有マ記念を終えて12月29日。
雪の中、大井レース場では東京大賞典が行われていた。
ダートで行われる距離2000mの本レース。
結果は3バ身離されての2着。
3着にはテイエムオペラオーのトレーナーが担当する芦毛のウマ娘クーリンガーが、1バ身半差でゴール。
ちなみに彼女だがジャパンカップダートにも出ており、その時もユートピアの次点。
次に走る事があったら、その時こそ勝ってみせると気合を入れていた。
こうしてその年のレースを終えた彼女達は年を越していた。
「ちょっとハーツ。帰るなりゴロゴロしてばっかり。少しは手伝いなさいよ」
腰から下を炬燵に突っ込み、横になりながらテレビを見るハーツにそう言うのは母親だ。
すでに引退したが、彼女もトゥインクル・シリーズを走っていた過去を持つ。
そんな母親の言葉にハーツは
「……んー? んー……うん。二つ、かな」
とどこかボンヤリしながら返事している。
「餅の数は聞いてないわよ! 手伝いなさいって言ってんの!」
「あ、あぁ……
ノソリノソリと炬燵から抜け出ると母親が待つ台所へと向かうハーツ。
その目にはレースやトレーニングの時に見せる覇気は一切無く、どことなく気力も抜けているようだった。
今彼女がいるのはトレセン学園ではなく実家。
正月という事で、文三から実家に顔見せて来いと帰らされたのだ。
「ほら。これできたからテーブルに運んでちょうだい」
「おう……」
母親に言われ、料理の乗った皿を運ぶハーツ。
「ほらしゃんとして。そんなんじゃお皿落とすわよ」
「お、おう。悪い……」
母親に言われ、料理を運ぶハーツ。
そんか彼女の背中を母親は
(あの子らしくない……トレーナーさんが言っていた通りね)
と思った。
彼女はハーツが帰省する前に文三からハーツが何かに悩んでおり、調子を落としていると連絡を受けていたのだ。
なので小さい頃の好物をたくさん作って、少しでも気分を明るくさせてやろうと考えていたのだが
(これはかなりの重症ね)
好物の乗った皿を運んでいるのに気分は落ちたまま。
(どうしたものか……)
ハーツがあそこまで悩んでいる姿を初めて見て驚く母親。
(トニーは今忙しいだろうし)
携帯でトニビアンカの連絡先を見て思う。
その後少し考えた彼女は
(……どうせ帰って来るんだろうし)
と、別の連絡先を呼び出すとその番号に電話をかけるのだった。
翌日。
ハーツは近所のコンビニまで散歩がてら買い物に行っていた。
「ありやっしゃー」
と、バイトの言葉を背中に店を後にするハーツ。
(……眩し)
袋を持った手とは逆。
左手で日差しをガードしながら思う彼女。
フードの縁にファーが付いたダウンコートを着ているが、わずかに寒さを感じる。
一度は諦めたはずだった。
もうキングと走れないから。
直接対決で倒せないからと。
だが消えなかった幻影。
ならばその幻影を超して消してやると。
そう思って臨んだ有マ記念。
そこで彼女は幻影を超してみせた。
だがその直後に、観戦に来ていたキングの姿を見て思い出してしまった。
いくら幻影を追い抜いても、追い越したとしても。
それは本人ではないのだと。
そして、自分はレースではなく幻影に勝つ事を目標にしてしまっていた事を。
それが彼女の心を砕いてしまった。
その変化には文三も流石に気付いた。
そして彼が下した判断は、しばらくの休養。
レースにはしばらく出さず、心身共に休む事を選択したのだ。
その初めが帰省。
まずは家に帰ってゆっくり休ませる事にしたのだ。
だが、彼女の消耗は思った以上に酷かった。
そんな彼女に、声をかける者がいた。
「ねぇねぇ! ウマ娘のねーちゃん!」
「……ん?」
声をかけて来たのは男の子だった。
どうやら帰り道に通った、家の近くの公園で遊んでいた子らしい。
「……オレになんか用か?」
しゃがみ、相手の目線に合わせて尋ねる。
すると母親だろう。
公園から女性が来て
「す、すみません! ほら行くよ」
と、男の子の手を引いて行こうとするが
「ねーちゃん足速いんでしょ! 走り方教えて!」
と踏ん張り、ハーツにそう言うのだった。
「なるほどな……」
時間はあるし、暇だったのでひとまず男子から理由を聞く事にしたハーツ。
どうやら好きな女の子が足の速い子を見てカッコ良いと言っていたから速くなりたいのだそうだ。
「速くなりたい理由は分かった。ひとまず走れ」
「え? 走るの?」
と、ハーツの言葉にそう問い返す男子。
「当たり前だろ。お前の走りを見なきゃアドバイスのしようがねぇよ。ほら走れ」
「は、はーい!」
ハーツに言われ、走り出す男子。
そんな彼の走りを見て、決して短くない時間を使ってアドバイスをするハーツなのだった。
その後帰路に再びついたハーツ。
(速くなりたい、か……)
どんな理由であれ、アドバイスを求めた男子は速くなりたい理由を明確に持っていた。
少なくとも、今の自分には無いモノを彼は持っていた。
(……オレの、走る理由って)
なんなのだろうか。
そう思いながら家に向かうハーツ。
そんな彼女の背中に
「そんなしょぼくれてどーしたのさ」
明るい声が聞こえた。
ただの上がる声ではない。
聞き覚えのある声である。
「……久しぶりだな」
そんな相手に振り返り、言う。
「エメ姉ちゃん」
振り返った先にいるのは一人のウマ娘。
左前髪に緑のメッシュを流すように入れた栗毛の髪に翡翠色の目。
左耳に黄色と黒の房が付いた六角形の緑の透明なクリアパーツの耳飾りを着けている。
「
彼女はどこかで買って来たのだろう。
紙袋から取り出したたい焼きを食べていた。
彼女の名前はエメラルドアイル。
ハーツの姉であり、トゥインクル・シリーズでの先輩ウマ娘である。
そんな彼女にハーツは
「……食いながら話すなよ」
と、ややジト目気味に返すのだった。
「お母さんから聞いたよ? ご飯の時ノーリアクションだったって」
もう少しで家だったハーツを散歩に引っ張り出した姉は、昨日母親から聞いた事を話す。
「ご飯? 何かあったのか?」
「……はぁ、まさかここまでとはね」
「あ?」
どうやらハーツは昨晩、好物をたくさん作ってもらった事に気付いていなかったらしく、そのまま食べていたようだ。
その事を姉から聞いたハーツは
「悪い事したな……後で」
謝るか、と言おうとするも
「謝る必要ないと思うよ。むしろ今ぐらい甘えときなって」
「でも……」
「むしろ今謝ってもお母さんからしたら無理してるって思うかもよ。ほら、お母さんそういう所鋭いから」
と言われ、返す言葉が無いハーツ。
そんな彼女に姉は言う。
「何かあった?」
とたい焼きを食べながら尋ねる。
「何か、か……」
姉に言われ、思い出すのはデビューしてから有マ記念までの事。
デビューから夏までで6戦。
2戦目のきさらぎ賞で3着、4戦目の皐月賞で14着を取った以外は1着を取った。
夏休み明けは9月の神戸新聞杯から始動するも3着。
続く菊花賞は7着、ジャパンカップ10着。
そして先日の有マ記念で9着。
掲示板入り回数はクラシック前半で5回、後半で1回。
「まぁ、勝つ子がいれば負ける子もいるからね」
「……そう、だな」
「私からしたらアンタの成績は普通に凄いけどね」
そう言うエメラルドアイルはデビューから29回走って重賞レースに出たのは1回。
GⅢレースに出たのだが、その時の順位は10着である。
ちなみに掲示板入りした回数は23回。
内1着は4回となっている。
先ほど言ったように、重賞レースには一度しか出ておらず、出走したレースの中にクラシック三冠レースは含まれていない。
「うん。アンタは凄いんだよ……」
皐月賞18人。
ダービー18人。
菊花賞18人。
合計54人。
約9000人いる同期の中から選ばれた一握り。
出られない者の方が圧倒的に多いのだ。
そんな中でハーツは三冠レースに全てに出た。
彼女だけではないが、それがどれほどすごい事なのかを、姉であるエメラルドアイルは知っている。
当たり前のように走っているトゥインクル・シリーズでデビューする事自体がそもそもすごい事なのだ。
だが
「出るからには、負けたくねぇって思っちまう。走り出した頃は勝ちたいが強かったのに……いつからかな。負けたくねぇって方が強くなっちまった」
それはおそらく、やはりダービー後だろう。
14着という大敗をした皐月ではなくダービー。
その理由はキングもある。
が、一番大きいのは完成度の差だと文三が考えていた事。
そしてそれはハーツも実感していた。
皐月での敗北には完成度もあるだろうが、ハーツの走り的に中山との愛称は悪かった事も考えられる。
だがダービーでは単純にキングに追いつけなかった。
捉えきれなかった。
だからこそダイワメジャーに負けた際は勝ちたいだったのに、キングカメハメハに負けた際は負けたくないになってしまった。
勝ちたいと負けたくない。
目標は同じでも違う。
その最たる例が幻影だろう。
メジャーにも負けたのに彼女の幻影は現れず、ハーツの前に現れたのはキングの幻影のみ。
それが答えだろう。
そしてそのキングの幻影を追い越したくて走り、一度は諦めた。
だが諦めたのに消えてくれなかった幻影。
追い越さなければ消えてくれないのかと再び諦め、追い越そうと走った。
そして有マ記念で追い越す事ができた。
だがその時に分かってしまった。
目を背けていた事実と直面してしまった。
いくら、いくら幻影を追い越した所で。
自分はキングに勝っていないのだと。
そして彼女がターフに戻らない限り、リベンジの機会は永久に与えられないのだと。
ならば
「なら、もう走るのやめる?」
とエメラルドアイルは尋ねる。
「やめて、良いのかな……」
「良いんじゃない? だってハーツが走らなきゃいけない決まりなんてないんだし。それに、デビューしてクラシック前にやめる子だっているんだよ? むしろアンタは頑張った方だと私は思うよ」
ハーツが無理して走る事は無い。
辛いのならやめれば良い。
そう言うように。
たい焼きを食べながら言う。
「でも、アンタは走ろうとしている」
「……え?」
「目を見たら分かるよ。まだレースに出たい。ターフに戻りたいって火がね」
「三冠だけが全てじゃない。重賞だけが全てじゃない。私は、三冠レースに出られなかった。重賞レースだってGⅢに一度出ただけ。でも、ファンはそんな私を応援してくれる」
二つ目のたい焼きを食べ終え、持っている紙袋から三つ目を取り出しながら続ける。
「私が走る理由はそれだったよ」
遠い日の事を思い出すように彼女は言う。
「でもやっぱり三冠レースに出たかったし、もっと重賞レースにも出て勝って、もっともっと盛り上げたかった。でも、私にはそれは叶わなかった」
目を細め、たい焼きを見ながら言う。
「だからさ、私からしたらアンタが羨ましいんだ。勝ててはいないけど、それでも重賞に出て走って、ダービーとか神戸新聞杯とかみたいな勝負できるアンタが羨ましい。だから」
ハーツに目を向けて言う。
「多分、私じゃアンタの悩みは理解できないと思う」
立つステージが違うから。
自分はハーツを見上げる側だから。
そう言うようにエメラルドアイルは言う。
だがその言葉には、妹を助ける事ができずに悔しいという色もあった。
「アンタの悩みの答えはアンタにしか見つけられないから」
「それは……」
分かっている。
でもその答えが見つからない。
分からない。
だから走る意味が分からなくなった。
そんな彼女に姉は続ける。
「気休めになるかは分からないけどさ」
当たり前の事を言う。
「誰も皇帝になれないし、誰もアンタにはなれない」
アンタはアンタ。
ハーツはハーツだ、と言う。
当たり前だ。
誰もシンボリルドルフのように、勝ったレースよりも負けたレースの話をしたいと言われるウマ娘にはなれない。
その皇帝を下したカツラギエースにはなれない。
クラシックで達成者はいても、シニア期で年間全勝を果たしたテイエムオペラオーにはなれない。
だってハーツはハーツなのだから。
「
「……それ」
「そ。生徒会室に飾ってある標語。アンタにはアンタにしか出せない魅力があるって事。忘れないでね」
「……それができたら悩んだりしないよ」
姉の気持ちも分かる。
だが、今のハーツにそれを受け止める余裕は無かった。
数日後。
「じゃあ、そろそろ戻るから」
ハーツは荷物を纏め、家族にそう伝えていた。
冬休みが終わるのだ。
ならば彼女はトレセン学園に戻らなくてはならない。
「大丈夫なの?」
「まぁ、うん。オレはまだ、潰れてないから」
ちなみにエメラルドアイルは1日早く学園へ戻っている。
「まぁ、アンタが走りたいって言うんなら止めないけどさ。でも、辛くなったらいつでも帰っておいで」
「ん。ありがと……じゃあ、行って来ます」
「レース見るからね」
「見なくていーよ」
と、実家を後にするハーツ。
(オレだけにしか出せない魅力、か……)
あの日、姉から言われた言葉を胸の内で呟く。
(オレにも見つけられるかな。そんな物が)
いや
(……見つけてやる。オレの走る理由も。必ず)
そしてGⅠを取ってみせると誓い、バスを待つのだった。
その頃学園ではあるウマ娘が練習用コースを走っていた。
「良し。だいぶ調子戻って来たな」
その子のタイムを測っているのは下泉雅弘トレーナー。
手元のタイマーの時計を見るや、かなりの好調品に目を細めて笑みを作る。
そんなトレーナーに、もう1本走って来ると伝えて駆け出すウマ娘。
彼女は喉に青いチョーカーを着けており、正面にはシルバーのリングの中にリングと同色の菱形の飾りが付いている。
そのウマ娘はコースをあっという間に1周し、戻って来る。
そのタイムを見て雅弘は一度頷くと
「良し、今日は終わりだ。クールダウンして上がれ」
と指示を出す。
その指示にウマ娘は
「分かった。じゃあまた明日。よろしく頼むよ」
と手をひらひら振ってクールダウンに入る。
その姿に雅弘は今までの事を思い出す。
皐月賞で勝利し、ダービーに出てから喉の調子が悪化し、秋の天皇賞に出た後に治療のため休養。
手術を受け、順調に回復中の彼女。
すでに復帰に向けてのトレーニングを開始しており、調子は好調。
このままいけば今年中に復帰できるだろうと雅弘は思っており、それは担当ウマ娘も同じだった。
「良い感じだねメジャーちゃん」
そんな彼女に話しかけるのは雅弘のチームに所属するダイワルージュだ。
「喉が治ってから調子が本当に良いんだ。これなら近いうちに復帰できそうだよ」
と彼女に返す、メジャーちゃんと呼ばれたウマ娘の名前はダイワメジャー。
昨年の皐月賞ウマ娘である。
喘鳴症によって一時期レースから遠ざかっていた彼女。
そんな彼女の復帰の日は少しずつ、確実に近づいていた。
お読みくださり、ありがとうございます。
さぁ、シニア期が始まります!
次回もお楽しみに!