1月5日、月曜日。
晴天に恵まれた京都レース場。
そこの控え室でハーツはレースに出るために着替えていた。
体操着に着替え、ゼッケンを着ける。
ゼッケンの番号は9番。
その番号の下にハーツクライと書かれている。
「ついに来たな。デビュー日が」
「おう、待ち侘びたぜ」
文三の言葉に、ニヤッと笑って返すハーツ。
「レースの内容は頭に入っているな?」
「あぁ。芝コースの2000メートル。右回りだろ? そんぐらい覚えてるって」
ちなみにだがデルタブルースのデビュー戦の距離は1600mである。
「よし、仕掛け所を間違えんなよ」
「それこそ分かってるよ。一発目勝って来るからしっかり見とけよな」
「おう。行ってこい」
文三に送り出され、控え室を出るハーツ。
そのまま彼女は地下通路を通り、コースへと向かう。
そこで彼女は、他の子達とも会った。
緊張している者、自信に満ちた者、勝ちを信じて疑わない者。
10人いれば全員が違った思いを胸に抱いている。
が、同じ思いもある。
それは、勝ちたいという思い。
他の9人よりも先にゴールしたい。
一番になりたい。
そういう願いだ。
その思いを胸に抱いて、ウマ娘達は地下から地上へと姿を現す。
その光景にハーツ達は驚いた。
いつもはテレビで見ていたから客観的だった。
が、今日は違う。
「頑張れよー!!」
「応援しているからなー!!」
「この日を待っていたよー!!」
自分達に向けられる声援。
中には手作りだろうか、応援グッズを持っている人もいる。
テレビを見る度、レースを見る度思っていた。
こんな応援をされるウマ娘になりたいと。
そして今日。
いざ自分達が応援される側になってみて分かった。
その応援は、凄まじい力を自分達に与えてくれる。
体の奥底から、まるで温泉を掘り当てた時のように力が湧き上がって来る。
高揚感すら感じる。
そんな中でハーツは見つけた。
(あれって……)
オレンジに近い長い髪に縦ロールをセットしたウマ娘。
帽子を被っているが、ウマ娘用の帽子なため耳穴からヒョコッと耳が出ている。
目と目が合った直後、顔ごと背けるハーツ。
(な、なんでトニビアンカさんがいんだよ……それも)
ゴール前の最前列にだ。
トニビアンカが内緒で来ていたため、知らず驚くハーツ。
ゆっくり振り返り、トニビアンカの方を見る。
すると彼女は、優しい笑みをハーツに向けていた。
(……負けられねぇな)
その笑みで最後の緊張は消えた。
(いや、負けられねぇのは誰も同じだな)
スイッチを切り替えるように、一度深呼吸をしてゲートへ入る。
全員が良い形で飾りたいと思っているデビュー戦。
全員がライバルに負けたくないと思っているデビュー戦。
そして、全員が自分が一番速いと思っているデビュー戦。
そのレースが
「ッ!」
始まった。
ゲート解放と共に全員が一斉に飛び出す。
(まだまだ……まずは様子見だ)
ハーツは後方に陣取り、全体の様子を伺う。
(前からそんなに離されなければ良い。必要なのは距離。先頭がスパートをかけても追いつける距離を維持する事)
差しを得意とするハーツは先頭との距離を測りながら走っていた。
(目にもの見せてやるぜ)
思い出すのはまだ彼女がトレセン学園に入学したての頃。
足が弱く、さらに体の線も細くて見るからに貧弱な印象を与えた。
そんな彼女が、レースで勝てるわけがない、良い走りをできるわけがないと、多くのトレーナーが言った。
自分の担当になってくれるトレーナーはいない。
同級生にどんどん担当トレーナーがついていくのを見ながら彼女はそう思っていた。
文三と出会ったのはそんな時だった。
「俺がお前を、歴史に名を刻むウマ娘にしてやる。だから黙って俺について来い」
そう言われて右手が差し出された。
俺を担当にするのならこの手を取れ。
嫌なら無視しろ。
そう言うように差し出された右手。
それをハーツは握った。
細く、弱い手で。
精一杯の力を込めて。
その手を文三は、ギュッと握り返した。
温かくて、大きな手で。
だから
(まずは1勝。プレゼントしねぇとなぁ!!)
このレースに負けられない。
当時と比べてだいぶ体はしっかりしてきた。
それでも細めな彼女。
だが走りは入学当初からは見違えるレベルになっていた。
そんな彼女の姿を見てざわつく者がいた。
「おいおい、嘘だろ……アイツって」
ハーツの担当を断ったトレーナー達だ。
自分が見た時と違うハーツの姿。
と言っても、先にも言ったようにまだ体は完成していない。
記録を持つウマ娘達と比べると、どこか見劣りする。
が、それを補う気迫。
自分達が会った、あの貧弱なハーツクライの姿はどこにもなかった。
先頭の様子を伺い、仕掛け所を伺いながら走るハーツ。
そんな彼女を見て、断ったトレーナー達は知らず知らずのうちに拳を握っていた。
そして、その時は来た。
(ここだっ!)
最終コーナーを周り、最後の直線に入る瞬間。
ハーツは足に力を込め、一気に駆け出した。
全員がペースを上げて仕掛けるなか、ハーツはグングンと加速して順位を上げていく。
先頭を狙うライバル達を追い抜く。
抜いて抜いて抜いて。
目の前の相手を抜いて行く。
例外は無い。
力の限り走って抜いて行く。
そして、彼女は先頭でゴール板を駆け抜けた。
2着とは本当に僅かな差。
それでも確かな勝利であった。
その事実を掲示板で見た彼女は、天に向かって叫んだ。
ハーツクライ。
長く、長く待ったデビュー。
それを勝利で飾った、歓喜の叫びである。
「疲れたぁ……」
「お疲れさん。よく頑張ったな。ハーツ」
地下通路に戻った彼女を真っ先に出迎えたのは文三だった。
「ハッ! 見てかよオレの走り! 圧倒的だったろ!」
「そうだな。まぁ、デビュー戦にしては及第点だな」
「は? 合格点だろうが」
「そう言ってお前を調子に乗らせて、次のレースで大コケしたらどうする。自重しろ自重」
「うっせうっせ。デビュー戦で勝ったんだから手放しで褒めやがれ」
「全く……」
やれやれ、といった様子ではあるが文三の顔は優しい。
「……よくやったな。ハーツ」
「やっと褒めやがったな」
そう言ってハーツがニッと歯を見せて笑った。
そんな二人の周囲では、ハーツと競い合ったライバル達が自分のトレーナーに出迎えられていた。
頑張ったねと労いの言葉を受ける者。
早速次に向けての作戦会議だと両者共にやる気に満ちている者。
様々いる。
が、全員共通している思いもある。
次走る時は負けない。
その思いをハーツに向けていた。
対するハーツは、次も負けないと返す。
こうしてデビュー戦を終えたハーツ達。
そんな彼女達のレースを見ていた観客の中に彼女はいた。
(先輩達、凄かったな……)
栗色の長い髪を風に揺らし、先ほどまでレースが行われていたコースを見て柔らかい笑みを見せる一人のウマ娘。
来年度からトレセン学園に入学するウマ娘の一人である。
(早く先輩達と走りたいな)
それは本能だろうか。
走りたいという強い欲。
尻尾がユラリと揺れる。
自分がもし、今日のレースに出ていたらどう走ったか。
すでにそのシミュレーションをしている。
序盤はどう走るか。
どこに位置取るか。
どこで仕掛けてどう抜き去るか。
考えて考えて、自然と笑みが生まれる。
あぁ、早く先輩達と走って、競って、勝ちたいと。
駆け出したくて疼く足を抑える。
今はまだだ。
走るのは4月から。
トレセン学園に行ってからだ。
(楽しみにしていますよ。先輩……それと)
「お姉ちゃん」
クルリと踵を返し、コースに背を向けて屋内へと入って行く。
尻尾を揺らしながら、これからに期待を膨らませて。
そんな彼女と、一人の女性トレーナーがすれ違う。
かつて、怪物と呼ばれたウマ娘と激闘を繰り広げたウマ娘のトレーナー。
今はただすれ違う大勢の一人。
だがその関係は近い内に大きく変わる事となるが、今はまだ誰もその事を知らない。
先ほどウマ娘とすれ違った女性トレーナーは、すでにレースが終わったコースを眺めるウマ娘に声をかけていた。
「そろそろ行こうか」
話しかけられたウマ娘がトレーナーの方に顔を向ける。
「あぁ、おう」
優しそうな目に前髪の真ん中に一本白い線の入ったウマ娘。
一見するとダウナー系に見える。
「次は
「問題ない。次は勝つさ」
そう返す彼女だが12月7日にデビューし、同月27日にGⅢレースに出走。
デビュー戦は1着を取ったが、次レースは4着となった。
次は勝つ。
もう負けないと、自分のトレーナーに言う。
言い切る。
ダウナー系の顔から一転する。
凶悪、凶暴とも言える笑みへと。
「俺ァ勝つぜ。今年は妹も入って来る。シニアクラスで走るのが、今から楽しみだぜ」
やがて来る、妹とのレースを夢見て笑う。
その日が来る事を夢見て。
そしてそんな彼女にトレーナーは言う。
「そうか」
トレーナーはウマ娘に言う。
「なら、その夢が叶うように。僕が君を支えよう」
ウマ娘
「ブラックタイド」
彼女の名を口にした。
「あぁ、頼りにしているぜ」
そして彼女も言う。
「
自身のトレーナーの名。
そしてその頃トレセン学園では、練習用コースを一人のウマ娘が走っていた。
「うん。良い調子だね。これなら京成杯も問題無さそうだ」
と、手に持ったストップウォッチを止め、トレーナーが言う。
その言葉にウマ娘は
「トレーナーさんあっての結果です。私一人ではとても」
と、返す。
おっとりした様子のウマ娘。
鹿毛色の髪を後ろで纏めた、大人びた様子のウマ娘。
落ち着き払った様子の彼女だが、先月行われたエリカ賞レースにて1着を取っている。
11月にデビューし、2戦連続で1着を取っている。
そんな彼女が次に出るのはGⅢレースの京成杯。
中山レース場で行われる、重賞レースのひとつである。
重賞レースというだけあって、出走するウマ娘のレベルも一気に上がる。
もちろん、勝ちたいという気持ちの強さも上がる。
「次も勝ってみせます」
もちろん彼女もそれは承知の上だ。
そしてもちろん、勝つつもりで挑む。
なんせ彼女は皇帝を超え、女帝を超え、帝王も覇王も超える事を目標にしているのだから。
だって彼女は
「だって私は、キングですから」
大王を目指しているのだから。
お読みくださり、ありがとうございます。
最後の子は、あの子です。
次回も、お楽しみに。