ダイワスカーレットに呼ばれた北原はキングの様子を見るや車を用意し、その日の内に病院へと向かった。
(ただ疲れが出ただけとかなら良いんだが……)
骨折。
靭帯断裂。
脱臼。
キングの検査中、廊下で待つ北原の脳裏を様々な最悪が駆け巡る。
(頼む。頼む神様。あいつを助けてやってくれ。守ってやってくれ。どうか、どうか!)
胸の中だけ祈る。
「北原!」
「ジョー。あいつの様子は……」
そこにオグリキャップと伯父の六平も到着する。
「キングは、まだ検査中で……分からねぇけど」
しっかり検査をしているのだろう。
もうかなりの時間が経っている。
廊下の椅子に3人して座って検査結果が出るのを待つ。
「北原さん。中へ」
どれほど経っただろうか分からない。
ふと突然、看護師に呼ばれた北原は医師が待つ部屋へと入る。
簡易ベッドと医師が使うデスクとデスクトップPCがある、一般的な診察室。
そこで北原を待っていたのは、眼鏡をかけた優しそうな男性医師。
「あ、あの先生。キングは……あいつの脚は」
心配で仕方ない。
早く結果を教えてくれ。
ただ疲れが出ただけだと言って安心させてくれ。
そう言うように促す北原に医師は静かに口を開く。
「彼女は……」
「ようキング」
医師から結果を聞いた北原は、キングがいる部屋に来ていた。
入院着姿のキングは窓の外を見ていたが、北原の訪室に視線をそちらへ向ける。
「トレーナー。結果、聞いたんですね」
「……あぁ」
検査の結果は
「屈腱炎だそうです」
ウマ娘にとって不治の病と言われる屈腱炎。
文字通り、腱が炎症を起こしている状態である。
詳しい発症理由は未だ解明されておらず、治癒まではかなりの長期間を要する。
また治癒しても発症前のパフォーマンスに戻る事は非常に稀であり、治癒後でもトレーニング中やレース出走再開後に再発するケースも多い。
そのため、先ほど言ったようにウマ娘にとって不治の病と呼ばれている。
またアグネスタキオンやタニノギムレット、文三のチームにいるダンスインザダークといったウマ娘達の引退理由でもあり、文乃のチームにいるブラックタイドが皐月賞後から現在まで治療のために離脱している理由でもある。
その引退したウマ娘であるアグネスタキオンは、その発症理由の解明から再発防止の研究も行なっているが、未だ成果は出ていない。
「もう、私は走れませんか?」
横に立つ北原を見上げ、そう尋ねるキング。
残酷な言葉だとは分かっている。
それでも
「……もう、私は走る事はできませんか?」
一度視線を落とし、北原の手を取り、もう一度見上げで尋ねる。
その言葉が、北原にとってどれほど残酷な言葉かは理解している。
理解した上で言う。
「教えて下さい。トレーナー。あなたの口から」
医師からではなく、信頼するトレーナーの口から。
北原の口から教えてくれと。
その言葉に北原は、肩と声を震わせて言う。
「あ、あぁ……お前は、もう……走れない」
屈腱炎は治る。
だが再発率は非常に高い。
もし治ったとして走らせて再発した際、今回よりも重症になって日常生活に支障をきたす場合もある。
幸いにも今回のキングの屈腱炎はそこまで重くはない。
治癒まで時間はかかるが、日常生活を普通に送る事が可能なレベルなのだ。
だから北原は言う。
「お前は……」
それがトレーナーとしての役目だから。
「ここまでだ」
その言葉にキングは
「そうですか……分かってはいましたが。最後に秋天。走りたかったな」
病室から出た北原の心は最悪だった。
でもこれも全て覚悟していた事だ。
ウマ娘に関わる以上、いつ担当が故障するかは分からない。
覚悟はしていたつもりだ。
先輩トレーナーのタナベが担当しているフジキセキも、かつては屈腱炎で一度はターフを去った。
昨日まで普通だった子が、次の日突然怪我をする事だってある。
怪我をさせたくなくても、その日は突然訪れる。
(……もっとしっかり見ていれば)
担当が故障したトレーナーはほぼほぼそう思うだろう。
だが、注意して見ていても気付けない事の方が多い。
「……北原」
「オグリ……六平さん」
「……学園に戻るぞ。今後の事も考えなきゃなんねぇからな」
ショックなのはオグリや六平も同じだ。
期待の後輩。
甥っ子のチームに来た世代最強ウマ娘。
故障による離脱。
「……ファンにも、知らせなきゃならねぇからな」
北原を慰める前に、六平は先輩トレーナーとして言うのだった。
その週の土曜日。
菊花賞前日の事だった。
とあるホテルの一室に記者達は集められていた。
その記者の中には藤井泉助や月刊雑誌トゥインクルの記者である
記者達はただ、キングが会見をするとだけ言われて集められている。
なんの話をするのかは知らない。
いったい何の話なのか。
月末に行われる秋天に対しての意気込みを語るのだろうか。
もしそうならたいした自信だと記者同士で話す中、泉助と悦子は違った。
(この雰囲気……)
(あの時に似ている)
あの時、とはアグネスタキオンの電撃会見の事だ。
皐月賞を終えた後、突如として行われた無期限のレース出走休止会見。
特にこれといった理由は語られず、言うだけ言って会見は終了。
その時の空気に似ていると二人は思ったのだ。
二人だけではない。
他にも数名の記者はそれを感じている。
感じていないのは、新人記者ぐらいだろうか。
そうこうしている内に会見場に北原とキングが姿を表す。
(やっぱり……)
(無茶しおって……)
キングを見て悦子と泉助をはじめ、記者達は今回の会見がどんなものかを理解した。
そんな彼らの前で、北原が引いた椅子にゆっくりと座るキング。
トレーナーである北原は座らず、キングの後ろに立っている。
「え、えー。では時間になりましたので、会見の方を始めさせていただきます」
司会は今日の事を忘れないと思いながら、会見を始めた。
そのニュースは無論、トレセン学園にも届いていた。
「嘘……」
「キングカメハメハが?」
「マジかよ……」
《緊急会見! キングカメハメハ、屈腱炎によりトゥインクル・シリーズ無期限休止!》
《長期療養離脱! シニア1年目も絶望的》
《最強の大王。休止か引退か?》
そのようにニュースで取り上げられている。
その時だった。
『わたくしキングカメハメハは本日をもって、トゥインクル・シリーズを引退します』
キングの口から正式に、引退の言葉が放たれた。
(大本命不在の秋天、か……)
その報道を部室にて聞いていたメジャーはまずそう思った。
菊花賞ではなく秋天を目指すと言っていたキング。
NHKマイルカップとダービーの走りから、シニアクラスのウマ娘も走る秋天にて勝つのは彼女だろうと言われていた。
クラシッククラスで出るのは彼女の他にこの年の桜花賞ウマ娘であるダンスインザムードとシェルゲーム。
そこにキングが入ると思われていた。
が、そのキングがいなくなった。
シニアクラスではゼンノロブロイ、アドマイヤグルーヴ、トーセンダンディ、サクラプレジデント達が出走する予定である。
(……どうなるか分からなくなってきたな)
メジャーはメジャーで、今度の秋の天皇賞が終わったら喉の治療に入る予定である。
トレーナーが、まずは治療だと言ったのだ。
(まだ、走れる……)
ここまで酷い症状になった彼女に引退ではなく、まずは治療だと言ってくれた。
酷いトレーナーならここで担当契約を解除する者もいるだろう。
それでもトレーナーである雅弘はまず治療だと言ってくれた。
(……頑張らないとな)
負けられない理由がまたひとつ増えた。
会見が行われている頃。
学園の屋上では
「師匠師匠大変ッス! キングの奴が引退って!」
屋上のベンチで寝転んでいるハーツの元に、まさに飛んで来た勢いでワンアンドオンリーが会見の事を報告する。
が
「そっか」
ムクリと起き上がるとハーツはその一言で済ませた。
「……え、あれ。それだけッスか?」
「ん? あぁ。なにか特別な反応でもすると思ったか?」
「だ、だって師匠のライバルッスよね!? それが引退って……」
「まぁ、驚きはしたけどよ。レースに出ている以上は怪我は付き物だろ。それに、当人が決めちまった事を外野がどうこう言ったって変わらねぇだろ」
「そ、それはそうッスけど……」
「それはそうと、オッチャホイパンは買えたのか?」
「勿論ッス! ハイどうぞッス!」
オッチャホイパンとはその名の通り。
オッチャホイという麺料理を使ったパンである。
簡単に言えば焼きそばパンのオッチャホイ版である。
オンリーが購買に行くから何かついではと聞かれ、新商品のオッチャホイパンをリクエストしていたのだ。
「ん……あぁ、釣りはやる」
そう言ってパンだけ受け取るハーツ。
「どもッス……って、師匠のライバルッスよ!? 平気なんスか!?」
「ん? ……まぁ、さっきも言ったけどよ。こればっかりは当人の気持ちだろ」
「……でも」
納得のいかない様子のオンリーにハーツは言う。
「まぁ、ライバルになるって言ったオレからしたら。強いままのアイツでいて欲しいけどな」
怪我が治ってレースに帰って来ても、以前と同じ走りができるとは限らない。
可能性はゼロではないが、限りなく低い。
ならばせめて、自分やファンの記憶の中では強かった姿でいて欲しいと。
「それに……」
オッチャホイパンの包装を破きながらハーツは言う。
「いや、なんでもねぇ……」
「師匠……」
モソモソとオッチャホイパンを食べるハーツを見て、何か言いたいが言葉が出ないオンリーなのだった。
その日の夕方。
「……よう、キング」
ハーツは寮の前でキングを待っていた。
「ちょっと、歩かねぇか」
その誘いにキングは
「……良いよ。私も歩きたいと思っていた所だから」
寮の門限までは、まだ少し時間があった。
「歩くの、速くないか?」
「ん? うん。ありがとう」
多摩川沿いを歩く二人を、自主トレ中の後輩ウマ娘が追い抜いて行く。
やがてとある神社の鳥居の前で、キングが立ち止まる。
それにつられるようにハーツも立ち止まると振り返って言う。
「もう、走らねぇのか」
「……うん。もう、走らない」
走れないではなく走らない。
つまり、走る事は叶うが自分の意思でレースから去る、とキングは言った。
「……そうか。寂しくなるな」
「そう? 私はそうは思わないな」
鳥居の前に立ったままキングは言う。
「みんな、強い子ばっかりだから」
「……お前が言うと皮肉だな」
「あははっ……そう聞こえちゃうか」
「当然だろ。一敗しかしていねぇ。オレらの世代では最強なんだから」
「世代最強、か……その最強もケガには勝てなかったよ」
「……」
「ねぇ、ハーツ」
「あん?」
「……君は、私を超えてね」
「……は?」
何を言われたのか、ハーツは一瞬理解できなかった。
(超えろ、って言ったか? 今……オレに?)
戸惑うハーツにキングはこう続ける。
「あのダービーの時の追い上げ。背筋がビリビリしたわ。それと同時に楽しかった。あなたと走ったのはたったの二回だけれど、すごく楽しかった。だから」
ハーツを見て彼女は言う。
「そんなあなたに、私を超えて欲しい。ううん。きっとあなたなら超えられる。それどころか、私ができなかった事をきっと達成する。こんな気がする。だから」
ふっと目線を下げ、すぐに上げて言う。
「あなたは、走って」
それは確かにキングからの願いだった。
純然たる願い。
超えられるなら自分にライバル宣言した相手が良い。
楽しいレースをした相手が良い。
それがハーツなのだ。
だが対するハーツはどうだろうか。
「あ、あぁ……」
超えたい壁から。
去ったライバルから託された願いは果たして純粋な願いとして受け止め、背負えるだろうか。
追いかけていた背中。
追い越したかった背中。
自分の背を見せてやりたかった相手。
そんな相手からの想いは
「分かってる。オレは、走るよ」
転じて呪いとなる場合もあるのだ。
それと同じ頃。
寮の部屋にいるデルタブルースは
(やっと……やっと走れる)
夢にまで見たGⅠレース。
クラシック三冠最後のレースである菊花賞。
初めてのGⅠレースが菊花賞。
しかも
(やっと着れる……)
入学して、デビューして。
初めて勝負服を着て走る。
長かった。
デビューした年に勝負服を着れない子だっている。
そもそも勝負服を着て走る前に挫折し、ターフを去る子だっている。
それを考えたらまだ自分は良い方だ。
(明日の菊花賞……絶対に負けない)
出走するのは彼女含めて18人。
そのライバル達に負けるもんかと、闘志を燃やすのだった。
最強の大王はターフを去った。
空になった玉座。
次の王を待つ冠。
青雲の空を駆け抜けた芦毛の稲妻。
彼女が打ち立てた3分3秒2の記録。
5人のウマ娘が挑むも届かなかった頂き。
いまだ山頂にて轟き駆ける雷光。
果たしてそれを超える者は現れるのか。
10月24日。
京都レース場にて。
三冠最後の冠を。
3000m先にあるそれを目指して、18人のウマ娘が走り出す。
お読みくださり、ありがとうございます。
来る者いれば去る者あり。
想いを託されましたが果たして……
次回もお楽しみに!