皐月賞はダイワメジャーの勝利で幕を閉じた。
10番人気だった彼女の勝利。
その大番狂わせは世間を賑わせた。
メディアも彼女の事を取り上げた。
ダービーの本命ウマ娘と言う者もいた。
そう言われるほどに彼女の走りは凄かった。
そしてそれと同じぐらいに期待されている子もいた。
前走皐月賞2着のコスモバルク、同レース3着のメイショウボーラーと4着のコスモサンビームの3人である。
皐月賞こそ取れなかったが、その成績からダービーは取れるのではないかと期待されていたのだ。
なんせタイムで見てみればコスモバルクはダイワメジャーと0.2秒差。
メイショウボーラーはコスモバルクに0.3秒。
コスモサンビームはメイショウボーラーに0.2秒。
じゅうぶん射程圏内だったからだ。
だがそこである報道がされた。
メイショウボーラーの陣営がダービーを回避し、キングカメハメハが出走を表明しているNHKマイルカップに出ると発表したのだ。
さらにコスモサンビーム陣営も同マイルカップに出走を表明。
ダイワメジャーとコスモバルクはダービー前に他レースへ出走せずにそのままダービーを目指すと発表。
そんななか、彼女達以外にもいるダービーを目指す者達は……
(届かなかった……)
学園の練習コースを走り終えたハーツは空を見上げていた。
思い返すのは前走皐月賞での事。
最後の直線で先頭を捉えられなかった彼女の結果は14着。
惨敗だった。
それでもダービーを諦めていない彼女は、次のレースを目指してトレーニングをしていた。
それは5月8日に京都レース場で行われる京都新聞杯。
直接ダービーの優先出走権が与えられるわけではないが、これに勝てばハーツはダービーへの出走条件をクリアできるのだ。
(2200メートル……)
皐月賞より距離は200m長い。
さらに言えば淀の坂と呼ばれる坂がある。
2mの上り坂の後にもう2mの上り坂という二段階構えの坂となっており、その後に急な下り坂が待ち構えている。
クラシック三冠最後に位置する菊花賞やシニアクラスレースの
最後の直線は403.7mと、中山レース場の310mより93.7m長い。
(仕掛け所を間違えてなければ……)
思い出すのは自分の前を走る13人のウマ娘の事。
特に思い出すのは先頭を走っていたダイワメジャーの背中だ。
レース中、前の方を走っていたのは分かっていた。
だからラストの直線でペースが落ちた所を追い抜こうと作戦を立てていた。
だがダイワメジャーは落ちなかった。
ペースを落とす事なく先頭を走り、ゴールを駆け抜けた。
追い付けなかった。
懸命に追いかけた。
出せる力の全てを出して追いかけた。
それでも追い付けなかった。
(……次は追い越してみせる)
ダービーでは負けない。
だがまずはその前のレースで勝たねばリベンジできない。
(まずは京都新聞杯で勝つ。ダービーと同じ5月だが、やれる……やってやる)
京都新聞杯は5月8日。
キングカメハメハ達が出走を表明しているNHKマイルカップの前日に行われる。
そしてダービーは5月30日。
レースの疲労は完全に抜けないだろう。
距離もNHKマイルよりは京都新聞杯の方がダービーには近い。
が、それでも200m短いうえにレース場も違う。
対するNHKマイルの方はレース場は同じだが距離が800m短いのだ。
(……もう一本走るか)
皐月は落とした。
残りは落としたくない。
その一心で、彼女はまた走り出した。
その頃、ハーツのトレーナーである文三は……
(……やはり)
トレーニングやレースでの様子を録画した物を見ていた。
ハーツは足腰が少し弱いのでスタート直後の先頭争いに加わるだけの走りができないでいた。
そのため彼女は、後方スタートからラストに一気に抜き去るという作戦を取っていた。
結果、差しや追込みタイプの走り方をするようになった。
(デビューをもう1年遅らせるべきだったか?)
デビュー時期が早かっただろうかと思ってしまう。
が、否定する。
そもそも中学生活の大半をデビューに向けての準備に費やしたのだ。
これ以上遅らせるという選択肢は無かった。
そもそも、デビューさせられると判断したからデビューさせたのだ。
現に戦績は4戦2勝。
勝率は50%だが、重賞での勝ち星はまだ無い。
(来月走る京都新聞杯はGⅡ。勝てば重賞初勝利になるが……)
重賞レースだ。
簡単に勝てるとは思えない。
それでも
(アイツが諦めてないんだ。トレーニングメニューを考えねぇとな)
そう考えながら彼は、彼女以外のメンバーのトレーニングメニューも考案する。
中でも彼が担当するチームに所属しているローゼンクロイツというウマ娘を、彼は今年中にデビューさせる気でいた。
他にもロジック、ローズキングダム、スリープレスナイト、クラレントの4名がチームに加入したので、彼女達の事も見なければいけないのでハーツだけを見るわけにはいかないのだ。
当然、一人で見るには限界がある。
現在彼が担当しているウマ娘で、トゥインクル・シリーズで走っているのはハーツクライとユートピアの二人である。
ユートピアの次走は6月の安田記念を予定しているので多少余裕があり、ハーツを見る事ができている。
予定ではローゼンクロイツは10月デビューを予定している。
そうなれば3人を同時に見なければならない。
そして新たに受け入れた4人もデビューを向け、トレーニングメニューを考える。
大変で片付ける事はできない労力である。
それが大変ならば受け入れなければ良い。
そう言ってしまえばそれまでだが、数いるトレーナーの中から自分を選んで、自分のもとで学んでデビューしたいと来てくれたら子達を門前払いできるだろうか。
少なくとも、文三はできなかった。
だがやはり大勢となると負担は大きい。
ので
(……サブトレも視野に入れるか)
サブトレとはサブトレーナーの事である。
ウマ娘の数に対しトレーナーの方が少ないため作られた制度であり、業務のサポートを主に行う他、トレーナーを目指す者がトレーナーの元で学んだりする場合もある。
後者の場合は海外から来た、日本でのトレーナー資格を持たないトレーナーがサブトレーナーをしつつ試験勉強をする場合もある。
(まずはハーツとユートピアをしっかり見ねぇとだけどな)
そう思う彼の耳に、外を走るウマ娘達の声が聞こえた。
その中の一人は……
「すっご……やっぱクラシック三冠狙ってるのかな」
「そりゃそうでしょ」
休憩中のウマ娘達の前を駆け抜ける一人のウマ娘。
そんな彼女を見て会話をするウマ娘達。
クラシック三冠を狙っていると言われているのは皐月賞ウマ娘のダイワメジャーだ。
普段は気まぐれに過ごし、隠れてトレーニングをして実力をつけ、皐月賞を取った。
そんな彼女だが、隠れる事はせずに堂々と走っている。
曰く、前走の事から隠れてトレーニングしている事はバレているだろうから、こそこそと探られるぐらいなら見せつけてやるという事らしい。
そしてその走りは、流石皐月賞ウマ娘といったものだった。
そんな彼女が走る練習コースには他にも走っているウマ娘がいる。
「よし。次ラストだ。走って終わりにするぞ」
「は、はい! 行ってきます!」
ハヤテテンペライザと彼女のトレーナーになった男性。
名前を
かつて担当したウマ娘にはレースから引退してはいるが、かつてダービーでエアシャカールに
また学生時代は体育系の部にいたため、本人曰く礼儀等には厳しいとの事。
だが担当ウマ娘達からは少し違う。
普通に生活していれば怒られない。
初めはできなくて当たり前と言ってくれる。
何回やってできなくても、それは覚えている途中だと言って励ましてくれる。
取材の人がしつこい時に追い払ってくれる頼もしい人。
上手く走れた時は勝てていなくても凄く褒めてくれるし、勝てた時は自分の事のように喜んでくれる人。
との事。
そんな彼はハヤテが走り終わった時に渡すドリンクのボトルを用意する諒太。
そんな彼の視線の先では、良い走りをする彼女の姿があった。
こうして各々がそれぞれの目標に向かって進む中、彼女の姿だけが学園に無かった。
その彼女は
「
白衣の男性と話していた。
その日の夕方の事。
奈瀬文乃はとある病院に来ていた。
そこはウマ娘を専門で診る病院。
人と同じ体型をしながら時速70kmに迫る速さで走るウマ娘達。
当然彼女達に故障はつきものである。
さらに言えばその故障も治って日常生活を送るには問題無くても、レースをするのは不可能という怪我もある。
そういう怪我を少しでも減らすために、治療してそれぞれの夢への復帰を手伝うために作られた病院。
治療設備の他にもリハビリ用の機材も充実している。
そこに来た文乃は受付を済ませ、面会者用の名札を受け取ると目的と病室へと向かう。
そこの病室の入り口にかけられた名前は、ブラックタイド。
彼女が担当するウマ娘である。
「入るよ」
ドアをノックし、開ける。
清潔そうな部屋。
そしてベッドの上には入院着姿で座りなから窓の外を見るタイドの姿があった。
「……大丈夫か?」
皐月賞の後、タイドは左脚に違和感があると言って検査を受けていたのだ。
その検査の結果が出たと言って文乃を呼んだのだが
「君のそんな顔。初めて見た気がするよ」
検査入院のはずだった。
が、タイドの顔を見てその考えは捨てる。
(あぁ……そうか)
この感じは覚えがある。
彼女が担当したウマ娘も故障が原因で引退した者はいる。
「タイ……」
「文ちゃん」
文乃が口を開くと、それを遮るようにタイドは口を開いた。
「俺、屈腱炎だってさ」
窓の方を見てタイドは言った。
自分のケガの名前を。
医者から告げられた名前を。
屈腱炎とは、一言で言えば屈腱という脚にある腱が一部断裂を起こして炎症を起こした状態である。
詳しい原因は未だに解明されていないが、運動負荷によって起こると言われている。
治癒には数ヶ月から数年単位と、その軽度重度によって差がある。
完治するケースは稀であり、治ったとしてもトレーニングやレースに出て再発する事もあり、完全に復活する事は難しいだろう。
再発率の高さから不治の病。
競走生命に大きな影響を及ぼす事からウマ娘のガンとも言われている。
それにブラックタイドはなったのだ。
「……そ、そうか」
「悪い。ダービーだけじゃなくて、菊にも有マにも間に合わねぇ」
ベッド脇の椅子に座る事も忘れ、タイドの言葉を聞くしかできない文乃。
「皐月取られたから残りは取りたかったんだけどなぁ……なんで屈腱炎なんかになるかねぇ。この脚は」
と言いながらペチッと足を叩いて見せるタイド。
「ほんと……本当に、な」
「タイド……」
「っと、湿っぽいのは良くねぇな。なぁ文ちゃん。頼みがあんだけどさ。聞いてくんない?」
「頼み? いったい何を」
「俺の妹。ディープの担当になってくれよ」
「なっ、何を急に。君の治療が」
「言ったろ。有マに間に合わねぇって……」
文乃の言葉を遮って放たれた言葉は、今年中の復帰は叶わないというもの。
間に合わない。
治りはするのだろう。
だがトレーニングが間に合わないパターン。
そしてもうひとつある。
それはトレーニングを始められる段階まで回復しないから、そもそもが間に合わないというもの。
タイドが言っていたのは後者の方だった。
「先生から言われたんだよ……復帰は順調に言って来年以降だって」
来年以降。
復帰が来年以降なのだ。
つまり、早くて再来年。
それも順調に行ってだ。
が
「そ、それでも治るのだろう? なら!」
トレーナーとして、担当の隣に立ってあげたい。
支えてあげたい。
だからと食い下がる文乃。
「僕は君のトレーナーだ。君を放っては」
「走れねぇ俺よりこれからのディープを見てやってくれよ」
「そんな事できると思っているのか!? 私が、そんな薄情な事……できるような人間だと思って」
その時だった。
タイドが文乃の方を見て、その左手を伸ばして襟を掴んで引き寄せて
「そんな事思っているわけないだろ! 俺は、お前の担当だぞ!」
涙を溜めた目を見開きながら叫んだ。
「分かってるよ。俺に言われたからってあんたがそんな事したくないって事ぐらい! でもやってくれよ! アイツは、ディープは凄い奴なんだよ。俺なんかより、きっと凄い走りをする! そんなアイツを、アンタに見てもらいたいんだよ!」
姉として、妹が最善のレースをできるように。
「俺はもう、クラシックは走れない。シニアだって出遅れる。なら、せめて……アイツにはしっかり走って欲しい。そんで、俺が一番信頼できるトレーナーはアンタなんだよ。だから、頼むよ」
引き寄せた文乃の胸に額を押し当て、涙をこぼしながら言う。
そんな彼女の言葉を受けて文乃はただただ、結んだ唇を震わせていた。
翌日。
(彼女か……)
文乃はトレーニング中のとあるウマ娘を見ていた。
頼まれた。
断りたかった。
支えたかった。
一人にしたくなかった。
それでも、それが彼女の頼みなら。
そう思いながら彼女はそのウマ娘の元へと向かう。
「初めまして……ではなかったね。トレーニング中に何度か会った事もあったね」
彼女に文乃は言う。
「私を、君の担当トレーナーにしてくれないかな。ディープインパクト」
彼女はブラックタイドの願いを受ける事にし、相手に右手を差し出す。
そしてそんな彼女の申し出に相手は
「こちらこそよろしくお願いします。奈瀬文乃トレーナー」
その手を取った。
数日後。
「んーっ……はぁ。やっぱお日様に当たると気持ち良いな」
タイドは車椅子を借り、看護師付き添いのもと外に出て日光浴をしていた。
「時間になったらちゃんと戻りますからね」
「へいへい。分かってますよ」
と返すタイド。
ちなみにこの病院の近くに大きめの公園があり、ジョギングしている人達もいる。
そんな中、ふと目を止めるタイド。
「……へぇ」
ジョギングする人とぶつからないようにウマ娘専用レーンを走る子を見て思わず声が漏れる。
トレセン学園の赤いジャージ。
黒い髪はふんわりしたショートボブ。
頭頂部の毛がピョコンと跳ね、前髪には左に向かってシュッと流れる
耳の付け根に花菱のアクセサリーを着けており、それでツーサイドアップを作っている。
さらに右耳側のアクセサリーには和紐で作られたリボンが着けられている。
赤くて鮮やかな目。
いかにも元気ハツラツというウマ娘。
そんな彼女を見てタイドは
「良い走りすんじゃん」
運命的な何かを感じていた。
お読みくださり、ありがとうございます。
最後のブラックタイドと彼女の出会い。
入れようか迷ったのですが、気付いたら書いていました…
ヨシ!
次回もお楽しみに!