蹄音、高く   作:上條つかさ

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残光と暁光

 アスターが秀愛会へ乗り込み、練習生代表席の設置と生徒会会議公開を宣言してから二日。

 その余波は、既に学園中へ広がっていた。

 秀愛会ではシナノダイアンサス以下の一派がアスター支持へ傾き、オータムユーメン候補生を中心とする保守派はペールスターチス支持を鮮明にして分離。練習生の間でも、候補生制度そのものを巡る議論が飛び交い始めている。

 その報せを受けた中距離系生徒自治組織『緑閃党』は、急遽会合を開いていた。

 昭和十九年二月四日、十時八分。

 教室棟東棟・一〇三教室。

「──やられたな」

 机に肘をついて、緑閃党主将・ダクティリオスは重苦しく口を開いた。机の上には、過去の選挙に関する資料が雑然と広げられている。

「随分とまあ、派手なお立ち回りですこと」

「私たちを敵に回して、勝てるつもりでいるのか。腹立たしい」

 両脇を固めるリフィーニとアパティアが、口々に感想を述べた。緑閃党に籍を置く候補生は二一名。しかし集まったのは、わずか半分であった。

「奴が余計なことを言ったせいで、練習生がざわついている。選挙まで保てばいいが」

 ダクティリオスの危機感の薄い発言に、書記のリコッタが口を挟んだ。

「とはいえ、どうします?」

「どうするもこうするも、さっさと動かなければアスターの思う壺だ」

「練習生の中に指導役でも立てられたら、それこそ厄介なことになりますからね」と、末席のノーブルレインボーが同調した。

「かと言って」と、アパティアが割り込む。

「今更ホーテンシア先輩に練習生をまとめてくれと頭を下げるのも、どうなんだ?」

「その前に、今の駿風寮をまとめているのは誰だ。誰か知っているか」とダクティリオス。

「さあ。練習生のことはさっぱり」

 リコッタは答えつつ首を巡らせたが、誰も口を開かなかった。

 緑閃党はこれまで、生徒会に近い運営を続けてきた。候補生は卒業生との窓口となり、練習生はその縁を頼りに昇格後の立場を確保する。そういう組織だった。

 だからこそ、誰も駿風寮の実情を知らない。

「そうだ。ホーテンシア先輩は、アザーレア会長と親しいだろう。そこで——」

「お二人はもう、ご卒業なされます。門出のお邪魔になりますから、ここはご自重を」

 リフィーニの牽制に、ダクティリオスは再び黙り込んだ。

 ホーテンシアは残り少ない六八期生であり、緑閃党の象徴的存在だった。だが、その名を出した時点で、ダクティリオス自身に打つ手が無いことも露呈していた。

 空席にへばりついた空気を、時計の振り子が揺れる音だけが揺らしている。

「……なら、来年度から候補生になる練習生に声をかけておけ。人選は任せる」

 そして結局、話は無難な案へ落ち着き、誰も異議を唱えなかった。

 沈黙に耐えかねて、リコッタは手元の名簿に目を落とした。いつ誰が会議に参加したかを記録しておくものだが、その日付はずっと空白だ。最後に顔を合わせた日が定かではない者もいる。今更ダクティリオスに察るのも躊躇われて、議事録の片隅に出席一〇名とだけを書き残した。

「それで」

 沈黙を破るように、リフィーニが口を開いた。

「その後はどうされますの?」

「見当もつきません」メモ紙に鉛筆を走らせながら、リコッタが答える。

「ここは、しばらく静観を……」

「アスターは勢いをつけている」ダクティリオスはリコッタの消極的な発言を遮った。

「スターチスごときに与するのは本意では無い。とはいえ、私たちにも立場があるからな」

「では結局、我々はスターチス先輩につくのですか?」とノーブルレインボー。

 その発言に、ダクティリオスは明らかに気分を害した様子だった。

「気に入らないなら、アスターのところへ行ってもいいぞ」

「そうは言いませんが……いえ、失礼いたしました」

 小さくなるノーブルレインボーを横目に、リフィーニが口を開いた。

「潮の変わり目、ということですわね。練習生を蔑ろにしてきたツケですわ」

 そう言い捨てて、優雅な手つきで金平糖を口に運んだ。あまりにも他人事なその態度に、アパティアの顔が険しくなる。

「リフィーニ。貴様にはプライドとか信念とか、そういう芯はないのか?」

「あら。そういうあなたこそ、愚痴を言うくらいなら、立候補なさってはいかがかしら」

「なんだと?」

 耳飾りが揺れるほどの勢いで、リフィーニをぎろりと睨みつける。

「この機会に言わせていただきますけれど、私、暑苦しいのは好みませんの。少し静かにしていただけます?」

 同期にするにしても不躾な発言に、アパティアは頬を赤らめて拳を叩きつけた。

「この……丙級しか勝っていないくせに!」

 それは精一杯の、かつ的確な指摘のはずだった。学園においてはレースの成績のみがものを言うという、大多数の生徒の基準に当てはめれば。

「あなたと私は同格。候補生とはそういう制度ですもの。ねえ、ダクティ?」

「……はぁ」

 ダクティリオスは大きくため息を吐いて、「お前たち、状況を分かってないだろう」

「よぉく理解しておりますわ。今回は私たちの負け、ということくらいは」

「だから! それをなんとかするために集まったのだろう!」

 噛みつくような剣幕のアパティアに、リフィーニは肩をすくめてみせた。

「ね? あれでは、勝てるものも勝てませんわ」

「……みなまで言うな」

 ため息と共に搾り出した一言で、教室に漂う空気は重さを増した。

「さて。お話も済んだようですから、私はこのあたりで失礼させていただこうかしら」

 手元の資料を集め出したリフィーニに、アパティアの鋭い視線が刺さる。

「逃げるのか、リフィーニ」

「まさか。もう少し、言葉の通じる方のところへ行かせていただくだけですわ」

「仲間を裏切るのか?」

「仲間? ふふっ。冗談がお上手ですこと」リフィーニは、その青い目に侮蔑の色を浮かべた。

「あいにく私、あなたを仲間だと思ったことなど、ただの一度もございませんの」

 リフィーニが腰を上げると、ノーブルレインボーがそれに倣った。一同の視線が集まる中、その怯えたような瞳を一瞥したリフィーニは、小さく頷いた。

「では皆様、ごきげんよう」

 形だけの挨拶を残して、二人は教室を後にした。

 数秒後、蹴飛ばされた椅子が転がるけたたましい音が、虚しく廊下にこだました。

 

 *

 

 同日十時二十八分。菜園区。

 ロートアスター、リリウムパイス、シナノダイアンサス。そしてトライガリアスに連れられた五人の練習生は一様に運動服に身を包み、蹄鉄研究会の工場を訪ねていた。

「ようこそ。蹄鉄研究会へ」

 ノルトピオニエレは、煤で真っ黒になった革のエプロン姿で出迎えた。今日はパラパラと小雨が舞っているのに半袖だ。工場から漂う焼けた鉄の臭いに目を向けると、吹子が繋がれた炉の中では石炭が赤く光っている。その窓は全て開け放たれ、同じように半袖の生徒が十人ばかり、砂や鉄の塊を運んでいた。

「お邪魔して悪いわね、ノルト」

 リリウムパイスは握手を求め、破顔したノルトは煤に汚れた手でその白い手を取った。

「君が支えてくれるから、蹄鉄研はやっていけてる。場所くらい、いくらでも貸すよ」

 リリーとノルトが知己の仲であることは公然だ。彼女たちの作り出す蹄鉄がなければ、四千米は走れない。

 ただ、差し出されたリリーの手の中に、きつく縛られた配給券の束が隠れていたことは、アスターも気づいていないふりをした。

 その頃シナノは、煉瓦造りの工場をしげしげと眺めていた。

 西は学園駅、南は菜園区に挟まれたこの土地は、確かに学園のものだ。実態は駅を作る際に余った区画なのだが、飛地ゆえに利用価値が無いので、蹄鉄研究会に丸ごと貸し出されている。関係者でなければ、まず訪れることはない場所だ。

「噂には聞いていたが、立派な設備だな」

「練習生の間では、候補生になりたければ蹄鉄研に行けというのは定説です」とトライガリアス。

「もっとも、菜園区に丸腰で出ていく本科生がいるはずもないのですが」

 その言葉にシナノは「まるで、伝説の宝島だな」と呟いた。

 菜園区は東農大の土地で、制度上は学校の外だ。本科生が一人でうろついていれば、指導の対象になってしまう。

「あら、伝説ではなくってよ」

 二人の会話に気づいたリリーが、滑らかな動作で靴を脱ぎ、靴底を見せる。

「私の蹄鉄は、ノルトの作品ですもの」

 鈍い銀色に光る蹄鉄は、靴に合わせた滑らかな曲線を描いていた。大量生産では出すことのできない仕上がりに、ガリアスの後ろに控えていた練習生が目を輝かせる。

「よかったら、君たちの蹄鉄も拵えてあげよう」

 ノルトはエプロンの隙間から、まだ鍛えていない蹄鉄を何本か取り出してみせた。わっと歓声が上がる。

「その前に、テーブルと椅子を頼めるかな」

「はいっ」

 アスターに促されて、練習生たちはテキパキと折りたたみの机と椅子を組み立て始めた。シナノとガリアスは、いつのまにか蹄鉄研のメンバーと話し込んでいる。

 ばっと音を立てて大きなパラソルが開かれると、工場の前の小さな広場は、まるで庭園のような雰囲気に様変わりした。生まれたての日陰の下で、リリーが満足そうに耳を揺らす。

「これこそ、私に相応しい庭ね」

「今日くらいは、淑やかに頼むよ」

 アスターの小言に微笑みを返し、提げていた籐籠をテーブルに置いたリリーは、「ノルト、ポットをお借りできる?」

「もちろん。さあ、皆もこっちへ」

 出来立ての庭園に残されたアスターは椅子に腰を下ろし、まだ荒涼としている畑に目を向けた。

 ここに人参が芽吹く頃、同じように穏やかにいられるだろうか。

 そんな不安を孕んだため息が、響き出した金槌の音にかき消されていった。

 

 *

 

 十六時。生徒会・第二会議室。

 アザーレアとホーテンシアは、がらんとした会議室の片隅に椅子を並べていた。まだ生徒会長であるアザーレアはともかく、ホーテンシアは生徒会どころか候補生ですらない。だが、卒業を控えた在学最年長の生徒には、そんなものはもはや関係なかった。

「何やら、面白くなってきたね」

 ホーテンシアは珍しく、意地の悪い笑みを浮かべていた。話題はもちろん、アスターが練習生という、生徒会が便利な人夫として消費してきた人材に目をつけたことだ。

「耳に入ったか。私はもう、胃が痛いよ」

 アザーレアは耳を伏せてため息をついた。

「ああいう手に出てくるとは思わなかった。素直に、あれを推薦しておくべきだったかな」

「あんまり気負うなよ。彼女らだってバカじゃない。うまくやってくれるさ」

「あなたはいいわね、大学が決まって」

「だからって、君の心配事を気にしない理由はないだろう?」

 アザーレアはじっと前を見つめた後、ぽつりと口を開いた。

「……優蹄会から、面談に来いとのお達しが来たの。明日行ってくる」

「まさか。もうそんなところまで?」

「私の籍は自動的に優蹄会に移るから、事務的な手続きよ。……多分ね」

 ホーテンシアは足を投げ出してため息をついた。

「会長は卒業しても会長のまま、か」

「何も残せなかった私には、末席でも針の筵ね」

「学園はちゃんと残したじゃないか。多少の変化は、歴史がある証拠だよ」

「それも、三月までかもしれない」

「……なあ。まだなんか隠しているんじゃないか?」

 ホーテンシアの問いに、アザーレアは「いいえ?」と即答した。

「嘘つき」

「隠してるんじゃなくて、言えないだけ。守秘義務ってやつよ」

「制度を書庫に押し込んで、半世紀も寝かせた結果が神聖不可侵とは。まるで木乃伊だな」

「あなたこそ、緑閃党の面倒は見なくていいの?」

「先月に書類を出した。私はもう、関係ないよ」

 後輩たちが苦労するかもしれないというのに、随分冷たいことを言うものだと、アザーレアは級友の横顔に目を向けた。それとも、これくらいのことは乗り切って見せろという優しさだろうか。しかし、多少なりともダクティリオスの為人を知っているアザーレアは、別の結論に至っていた。

「ならかわいそうだけれど、ダクティリオスもここまでね」

「まさか、解体するのかい?」とホーテンシア。

「時代が変わる時、ああいう組織は真っ先に死ぬのよ」

「その理由も、内緒?」

「図書館で学園史を読んでみたらどう? きっと、笑いが止まらなくなるわ」

 アザーレアはそれ以上問いたださなかった。

 窓の外では、街路灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。

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