そして世に(銀髪薄幸美少女傭兵との)純愛のあらんことを 作:アリマリア
人類が宇宙に進出し、文字通り無限大のフロンティアを獲得してから幾星霜。
現代において惑星間航行や長距離空間転移は珍しい技術ではなく、ナインのいた時代で例えれば、航空機での海外への渡航のような気軽さで行われている。
世界を支配していた時空という概念の内、空間による束縛を人類は振り切ったと言っていいだろう。
そしてそれに合わせ、人類総体から見た資源の枯渇問題は完全に解消された。
なにせ資源を回収できる惑星は、文字通り「星の数程」存在するのだ。
それらを使い切るには、どれだけ少なく見積もっても数京年の月日が……つまりは、人類という種が衰退し滅亡するよりもずっと長い時間がかかると推測されていた。
もはやエネルギーやリソースの投入を惜しむ必要はどこにもなく、人類は再び消費文明に逆戻り。
より効率の良いエネルギー供給の手段、そしてそうやって得られたエネルギーを用いて人類の文明圏を広げる手段の探求を開始したのであった。
そんな状況にあるからこそ、その惑星系は殊更に注目されない、ただの資源の掘削地であった。
人類発祥の地であった廃星の地形の名を冠し、内部の惑星は恒星から近い順に数字が降られて区別される。
そんなありふれた、どこにでもあるような辺境の惑星系。
誰にも見向きもされない、寂れたフロンティアでしかなかった。
……ルビコン第三惑星、ルビコン3から、「コーラル」と呼ばれる新資源が発見される、その瞬間までは。
ともあれ。
現在、強化人間C4-617と脳内サポーターナインがいるのは、そんな鉄火場たるルビコン3ではない。
ルビコン1。
今の最前線より2つ程お隣の、更に寂れた何もない惑星である。
そして、そんなルビコン1、北東部のメガストラクチャー群グリッド15にて……。
今、1人の男の声が響く。
「てってめぇ、メスガキだったのかよ!?」
『もうちょい言い方どうにかならんかったか?』
汎用機動兵器アーマード・コアの修復を行うドック。
その入り口付近で、一組の男女が向き合ってきた。
片方は、大いに驚きたまげて大口を開けている、中年の男性。
特徴的なのはざらついた声と太ましい体格、頭部眩き彼の名は、パッチ、ザ・グッドガイ。
ルビコン1の原住民であり、違法なルートから商品を仕入れたり売ったりすることを生業とする闇商人。
その過程で「荒事」になることも多いので、抵抗の手段としてACの操縦も可能とするという、こう見えて割とハイスペックな男である。
で、そんな彼と向き合っているのが、銀髪薄幸系美少女。
首輪型のデバイスから合成音声を発する、強化人間C4-617だ。
ウォルターのために封鎖機構の基地を襲撃し、本来そこで死ぬはずだった少女は、脳内のコーラル管理デバイスに住まうサポーターのおかげで命を繋いだ。
つい一昨日には再び封鎖機構基地を襲撃、並み居る軍勢を軒並み蹴散らしたことで、封鎖機構を好ましくなく思っていた現地住民たちに受け入れられた少女である。
実のところ。
ナインを除けば、617が少女であることを知る者は、今この瞬間までいなかった。
617はウォルターから、あまり人を信頼し過ぎないようにと言われていた。
特にルビコン星系は、コーラルが発見されて以来、無法者が増えて治安が悪化した。
下手にお前が姿を見せれば、それだけで危険に陥りかねないと。
その上脳内サポーターのナインも、「君の見た目はちょっと可愛すぎるし可憐すぎる。人前に出すとトラブルの元だ、信頼できる相手以外には見せないようにしよう」と提言。
そんなわけで、617はこれまでずっと、中性的な合成音声を発する首輪型デバイスを使い、このACのコックピット内で生活していた。
ACのパイロットは男性の比率が高いこともあり、関わりのある何人かの原住民も、617は男だと思っている者が大半だった。
が。
流石に、ずっとそのままではいられない。
顔も合わせられない相手を信頼はできないという人間は少なくないし、様々な利便性や効率を考慮しても、信頼に足る人間にだけはその姿を明かす必要があった。
……ナインとしては、その相手がかの有名な「フロムのパッチ」になったのは、大いに驚きだったが。
これもまた1つの縁。きちんと報酬の支払いやパーツの提供がある以上、ある程度ビジネスライクな信頼関係は築けるだろう、という判断だった。
「いやおめぇ、信頼してくれんのはいいがよぉ、いくらなんでもキャラが濃すぎるだろうがよ!?」
『そうかな?』
「そもそもあんな化け物じみた操作技術持ってるのが女でガキって時点で違和感がすげぇ! 殺し殺されは俺たち大人の男の仕事だろうがよ!
その上? 傭兵にあるまじき美少女で? 男喋りで? 旧型強化人間で? 二重人格だぁ!?
属性と闇がモリモリすぎんだろうが! ただの商人相手に押し付けるもんじゃねぇぞこれ!?」
『そうかも……』
『パッチ、あなたの声によって617の耳が痛んでいます。至急行動の停止を要求します』
「お、ああ、そうだな、大声出してわりぃ……くっそ、すげぇやりづれぇ……!」
ナインはパッチに対し、617のことを「ワケアリの流れの傭兵」、自分のことを「617の別人格」として説明していた。
詳細かつ正確に説明するのは面倒だし、色々と言えないことも多い。
一時的に厄介になるだけの関係なら、不要に情報を流す必要もないだろう、と思ってのことだ。
しかし、当のパッチは、混乱したように頭に手を当てる。
彼からすれば、あまりにも情報過多なのだ。
ぶっちゃけ相手が男だったらてきとうにだまくらかし、あるいは便利に使い潰してやろうと画策していた彼としては、いきなりこんなイロモノが現れるのは想定の遥か外だった。
「つか、人格によって目の色が変わるっつーのもキャラ濃いよな。それどうなってんだ? 今は青だから女っぽい人格の方なんだよな?
俺としちゃ、赤の男っぽい人格の方が話しやすいんだが……」
『パッチ』
「お、おう、なんだ?」
『わたしからおにいさまを取ったら、殺します』
「こえぇよ! あとキャラ濃いんだよ! なんで人格間で兄妹関係があるんだ、なんで女なのに上の方が男なんだお前妹キャラなのかよ、それから下の人格はブラコンなのかよ!?」
『パッチ、うるさいです』
「ごめんってぇ……」
パッチ、ザ・グッドガイ。
彼は「伊達男のパッチ」を自称する、一般的なルビコニアンだ。
犯罪には手を染めているものの、だからといって極悪人にもなれない小悪党である彼は、しかし1つの拘りを持っていた。
即ち、「良い男たれ」である。
女子供には(基本)手を出さない。
他人の商売は(基本)邪魔しない。
どうしようもなくなるまで(基本)殺しまではしない。
勿論パッチなので、揺らぐことやブレることも多いものの、基本的なムーブは自称通りの伊達男。
これで外見も伴っていれば、今頃家内を持って年相応に落ち着いていたかもしれない。
が、現実は残酷である。
パッチはハゲでデブの中年男であった。
更に言うと、そこそこな頻度で小物な本性がまろび出るので、ぶっちゃけそこまで伊達男を演じ切れてもいなかった。
まぁつまるところ、彼はどこまでいっても、ごく一般的な「普通の人間」なのだ。
617とナインのような、社会の闇とこの世の不思議の煮凝りに出会ったりすれば、そりゃもう混乱してしまうのである。
『さて、パッチ。改めて、酷い出会い方ではあったけど、その後世話になった……というかなってるな。
色々とありがとう、ミッションの斡旋とか、金貸してくれたこととか、ホント感謝してるよ』
「おう、今度は赤だから、男っぽい方か。
あとおめぇ、言っとくけど借金は特例だからな? おめぇが封鎖機構の基地ぶっ壊してくれるんじゃねーかって期待したから貸してやったけど、二度目はねぇからな? パーツ買おうとはすんなよ?」
『わかってる。実際、前回の作戦でほぼ完済したろ? 残った分も次回の仕事できちんと払う予定だから安心してほしい』
「いやまぁ、いいんだけどよ……。実際てめぇのおかげでこっちも儲けさせてもらってる。借金もきちんと返してくれるっつーんならこっちに否はねぇんだけどさぁ……」
パッチは毛のない後ろ頭を撫でる。
実のところ、彼が借金を許した真の狙いは、AC「scav617MG」のパイロットに莫大な借金をさせて、借金奴隷としてこき使うためであった。
一度は打ち負かされ殺されかけて命乞いをするところまで行ったが、そんな相手にも誠意と恩義を売りつけることで利用しようとする。
それこそが、闇商人パッチがここまで生きて来れた理由、驚くべき強かさであった。
しかし、そんな彼からすれば、たった一度のミッションで35万COAM弱……一般人なら遊んで人生を暮らして尚余りあるだろう金額を稼いでくるのは、予想外にも程がある事態。
いくらなんでも封鎖機構相手に戦術兵器や僚機、リペアキットもなしで無双などできるはずもないと思っていたら、2日後ボロボロになって戻って来た機体に『全員ぶっ殺しました』なんて言われてひっくり返りかけたのであった。
どんだけ化け物なんだこのガキ、と思わず呆れた目線を向けるパッチに、その目を赤く染めた617……彼女の中にいるナインは、クスクスと笑う。
『わぁ、善良なパッチとか見たのは二度目かも。ウェルウェルウェ~ルとか言わなくて大丈夫? タンバリンとか預かろうか?』
「てめぇよくわかんねぇけど馬鹿にしてやがんな!? いくら相手がメスガキだろうとこっちにも許せねぇラインってのが……」
『パッチ、おにいさまをいじめたら殺します』
「無敵かてめぇらは!?」
* * *
パッチは頭痛を訴えて617たちの前から立ち去った。
その実態は「一旦帰って整理しねぇとこのまま振り回される……! グッドガイじゃなくグッドツッコミになっちまう……!」という恐怖心からの撤退であった。
「悪いが続きはまた明日」とのことで、2人は現状彼女たちが唯一安心できる場所であるACのコックピットの中に逆戻り。
慣れた様子で操縦席に腰を落ち着けた617に、ナインは話しかけた。
【……617、どうだった。下半身に違和感はないか】
『問題ありません。……下半身を動かすこと自体に違和感はありますが、むしろ自身の可動域を拡張するという行為に……楽しい……否定、充実……自由? な感覚を覚えます』
強化人間C4-617。
彼女は強化手術により、ACの操作適性の代償として、いくつかのものを失った。
その筆頭が、彼女にウォルターが送った首輪型デバイスの必要性の元となった声であり、どうしても大きな感情を抱くことができない理由である情緒や知識であり……。
そして、彼女の脚だ。
617の脚には、感覚神経が通っていない。
そのため、彼女は歩く際に「どのように足が地に付いているか」「地面がどのように傾いているか、何があるか」を理解できず、足の微細な角度や向き、曲げ方の調整ができない。
結果として、自分の力で歩こうとすると、すぐにバランスを崩して転倒してしまう。
実質的には下半身不随の状態。かつてウォルターと生活していた時は車椅子に乗り、ウォルターや618に押してもらって生活していた。
が、今回パッチと対面することになり、【そういった弱みは見せない方がいい】というナインの提言から、この弱点は隠すことになった。
問題は、どのようにしてこれを隠すかだったが……。
『おにいさま、解決することはできませんか?』という、なんとも曖昧なお願いを受けたナインがどうかしようとしたところ……。
色々試す内に、どうにかなってしまった。
ナインがやったことは簡単……ではなく、割と複雑。
脳波を通して617が脚を動かす意思を汲み取り、周辺に微量の気化コーラルを漂わせることで、彼女の歩行についての情報を獲得。
それを元に彼女の脚をどう動かすべきかを計算し、コーラル管理デバイスによって彼女の大雑把な動きに微細な調整を加える、というものだ。
無意識下でやるには凄まじく高度なことではあったが、コーラルによって拡張された人類の新たな可能性はこれに応えてくれた。これには傭兵支援システムもニッコリだろう。
とにかく、2人で色々と試した結果。
「ナインの補助があれば」「短時間のみ」という条件付きではあるが、617は自分の意思で、自由に歩行することが可能となっていた。
『……ウォルターに知らせれば、喜んでいただけるでしょうか』
【ああ、ウォルターなら喜ぶさ。涙を流すまであるね】
……しかし、それはそれとして。
ウォルターやハウンズたちによって定期的に動かしてもらってはいたものの、617の脚の筋肉は、真っ当な人間に比べればかなり衰えている。
やはり歩行は負担だったのか、コックピットで腰を落ち着けた617は、ふぅと小さく息を吐いた。
【617、お疲れ様。……明日も苦労をかけるが、頑張ろうな】
『了解。617は頑張ります』
健気な首肯に、ナインはむしろ申し訳なくなる。
彼の感覚からすれば、こんな狭いコックピットに何日も閉じ込め、外に出る際には不慣れな歩行をさせるというのは、なかなかに心無い労働のように思えたからだ。
【腰とかお尻が痛かったりしないか? 大丈夫?】
『ACのコックピットは人の体に優しい設計になっている、とウォルターが言っていました。
人体こうがく……? によって、この内部に籠ったまま1年が経過しても健康を害さないデザインになっている、と聞きました。
実際、617の体には、短期的な疲労はともかく、長期的な疲労の蓄積は感じられません』
【うおぉ、そういう話聞くと近未来感がすごいな……】
『ナインが警戒してくれるおかげで、睡眠を取る際にしっかりと休めることにも起因すると考えます。改めて感謝します、ナイン』
【そこはサポーターだからな、任せてくれ。なんか全然眠くならんし、俺は寝なくても大丈夫っぽいしな。……いや我ながらなんで?】
それから、ナインとしばらく会話を交わした後。
617は、唐突に自らのパイロットスーツを脱ぎだした。
この脳内共同生活も、もう10日以上続いている。
ナインはいつものように驚きつつも、咄嗟に収集する情報を大幅にカットし、平静を装った声を上げた。
【……617、体を拭く時は一言くれ。もう何回言ったかわからないが】
『留意します』
主に傭兵や運び屋に用いられる、体を清潔に保つためのウォッシングシートを取り出し、617はそれで自らの裸体を拭き取り始めた。
この状況では入浴は叶わないので、せめてもとナインが行わせていることだった。
このシートはパッチから購入したもので、617は習慣にないその作業に首を傾げていたが、ナインが強く推奨したことで毎日のルーティンにそれを組み込むことを了承。
しかし以後、617が思い出した時、割と唐突に彼女がスーツを脱ぎだすので、ナインは大いに困っていた。
一方で617は、少し刺々しくなり、2本の腕を模しているらしい部位で目(にあたるであろう部分)を塞ぐという、なんとも人間らしい動きをする赤い光を見上げて言う。
『617は、ナインになら裸体を見られても問題ないと判断しますが』
【っ……いや、信頼できるって言いたいのはわかるけど、それでも女の子としてそういうのは……本当に信じられる相手にしかしちゃいけないぞ】
『では、ナインには見られても問題ないと判断します。617はナインを本当に信じています』
【ねぇ本当にどうしたの? なんか最近ちょっと信頼感バグってない?】
ナインは困惑する。
思わず目を塞いでいた(塞げていなかった)手を組んで、考え込むくらいに。
如何に情緒が薄く純粋とはいえ、この前の作戦以来、617から向けられる信頼と好意は異様に高いようにように思えた。
ナインが言ったことはなんでも二つ返事でやってくれるし、疑ったり躊躇うことも殆どない。
パッチに会うことだって、彼女からしたらかなりのリスクがあるはずなのだが、ナインが提案したら『了解しました』と即答で頷いてくれた。
それに、パッチから買ったレーションを食べる時なんかは、未だナインが実体を伴わないという認識が薄いのか、『おにいさま、半分差し上げます』と言ってきたり。
それどころか、ウォルターや他のハウンズとの、恐らくは彼女にとってとても大切なはずの思い出を、微かに楽しそうな感情を乗せて話してくれたりもした。
以前のように「協力者として信じる」という距離感ではなく……。
なんというか、もっと強い信頼を向けてくれてるようにナインには思えた。
それこそ仲間や家族のような、もっと言ってしまえば無二の相棒……あるいは、自意識過剰かもしれないが、愛する相手に向けるような。
そんな、特別な信頼感のようだと、彼は感じたのだ。
信じてくれること自体は嬉しいが……ナインとしてはそれ以上に、何故そんな想いを向けられているかが気にかかった。
いや、あのミッションでオペレートをしたり、死にかけた彼女を助けたりはしたが……。
ちょっと助けたくらいで相手を信頼するとか惚れるとか、そんなことはありえないだろう、というのが、2000年代の日本で育ったナインの常識だった。
【……617、尋ねていいか】
『了承します。どうぞ』
ナインはてきぱきと小さな体を拭いた後、もう1枚のウォッシングシートでパイロットスーツの方も清掃し始める。
感覚の端が捉えた彼女の手付きは、清潔に保とうというよりは、業務的にこなそうという意識が窺える動き。
だが、それでも真面目にやってくれている分ありがたいと思いながら、ナインは尋ねた。
【君は先日より、俺を「おにいさま」と呼ぶ。それは何故だ?】
『ナインはおにいさまだからです』
【…………?】
ナインは存在しない首を傾げる。
もしかしてアレだろうか。適切な翻訳がされていない感じだろうか、と。
自分は617に憑依して以来、何故か──彼女の脳内にあったこの世界のコーラルと合流し、知識を共有したからなのだが──こちらの言葉が使えた。
彼は何故こちらの言葉を話せるのかを理解していない。
他の色々なことと同じように、「何故かできてしまう」という摩訶不思議な感覚だ。
だからこそ、もしかしたら「おにいさま」という単語は、自分の知る「お兄様」とは別で、自分の脳が正しい意味に解釈できないこちら特有の言い回しなのだろうかと、そう疑った。
だからこそ、次いで尋ねる。
【その、「おにいさま」とは、どういう意味の言葉なんだ?】
『お答えします。「おにいさま」は記憶喪失の「おひめさま」が窮地に陥った際に現れ、「おひめさま」を助けてくれる存在の呼称です』
【……ええと。それは何から得た知識?】
『ウォルターに眠る際に読み聞かせていただいた本です』
ナインは絶句した。
ハンドラー・ウォルターは、どうやら彼女を大層可愛がっていたらしい。
それこそ、愛娘か何かと思っているのではないかと思える程に。
いや、まぁいい。それはナインの想定内ではあった。
ウォルターは優しい男だ。もしも奇跡的に617が生き残れたら社会復帰できるようにと、情緒の育成を試みてくれていたのだろう。
それ自体は全くもって問題はない、むしろ歓迎すべき事実だ。
問題は、だ。
その情緒教育が、半端な段階で終わってしまっていることである。
しかし、何と指摘する?
下手に言えば、ウォルターを否定されたと思われ、せっかく築いた信頼に傷が付きかねないし……。
何より彼女をあまり悲しませたくはない。ナインとて、この10日余りで、この少女に少なからぬ愛着を覚えているのだ。
故に、ナインは考えに考え……。
【……まぁ、君が俺をそう呼びたいのなら、いいか】
結局、それを認めた。
せっかく仲良くなった女の子と仲が決裂するのは普通に嫌だし……。
何より、彼はそもそも、617を安心させられる関係性をこそ作りたいと思っていたのだ。
始まり方に歪さや性急さこそあれ、「自分を助けてくれる存在」「この人と一緒にいれば大丈夫」と思ってもらえるのなら、それは望むところだった。
……そして、そんな彼が気づいていないことではあるが。
『はい、おにいさま』
実のところ。
「ちょっと助けたくらいで相手を信頼したり惚れたりするわけがない」という彼の考えは、殊この状況に限って言えば、間違っていた。
そもそも彼がそう思うのは、彼自身が命を失う瞬間に立ち会ったことがないからだ。
自らの命の喪失。それがどれだけ苦しいのか、辛いのか、悲しいのか、怖いのかを知らない。
そして、617の場合は、特にその絶望と渇望が顕著だった。
彼女は強化手術で全てを失って以来、自らの命に価値を見出せていなかった。
しかし、ウォルターに買われ、彼やハウンズと過ごすうちに、少しずつ自分というものを取り戻していき。
それが芽を出すその時に、死にかけ……そこをナインによって救われた。
言うならば彼女は、ハンドラー・ウォルターによって命を与えられ……。
ナインによってそれを守られ救われた、と言っていいだろう。
一度目は、まだ絶望が薄かった。
ようやく淡い感情を取り戻し、感情を取り戻した瞬間に死にかけ……ナインによって救われて、それに確かに安堵して。
二度目は、渇望が顕著だった。
ようやく自分の命と未来に意味を見出し、それが失われる喪失の大きさを理解して、大切な人に二度と会えないことに恐怖して……それを、口に出すことができて。
その死の恐怖を、仲間たちの仇の象徴を、ナインは無傷で討ち取り、彼女を守ってくれた。
そこまでされれば、蘇りつつある617の情緒がまだ幼いとはいえど、絶大な効果を果たすには十分であり。
……言うならば、だ。
ただでさえ強化手術によって焼かれた617の脳は、ウォルターによって丁寧に修復された直後、ナインによって再び(別の意味で)焼かれたのである。
「……♪」
617は今、ウォルターが見ればその目を大きく見開く程に、柔らかな表情を浮かべていた。
617が買われてすぐの頃にウォルターが語った、617のお気に入りの物語。
そこで出て来る、困った「
それをナインが受け入れてくれたことに対し、彼女の胸は、とくんとくんと、高鳴っていたのだ。
……とはいえ、1つ、残念なことを挙げるのなら。
【……?】
その原因となった脳内サポーターは、未だ617のことを多くは知らないがゆえに、その微妙な表情の変化に気付くことはできなかったのだが。
読み聞かせウォルター「そうして王子様は……」
買われたばかりの脳焼かれ喉潰れ美少女617「お……にー、さま?」
優しいパパ「……ああ、そうだな。お兄様はお姫様に……」