けたまま言い放ってきた。

 

「特にないなら出ていくがいい。ここは探偵事務所だ、都合のいい談話室ではないよ」

 

 効き過ぎな冷房すら生温く、部屋中張り巡らされたPC機器の一部みたいな口調だった。それが私の神経を赤熱させる。やっと口を開いたと思ったらその態度は何?

 たきちゃんが馬鹿にしたような笑いを漏らさなければ、何を口走るか分からなかった。

 

「……平坂組員、探偵団、ただの被害者な彩夏さん、四代目に藤島さん。みんな謝ってくれたよ。みんな悪くないのに」

「だから何だい?」

「一番主犯の怒りを買ってたお前がッ! なんでそんな平然としてられんの!?」

 

 理性が吹き飛んだ怒声を叩きつけられても、ベッドの上の少女はピクリとも動かなかった。

 

「なぜって、ぼくには関係ないからさ。きみたちに起きたことで、どうしてぼくが慙愧の念を抱く必要がある?」

「関係ない!? 燈は中身入った缶投げつけられて! 祥子の馬鹿は自分だけ犠牲になろうとして! 睦なんて親のスキャンダルネタのためだけに犯されかけた! 全部お前を恨んだやつのせいなんだよ!」

 

 その爪痕は深すぎて、私たちの日常に復興の兆しが見えない。それを取り戻すため話を聞いたのに、理解や納得は荒れ果てた大地に吹く木枯らしにしかならなかった。

 

 一度起きてしまったことは、どうやっても無かったことにならないから。

 

 頭がカッとなった。血が沸騰し、暴行された傷跡が焼かれる。

 

「お前以外みんなそよの殴られた顔見てんだよ! 腹も蹴られて頭踏んづけられて! 挙句薬物飲まされそうになって! あと1歩遅かったら、そよは……。……いつまで顔背けてんの!!」

 

 ついにアリスちゃんへ猛進するたきちゃんを、ともりちゃんと私で抱き止める。

 吠え猛る彼女の気持ちは、内側で憤りが燃え上がっている私にもよく分かる。たきちゃんの肩に指を食い込ませて発散しないと、怒りに乗っ取られそうだった。

 だから、たきちゃんを制止したのは私ではなくともりちゃんの方だった。

 

「待って、立希ちゃんッ。アリスちゃんに怒るのは……」

「燈ッ!!!」

 

 たきちゃんが私を振り払ってともりちゃんの両肩を掴む。いつだってともりちゃん贔屓してた彼女が本気で怒鳴るなんて想像もしてなくて、さきちゃんとむつみちゃんも、雲った表情のまま目を大きく開いていた。

 でもともりちゃんは毅然と向き合っていた。たきちゃんの怒り顔が、悲し気に歪められていく。

 

「なんで庇うの!? 何も非が無かったのに傷つけられたこいつらより、無関係だなんて吐き捨てるあいつの方が大事なの!?」

「違うよ」

 

 静かな断言。たきちゃんの顔中から、朱い熱気か抜けていく。ともりちゃんは彼女の手を肩からそっと外し、拗れ切った空気の中ベットへ歩み寄る。

 

「アリスちゃん。どうしてこっち向いて、くれないの?」

 

 返答がない。

 

「パソコンしてるわけじゃないのに。前までお話するときは、こっちに向いてくれてた、よね」

 

 アリスちゃんが顔を向ける大量のディスブレイは、外の監視カメラを映すもの以外真っ黒だった。手元にキーボードもない。

 私はようやく、らしくなさに気がついた。再度ともりちゃんが訊ねる。

 

「向けられない理由でも、あるの?」

 

 純粋な疑問に答えたのは、暗黙の少女ではなく鼻を鳴らす四代目だった。

 

「合わせる顔がないんだとさ。そのくせ何があったか知らないと気が済まない、そういう病人なんだ」

 

 アリスちゃんの首が少しだけ回る。勝手な代弁者に向けているらしい彼女の目は、長い黒髪で見えない。

 四代目は気にする様子もなく私へ向いた。

 

「あのとき、お前にビデオ回してたろ。そのデータはアリスに渡してあるから、何があったかは一部知ってたんだけどな。それだけじゃ飽き足りなかったんだろ」

 

 ベットの方から聞こえる息の音が、非難に聞こえた。非情な言動の裏を理解する。それにしても過剰な部分があった。

 

「でもどうして、あんな怒らせる言い方を……」

「そこのチビ探偵はな。世界中の不幸が全部自分のせいだって、本気で思ってるやつなんだよ。そんなやつが狙われてたのに、無関係のお前らが巻き込まれた。せめて恨まれるのが罰だとでも思ってンだろ」

「四代目、それ以上は……」

「な、なんで……」

 

 藤島さんの咎めを遮ったのは、爆炎を種火にまで縮こませた、たきちゃんだった。

 

「私は別に、お前のせいだなんて責めるつもりじゃ、なかったのに……」

「……いや。ぼくのせいなんだ」

 

 やっと返ってきた幼い声は、空調の風にすら搔き消されそうなほど弱々しかった。寝室の夜が深まる。

 

「ぼくが無能だったから、きみたちが巻き込まれた。椎名立希、きみだってやくざに喧嘩を売るなんて無茶をするはめになった」

「な、なんでそれを……」

「護衛の平坂組員に通話を繋がせていた。ここに来るまでのやり取りも、聞いている。長崎そよが頭部の打撲を平気そうに取り繕うのも、若葉睦が倒錯した精神状態にあるのも、豊川祥子が家の巨きさに負い目を感じているのも。全てぼくが無力なまま、生き長らえているせいだ」

 

 あの会話からそこまで見抜いたの? 私は反射的にさきちゃんを見る。図星なのを隠すように、顔を逸らされた。

 ともりちゃんが声を挟む。

 

「それでも、アリスちゃんが助けてくれたんだよ? 私たちがどこに攫われたのか分かったのも、アリスちゃんのおかげなんでしょ?」

「その奇蹟が起きたのはね。きみが偶然にもあのペンを所持していて、ぼくが依頼されていたからだ。もしそれがなければ、ぼくは今頃天使の施しを自ら受け入れていただろう。ぼくが本来在るべき場所へと、今度こそ還るために」

 

 ベット脇で探偵へ一歩踏み出した助手は、隣から鋭い肘打ちをお腹に見舞われて蹲った。暴力で制する組長が見つめる先には、息苦しい闇の中で目を凝らす、ショートヘアの子。

 

「きみは助けられたというけれど。きみたちが仲間のために行動を起こさなければ、ぼくたちは間に合わなかったんだ。その想い合いは、どんな絶望の中でも至福を手繰り寄せる、何より強い力だ。誇るといい。引きこもりニートに言われたくないだろうがね」

 

 骨から削り出したような言葉が床に積もる。その灰溜まりに私は足首を絡めとられ、引きずりこまれていく。

 

 この少女が合わせ鏡となって、ようやく自分が一番怒っていた対象に気づいた。私だ。CRYCHICを守りたくて誰より気を回していたのに、肝心なところで考えが足りなくて、みんなをあんな目に遭わせた。あと1日2日なんて軽視して、探偵団を過信して。

 何かできることがあるはずだったんだ。今日もみんなで笑っていられるために……!

 取返しのつかない過去に耐えられなくて目をギュッと閉じる。屍のような少女と同調するように凍り付いていく。

 真っ暗な氷獄へ逃げた私の耳に、聞きなれた儚げなフェアリーボイスが届く。

 

「言葉は、剣。形にならなかった想いを、殺す。アリスちゃんの言った通りだった」

 

 この場所でいつか聞いた話に、私はつい顔を上げる。

 ずっと向き合ってきたらしいともりちゃんは、今その刃先を探偵に向けていた。

 

「アリスちゃんの、助けたかった想い。形にされてなかった。自分を責めるアリスちゃんの中で、殺されそうになってる」

「ぼくは聖人じゃないし、感情ではなく依頼に従って助けただけだ。なければ動く気はない」

「嘘だよ」

「分かったような口ぶりで決めつけないでくれたまえ。ぼくはそういう傲慢が一番嫌いなんだ」

 

 今日初めて、その子から感情的なものを感じ取れた。拒絶の刃を、誰より攻撃的な振る舞いに弱いともりちゃんが斬り払う。

 

「ならどうして助けたの? 依頼はライブの保護、だよね?」

「……きみたちが無事でなければ、ライブを保護したことにはならない」

「私たちはライブじゃないよ。それでもそう解釈したのが、聖人でも死者の代弁者でもない、アリスちゃん自身」

 

 彼女らしくない詰め方だった。拳骨がディスプレイの淡い光を纏う。傷つけてでも伝えるために、戦う覚悟。

 純粋で眩い想いが私にも切り込んでくる。傷と罪と灰で覆い隠された何かが、ちらと煌めいた気がした。

 それはきっと、苦々しい声を漏らすアリスちゃんも同じなんじゃないかと思う。

 

「……助けたいから助けたなんて、身勝手で浅ましい自己満足を認めろと言うのかい? きみたちを理不尽に追い詰めたぼくに」

「だってそれが、生きるってことだよね。ダンゴムシは悔やまないし、ペンギンが恥じないように。アリスちゃんが自分を嗤わないのは、そんな在り方を誇りに思いたいからじゃないの? 誰かの助けになる自分で在りたいからじゃないの?」

 

 声がどんどん辛そうになっていく。自分の言葉がアリスちゃんを苦しめているのが、分かっているから。

 それでも止めない。ベットの前で膝つき、白いシーツにしがみつきながらも。

 

「どうしてそれが否定されなきゃいけないの? 私たちを助けてくれたアリスちゃんの心が殺されるなんて、私が辛い。助けてもらったのに、心が救われない!」

 

 ともりちゃんが純白で柔らかな間隙を握り込む。皺が寄った先で川を作っていた黒髪が少し短くなった。垂れていた頭が上がったから。

 1人で苦しんでたら、周りが救われない。私は最後の言葉に胸を抑える。

 ともりちゃんも同じく抑えたけど、私と同じ感傷が理由じゃなかった。冷たい季節の記憶に悴むように、声が震える。

 

「自分の気持ちを自分で間違っているって言い聞かせるの、本当に苦しかった。でも一人じゃ抜け出せなかった。だからアリスちゃんは、私が引っ張り上げる!」

 

 心の痛みを判る子が、小さな背中に向かって叫ぶ。不確かで複雑で、迷いそうになる闇色の靄を越えた先の想い。

 自分たちにできる、たった1つの答え。

 それは私に夜明けをもたらす、朝陽だった。

 

「アリスちゃんが助けられてよかったって思えるように、私歌うから! ライブして、助けてもらった意義を示して! 私たちの運命を変えてくれたアリスちゃんが、未来へ向いて生きていけるように!」

 

 流れてきた光が、私の過去を一本の線で辿り、繋ぐ。

 ぎくしゃくしてた結成当時、カラオケや初ライブという音楽で分かち合った思い出。

 あの頃みたいにバラバラな今、仲良しな私たちを取り戻したい願い。

 そして、みんなで成功を誓った野音ライブ。

 未来が足下から照らされる。灯台から真下を覗いてるような気分になって、私は密かに忍び笑いを漏らしてしまった。

 

 でもきっと。未だワンルームの陰に沈殿したままな私たちのボーカルは、そういうことを考えていたわけじゃない。

 だってともりちゃんは、ただひたすらに1人だけを想って、ひたむきに叫んでいるだけだから。

 

「誰かを助けたいって想いが、間違ってるはずないよ! 私だってただアリスちゃんが悲しむのが嫌なだけなんだ、自分のためだよ! それが殺される世界で、私は……生きていたくないよ……」

 

 声が揺れる。一番形にしたかっただろう想いと一緒に溢れて、シーツに滴り落ちる音が聴こえた。俯く彼女に代わって私たちは、自責の枷で編み上げられた牢が切り拓かれた瞬間を見届ける。

 シーツにしがみつく手へ、小さな掌が重なる。引きこもり探偵はともりちゃんへ振り返り、膝歩きで近寄っていた。ベッドの端まで詰めて、おでことおでこをすり合わせる。

 「そうだね……」と呟くアリスちゃんは、泣いていなかった。真っ黒な目に脆い光を湛えて、自分のために泣いてくれるともりちゃんへ、今にも崩れそうな笑みで唇を微かに震わせる。

 

「トモリ」

 

 わななく口元を何度か開閉し、深い息継ぎの後に出た言葉は。皮肉屋で口達者な彼女らしからぬ、短くてかんたんな想いだった。

 

「…………ありがとう」

 

 それがどれほど珍しいことかは、驚いた顔で見合わせる四代目と藤島さんを見ればよく分かった。

 ともりちゃんがクシャっとした笑い声と一緒に嗚咽をボロボロこぼして、アリスちゃんが頭を撫でる。そんな光景を見守っていると、四代目さんが藤島さんの首根っこ掴んで部屋から出て行った。

 私たち4人も、寄り添う2人に背を向けて続く。気のせいか、少しだけ部屋の寒さが和らいだ気がした。

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