「はぁ……はぁ……はぁ……」
ゴールを駆け抜けたデルタブルース。
その彼女の髪を風が靡かせる。
全力を出して走り切った。
ゴールタイムは2分29秒8。
歓声が耳に届く。
鼓膜を震わせる。
肌にビリビリと伝わるほどの歓声だ。
心地良い。
これをもし、1着でゴールして聞けていたら。
2月8日。
京都で行われた梅花賞。
彼女の順位は4着だった。
1着は彼女より0.5秒先にゴールを駆け抜けていた。
またしても背中を越えられなかった。
捉えられなかった。
「……まだだ。まだ、時間はある」
空を見上げてこぼした言葉は、風に吹き消されて散った。
そして翌週。
2月15日。
ハーツは京都レース場にいた。
初めての重賞レース。
GⅢレースのきさらぎ賞に出るのだ。
デビュー戦に続き、今日も勝って勢いを付けたいハーツ。
そんな彼女に声をかける者がいた。
「よーうハーツ。元気そうじゃねぇか」
「……そういやお前も走るんだったな。ブラックタイド」
「この前は一緒に走れて楽しかったぜ」
ブラックタイド。
6番のゼッケンをつけている、奈瀬文乃が担当するウマ娘である。
ちなみにハーツの番号は8番である。
「いきなり2戦目で重賞は荷が重いんじゃねぇかハーツ。帰るんなら今のうちだぜ?」
「うるせぇよ。どのレースに出て走ろうが、オレの勝手だろ」
バチバチと火花が散りそうな勢いで睨み合いが行われる。
そんな時だった。
「ここで問題を起こせば走れなくなるぞ」
ブラックタイドのトレーナーである奈瀬文乃が声をかける。
「分かってるよ文ちゃん。ちょっとからかっただ〜け。ハーツも本気にしてねぇよな?」
「あぁ……もちろんだ」
そんなやり取りをしてはいるが、二人の間に漂う空気はピリついている。
「モタモタしてみんなを待たせるな」
そんな二人を仲裁する者がいた。
ゼッケン番号11のマイネルブルック。
今回のレースでは3番人気となっており、注目の一人である。
ちなみに1番人気はブラックタイド。
ハーツは5番人気である。
そんなマイネルは二人にそう言うやスタスタと歩いて行ってしまう。
そんな彼女の登場に拍子抜けしたのか、以降二人がピリつく事は無かった。
そして地下馬道を抜け、本馬場入場するハーツ達。
彼女達が姿を現すと観客は盛り上がり、大歓声を上げる。
その歓声を受けながら、彼女達はゲートへと入って行く。
GⅢレース。
きさらぎ賞。
芝1800mのマイルレース。
全員がスタートの体勢を取る。
それに合わせて観客達も静かになって行く。
全員がゲートが開くその瞬間に集中する。
そして
「ッ!!」
ゲートが開き、レースが始まった。
(っ、これがGⅢレースなのかよ!)
2戦目にしてGⅢに挑んだハーツは驚いていた。
共に走るライバル全員、コース取りが上手い。
自然的に前の良い所は取られてしまい、後方へと下がらされてしまう。
が、それも悪い事ばかりではない。
前に別のウマ娘が走っている関係で、前から吹く風の影響を受けないで済むのだ。
そのおかげで、余計な体力消費をしないで走れているハーツ。
そして今回走る京都レース場は、距離こそ違えどデビュー戦で走ったレース場。
故に
(行ける!)
そう思ってしまった。
だが、一度走った事のあるコースだから勝てるほど、レースは甘くない。
(クソッ! 届かねぇ!!)
前を走るブラックタイド。
そして彼女を抜き去るマイネルブルック。
その二人を追いかけるハーツ。
ゴールまではもう距離が無い。
ここで抜かなければもう勝てない。
なのに
(届かねぇ!)
決してハーツが遅いわけではない。
なのに。
どうしてか。
「クソォォォッ!!」
1着マイネルブルック。
2着ブラックダイト。
ハーツは3着でゴールを駆け抜けた。
「……ハーツ。大丈夫か」
レース後。
控え室でハーツに声をかける文三。
その言葉にハーツは椅子に座ったまま何も言わない。
ただ額に手を当て、下を向いている。
負けた事にショックを受けている。
文三はそう受け取った。
見るからに敗北に動揺し、落ち込んでいる様子。
(無理もねぇか……)
2戦目でGⅢレースに出したのは早かったかと思うと同時に、早い内に重賞レースに慣れさせるのは決して間違いではないだろうと思っていた。
現にハーツはクラシック三冠を目指すと言っていた。
4月の皐月賞と5月のダービー。
1月デビューのハーツにとって時間は無い。
ならばなおさら重賞の空気に触れさせてやった方が良い。
そう思ったから出走させた。
(先走っちまったか……)
そう考えると同時に、今回のレース結果は3着。
初の重賞レースでこれは良い方だろう。
問題は
(こいつのメンタルだが……)
そう思った時だった。
「ッ……はぁ。大丈夫だ。オレは、大丈夫だ」
ゆっくりと息を吸ってから吐き、返すハーツ。
「まだ、皐月まで時間はある。次は勝さ」
「時間はあるってお前……」
皐月賞への優先出走権を得るためには弥生賞、若葉ステークス、スプリングステークスで勝つ必要がある。
「……勝つさ。次は……オレは、勝つから」
静かに。
まるで自分に言い聞かせるかのように。
ハーツは言った。
「次は、負けねぇ……」
その言葉には力が籠っていた。
空元気ではない。
心の底から、次は勝つという意思が感じられる言葉。
そしてハーツは
(あれが重賞……GⅢであれならGⅠは……今のままじゃ勝てねぇ。気合い入れ直すしかねぇな)
と、やる気に満ちながらも
「……少し、席を外すぞ」
ハーツに背を向けて言う文三。
「お、おう……」
ドアが閉まると同時に
「あぁクッソ……」
ハーツからこぼれ落ちたのは
「勝ちたかった……」
負けた事に対する悔しさとファンの声援に応えたかったという思いがこもった雫だった。
その頃レース場内の通路では
「今日のレースも凄かったなぁ」
「あぁ。みんな将来が楽しみだな!」
レースを見終わった観客が、それぞれ思い思い口にしながら帰路に着いていた。
ある者は推しが勝って嬉しい。
またある者は推しが負けて悔しい。
そしてまたある者は、次こそ推しが勝つと願っていた。
そんな中
「デビュー楽しみにしています!」
レースを見に来ていた銀髪のウマ娘に一人の少年がそう言う。
その時だった。
「あ、いたいた。勝手にいなくならないでよ〜」
茶髪のウマ娘がパタパタと駆け寄って来た。
どうやら銀髪のウマ娘と一緒にレースを見に来ていたようだ。
「悪い悪い。この子にどのレースに出たんだって聞かれてさ」
と、少年と話していた事を伝えるウマ娘。
どうやら少年にまだデビュー前だと伝えたところ、先ほどのデビュー楽しみですと言われたようだ。
「こっちの方も」
「おう! まだデビュー前だからな。これからだから楽しみにしておけよ!」
と、茶髪のウマ娘の方に腕を回し、ニッと笑って見せる銀髪のウマ娘なのだった。
そして2月29日。
阪神レース場で行われたすみれステークス。
そのレースは
「良い感じ……」
最後の直線。
グングンと加速したキングカメハメハが後続を引き離して1着を取っていた。
前回は負けた。
悔しさはあった。
だがそれ以上に、自分を応援してくれる声援に応えられなかった事が情けなかった。
でも今は違った。
扉。
トレーニング中に開けた扉。
一部のウマ娘のみが辿り着ける、領域と呼ばれる境地。
それを彼女は確かめたのだ。
領域の発動条件はバラバラ。
キングの場合、声援だった。
声援に応えたいという強い思いが彼女の領域の発動条件であった。
故に発動は一際盛り上がり、声援が大きくなる最終直線となった。
が、逆に言えば声援が無ければ発動できないという事である。
その点は、残りの距離が発動条件とした一部のウマ娘より厳しいだろう。
レースによっては観客がまばらな事もある。
が、それがなんだ。
そもそも彼女は、領域を相手に負けないための武器のひとつとしてカウントしていた。
つまり、領域頼りではないという事だ。
彼女が目指すのは頂点。
その名の通り、キングとして全てのウマ娘の頂点に立つ。
そのためには、領域頼りでは勝てない。
むしろこの先、領域が使えるウマ娘と戦う事もあるだろう。
その時のために、領域以外の技術も磨かねばならない。
むしろそれ以前。
スタミナもである。
というのも
(にしても、想像以上に疲れる……)
領域を発動すると体力の消耗が激しいのだ。
だがそれに見合った力を得られる。
今回は良かったが、このままの状態で長距離レースで領域を発動しても走りきれないと、彼女の直感は言っていた。
今回のレースは2200m。
狙うNHKマイルは1600mだがダービーは2400m。
そして菊花賞は3000m、有マ記念は2500m。
春の天皇賞に至っては3200mもあるのだ。
今の体力では走り切れるだろうか。
否
(走り切る)
断言する。
断言できねばそもそも勝てぬ。
そのために、走り切れる体を作るのだ。
次のレースは毎日杯。
距離2000mのGⅢレースである。
これに勝てば、NHKマイルカップへの優先出走権が与えられる。
一応、桜花賞や皐月賞で所定の戦績を納めた者に優先出走権が与えられるが、芝重賞優勝でも与えられるのだ。
ただここでの違いは優勝が必要であるという事。
桜花賞と皐月賞なら2着までは優先出走権が与えられるので、このレースからは4人に与えられる。
毎日杯の場合は、優勝者ただ一人に与えられるのだ。
よって、負ける事は許されない。
が、負けるつもりは毛頭無い。
そもそも負けると思ってレースに出る者はいないだろう。
(もう負けない……)
敗北は一度で良い。
そのために、領域をもっと上手く使えるように。
領域を全力で使えるように。
(変則二冠を取る。いや、その先も取る。取って、頂点に立ってみせる)
そのために、自分をもっと鍛えると誓うのだった。
そしてハーツも
(次の若葉ステークス。必ず勝って皐月賞に道を繋ぐ……)
気合い十分だった。
こうしてハーツは3月20日の若葉ステークスに。
キングカメハメハは3月27日の毎日杯に。
それぞれ照準を定めた。
そんななか
「皐月賞に向けてこれはどうだろうか」
文乃はブラックタイドに皐月賞前のレースとしてあるレースを提案していた。
そのレースとは
「スプリングステークス?」
3月21日に中山レース場で行われる、距離1800mのGⅡレースである。
「へぇ。良いね」
このレースで3着までに入れば、皐月賞への優先出走権が与えられる。
皐月賞の優先出走権は他にも弥生賞で3着以内、若葉ステークスで2着以内に入ると与えられる。
他にもGⅠレース優勝者と、重賞レース優勝者にも優先出走権が与えられるが、優勝しなくてはいけないので少々ハードルが高い。
それを知っていてブラックは笑う。
自分のトレーナーが、このレースに出ようと持って来た。
つまりそれは、自分ならこのレースに勝てると思っているという事。
ならばその期待に応えてやらねばなるまい。
(一番近くで見ているファンの期待に応えられなきゃ、応援に来てくれる奴らの声に応えられねぇからなぁ)
とやる気に燃えるブラック。
その理由は、妹が皐月賞を見に来るのだ。
トレセン学園への入学が決まった妹が見に来るのだ。
かっこ悪い所は見せられない。
故に彼女は皐月賞に向けて燃えていた。
そしてデルタブルースの方では
「分かりました。トレーナー……」
彼女に向けて頭を下げるトレーナー。
トレーナーが彼女に言ったのは
次のレースは見送り、しっかりと調整をしよう。
それはつまり、皐月賞を諦めよう。
さらに言えば、ダービーも諦めてくれに近かった。
その言葉を受けてデルタはただ静かに、頷いてから先程の言葉を口にした。
彼女もこのままでは勝てないと理解していた。
だからしっかりとトレーニングして力をつけて、それからレースに挑もうと。
「……クラシック三冠は諦めてもらう事になるが」
「良いんですよトレーナーさん。三冠を夢見て、みんなが取れるわけではありませんから」
「デルタ……」
彼女の言葉は正しい。
クラシック三冠を取れるのは一人だけ。
それも相応の実力を持った一人だけ。
なんせ三冠それぞれのレースは距離が違う。
2000mの皐月賞。
2400mのダービー。
3000mの菊花賞。
その全ての距離に適性が無ければ成せない。
クラシック三冠はまさに偉業なのだ。
(私は、それを成せる器ではなかった……)
未勝利戦を未だに勝てない自分では届かない夢だった。
でも
(それだけが全てじゃない)
クラシック三冠以外にも偉大な記録はある。
例えば有マ記念連覇や天皇賞の春秋連覇。
まだ日本のウマ娘が制覇していない海外のレースを制覇する等。
探せば他にもあるだろう。
(悔しくないと言ったら嘘になる。でも……)
新しい夢を追いかけるのも良いだろう。
だから
「次のレースに向けてのトレーニングメニュー。よろしくお願いします」
トレーナーに向け、頭を下げた。
お読みくださり、ありがとうございます。
か、書きたい事が多過ぎてなかなかまとまりませーん!
次回もお楽しみにですー!!