ここから3話は、本筋とあまり関係ない話になります。CRYCHICとアカペラ部のメンバーによる交流回で話は進まないので、ご了承ください。
〇3rdコーラスパート そよ×玲音
練習の流れは堅実なものだった。まず楽譜を片手に担当パートの録音を聴いて、シラブル(ahーやwooーなどの歌詞)とピッチ(音の高さ)覚えていく。
覚えてきたら録音に合わせて歌って、ピッチがズレてるところを近衛先輩が指摘してくれて、苦手なところを譜面に記していく。
そうして全体的に上達してきたら、逆に自分の担当パートだけない録音に合わせて歌ってみる。他パートに惑わされないための練習。
ここまでやってみて。それまで基準にしていた録音の歌声と、自分のとで明らかに差があるから不安だったけど。どうも及第点まではできてたらしい。
玲音「うん。ピッチもズレてないし、悪くない出来だよ」
そよ「それならよかったです。私の声質的に、低音務まるか不安だったので」
ベースほどじゃないけど、私はコーラスの中で一番低い音を担当する。いつも笑声(口角上げた高めの話し声)みたいに話すこともあって、学校の合唱でもソプラノパートしかやったことなかったから、あまりイメージできなかった。
けど、中学の頃から本格的にアカペラをやってきたという近衛先輩によって、認識を改めることになる。
玲音「声質が低くなくても、低音の出し方っていうのがあるからね。それもちゃんとできてたから、浮いた音になってなかったよ」
下顎を下げて喉を開く、腹式呼吸を意識してお腹から声から出す。これだけで十分声は低くなる。あとは譜面に合わせて調整するだけ。そう教わって実践してみると、その通りだった。
低音寄りのパートを担当する上で一番の懸念点を、近衛先輩は具体的な方法で解決に導きながら、できてたらちゃんと褒めてくれる。
カッコいいところは中性的に整った顔立ちや、スラッとしたスタイルだけじゃないらしい。私はスムーズに課題をクリアしていく調子の良さに乗って、楽しく練習できた。
少し休憩と言われたので、せっかくだし近衛先輩とおしゃべりする。
そよ「近衛先輩ってカッコイイですよね。ウチ女子高なので、絶対モテたと思います」
玲音「私は共学でもモテるんだ。老若男女問わずね」
凄い。自分で言えちゃう人に、初めて出会った。
普段私からこんなこと聞かないんだけど。ここまで言っちゃう人になら、訊いても不快じゃなさそうと、思い切ってみる。
そよ「ってことはやっぱり……彼氏とかも、いるんですか?」
恥ずかしくて口籠るのは、この手の話題に慣れてないだけだよね? あんまり初心な感じは出したくないんだけど。
玲音「うーん、恋人とか作ったことないなぁ」
そよ「恋愛に興味ないんですか?」
玲音「愛莉と一緒にいる時間を削ってまで、したいとは思わないから」
そよ「へ、へぇ~……」
16年で染みついた当たり前みたいに言う近衛先輩。どの存在も古城先輩に優先されることはない、みたいな重さに私は碌な相槌が打てない。さりとて恋人関係みたいな口ぶりじゃないし。これも触れない方がいいこと?
迷っていると、近衛先輩から補足してくれた。
玲音「私と愛莉は10年来の幼馴染なんだ。物心ついた頃から一緒でね」
そよ「それで今も一緒にアカペラ部やってるんですね。なんだか素敵な関係です♪」
自然な雰囲気に持っていくため、私もテンション上げて話に合わせる。ウチにもいるけど、幼馴染にも色んな形があるんだぁ、と思っていると。
近衛先輩の微笑みに、微かな哀色が滲む。
玲音「そよは……なんとなく、愛莉に似てるね」
そよ「え、そうですかー? 私、古城先輩みたいに綺麗な自信ないですけど~」
不自然な反応じゃなかったはず。なのに近衛先輩の表情は晴れず、それでいて話題を逸らしてくれた。
玲音「そりゃ愛莉は天使で女神だからね。比較してもしょうがないよ」
そよ「わぁ~、すっごい褒めっぷり~♪」
玲音「さて、そろそろベースの方も様子見なきゃね。そよ、少し待ってて」
そよ「あ、よかったらついててもいいですか?」
玲音「もちろん」
3rdとベースは隣合わせで練習してる。音が近いからというのもあると思うけど、どうもそれだけじゃないらしい。
その不安点がどうなってるか。私たちは近寄って様子を見た。
〇ベースパート 立希×クマ
アカペラ部のベースは熊井弥子さんという。皆さんからクマちゃんと呼ばれるその子は、誰よりも特徴的な声をしていた。
楽器でいうとコントラバスくらい、地声が低くこもっているのだ。初めて聴いたときはみんな、不覚にも私まで、驚きを隠せなかった。前髪で左目を隠すような子の繊細さを、考慮すべきだったのに。
たきちゃんが他パートの録音に合わせて歌い終わった。そこに、右目を心細そうに俯かせる熊井さんが、そこらの男性より低い声をおずおずとかける。
クマ「……うん。大体できてる、と思う」
立希「う、うん。ありがとう」
クマ「えっと……特にリズムキープが、完璧だった。アカペラ初めてなのに、凄いね……」
立希「あー、私ドラムやってるから」
クマ「あ、リズム隊だったんだ……そ、そっか……」
熊井さんの、怯えるみたいに強張った表情を見て納得する。なるほど。どうも熊井さんは指導というより、話すこと自体に不安があるみたい。だから近衛先輩がいつでもフォローできるように近くで控えていたんだろう。
それに対して、たきちゃんはやりにくそうにしながらもかなり手加減した対応してくれて、心底ほっとした。初めて出会った頃のナイフみたいなたきちゃんだったら、彼女の煮え切らない態度に苛ついただろうな。しまいにはキレ出す彼女に、熊井さんが精神的トラウマを植え付けられてもおかしくなかった。
気まずそうな沈黙へ、近衛先輩が介入する。どちらかというと熊井さんを安心させる目的で。
玲音「私から見てもちゃんとできてたよ。声量が足らないところは、これからかな」
立希「分かりました」
クマ「レイレイ先輩……ありがとうございます。あの、声量のこと、ちゃんと教えられなくて、ごめんなさい……」
立希「い、いや。まだ慣れなくて小さくなっただけだから、気にしないで」
女性にしては珍しいくらい低い声質。真面目で控えめな性格。初めて会った頃のともりちゃんを思わせる、暗い表情。
彼女の気にしいなところは、出逢ったばかりの私たちが何か言って解決することじゃないんだろうな。
と、思っていたのは私だけだったらしい。
立希「あのさ、熊井さん……」
クマ「な、何?」
たきちゃんはともりちゃんに話すときみたいに優し気な声で話しかける。
トーンが変わったことに、逆に警戒してしまうのか強張ったままの熊井さんに、たきちゃんは小さく息をついて向き合った。
立希「熊井さんは、もっと自信持った方がいいよ」
クマ「え?」
立希「昨日のライブから思ってた。安定したリズムで演奏を厚く支えるベース。熊井さんって、高校からアカペラ始めたんでしょ? なのにそんな演奏できるなんて、凄いよ」
クマ「そ、そう、かな……」
立希「何より、楽器のベースみたいに低くて目立たない音色してた。それって、誰にでもできるものじゃない。しかも私らの年の、それも女で。その声質は間違いなく、希少性の高い才能だよ」
クマ「……ありがとう。でも私、昔からこの声で馬鹿にされて、ずっと嫌いだった。何も言い返せない自分も、含めて……」
熊井さんは可哀そうに思うくらい顔を曇らせる。色々あったんだろう。熊井さんは童顔で可愛い見た目してるから、声を聴くと余計にギャップが凄いのだ。それを揶揄う人がいるのが、残酷な世の中だった。
人に心ないことを言われて傷ついてきたのは、たきちゃんも同じ。それを思い出して感情的になったのか、拳を握りながら声色も元のキツいものに戻る。
立希「なら。それまでの全部に、見返してやればいい」
クマ「え?」
立希「私はそう思ってドラム始めた。勝手に期待して勝手に失望して勝手なことほざくヤツら全員吠え面かかせるつもりで。……負けっぱなしは、イヤじゃん?」
声に遠慮がなくなっても、その不敵な笑みには思い遣りがこもってる。それが私たちの愛すべきドラム、信頼できるリズム隊の相方。
立希「熊井さんに何があったかは分からないし、それを無かったことにはできないけど。これからのことは、変えれるじゃない?」
クマ「……ありがとう、椎名さん。ちょっと怖かったけど、優しいんだね」
立希「う……私そんなに見た目怖い?」
気弱な相手に強くツッコめないたきちゃんは弱ったようにモゴモゴぼやく。
所在なさげで気まずそうだから、助けてあげようかな。たきちゃんにしてはかなり頑張ったし。
そよ「今はだいぶマシになったよ? 初めて会った頃なんて、常に睨んでたくらいだもん」
立希「どんだけ昔のこと言ってんの。今怖くなかったらそれでいいんだよ」
玲音「私が同学年だったらどうかなぁ。おっかないムスブを知らなかったから、ちょっと怖かったかも」
立希「近衛先輩も追い打ちかけないでくださいよ……」
ショゲるたきちゃんに、熊井さんがクスクス笑う。やっと見せてくれた可愛い笑顔に、私とたきちゃんも顔を綻ばせた。
玲音「お互い打ち解けたところで。3rdとベースで合わせてみようか。まず私たちが手本見せるから、それ真似てみて」
そよ「はい」
立希「熊井さんも、よろしく」
クマ「うん」
練習も雰囲気も順調なまま続いていく。初めてにしてはアカペラっぽいことできてる感覚に、私とたきちゃんは楽しい気持ちを歌声で交わし合うのだった。