キンバリー魔法学校。
多くの魔法使いが育ち旅立って行く世界屈指の魔導学舎。
そこにはかつて眠りを求め、夢に取り殺された魔法使いがいた。
※DLCの内容が含まれています。

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遠くを見ていた

 

 あの日、ティムは迷宮第二層を歩いていた。それが錬金術の素材のためだったのか、ゴッドフレイに頼まれてのことだったのかはわからない。ただ、森全体がやけに静かだったのを覚えている。

 

「朔花が咲いてるな……一応取ってくか」

 

 きっかけは些細なもの。この時期には珍しい薬草を見つけて道を逸れたのが、異変の始まりだった。よく踏み均された道を外れて草むらへと進むティムの眼前に、異様な光景が広がっていた。

 重なり合うように倒れた鹿の魔獣に、木の上から落ちたのか手足が奇妙な方向に曲がった猿の魔獣。そっと近づいてみると、それらは穏やかに目を閉じていた。

 

「眠ってる?」

 

 いくら獣の形をしているとはいえ、魔獣はそこらのものとは一線を画す。まして骨が折れているのに眠り続けるようなものが、今の今まで生きてこられる環境ではない。

 

「先輩に報告するか」

 

 明らかな異常事態であるが、原因がわからない以上自力での解決は難しい。そう言って立ち上がったティムだったが、その体がふらりと傾ぐ。

 瞬きの度に底なし沼へ沈んでいくような眠気がティムを襲う。毒瓶を取り出そうにも、今自分がどうなっているのかもわかりはしない。

 

(くそ、先輩……!)

 

 草木を揺らす風の音を子守歌に、ティムは眠りに堕ちた。

 

 

 

 

 ――ティム! 今日ね、クッキーを作ってみたの!

 ――ティム、来いよ! 箒の群れだ!

 ――ティム!

 ――ティム!

 

 幸せだった。

 兄妹たちとたわいのない言葉を交わし、野を駆けまわる。誰も彼もが笑顔で、辛いことなど世界に一つも無いような、そんな顔をしていた。でも、

 

(これは夢だ)

 

 ティムは知っている。現実が、どうしようもなく救いがたいものであることを。

 ティムは知っている。それでも、諦めない者たちがいることを。

 だからこそ、

 

(僕も諦めない。悪いな、兄妹)

 

 兄妹たちはいつかに置いて行く。追いかける背中があるから、だから。

 

「っ! ここは、」

 

 ティムが目覚めると、固いソファに寝かされていた。殺風景な石造りの壁にラックが掛けられ、見たことも無い花々が干してある。

 ティムは自分の体を見下ろした。兄妹たちの肉で出来た穢れた体に、ゴッドフレイが褒めてくれた少女然とした恰好。そのどちらも、自分だ。

 

「夢は、お気に召しませんでしたか」

「んなっ、」

 

 ほんの一瞬物思いに耽っている間に、彼女は現れた。真っ白な髪を三つ編みにして肩から流し、きっちりと制服を着た姿は、校内では見かけない顔だ。

 腰の杖剣に手を伸ばしたティムに、薄紫の瞳が向けられた。

 

「誰だ、あんた」

「ファリス=リリィと申します。恐らく三年生です」

「? 上に戻ってねぇのか」

「きちんと授業に出ていないもので。進級、できているのでしょうか」

「……僕に聞くな」

 

 ファリスとの会話は調子が狂うというよりも、まだ夢の中にいるようだった。ふわふわとした声と受け答えには現実味が欠けている。

 そんなことよりも、校舎に戻る方法を考えなければならない。自分の工房まで攫ってきて何もしないなど、魔法使いにはあり得ない。

 

(って、言いたいところだが)

 

 毒薬の手持ちが少ない。相手の出方が分からない以上、無駄にばら撒くのは避けるべきだろう。こちらのアドバンテージは杖剣を抜いていることだけ。上級生相手には牽制にもならない。

 いくら悩んでもファリスを退ける手段が思い当たらず一か八かの特攻に賭けようとしたその時、ファリスが口を開いた。

 

「それで上にはいつ戻りますか」

「はぁ?」

「お友達も心配しているでしょうし、授業にも出た方が良いですよ」

「……」

 

 先ほどからずっとテンポを乱されてばっかりだ。

 妙に気疲れして、ティムは早々にお暇させてもらうことにした。土産と称して怪しげな薬を手渡されたことを除けば、本当に何事もなく解放された。

 

「最後にお名前を聞かせてくれませんか。他人(ひと)と話すのは久しぶりで」

「……ティム=リントン」

「リントンくん、ですね。今日はありがとうございました」

 

 邪気の無い、それでいて寂しそうな笑顔で手を振るファリスに背を向けて、ティムは工房の扉をくぐる。出た先は森の中で、魔獣たちがまだ眠っていた。

 振り返ってみても扉はおろか建物の一つも無く、白昼夢でも見ていたのかというほどだ。けれど、手の中にある小瓶の重みが、夢ではなかったことを確かに伝えていた。

 

 

 

 

「ティム!」

「ゴッドフレイ先輩!」

 

 校舎に戻ろうと迷宮内を歩いていたティムは、やけに焦った様子のゴッドフレイと鉢合わせた。

 自分を迎えに来てくれたのか。でも急いでるみたいだから違うよな。そんなことを考えながら駆け寄ると、唐突に体をまさぐられた。

 

「ちょっ、先輩!? 僕にも準備ってものが、」

「怪我は無いか!?」

「……はい?」

 

 頬を赤く染めつつもまんざらでもないようなティムだったが、ゴッドフレイの言葉にぴたりとその動きを止めた。一通り傷が無いことを確かめたゴッドフレイが、ほっと息をつく。

 

「すまない。あんなことがあったばかりだからな、心配した」

「心配って……たかだか二層に行っただけですよ」

「いや、そのことだが」

「アル!」

 

 眉をひそめて何かを言いかけたゴッドフレイの後ろから、続々と仲間たちが現れる。ティムは彼らが自分を見て肩の力を抜く様子に、ようやく何かがおかしいと気がついた。

 

「無事なのね? 良かったわ、本当に」

「あぁ、カルロス。実は無事とは言い難くてな」

「そうみたいすね。僕、何日ここにいたんです?」

 

 ティムの察しの良さは、ゴッドフレイも知るところだ。だからこそ、彼に真実を伝えることを躊躇わなかった。

 

「一週間だ。あと一日で先生方が動く予定だった」

 

◆◆◆

 

 ティム=リントン行方不明事件から数日。ティムは渡された小瓶をずっと弄り回していた。

 

「……」

 

 あの時森に散布されていたのは睡眠薬だった。薬、ひいては毒に耐性があるティムにとって、あの一瞬で眠らされるなど信じられない出来事である。

 

「…………」

 

 だからこそ、せめてこの中身を解析しようとしていたのだが、外に出すと薄れて消えてしまう。最初の一吸いで昏倒した後半分ほど無駄にしてから、ティムは慎重になっていた。

 

「駄目だ。これじゃ進まねぇ」

「根を詰め過ぎても良くないわよ。少し休んでみたら?」

「うす」

 

 カルロスに窘められ、ティムは小瓶を机に置いた。透明な金の装飾が施された瓶の中で、ファリスの瞳と同じ色の煙が渦巻いている。それは吸い込まれるような、妖しい引力を放っているように見えた。

 ことり、とティムと小瓶の間にカップが置かれる。見上げると、カルロスが微笑んでいた。

 

「随分悩んでいるようね」

「そうすね。どうにか克服したいんですけど」

「そうねぇ……その先輩にはもう会えないの?」

 

 ティムはその言葉を聞いて、唇をとがらせた。会いに行く試みだけなら、もう何度もやっている。時にはゴッドフレイを連れて、時には一人で。それでも会うことは出来なかった。

 最近は研究のせいで寝不足なこともあって、本当にあの時会ったのかすら曖昧になりつつある。漠然とした危機感だけが、ティムを追い立てていた。

 

「……ちっと休憩します」

「そうね。アルが来たら起こすわ」

 

 ゴッドフレイが来るまでに、一度頭を冷やそう。ティムは小瓶を懐に入れると、休憩室に足を向けた。あの煙を見ていたせいか、よく眠れそうな気がした。

 

 

 

 気がつくとティムは暗闇にいた。目の前も見えないというのに、自分の体ははっきりと映る。辺りを見渡しても何もなく、誰もいない。ティムが歩き出そうとすると、暗闇の向こうから見覚えのある白が現れた。

 

「ファリス……先輩」

「久しぶりですね、リントンくん。呼びやすいようにどうぞ」

「そんじゃあファリス」

「はい」

 

 どこにいるのか。お前は何者か。あの薬は何なのか。

 聞きたいことは山ほどあったはずなのに、ティムの頭には何一つ浮かんでこなかった。もどかしさに頭をがしがしと掻いて、どうにかそれをひねり出す。

 

「次の休み、空いてるか」

「次……えぇ、空いています」

「少し話さねぇか。紹介したい人もいるし」

 

 紹介したい人。その言葉に、ファリスは少し苦しそうな顔をした。しかしティムが声を掛ける前に、それは消えてなくなった。

 

「よし、場所は僕が取っとく。遅れんなよ」

「うぅ、ん」

「なんだよ」

「実は、今日が何曜日なのかわからなくて、」

「……」

 

 ファリスとはまだ二回しか顔を合わせていないのに、いつも困らされている気がする。ゴッドフレイからは自分が彼女のように見えているのではないかという考えが頭をよぎった。

 

「わかったよ。僕が迷宮まで迎えに行くから、しばらく工房開けといてくれ」

「すみません」

 

 しゅん、と肩を落としたファリスはいかにも気が弱そうに見える。無論外見がどうだろうが、魔法使いに気が弱い人物などほとんどいないのだが。

 

「うし、じゃあまたな」

「はい。リントンくんも、元気で」

 

 控えめに手を振るファリスの姿が薄れて、薄れてーー

 

「あでっ」

 

 額に感じた衝撃に目を開くと、休憩室の壁がそこにはあった。寝ぼけ眼をこすりながら先ほどまでの会話と現状を照らし合わせる。

 

「……うそだろ」

 

 

 

 そして約束の日。ティムは足取り重く迷宮を歩いていた。

 あれが夢だったのか、はたまた何かの魔法だったのか。それすらわからないのだから気分が重いのも当然だが、うんざりだという表情を隠しもせずに歩いているのにはもう一つ理由があった。

 

「本当に行くのか? 戻るなら今のうちだぞ」

「あんただけ戻ればいいだろ。僕は下に用があんだよ」

「是非ともそうしたいところだが、ゴッドフレイから頼まれているものでな」

 

 鼻を鳴らしたレセディが、不機嫌そうに先へ進む。その背中に毒瓶でも投げつけてやろうかと思ったが、彼女はゴッドフレイの頼みでここにいてくれているのだ。ティムは舌打ち一つで同行を認めた。

 しばらく歩いているうちに足元の石畳が土へと変わり、奥からは青臭い臭いが吹き抜けてくる。そして、壁際にもたれかかるファリスの姿が目に入った。

 

「はぁ!?」

 

 咄嗟に駆け寄ったが、聞こえてきたのは穏やかな寝息だけ。魔法陣も張らずに迷宮で眠るという警戒心の無さに、ティムの頬が引きつった。

 ともかく怪我や病気ではないようだったのでひとまず安心だ。しかしそこでティムは、普段だったら口うるさく小言を言いそうなレセディが妙に静かなことに気がついた。

 

「レセディ?」

 

 振り返った先で、レセディは片膝をついていた。よく見れば力の入らない右手で、足に爪を立てている。

 

「く、何だ、この眠気は……」

「眠気? まさか、」

「逃げろ、ティム……お前に効かないということは、これは、」

 

 毒だ。

 その一言を発する前にレセディの体から力が抜け、それと同時にファリスが身動ぎする。ティムが杖剣の柄に手を掛けてその様子を伺っていると、石畳の感触に眉を顰めて伸びをした。

 

「ふぁ……あれ? リントンくん、どうしてここに」

「お前を迎えに来たんだけどよ。こいつ、起こしてくんねーか」

 

 ファリスはティムにもたれかかるように眠るレセディを見て目を丸くした。

 

「その子、寝ちゃったんですか?」

「寝ちゃったって、お前……」

「とにかく工房に行きましょう。話はそこで」

 

 

 

 ファリスの工房。

 そこを訪れるのはティムにとって二度目だったが、その構造を把握しているとは言い難い。入る時も出る時も、記憶が曖昧になっているのだ。だからレセディの介抱のためとはいえ、いつか工房を持つ身として見ておきたかった、のだが、

 

「ここです」

「木の洞じゃねーか」

「外はそう見えますけど、とにかく中に」

「中にったって、うお」

 

 ずるり、とファリスが洞の中に吸い込まれていった。その背中に続いたティムは荒く削られた壁に囲まれた小部屋にいた。部屋は薄く花の匂いが漂っていたが、眠気を覚えることは無かった。

 ファリスに言われるままレセディをソファに寝かせ、その隣に座る。すると奥で作業をしていたファリスがトレーに何かを乗せて歩いてきた。

 

「リントンくん、彼女を支えてもらえませんか」

「起こすんなら帰りでいい。それより話がある」

 

 ファリスはきょとんとした顔でティムを見上げた。石畳の上で眠っていたからか、目元に少し疲れが見える。ティムはレセディを放っておいて、ファリスを対面に座らせた。

 

「あの薬はなんだ?」

「あの薬というと、」

「こないだ渡してきたやつだ。こんなこと言いたかねぇが……僕じゃ解析できなかった」

 

 ファリスは少し悩んでから立ち上がり、いくつかの小瓶を持って戻って来た。中身は薄紫、紫、黒と得体のしれないものが使われていることが明白な色をしている。

 

「一番色が薄いやつだ」

「これですか? ただの睡眠薬ですよ」

 

 そんなわけがない。

 ティムはそう言いたかったが、作った本人が言うのであればそうなのだろう。たとえその効果が常識とかけ離れていたとしても。

 

「必要なんですか?」

「いや……それ、ばらまく気は無いんだよな?」

「はい。そんなに数もないですし」

「ならいい」

「なにかあったんですか?」

 

 ファリスの瞳が小さく細められた。警戒心はあるんだなと、場違いな感想を抱く。

 

「僕に効く薬だからって、自警団の連中が騒いでてよ。でもまぁ大丈夫だろ」

「リントンくんに効かないというと、」

「耐性があんだよ。早々抜かれねぇやつがな」

「ふむ……?」

 

 ファリスは首を傾げ、少し考えてから頷いた。そういうこともあるかと言わんばかりの態度にティムの頬が引きつる。もしティムが作った毒薬は効き目が弱いなどと言われたら、そのままで済ませておく気はなかった。それだけの自負が魔法使いにはあるものなのだ。

 けれどファリスにはそれがない。彼女は何を目指しているのだろうか。

 

「……ん」

 

 そんな話を続けていると、レセディが小さく身じろぎした。何かを探るように片手が動いて、少しづつティムの方に伸びてくる。

 

「……起きそうだな」

「ですね。……そうだ、お茶を出しましょうか。確かケーキが残っていたはずです」

 

 眉をひそめるレセディをよそに、ファリスは厨房へ向かって行く。変わらないマイペースぶりにティムは呆れた視線を送っていたが、いざレセディが目覚めそうになるとファリスがいなくてよかったと思い始めた。

  

「む……ここは」

「起きたか。頼むから暴れんなよ」

「何を言っている? (くだん)の魔法使いは、」

「お待たせしました。おはようございます」

 

 何というタイミングで現れるのか。予め話しておけばよかったとティムは少し後悔した。

 あまりにも自然に現れたファリスに警戒心を募らせるレセディは、有り体に言ってとても面倒くさい。ファリスに説明を期待するわけにもいかないだろうし、ここはホイホイ付いて行った自分が説明するべきだろう。

 

「貴様、」

「だから落ち着けって」

「何だと?」

「私にあなたを害するつもりはありません。これ、いかがですか?」

 

 ことりと小さな、しかし最低限の装飾が施された皿に乗せられたケーキが出てくる。レセディの信じられないものを見るような目が皿とファリスを行き来していたが、戦闘態勢は解いてくれた。ティムがケーキを口に運ぶと恐る恐る手を付けたあたり、それなりに自分のことを信頼してくれているようだ。

 

「……美味いな」

「でしょう? ここから校舎までは少し遠いですから、自分で作れるようになりたくて」

「料理は錬金術だとか抜かした奴もいたよな。間違っちゃいねぇけどよ」

 

 話している内にレセディもファリスが悪い人間ではないと思ったようだった。ファリスが皿を下げてくると、ティムと揃って出口に立つ。

 

「んじゃ、行くか」

「はい?」

「会わせたい人がいるんだっつーの。前に言ったろ?」

「あ、そうでした」

 

 ティムはファリスに近づき、その細い手をがっちりと握った。レセディが興味深そうに眉を上げたが努めて無視して工房を出る。

 外に出たファリスがどんな顔をしていたのか、ティムには見えなかった。

 

◆◆◆

 

これ(・・)はあなたの影響なのですね」

 

 いきなり現れた彼女は開口一番にそう言った。

 何もかもを見透かしたような瞳が、どうにも気に障った。

 

 

 

 彼女――ファリス=リリィがやって来たのはほんの数週間前のこと。だと言うのに、ファリスはすっかり自警団に馴染んでいた。

 豊富な錬金術の知識に、治療の技。オフィーリアは自身の立場が脅かされるのを感じていた。

 

「リア。ここにいたのね」

「……カルロス」

 

 校舎の片隅に座り込むオフィーリアに声が投げかけられる。振り向かなくともわかるその声は、友人であるカルロスのものだ。

 ファリスの動きに焦り、失敗して、逃げるように出てきたオフィーリアを心配して追ってきたのだろう。しかし今回ばかりはその気遣いは余計だった。

 

「こちらでしたか」

「っ!?」

 

 振り返った先、カルロスのさらに後ろに、ファリスは立っていた。カルロスのものとは違う濁った薄紫と視線がかち合う。

 何の感情も浮かばないそれに、オフィーリアは奥歯を噛み締めた。確かに彼女の能力をもってすればオフィーリアなど取るに足らないのだろう。だが、まともに戦う前からそんな目を向けられることは許せない。

 

「……何の用?」

「サルヴァドーリさんとお話をしたくて」

「何のよ」

「あなたがが私と似た特性を持っているようでしたので」

「それ、どういうことかしら、Ms。リリィ?」

 

 カルロスがファリスに言葉を投げる。彼を良く知る者にしか分からない程度であったが、それは普段よりもきつく詰るような色合いを帯びていた。

 カルロスは、ともすればオフィーリア以上に彼女の体を気遣っている。それをさも同情するかのように語られて、憤らない筈がない。

 

「アナタのことはアルから聞いているわ。凄腕の治癒遣いだって」

「いい麻酔を知っているだけですよ」

「それもどうかと思うけど……そうね、リアの体質を知って、アナタはどうしたいの?」

「改善の(すべ)があります」

 

 オフィーリアはその言葉に、すがるように踏み出した。

 そんなものがあればゴッドフレイは無駄に苦しむこともなく、自警団に立てられる悪評も少しは減っただろう。オフィーリアにとっては奇跡と言っても差し支えないようなそれを、ファリスは平然と口にした。

 

「空気を纏えばいいんです」

「空気?」

「ほら、こんなふうに」

 

 差し出された手におっかなびっくり触れようとすると、小さく抵抗があった。その流れはファリスの体の表面を伝って天井に向かっていることが分かる。

 

「芳香も私の薬香も言ってしまえば体臭ですから」

 

 その言い様には物申したい部分があったが、それを実現するための技術が無駄に高度なせいでそちらに気を取られてしまう。

 風を纏うというのは出来ないものでもない。ガスの充満する場所に赴くこともあれば、味方に最悪の毒使いがいることもある。だがそれは全て戦闘中の話である。日常生活で違和感のない程度まで落とし込んだ上でその状態を維持するなど、あまりに非効率で、無駄な技と言える。

 

「……そんなの、わたしには無理よ」

「そうですか? まぁ無理強いすることでもありませんから」

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 言葉通り少しも残念がらず戻って行こうとするファリスが振り返った。いつかの眠たげで、どこか遠くを見る瞳の中にオフィーリアは捉えられる。

 

「あんた、これだけのためにこんなところまで来たの?」

「サルヴァドーリさんを探していたのは事実ですが……長いこと歩き回った訳でもないですよ」

「それでも、その、時間を無駄にしたとは思わないの?」

 

 オフィーリアの言葉に、ファリスはきょとんと首を傾げた。

 何だそれは。警戒して、突き放した自分が馬鹿みたいだ。そんな考えに囚われてオフィーリアが二の句を告げられずにいると、背中に温かな手が添えられた。

 

「Ms.リリィはどうしてそこまで親身になってくれるのかしら」

 

 カルロスは上級生相手にも怯むことなく声を上げた。そんな彼にファリスは一つ頷くと口を開く。

 

「サルヴァドーリさんはティムくんの友達でしょう? そもそも私にとっては後輩です。お節介と思われるかもしれませんが、先輩として何かしたかったのですよ」

 

 それはあまりにもキンバリーには似つかわしくない言葉で、オフィーリアの憧れの先輩と重なった。

 いつか自分もこんな風に誰かに与えられるように成れたのなら。そう思った矢先に、聞き覚えのある声が響いて来る。

 

「ファリス! 探したぞ」

「何かあったんですか? ティムくん」

 

 生意気にもゴッドフレイの隣に立とうとする、背の低い同級生。それが一度でもゴッドフレイと重ねた少女に絡んでいる。それがどうにも気に食わなくて、オフィーリアの体は勝手に動いていた。

 

「何しに来たのよ」

「あ? なんだ、いたのか。レセディが探してたぞ」

「イングウェ先輩が?」

「おう、食材集めだとよ。僕じゃ出られねぇからな」

「確かにあんたじゃ腐らせるのがオチでしょうね」

 

 流石のティムもそれには言い返せないとみて、犬でも追い払うように手を振る。オフィーリアは長年の経験から構うと面倒くさいことになると分かっていたので、ティムを無視して駆け出した。その足取りは、ずっと軽くなっていた。

 

「なんかあったのか?」

「いいえ。ただのお節介です」

「ふぅん?」

 

 ティムの目にも憑き物が落ちたような振る舞いに見られたが、いちいち気にするほどでもない。それよりもと、ティムはファリスの手を引いた。

 

「明日年越しを祝ってパーティーやるんだけどよ、お前も来るか?」

 

 それを聞いたファリスは曖昧に微笑んだ。いつにも増して感情の分かりづらいそれにティムは片眉を上げたが、廊下の向こうから大荷物を抱えたゴッドフレイがやって来るとオフィーリアに先を越されまいとそちらに走って行く。

 一人残されたファリスはこちらに気がついたレセディに会釈をすると、迷宮に足を向けた。

 

 それきり、ファリスが自警団の前に姿を現すことはなかった。

 

◆◆◆

 

 おかしいと思っていた。

 なぜあの時返事をしなかったのか。

 

「ファリス……!」

 

 工房に押し入ったティムが見たもの。それは、安楽椅子に腰かけて目を閉じるファリスの姿だった。息を整えながら近づくと、手の中に小さな瓶があるのが見える。

 それだけでティムは悟ってしまった。もう彼女が戻ることは無いのだと。深い眠りの中に落ちて行ってしまったのだと。

 

「……んだ、あれ」

 

 いつかに食事を囲んだテーブルに、一つの冊子が置かれていた。

 ティムがそれを手に取ると、ふわりと花の香りが漂う。内容はまだ書きかけもいいところで、今にも起き出してきたファリスが続きを書き始めるんじゃないかとさえ思えた。

 ぱらぱらと読み飛ばしながらページをめくっていくと、後ろから一切れの紙片が落ちてきた。

 

『この手紙を見つけた人は、二年のティム=リントンくんに渡してください』

 

 そんな書き出しで始まった文は、ティムに宛てた手紙のようだった。

 

『ティムくんへ

 こうやって手紙を書くのは初めてですね。きちんと届いていれば良いのですが』

 

 紙面上でもいつもどおり丁寧な言葉づかいで、薬が完成したこと、残りの成果はティムに渡すことが書かれていた。またその中には、ファリスの生い立ちを示すものもあった。

 

 睡眠は脳へと繋がる扉の鍵。深く眠ることで自身を理解し、魔法使いとしての高みを目指す。

 そんな馬鹿げた理論を掲げた一族の最後の一人。跡取りが次々と眠りに落ちて時代の流れに消えて行く中で生まれ出た、神童。

 

 ファリスは一族に何の帰属意識も持っていなかった。

 だというのに、ある日夢を見たのだという。星が落ちる地に向けて歩く自身の先祖たちを。それに誘われるようにして、彼女は夢に没頭した。

 

『私が私でなくなっていくようで怖かったんです。でも、それも次第にどうでもよくなって』

 

 キンバリーに入学した後も何度も昏睡した。そしてもう少しで完成する、といったところで、去年の絵画騒ぎが起こった。

 

『あの時は本当にびっくりしました。工房からも出られなくなっちゃって』

 

 だからティムはともかく、ゴッドフレイの名を知らなかった。普段のボケっぷりで納得していたが、多少なりとも他人との交流を持っていればその名前を聞かないのはおかしい。それほどに、ゴッドフレイの知名度は絶大なものになっていた。

 

『だからティムくんが来たときは起きたばっかりで、本当は焦っていたんです』

 

 隠蔽したはずの工房に侵入される。

 その恐怖がどれほどのものかは、去年身をもって分かったつもりだ。特にファリスは戦闘能力があるほうでもなく、ティムがなりふり構わず暴れていれば取り返しのつかない怪我を負った可能性もある。

 

『ティムくんが良い子でよかったなんて、思ったりもしたんですよ』

 

 手紙から、ファリスのくすくすという笑い声が聞こえてくるようであった。確かにあの時は未知の状況を警戒していたのもあって消極的だったが、その後の付き合いで身をもってティムの性格を思い知ったはずだ。

 最後までファリスには敵わなかったと、ティムは苦く笑った。

 

『実は自警団に誘ってくれた時には、もう薬が完成していたんです。でも、別れたくなくて』

 

 手紙の内容に、ティムは目を見開いた。それが本当なら、ファリスは自らの最期を悟った上でオフィーリアやカルロスと話していたことになる。

 いや、思い返してみれば、あの二人は何か感づいていたように思えた。

 

『踏ん切りがついたのは、ゴッドフレイくんに会ってから。この人なら大丈夫だと思えたから』

 

 こんなことになるなら二人を会わせなければよかった。そんな後悔がティムの頭をよぎって、すぐに消えた。それが明らかに間違っていようとも、未練を残していたとしても、魔法使いの生き方とはそういうものだ。

 ティムは、一人の魔法使いの道に大きな影響を与えたゴッドフレイを想った。

 

『ティムくんに会えてよかった。お元気で』

 

 最後の言葉としては短いそれで、手紙は締めくくられた。ぱたりと閉じて部屋を見渡すと荷物は全てまとめられ、好きなようにしてほしいという意思が見える。

 

 だからティムは、その夜をファリスと過ごした。

 

◆◆◆

 

 生徒会メンバーとの合同訓練中、オリバーの下にティムがやって来た。相も変わらず女装姿で、少女然とした姿にはアンバランスな紫百合の髪飾りを付けている。

 

「その髪飾り、いつも付けていますね」

「あん? ……カワイイだろ、これ」

「えぇ、はい」

「貰いモンなんだ」

 

 そう言ってティムは夢のように笑った。

 




【ファリスの一花】

甘い眠りに落ちた彼女の体に
いつの間にか咲いていたというスイレン

睡眠の状態異常を無効にする

花に誘われ、夢を育て、
また花に還る

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