ヘルエスタ王家に仕えるヒヨコの執事セバスの視点から、宮廷外交とヒヨコ族の暗躍を描きます。
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【あらすじ】(結末まで含む)
ヘルエスタ王国に仕える執事セバスは、ヒヨコである。彼はお仕えする姫は、リゼ・ヘルエスタ。文武両道の誉れが高い姫だが、社交だけは苦手である。
姫は公務として、国王と大公の謁見に立ち会う。大公は有力な貴族であり、国王の政策とは対立関係にある。謁見の最中、リゼはちょっとしたやらかしをしてしまうが、何とか無事に乗り切る。
自室への帰り道、リゼはセバスと会話し、大公の公子が自分の婿の候補であると知らされ、驚く。セバスは、政略結婚は皇族の義務だとリゼに諭そうとする。しかしセバスの意志とは裏腹に、そのクチバシはリゼ個人の幸せが第一だと主張してしまう。セバスは困惑して会話を打ち切るが、リゼはセバスの優しさに喜ぶ。
王の書斎では、侍従長であるニワトリと国王が対等に会話をしていた。侍従長はヒヨコ族の女王である。ヘルエスタ王家の初代女王と盟約を結び、王国を陰で支えてきたのだった。ヒヨコの女王は千年続いてきた盟約を確認し、彼女の一部であるセバスとしてリゼに付き従う。
王城の一室で、私は姫様をお待ちしている。王家の姫君のお側仕えたるもの、誰も見ていない今のような時も、威儀を正しておらねばならぬ。私は背筋を伸ばし、
私の名はセバスチャン・ピヨードル。ヘルエスタ王家にお仕えし、お身の回りの世話にあたる侍従団の一羽にして、姫君付の執事である。机に乗っているのは、床の上では姫様とお話ししづらいからだ。私の身体はティーポットほどの大きさなのだ。もし私の姿を見るものがいれば、品のいい机の上に立つ、典雅なヒヨコの姿を認めるだろう。ヘルエスタ王家の方々は無論人間だが、その侍従団は、みな我が同胞ヒヨコ族だ。
窓の外から野鳥の声が聞こえる。我ら一族と異なり、知恵をもたず、人語も介さぬ者たちだ。時刻は朝である。
我が姫君、リゼ・ヘルエスタ第二皇女の朝は早い。夜明け前に起床し、城の園庭を走りこむのがご日課だ。私室に戻って手早く朝食を召しあがられ、今は午前の公務に向けて、隣室でお召し替えの最中だ。
公務がない日は、騎士のいで立ちで
ラムダ神話と呼ばれる建国の伝説によれば、ヘルエスタ王家の始祖は、命と引き換えに民を救った勇者だったと伝えられる。その末裔に相応しく、王家の子女は、男女を問わずに厳しくご養育される。それでも、これほど精励されるのは我が姫様だけだ。
現国王には三男二女がおわし、姫様は順序でいえば四番目のお生まれである。しかし、その英邁さは際立っている。女の身で、剣をとっては近衛の精兵を悠然と倒す武技。文事といえば、法律百般に通じ、ラムダ神話や諸々の古典を諳んじる教養。御年十五歳にして、文武両道の誉れ高き姫である。
もしこの姫様に足らぬところがあるとすれば、それは…。
「セバス、お待たせ」
水晶のようなお声が私を呼んだ。お召替えを終えた姫様が、隣室からでてこられたのだ。
今日も麗しい。肩にかからぬあたりで切り揃えられた白銀の御髪おぐしは、光の加減によって水色にも見える、世にも稀な美しいお色だ。真っすぐなお心を映すように澄んだ瞳は紫。可憐な中にも知性を感じさせる、花のかんばせ。日々の鍛錬で引き締まった御身を包む、本日のお召し物は紫紺。紫紺の…。
私は血相をかえて叫んだ。といっても、私の頬は黄色い羽毛で覆われているので、たとえ赤や青になっても人には分からないが。
「ピピィ! リゼさま、今日は正装ですっピ!」
私の言葉に『ピ』とつくのは、ヒヨコ族が人語を喋るときに避けえない訛りだ。私ほどの者にも、ヒヨコの喉に人語は簡単ではない。なにせ本来、我らヒヨコ族は言葉を声に出す必要がない。
「え、だから正装だけど…」
何がおかしいかと、リゼさまは自身のお召し物を見直された。
上衣は紫紺の立襟。金モールの肩章を飾り、胸元には皇族のみに授与される数種の勲章を下げている。帯に金拵えの短剣を佩き、白羅紗の長袴スラックスだけは、短めの飾りスカートが付いた専用の品だ。磨き上げられた黒革の長靴ブーツが勇ましい。
どこからみても一分の隙も無く、美々しい正装ではある…近衛兵の。
「どこの姫君が軍礼装で謁見に立ち会うっピ! お姫様は
「えええええ!?」
姫様は悲鳴をあげ、私はため息をついた。姫様の唯一に近い弱点はこれである。文武の修練に熱を注ぐあまり、社交会の常識と経験が欠けておられる。周りの者がお助けせねばならぬのに、着付け係の侍女は何をやっていたのか。これだから人族は、連絡が行き届かなくて困る。
「後で侍女長にも言っておきますっピ」
「待って。いい。私が頼んだの」
姫様は暗い顔でおっしゃった。目下の者をかばわれるのは、癖のようなものだ。この世に起こるあらゆる失敗は自分の責任だとお考えになる、そういうお方である。
「仰せの通りに致しますッピ。早くお召し替えを、いや、ピピ…」
察するところ、そろそろ下級貴族の方々から順に、それぞれの休憩場所から出始めれたころであろう…。まさにそのようである。姫様に遅刻の恥をかかせるわけにはいかない。皇族の衣装としては異例でも、軍礼装は格からいえば非礼ではない。修行中の身ゆえの質実な装束という体で、通せぬことはあるまい。
「もうお時間ですっピ。控えの間にお運びくださいっピ」
「いいの?」
「致し方ありませんっピ。でも」
私は机の上から飛び立ち、パタパタと羽を動かして、棚に降りた。侮るなかれ、ヒヨコ族は(短い距離なら)飛べる。小箱をくちばしで開け、中身を咥えて取り出す。羽で箱を閉めると、また飛び上がり、今度は姫様の御髪の上に着地した。
ここは私のお気に入りのポジションだ。ぽかぽかと温かく、いい香りがする。だが今は楽しんでいる場合ではない。
「これだけお召し下さいッピ」
私はクチバシにくわえたティアラを御髪おぐしにさした。また羽を動かし、姫様のまわりを飛び回って、何もかもが整っていることを確認する。
「今日も、この世の誰よりお美しいですッピ」
「ありがと、セバス」
姫様はにこりとされた。このように柔らかくお笑いになるのは、私に対してだけである。それが嬉しくもあり、残念でもあった。
「さ、まずは控えの間ですッピ。ご説明は道々で致しますッピ」
姫様はうなずいて、歩き出された。水色がかった銀髪がゆれる。私は肩に飛び乗ってお供した。非力なヒヨコの身なれど、私がリゼ様をお守りするのだ。政治の世界では、武技ではどうにもならぬ困難が我が姫を待ち構えている。
謁見の間まで列席者をご案内するのは、我らヒヨコ族の侍従団の務めだ。廊下を歩む姫様の肩に乗ったまま、私は本日の謁見に備えたご進講を始めた。
「本日の謁見は、姫様のほか、東部の有力諸侯が立ち合いになられるッピ。順番に申しますと…」
私は列席する諸侯の名前や爵位をあげて、姫様のご記憶を呼び起こした。諸侯には暗黙の序列がある。爵位が同じなら旧家が上、家格も同じなら高齢の方が上である。
「今ごろは、下座の方々から順にご案内している頃合いですッピ」
より貴き方を待たせるのは非礼にあたるからである。かといって、より上位の方を控室で長くお待たせしたのでは、やはり失礼だ。
ではどうすればいいのか? そこが我ら侍従団の腕である。方々が王城にご到着されると、まずは爵位に応じた休憩室にご案内する。同格でも不仲な方々は当然別の部屋だ。方々が一息つかれた後、退屈される前に、係のヒヨコがご案内にかかる。各休憩室の位置、謁見の間までの歩みの速さ、使う道筋まで、全て計算されている。我らの案内に従うだけで、方々が謁見の間に着かれるときには然るべき順番である。ご不快に思われる方は誰もいない。
そのような社交上の配慮が、王家には必須の手管なのだ。なんとなれば、近年、急速に増えたとはいえ、王家の直轄領は国土の三割に過ぎない。ほかは貴族諸侯の領国である。各諸侯領は独自の法と税をもち、下級貴族、騎士、従卒からなる軍を招集できる。彼らは自分たちの領主に仕えているのであって、国王に仕えているのではない。そのような封建の国制なれば、諸侯と良き関係を結ばぬ限り、王家といえども安泰ではいられない。
特に重要なのは、複数の諸侯をまとめられる高級貴族との関係だ。
「今日の謁見者はイーズ大公と公子閣下ですッピ。イーズはご存じですッピ?」
「西ヘルエスタの名家だよね。大公爵だから大身で。その公子がお目見えを頂くんだから、お世継ぎの披露でしょ?」
姫様はすらすらとお答えになる。跡継ぎに王のお目見えを受けるのは、子だくさんの貴族がお家騒動を避ける手段である。諸侯が忠誠を捧げ、王はかわりにその領土と継承を公認する互恵関係だ。さすが姫様、基本はおわかりのようである。問題はここからだ。
「よくお分かりですッピが…。今回大事なのはイーズ大公のお立場ですッピ」
姫様は眉間に皺をよせる。そのような表情でも愛らしさが損なわれないのは、この皇女様ならではだ。私はお答えがないことを確認すると、ヒントを申し上げた。
「東ヘルエスタには公爵より上の家はもう残ってないッピ。みんなお取り潰しや、格下げになったッピ」
不行跡、悪政、反乱や暗殺の陰謀など、諸侯のあらゆる悪行を探知しては、国王は彼らの位を下げ、領地を削り、その力を削いでこられた。東部に残っていた建国以来の名家はことごとく失墜し、小さな替地に追いやられた。
「いまは兄上と姉上が治めてるところだよね」
姫様の二人の兄君と一人の姉君が王城におられないのは、旧大貴族領に総督として赴任されているためである。
「その通りですっピ。東部の主な平野は王家の直轄領になったッピ」
現国王が強力に推進している、王権強化策の一環だった。
「私も、いつか父上のお役に立てるのかな」
御幼少の第三皇子を別にすれば、いまだ修行中の皇族は我が姫様お一人である。
「姫様はラムダの勇者のように強く、初代女王のように賢いですッピ。ゆくゆくは立派な総督にも、女王様にもなられますッピ」
ヘルエスタの継承法は独特である。相応しい年齢の皇族の中から、性別も生まれ順にも関わりなく、最も王者に相応しい者が次代を継ぐと定めている。命と引き換えに災いを鎮めた伝説の勇者を称え、その娘を推戴して始まった国ならではの、実力主義の伝統だった。
ならば、文武両道のリゼ様こそが次代の女王にふさわしいと、私は確言してもいい。しかし、私の賞賛に、姫様は少し困ったお顔をされた。分かっている。この姫が真に欲しておられる賞賛は、私からのものではない。
「ありがと、セバス」
「姫様にあと足りないのは社交のご経験だけですッピ。まずは今日の謁見をうまく乗り切ることですッピ。剣のお稽古のように臨むんですッピ」
姫様はうなずいて、続けられた。
「西部の旧家で大領主だもんね。いい関係でいなきゃ」
なかなかだが、今一歩足りない。
「どころではないですッピ。大貴族の解体、次は西部の番だと、誰でも思ってるッピ」
ここまで申し上げると、姫様はご理解されたようだった。
「父上を恐れてる? 他の西部の諸侯も…」
私はピ、ピと相槌をうち、後を続けた。
「西部が反乱すれば、その盟主は十中八九までイーズ大公ですッピ。姫様、ご油断あるな、その短剣、刃は引いてあるッピ?」
謁見の間に勢ぞろいした一同が直立して敬意を示す中、国王陛下と王妃殿下が入室された。通常の床よりも二段高くなった上座に、両陛下の…否、陛下と殿下の椅子が置かれている。我が姫様はその一段下に侍立される。私は引き続き、姫様の肩の上だ。
陛下の後に続き、典雅なそぶりで入室し、玉座の横にひそと侍るのは、侍従長である。無論、ヒヨコ族だが、侍従長だけは真白きニワトリのお姿である。黒のチョッキと蝶ネクタイを召されている。赤い
私は玉座の正面に目をやった。片膝を屈して平伏する二名の謁見者。イーズ大公とその公子である。お二人とも、直に見るのはこの私にとって初めてのことだ。
イーズ大公の風貌は、名家の当主という肩書をまったく裏切るものだ。つややかな
が、それがこの大公の手なのだと、私は察した。大公の目の奥には底知れぬ知性がある。情けない小物ぶりは、敵を作らず、侮らせるための
対して、公子の方は、活発そうな普通の少年である。御年は十三歳と聞いている。年齢相応のあどけなさがあり、緊張を隠せていない。最初に挨拶を言上するのは、当主のイーズ公ではなく、謁見者たる公子の手筈である。
「国王陛下、ご機嫌麗しく。女王陛下におかれましても、ご機嫌麗しく」
震える声で言った公子の言い間違いに、室内の空気が冷えた。
国王の配偶者を王妃ではなく女王と称し、共同統治の建前をとるのはヘルエスタ王国の長い伝統だ。しかし、その伝統は昨年廃されたばかり。今は、君主たる国王の配偶者を王妃殿下とお呼びする。もし将来、女王が君主に立てば、その配偶者は王配殿下と呼ばれる。君主権はただ一人のものと明示する、やはり王権強化政策の一環だった。
イーズ公は、赤ら顔を青くし、かいた大汗をぬぐいながら、平謝りに謝った。いや、見た目だけはそのようだった。
「いや、これはとんだ失礼を申し上げました。田舎の若造の礼儀知らずと、どうかお笑いくださいませ。イーズは王都から遠く、もの知らずが多くございまして。いまもって、西ヘルエスタは女王のお膝元だとか、川向こうは別の国だとか申す、無学者ばかりでございます。いやはや、お恥ずかしく、何ともはや…」
かつて西部は、ルーガ王国なる別の国だった。数百年前、その女王が、当時は東部だけを治めていたヘルエスタ国王と婚姻し、二王国が合邦してできたのが現ヘルエスタ王国だ。国王と女王の共同統治を建前としてきた
歴史を忘れるな。西部を疎かにすれば、再び独立の旗を掲げるぞと、大公はへりくだりながら脅迫しているのだった。
国王がお怒りになるか、それともお許しになるかと、立会の諸侯は固唾を飲んで玉座を伺った。
しかし、方々のご心配に相違して、国王は全く陽気なそぶりだった。大公の言葉の裏になど、まるでお気づきではない鷹揚さ。そのように誤解する諸侯がいても不思議ではないほどである。
「なに、口慣れた言葉は、ついと、でるものよ。立派な公子どの。凛々しき面立ちをしておる」
王は満足そうに頷かれ、末は虎かドラゴンかと褒めそやした。諸侯は密かに安堵の息をついた。
「大公、わしにも息子があるが。いかがか。若い頃は五体を鍛えさせ、人並みに苦労させるのが息子のためではないか」
のう、左様ではないかと、王は朋友に尋ねる親しさで仰った。
大公はさらに恐縮した様子で応じる。
「ええ、いかにもその通りと存じます」
王は我が意を得たりとばかりに頷かれた。
「ならば、どんなものであろう。公子どのを、近衛隊に出仕させる気はないか。なに、一時のことよ。大事な
大公は顔を伏せたまま、ははあ、と驚いたような声を挙げた。私の耳には、演技と本音、虚実相半ばというところに聞こえた。
本音で驚いたのは立ち会いの諸侯たちである。彼らの子弟も多く近衛隊に入っているが、たいていは次男以下だ。世継ぎを出仕させているものはいない。要は、相続のときに領地が分割するのを避ける、体のいい厄介払いだった。王家は独自の兵力を、諸侯は領土の保全を、厄介払いされた子弟たちは終身の恩給と名誉を得るのが、近衛隊の仕組みだった。
大公が平伏したまま、王の御意に奉答を畏れるそぶりをしているのは、打算を考えているのだろう。そこに追い討ちをかけたのは王妃だった。
「それは良いご思案です。娘も、女だてらに近衛に入り混じって修練しておりましてよ。公子どのがおられれば、よき話し相手と喜びましょう」
ねえ、と王妃から急に水を向けられて、姫様はどぎまぎとされた。
「ええ、それはその、ええと」
このような時、何事か分からぬことを、小声で仰るだけになるのは、姫様の数少ない欠点だ。私はすぐさま、他に聞こえない小声でもって、お耳に助言を吹き込んだ。
「『本当にそうですッピ。私も楽しみですッピ』、そう仰るッピ」
姫様は私を信じてくださる。あるいは考える余裕がなかったのかもしれないが、何も疑わず、そのままの言葉を繰り返された。我が姫様だけが持つ、水晶のような声が響く。
「ほ、本当にそうですッピ! ピ!?」
恐ろしいほどの沈黙が落ちた。しかし姫様は構わず、何とか後を続けられた。あるいは自棄やけを起こされたのかもしれない。
「本当にそうです! 私も楽しみです! 本当です!」
獄卒に問い詰められた犯罪者が自白するように叫んだ姫様の後を、すかさずお救いになったのは王妃様だ。いかにもおっとりとした声音で空気を変えた。
「そうよねえ。リゼもこう申しておりますわ」
そのあとは国王陛下が続けられた。
「左様よな。のう、大公どの。」
ついに大公は意を決し、顔を挙げながら奉答した。
「もったいなき仰せにございます。何事も御意のままに。我が倅でよろしければ、謹んでお仕えさせるでありましょう」
満足げに頷いた王が口に出されたのは、最後の追い討ちのカードだった。
「よう申してくれた。公子どのに不便はさせんぞ。兵舎暮らしではのうて、城下に屋敷を用意させよう。ヒヨコ族を執事につけるつもりじゃ」
陛下は玉座の脇の侍従長に目をやられた。
大公が一瞬だけ演技を忘れて目を剥いたところを、私は見逃さなかった。ヒヨコ族を執事として下賜されるのは皇族か、東部の有力諸侯、その当主に限られてきた。
「ご入用とあらば、大公どのの屋敷にも一羽。きっと役に立つと思うがの。方々、いかが思われる」
と、陛下は立会の東部諸侯に水を向けられた。
「これは羨ましきお話。ヒヨコはよく働いてくれますぞ。一羽おれば、物事を忘れることがなくなる」
「いかさま。我が家など、財産の管理まで執事に預けております」
「我が家もです。おかげで安楽な都暮らしというわけで」
呵々かかと笑った公爵たちは、かつて浪費癖と借金で家を傾けたことで知られている。
一族を褒められた私は、鼻高々の思いである。ヒヨコだから鼻はないのだが。
諸事に抜かりない我らを執事に持てば、家政の万全を約束されたのと同じなのだ。おまけに人と異なり、給料が要らず、非力で、背く心配もない。
だが、ヒヨコ族の育成は王家の御料牧場でしかできず、数がごく限られている。それを一度に二羽も下賜されて、イーズ大公の喜色は、半ば以上まで本音であるように見えた。
「畏れ多きの極みにございます。謹んでお受けいたします」
国王陛下は手を叩いて喜ばれた。
「よし、よし。目出度き日じゃ。ここでは肩がこる。大公、昼食をともに致そう。皆とは夕の宴で、色々に語らおうではないか。では、大公。方々。ご苦労であった」
一同が礼をすると、国王陛下は王妃殿下を伴われ、上機嫌にご退出された。その後を、白い尾羽を優雅に振りながら侍従長がお供する。尾羽の先が見えなくなると、私は退出の頃合いを姫様の耳にささやいた。
姫様が肩の上の私にご下問になったのは、私室への帰り道である。
「父上はなぜ、ああも急がれるの?」
「どういうことですかっピ?」
「とぼけないで」
私は諦めて、正直にお答えすることにした。
「イーズの跡継ぎは公子お一人ですっピ。王都に迎えてしまえば、妙な動きはできなくなりますっピ」
人質、という言葉を私は避けた。貴顕への礼儀は知っている。
「それが露骨過ぎるんじゃないかってこと」と、姫様は形の良い眉をしかめられた。そんな表情も麗しい。
「断ろうと思えば、大公にも名分はあったッピ。だから陛下から下手にでて、先の楽しみで懐柔なさったんですっピ。大公も分かって乗られたっピ」
双方納得しての手打ちだから、姫様の懸念...追い詰めすぎて反乱を誘発することにはならないと、私の説明を生々しく言いかえればそうなる。
「うーん」
姫様が考え込む間、私は黙って待った。今日を契機と、姫様は学ぼうとなさっておいでのようだ。
「やっぱ分からない。先の楽しみって?」
そこか、と私は困った。大諸侯と君主の微妙な関係は把握されても、その辺りはピンと来ないらしい。
「リゼ様が近衛隊によく顔を出されるのは有名ですっピ」
「それが? 新兵の教育は係がやるから、私は関わらないと思うけど...」
「関わらせる、と陛下は仰ったのですっピ」
「なんで?」
私は頭を抱えたくなった。もっとも我ら一族の羽では、文字通りそうするには長さが足りないのだが。
「先々、公子殿下を姫様のお相手にするかもという匂わせですっピ」
「私の? 無理だと思うけどな。腕、細そうだったし…」
「誰が剣の立ち合いの話をしてるっピ!」
他の事なら一を聞いて十を知るお方だが、私はもう諦めて、一から十まで説明することにした。
「今の流れでお相手といえばご結婚に決まっていますっピ! 人質にする代わりに、姫様のお婿候補にもするっていう取引ですっピ」
十五歳の姫と十三歳の公子なら、直ちに婚約してもおかしくないお年である。リゼ様は目を丸くして、言葉をなくされた。私はさらにご説明を続ける。
「うまくいけば大公は王家の縁戚で、もしリゼ様が即位なさったら外戚になれるっピ。陛下は大公家に害意がないとをお示しになったっピ」
一から十まで聞いた姫様は、たいへんに珍しいことに、まだ唖然とされていた。
「結婚...私が? あの子と」
急速に思い詰めたお顔になられたので、私は慌てた。このような時だけは姫様の真面目さに困ってしまう。
「ただの“匂わせ”ですっピ。本当にそうなると大公が強くなり過ぎるっピ。いまは双方の面子を守る方便が要るんですっピ」
封建領主、特に大貴族は板挟みである。大公が人質を出して安全を買おうとしても、そのせいで地元の声望を失えば、自分の下にいる貴族たちを統制できなくなる。
そこで、姫様の婿候補だと匂わせれば、誰の顔も潰さずにすむというわけだった。人質を出して、大公の地元での権威はかえって増大するはずである。一方の王都では、イーズ大公がついに国王に平身低頭し、大事な公子を差し出したと語られる。誰も不幸にはならず、全員が安全でいられる。
姫様はようやく理解されたようだったが、しかし悲しげに仰った。
「わかったけど...私じゃ無理だと思うな。合わないよ。あの子、明るい子っぽかったし」
私は肩から落ちるかと思った。明るい、というのが減点評価になるとは、どういうことであろう。姫様は物憂げに尋ねられた。
「結婚、しなきゃいけないのかな。いつか」
それはそうである。貴族にとって結婚は家の都合でするもの。まして皇女の婚姻は国家の政略だ。本人の意向が全く無視されるわけではないが、重視されるわけもない。
また、しかるべき相手と結ばれ、子を成すのは貴き義務である。相手の好悪など二の次で、努力によって補うべきところだ。姫様も十五歳になられるからには、婚姻においても義務が第一だと、そう心得ておいて頂かなければなるまい。
「もちろん、姫様のお気持ちが第一ですっピ。お気に召さない相手と添われることは絶対にありませんっピ」
…あれ? 私は自分の言葉に違和感を覚えながら、クチバシを忙しく動かした。
「もしお気に添う相手を見つけられれば、誰であれその方を選ばれるべきだっピ。でも、好きでもない相手と無理にご結婚されるくらいなら、気楽にお一人でお暮しになった方がいいっピ。」
説諭を続ける私を、姫様は困惑しきりというお顔で覧になった。
私も動揺する。いま何を申し上げた? 王家にそのような自由があるはずがない。国家が平穏でこそ、王家もご安泰というものではないか。一番大事なのは国事。そう。
「一番大事なのは、姫様のお幸せですっピ。…ピ? ピピ?」
私の心が私を裏切っている。不思議というほかない。最も不思議なのは、私がこの説諭に心から確信をもっているらしいことだ。
私は内心の奥深くから響く、不思議な声を聴いた。
<…ゼ……て……る……>
私は何を考えている。この思念は何だ? これ以上、誤りを申し上げるわけにはいかない。私はこの会話を急ぎ打ち切ることに決めた。
「い、今すぐどうこうという話じゃないと、そう言いたかったのですッピ」
姫様がどうお思いになったか、しかとは分からない。ただ、にこりと微笑まれたことは確かだった。
「ありがとう、セバス」
我々はやがて姫様の私室に着いた。さて、今度こそ間違いがあってはいけない。
「さて、お疲れ様でしたッピ。一休みして、ご昼食を。次の公務は夕の宴席ですッピ。もちろん服装は…」
リゼ様は人差し指を立て、私の言葉の先をとられた。
「お姫様らしく。
私は直ちに言い返す。
「
姫様はくすりとお笑いになった。
「油断しちゃダメって執事が言うからなー。剣も持っていっていい?」
「リゼ様!」
御冗談のセンスについて、今後一層の御教育を心掛けねばなるまい。
姫様がお召し替えのため隣室に下がられると、私は己の思念を飛ばして、王宮の状況を把握した。
大公は一休み。やれやれ上手くいったと、安堵のため息をついている。諸侯の控室では、謁見の成功を喜ぶ声、うまくやった大公を羨む声がある。大公に与えられた異例の厚遇について、不平は今のところないようだ。王妃殿下は自室に戻られ、国王陛下はご自身の書斎におわす。
それらの情報は、王宮内で貴顕の方々の傍に今も侍っている、ヒヨコたちの耳目から得られたものだ。これが、代々の王しか知らぬ、我らの秘めた力。声を発せず、距離に関わらず、思念を飛ばして連絡し合うことができる。王宮の取り仕切りに、ぬかりがないのも当然のことだ。
王家が我らを有力諸侯に下賜されるのも、この密かな力の故である。我らを置いた家は、非力なヒヨコと侮り、よく気が利くと便利に使う。次第にあれこれと任せれば、家政はことごとく順調になる。そのかわり、その家の社交、財産、陰謀までもが、知らぬ間に国王へ筒抜けになるわけだった。
交わされる全ての思念を取り仕切るのが、国王付の侍従長。その陰の職は密偵頭である。彼女こそ、我ら族長。母なる全体。
皇女殿下に関する報告のため、私の思念を飛ばし、その尊きお方に合一した。
「姫様はご理解されたようですわ。でも、公子のことはお気に召さなかったみたい。元気な男の子は苦手なのね」
セバスと呼ばれる思念とつながり、『私』がそう告げると、国王はため息をついた。ここは王の書斎。王妃すら、断りなく立ち入ることはできない。代々、この部屋に入ってよいのは、この国の統治者だけなのだ。
「そういう話ではないのだが…。まあ、今はそれでいい。あれには、同じ年の頃との関りが乏しすぎる」
「それはそうね。あなたが言えた義理ではないけど」
私の笑いを含んだ言いぐさに、王は口を尖らせた。手を挙げて、私を机の上からはたき落とすふりをしてみせる。
王妃とすら疎遠になりがちな最近の彼が、このような子供じみた仕草を見せるのは、今や私に対してだけである。昔はそれが嬉しくもあったが、今は寂しいだけだった。
私は白い羽をパタパタと動かして飛び、王のまわりを大げさに旋回して見せた。そして王の肩にとまる。
「ニワトリの子はニワトリというのよ」
「お前の子はずっとヒヨコのくせに」
私は鶏冠の上から被った小さな王冠の傾きを、羽で直した。他の人族は、この王冠がただの玩具であり、一種の冗談だと思っている。
「然るべき時がくれば育つわ。子どもというものは」
私の子どもたちは黄色いヒヨコ姿のまま成長しない。私が寿命を迎えたとき、そのうちのただ一羽だけが姿形を一変させ、真白いニワトリとなる。その姿は女王の証。我らは姿こそ鳥に似ているが、生態は蜂などの群れ成す虫に近い。女王だけが卵を産み、群れを統べる。
代々の女王の思念を受け継げる私と違い、人族の子は生まれるたびに成長と挫折を繰り返す。すぐに老い、また子を成して、死ぬ。健気で哀れな命。
私はそればかりを見てきた。もうたくさんだった。当代の国王のことも、幼子の頃から知っている。その決意も。
「リゼが王位を継ぐ前には、間に合わせるつもりだ」
「つもりでは困るわ。私たちはイーズの大公まで降した。邪魔者はもういない」
国内には、という言葉を、私は飲み込んだ。気にしても仕方がない。かつて訪れたオルヴィスの預言者のことは。
「そうだ。後は進めるだけだ」
王と私は、壁に掛けられた
誰も彼も、他のことは都合よく忘れてしまった。英雄が人間であることを。自分たちが何を犠牲にしたのかも。
だが、私は忘れない。今でもあの娘の名も、顔すら思いだせる。
勇者の一人娘。初代女王。しかしその実は傀儡。彼女を担いだ豪族たちの考えは、次なる災いに備え、生贄の血を増やし残すことのみだった。
彼女は玉座の上の家畜。王冠と夫を押し付けられ、子を産み増やすことを周囲から期待され続けた。
あの痩身。こけた頬。すべての希望を無くした紫の瞳。かつて水色にも見えた銀髪は、若くして乾いた白髪になった。
それは私のはるか以前の私の記憶だ。最初の私は、フジの里の家畜小屋で、ただの鶏の卵から生まれた。一羽だけ度外れた知恵をもつ私は、全く孤独だった。殺されぬよう懸命に振舞ううちに、孤独な女王と親交を結べたのは、奇跡のようなものだ。
ある日、度重なる出産で衰えた体を屈め、あの娘は私に言った。
「あなたたちを家畜から解いてあげる。だからお願い。私の子どもたちも、いつか解いて。この定めから」
それだけは若き日から変わらない、澄んだ水晶のような声だった。
はるか昔の私は、羽で彼女の涙をぬぐう。そして答えた。いや誓った。
「必ず、あなたたちを救う。生贄の定めから自由にしてあげる。これは血の盟約。私が死んでも、私の子らがきっと誓いを果たす。たとえ何十年、何百年かかっても…」
私は人の女王の名を呼び、誓いとともに心に刻んだ。
数日後、娘は死んだ。次の王に立てられた彼女の幼子が、奇妙な傍仕えとともに秘密の盟約を継いだことを、他の人族は誰も知らない。
それから千年が経った。まだ誓約は果たされていないが、同盟は不変だ。
私は受け継がれる知識で、人族の王家を密かに支えてきた。我が一族が鶏から派生した魔物だと気付いたのは、しばらく後のことだ。私は人魔の共存を国是とさせ、人語を喋るヒヨコが殊更な注意を引かない国を作り上げた。そして子を増やし、諜報網を張り巡らせた。
数度の失敗と後退を挟みながらも、人の王家はやがて傀儡の身を脱した。現国王の代に至って、あの大貴族どもを粛正したのは快事だった。奴らは先祖の報いを受けた。王権はかつてなく強まっている。
あと少し。あと数十年の時があれば、誓いは果たされるだろう。恐らく当代のうちに。絶対にそうしなければ。
私は友にして同盟者、当代の国王に目を移した。
「このまま進めましょう。我らの誓いの日まで。我が国王」
「言うまでもない。我が女王」
誰か知ろう。このヘルエスタが、人とヒヨコの両王家が共棲する二重の王国であることを。
私は誓いを果たす。千年前のあの父と娘のために。その後に生きて死んだ何十人もの盟友たちのために。助ける。救う。今度こそ、見殺しになどするものか。
私はその名を呼び、変わらぬ誓約を一族の心の深みへ響かせた。
<リゼ。今度こそ、あなたを守ってあげる>
セバスの名で呼ばれる私の一部が、娘の肩にとまる。水色がかった銀髪をゆらしながら、娘は歩みを進める。
私はいつでも、いつまでも、彼女と共にあろう。