神戸新聞杯を目前に控えた9月24日。
ダイワメジャーは最後の追い込みをしていた。
というのも、彼女も26日にレースに出るのだ。
彼女が出るのは中山レース場で行われるオールカマー。
かつてオグリキャップ、イクノディクタス、サクラローレル、メイショウドトウが勝利を納めている。
なかでもツインターボの大逃げは有名だろう。
現在1番人気は前走ダービーにて3着だったハイアーゲーム。
ダイワメジャーが2番人気。
3番人気は前走のブリーダーズゴールドにて4着のウインジェネラーレ。
ちなみにウインジェネラーレだが、3月に行われたGⅡレースの日経賞にて1着を取っているのだが、その次の春の天皇賞にて18人中の14着となっている。
両レース共にGⅡに分類されている。
ちなみに出走時間だが、オールカマーは15時35分、神戸新聞杯は15時45分の予定となっている。
そんななか、メジャーの顔は浮かない。
(キングカメハメハ、か……)
世間の注目はキングカメハメハが出る神戸新聞杯。
なんせダービーウマ娘のキングと同レース2着のハーツクライの再戦という事もあり、キングが2連勝するかハーツがリベンジするかで盛り上がっていたのだ。
(まぁ、当然か……みんなそういうの好きだもんね)
やはり。
やはりダービーで見せたキングの走り。
アイネスフウジンとアドマイヤベガの両者が持っていたダービー記録を2秒も縮めるという偉業。
そして第1回NHKマイルでタイキフォーチュンが出して以来、誰にも抜かれていなかった1分32秒6という記録を0.1秒更新した。
二つのレースでレコード記録を出したキングカメハメハ。
対するハーツクライ。
ダービーで2着だったものの、ゴールまでの
しかも第4コーナーを17番目に通過してのこれである。
第4コーナーからゴールまでは525.9m。
しかも上り坂となっている。
ダービーの距離は2400m。
約1900m走ってもまだそれだけ駆け上がる力を持っていたハーツ。
キングの背中へ猛然と迫る走りに、彼女に勝つのはもしかしたらハーツなのではないかと言う者もいた。
その他にもキングを越えようとライバル達は燃えており、ハーツ以外でも勝つ可能性があると言われている。
もちろん、出るからには全員が1着を目指して走る。
注目必至のレースである。
(私達も頑張っているんだけどなぁ……)
と苦笑いしてしまう。
が、彼女の表情が浮かない理由はそれだけではない。
「……っ、こほっ。こほっ、けほっ……はぁ……ふぅ、ひゅぅ……ふぅ」
彼女が患っていた喘鳴症の症状がここに来て悪化していたのだ。
少し走るだけで息苦しくなり、呼吸の度にヒューヒューと音が鳴るようになってしまったのだ。
そのため、練習も様子を見て行うようになっており、レースの前日となる明日は丸ごと全休。
とにかく体調を整える事に努める事にし、体調次第では当日でも出走取り止めという状況になっていた。
(……まだ、走れる。この程度、まだ)
ギリッと歯を食いしばり、込み上げる咳を堪える。
(もっと苦しい思いをした先輩達はいる……私は、まだ……走れる)
3度の骨折を乗り越え、奇跡の復活を果たしたトウカイテイオー。
競争能力喪失に等しいほどの骨折をしたにも関わらず、それを乗り越えて凱旋門賞を目指したサクラローレル。
度重なる故障にも負けず、その度に療養を得て復活を繰り返したグラスワンダー。
先輩達に比べたら自分はなんだ。
(たかが喉鳴りに、負けてたまるか)
皐月賞ウマ娘として。
母と姉が成せなかったクラシックタイトル獲得という夢を果たした。
この状態で走って、勝って。
ファンを驚かせたい。
ライバルを驚かせたい。
喉鳴りでも負けないと証明したい。
「はぁ、はぁ……ふぅ」
呼吸も落ち着いた。
(……うん。まだ、走れる)
一度深呼吸をして、顔を上げる。
「そうだろう?」
そこにある姿見の鏡を見て言う。
「ダイワメジャー」
その目から、闘志の炎は消えていない。
翌日の土曜日。
神戸新聞杯に出るキングカメハメハは最後の仕上げをしていた。
北原と話をし、菊花賞に出ない事にしたキング。
変則三冠を諦めはしたが秋の天皇賞を目指す事にしつつ、神戸新聞杯には出走する事に。
きっとファンはガッカリすると思う。
だがファンにはちゃんと、自分が勝つ所を届けたい。
長く活躍する姿を見て欲しい。
だからそのために最善の手を取る。
きっと分かってくれるだろう。
「……良し」
右脚に感じていた違和感も消えた。
その事を彼女は、変則三冠だったりいろいろと気負い過ぎていたから感じていたのだろうと思った。
現に変則三冠をやめ、秋の天皇賞を目指す方針に変えてからは調子が良い。
「もう一本」
そう呟いてコースを走る。
今の彼女は、最強の大王である以前に一人のウマ娘。
負けられないレースから、負けたくないレースへ。
同じ勝ちを目指すでもその姿勢は違う。
今までは、ファンが望む最強の大王として負けられないだった。
だが今は、ファンに自分の活躍する姿を見せるために負けたくないに変わった。
そんな彼女をコース脇の芝で準備をしながら眺めているのはハーツクライ。
キングに対してライバル宣言をした彼女もまた、次のレースに向けて調整に来ていた。
ただ、文三が始めるぞと言った時間より早く来てしまったため、軽くアップをして待っていたのだが……
(ったく……いつまでオレを待たせるつもりだあの野郎)
早く来たのは自分なのだが、待たせんじゃねぇ思っているようだった。
それほど次のレースに対する熱量が高いのだろう。
軽い準備運動のつもりが、額に汗を浮かべている。
キングに自分の背中を見せて勝つ。
そしてキングと共に秋天に出てそこでも勝つ。
GⅠという大舞台で、オレがキングの唯一のライバルだと世間に知らしめる。
そのためにもしっかりトレーニングをする。
その時だった。
「早いなハーツ。待たせたな」
「おせぇよ。アップは済ませてある。さっさと始めようぜ」
レースは明日。
ギリギリまでやりたい。
時間を1秒でも無駄にしたくない。
そう言うようにコースに入るハーツ。
そんな彼女に文三は
「分かった分かった。んじゃ今日は」
やれやれと言った様子でトレーニングを始めるのだった。
時間にしてどれほど経ったか。
空は既に夕陽が茜色に染めていた。
「よし、今日はここまでだ」
本当はもう少しやりたいが、今日は何故か文三の指示に従う事にしたハーツはクールダウンに入った。
「俺は先に部屋に戻って明日の支度をしておく。お前はこのまま寮に直帰して休め。良いな」
「おう」
「じゃあ明日。校門前で。遅れんなよ」
「分かってるよ……そっちこそ寝坊すんじゃねぇぞ」
「お前こそな」
そう言って別れる二人。
文三の背中が見えなくなった頃、もう一本走りたい欲もあるが、何故か今日はそれを堪えた。
何故かは分からない。
ただ漠然ともう今日は走ってはいけない気がした。
疲れが明日に残るからだろうか。
いや、ケガをするからか。
はたまた別の理由からか。
何かは分からない。
ただ分かっているのは、もう一本走ったら明日のレースで後悔する事になる。
そんな気がしたのだ。
(……ま、いっか)
だから今日はもう走らない。
クールダウンも済ませた。
そんな彼女に
「今帰り?」
キングが声をかけた。
「前日までトレーニングなんて、気合い入っていますね」
「そりゃお互い様にだろ」
共に栗東寮という事もあり、一緒に帰る事にした二人。
ちなみにデルタブルースはハーツと同じ部屋なので栗東寮だが、ダイワメジャーは美浦寮である。
「明日……楽しみですね」
「あぁ。お前にオレの背中を見せるのが楽しみだぜ」
「あら、私の背中をあなたが見るの間違いでは?」
「んだと?」
「ふふっ」
と、そんな話をしながら歩く二人だったが
「……ん? どうした」
ふと足を止めたキングにつられて足を止めるハーツ。
振り返って尋ねた後、何だろうかと思いつつキングの視線の先を見ると
「……お世話に、なりました」
「うん。それじゃあ、気を付けて……」
「はい……」
栗東寮の寮長のフジキセキに頭を下げ、正門に向かって一人のウマ娘が歩き出した。
ただしその背には大きめのリュックが背負われており、両手にも荷物の入った手提げ袋を持っている。
(……あぁ、またか)
何度か見た事のある光景だ、とハーツは思った。
トゥインクル・シリーズは確かに夢の舞台だ。
多くのライバルと切磋琢磨し、多くのファンに応援されて、そして自分の輝きでレースを照らすスターになる。
各々それぞれの夢を胸に飛び込む。
だが、全員がその夢を叶えられるとは限らない。
トレーナーと契約してもらえなければまずデビューできない。
デビューできても勝てるとは限らない。
酷いトレーナーなら、勝てないウマ娘とは契約は続けないと言って契約解除する者もいる。
デビューできたとしても安心はできない。
同じく夢を胸に抱いたライバルとのレース。
故障による長期療養離脱。
療養が明けても故障前の走りができるとは限らない。
これでも、多くのウマ娘の故障データのおかげでマシになったのだ。
それでも元に戻れず、戻そうと焦るあまりという子もいる。
夢を叶えられるのは、ほんの一握りのウマ娘。
それも、才能のあるウマ娘である。
そしてその夢を叶えられず、追いかけるのに疲れ、諦めた者はどうするか。
今、フジキセキに挨拶をし、ハーツとキングの横を歩いて行った子のように。
この学園を去るのだ。
(……いつ見ても慣れねぇな)
(何度見ても慣れませんね……)
二人ともそういう子を何人も見ている。
デビュー前から、今まで。
何人も、何人も見て来た。
その度に、栗東寮のフジキセキや美浦寮のヒシアマゾンは見送り、その姿が見えなくなるまで門の方を見ていた。
もしかしたら、やっぱりもう少し頑張ってみますと戻って来るかもしれないと思っていたのかもしれない。
寮長である二人は、必然的にそれぞれの寮で暮らすウマ娘と接する機会も増える。
昨日まで楽しく話していた子が、突然おせわになりましたと言う事もあった。
昨日まで普通に練習していた子が何の前触れもなくケガをして入院して、一度も戻る事なく退寮した事もあった。
その時でも、荷物を受け取りに来た家族が見えなくなるまで、二人は見送り続けた。
夢は叶うとは限らない。
叶えられるのはほんの一握り。
その一握りに入れずにドロップアウトする者。
その一握りに入り、夢を追いかけて叶えた者。
その一握りにギリギリ入れる力を持っていたため、同じくギリギリの力と競り合って勝ち、その中に入った者。
競り負けて落ちた者。
数多くの、叶わなかった夢の上に自分達は立っているとキングとハーツは思っていた。
そんな二人に
「あ、おかえり。門限前に帰って来て偉いね」
フジキセキはスイッチを切り替えたかのように明るく、暖かく、ホッとする微笑みで迎える。
そんな彼女に
「明日も大事なレースがありますので」
とキングが返し
「んなガキじゃねぇよ」
とハーツが返して寮へと入る。
そんな二人と顔は、フジキセキの横を通って見えなくなった途端に真剣なものに変わる。
夢を胸に入学した子の中で、夢を叶えられるのは果たしてどれほどか。
それでも、途中で叶わぬからと進路を変えて第2の夢を追いかける者もいる。
中には中央から地方に移籍する子もいたりする。
それでも、やはり最初の夢を諦めきれず、それでいて叶えられない現実に折れて去る者がいるのも事実である。
中には中央ではなく地方に移籍して
現に学園がある府中市の駅員は、泣きながら故郷に帰るウマ娘を何人も見ていたりする。
それほどまでにこの学園を去る者は多いのだ。
だから。
だからこそ。
去った者達の分まで走らねばならぬと思っている者もいる。
ハーツ達もその一人である。
キングが最強の大王としてあろうとした理由の中には、その去った者達の想いも背負わねばならないと思っていた部分もあるだろう。
幼い頃のオグリキャップやケイエスミラクルのように走れるようになった事が奇跡と言われる子達もいる。
生まれた当初、走れない事はないが足が悪かったハーツとしては、走れる自分は恵まれていると思っていた。
故に、去った者の分まで走り抜いてやると思っていた。
だからこそ
「なぁキング……」
「ハーツさん」
二人は同時に口を開いた。
が、どちらも相手に先に言えとは言わない。
理解していたからだ。
だって二人は、同じ事を思っていて
「明日は負けねぇからな」
「明日も負けませんから」
同じ事を言おうとしていたのだから。
そして部屋に戻ったハーツを待っていたのは……
「やぁ。おかえり」
「……オレ、部屋間違えたか?」
「いや、合ってるよ」
いつもと違うルームメイト。
「なんでデルタじゃなくてユートピアがいんだよ」
同じチームのユートピアが、何故か部屋にいたのだ。
しかも丁度荷解きを終えたという様子でだ。
「ん? まぁ、デルタちゃんからちょ〜っとばかりお願いされてね」
「デルタから?」
「うん。まぁ……向こうは向こうでいろいろあるみたい」
曰く、一人になれる環境が欲しいデルタ。
ユートピアはユートピアで、合宿前にルームメイトが学園を去ってしまった事もあり、デルタから相談されたフジキセキに部屋替えを頼まれたのだそうだ。
「まぁ君とは同じチームだし良いかなーって。というわけでよろしくね」
ユートピアとの仲は良好なので、特に気にする事もないなと思うハーツなのだった。
その日の夜。
まだトレーナー室で準備をしていた文三は、最後の確認を終えていた。
(よし、忘れ物はないな)
確認はしっかりした。
そのうえで明日起きてから最後の確認をする。
今回はGⅡレースなので勝負服は着ないで体操服で行われる。
そのため、荷物は控えめとなっている。
というのも、各々の勝負服は差はあれど自分達で管理している。
ウマ娘自身が管理する事もあれば、文三のようにトレーナーが管理する事もある。
そんな彼は壁際の棚の上に並ぶ写真立てを見て僅かに顔を曇らせる。
そこに並んでいるのは今まで自分が担当したウマ娘の写真。
ある年の秋天を制覇した時のレッツゴーターキン。
菊花賞を制覇した時のダンスインザダーク。
セントウルステークスを制覇したサンキンハヤテ。
CBC賞制覇時のセントシーザー。
毎日杯を制覇したダイタクテイオー。
シンザン記念を制覇した時とスプリングステークスを制覇した時のダイタクリーヴァ。
ユニコーンステークス、ダービーグランプリを制覇した時のユートピア。
ハーツクライが京都新聞杯で勝った時の写真ももちろんあるし、他にもいろんな子達の写真が飾られている。
もちろん、デビュー前のローゼンクロイツやワンアンドオンリー達の写真もある。
その中で今もなお走っているのはユートピアとハーツだけだ。
ダンスインザダークは屈腱炎で、ダイタクリーヴァは屈腱断裂でトゥインクル・シリーズを去った。
レッツゴーターキンや他のウマ娘達も様々な理由でターフを去った。
故障だったり衰えだったり。
去る時の荷物の中には勝負服もあった。
その彼女達の全てを文三は覚えている。
菊花賞を制覇し、初めてのクラシックタイトルを自分にもたらしたダンスインザダーク。
人の目も気にせずに二人で喜んだ。
喜んで喜んで喜んで。
そして翌日、彼女が足の痛みを訴えて検査を受けた結果、屈腱炎である事が分かってそのまま引退となった。
(……もっと、走らせてやりたかったな)
その中でもダイタクリーヴァとダンスインザダークは文三のチームに残ってサポートをしてくれている。
他のウマ娘達も正月だったり残暑見舞いだったりと手紙をくれる子もいる。
時間が合えば、後輩のレースを見に来てくれる時だってある。
その度に思ってしまう。
もっと走らせてやりたかった、と。
だからせめてもと思ってしまう。
(明日走る子達がどうか。無事に帰って来れますように)
それはハーツの事だけではない。
明日行われる、全てのレースに出るウマ娘の無事を祈ったものだった。
もう走れないけど、走れる子達のサポートを。
今でこそ気持ちを切り替えれた二人だが、当初は違った。
ドリンクを作りに行ってくると言っていなくなって、しばらく経っても帰って来ないから様子を見に行ったら、トレーナー室の陰で泣いていた。
何で私が。
どうしてこんなケガをいましたのか。
なんでどうして。
涙で声を振るわせながらずっと言っていた。
誰も答えないと分かっていても、その言葉は止まらない。
自分が何か言えば良かったのだろうかと思う度に、何を言っても救えないという考えに至った。
それでも、もしも奇跡が起きて二人がまた走れるようになったら。
そう期待してしまう。
そう祈ってしまう。
そんな日は来ないと分かっているのに。
だから彼はまだ残している。
(……未練タラタラだな。俺も)
リーヴァとダークの勝負服を。
チームメンバーの勝負服をしまっておく、専用のクローゼットの中に。
見る度に思う。
(分かっている)
祈ってしまう。
(もう走れねぇ。これは俺の自己満足だ。でも)
それでも
(もう一回。一回で良い……走らせて、やりてぇ)
いや違う。
確かに走らせてあげたいとは思っている。
が、
(あと一回で良い。アイツらが走っている所を見たかった……)
走らせてあげたい自分。
見たかったと諦めている自分。
彼の中には、その二人がいるのだった。
そして日付けは変わり、朝日が昇る。
9月26日。
オールカマーと神戸新聞杯の日が、やって来た。
お読みくださり、ありがとうございます。
心機一転! 大王再スタート!
ライバル宣言したハーツはどう挑むのか!?
そしてメジャーは……
次回もお楽しみに!