ともりちゃんを残して探偵事務所を出た私たち。非常階段を降りた私は、雨脚が弱まった空を見上げる。さっきより雲が薄くなっていて、流れが目で追える。何となくだけど、風向きが変わったみたいだな。
そこに、四代目が声をかけてきた。
四代目「お前ら。ライブはどうする」
あんなことがあったのだから、当然の配慮と言える。でも、考える間でもなかった。隣のたきちゃんを見ると、目に強い光を宿していたから同じだと確信できる。
私たちのリーダーも同じって信じていた。だから、裏切られた思いだった。
祥子「……少し、考える時間をくださいませんか?」
そよ「さきちゃん!?」
立希「燈の話聞いて分かんなかった!? 私達はバンドなんだ、ライブやらないでこのまま終われるわけないでしょ!」
そこから逃げたらもう
祥子「睦がっ、……まだ本調子ではないでしょう」
狼狽えた顔で私たちに振り向くさきちゃんは、いつもの真っすぐさに欠けていた。訝しんでいると、弱々しい声があがる。
睦「……ごめん、祥。
祥子「睦……」
睦「……でも私、これ以上バンドの荷物になりたくない。立希に庇わせて、そよをあんな目に遭わせて。燈の決意まで踏みにじったら、一生後悔する」
半歩ずつ踏み出すのがやっとな足取りでさきちゃんの元へ歩み、裾を掴む。親のスキャンダル狙いで猥褻されそうになったばかりなむつみちゃんとしては、有名芸能人の娘して見てくる世間の何千何万という目は、想像しただけで恐ろしいだろう。
それでも。
睦「……お願い祥。いつもみたいに、引っ張って」
さきちゃんの、小雨を散らす曇り空そのものな顔が、むつみちゃんから逸れる。幼馴染の必死な抗いに応えられないなんて、いよいよもって異常だった。
そんな不甲斐ないリーダーに代わる、頼もしい子がいた。
立希「お断りだよ。野音で3000と配信10万相手に湧かせなきゃいけないのに、お笑いの若葉と森みなみの娘なんて、2世芸人のお手て引いてやる余裕なんかあるわけないでしょ」
容赦ない言い草だったけど、私は見守ることにした。たきちゃんの迷いのない目が、弱った顔のむつみちゃんへ真っすぐ向けられていたから。
そして、不敵な笑みに変わった。
立希「ギタリストの睦以外は要らない。まだどうでもいいことに囚われてるなら、1人で私達のライブ配信でも見とけ」
無遠慮な言葉が、干乾びていた表情をムッとさせる。その瞬間、怒り顔から驚き顔に変わった。自分の感情に驚いたみたいな反応。
溢れた生命力が顔中に染み渡る。大きく開いた目が新緑の若葉みたいにたるみ、葉先に露が滲む。
睦「……ごめん。でも、わざわざ挑発しなくてもいいでしょ」
立希「本心から思ったこと言っただけだから」
睦「……そこまで言って立希が本番トチったら、一生笑いものにする」
立希「それこそ言ってろ。——祥子、これで言い訳はないよね?」
祥子「で、ですが……また
立希「……は?」
探偵事務所での会話を思い出す。さきちゃんは大財閥の家に負い目を感じてる、って。バンドとしての一大事よりもそんなこと気にしてたの?
さきちゃんの表情は曇るどころか、膨れ上がった雲の中で息苦しそうだった。
立希「何お前。結局財閥の令嬢として下々とバンドしてやってたって言うの?」
祥子「そんなわけないでしょう!」
立希「だったら家なんてどうでもいいでしょ! このライブだって、元々お前が出たいって引きずり込んだんだろ!」
祥子「それでもっ! 私に巻き込まれてみんなが傷つくなんて、もう2度と耐えられません! 私1人が身を退いて解決するなら、いっそ……」
肌がざわつく。彼女が言おうとしてるのは、まるでライブどころじゃなくてバンド自体を——
立希「ふざけんなッ!」
たきちゃんがさきちゃんの襟首を掴み上げる。私は1年以上分かち合った思い出を奥歯で嚙み締め、さきちゃんを睨む。黒い怒髪天を衝く子が、許せない想いを代弁してくれる。
立希「野音だ武道館だ言ってたくせに! 今はお前が、私達を信じてないんだろ!」
そうとしか見えなかった。確かにさきちゃんといたら、これからも同じ目に遭う可能性は否定できないよ。
だから離れるって? 頬を引っぱたいてもよかった。さきちゃんが運命共同体って言い出したんだよ?
ライブ出演を決めたあの日だって。私たち5人なら成功するって、5人の可能性を誰より信じていたあなたは、決して今みたいに独りよがりじゃなかった。そうでしょ?
立希「お前1人犠牲になったって、私達は救われないんだよ! 今更お前のいないバンドなんてやってられるか! あるかどうかも分かんないもしもで勝手にCRYCHIC壊すな!」
服を捻じり上げたまま、下向きに絶叫が迸り、一瞬静まり返る。さきちゃんの顔に罅が入った。纏わりついていた雲が割れ目から散っていく。
対して、たきちゃんの声は一転して脆くなる。
立希「逆の立場で考えたらすぐ分かるでしょ。私達の誰かが抜けるとか、お前死んでも認めないじゃん……」
水色の髪を結ぶ萎れたリボンから、雨粒が滴る。下唇を噛んで俯くさきちゃんは、私以上にCRYCHICが大好きで、だからこそ傷つけたくない気持ちだって、本当は分かる。今も葛藤に苦しんでいることだって。
たきちゃん1人じゃ、足りないんだ。私は灼けた息をゆっくり吐き出して、声色を柔らかめに調整する。
そよ「さきちゃん。フェケテリコの拉致計画聞いたときの私と、同じになってるよ。1人で考えこんじゃダメ」
睦「……祥。1人で全部抱え込むの、悪い癖だよ」
たきちゃんが手を放し、3人で寄り添う。しばらくしてさきちゃんが短く息を漏らし、泣き疲れた後みたいに弱々しく笑う。眩しいものを見るように、潤んだ目を細めて。
祥子「ごめんなさい。私としたことが、臆病風に吹かれてましたわ。——四代目。辞退は致しません。出演させてください」
静観していたライブ運営トップへ振り返り頭を下げる彼女に、私たちも倣った。
つっけんどんな四代目は、まずため息をついてきた。
四代目「……ライブまでウチのもんに警護させる。それに従うのが最低条件だ」
祥子「願ってもいませんわ」
四代目「なら好きにしろ。元々あいつらのライブだ、俺にどうこうする権限はねぇ」
そう残して、四代目は藤島さんを連れて歩き去っていった。本当なら勝手に出演を取りやめる権限も持っているだろうに、どこまでもぶっきらぼうで、どこまでも仁義に厚い人だった。
その姿を見送っていると、勝手口からミンさんが出てくる。
ミンさん「アンタたち、さっきは彩夏が迷惑かけたな。お詫びじゃないけど、アイス食べてってよ。サービスするから」
妙に押しが強い言い方だったけど。ミンさんの絶品アイスを食べて心を解したかったし、反対する子もいなかった。
「四代目。まだ残党狩りしてる最中って、教えなくてよかったんですか?」
「ならてめぇで言え」
「言えるわけないじゃないですか、あんな空気で……」
「あいつらとフェケテリコの警護はいつでも完璧にしとけ。もし何かあったらお前を殺す」
「……四代目って女の子に甘いですよね」
「妙な言いがかりつけてねぇでさっさと動け」
「な、殴らないでくださいよ!」