蹄音、高く   作:上條つかさ

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遺志、匪石之心

 昭和十九年一月二八日、十五時五十五分。

 生徒会室を後にしたアスターが階段を降りていくと、後ろから声をかけられた。

「副会長」

 振り返ると、しっとりとした鹿毛に音楽記号をあしらった耳飾りの、利発そうなウマ娘が立っていた。

「君は?」

 そのウマ娘は丁寧に一礼した。

「音楽同好会の、イノセントグラーヴと申します」

 アスターはその左袖に目を向けた。生徒会の腕章はつけていない。袖章の数字は七一で、同級生でもない。

 安心したアスターは、副会長として完璧な微笑みを浮かべた。

「イノセントグラーヴ君か。それで、用件は?」

「先代のプレストクーレ先輩より、来年こそ予算の増額を得るようにと言伝を受けておりまして、そのご相談に参りました」

 アスターは眉をひそめた。予算委員会は早くても三月。申請どころか、根回しにも早すぎる。

「気が早いな。そういった話は、生徒会長が決まってからにしたまえ。選挙はまだ、告示されたばかりだ」

「存じております。ですから、こうして参上いたしました」

 穏やかな焦茶色の瞳の奥に、決然とした光が灯る。アスターは目線を逸らし、壁に身体を預けた。

「……どうやら君は、駆け引きが下手なようだな」

「私たちはただ、音楽を愛しているだけです」よく通る澄んだ声を波に乗せるように、グラーヴは続ける。

「そこに貴賤はなく、それを愛する人も、また然りと心得ます」

「つまり、予算を増やすなら、私に手を貸してくれる。ということかな?」

「──あるいは」

「結構」と、アスターは再びグラーヴへと向いた。真意を引き出したのなら、あとは味方にする価値の程度を確かめるだけだ。

「私としても味方を得るのは嬉しい。しかし、いち同好会を味方にしたというだけでは、少し弱すぎる。公にはしづらいね」

 グラーヴはさもありなんと言った様子で頷いた。

「ときに副会長殿は、旋律と伴奏の、どちらがお好みですかな」

 その音楽家らしい比喩に、アスターは少し迷った。こちらが上の立場でも、的外れなことを言っては、せっかく取り付けた最初の味方を不意にしかねない。

「私は音楽には明るくないが、やはり旋律こそ人の心に響くもの……と、思うが」

「ご明察」と、グラーヴは頷いた。

「しかし旋律は、それだけではホールにも、心にも響きません。伴奏という下支えがあるからこそ、旋律は華やかになり、人の心を動かすのです」

 その言に、アスターはやっと合点がいった気がした。音楽同好会は派手な倶楽部ではないが、設立当初は学内に華麗なファンファーレを響かせ、生徒の士気は大いに上がったと伝わる。力はわずかでも、その波紋は生徒たちを動かすには十分だろう。

 イノセントグラーヴという生徒の扱い方が見えてきて、アスターは余裕を取り戻した。

「君たちが伴奏、私が旋律か。では、そこに何が起こる?」

「異なる楽器を組み合わせて行う重奏(アンサンブル)は、深い感動を呼び起こします。これを学園に読み替えるならば、副会長殿の見識の広さや、芸術への理解の深さを知らしめる機会となりましょう」

「耳触りの良い話に聞こえる。が、それだけではやはり、弱いな」アスターはもう一段踏み込むべく、率直な評価を下す。グラーヴの耳が、まるで指揮棒を振るようにくるりと動いた。

「では、有り体に申し上げましょう」

 グラーヴはしっかりとアスターを見据えた。耳が天を向き、尻尾が滑らかに揺れる。

「わずか三本のトランペットに、何ができましょうか。部員は六名おりますが、人数分の楽器もないのです。国立の学園がこの体たらくであることに、危機感をお持ちにはなりませんか?」

 嘆願とも陳情とも取れる言い回しに、アスターはわずかに靴を引いた。小さな倶楽部を蔑ろにする文化がいつ始まったのかは定かではない。が、これを見過ごせば、このロートアスターの名は地に堕ちると確信した。

 何に困っているのか、何をしてほしいのか。それを知らずして行動を始めては、きっと足を掬われる。

 ──例え耳が痛くても、ここで知らなければ。アスターは下げかけた顔を上げた。

「君たちの現状を知らなかったことは詫びよう。しかし、楽器というものは非常に高価だ。ここは、先輩方に寄付を頼んでみてはどうかな?」

「……それは、もはや叶いません」グラーヴの立派な耳が、力無く萎れる。

「ファンファーレが休止となって以来、先輩方はすっかり、私たちを見放してしまわれました」

「それは知らなかった。すまない」

 アスターは心から言った。全てが数字と金に変換されてしまう生徒会では、感情というものは置いていかれがちだ。気にしているつもりでも、ふとした時に出てしまう。

「ご存知なかったのであれば、副会長殿が我々を"弱い"と評価されたのは、至極真っ当な判断にございます」

 グラーヴは、それ以上アスターを追求しなかった。弁えているあたり、その誠実さは信用に足りそうだ。アスターは、つとめて優しい声を作った。

「それで、具体的に私に何をしてほしいのかな?」

「私たちの要求は三つ。一つ、楽器の購入。二つ、図書館地下書庫に封印されている楽譜の公開。三つ、音楽同好会のクラブ昇格。以上です」

 無茶を言う、とアスターは頭を抱えたくなった。特に蔵書の管理などは、管轄外もいいところだ。

 しかし、彼女たちに、そんなことは関係ないのだろう。私に直接訴える以外の手など、初めから持っていないのだから。

「──わかった。善処しよう」

「ご配慮、痛みいります」

「しかし金が絡むものがある。君たちの希望は理解したが、報いるのは早くても秋になるだろう。それでもいいのかい?」と、アスターはわざと期間をはぐらかして問いかけた。要求に見合う成果を待てない者に味方をされれば、余計な心配事が増えるだけだ。その辺りを割り切れる程度には、冷たくなれた。

「ご心配なく。我らが主将フレゼカントールは、休符の扱い方を心得ておりますから」

 意外にも、グラーヴはあっさりと呑んだ。これで交渉は終了、あとはアスターに『その後』の宿題が残るだけだ。

「では今は、確かに話を聞いた、という答えで満足かな」

「結構でございます」

 グラーヴは、一歩引いてから頭を下げた。扱いを心得ているとしか言いようのない会話の終わらせ方に、零細倶楽部の処世術を見た気がした。

「では、私はこれで失礼するよ」

 スカートを翻し、階段を降りる足音が階段にこだまする。

 去っていくアスターが見えなくなるまで、グラーヴはじっと頭を下げ続けた。

 

 一時間後、生徒会・第三会議室。

「副会長が動いた?」

 流し目が、報告にやってきたムツノイチバンを舐めるように捉える。ピルソスは湯呑みを手に、組んでいた足を解いた。

「はい。どうやら、文化部の副将と接触した模様です」

 ムツノイチバンは感情もなく答えた。図書委員に属する彼女は独自の情報網を持ち、ピルソスの信頼する『耳』の一つだった。

 秀愛会をはじめ、大手自治組織が足踏みをしていることはピルソスも把握していた。しかし、人数に劣る文化部が最初に動いたことは、十分に彼女の関心を引いた。

「で、どこだ?」

「音楽同好会であることまでは突き止めました。具体的に誰なのかまでは」

「名簿を」

 ピルソスは組織名簿を持ってこさせ、音楽同好会の頁を開いた。投票権を持つのは、卒業予定一人を除いた六人。

「これだけか」

 相手にもならない、とピルソスは鼻で笑った。

「泡沫組織をいくら手懐けたところで、役には立つまい」

 しかし、報告書を抱えたムツノイチバンは腰を屈め、神妙な面持ちで手の甲を口に添えた。

「我々の把握していない糸が、あるのではないでしょうか」

 その言葉に、ピルソスの耳が僅かに震えた。庶務部の『耳』が届かないとすれば、それは新たな集団の可能性もある。だがこの凝り固まった学園の中で、新たなつながりを求めることは難しい。力を持つ前に解散させるか、もし勢いを付けようものなら、生徒会の名の下に踏み潰すだけだ。もっとも、ピルソスが生徒会に入って以来、そこまで辿り着いた組織など無いのだが。

「烏合の衆であることには変わりない。けれど、誰が首班かだけは把握しておくとしよう」

「失礼します」

 カラカラと引き戸が開いて、生徒会の腕章をつけたウマ娘が廊下から一礼した。

「ピルソス先輩。シンドウゲッカ先輩がお越しになりました」

「もうそんな時間か」とピルソスが時計を見上げる。まもなく夕食の時間だ。

「とにかく、誰が糸を引いているか調べておけ」

 ピルソスが、てきぱきと散らばった書類を鞄へと片付ける。

 ムツノイチバンは慇懃に礼をしてピルソスを見送った。引き戸が閉まり、イチバンはひとり、会議室に一人残された。

 靴音が消えるのを待って、ポケットから一片の紙切れを取り出した。そして『副会長、イノセントグラーヴと接触』と走り書きされたそれを破り捨て、小さく微笑んだ。

 紙屑となったそれを屑籠に押し込み、部屋を出た。

 閉門を告げる鐘が鳴る。

 誰もいない廊下に、高らかな蹄音がひとつ、響いていた。

 

 *

 

 府中ウマ娘修練学園高等女学校、七〇期生シンドウゲッカ。

 高等部一年次は次席。山濤識量な人物として、学内でも名の通った人物である。

 レースでは、ウマ娘鍛錬競争乙級(G2)に二勝。昭和十七年度・優秀短距離ウマ娘に推薦。昭和十八年冬、一線を退くと共に学園最大の生徒自治組織、向日会会長の推薦を受ける。そして、後輩からの圧倒的支持を受けて次代会長に選出された。

 向日会という、生徒会に次ぐ組織が、彼女の手の中に収まる──と、誰もが思っていた。

 

 昭和十九年一月二八日、十九時七分。蹄桜寮二号棟・二〇六号室。

 食事を終えてからも、シンドウゲッカは暗い表情を隠さなかった。部屋に戻るなり制服を脱ぎ捨て、布団も広げずに寝台の畳に寝転がった。

「行儀が悪いぞ、ゲッカ」

 寝巻きの帯を締めたピルソスが三つ編みを解く。櫛を通すまでもなく、艶のある髪がするりと落ちた。

「私の立場も考えてくれ」

 ゲッカは脱力し、天井を向いたままでぼやいた。

「何があろうと君に話せないことくらい、わかるだろう」

 投げやりな声に、ピルソスも目を伏せた。

 この部屋にいる間、二人の緊張が解ける時はない。それは同期生であるという安心感を追い越して、互いを慮る心までも萎えさせていた。

 ピルソスは布団を広げ、寝台の端に掛けた。

「二人きりのときは、垣根は無くそうと決めたじゃないか」

 その声に、ゲッカの肩がぴくりと動く。幅広の耳がピルソスを捉える。

「よしんば私が弱音を吐いたとして、それを利用しないと言い切れるのか?」

 沈黙が流れる。ゲッカは大きく息を吐き、ピルソスへ背中を向けた。

「やっぱり君は、そういうウマ娘だ。なんでも知っているし、誰でも動かせるんだろう」

 ピルソスは、思わず唇を噛んだ。言い返す言葉もなく、口を開いては閉じる。

「……私は、間違っていない」

 やっと絞り出した声は、驚くほどに掠れていた。

「だろうね」ゲッカはため息混じりに「生徒会、いや、学園を守るのならそれは正しいんだ。何が正しいかなんて、もう誰も知りやしないのに」

 その諦念に満ちた言葉に、ついにピルソスの耳が垂れた。

「なあ、ゲッカ──」

「今日はもういい」ゲッカは畳んでおいた寝巻きを掴むと、ばさりと広げた。そして跳ねるように飛び起きて、背を向けたままで帯を締める。

「あと二年で出ていく箱庭のために、君との友情を壊したくはない」

 衣擦れの音がやけに大きく響く部屋の中で、ピルソスは「すまない」と答えるのがやっとだった。

「ほら、風呂に行くぞ」の声とともに、程よく日に焼けた腕が差し出される。

 ピルソスはその手をじっと見つめてから、おずおずと顔を上げた。

 そこには、五年の苦楽を共にした、ただの学友の顔があった。

 ピルソスは破顔し、「なら、髪も梳いてくれ」と、その手を取った。

 

 *

 

 翌日、午前六時二分。

 シンドウゲッカが起き出した時、隣の寝台はとっくに空になっていた。制服がないので、集まりか何かに出かけたのだろう。体を起こすと、冷えた部屋の空気に耳が震えた。

 レースを引退した三種候補生は持て余すほどの暇がある。制服に着替えたゲッカは朝食を済ませ、菜園区へと繰り出した。

 

 ウマ娘にとって最も大切な装備、それが蹄鉄だ。

 古代ローマの時代に起源を持つと伝わるそれは、現代ではレース庁の指定業者から一括で納入される。しかし一部の先鋭的な生徒は、それだけでは満足しなかった。

 蹄鉄研究会の結成は、大正三年に遡る。当時は生徒会役員であった後の第十二代生徒会長・ルリヒナギクが先頭に立ち、同じ志を持つウマ娘を集めたと伝わる。

 そして今や、彼女らは自分たちで木炭や石炭を買い付け、地金を叩いて蹄鉄を拵えている。さらに、何代か前の生徒会長が理事会から正式な予算まで取り付けたという噂もある。それほどまでに、ウマ娘と蹄鉄は切り離せない存在なのだ。

 

 菜園区の北端、学園駅の裏手にあたる小さな区画に、蹄鉄研究会はある。

 その部室は、煉瓦造りの倉庫のような建物だ。中には吹子を備えた炉や金床が並び、天井からは磨かれていない蹄鉄が吊るされて、送風機の風に揺れている。隅では、発電機に繋がれた農発が、ぽこぽこと可愛らしい音を立てていた。

 

 中を覗くと、数人のウマ娘が天秤の針を睨みつけ、険しい顔をしていた。

「ノルト、いるかい?」

 ゲッカの呼びかけに、ひとりのウマ娘が顔を上げた。

 ノルトピオニエレは何かを伝えると、革製のエプロンについた煤を払いながらやってきた。

「やあゲッカ。こんな煤臭いところに、どうした」

「新しい蹄鉄の出来栄えを、聞こうと思ってね」

 ノルトはふいと顔を背けた。後ろではまだ、さっきのウマ娘たちが何やら話し込んでいる。

「……石炭を取りに行こう。手伝ってくれ」

 

 ノルトに連れられて、学園駅と菜園区を仕切る柵を越えた。この先は国鉄の土地で、本来、生徒が立ち入れるのは汽車が来る時だけだ。二人は砂利を踏んで、簡単な屋根がついた石炭置き場の前までやってきた。黒い山の前には、スコップといくつかのバケツ。

「二つ、満杯にしてくれ」

 ゲッカは言われた通り、バケツをひっくり返してスコップを手に取った。

 ノルトも手近なバケツを引き寄せ、石炭を放り込んでいく。寒空の中に、ザクザクという音だけが響いていく。

 ざらりと石炭が流れる音に続いて、ノルトが口を開いた。

「決まったか、方針」

 ゲッカはスコップを手にしたまま「何のだ」とはぐらかした。

「言えよ。誰も居ないんだから」

「向日会全体では、まだだ」

「アタシたちはもう、決めたぞ」

 その決然とした声に、ゲッカは手をとめた。耳だけが、ぴたりとノルトを捉える。

「……どっちだ?」

「アスターに着く。リリウムパイスが動いた。一蓮托生だ」

「バカな」予想外の言葉に、ゲッカはスコップを取り落としそうになった。

「あんな極端な連中の肩を持つのか」

「アタシの蹄鉄を一番評価してくれるのは、リリーだ」ノルトは手を止めないままに答える。

「奴らは三十人、アタシたちは八人。ほら、これで二割も票が増えた」

「三十票じゃ何も変えられるもんか。閃緑党の半分だぞ」

 その瞬間、ノルトが顔を上げた。鋭い眼光に、ゲッカの顔が強張る。

「あんな連中と一緒にしないで欲しいね!」声を上げたノルトはスコップを石炭の山に刺し、「半端な距離で華を気取ってさ。型にはまっているくせに、自分たちがレースを引っ張ってると思ってる。アタシは、それが許せないんだ」

 拳を握るノルトを見て、ゲッカは返す言葉がなかった。

 向日会は短距離専門のウマ娘によって結成された自治組織で、その数は全生徒の二割強に上る。隅に追いやられ、声を拾われない立場から出る生の声が、ゲッカの心を深く抉った。

「すまない。組織でしか生きていられない私には、君の悩みを理解できない」

「君のせいじゃない。どれもこれも、歴史とやらのせいだ」

 ノルトは大きめの石炭をひとつ手に取って、炭庫の山へと勢いよく投げつけた。カツンと音がして、炭の粉が舞う。

「強いな、君は」

「ひねくれてるだけだよ」

 ゲッカの手からスコップを取り上げたノルトは、それを丁寧に立てかけた。

「さあ、戻ろう」

 促されて、歩き出してから気がついた。そういえば、手套をするのを忘れている。たぶん手は真っ黒だろう。

 ゲッカはいつもより、少し背筋を伸ばした。砂利を踏み締める音が、ほんの少し、大きくなった。

 

 *

 

 同日、十一時三十分。

 蹄桜寮四号棟・自習室。

 

 五十名ばかりが詰める部屋の中は、少し蒸し暑かった。全員が候補生らしく、行儀良く椅子に座っている。そんな中で、黒板の前に進み出たペールスターチスが、ゆっくりと口を開く。

「お忙しい中、お集まりいただきましてありがとう存じます。この度ユラナス議員より、推薦の内定を頂戴いたしました。よって私はここに、第二十九回、生徒会長選挙への立候補を表明するものであります」

 スターチスの一礼に合わせて、誰からともなく拍手が起きた。集まった生徒の服装こそまちまちでありながら、一応は体裁を保った出バ表明が、つつがなく終わった。

 入れ替わりに、寮長・アクアリジアが前に出た。

「さて、これで足並みは揃った。この四号棟は、マツカサギク先輩、リリウムフラーヴ先輩、ヒゴロモソウ先輩と、多数の生徒会長を輩出し、学園の歴史に確かな蹄跡を残してきた」

 誰かが、部屋の隅に目をやった。どこかから、息を吐く音が聞こえた。

「先輩方が築き上げたこの学園を、次の世代へと繋いでいくことこそが、この寮の役目であり……、使命だ」アクアリジアは意に介さず、「より良い学園を築くため、力を合わせて選挙を乗り切ろう」

 再び揃わない拍手があがる。終わったとばかりに数人が席を立ち、空席が目立った。それでも、アクアリジアは毅然と胸を張って話を続ける。

「当寮出身にして第二七代生徒会長・ラベンダーポプリ先輩からの慣例により、四号棟内での選挙活動は禁止とします。また立候補者に対する私的な評価・批評は、無用の混乱を招くためにも、控えるようお願いする。何か質問は?」

 当然のように、誰も声を出さなかった。鉛筆のカリカリという音が、いやに大きく響いていた。

「では、これにて解散。以後十七時まで、自習室は開放時間とします」

 アクアリジアは足早に自習室を後にした。その影が消えた途端、ざわめきが戻ってくる。

「──ところで、ヴィスリユニオンはどこへ行った?」

 青鹿毛のウマ娘があたりを見渡す。

「日の出の頃には、もういなかったよ」「奴がこんな集まりに出るもんか。そういえば、ムツノイチバンも居ないな」「危機感はないのかしら」

 運動服の三人連れがため息混じりに言いたいことを言って、そのまま部屋を出て行った。

「まったく。速いのは脚だけにしてほしいね」

 足を組む青鹿毛の脳裏には、三千メートルを悠々と駆ける、黒いシルエットが映っていた。

 




次回、懐柔
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