1月18日。
中山レース場は熱狂に包まれていた。
レースは終盤。
第4コーナーを駆け抜け、全員が最後の直線へと入る。
ゴールまでは約300mと、他のレース場と比べて短い。
その最後の直線を、ゴール目掛けて全員が突っ込んで来る。
(っ! 仕掛け所を間違えた!?」
現在3番手を走りながら、キングカメハメハは思っていた。
前を走るマイネルマクロスとフォーカルポイント。
(ダメ……このままじゃ)
届かない。
(いや……まだ、まだ終わっていない!!)
まだレースは終わっていない。
重くなった足を動かして。
腕を振って。
前を走る二人を追いかける。
その二人。
先頭を走っていたマイネルマクロスをフォーカルポイントが抜く。
「このままァァァァァッ!!」
「行かせるかァァァァァッ!!」
相手に抜かれる前にゴールする。
相手がゴールする前に抜く。
フォーカルポイントとマイネルマクロスが全力で駆ける。
その後ろを
「届けぇぇぇっ!!」
懸命に走るキングカメハメハ。
その結果は……
1着フォーカルポイント
2着マイネルマクロス
3着キングカメハメハ
1着とは0.8秒差。
2着とは0.6秒差。
4着のスズカマンボとは0.1秒差だった。
届かなかった。
3戦目にして初めての敗北だった。
(全力は出した……今現状出せる力を出し切った。それで)
届かなかった。
掲示板に映し出される番号。
3番目に表示されている4番。
自分の番号が初めて、1番上じゃない所にある。
(負けた……)
あぁ。
負けたのだと。
ボンヤリと思う。
まるで縁がボヤけた絵のように。
輪郭がボヤけているように。
だがそれはやがてハッキリと認識される。
フォーカルポイントは向けられる声援が、賞賛の声がキングカメハメハの耳にも届く。
自分ではない1番に向けられる声が、敗北を自覚させる。
(……悔しい、な)
頂点に立ちたい。
先頭の景色しか知らなかった。
そんな彼女が初めて、誰かの背中を見ながらゴールした。
その事実が
(……次は負けない)
彼女の闘士に火を点けた。
翌日。
「調子はどう? ブラック」
「あぁ。絶好調だな」
コースを走り、調子を確かめたブラックは文乃にそう返していた。
「そうか。だが気を抜かないように。全員が調子を」
「合わせて調整してくる。だろ? 分かっているよ」
肩をすくめて返すブラック。
そんな彼女だが、昨日のレースの結果は当然聞いていた。
「一番人気だからって勝つとは限らねぇ。あのキングでも絶対ではねぇって事だ。ダービーでは俺が仕留める」
と意気込むブラックを見て文乃は、その気合いが空回りしないと良いがと思うのだった。
そんな彼女達がいるコースには他にもウマ娘がいる。
「次のきさらぎまでもう1ヶ月切っていんだ。気合い入れて行けぇ!」
「おうよ!」
ハーツクライと文三だ。
来月に行われるきさらぎ賞に向けての調整のためにコースに来た二人。
早速コースを走るハーツに言う文三。
次のレースまで1ヶ月もある。
次のレースまでもう1ヶ月しかない。
どっちで考えるかは人それぞれだろう。
(前のレースから約二週間。疲れはある程度取れたと思うが)
走るハーツを見ながら思う文三。
(今月はまずは軽い調整。本格的な調整は来月からにするか?)
レースは出走ウマ娘全員が持てる力を全て出し切って行う、文字通り死力を尽くしての勝負。
レース展開を常に伺い、状況の変化に応じて即座に戦略を立てる頭脳。
それをしながら走り続ける体力。
位置取り、仕掛け所、相手の様子。
それを、最高速度70kmに迫る中行う。
一瞬の判断ミスが敗北に繋がる。
一瞬出遅れれば、その時には相手はもうはるか先。
(それを数分の間に行う……)
距離にもよるが、レースは全て数分で終わる。
のんびり構える余裕なんてものは無い。
故に、先にも言ったようにその時その時の状況の変化に合わせて即座に戦略を立てる頭脳が必要となる。
それも、予め立てていた戦略からの変更、新たな戦略を組み込む柔軟性も必要となる。
それはどのウマ娘でも同じだ。
逃げを得意とするウマ娘だろうが差しを得意とするウマ娘だろうが変わらない。
(コイツの強みはまだ正直分からねぇ……)
走るハーツを見ながら思う。
というのもハーツはまだ成長途中。
それも、まだ羽化する前のサナギのような状態。
(今は差し気味に走っちゃいるが……)
人によっては後方からの競走は足に負担が大きいと言う意見がある。
それを実践しているのは既にドリームトロフィーリーグに移籍したテイエムオペラオーのトレーナーだ。
曰く、師からの教えとの事。
(それを考えれば、本来アイツを前目に走らせるべきなんだろうが……)
そう考えて否定する。
(前に誰かがいる事で湧き上がる、抜きたいという意欲がアイツを走らせる。なら)
今の状態がベストだろう。
それに
(いきなり走り方を変えさせた場合、リズムを崩して実力を出せなくなる可能性がある。当人が変えようと思った時に言えば良いか)
そう思う彼の前をハーツが駆け抜け、その後ろを黒い風が駆け抜けた。
(なっ!?)
その事に驚いたのはハーツだった。
なんせ、いったん終えようと思った矢先にブラックタイドがその存在感を露わにしたのだ。
まるで、俺と走ろうと言うように。
そしてそれは正解なのだろう。
なんせブラックの顔が笑っていたのだから。
それを感じ取ったハーツは
(面白ぇ……来いよ!)
その勝負に乗る事にした。
その二人を見て
「……はぁ」
「全く……」
二人のトレーナーは息を吐いていた。
そんな二人をよそに、ハーツとブラックはコースを駆ける。
勝負は一周。
言葉を交わさなくても分かる。
実際のレースが一周こっきりの勝負だから。
そしてその勝負は
「急に走り出した時は驚いたよ」
「へへっ。悪いな文ちゃん」
勝負の後、芝の上に座り込むブラックに飲み物を渡す文乃。
結果だが、ブラックは勝負を仕掛けて負けた。
2バ身ほど差を付けられて負けた。
が、負けたというのに彼女の顔は晴れやかだ。
だって……
「見事に測られたな」
「あ?」
文三は帰り道、ハーツに言った。
「おそらくお前の今の実力調査だろう。それも指示無しの、アイツ自身が自発的に行った、な」
その言葉は正解だった。
ブラックタイドの目的はハーツの実力を知る事。
記録映像では分からない事も実際に走れば分かる。
「だろうな。それにアイツ、速いよ。多分、本気を出していない」
走ったから分かる。
ブラックが本気を出していない事をハーツは理解していた。
「途中から分かっていたさ。だからちょっと本気出して走ったけど、アイツは乗ってこなかった。乗らないで、2バ身を守りやがった。ったく……」
そう言いながらハーツは
「レースでぶつかるのが楽しみだぜ。ブラックタイド」
笑みを見せて言う。
ただしそれは、好敵手を見つけたと言わんばかりの獰猛なものだった。
そしてブラックタイドの方は
「アイツ、まだまだ伸びるよ」
「……ハーツクライの事ですか」
「あぁ。アイツ、自分でも気付いてねぇよ」
走った感想を文乃に伝えていた。
「アイツ、多分前につけた方が速ぇぞ」
「前に?」
「あぁ。多分だけどな」
ハーツのデビュー戦は見ていた。
その時に感じた走りと、実際に走ってみて感じた事。
その差を上手く言葉にはできない。
だが、感じた事をただ一言で表すのであれば、それはこれになる。
「アイツは伸びる。だけどそれにはまだ、少し時間がかかるだろうな」
ハーツクライという蕾が花が開くまでまだ少しかかる。
その言葉に文乃は尋ねる。
「それは、トレーナーが変われば」
「ムリだろうな。そりゃ、多少は変わるだろうが……アンタじゃアイツを活かせない。走ったから分かる。アイツを、アイツの中に眠る怪物を叩き起こすには、トレーナーだけじゃねぇ。強いライバルが必要だ」
トレーナーが変わるだけでは蕾は開かない。
ライバルという栄養があって初めて蕾が開き始める。
今の彼女には、その栄養が圧倒的に足りない。
良い調理師がいても、食材の栄養価が低ければ意味が無い。
そして花開くまで
「今年の内は難しいだろうな。なんせアイツ自身がまだ理解していない」
まだまだ遠い。
3日後。
翌日に若駒ステークスを控えた1月23日。
(路線を変えるか……)
キングカメハメハのトレーナーは、先日の京成杯3着という結果を受けて今後のプランを考えていた。
(デビュー戦との距離の違いは200メートル。先月走ったエリカ賞と距離は同じ)
デビュー戦は京都レース場。
エリカ賞は阪神レース場。
それぞれ1着を取っている。
(違いがあるとするならば……)
1番大きいのは直線だろうか。
京都レース場の最終直線の距離は約403m。
阪神レース場の場合は約356m。
中山レース場は約310m。
(中山は最後の直線が1番短い。いや……)
それだけじゃないだろう。
レースは平坦な道を走るわけではない。
上り下りがあるうえにカーブもある。
枠順の影響もある。
そこに各々の戦術が重なり合う。
一言では言い表せない複雑さ。
ただ、今回のレースの結果からファンの間ではキングは中山が苦手という噂が出始めていると耳にした。
(まだ一回なんだけどな……)
噂が立つのも早いなとため息を溢す。
だが
(……追い付けなかったのは事実だ)
マイネルマクロスの逃げ。
そしてフォーカルポイントを捉えられなかった。
(負けたのも事実だ)
トレーナーとして、担当ウマ娘が勝てる確率を少しでも上げる。
そのために路線を変えるのは正解だ。
中距離から距離の短いマイル路線。
ただ残念な事に、トゥインクル・シリーズにて注目度の高いレースは中長距離。
つまり、2000m以上となる。
そしてクラシック三冠のレースは全て2000m以上となる。
今でこそ一部のウマ娘の活躍により短距離やマイルも注目されるようになったが、やはり届かない所もある。
(オグリやテイオーのトゥインクルラスト有マをされるとそりゃ敵わないけど)
それでもみんな走っている。
全力で、全てを賭けて走っている。
そこに距離は関係無い。
走る者達は互いに相手をリスペクトしている。
世代交代させてもらうと言う者はいるが、相手へのリスペクトが完全に無い訳ではない。
そこにあるのは、先輩達が積み上げてきた物を今度は我々が背負うという強い意志。
それ対して先達はやれるものならやってみろ、かかって来いと全力で迎え撃つ。
別路線に殴り込みをかけた場合もそうだ。
かかって来い。
全力で相手をしてやる。
互いに相手に全力で挑む。
相手がどれほど、そのレースに対して熱量を捧げているかを知っているから。
だが。
それでも未だ。
クラシックに出られない者をとやかく言う者はいる。
そして今回、トレーナーが考えているのはクラシック路線を諦めるというもの。
クラシックではなくマイル路線。
距離は中距離より短くなる。
が、その場合クラシック三冠を諦める事になる。
(その事は彼女に話したが……)
答えは少し待って欲しい。
そう言われて彼女は顔を見せていない。
(何か掴もうともがいているのでしょうか……)
そう思いながら今後の予定を立てる。
(問題はキングさんをどう走らせるか)
中長距離は難しい。
特に中山で勝たせるのは難しいだろう。
(ただ2000で彼女は勝っている。単純にレース場との相性か?)
そう、彼女が走った2戦目のエリカ賞の距離は2000m。
レース場こそ中山ではなく阪神レース場だが、勝っているのだ。
(もし会場での相性が今回の負けなのだとするなら……いやダメだ。皐月賞は中山だ)
クラシック三冠のひとつである皐月賞が行われるのは中山レース場だ。
今回みたいに負ける可能性がある。
(ボクから見て今回の彼女の調子は良かった。不調で負けたとは考えにくい)
もし、自分が見抜けない不調があったとするなら、今回の負けは自分に理由がある。
そこまで考えたトレーナーは
(やはり、マイル路線か……)
と考える。
そもそも彼女の親戚には欧州マイルG1を3勝している。
キングも短距離マイルの方が得意な可能性もある。
ならば
(NHKマイルカップ……)
東京レース場で行われる1600mのGⅠレースである。
(距離の適性は合っていると思うが、問題は……)
彼女がそれを了承するかだ。
皐月賞はを回避する選択肢もある。
ダービーを回避する選択肢もある。
他の2000mに出るという選択肢もあるのだ。
そこまで考えた時だった。
部屋のドアが静かに開けられた。
そこに立っていたのは
「キング……」
キングカメハメハ。
だったのだが、
(なんだ……この違和感。3日会わなかっただけで雰囲気を忘れる訳無いが、なんだこれは)
違和感を感じるトレーナーにキングは言う。
「今後について、お話を」
「そ、そうか。ボクも話があったんだ」
「そうですか。でしたら、トレーナーからお願いします」
静かな、それでいて有無を言わせない言葉だった。
まるで王と話しているようなと、トレーナーは思った。
「なるほど。クラシック路線からマイル路線に、ですか」
「あぁ。今回の負けを君の不調とは思えない。だとすると」
「中山との相性。そう分析したのですね」
「あ、あぁ。だから」
マイル路線に切り替え、NHKマイルカップに出るのはどうだろうか、と提案するトレーナー。
その言葉を静かに聞くキング。
「どう、だろうか……」
その問いにキングは顔を上げ
「そうですか。でしたら」
言う。
「NHKマイルカップと東京優駿の両方を制覇して見せましょう」
「東京優駿って……」
つまり
「ダービーに出るつもりか!?」
「はい」
「無茶だ! 今の君では」
「でも、NHKマイルカップの2着までにはダービーへの優先出走権が与えられる。つまり、そこで勝った者はダービーを走り切れる力がある、と運営は判断していると考えますが」
「た、確かに……」
そうだ、とトレーナーは考える。
そもそも走り切る力が無い者に優先出走権は与えない。
「だが」
NHKマイルカップとダービーは同じGⅠではあるが、レースの距離には800mの差がある。
さらに言えばダービーは京成杯よりも400m長い2400m。
ハッキリ言って
(無茶だ……)
が
「無茶だったらなんだと言うのですか?」
キングは言う。
トレーナーの目を見て。
「その程度の無茶。押し通して見せますよ」
その言葉に、彼女に、トレーナーは恐れに近い感情を抱いた。
(なんだ……何があった……)
彼女に
「だって私は」
(何があったんだ!?)
「キングですから」
そこにいるのが3日前の彼女と同一人物とは到底思えない。
それほどまでに、絶対の自信を放っていた。
お読みくださり、ありがとうございます。
あのセリフは彼女に言わせようと決めていました。
そして彼女の蕾を花開かせるのは誰なのか……
次回も、お楽しみに。