『何に怒ってるのか言ってくれればいいのに、いっつも他人行儀で、だから悲しくなる』
『なんでいつも難しく考えるの? あたしはただ、藤島くんともっと——』
カウンター席に座る私たちへ、テーブルの上にカップが置かれる。出されたアイスはティラミスだった。口に運ぶ私たちへ、ミンさんは洗い物に視線を落としながら教えてくれた。聞いてもないのに。
ミンさん「イタリア語で、『私を引っ張り上げて』って意味」
その意味に思いを巡らして、ココアパウダーの苦味やチーズの甘味と一緒に飲み下す。厨房の水音だけが店内に響く。いつも明るく賑やかだった、栗色の髪をした人が、いない。
そよ「彩夏さんは……」
ミンさん「買い出しで外出てる」
祥子「もう、大丈夫なのでしょうか?」
ミンさん「気になるなら伝言でも聞くけど。……そういえば、バカ共が置いてった録音機があったな」
カウンターの上に細長い銀の棒が置かれる。馴染みのない機械を手に取り、矯めつ眇めつしてボタンらしき部分を押すと、赤いランプが点灯した。これでいいかな。
私は彩夏さんが放っておけなかった。何も知らない内に巻き込まれて、酷い目に遭って、奇蹟的に今ここにいるのに、何の責任もない自分を責めていた。
さっきのともりちゃんが、私の心に強く焼き付いている。私も、好ましく思ったあの人の、笑顔を取り戻す助けになりたい。
そよ「彩夏さん。そよです。ごめんなさい、彩夏さんの話を聞きました」
何も返ってこないことにやりづらさを覚えながらも、胸の内に響く声をそのまま口から垂れ流す。
そよ「彩夏さんはただ巻き込まれただけじゃないですか。私たちと同じなのに、彩夏さんが気に病むなんておかしいです。だからその、お互い無事だったことを喜べたらいいなって、思うんですけど……。えーっと、ほら、自分を責めてたら、そうは思えないじゃないですか! だから……」
何が言いたいのかこんがらがって口ごもる。私らしくない……。
どう落着させようかと思っていたら。ミンさんが急に厨房の下へしゃがんだ。と思ったら、腕を引っ張り上げて、女の子と一緒に姿を現す。
彩夏「ミンさんッ!」
ミンさん「年下がここまで頑張ってんだ、応えてやれ」
そよ「彩夏さんいたんですか!?」1人語り頑張った意味!
立希「こういうの一番恥ずかしいパターンだわ」
睦「……一種の羞恥プレイ」
そよ「そういうこと言わないで!」
祥子「あ、彩夏さん!?」
さきちゃんの驚き声にはっとして視線を巡らす。彩夏さんが勝手口の方へ走り去ろうとしていた。私は反射的に追い駆ける。今を逃すと、もう心から向き合ってもらえない気がした。
お店と勝手口への廊下に繋がる境い目で彩夏さんの手を掴む。彼女は振り返らなかった。
彩夏「ご、ごめんなさい。今、そよちゃんたちに会わせる顔がなくて……」
そよ「……アリスちゃんみたいなこと、言うんですね。引きこもりニートになっちゃいますよ」
場を和ます冗談のつもりだった。いつも明るかったこの人はきっと学校でも仲の良い友達に囲まれていて、だからニートなんてはずれ道とは縁遠いと思い込んでいたから。
彩夏「……中学のあたし、そうだったんだって。登校拒否だったって、教えてもらった」
喉が凍り付き、氷柱で詰まる。普段の彩夏さんからは想像もつかない陰気な声を、聴くことしかできない。
彩夏「そんな自分も忘れたんだけど。でも納得はした。クラスの子と話してても、独りぼっちの気持ちが、ずっとあったから」
昔の、懐かしい息苦しさが蘇る。周囲に合わせる孤独。まさかこの人も、私と同じ——
彩夏「それまでは頭が壊れてるせいだって思いながら、頑張って作ってたんだけどね。それ以前の問題だったんだ、って気づいた。あたしは元から、心がどこかおかしかったんだ」
人懐っこい笑みが似合っていた。その場にいるだけで華やかになるから、ここに来ると和めた。そんな悲しい裏側があるなんて、思いもしなかった。
でも、違う。
他ならぬ彩夏さんから貰った言葉が、私に空の手をギュッと握らせる。
彩夏「あたしなんて、そんなやつだよ。そよちゃんが気遣う価値もない。たくさんの人が傷ついて、……死んじゃうクスリを作った、最低に壊れたやつだから。放っておいて、もう関わらない方がいい——」
そよ「怒ったら普通に怒鳴って、嬉しかったら普通に笑って、欲しいものがあったら普通にいえばいいだけ」
俯いていた後頭部が跳ね上がる。やっぱり、大事な想いが詰まってた。
あなたが頑張って作った先で掴んだ答えなんでしょう? そうじゃなかったら、私の胸に刻まれてませんよ。
そよ「大事だと思いました。そう在りたいなって、大切な人にもそう在って欲しいなって、心から思いました」
冷え切った手を強く握る。凍り付いたお花が再び光を浴びて元気になるよう、私の熱で溶かしたい。
そよ「そんな素敵な言葉を教えてくれた、元気で明るい今の彩夏さんが、私は好きです。作ってるからなんですか? 頭や心かおかしかったら否定されなきゃいけないんですか? そんなこと絶対ないんですよ!」
昔助けてくれたみんなと、同じ立場になっていた。4つ分の想いが乗っかって、感情的に怒鳴ってしまう。
でも、私は怒ったんだ。だからこれでいい。息を大きく吸って、言葉を振りかぶる。
山なりの放物線を描いて、彩夏さんの胸元へゆっくり落ちるイメージで、口から解き放つ。
そよ「私たちは無事なんです。もう過去は変えられませんけど、最悪なもしもじゃなくて、お互い生きてる今に目を向けませんか? 私は、彩夏さんと一緒に笑いたいんです」
静寂が流れる。相手は微動だにしない。押し付けはここまで、だよね。引っ張り上げたかった手を、そっと離す。
弾かれたように彩夏さんが振り返って、抱きついてきた。顔が見えなくても、すすり泣きが耳をくすぐる。
彩夏「……藤島さんと一緒にいるために、大事だと思ったの」
真っ新な空虚に満ちた鼻声。抜け落ちた思い出の重さに、膝が折れそうになる。彩夏さんの背中にしがみつく。
彩夏「お互い言いたいこと言い合えてたら、何考えてるか分かるから。1人にならないって、思ったから。そう、思ってたんだ、あたし……」
私の身体が締め付けられる。同じだけ強く、抱き返す。1人じゃないから。
彩夏さんの声がぐしゃぐしゃに崩れていく。
彩夏「……ごめん、ごめんねそよちゃん。あたしのせいで、酷い目に遭わせて……でも、それでも、そよちゃんたちが戻ってきてくれて……あたし……」
そよ「はい。私も、戻って来られて、よかったです。彩夏さんとまた会えて、よかった……」
言葉にならなくなった想いを、私がすくいあげる。信じて欲しいから、目に見えない不確かなものを信じた。
それが彩夏さんに無理させたのだと、私は痛感することになる。
彩夏「そよちゃん……おかえりなさい」
私から体を離した彩夏さんの、涙で濡れたぎこちない、造花の笑み。一瞬で
冴えたやり方じゃ、なかった。それでも、自分を責めて閉じこもったままじゃ作り笑顔さえできないから。私は、彩夏さんが作ってくれた想いを信じ込むことにした。
ミンさん「彩夏。中途半端にアイス残っちゃったから食べて」
彩夏「ふふっ、はいっ!」
ミンさん「さてと。アンタら、結局ライブ出るんだって? つまり気合入れるところでしょ、ゲン担ぎのラーメン作るから食べていきな」
睦「……そういえば、お腹減ってた」
立希「……あっそ」弾んだ声色。「じゃあせっかくだし、ご馳走になるか、祥子?」
祥子「えぇ! どんなラーメンでしょう、楽しみですわ!」
そよ「彩夏さん、メニューには見当たらないですけど、裏メニュー的なものですか?」
彩夏「あ、あはは……どうだろ。あたしがいない間にできたラーメンらしいからなぁ」
そうして出されたラーメンは、女性が作ったとは思えない程豪胆なものだった。
ラーメンの上に分厚いトンカツが乗っていたのだ。どういうセンスしてるんだろう、本当にラーメン屋だろうか。
私たちは気軽に受けてしまったことを、引きつった笑みで後悔しながら、それでも割り箸を折って「いただきます」を揃えた。
必ずともりちゃんにも食べさせよう、1人だけ逃れるなんて許さない。そんな醜い道連れの心がシンクロして、5人で同じ運命を辿る瞬間を今か今かと待ちわびる私たち。自然と勝手口の方を伺う。
外はさっきまで降っていた小雨も見えなくて、やっと雨が止んだ気がした。
「神様のメモ帳というのはね。聖書に出てくる、キリストが記した命の書のことなんだ。それに名が記されてた者は神の王国に入ることが赦され、記されていない者は血の池に投げ込まれる。有体にいえば、運命のことだよ」
「運命……天国か地獄かを分ける……」
「前にも言ったがね。神様とやらが、そうメモしただけのことなんだ。机の前で頭を悩ませ、書いては消してを繰り返した果てに正書したわけじゃない。ただの思い付きで走り書きしただけ。そんなものに従うだけの生き方なんて、馬鹿げているとは思わないかい?」
「思う」
「例え自分じゃどうにもならない理不尽に襲われても、あるいは願ってもない奇蹟に勝手に救われても。ぼくたちはそれを受け入れた上で、勝手になんとかしていくしかないんだ」
「そうやって、私たちは生きていくんだね」
「ぼくはそう想っている。きみのおかげで取り戻せた、大事な矜持さ」
「でもね。私は、運命を信じているよ。アリスちゃんと出逢えた運命だって、否定したくない」
「ぼくと出逢わなければ、あんな目に遭わなかったとは考えないのかい?」
「アリスちゃんに出逢えてなかったら。たぶん、ライブ配信も何とかできなくて、私たちは拉致されたまま帰って来れなかった。この部屋で貰った、このペンが、お守りになってくれた」
「……そうだったね」
「だから。アリスちゃんに出逢えたのが、神様がメモしたおかげなら、私は神様にも感謝したい。でも一番ありがとうを伝えたいのは、アリスちゃんだよ」
「……紫苑寺有子」
「え?」
「生まれる前から少数の少数の少数的存在として運命づけられ、とある資産家の幽閉から逃げ出した、憐れな忌み子の名前さ」
「……高松燈、です。今は、アリスちゃんと友達になりたいって火が、この胸に登っています。お試しでもいいので、友達になってください」
「……他ならぬきみからの依頼だ。お試し価格で受けようじゃないか」
「ふふ。それじゃ、やだ」
不思議系少女が、ふわりと笑う。不思議なニート王国の