12月26日、日曜日。
有マ記念当日の中山レース場。
天気にも恵まれたそこのスタンドは大勢のファンで埋め尽くされていた。
ファンの期待はやはり、ゼンノロブロイによるテイエムオペラオー以来二人目の秋シニア三冠達成だろう。
達成か、はたまた誰かが待ったをかけて阻止するか。
「やっぱロブロイだろ。三冠もだけど今勢いあるし!」
「いや〜、俺はシチーさんに逃げ切って欲しいね」
「私は〜」
「アタシは〜」
「僕は」
とファンはそれぞれの推しで盛り上がっている。
そんなファン達が待つ本日の主役達は……
「……行けそうか?」
「……当たり前だ。じゃなきゃここにいねぇよ」
控え室のひとつ。
ハーツの控え室で文三は心配そうに尋ねていた。
確かにハーツから気合いは感じられる。
だが痩せてしまっために無理をしているようにも見えてしまう。
風邪を引いた人がもう大丈夫と言っているように、文三には見えたのだ。
一応体重が落ちると体が軽くなってその分速く走れる子もいたりするが、スタミナが減ってバテる子もいる。
ただ
(まぁ、体重落としたからってダメではねぇけど)
彼が思い出したのはステイゴールドというウマ娘の事。
ドバイシーマクラシックというGⅡレースに出走した際、彼女はいろいろあって体重を落としてしまっていた。
が、結果は1着。
海外の強豪を相手に1着を勝ち取ったのだ。
ちなみにだがその際の出走メンバーには、テイエムオペラオーが年間全勝を達成した年のジャパンカップに出走して3着になったファンタスティックライト、香港ヴァーズ覇者のダリアプール、ミラノ大賞京典覇者のエンドレスホール、海外GⅠ3勝ウマ娘のムタファーウエクと強豪ぞろいだったのだ。
そんな海外のウマ娘を相手に、ステイゴールドは勝ったのだ。
なので
(まぁ、そうなる可能性もある……か)
と文三は思ってしまう。
「……無理そうなら」
「分かってる。出走直前でも取り止めろ、だろ?」
「……分かってるなら良い。無理して走って怪我したら」
「だから分かってるって。無理して走って怪我したら悲しむのはファンだ、だろ? 分かってるよんな事」
と返すハーツだが、文三には彼女の心が有マではなく別の何かに向いているようにも思えた。
もしかしたら今の気合いも、その別の何かに向けられているのではないか、とも。
「分かっているなら良い」
「それはもう聞いたよ」
と、短く息を吐きながら笑うハーツ。
「ほら、もう先輩の方に行ってやれよ。オレは、走れるからよ」
先輩、とはダイタクバートラムの事。
彼女も有マに出走するのだが、控え室は別で用意されているのだ。
同じチームのウマ娘でも控え室は別。
同じチームでもレースに出ればライバルなのだ。
「おっと、それもそうだな。んじゃアル。ハーツを頼むぞ」
「は、はい!」
ハーツに言われ、アルフォンスに後を任せて部屋を出る文三。
そして後を任されたアルフォンスはというと
「えっと……」
何を話したら良いのか分からず、落ち着かずにいた。
そんな彼にハーツが口を開く。
「落ち着けって」
「あ、あぁ。すみません」
「謝んなくて良いさ。みんな緊張するもんだしよ」
と言いながら水を飲むハーツ。
「でも、慣れろよ。いつか正式に担当を持った時に伝わるからな」
トレーナーの不安をウマ娘は感じ取る。
だからドンと構えていてくれと。
ハーツは言う。
「すぐに慣れる必要はねぇし、最初から緊張しないトレーナーもいないと思うけどな。まぁ、ウチでサブトレやってんだ。アイツからいろいろ教えてもらえよ」
と言いつつ、椅子から立ち上がり
「アイツは、オレが信頼しているトレーナーだからよ」
アルフォンスの肩をポンッと叩いて言い、彼女は部屋を出た。
『本バ場入場です』
実況を務める泉本が各ウマ娘の本バ場入場を知らせる。
地下バ道からハーツ達が姿を見せると観客の盛り上がりが一段階も二段階も上がる。
そんな歓声に、手を振ったりして返すシルクフェイマス。
鹿毛色の短髪に水色の目をしており、3つの赤い球が数珠状に繋がった耳飾りを右耳にしている。
そんな彼女の後ろを、バ場の具合を確かめながら歩くのはコイントス。
一昨年の有マ記念に出走するも、結果はシンボリクリスエスとタップダンスシチーに敗れての3着。
だがある年の菊花賞ウマ娘のナリタトップロード、ダービーウマ娘のジャングルポケット、この年の秋華賞ウマ娘のファインモーションといったGⅠウマ娘に先着した。
翌年は阪神大賞典後に休養に入り、翌年10月に復帰。
復帰3戦目で有マ記念に出走となった。
そんな彼女は黒鹿毛の髪を全部ではなく一部を後ろで纏めている。
焦茶の目でしっかりとバ場を確認している。
右耳には白と紫、2色の境目がギザギザ模様になっている短冊形の耳飾りを着けている。
他13人のウマ娘も集中しながらゲートのある方へと向かい、ゲートインの時間を待つ。
そんな中で
(……やっぱりいるよな)
ハーツは、ターフ上に佇むキングを見ていた。
風に吹かれ、マントを靡かせながら、表情の見えない顔を空に向けている。
(今日こそ、お前を超えてやる……)
そう思う彼女を、スタンドからキングが見ていた。
『GⅠのファンファーレです』
泉本の声がファンファーレの演奏開始と共に場内に響く。
有マ記念の始まりを彩るファンファーレ。
その音色に合わせ、観客の手拍子が色を添え、演奏終了と共に歓声が上がる。
それに背中を押されるように各ウマ娘がゲートへと向かう。
通常通り奇数番からゲートに入って行き、続けて偶数番のウマ娘がゲートに入る。
そんななかダイタクバートラムの足がゲート目前で止まるが、係員に促されてゲートイン。
そして残り3人。
グレイトジャーニー、コイントス、アドマイヤドンがゲートに入り、全員のゲートインが完了する。
今回の枠順はこうだ。
1枠1番ゼンノロブロイ
2枠2番ピサノクウカイ
2枠3番ハイアーゲーム
3枠4番コスモバルク
3枠5番ハーツクライ
4枠6番シルクフェイマス
4枠7番ユキノサンロイヤル
5枠8番ダイタクバートラム
5枠9番タップダンスシチー
6枠10番デルタブルース
6枠11番ヒシミラクル
7枠12番グレイトジャーニー
7枠13番ツルマルボーイ
8枠14番コイントス
8枠15番アドマイヤドン
以上全15人がゲートインする。
アドマイヤドンに至っては菊花賞ぶり、約2年ぶりの芝レースという事もあってか、ゲートインの際にはファンだろうか歓声が上がる。
そして観客全員がその瞬間を待つ。
15人のウマ娘がゲートの中でスタートの体勢を取る。
係員が離れて
『ゲートが開いてスタートしました!』
有マ記念が始まった。
芝2500m。
この年最後の芝GⅠレースの幕が上がった。
まず先頭に出たのはタップダンスシチー。
流れるように前に出た彼女を追うのはヒシミラクル。
それに外から続くのはコイントス。
デルタブルースも負けじと追いかけ、その内側には秋シニア三冠がかかるゼンノロブロイ。
さらにデルタブルースの外にグレイトジャーニーとアドマイヤドン。
少し距離を空けてシルクフェイマスとダイタクバートラム。
ゼンノロブロイをマークするようにコスモバルク。
今回は少し抑え気味に走っている。
そして内側から並ぶように、ピサノクウカイ、ハイアーゲーム、ツルマルボーイ。
その後ろにユキノサンロワイヤル。
そして最後方。
距離を空けてハーツクライが走る。
その順位でスタートからコーナーを曲がり、スタンド前を駆け抜け、わずかに順位変動をしながらコーナーへと入る。
先頭はタップダンスシチーのまま。
2番手に約5バ身のリードをつけて走っている。
続くのはゼンノロブロイ。
その外側にはヒシミラクルがいる。
少し離れてデルタブルースとコイントス。
また少し離れてグレイトジャーニーとシルクフェイマス。
またまた少し離れてコスモバルクとアドマイヤドン、ダイタクバートラム。
ピサノクウカイとツルマルボーイが並ぶように追いかけ、ユキノサンロワイヤルが二人の後ろからチャンスを伺う。
そこからまた少し離れてハイアーゲームがおり、彼女から大きく話されてハーツクライが走る。
(ッ!)
離れたハイアーゲームの背を追いながら苦しそうなハーツ。
無理もない。
体重はデビューしてからの中で過去最低の彼女。
そんな彼女を
(大丈夫……か?)
同じチームのバートラムが様子を見つつ走っていた。
同じチームという事もあり、控え室に入る直前までは相手の事を見ていたバートラム。
心配ではあるが、勝ちを譲る気は無い。
出た以上、コースの上であればライバルだ。
それがたとえ、可愛い後輩でも尊敬する先輩でも、チームメイトでも変わらない。
バートラム自身も有マ記念は勝ちたい。
(他人の心配より自分の心配ね……)
意識をハーツからレースに切り替える。
そう。
誰かを気にしながら走って勝てるほど、有マ記念は甘くない。
(それこそ……)
後輩が心配で集中できずに負けましたなんてなればダメージを受けるのはハーツだろう。
前までならそうではないかもしれないが、ここ最近のハーツが何かに悩んでいる事は察していたバートラム。
言ってこないのにこちらから行けば余計なお世話だろうし、いざとなれば向こうから言って来るだろうとノータッチだったのだ。
(レースに集中しろよ。ハーツ)
そう思いながら走るバートラム。
ではハーツはというと……
(今日こそ……)
前を見ていた。
(今日こそ……)
彼女には見えない相手を見ていた。
(お前を抜いて、超えてやる!)
キングの幻影を追いかけていた。
コーナーを駆け抜け、向こう正面の直線へと入るハーツ。
彼女は最後尾。
対するキングの影はアドマイヤドンの後ろ辺りを走っている。
勝負服のマントを靡かせ、あの日の大王の走りをしている。
が
(良い。このままだ。このままオレの走りをすれば勝てる!)
ハーツはその背中を見ながらそう思っていた。
(そうだ……勝てる。オレは!)
そんな彼女は気付いていない。
(アイツに!)
レースに勝つよりも、幻影を抜き去る事を目標にしてしまっている事に。
そしてそのまま最終コーナーへと入るウマ娘達。
先頭はタップダンスシチー。
後続に3、4バ身のリードをつけてはいるが、そんな彼女を追うようにゼンノロブロイがジワリジワリと上がってくる。
そして始まるのは310mの直線。
そしてゴールへと続く上り坂を駆け上がる。
全員がゴールを目指してスパートをかける。
もちろんハーツもスパートをかけていた。
踏み込み、地を蹴って加速する。
「ッ!」
最後方から自慢の末脚で順位を上げ、キングの背中へと迫る。
(行ける! 行ける! 行ける!)
グングンとキングの背中が近付いてくる。
(今日こそ! お前を抜いて!)
背中を見せてやる。
その想いと共にハーツは、その幻影を抜き去った。
(抜けた……お前を抜いた! オレはお前に)
勝った。
そう思ったハーツ。
だが違う。
そう思ったのは、彼女の視界にある人物の姿が入ったから。
(……あっ)
その人物はキングカメハメハ。
同じ北原のチームの仲間であるアドマイヤドンの応援に来ていた彼女の姿を、ハーツは見てしまったのだ。
(そう、だ……)
今走っているのは、追い抜いたのは幻影だ。
キングカメハメハ本人ではないのだ。
そして彼女が走る有マ記念は……
『タップダンスシチー先頭! 先頭はタップダンスシチー! そしてゼンノロブロイ、デルタブルースも来ている! 外からシルクフェイマスも良い位置で追い上げて来ているぞ!』
観客の声。
もはや言葉ではない。
ひとつの塊の如き声を左から聞きながら走る。
そんななか
『ゼンノロブロイ先頭! ゼンノロブロイが先頭!』
ゼンノロブロイがタップダンスシチーをかわし、先頭に出た。
そして
『ゼンノロブロイがタップダンスシチーを抑えましたぁぁぁっ!』
その瞬間、大歓声が湧き上がる。
さらに
『秋シニア三冠達成です! ゼンノロブロイ! すごいウマ娘です! そしてタイムですが、2分29秒5! 去年シンボリクリスエスが出しました2分30秒5を更新しましたレコードタイムです! 本当におめでとうございます!』
秋シニア三冠達成と共にレコード更新という偉業2連発。
その放送にスタンドはさらに盛り上がる。
コースでは2着のタップダンスシチーが祝福し、労い、左手を差し出す。
その手にゼンノロブロイは右手でハイタッチをして返す。
本気で競い合ったから。
自然と差し出された左手。
それに返す右手。
そして
「次は負けないよ」
とタップダンスシチー。
それに対しゼンノロブロイは
「次も負けません」
と返す。
来年も走ろう、と。
が、そんな中で一人
(そうだ……キングが、キングがあんな弱いはずがねぇ)
大歓声の中、ただ一人俯いていた。
(あんなの、あんなの……)
ダービーの時に追いつけなかった背中。
神戸新聞杯の時に追いつけなかった背中。
一度も追いつけなかった背中が
(あんなはずがねぇ……)
今の自分が追いつけるはずがない。
抜き去る事ができるはずがない。
中山が苦手でも、きっとキングは克服する。
そして勝つ。
それが最強の大王なのだ。
だから、だから
(……あんなの、認めねぇ)
ハーツは俯いていた。
(認められねぇ……)
自分の生み出した幻影。
それに勝つ事を願っていた彼女。
だがそれだけではダメなのだ。
超えるには幻影ではダメなのだ。
本人を、本物を。
大王を討ち取らねば。
超えた事にはならないのだ。
レース後。
控え室に戻るため地下バ場を歩くハーツ。
彼女の結果は9着。
8着のツルマルボーイにアタマ差で、10着のユキノサンロイヤルとハナ差でのゴール。
菊花賞、ジャパンカップと3連続で掲示板を外す結果になった。
その事は良い。
いや良くはないが、生涯1勝もできずに引退する子もいるのだ。
そういう点からするとトゥインクル・シリーズで走れて、GⅡの京都新聞杯で勝ち星を上げているハーツは普通に凄い。
さらに言えば今回で10走目を終えたが、その内で掲示板を外したのは4回。
他6走では1着3回、2着1回、3着2回なのだ。
そもそも、将来のスターを目指してトレセン学園に入り、デビューを目指して勉学に励み、デビューできるのは一握り。
入学し、担当トレーナーが付くのもそんなに多くない。
担当トレーナーが付いても、そこからのトレーニングでデビューできるほどの実力が無ければデビューはできない。
デビューできたとしても、デルタブルースのようにすぐに勝てるとは限らない。
諦めずに走り続けたとして、いつ勝てるか分からない不安やライバルとの実力差を実感し、デビューしても学園をやめる子も少なくはない。
他にもデビューできてもトレーニングやレースで故障してしまい、引退する子だっている。
そういう子達からすれば、出たレースの半分以上で掲示板入りをしているハーツは凄いのだ。
だがそれでもハーツは納得していない。
できない。
やっと勝てたと思ってもそれは幻影。
ホンモノではないのだから。
そして気付いてしまう。
自分が、レースに勝つ事ではなく幻影を超える事を目標にしていた事に。
故に自ら問いかける。
(オレは……)
それは根幹に関わる事。
(誰と競ってんだ……)
その問いの答えを教えてくれる者はいない。
答えを見つけられるのは、自分だけなのだから。
ハーツクライ、クラシック期終了。
お読みくださり、ありがとうございます。
これにて、クラシック期は終了。
次回からシニア期に入ると同時に、彼女達が本格始動します。
次回も、お楽しみに!