1月21日。
翌日に若駒ステークスを控えた金曜日の放課後。
トレセン学園の練習用コースではローゼンクロイツが
「もう少しペース上げるよ」
「うおぉぉぉぉぉっ!!」
ダンスインザダークと併走をしていた。
(こ、これがダーク先輩の走り!? 引退してから走ってないって聞いていたのにここまで走れるなんて……じゃあ現役時代は、いやそもそも先輩に勝った先輩達ってバケモノなんじゃ!?)
なんとかついて行きながらダークは驚愕していた。
ただ、それに驚いていたのは彼女だけではない。
(まさか併走の相手をするなんてな)
トレーナーの文三だ。
今までドリンク担当やタイム計測だけしていたダークが、併走の相手をしたいと急に言ってきたのだから驚きだ。
(何かあったのかな……)
そう思う彼の前を
「うおぉぉぉっ! 待つッス先輩ー!!」
ダイタクリーヴァに先行されながら走るワンアンドオンリーが駆け抜ける。
リーヴァもダークと共に併走の相手を申し出たのだ。
(アイツもなんかあったのか?)
と思いつつ、二人が併走しているため一人でドリンクを準備するアルフォンスを見て
(……手伝ってやるか)
と苦笑いする文三なのだった。
「ふぅ、できた」
文三の所でサブトレーナーをやるようになって約1ヶ月。
ドリンクもスムーズに作れるようになったアルフォンスはオンリーとクロイツ、そしてリーヴァとダークの分のドリンクを作り終えていた。
そんななか彼が思い出すのはここに来てからの事。
あっという間の1ヶ月だったなと思いながらドリンクを運ぶ。
そんななか思い出すのは、ハーツが文三の足を踏んだ事だろうか。
文三曰く、機嫌が悪いと踏んでくるがちゃんと加減はしてくれているそうだ。
実際ウマ娘に本気で踏まれたら、人の足なんてペチャンコだろう。
そんな事を思い出しながら、ハーツの調子が悪い事を心配するアルフォンス。
(調子が戻ると良いんだけど……)
そう思いながらドリンクを運ぶのだった。
そして日付けは変わり1月22日。
京都レース場。
曇りの中開催された若駒ステークス。
最終直線テイエムヒットベを交わしたケイアイヘネシーが先頭を走っていた。
(今日こそ! 今日こそ勝つんだ!)
前走ホープフルステークス9着。
デビューして8戦走って2勝。
6回掲示板入りを果たしているが、勝ちは2回。
負けても負けてもチームのみんなが励ましてくれた。
次は勝てると。
トレーナーも言っていた。
次はきっと勝てると。
だから。
だから。
(勝ちたい! 勝ちたいんだァァァッ!)
このまま逃げ切ってやる。
先頭を走り切ってやる。
そう彼女が思った時だった。
背後から迫る凄まじいプレッシャーを感じ、その直後
「……えっ?」
大外から飛んで来たそれを、彼女の目が捉えた。
『凄い脚で一気に交わした! 交わした強い強い! 一気にその差を広げていく!』
6番手を走っていたディープインパクトが前5人を一気に抜き去ったのだ。
(なっ!? まだぁっ!)
差し返さんと懸命に追いかけるヘネシー。
だがその差は縮まらない。
縮まらないどころか、1バ身2バ身と差が広がっていく。
(そ、そんなっ!?)
全力で追いかけているから分かる。
伝わる。
ディープはまだ本気を出していない。
全てを出し切っていない。
『2番手はケイアイヘネシー! インプレッションは3着!』
5バ身離されてゴールしたケイアイヘネシー。
『ディープインパクト強い! 並んでからあっという間に抜けました!』
いや、並んですらいないだろと思うケイアイヘネシー。
自分の視界の端に入ったと思いきや一気に抜き去られた。
追いかけても追いかけてもその差が縮まるとは思えなかった。
(リキシオーが言ってた通りだ……)
リキシオーとはディープとデビュー戦で走り、2着だったコンゴウリキシオーの事である。
彼女がデビュー戦の後に言っていたのだ。
「後ろから凄いプレッシャーを感じた」
「なんだと思ったらディープが抜き去って行った」
「すると後ろのプレッシャーが消えた」
と。
リキシオーのトレーナーも、リキシオーは伸びていたがそれを上回る脚で差し切られたとレース後の取材で言っていた。
それを思い出しながらこうも思った。
(楽しそうだった……)
一瞬見えたディープの横顔。
レースを楽しんでいるというような笑顔だった。
(楽しむ……か)
勝ちを望むのは大事な事だ。
勝ちたいと思わないで走っても結果は出ないだろう。
中にはそんな事を思わずに走っても勝てるほどに実力のある子だっている。
だがそれでもやはり勝利を望むのは結果に繋がる。
そしてその中で楽しむという事は何事に関しても大事な事だ。
そしてディープは本当に楽しんでいたのだろう。
ゴール後にスタンドに向け、笑顔で両手を振っている。
(……勝ちたい)
スタンドに手を振るディープを見て思うヘネシー。
次こそ勝ちたい。
そう思いながら彼女もスタンドに手を振るのだった。
翌日の早朝。
「ハアァァァァァッ!」
「ヤアァァァァァッ!」
ダンスインザダークとダイタクリーヴァが併走していた。
ただその姿勢はまるで本番のレースかと思うほど。
仮のゴール版が待つ最終直線でラストスパートをかける二人。
二人しかいないレース。
もし見ている人がいたらそう思っただろう。
それほどまでの走りのまま、二人は同時に仮ゴール板を駆け抜けた。
「はぁ……はぁ……ふぅ」
「ははっ……まだまだ凄いね」
「そっちこそ」
走り終えた後、コース脇で休む二人。
両者共に髪から滴り落ちるほど汗をかいている。
それでも現役時代の走りからは程遠い。
(あの菊花賞とは大違い。あれじゃダメだ……)
と思うダーク。
(昔はもっと走れたのに……)
とリーヴァも思う。
流石に、治したとはいえ屈腱断裂を経験した身で、長らくレースから離れていた彼女が現役時代の走りをすぐにできる訳がなかった。
だがその片鱗は確かに残っていた。
息を整え、相手を見るとちょうど目が合う。
「……ねぇ」
「何?」
「明日も走る?」
「もちろん。そっちは?」
「私も。自分を鍛え直さないとね……」
後輩の併走でも自分を鍛え、さらにそれとは別で自分を鍛える。
後輩の悩みを理解するために。
そのためにはまた、あの段階にまで自分を押し上げねばならない。
だから
「ウオォォォォォッ! 負けないッスよ先輩ィィィッ!」
ダークと併走するワンアンドオンリー。
今日も気合い満点の全力疾走。
そんな彼女を
「もらっ、たァァァァァッ!」
後方から突っ込んで来たローゼンクロイツが並び、抜き去った。
「んなァァァァァッ!?」
「このまま先頭は貰う!」
「負けるもんかッスよー!」
そこからはクロイツとオンリーの競り合いとなった。
(おいおい。あんなに飛ばしやがって……レース前にケガすんじゃねぇぞ。ったく)
と、そんな二人を見ながら苦笑いして思う文三。
そんな彼らの元に
「おう、来たな」
ジャージ姿のハーツが、欠伸をしながら姿を見せた。
「オレは今日オフなんだけどよ……」
「しばらくレースに出る予定もねぇんだ。良いだろ。それに何かする事でもあったのか?」
「……ねぇけどよ」
「なら良いじゃねぇか。そら、クロイツの併走相手をしてやってくれ」
「クロイツの? なんでオレが……」
「皐月とダービー。出てたろ」
「……そういう事か」
クラシック三冠に出たハーツに仮想相手をしろと文三は言っているのだ。
そしてその意味を読み取ったと感じた文三はニッと笑って見せ、その笑顔を見たハーツはめんどくせぇと思いながら頭を掻いて
「ほら支度しろ。走んぞ」
併走相手をするのだった。
そして
(凄い……これが先輩の走り。クラシック三冠を走った先輩の)
クロイツはハーツを追いかけながら驚いていた。
クラシックの頃から成長しているとはいえ、ハーツの走りは凄かった。
この走りでGⅠを何故取れないのかとすら思い、直後にこの走りでも取れないほどハードルが高いのだと理解した。
それもそうだ。
三冠の内のひとつであるダービーを取ったキングカメハメハはレコード記録を2秒も縮めたのだから。
(でも先輩は……)
それに次ぐ2着を取った。
2番目にダービーウマ娘に近い所に立っていたのだ。
もしキングが風邪を引いたとかで出走取り消しになっていたら、ダービーウマ娘になっていたのだ。
(その先輩の走り……)
そう思ったタイミングでチラッとクロイツを見たハーツはギアを上げ、グングンと加速して引き離しにかかる。
(離されるもんか!)
勝てないにしても距離を離させるもんかとクロイツもギアを上げる。
だがあっという間だった。
それでもあっという間だった。
みるみると開いて行く差。
遠ざかって行く背中。
(は、速い……)
力の差を見せつけるように、ハーツが仮ゴール板前を先に駆け抜けた。
「どうだハーツ。クロイツと走ってみて」
「どうって……まだまだこれからだろ。オレがとやかく言えるわけ」
「三冠。通用すると思うか?」
「……さぁな。その話ならなおさらだ。三冠取れなかったオレが言える事はねぇよ」
「そうか? 負けたお前だからこそ、分かる事もあるんじゃないか?」
「んな事ねぇよ。たとえ距離適性があったとしても、レース場との相性だってあんだろ。当日の天気だってそうだし」
「なるほどな……」
「ただまぁ、展開次第じゃ良いとこ行けんじゃねぇの? 知らねぇけどよ」
と、文三に返すと息を整えたクロイツがそこにやって来て
「先輩、もう一本お願いします!」
と頭を下げた。
さらに
「今度は2400で、ダービーの時の走りをして下さい!」
と加えた。
「ダービーの? あー、あれは……」
1000m通過タイムが57秒6というペースで走ったダービー。
それを思い出したハーツは
「無理だ。あの時は引っ張る奴がいたからできたんだ。あんだけ引っ張れる奴がいなきゃ無理だ」
実際あの日はマイネルマクロスが飛ばしに飛ばして引っ張っていたのだ。
だからこそ後続もペースを上げて走った。
つまりあれだけのペースで走るには相応に飛ばす逃げウマ娘が必要なのだ。
だから無理だと返すハーツ。
すると
「話は聞かせてもらったッスよ師匠!」
どこからともなくワンアンドオンリーが現れ、
「自分が引っ張るッスー!」
なんと併走に加わると言い出したのだ。
が
「……いや、お前は良い」
とハーツはオンリーの申し出を断る。
当然だろう。
あのダービーに出たメンバーから故障者が続出し、さらに二人も引退者を出したのだ。
それだけ負担が大きかったダービー。
その再現をまだデビューもしていない、体の出来上がっていない後輩にさせるわけにはいかなかった。
だからハーツは
「オレがなるべくあの時の走りをして引っ張る。その代わりクロイツ。無理はするな。無理をして追いかけていると判断したらそこで併走は終わりだ。良いな」
「は、はい!」
有無を言わさぬ口調で、条件を呑ませた。
そして
(こ、これが……)
クロイツは置き去りにされた。
ハーツに言われた通り、無理をしない範囲で全力を出して追いかけたクロイツ。
そんな彼女にハーツは、できるだけあの日の走りを再現して見せた。
ただしあくまで再現となった。
あの日レース場を包んだ熱気は無い。
ライバル達の闘志も無い。
故にできるのは再現まで。
タイムも当時より遅かった。
それでも
(あ、あんな展開だったら故障者出るに決まってる……)
クロイツは戦慄した。
再現でも当時の速さ。
そしてレベルの違いを実感した。
そして自分がまだそこまで到達していない事を実感した。
もし仮に今の自分がダービーに出ても勝利は掴めない。
そもそも現在、ダービーに向けて調整をしていない自分が、ダービーに向けて調整した際の走りに追い付けるはずがなかったのだ。
それでも
(知って良かった……)
とクロイツは思った。
これを知ると知らぬでの差は大きいと。
そう思ったのだ。
もしもこれを知らずにいたら。
録画映像を見ただけだったら。
おそらくこの感情には至っていない。
(これがクラシック三冠レースを走るという事)
一生に一度の大舞台を走る。
その中でも一際特別扱いされる日本ダービー。
それに出る事の重さを知った。
そして、だからこそ勝ちたいと思った。
勝って頂点に立って。
そこから見える景色を見たいと。
そう思った。
皆が憧れる気持ちが分かった。
皆が夢にするから自分も取りたいと。
だから自分も三冠を目指そうとしていた。
だが今は違う。
あの日のハーツの背中を見て心の底から思う。
勝ちたい。
勝って祝福を受けたい。
頂点に立ったからこそ見える景色を見たいと。
だから
「先輩!」
「あ? なんだよ。もう走らねぇからな」
息を整えている最中のハーツに言う。
「私、先輩が取れなかった三冠を取ります!」
と。
そんな、思ってもいなかった宣言に一瞬キョトンとした顔を見せたハーツは
「言うじゃねぇか」
面白いと言うように。
右の口角を釣り上げて笑みを作って見せた。
その日の夜。
ハーツは寮の自室でベッドに寝転がりながら、昼間の併走の事を思い出していた。
(あれは……)
クロイツに頼まれ、ダービーの走りを可能な限り再現した。
でも本当に可能な限りだ。
先にも言ったいろんな条件が無かったのに加え、本気でやれば次は自分が壊れるかもしれないと無意識にブレーキをかけていたからだ。
それでも感じた。
目の前に扉を感じた。
もしその扉を開けれたら。
おそらく自分は次のステージに行けるだろう。
だがその扉は固く閉ざされており、押してもビクともしないように感じた。
おそらく押すだけではダメなのだ。
何かしらの鍵が必要なのだ。
だがその鍵が分からない。
ただなんとなく漠然と。
今はその扉を開けられない事だけは理解できた。
そして仮にその扉の向こう側に行けたとしても、今の自分ではおそらく潰れるであろう事も分かった。
なんせその扉を開けて向こう側に行く事は、キングと同じステージに立つ事でもあると本能的に理解していたのだから。
それでも
(行きてぇ……)
思ってしまう。
扉を開けたい。
その向こう側へ行きたい。
向こう側にある物を掴みたい。
そしてその先にある景色を見たい。
どんな景色が広がっているのか。
何が待っているのか。
だが
(ま、無理な話か……)
扉を開ける鍵を見つけるまで、それはお預けだ。
お読みくださり、ありがとうございます。
クロイツは決意と共に新しい心構えができたみたいですね。
他にも先輩二人も頑張っている様子…
ハーツも何かを掴みかけていたり…
次回もお楽しみに!