《脳深部コーラル管理デバイスを起動》
『君の瞳は夜空みたいだな』
──声が、する。
『このルビコンはいつも雲に覆われているが、時折こうして輝きを見せることがある。それが君に似ている』
──色が、見える。
『戦友。君は
──聞こえない。
その言葉が、聞こえない。
離れていく。わたしから遠く離れていく。追いかけて手を伸ばそうにも届かない。だって手なんてどこにも見えなかった。
待って、行かないで。教えてよ。なんて言ったの? あなたはなんて言っていたの? ねぇ、答えて……。
──ラスティ……。
《強化人間 C4-621 覚醒します》
意識が、ゆっくりと浮上していく。目的の場所へ着くまで休眠状態だった身体が起き上がっていく。朧気だった思考も次第に自分のものになり、わたしはゆるゆると目覚めていった。
何かを、見ていた気がする。けれど何を見ていたかもう覚えていない。ついさっきまで覚えていた気がするのに、煙のようにそれは霧散していった。夢、を見ていたのだろう。何時の、誰の夢を見ていたのか。思い出そうにも分からない。所詮夢なんてそういうものだ。けれどなぜか、それが哀しかった。
「はぁ……。頭、痛い」
長らく眠っていたせいで頭が重い。自分の第二の身体でもあるACの中で、こうして目を覚ますのはいつぶりだろうか。
コアのハッチを開けて外に出る。当たり前だが周りに人の気配など無く、物言わぬ鋼鉄の機器たちがわたしを迎えた。AC搭乗用のキャットウォークから降り、硬い鉄の床に足をつける。しんと静まり返った空間の中にわたしの足音だけが孤独に響き渡った。
AC格納庫の壁沿いに設置されている操作パネルに手を伸ばし、とん、と触れると、じわりと光って画面上に
「ハッド、わたしはどれくらい眠ってた?」
『ビジター、おはようございます。あなたが休眠状態に入ってから1593時間が経過しています』
「……それって何日?」
『およそ66.375日です』
だいたい二ヶ月か。結構時間がかかったな。
この船の中で『ハッド』と名乗るAIに出会ったのはラスティを無力化した後の事だった。
『初めまして、ビジター。私はハッドと申します。この船の管理AIです』
艦内を歩いていた時に突然『ビジター』、と声を掛けられた時は思わず動揺してしまい、床に乱雑に置かれていた何に使うか分からない装置に思いっきり足をぶつけてしばらく悶絶した。
痛みに顔を歪めながら話しかけてきた声に対して「誰?」と問いかけると、この艦に以前から搭載されていた管理AIだと言った。艦と一緒に停止したままだったのを動くように直す際にカーラが手を加え、再び稼働するようになったのだそうだ。わたしをビジター、と呼ぶのも彼女が弄った時にそう設定したのだろうか。
男のようにも、女のようにも聞こえるハッドの声は、チャティとは違ってどこか淡々として聞こえる。AIと聞くとチャティを思い出してしまうので正直関わりたくは無かったが、しつこいまでに話しかけてくるので観念して色々な事を任せていた。
脱出艇の中は広く、ACを格納出来るドックから整備室、そして居住区画まで揃っていた。元々長期間の宇宙航行も出来るよう造られた船だったようだが、しっかりと整備されているあたり、カーラの気遣いが伺える。しかし必要のない場所に至っては未だ薄暗く手をつけられていない状態のものもあり、突貫で修理させていったのだということが想像できた。
ハッドは区画毎に現れ説明をしてくれたが、専門用語が多すぎて何を言っているのかさっぱり分からなかった。「もう少し分かりやすく」と何度言ったか分からない。──古いAIは小難しいことしか言わないのか──口には出さなかったが手伝ってもらっている手前、文句は言えない。実際倒れ込んだラスティの体を運ぶのにわたしだけではどうすることも出来なかったので、ハッドに頼んで艦内の装置を駆使して運んでもらっていた。
艦橋に行き、目的の星系までの座標を入力した後は自動操縦に切換え、着く前になったら目覚めるように設定をして後のことをハッドに任せて眠りについたのだ。
「眠っている間に何か異常は?」
『特にありません。問題なく目的地まで航行しています』
「分かった。後で向こうの星系内の情報を知りたいから調べてもらえる?」
『了解しました。星系内全ての星の情報を送信しておきます』
「……そこまでは要らないかな……。行こうとしてる星だけでいいよ」
『そうですか。ではそのようにします』
仕事が出来すぎるのも問題なのかな。
ハッドのAIとしての力量は十分理解していたが、余計な──というか多大な情報をそのまま寄越してくる事がある。取捨選択をしてくれとお願いしていたがどうにもまだその塩梅が分かっていないようだった。それでも一人で全てをやるよりかは圧倒的に楽なので、助かってはいるのだが。
わたしはその足で今度は格納庫を出て二つ隣にある医療ルームへと向かう。そこには最低限の治療が出来るような道具と、鎮静剤や消毒液、睡眠薬などの薬品が陳列された棚があった。数はそう多くは無いので、いずれどこかで手に入れなくてはならなそうだ。
棚の間を通り抜け、また扉を開ける。そこは薄暗く、しかしぼんやりと薄緑色の光があたりに広がっていた。さほど広くは無い部屋の真ん中に、細長の立体物が鎮座している。淡く光を発しているそれには管が何本か繋がっており、時折シュウシュウと音を出していた。半円形の蓋は半透明で、薄緑色の光が漏れているのはその中からだ。
その箱に近付く。これは所謂身体機能の回復を目的とするカプセルで、中に入ったものの状態を限りなく回復させる為の機能が備えられていた。尚且つこれは休眠用にも使用出来る。ゆえに、この箱の中に居るのは、ラスティだった。
瞼を閉じて静かに眠っているラスティの顔をじっと眺める。ゆっくりと上下する胸が、確かに生きている事を伝えてきた。
──わたしは彼をどうしたいんだろう。
ふとそんなことが頭に浮かんだ。ルビコンを燃やした後に、自分が死なないように楔を作った。それがラスティだ。それは確かに機能して、彼の姿を横目にルビコンの火を見届けることができた。あれが一人だったなら、きっとおかしくなってしまうくらいにルビコンを焼いた炎は恐ろしく、美しい火だったから。
その後聞いたウォルターからの最後のメッセージでも、わたしはおかしくなっていただろう。ウォルターの後を、ルビコンの後を追って全ての責任を放り投げて死んでいたと思う。でも、それはきっと、してはならない事だ。許されるとは思っていない。許されたいとも思っていない。けれど選んだ責任は最後まで果たさなければならない。だってウォルターだってそうだったはずだ。
そしてわたしはラスティをも選んだ。わたしが歩む地獄への道連れとして。勝手に、無慈悲に、彼を堕とした。空の鴉を追い駆けた、強く気高い孤高の狼。これはわたしの我儘で、背負うべきもう一つの罪だ。でも……この後わたしはどうしたかったんだろう。ウォルターのように彼のハンドラーになりたかった? 違う。
「違う……」
首を振って、頭の中に浮かんだものを否定する。それは、違う。そんな事はあってはならない、許されてはいけない。わたしにその資格は無い。そういうんじゃ、ないんだ。
「はぁ……」
深くため息をつく。今考えたところで答えはきっと出てこない。それでも彼をずっと眠ったままにはさせられなかった。そろそろ起きてもらわないと。
カプセルの横の端末に目をやって、パネルの上でラスティの脳心部デバイスを操作する。覚醒モードへと移行させたら、あとの操作はハッドに任せればいい。
「ハッド。ラスティを起こして」
『了解しました。ビジター』
ハッドの声が端末から聞こえ、次いでカプセルから駆動音が聞こえてくる。休眠状態からの目覚めのために、ゆっくりと環境を外に合わせて入れ替えているのだろう。随分と丁寧な作りだ。そうしてしばらくすると、カプセルの蓋が開いて中の光が溢れ出てきた。静かに近付いて中を覗く。閉じられていたラスティの瞼が、薄らと開いていくのが見えた。
「おはよう、ラスティ。気分はどう?」
横たわるラスティに言葉をかける。微睡みから目覚めたばかりの彼は、光に慣れないのか何度も瞬きを繰り返していた。その後意識がはっきりしてきたのか、ラスティはゆっくりと体を起こすと、おもむろに頚椎にある神経接続端子に触れながら低く呟いた。
「……良い、とは言えないな。何をした?」
非難の声を滲ませながらわたしに視線を投げてくる。あの時の衝撃がまだ残っているのだろうか。
「ちょっと眠ってもらっただけ。何もしていない。でも、身体の方は良くなっているはずだよ」
淡々と、静かに答えた。感情を乗せないように、彼の顔をじっと見つめる。回復カプセルの中に入っていたのだ、ある程度の傷や怪我は治されているはず。額に付いた傷は僅かに跡が残っていたが、傷口自体は塞がっているようだ。それ以外がどの程度のものだったかまではわからないけれど。そう伝えたわたしの言葉にラスティは視線を下げ、腹部に手を当てた。
「……確かに痛みは無いな。何をしたかは知らないが、ここは素直に感謝を述べるべきか?」
「あなたの好きなようにすればいい」
別に何かを求めたわけではなかった。こうするのが一番手っ取り早く、かつラスティにも、わたしにも都合が良かったからだ。するとそれを聞いた彼は、何を思ったか小さく笑った。
「好きにすればいい、か」
それだけ言うと、ラスティは目を細めどこか遠いところを見つめて嘆息をつく。その横顔から表情は伺えなかった。しばらくそうして佇み、一度瞼を閉じて、もう一度深く息を吐く。そしてゆっくりと目が開かれた。彼はわたしに視線を向ける。深緑色のその瞳は、何も語りはしなかった。
「ここは?」
再び開いた口から出てきたのはそんな言葉だった。どうやら彼はその選択をしたらしい。当然だろう。わたしに感謝の言葉など必要無い。それで構わなかった。
「……脱出艇の中。ここはその中の医療ルーム。あそこにそのまま放置するにも、ACの中に入れるわけにもいかなかったからこうした」
「船の中なのはわかる。この設備のことも、おおよそは理解出来る。だが状況が知りたい。どのくらいの間こうしていた?」
「それは──」
『あなたがそこに入ってからおよそ66.375日経過しています』
答えようとするわたしの言葉に、ハッドが突然割り込んできた。わたしも少し驚いたが、それ以上にラスティは驚き、その目を見開かせる。
「誰だ」
まぁ、その疑問も最もだ。急に見知らぬ声が割り込んできて答えれば、誰だってそうなる。警戒の色を隠さず鋭く問いかけるラスティに説明をしようとわたしは口を開いた。
「この船の、管理AI。『ハッド』と言うんだけど……」
そこでちらりと脇の端末に目を向けた。《H》の文字が浮かんだ画面を軽くにらみつけるようにして見つめながら、
「ハッド。いきなり割り込んでくるなんてどうしたの。そんなこと今まで無かったじゃない」
割り込む相手がいなかったと言われればそれまでではあるが。すると《H》の文字は薄く明滅を繰り返し答えた。
『ビジターが気にしていた方でしたので、答えるべきかと』
──『気にしていた』のは一言余計だぞハッド。
ハッドの返答に心の中で軽く舌打ちをした。そんなこと言わなくていいのに。気を利かせたつもりなのだろうが今じゃ無かった。AIに対してそんなことを思っても仕方がないとはいえ、タイミングが悪い。ハッドが放った言葉に案の定ラスティは怪訝な顔をして眉根を寄せた。
「気にしていた、だって?」
ハッドの声が聞こえてきた端末に向けていた視線を、また私に戻して彼は言う。
「どう気にしていたのか、気になるところではあるな」
鋭く見つめてくるラスティの視線に、わたしは小さく身動いだ。
ああもう、こんなことしてる場合じゃないのに。どう気にしていたか、だって? 当たり前じゃないか。あなたが生きていなければ意味が無いんだもの。だから気にして行動もする。急に倒れて──そうしたのはわたしだが──頭を打ち付けていないかとか、目に見える額の傷は開かなかっただろうかとか、色々と。でもそんなこと言うつもりはない。言ったところで、あなたには関係無い。これは、わたしだけの問題だ。
「ハッドの言ってることは気にしないで。気にしていたっていうのも、ただあなたをどうしておけばいいか考えていただけ。深い意味なんて何もない」
努めて冷静に答えたつもりだが、静かに見つめてくる彼の視線がどうにも痛い。わたしの中を探るようにしてじっと見られているようで、居心地が悪かった。わたしも負けじと見つめ返したが、ラスティは視線をそらさない。少しだけ細められた瞳はただ黙ってわたしを貫き続けている。
その視線に、先に根負けしたのはわたしの方で、すっと顔をそらしてしまった。これ以上見つめられると、わたしの中の仄暗い部分すら暴かれそうで。それが少し、怖かった。
「ハッド。自己紹介でもしてて」
彼から少し離れたくなったわたしは、端末に向かって投げかける。彼に背を向けてハッドに相手をさせようとしたところで、ラスティはきっと見抜いてしまうだろう。それでも構わなかった。
『了解しました。ビジター。──初めまして、ラスティ。私はハッドと申します。ビジターも言っていたように、この船の管理AIです』
「……ハッドか。君にも色々と聞きたいことがあるが、後にした方が良さそうだな。とりあえずはよろしくと言っておこう」
わたしと出会った時と同じ口調でハッドは答えている。それにほんの少し沈黙し、その後ハッドに返事を返すラスティの声が後ろから聞こえてきた。
さて、この後どうしようか。部屋の扉を開きながらわたしは思考を巡らせる。手元の端末でハッドにラスティに着いてこさせるように指示を出したから、いずれは来るだろう。
なんの音もしない、静かな廊下をひとり歩く。艦橋に向かおうとしたが、起きてから何も口にしていないことに気がついて足を止めた。別段腹が空いているわけではなかったが、いざという時──この船の中でいざという時があるのかは知らないが──に動けなくなるのも良くないと思い、一旦食べる物を探しに向かう。確か、居住区画に食料庫があったはずだ。
居住区画へ繋がる扉の前のパネルを操作する。生体認証も一応あったが、まだ登録し切っていない。比較的簡単なコードで開くとはいえ、いちいち打ち込むのも面倒だ。後でやっておかないと。
認証が通り解錠する音が聞こえ、扉を押し開けようと手を伸ばす。扉に当てたわたしの手の横に──後ろから大きな手が伸びてきた。気配も無く伸びてきたものに一瞬驚いて手を引っ込めると、わたしの背中に暖かいものが触れた。振り向くと、すぐ後ろにラスティが居た。わたしの背中に触れているのは、彼の手だ。──いつの間に。
「ラスティ……」
彼はわたしを静かに見下ろすと、つと眉を傾けた。
「君に着いて行けと言われたからな。追いかけてきた訳だが……驚かせてしまったか?」
「……気配を消してくるからだよ」
「癖かな、それは。この先へ行くんだろう? このまま開けてもいいか」
扉に当てた彼の手に軽く力が入る。断る理由も別に無かった。無言で首を縦に振ると、ラスティはわたしの前に回って扉を押し開けた。大きく開いた扉の先で、彼は視線をこちらに寄越す。
「どうぞ。先に行ってくれ。君に着いて行くから」
その声と口調にわたしは少し逡巡した。
「……ありがとう」
そう言ってからゆっくりと彼の前を通り過ぎる。扉が閉まると、彼は黙って後ろを着いて歩いてきた。今度は気配を消さず、わたしの傍を離れないようにして。それがなんだか……なんだかとても、痛かった。
──これじゃあ先が思いやられるな。
ラスティに聞こえないようにため息をついて目を伏せた。選んだのはわたしだろう。だったら割り切れ。考えるな。その程度の意志で彼を堕としたのか? そこまで考えて首を振る。違う。なら昔のままではいられない。あの時とは違うのだから。
伏せた目を上げ、わたしは心の中に渦巻く痛みを振り払った。
食料庫の中で長期保管の可能な固形レーションとゼリー飲料を見つけた。簡単に栄養が取れるものなら何でもいいかと、その二つを手に取る。右手にレーション、左手にゼリー飲料を持ってラスティに振り返った。
「どっちがいい?」
突然振られた彼は一瞬戸惑ったような顔をすると、顎に手を当てて考え込む様子を見せた。左右を見比べるように視線を揺らす顔をじっと見ていると、ラスティは小さく肩を竦めながら口を開く。
「そのレーション、あれだろう。あまりいい味のしないやつ。それにいきなり固形物を食べられる気もしないから、左の方をもらおうか」
「そう」
そのまま彼の方へゼリー飲料を放り投げる。それを上手いことキャッチしたのを見届けて、わたしは残ったレーションの袋を開けた。ぽきりと二つに折ってから口に放り込む。もそもそとした食感に何とも言えないこの味は、食べ慣れてなおいいとは思えなかった。味のしないものをよく噛んで細かく砕いてから飲み込む。口の中の水分が吸われてからからだ。何か飲むものも用意しておけばよかった。
口をもごもごと動かして唾でなんとか乾きを和らげようとするがあまり変わらない。仕方が無いと諦めた所に、ふっと小さく笑う声が聞こえた。
「口の中が乾いてるんだろう。こっちを飲むか?」
そう言ってラスティはさっき渡したゼリー飲料をわたしに向けて差し出してきた。
「いい。大丈夫」
「そう言わずに」
ほら、と言って差し出され続けるそれを凝視する。その口は開いているように見えるが、それはいいのだろうか。わたしがそれを見つめ続けていると、彼はああ、と言って手元のゼリー飲料を軽く振った。
「まだ一口しか飲んでない。それとも、口がついているのを気にするくちか? 君は」
気まずいところを突いてくる。ラスティは慣れているのだろうか。慣れていそうだなと勝手に思う。顔には出ていないが彼はわたしの態度に薄く笑っているように感じて、どうにも気に食わなかった。気にならないと言えば嘘にはなるが、そこまで気にしてる訳でもない。
「別にそんなんじゃない。貰うよ」
半ば強引に彼の手からゼリー飲料を奪い取り、ぐっと一口吸い込んだ。温いとろっとした液体は乾いた口の中で溶け、するりと喉の奥に落ちていく。程よい甘みが心地良かった。
「ありがとう、返す」
「それはどうも」
わたしの手から受け取りながら、ラスティは傍にあったテーブルに軽く腰を預けてそれを口に含む。ゆっくりと吸い込みながら、彼は何かを考えているようだった。
「……さっき聞きそびれたことを聞いてもいいか。今の状況。この船はどこに向かっているんだ?」
なるほど。それが知りたかったのか。
空になったレーションの袋をダストボックスへと投げ込み、ラスティの近くへと寄る。彼と同じく傍にあったテーブルの端に腰を下ろした。状況が知りたいというのなら、ハッドが既に話していると思ったがそうでは無いらしい。何故だろうと思い問いかけた。
「ハッドに聞かなかったの?」
「君の口から聞きたかったからな。彼には聞かなかった」
その言葉にわたしは心の中で少し笑った。
「説明したくてうずうずしてたんじゃない? 彼」
「そうだろうな。何度も言われたよ。『説明しましょうか』、って。あれは意外と口が回るようだな」
それは分かる。古いAIの割にハッドはよく喋る方だと、短い間でも感じた。カーラがそう調整したのか、元からそうなのか。元からのような気もするが。
ふぅ……とひとつ息をついた。何から説明しよう。どこに向かっているか、だったか。説明するのは苦手だと彼に前置きして、私はその先を口にする。
「……今向かってるのは、ルビコンから遠く離れた星系。その中の一つに用がある」
〝惑星ミギア〟それがこれから向かおうとしている星だ。ずっと前、エアと一緒にルビコン星外の事を調べていた時に見つけた。エアはもう居ないけれど、その時得た情報を頼りにハッドに探し出してもらったのだ。
「ミギア……。あまり聞いた事のない星だが……。その星に何の用がある?」
ラスティは怪訝な顔をして答えた。〝何の用がある〟とは異なことを言う。わたしたちに出来ることなんて一つしかないだろう。
「独立傭兵の仕事だよ。今まで通り、ACに乗って戦う。それだけの仕事だ」
わたしは唇の端を歪めてラスティを見つめた。その星には仕事がある。わたしに出来る仕事。何も考えなくていい、昔のように、ただ依頼をこなせばいいだけの仕事。その方が、楽だった。
ラスティはそんなわたしの言葉に、あからさまに表情を変えて息を飲んでいる。そんな顔しないでよ。分かるでしょ、あなたなら。
「……君はまた戦場に行くのか」
彼は低く、そう呟いた。
「それしか出来ないもの。それ以外の選択があると思う?」
「もっと他にあるだろう」
「わたしに? こんなわたしが他に出来ることなんて何?」
畳み掛けるように言葉を投げると、ラスティは口を噤んで黙ってしまった。わたし自身もこんなに言葉が続くとは思わなくて驚いたが、わたしに向ける彼の表情に思わず感情が乗ってしまう。ふつふつと湧き上がる苛立ちのような哀しみのような、自分でもよくわかっていない感情で彼を見つめていると、ラスティはふと視線を逸らし俯いて──ぽつりと呟いた。
「君はそうやって、自分を傷つける道を選ぶんだな」
「それは……」
そうしないとやっていけないから。
言いかけた言葉を飲み込んだ。今までだってそうだった。それをまた繰り返そうとしているだけなのに、彼の言葉が胸に突き刺さる。それに、もう一つわたしの中に燻ってずっと残っているものがあった。燃えるルビコンを見つめ静かに涙を流していたラスティを見て抱いた思い。
「傷つかずに生きる道なんて知らない。それに、
冷たく言い放つ。わたしの言葉に気圧されたのか、ラスティはそれ以上言及してくることは無かった。ただ暗い顔をして、飲み切ったゼリー飲料の袋を強く握り締めている。あなたがわたしの心配をする必要は無い。こうすることでしか生きられないわたしが悪いのだから。
沈黙が続く。ぴりぴりとした空気が流れる。それを破って再び口を開いたのはラスティだった。
「私を眠らせたのも、それが理由か?」
ああ、その事か。それもある。けどそれ以外にも理由はある。
「ずっとこうすると決めていた。それをあの時伝えたら、あなたは拒否してくるだろうと思った。それに……」
「……それに?」
押し黙ったわたしに彼は言葉を続けさせようとする。この先の言葉を、彼の目を見て話すのは出来そうに無かった。弱いな、わたしは。
腰掛けていたテーブルから立ち上がり、彼の横を通り過ぎる。彼の視線がわたしを追いかけているのを感じながら、艦橋へ続く扉の方へと足を向けた。扉の前で立ち止まり、顔だけそっとラスティの方へ向ける。視線は上げず、床を見る。
「……燃えるルビコンを、あれ以上あなたに見せたく無かったから」
聞こえるか聞こえないかの声量で言った。でも後ろで息を飲む声が聞こえてきたから、声は届いたらしい。何かを話そうとする気配を遮るように、わたしは強く言い放った。
「わたしの地獄に着いてきてもらうと言った。だからあなたにも着いてきてもらう。ミギアで、わたしと一緒に。……艦橋で待ってる」
部屋の中にラスティを残し外へ出た。艦橋へは、ハッドに案内させればいい。今はただ、彼から離れたかった。少しだけ一人になる時間が欲しい。扉の外で息を整え、深く息を吐く。彼と話して、揺らぎそうになっている弱い心を悟られたくない。何度も深呼吸を繰り返し、そうして少し落ち着いた後に手元のデバイスに触れ、ハッドを呼び出した。
『何でしょうか、ビジター』
淡々と話す
「ハッド。時間を置いてからラスティを艦橋に連れて来て」
『了解しました』
それだけ伝えてデバイスをしまう。やる事は沢山あるんだ。ミギアに着く前に色々と済ませてしまいたい。頭の中の雑念を振り払って、わたしは艦橋へと歩みを進めた。
◈
扉の先へ消えて行く戦友の姿を目で追う。彼女を追おうと立ち上がりかけた足が止まる。そして再び重い腰を下ろした。
「……そんなこと言わないでくれよ」
彼女が残していった言葉が頭の中で巡り続ける。
どうして君はいつもそう自分を傷付ける。君の地獄に着いていくと決めたのは私だ。なら何も考えず私を使えばいいだろう。なぜ苦しむ道を選び続けるんだ。燃えるルビコンを見せたく無かった? 私を傷付けたくなかったから? それで傷付いているのは君だろう。ずっと辛い顔をしていたのは君の方じゃないか。
「どうすればいい」
深い息が口から漏れた。彼女は選んでここにいる。私は選んで捨ててきた。それに本当に後悔は無いのかと言えば嘘にはなるが、それでも選んだのは私だ。それをきっと、彼女は理解していない。ただ自分の為に私を堕としたと思っている。その真意はまだ分からないが、それでも苦しみ続ける道を選ぶ必要は無いと思った。
独立傭兵として仕事をすれば、また色々なものを抱える事になるだろう。それが分からない戦友では無い。そうして抱えて、また苦しんで。夜空の様だと思ったあの美しい瞳が、これ以上曇っていくのを見たくは無かった。それに――。
「……君は私の気持ちを知らないだろう」
暗く、そして消すことの出来無いこの気持ちを。
『ラスティ、ビジターから頼まれました。今から艦橋へ案内します』
「……ああ、わかった」
ハッドの声に腰掛けていたテーブルから立ち上がる。持っていたままの空のゼリー飲料をダストボックスに放り込む。戦友が出て行った扉の前まで向かい、ハッドに告げた。
「艦橋へ行くんだろう。案内は頼んだ」
暗い船内へ足を進める。戦友が待っている、その先へ。