蹄音、高く   作:上條つかさ

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幕間

 菜園区に飛行機墜落、登場の飛行士二名負傷──、センセーショナルな見出しをつけた新聞が学園を賑わしてから、二か月が経った。人の噂も七十五ハロンという通り、夏の間に各地に散らばっていた生徒たちが戻ってくるにつれて、学園は普段の落ち着きを取り戻していった。

 

 *

 

 十月七日、十時六分。

 この日も、シプロスはいつも通りに、寮の自習室で趣味の裁縫をしていた。隣では、リーベが数学の参考書と取っ組み合っている。

 

 その時、カランカランと、郵便の到着を知らせる鐘が鳴った。すぐに下級生が飛び出していって、手紙の束を抱えて戻ってきた。こんな些細なことでも、先輩後輩の序列が生きている。三年生になったあたりから意識しなくなってしまったが、自分がしてきたから後輩にも同じようにさせるという、ある種の「文化」は、その片鱗が見える度にシプロスの心をモヤモヤとさせた。

 

 手を止めて思索に耽っていると、不意に「シプロス先輩、お手紙ですよ」と声をかけられた。

 顔を上げると、後輩のエトワルアルモニーが一通の封筒を差し出している。それは雪のように真っ白な、上質な紙で作られた封筒だった。

 

「私に? ありがとう、エトワル」

 隣にいたリーベが、手を止めて覗き込む。

「手紙なんて珍しいわね。誰から?」

 

 シプロスは封筒を検分した。宛名はもちろん自分。宛先には、府中ウマ娘修練学園とだけ書かれていた。裏返して、差出人を見る。

 

「宇都宮航空研究所、サカイトウイチ」と、そこまで読んで気づいた。

「あのパイロットからだわ」

「あらあらあら。あなた、存外手が早いのね」

「マダム・ラピアスの仕業でしょ」

 シプロスは封筒の縁を丁寧に破いた。中には丁寧に折られた便箋が数枚。

「住所なんて書かなくても、学園宛に出せば手紙くらい届くじゃない」

 便箋を開くと、インクの匂いが鼻をくすぐった。

 

「それでそれで? なんて書いてあるの?」とリーベがせかす。

「ちょっと待って」とシプロス。便箋に目を走らせ、お仕着せの時候の挨拶を省いて読み上げた。

 

「“おかげさまで傷の治りも早く、下旬には退院できそうです。もう一度飛べるようになったら挨拶に行きます。本当にありがとう”……だって」

 

「ふうむ。恋文にしてはそっけない内容ね」とリーベ。

「けれどこのわかりやすさが良いのよね。『挨拶に行きます』だなんて」

「あのね。これはただのお礼の手紙なの」とシプロスが諭すが、降ってわいた色恋沙汰に、リーベは止まらない。

 

「傷ついた大鷲に、うら若き梨花の乙女は白き手を差し伸べたりってところかしら? なるほど、事実は小説よりも奇なり。ロマンチシズムの極みね」

「アイリさん?」

 シプロスの耳がきゅっと絞られたのを見て、リーベは渋々と席につき「はいはい。お手紙をいただいて、ようございましたわね」

 

 白けるリーベをよそに、シプロスは二枚目の便箋を開いた。

「“追伸。私の血で、あなたの服や手拭いを汚してしまったと聞きました。為替を同封しますので、それで新しいものを購ってくださいませ”……」

 確かに便箋の下には、薄黄色の紙が貼られていた。その額面は、なんと二十円。

 

「ちょっと、こんなに?」シプロスが思わず声を上げる。

「二十円? 大金じゃない」とリーベの目が再び輝き、「それだけあれば蹄鉄を付け替えて、泥落としのブラシと、錆止め油も買えるわね」と勝手に使い道を考え始める。

 

 そんなリーベを横目に、シプロスは剥がした為替をじっと睨んだ。二十円といえば、一般の月収の四割にあたる。シプロスの小遣いに換算すれば四ヶ月分以上だ。

 そんな大金を、数円の運動服を弁償するために送ってくるだなんて。ウマ娘が古代よろしく絹でも着ていると思っているのか。そうでないとしたら、この人の金銭感覚は大丈夫なのだろうか。

 

「ねえアイリ。パイロットって、みんなこうなのかしら?」眉を形容し難い形に曲げて、シプロスがつぶやく。

「さ、さあ?」珍しく困惑するシプロスに、リーベもかける言葉がなかった。

「でもほら、誠実さだけは、そこらの男よりマシなのではないかしら?」

 なんとか絞り出した答えも、シプロスを納得させることはなかった。その後一日中、シプロスは不満そうな顔を浮かべていた。

 

 *

 

 数日後、シプロスの部屋。

 

「ただいま戻りま……うわっ」扉を開いたカナの前に、突然、真っ白な塊がのしかかってきた。

「カナ? ああ、ごめんなさい」

 すぐに体操服姿のシプロスが退けてくれたので、カナはスカートを直して立ち上がった。

「悪いわね、散らかしちゃって」

 

「なんですかこれ……反物?」

 カナを襲ったのは、丸められた厚い綿布だった。部屋の中はシプロスの机だけでなく、寝台の上にまで裁縫道具が散らばっている。

「そう。肌着を縫うのよ」

 カナが着替える間も、シプロスは大きな鋏を手に、型紙を切り出していた。その大きさからして、明らかに男物だ。

「冬物を、こんなに?」

「仕方ないのよ。貰っちゃったんだから」

 

 シプロスは作業の片手間に、手紙と為替の話をしてやった。聞いていくうちに、カナの表情には感嘆と呆れが混ざっていった。シプロスよりずっと社会経験に乏しいカナでも、二十円がいかに大金かくらいはわかる。

 

「でも、二十円も送ってくるなんて、操縦士ってお給料がいいのかしらね」

 手を止めることなくざくざくと型紙に鋏を走らせながら、なぜかシプロスは楽しげに話していた。

「それにしてもなんというか、豪快なお方なのですね」

「そうね」カナの実直な感想に、シプロスの口角がふっと上がる。

 

 型紙の最後の辺にあたりをつけ、鋏をあてがう。

「もしかすると、ただの世間知らずかも」

 一気に切り落とすと、擦れた刃が、しゃん、と小気味良い音を立てた。




次回、坂井の帰還
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