こんにちは。『蹄音、高く』を書いている上條つかさです。
ここにたどり着いたあなたは、きっと物語のどこかで、
「えっ、なんでそんな制度があるの?」
「ちょっと待って、この世界どうなってんの?」
……と、ついうっかり思ってしまったことでしょう。
あなたは、まるで映画のスクリーンの向こう側に本当にその世界があるような、ロマンと知識欲の混ざり合った感情が溢れ出す瞬間を味わったことがあるはずです。
その気持ち、わかります。そして、私はいつのまにか、そのロマンを仕掛ける側に回ってしまいました。
さて、今回は「その疑問、全部ちゃんと設定してありますよ」というお話です。
この資料集は、そういう“気になってしまった人”のために用意しました。
物語の裏側で積み重ねてきた、まさに世界の設計図です。
どうしてそんな技術があるのか、なぜそんな制度が成立するのか。
戦争がなかったからこそ何が育ち、何が育たなかったのか——そういう話をまとめています。
たとえば、ラジオがある。
じゃあ送信技術は?
じゃあ回路設計は?
なら電気の利用法は?
それを回す経済の規模は?
そもそも、どうしてそんな技術だけが育ったの?
……というふうに、ひとつの要素を成立させるために、その「前提の前提と関わる物」まで全部作る、というのがこの作品のやり方です。まったく、ややこしい頭を持ったものです。
というわけで、設定がめちゃくちゃ増えました。ここまできたら、もうしょうがない。
でも、おかげであなたはこの世界にリアリティを感じた。
そして今、こうして、ここまでたどり着いた。
だから、ここから先は好きに読んでください。
「なるほどね」と納得しながら読むもよし、
「じゃあ自分ならどう生きるかな」と想像しながら読むもよし。
「いやここは変だろ!」とつっこみながら読むのも、たぶん正解です。
この先、私は余計なことは言いません。伝えたいことは、世界が語ります。
それでは『蹄音、高く』というステージの、舞台裏の奥の奥まで、じっくりとお楽しみください。
どうぞ、お気をつけて。
【世界史概略(古代〜中世)】
この世界では、古来よりあらゆるいざこざがレースによって解決されてきた。
人々が「戦争」をやめたのは古代ローマの時代。ウマ娘の走る姿に魅了されたダレイオス一世が、レースによって争いの決着をつける思想を産んだことに端を発すると言われている。この思想を受け入れたローマ帝国が拡大するに従って、ヨーロッパからは早々に「戦争」の概念が消えてしまった。
勢力圏の拡大に伴って、レースを理解しない異民族との戦いは避けられなかったが、その度にウマ娘達がレースを披露することでいかにレースが素晴らしいものかを啓蒙した結果、その概念は瞬く間に広まった。ユーラシア・ステップに広く薄く広がるウマ娘を中心とする遊牧民によって、レース文化は中国は漢朝を経て遠く日本にまで伝わることになった。
こうして、人々は武器を捨ててレースに熱中できるようになった。もちろん猛獣から身を守るための弓や刀といった原始的な武器は存続し、現在までその技術が受け継がれている。
そしてレースを行うのは私たちヒトと同じ姿形をし、言葉を話し、感情を持つ"ウマ娘"。
彼女らは国家や民族を背負いレースを駆け、その結果によって世界の国々は争いを避けながら、長年の安定と平和を保ってきた。
【世界史概略(近代①)】
近代に入ると、西洋では積み重ねられた悲喜交々の歴史を顧みて、ウマ娘の権利を主張する人々が現れた。「バ権分立」を唱えたモンテスキューや「ウマ娘の権利」を著したジョン・ロックなどが有名である。
17世紀頃、このウマ娘権利派と呼ばれた人々によってウマグナ・カルタが再解釈されて『バ身保護法』が成立した。これは世界で初めて認められた"ウマ娘の走る権利"である。
こうして芽生えたバ権思想(ウマ娘は望むままに走り、誰にもそれを妨げることはできない権利を持つという思想)はすぐにヒトの権利と重ねられるようになる。
主な人バ権を明文化したものとしてはイギリスの権利章典、アメリカのフィラデルフィア宣言、そしてフランスの人バ権宣言が挙げられる。
つまり、ウマ娘には走る権利があるという考えは、今日人権と呼ばれている思想よりも早くに生まれたのだ。
ヨーロッパにおいては、娯楽を提供するためだけにレースが開催されるようになったのも、この頃からだという研究がある。またウマ娘の権利を認めた結果、人々の「権利」を求める熱が加速して後の奴隷解放宣言へと繋がった。
一方東洋では、大航海時代以降、西洋各国がアジアを中心に植民地政策を展開した。しかし暴力ではなくレースによって決着をつけるという先進国の思想は、植民地支配という概念とは真っ向から相反していた。
レースが普及した植民地では次第に宗主国の力が弱まり、ウマ娘を拠り所として民族の団結は強まった。
【近代②レースの制度化】
西洋によってもたらされたレースという文化は民族自決という思想の形成を後押しし、後進各国の独立を強く促した。しかし旧宗主国と植民地の結びつきは強く、旧植民地のウマ娘が旧宗主国のレースに出走するといった光景は現在もよく見られる。
さらに、近代国家の成立によって体系化された教育によって、国を背負って強敵に立ち向かうウマ娘を英雄として扱う土壌が整った。
こうして、明治も半ばに差し掛かろうという頃には現代とほぼ同じ国境線が確定し、もはやヒトは戦争をする目的を完全に失ったかに見えた。
それでもレースによって経済植民地化されてしまったり、国家の主権が脅かされたり、棍棒競争と呼ばれる資源や領土を求めて小国を圧迫するといった事例は後をたたなかった。20世紀初めでは特に一九〇五年(明治三八)五月二七日に行われた日本とロシアのレースが世界的に有名である。日本はこの勝利によって世界にその名を轟かせた。
しかし移動の高速化に伴ってレースの開催数は増え続け、ウマ娘達の疲労は蓄積し、レース界は少しずつ疲弊していった。
そして各国のトレーナーは合議を重ね、一九二〇年、ついに『国際レース連盟』の発足をみる。
国家間のレースを仲裁する仕組みが作られたことで、レースはより平和のために走り出した。
連盟の掲げる「競争の三原則」は以下の通り。
①主権侵害の禁止(レースによって決定される内容が国家の主権を侵害しないこと)
②人バ権の尊重(人権およびバ権を侵害しないこと)
③文化の尊重(開催国のレース文化を尊重して競争に臨むこと)
これらの制定によって、すべての国が平等にレースに参加できるようになった。
さらに、会場は第三国のレース場が使用され、レースは限りなく公平に行われる。
発足にあたり、連盟結成の提唱者であるウィルソンは「ウマ娘は世界を一つにする唯一の結合である」の言葉を残している。
【世界史概略(現代)】
一九四三年現在、世界経済の動きはレースによって決定される。世界レース連盟の加盟国は一八〇を超え、土地を賭けたレースは行われなくなって久しい。それでも為替レート、関税、漁獲量、資源の輸出・輸入量といった海外との貿易に関わる項目については活発にレースが行われている。
ただし、建前は平和的な経済問題の解決、本音は急激な変動は経済の連鎖的破綻をもたらすという理由から、変動幅にはボーダーが設けられている。
資源を輸入に頼っている日本では積極的なレース参加が望まれ、後述するウマ娘総動員法の発布に踏み切ることになった。