8月。
7月から始まった夏合宿も折り返しを過ぎた頃。
残された時間も日に日に減り、全員が集中してトレーニングに励んでいた。
そんななかハーツは
「なるほどね……」
「うん。だから今日は」
アルフォンスから指示を受けていた。
と言うのも彼女は文三から、夏合宿と秋シーズンはアルフォンスに見てもらえと言われたのだ。
文三としては自分の教え方を続けるよりは新しい事を試してみようとの事。
なのでサブトレーナーのアルフォンスに、夏合宿に来てから任せる事にしたのだ。
もちろんアルフォンスは初耳なので呆然。
文三に対して突然過ぎるしまだ早いと訴えるもやってみろと。
もしかしたら良い方に転がるかもしれないからと。
ハーツはハーツでやるならさっさとしろとアルフォンスの服の襟を掴んで引きずって行き、半ば強引にトレーニングを開始。
7月は慣れないながらも、今までのレースやトレーニングの資料から考案した内容でメニューを組んだアルフォンス。
初めはハーツからメニューの変更を要求されたりもしたが7月下旬からはそのような事は無くなり、アルフォンスが組んだメニューを大人しくこなすようになった。
「というわけで今日は走り込みは休み。午前中泳いで午後は休みにしようと思うんだけど」
「なるほどな……」
「どうかな」
「……良いな。それで行こう」
ニッと笑ってアルフォンスの考えたメニューをこなすハーツ。
「おらおらおらぁぁぁっ!」
凄まじい水飛沫を上げながら海を泳ぐハーツ。
「うーん……」
その様子を見てアルフォンスはある事を思っていた。
(去年の記録より良いな……)
去年の夏合宿時の記録よりも良いのだ。
動きも良い。
勢いも良い。
タイムも良い。
流石に去年の同時期と比べれば成長しているというのもある。
だがそれを加味しても、今のハーツの動きは良かった。
まるで
(本当に同じウマ娘のタイムなのか?)
と思ってしまうほどに。
その日の午後。
「やぁハーツ」
練習を終えたハーツは近所の神社で行われている夏祭りに来ていた。
神社前で待ち合わせしていたユートピアと合流するハーツ。
「別に宿から一緒に来ても良いだろうに」
「ははっ。まぁね。でもほら。待ち合わせってなんか良いじゃん」
「まぁ、確かにそうだけどよ……」
近所でやっている浴衣レンタルを利用した二人。
ハーツは黄色に黒の薄羽織。
ユートピアは薄紫の浴衣を着ている。
他にも夏合宿に来ているウマ娘が浴衣を着て遊びに来ているのが見える。
トレーナー達も各々今はトレーニングの事を忘れて楽しんでいる姿が見える。
レースが関わらなければトレーナー仲間。
こういう練習が効果的だという話に花を咲かせている。
明日からまたトレーニング。
その前のわずかな休息。
月明かりの次に彼女達を照らすのは色とりどりの花火の光。
それをハーツとユートピアはラムネを飲みながら見ていた。
翌日。
「……ふぅ。はぁ、はぁ」
ハーツとの併走を終えたユートピアは木陰で涼んでいた。
6月29日に行われた帝王賞に出走した彼女。
結果は2バ身差での4着。
1着と2バ身ではない。
3着と2バ身。
1着とは5バ身半。
タイムにして1秒差だった。
まさに完敗だった。
(……勝てないなぁ)
昨年10月に走ったマイルチャンピオンシップ南部杯。
そこで勝って以来半年以上勝ちが無いユートピア。
戦績は25戦6勝。
掲示板入りした回数は18回。
こうして見ると十分強い部類に入るだろう。
ただしその6勝の内訳はデビュー年に3回。
翌年2回。
その翌年に1回。
今年はまだ勝てておらず、出走した5走で掲示板入りは3回。
掲示板外になった2回の順位は14着と15着。
今年の調子はあまり良くなかった。
(去年は1回も取らなかったんだけどな……)
1回も取らなかったというのは二桁順位の事だ。
彼女もシニアクラス。
それも2年目だ。
先輩やシニアクラスに上がって来た後輩とも走るようになった。
今まで挑戦する側だったが、さらに挑戦される側にもなったのだ。
その分強者も増える。
勝ちも遠のく。
だがもしかしたら
(……まだ、走りたいな)
他の理由を。
もうひとつの理由を。
ユートピアは思い浮かべた。
そんな彼女の前を
「堪えろディープ! まだだ!」
「は、はい!」
アドマイヤグルーヴとアドマイヤムーンとディープインパクト。
担当トレーナーである文乃の合図があるまで二人を抜かないようにと指示をされているディープ。
というのも、秋に待つのはクラシック三冠ラストレースの菊花賞。
3200mもの長丁場。
皐月賞とダービーと同じようにはいかない。
さらにディープは走るのがとにかく好きな性格をしていた。
走りたい。
前に行きたい。
その勢いでは3200を走りきれず、途中で体力を切らすと文乃は考えたのだ。
故にこの夏合宿では抜く事、前に行く事を我慢できるようにメンタル面の強化を重視したトレーニングをしていた。
そして
「行け!」
文乃の合図と共に二人を抜き去り、置き去りにしてあっという間にコースを駆け抜けた。
(凄いな……ディープインパクト)
その姿を見てユートピアは少し羨ましいと思うのだった。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
「やあぁぁぁぁぁっ!」
「これ終わったら休憩だ! 最後まで踏ん張れ!」
「はい!」
「はい!」
文三にそう返しながらコースを走るのは菊花賞を目指すローゼンクロイツとデビューを控えたロジック。
クロイツは菊花賞の前哨戦はセントライト記念ではなく神戸新聞杯に照準を定め、トレーニングに臨んでいた。
(菊花賞こそは……)
二冠を達成したディープ。
三冠へとリーチとなった彼女。
このまま行けば無敗の三冠も夢ではないだろう。
だがそれを黙って達成させる気は無い。
偉業が達成される瞬間を見たいファンはいるだろう。
それは十分理解している。
だからと言って負けてやる理由にはならない。
(私が勝つ)
勝つ。
勝って先頭の景色を見る。
頂点に立ってみせる。
(ディープインパクト……)
あなたには
(絶対に負けない)
ゆらりと、彼女の中で炎が揺れた。
アドマイヤムーン。
文乃のチームに所属するウマ娘の一人であり、右耳に円形の耳飾りを着けている。
その耳飾りは片面から見れば満月に、反対から見れば三日月に見えるようにデザインされている。
デビュー日は7月10日。
夏合宿の最中、函館で行われたレースに出走。
2着に2バ身半差で勝利を収めた。
次走は8月下旬のクローバー賞を予定しており、それに向けてトレーニングに励んでいた。
来年はクラシックシーズンに入る。
もちろん狙うのは三冠だ。
トゥインクル・シリーズの歴史に名を刻むようなウマ娘になってやる。
だがそのハードルは高くなっていた。
(ディープ先輩……)
先ほど併走をしたディープインパクト。
彼女の走りは圧巻だった。
デビューから5戦全勝。
その走りは飛ぶような走りと言われ、理想系と評された。
またその強さから英雄とも言われた。
そして世間が期待する三冠達成。
達成となればナリタブライアン以来の6人目。
無敗での達成となればシンボリルドルフ以来の二人目となる。
それ故、世間からの注目は凄まじかった。
テレビの報道。
新聞や週刊誌でも取り上げられていた。
そんな彼女は現在、コースで走り込みをしている。
クラシック三冠最後のレースである菊花賞。
その前哨戦として神戸新聞杯を選択した彼女。
(私だって……)
今は尊敬する先輩。
だがそれと同時に越えるべき目標でもある。
(勝つ。必ず)
まずはクローバー賞。
目の前に迫るレースに集中するアドマイヤムーンなのだった。
そして8月27日。
土曜日の札幌レース場。
クローバー賞当日。
『一気に外からアドマイヤムーンが捉えにかかる!』
最後の直線で勝負を仕掛ける彼女。
最内で粘るニシノアンサーを外から追い上げる。
『抜けたのはアドマイヤムーン! 内ニシノアンサー並んでゴールイン!』
ゴール前。
ハナ差突き抜けての勝利だった。
(やれる……私も、やれる)
デビューして2連勝。
次のレースも勝ってやると胸に誓い、スタンドに来たファンに手を振るのだった。
夏合宿最終日。
お世話になった合宿所の清掃を終え、バスでトレセン学園に向かう一行。
全員がこの合宿で次のステージを目指して己を鍛えた。
その中の一人にハヤテエンペライザもいた。
彼女も菊花賞を目指して鍛えた。
次のレースはディープ、クロイツと同じく神戸新聞杯を予定している。
皐月賞2着、ダービー3着と出走し三冠レースで好走を見せてはいるが1着に手が届かないエンペライザ。
3走目のデイリー杯ジュニアステークス以外で掲示板外になっていない。
そんな彼女も夏合宿で自分を鍛えた。
同じチームメンバーのファイングレイン、ソングオブウインド、レジネッタと共に菊花賞で勝つために。
またこの合宿では後輩がチームに加わった。
美しい栗毛の髪に立派な流星を持ち、右耳には表と裏に白丸が三つ描かれた青い短冊状の耳飾りを着けたディープスカイ。
鹿毛色の髪に細長い流星を持ったアサクサキングス。
こちらは右耳にピンクの短冊状の物と、三つの黒い輪がリング状に連なった耳飾りを着けている。
鹿毛色の髪をしたレッドディザイアという名のウマ娘。
彼女は左耳に赤地に白星が描かれ、2本の白いリボンが尾の様に付けられた耳飾りを着けている。
そして最後に鹿毛色の髪のウマ娘。
流星の走る前髪で右目を隠しており、纏めた後ろ髪の毛先は白。
中央に白ダイヤが描かれた水色のパーツを取り付けた黄色のリング状の耳飾りは左耳に着けている。
彼女の名前はウオッカ。
この4人が諒太のチームに新たに加わった後輩達。
合計で8人になったチームメンバー。
新たに加わった後輩の前で格好良いところを見せたいエンペライザはなおさら菊花賞での勝利を望んだ。
そしてもう一人。
格好良いところを見せたいと思っているウマ娘がいた。
それはファイングレイン。
デビューに向けてトレーニングに励んでいた彼女。
今回の夏合宿で仕上がった。
そんな彼女を諒太は、合宿明けの9月にデビューさせようと考えていたのだ。
自分の担当チームから二人目のデビューだ。
(吐きそう……)
帰りのバスでこれだ。
もし本番になったらどうなるのだろうか。
そんな彼は後に計り知れないほどの衝撃を受ける事になるが、今は知らないし、予想すらしていなかった。
「今年の合宿も良かったね」
「……あぁ。そうだな」
学園に着き、バスから降りたハーツクライはユートピアに静かに返す。
合宿期間中は文三から離れ、アルフォンスのもとでトレーニングをしたハーツ。
彼女は彼女で何かを掴めたのだろうか。
ただひとつだけ確かなのはハーツが夏合宿中に肉体的に成長した事。
一部では本格化とも言われる現象が起きていたのだ。
その結果ムキムキではないが、走るのに必要な筋肉がしっかりと付いていた。
簡単に言うとここに来て走るための体が完成したのだ。
それはつまり、今まで未完成の状態で走っていたという事。
未完成の状態で今までの成績ならば、完成した状態で走ればどうなるか。
きっと良い成績を出すだろう。
と思いたいが今彼女が走っているのはシニアクラス。
そう簡単にはいかないだろう。
それでも思ってしまう。
何かを起こしてくれるのではないか、と。
もしかしたらGⅠを取るのではないか、と。
そんな二人の元に文三がやって来た。
「おう二人とも。久しぶりだな」
夏合宿中、ハーツはアルフォンスとトレーニングをしており、ユートピアも併走相手等で基本的にはそっちにいた。
レポート等で情報はもらっていたが、面と向かって会うのはほぼ久しぶりだ。
そんな久々の再会に文三は
「お、ハーツ。お前」
ハーツの仕上がった体を見て
「デカくなったな」
直後ユートピアは何かが切れる音を聞いたそうだ。
その直後、文三は近くの茂みに突き刺さっており、抜け出そうと足をジタバタさせていた。
そして、プンスコプンスコといかにも怒っていますという様子で、自分の荷物を持ったハーツがズンズカズンズカと歩いて行ってしまった。
その一連の流れに苦笑いすると、ひとまず文三を引き抜きに行くユートピア。
そして
「あれはトレーナーが悪いですよ」
と肩に手を置き
「後で謝りに行きましょうね」
と促すのだった。
対する文三は文三で
「アスリートとして良い体になったと思ったからそう言ったんだが……うーん」
といった様子。
そんな彼を見てユートピアは、またハーツに年頃純情乙女キックをされるんだろうなと思うのだった。
そして翌日。
「ハーツ。昨日はデカくなったなとか悪かったな」
「お、おう……俺も昨日は蹴って悪かった」
部室でお互いに謝罪する二人。
その二人を見て上手くいって良かったと安堵するユートピア。
だが
「良い体になったな!」
「違うそうじゃない!」
と思わず言ってしまったユートピア。
そんな彼女の前を、また何かが切れた音の直後に飛んで行く文三。
ドアを突き破り、近くの茂みにまた突き刺さる彼を見て額に手を当てるユートピア。
「し、師匠の師匠が飛んだッス!?」
「いやあれはトレーナーが悪いでしょ。というか、やっぱりトレーナーも鍛えてんだね。無事だもん」
と驚くワンアンドオンリーとリーチザクラウン。
「あ〜、ドアが」
と文三ではなくドアの心配をするダンスインザダーク。
「修理お願いしなきゃ……」
とダイタクリーヴァ。
「あ、バートラム先輩。併走お願いします」
「お、良いよ〜。なんならロジックも一緒に」
「お願いします!」
とローゼンクロイツ、ダイタクバートラム、ロジック。
「先輩足大丈夫ですか!?」
「秋レースもあるんですから!」
と、ハーツを心配するローズキングダムとスリープレスナイト。
「何があっ……うわドア吹っ飛んでる」
と最後に来たのはクラレント。
「文三さん大丈夫ですか?」
「おう、とりあえず引っこ抜いてくれ……」
と、アルフォンスに引き抜いてもらった文三にユートピアは
「また後で謝りに行きましょうね」
圧のある笑顔だった。
そんな彼女に文三は
「は、はい……行きます」
正座して返すのだった。
そして
「あの……本当に、すまなかった」
「……別に良いよ」
謝りに行くまでユートピアから耳にタコができるほど余計な事は言わずに謝罪だけど言われた文三は、言われた通りに謝罪して許してもらったのだった。
こうしてそれぞれの夏が終わる。
「必ずこの手に三冠を」
ディープインパクトは無敗の三冠ウマ娘として歴史に名を刻むのか。
「菊花賞は譲らない……必ず取る」
「狙うは1番」
「いくら強くても、無敵ではないんだから」
「必勝!」
はたまたローゼンクロイツ達がそれを阻止するのか。
「さて、と。気合い入れてGⅠ狙いますか」
復活のダイワメジャー。
「私はもう、十分休んだ」
半年以上の休養から再始動のデルタブルース。
「行くか……」
初GⅠ制覇を目指すハーツクライ。
これから彼女達の秋が始まる。
お読みくださりありがとうございます。
秋が!
始まります!
次回もお楽しみに!