トニビアンカによるトレーニングが開始されたハーツ。
厳しいながらも的確なトレーニングにより、彼女は確実に力をつけていった。
そしてそのまま時は流れて8月。
今日もハーツはトニビアンカ考案のトレーニングをしていた。
「ッ! だぁぁぁクッソ! ウオォォォッ!!」
砂浜を走るハーツ。
その足首にはアンクレット型の重し。
そして腰に巻き付けたロープの先には車のタイヤが繋がっている。
その状態でハーツは砂浜をダッシュしている。
その様子を見ながらタイムを測るトニビアンカ。
「もう少しだぞ気を抜くな! これが終わったら楽しい楽しい
「楽しめるかクッソ! うおォォォォォッ!!」
汗が髪を伝い、その毛先からポタリポタリと落ちては足元の砂に黒い染みを作る。
その染みはやがてタイヤによってかき消されていく。
(負けん気は強い。煽れば煽った分見返してやろうと奮起する……文三トレーナーが言ったように素質はある。それも、かなり高い素質が)
だが問題もある。
そのポテンシャルに、肉体が追い付けるだろうか。
そう考えていた。
確かに、ハーツが秘める素質は高い。
もしかしたら世界でも通用するかもしれない。
そうトニビアンカは思っていた。
だがハーツの肉体はまだ発展途上。
その状態で彼女が最高のパフォーマンスを発揮した場合、彼女の肉体の許容範囲をオーバーしてしまうだろう。
そうなればいつか、レース中に脚を壊してしまう。
どれだけ速く走れても、脚が耐えられねば意味がない。
無理に走らせても体を壊すだけだ。
さらに今年のダービーもそう考える理由だった。
ハーツが2着になったが、同時に故障が続出したダービー。
引退、長期療養による離脱。
今なお治療中のウマ娘もいる。
そのレースを中継で見ていた彼女は恐れを感じた。
キングカメハメハによる前レコードより2秒も早い新レコード。
それならまだ良い。
記録が塗り替えられる所を見た事はある。
が、問題はそのレース結果である。
10着までが前レコードより早かったのだから。
だがその結果があれだ。
6人が負傷し、内二人がレースを引退した。
猛暑の中行われたハイペースのレース。
それは、彼女達の肉体の限界を超えるスピードを出させる事になってしまった。
それほどまでのレースをトニビアンカ自身見た事が無かった。
その結果、彼女がハーツに課したトレーニングは徹底的に基礎練習。
基礎の基礎をみっちり叩き込む事にした。
(菊花賞を目指していると言ったが、おそらく彼女の適性的には不向きだ。ただ)
キングカメハメハが変則三冠を狙うと言っている以上、ハーツも出ると言うだろう。
そう予測し、スタミナ面の強化に重きを置いてメニューを組んでいた。
あとは足腰の弱さをどうするかだが、それは慌てても仕方がないとし、砂浜での負荷をかけてのトレーニングをさせる事に。
曲がりなりにもダービー2着のウマ娘だ。
基礎をしっかりやれば、秋シーズン化けるだろうというのがトニビアンカの分析だった。
そして来年のシニア期。
体も成長し、本来のポテンシャルを十全に引き出せるようになれば。
(来年の夏が勝負だな)
すでに彼女は、未来を見据えていた。
そして同月8日。
先月と同じく函館レース場にて行われた未勝利戦にてハヤテエンペライザが
「いやっ、たァァァァァァァッ!!」
2着のウマ娘に2バ身半差をつけて勝利していた。
その光景にチームメイトの3人は
「よくやったァァァッ!」
「これでカニが食べられます!」
「ジンギスカンのお店を探さないと」
と早くも祝勝会ムード。
そんなチームメイトに
「私の勝ちをもっと喜んでよ!?」
と愕然とするハヤテ。
そして
(さらば。俺の金よ)
今日も財布が軽くなりそうだと思う諒太なのだった。
場所は戻って合宿所。
練習用コースでは今日も多くのウマ娘が走っている。
その中に、奈瀬文乃が担当するディープインパクトの姿もあった。
タイムを測る彼女の前を颯爽と駆け抜けるディープ。
その姿はまるで、心の底から走る事を楽しんでいるように、余計な力が入っていない、伸び伸びとしたものだった。
「どうですかトレーナーさん!」
とキラキラ笑顔で尋ねるディープに、文乃はストップウォッチを見せながら返す。
「うん。良いタイムだ。そうだ、そろそろ休んだら」
「おぉ! 次はもっと良いタイムを出して見せまーす!」
「あ、ディープ! まったく……」
よほど走りたいのか、文乃の言葉の途中で再び走り出すディープ。
そろそろ休憩をさせたい文乃は次こそ止めると決意する。
というのもディープ。
すでに10本以上走っているのだ。
なのに疲れた様子を見せず、息切れする様子も見せない。
なんならちょっと汗をかいている程度である。
(あれだけ走ってまだケロッとしている……)
どれだけスタミナがあるのか。
体力お化けにもほどがあると文乃は思った。
彼女の視線の先では、ディープがまだまだ余裕だという様子を見せながら走っていた。
(あの子はきっと、歴史に名を刻むな)
文乃のトレーナーとしての勘がそう告げていた。
そんな彼女達と同じく、コースで調整するウマ娘達の中にダイワメジャーの姿もあった。
ダービー6着と惜しくも掲示板から外れてしまった彼女は秋の天皇賞を目指し、その前に行われるオールカマーに向けてトレーニングをしていた。
が
(ふぅ……はぁ……はぁ……)
まずは1本と走っていたのだが、走り終えて肩で息をするメジャー。
彼女が患った喘鳴症の症状がここに来て悪化してきたのだ。
呼吸をしても苦しい。
空気を吸っても吸っても足りない。
一応、まだレースには出られる状態ではあるが、いつ限界を迎えるか分からなかった。
(まだ、まだいけるだろ……)
皐月賞ウマ娘としての意地とプライド。
そして、母と姉が取れなかったクラシック三冠の内の一冠に自身の名を刻んだという誇り。
そしてファンやトレーナーの存在。
それが彼女をレースに駆り立てていた。
だがそれだけで走れるほどレースは甘くない。
「少し休めメジャー。このまま続けたらもたないぞ」
「あ、あぁ……そうするよ」
自身のトレーナーである雅弘に言われ、コースの隅に移動する。
まだ平気、やれるとすら言い返せぬほど、彼女の肉体は疲労を溜めていた。
「……大丈夫だ。オールカマーまではまだ時間がある。焦るな」
「ははっ……考えはお見通しか」
「一応、トレーナーなんでね」
という雅弘の言葉に苦笑いするメジャー。
(9月26日……あると言えばまだ時間はあるけど)
それほど余裕があるとは言えない、微妙な残り時間。
(まだ……まだ私は走れる。そうだろう。ダイワメジャー)
喉元をそっと押さえながら、まるで自分に言い聞かせるように。
彼女は問いかけた。
それに応じるかのように一度だけ乾いた咳が出るも、それは吹き抜けた風にかき消された。
「おっ。良いタイムだな。よし、一旦休憩にしよう」
昼。
先程までコースで練習していたウマ娘達が昼食のためにいなくなった頃。
北原が担当するキングカメハメハは、コースを独占して練習していた。
そんな中、15分ほどの休憩を入れる事にした北原。
少し早めの昼飯を済ませたとは言え夏の昼だ。
ジリジリと焼くような日差しの下で長時間走らせるわけにはいかない。
その北原の指示に従い、一旦木陰に移るキングへチームメンバーのベルノライトが特製レモネードを持って行く。
(本当なら普通に走らせてやりたい所だが……)
何度も言ってくどいが、変則二冠を達成したキング。
二冠両方でレコード記録を叩き出した彼女は当然注目される。
それは重々承知している。
だが、だからと言って注目される中練習をさせてストレスになっては意味が無い。
(彼女の事だから気にはしないと思うが……)
当人が気付かぬ内に蓄積されたストレスが爆発する事だってある。
いくらトゥインクル・シリーズのレースに出てスター扱いされていたとしても、彼女はまだ10代の学生である。
その点のケアも大人である自分の役目だと、北原は考えていた。
(もうアイツは挑戦される側に完全になっちまった……次のレースだってマークされる。幸い今のアイツはかなり落ち着いて見えるが……問題は)
時々右足を気にするそぶりを見せる事。
北原は気付いていたのだ。
(あれだけの走りをしたんだ。当然足にも負担はかかるしダメージだって……)
その点はベルノが見てくれていた。
オグリキャップの友人であり、実家がウマ娘専門のスポーツ用品店の彼女。
そのため、シューズだったりシューズ裏に付ける蹄鉄に関しての知識が豊富な彼女。
また将来はサポート系に進みたいと考えていた事もあり、リハビリやレース後のケア等に関しても勉強をしていた彼女。
そんな彼女に北原は、異性である自分より同性のウマ娘の方が相談しやすい事もあるだろうから、とキングのケアの一部を頼んでいたのだ。
(ベルノが特にこれといって言わないって事は大丈夫なんだろうけど……)
ベルノもまだ発展途上の学生。
見落としてしまう事もあるだろう。
なので結局は
(俺だよなぁ……)
自分でちゃんと見なくてはならないのだ。
そんな時だった。
(ん? アイツは……)
コースの向かい側にポツンと一人。
ウマ娘が姿を現した。
その子が誰かはすぐに分かった。
ダービー2着のウマ娘。
ハーツクライだ。
(トニビアンカから逃げて来たのか?)
トニビアンカの個人トレーニングを受けているという話は耳にしていた北原は、厳しいトレーニングから逃げて来たのだろうと予想。
だがその直後だった。
彼の目の前でハーツクライが走り出したのだ。
トニビアンカのトレーニングによってレベルアップした走り。
力強い走りだった。
(は〜。凄いもんだ。やっぱウチのキングを)
想定してのトレーニングか、と思って考えを止める。
違う。
ハーツの走りを見て思った。
見覚えのある走りだった。
どこだったかと脳をフル回転させる。
思い出すために。
そして思い出した。
それは
アグネスタキオンの皐月賞。
キングカメハメハやダイワスカーレット。
それこそオグリキャップやベルノライトと共に見に行ったあのレース。
その時にオグリが言ったのだ。
まるで見せ付けているようだ、と。
私を見ろ。
追い付いてみろ。
お前の走りを見せてみろ。
そう言っているように感じたと。
その時のオグリの言葉を踏まえて今のハーツを見ると、あの時のタキオンのように思えた。
ここまで仕上げたぞ。
まだ時間はあるからもっと仕上げてみせる。
次戦う時は負けねぇ。
今度はお前がオレの背中を追う番だ。
そう言っているように見えた。
そしてそう感じたのは北原だけではなかった。
「……時間です。トレーナー」
スクッと立ち上がるキング。
木陰から芝を踏み、コースへと入る。
「……無茶はすんなよ。あくまでトレーニングなんだからな」
「はい。それはもちろん」
そう返すキングはただただハーツを見ている。
見ながら、北原に、こう返す。
「分かっています」
ギラついた目。
獲物を狙うライオンのように。
好敵手に出会えて歓喜する闘士のように。
闘志に漲った目でハーツを見ながら返した。
「あ、あ〜ベルノ」
「……分かりました」
そんな彼女を見て、北原もベルノも今夜のケアは大変だと思うのだった。
夕方。
早ければ練習を切り上げる子が出てくる頃。
デルタブルースはまだ走っていた。
菊花賞を目指す彼女は、3000mもの長丁場を走れるだけのスタミナを獲得しようと、ひたすらに走り込みをしていたのだ。
彼女が次に照準を定めているのは9月20日に阪神レース場で行われる、兵庫特別。
ポイントを稼いで菊花賞を目指すのだ。
(……うん。良い感じ)
少しずつではあるが、走れる距離が確実に伸びてきている事を実感するデルタ。
(これなら……)
共に走れるだろう。
彼女が目指すのはルームメイトも目指すレースにて、勝負ができるだろう。
今度こそ。
共に走る。
私の背中を見せてやる。
それまで負けても良い。
菊花賞に出られれば。
間に合わせてみせる。
そう思いながら彼女はもう少しだけ、走り込みをするのだった。
翌日の早朝。
まだ朝食前の時間。
朝日が登り始めた頃。
キングカメハメハは浜辺を散歩していた。
打ち寄せる波が足を濡らし、程よく心地よい冷たさを感じさせる。
(……もう少しで合宿も終わりか)
そう思いながらチャプチャプと浜辺を歩くキング。
そんな彼女に声をかける者がいた。
「朝早くから散歩か?」
「……ハーツ」
ジャージ姿のハーツクライだった。
どうやら走っていたのか、わずかに汗をかいている。
「何か用?」
「まぁな……」
そう言ってキングの前に立つとハーツは
「次は負けねぇ」
まっすぐ相手を見て宣言する。
「秋天ではお前にオレの背中を見せてやる。秋天だけじゃねぇ。菊花賞でもテメェにオレの背中を見せてやる」
明らかな宣戦布告。
「ダービーでの借りは必ず返す。そんで……」
「ん?」
「そ、そんで……」
口ごもった後、意を決したようにハーツは言う。
「お前のライバルになってみせる!」
「……ん?」
「悔しいけど、お前は強ぇ。そんなお前に勝ちてぇ……あぁやっぱ訂正するわ。なってみせるじゃねぇ。お前はオレのライバルだ!」
そんな言葉にキョトンとするキングだったが
「ふっ、ははっ……あははっ! 急に何を言い出すかと思えばククッ」
お腹を抱えて笑い出した。
「私のライバル? 君が? ハハッ! アハハハハハッ!」
「なっ、オレはマジで!」
「あ〜……うん。良いね。ライバル……良いよ。相手をしてあげる。最強の大王と呼ばれた私が相手をしてあげるよ」
一通り笑うと右手を額に当て、落ち着いてからそう返す。
「……私は秋天の前に神戸新聞杯に出るよ」
次走の予定を伝える。
来るなら来い。
相手をしてやると言うように。
出るも出ないもそちらの勝手。
出て挑むも良し。
出ずにレースを見て研究して秋天でぶつかるも良し。
好きに選べ、と。
その言葉にハーツは
「なるほどな。なら、秋天前にそこでお前を倒す。そんで1勝1敗にしてイーブンにして、そこでライバル宣言してやる! 待ってろよ!」
そう返すのだった。
その後、トニビアンカを見つけるなり走って逃げたハーツを見送ったキング。
(ライバル……か)
ハーツに言われたライバル宣言。
ダービーでの最後の猛追を受けた彼女は、おそらく自分のライバルになれるのはハーツクライだろうと考えていた。
その矢先の宣言。
嬉しかった。
彼女と走り続ければ、もっともっと高みを目指せるだろう。
お互いに高め合えれば、トゥインクル・シリーズをもっと盛り上げられるだろう。
だが
(……私達の走れる期間は、そう長くない)
ウマ娘の走れる期間は短い。
そして、全盛期はもっと短い。
時速70km近くのスピードで行われるレース。
故障による引退者は多く、衰えて勝てなくなったから引退するという者はまだ幸せだと言う者もいる。
なんせ、レース中の大怪我で引退後の生活に支障をきたす者だっているのだ。
衰えたから引退する。
それはおそらく、全てのウマ娘のファンが自分の推しの引退理由はそうであって欲しいと願っているだろう。
一番願っているのは、強い内に負ける前に引退する事だろうか。
それでも、引退後も普通に生活ができて幸せに暮らしてくれればそれに越した事はない。
少なくともファンはそう願っているはずだ。
そして、その事は彼女にも分かっていた。
漠然とだが理解していた。
あのダービーでのレコード更新による勝利。
故障者を出すほどのハイペースなレース。
それは、彼女自身にもダメージを与えていた。
それほどまでに、ダービーでの突入した領域は、発展途上の彼女の肉体に許容以上のパフォーマンスをさせていた。
(大丈夫。まだ私は走れる)
右脚に感じる違和感。
まだ走れないほどではないが、無理をすればレース人生に影響が出るだろう。
そう、頭では理解している。
だが、本能が走れと言う。
(年内はもつはず……)
菊花賞を取って変則三冠を達成し、有マ記念に出てそれも取る。
そしたら、来年は1年ゆっくり過ごそう。
そのぐらい許してくれるだろう。
ファンは物足りないとか言うと思うが、1年間ゆっくり休んで全快して。
再来年に最強の大王としてまた君臨しよう。
その時になれば、ライバル宣言してくれたハーツももっと強くなっているだろう。
最強の大王に挑むライバル。
悪くない。
そう思った彼女の足を波が濡らす。
その冷たさが意識を現実に引き戻す。
(とりあえずまずは神戸新聞杯かな。そこで)
王者の走りを、背中を見せる。
君が挑むライバルはこんなに強いんだぞと。
早くここまで上がって来いと。
(あぁ……楽しみだな)
そう思う彼女の足を、また波が濡らす。
ただしその波は右脚には届かず、左足だけを濡らして引いていった……
お読みくださり、ありがとうございます。
海、全然行ってないな……
次回もお楽しみに……