日本民主主義人民共和国のエリート層は不穏な空気を感じ取っていた。
東欧の社会主義諸国が軒並み崩壊し、ソヴィエト連邦すらも政治的混乱の渦中にあった。
社会主義陣営の一角を占めてきた祖国も否応なくその混乱に巻き込まれ、国内の権力闘争もあって、祖国の前途は若い頃夢想していた未来図とはまったく異なる暗いものとなりつつあると、ある人民赤軍の大隊長は思っていた。
一九九一年八月六日。日本民主主義人民共和国においては、毎年この日から一六日までの期間を第二次世界大戦によって祖国が解放されたことを祝う解放記念国民休暇と定めており、学校や少なくない職場もこれにあわせて大型連休を設定することが多いため、また国をあげての国慶行事も多いために、国全体がどことなく浮ついた気分に包まれるのが常である。
なのだが、今年は党、政府や軍でそれなり以上の地位を持つ者たちは、それほど気楽な気分になれずにいた。その原因は社会主義諸国の盟主というべきソヴィエト連邦の情勢にあった。
かの大国の指導者が『
東欧が帝国主義者どもの手に落ちたのは、国際共産主義運動的観点で考えれば度し難い後退であったが、現実的な視点で考えるならば、赤い日本としては不愉快だが許容できることではあった。なにせ東欧は物理的に遠すぎる。だが、ソヴィエト連邦すらもそうなるかもしれないというのは悪夢だった。良くも悪くも赤い日本はソヴィエト連邦との関係を寄与の前提としてこれまで発展してきたのである。
「我らが赤軍作戦本部に勤務している知り合いの話じゃ、最近の高級幕僚の過半はまるで身内の葬儀にでも出ているのかと疑いたくなるくらい、活気を失ってるんだってよ」
「全員ではないのか?」
「ああ、ソ連の動向がおかしくなってきた時から、我が世の春がきたとばかりに祖国統一工作基本準備案を溌剌とした調子で再検討している連中が少数だがいるそうだ」
きっと昔から内心ソ連の事が嫌いだった連中なんだろうなぁ、と、駐屯地の士官室のソファに深く腰掛けながら人民赤軍の将校服を着た白い髪の青年はクツクツと笑った。白髪故にロシア人とのハーフと誤解されることもあるが、これは先天性部分性白皮症という極めて珍しい遺伝性疾患のためであって、れっきとした日本人である。
宵宮狂助は士官学校を優秀な成績で卒業し、中東の友好国に軍事顧問団の一員として派遣され、そこで幾度かの実戦を経験して功績も立て、若くして中佐の階級と大隊長の地位を手に入れた将校であり、一部の将兵からは『白狼』との異名をつけられていた。その経歴から受ける印象にたがわぬ獰猛そうな野性味溢れる雰囲気の持ち主であった。
「そちらはどうだい同志政治将校殿?」
「政治本部の雰囲気もさして変わらんぞ。その手の異端者も心当たりがないから余計深刻かもな。噂でよければ、もしソ連に万一のことがあれば、ソ連軍やKGBの高官を我が国へと亡命させる工作がNSD本部主導で複数進行しているというのを小耳に挟んだことがあるが、実態はどうだか」
狂助より一回りほど歳上である幣原少佐はお手上げだと両手をあげた。彼はNSD――国家保安省の下部組織とでもいうべき赤軍政治本部所属の、軍人が党と国家に対して忠実であるか否かを評価する監視役の政治将校である。なので政治本部やNSDの話題を監視対象と親しげに話すのは政治将校の立場からすればよろしくないはずなのだが、双方とも疑問を覚えていないようであった。
元々人民赤軍に政治将校が存在するのは、ソ連軍をモデルとしていたからであるが、それ以上に健軍されたばかりの頃は将校のほとんどが旧大日本帝国陸軍の人材で賄われており、党からすれば猜疑心を抱かずにはいられない存在だったからである。半世紀近い年月が流れ、赤い日本で生まれ育った将校たちが主流を占めるようになったことで、指揮官と政治将校の関係性は昔ほど険悪ではない例が増加傾向にこそあったが、それを考慮してもこの二人は特異な例であった。
というのも狂助は軍事顧問として海外に数年間いたこともあって、純軍事的な分野以外の点ではこちらから政治将校に助言を求めていったほうが万事うまくまわるのではないか、帰国後はそのように考えて動いていたからである。政治将校の側からすれば、軍事知識がからっきしの監視役であると内心見下していることが透けて見えることが多い将校に慣れているだけに狂助の態度は大変好ましく、また将来有望な将校なのもあって俺が守ってやらねばという気持ちにさせるのであった。
大隊本部付政治将校である幣原も白髪の大隊長の醸し出す不思議な魅力にやられてしまったわけであるが、これほどまでに遠慮がない会話をするようになったのは最近の事であり、そうなるようになったのは両者の気質によるものというよりは、彼らが愛する祖国の将来を思う不安から自分が知りえない情報を相手に求めるようになったからであった。
「かような国難の時にこそ、偉大なる川宮首相同志の強力な国家指導が必要であるというのに」
今年初頭に四〇年近くに渡って赤い日本を賢明に(もしくは小賢しく)指導してきた川宮勝次首相が危篤状態に陥り、回復こそしたが数年の内に亡くなるやもしれぬ健康状態にあるという情報は、彼らが抱く不安要素の中でも最大のものであった。建国以来の友邦にして同盟国である全労働者の祖国が崩壊するかもしれないという危惧よりも、遥かに重大にして深刻な不安要素であった。
「仕方ねぇだろ。偉大な同志とて人間だ。永遠は生きれねぇし、それに歳をとれば耄碌もする」
あんな愚物のドラ息子を後継者として据えたままにしとくとか特にな――狂助は軽蔑と嫌悪の感情を隠そうともせずに吐き捨てた。あの野郎が国家政治委員会副委員長に就任して、次期指導者であると喧伝されるようになったのは、たしか一〇年ほど前からのことだったと思うが、よくもまあ、我らが栄えある革命的祖国を飽きることなく汚し続けてくれる!!
社会主義日本の人民であるならば、偉大なる同志川宮勝次共和国首相に深く敬愛の念を抱いているため、不満など抱きようがない。史上無比の指導者と共に真の道を歩む国家には不満など存在しないからだ。というのは、あまりにも誇張された表現であるが、一片の真実も含んでいないとまでは言えない。この赤い日本に愛着を抱く者であれば、同志首相に対し素朴な敬愛の念は持っているだろう。
だが、その息子の哲夫は違う。あれは偉大な革命家である父親の遺産を食いつぶすために生まれきたような寄生虫である。あれが次期指導者であると位置づけられてからというもの、醜聞が加速度的に増大していったものだ。あまりにも醜聞の数が膨大すぎるのでNSDの言論統制を持ってしてもその手の噂が流布している。最近では本人も開き直ったのか、建前すら気にせずに自派閥の飼い犬どもと一緒になって革命の首都豊原で乱痴気騒ぎをしている堕落ぶりだ。
そのような俗物であるから、過剰な宣伝をもってしても人民大衆からの人望は父に対するそれに遠く及ばない。武力によって祖国を統一することを強く訴え続けているのも、それが国是だからとかいうよりも自身の権威が偉大なる父親に遠く及ばないと自覚しているが故に『実績』が欲しいからだろう。少なくとも狂助はそう認識していた。狂助はあれを次期指導者と認めることはおろか、同志と呼ばねばならぬことに少なからぬ抵抗感を覚えていたし、なんなら川宮の家名を名乗ることすら敬愛する同志首相が哀れに思えてくるのでやめてほしいとすら思っていた。
「まったく夏だってのに、寒くなってくる話ばかりだな」
頬杖をついて窓の向こう側に広がっている青々とした草原に視線を向けながら、狂助は憂いに満ちた声でぼやいた。そして何事か喋ろうと口を開いたが言葉にならずに口を閉じるを数度繰り返した後、躊躇いがちに問いかけた。
「幣原少佐。近いうちに祖国でも嵐が起きそうな気がしてならねぇが、避難しようとは思わねぇのか」
「誘惑にかられなかったと言えば噓になるが、この国を守る為に色々とやってきた身だし、東欧の御同業の皆々様がどんな惨めな境遇に陥ってるかを知るとね。それに……」
「それに?」
「祖国を離れてNSD職員の経歴を持って生き残るより、政治将校として最前線にて戦死の方が格好がつくし、おそらく全部終わった後に遺族も多少は同情的な目で見られるだろう。もちろん、これは最悪の場合だが」
裏切り対策なのかもしれないが、東欧で反革命に同調した軍人や秘密警察の悲惨な末路というのが、おそらくはNSDによっていくらか誇張されて国内に流布されている節があった。幣原によれば誇張ではあってもまったくの虚構ではないし、妻の忘れ形見である愛息子を連れてそんな境遇に甘んじる気にはなれないという。
「そう言う君こそいいのか。その若さでそれだけ先を読めるんだ。どこでだって生きていけるだろう。それに奥さんだっている」
「これでも俺は愛国者のつもりでな。見捨てられんさ」
あいつにしたって同じだろうと思って狂助は「ハッ」と思わず笑った。まったく俺は政治将校相手になんて危険な話題をしているのだろうか。祖国の滅亡を前提に置く不吉な言質を、幣原が政治本部にそのまま報告すれば、即座に憲兵隊がやってきて俺を拘束し、反革命的思想傾向とやらの名目でなんらかのペナルティを受けることになる。
いや、偉大な指導者であらせられる川宮勝次首相同志のことを耄碌したと放言し、公的には次期指導者と位置付けられている哲夫を罵倒していることを加味すれば、軍からNSDに身柄を引き渡されて
「そうか。だが、人生の先達としては若者にはなにかと配慮したいのだが」
「……そうか、ならひとつ頼まれてくれるか」
狂助からの頼みごとの内容を聞いて、幣原は破顔して大笑いした。
「公私混同も甚だしいな!」
「こんな時節だからな。それに俺から言い出すより、政治将校から人事に言った方が通る可能性が高いだろう?」
「だろうな。だが、君の心情もわかる。なんとかやってみよう」
もし何事もなくても、どうにか言い訳がつくように気を使いながらなと楽し気に請け負ってくれた政治将校に、狂助は恩に着ると頭を下げた。
日本民主主義人民共和国の最大の都市は首都の豊原であり、総人口の約二割にあたる三五〇万もの人口が豊原に一極集中している。そのせいもあって、近代的なインフラ整備は首都豊原、ひいては南樺太中心で行われており、領土の大部分を占める北海道北部のインフラは最低限のものしか整備できていない――西側ではそれすら疑わしいものだと巷で噂されている――のが実情である。
しかしながらいくつかの例外が存在しており、北旭川はその例外のひとつだった。北旭川の有する特殊性から生まれる歴史的・政治的価値の高さから、赤い日本はこの都市の開発に力をいれてきたのである。
旭川という都市は第二次世界大戦末期に米帝の反応兵器投下によって壊滅した、世界に二つしかしかない被爆都市のひとつであった。まだ大日本帝国の統治下にあって呻吟していた日本人民を『解放』するべく対日参戦したソ連邦の赤軍が、無駄な抵抗を続ける日帝軍隊と激しい市街戦が展開されていた旭川に、悪辣な米帝は反応兵器を投下していったのである。
これは日帝軍隊のみならず、ソ連軍将兵にも甚大なる被害をもたらした。もうひとつの被爆都市である函館と異なり、既にあと一歩のところまでソ連軍は旭川攻略を進めており、使用すべき理由などどこにもなかったはずである。あるとすれば、旭川への反応兵器投下は日帝軍隊よりも、むしろソ連軍に打撃を与えるためのものであり、主義思想の違いはあれど仮にも同盟国に対してやっていい所業ではなく、いかなる美辞麗句をもってしても隠し切れない野蛮な米帝の邪悪性・犯罪性・非人道性の証拠として、赤い日本は旭川を扱うようになったのである。
またその後に起きた祖国解放戦争の結果、二つに分断された日本にとって事実上の国境となる軍事境界線が旭川の中心を通って都市を南北に分断するような形で引かれることとなり、また南北の日本が定期的に平和的交渉を行う会談場としても設定されたので、赤い日本にとって北旭川は向こうの日本と最も接するいわば東西冷戦の最前線のひとつとなり、社会主義の優位性を西側諸国に目に見える形で整備する必要性が生じ、都市開発に莫大な資本を投下した。
当然、このような特別な都市である北旭川に住めるのは、首都豊原と同様、革命の前衛である党の党員とその家族であることが必須条件である。赤い日本は共産主義思想を掲げ、すべての人間が平等な社会を目指しているが、残念ながら現実的にはそれを実現できる段階にいまだ至れておらず、暫定的に党がすべてを指導する体制をとっている以上、党員と非党員の扱いに歴然たる差異が生じるのはやむをえないところであった。幹部党員と党員の間で格差が生じているのも同じことなので問題ではないのである。
そのような歴史を持つ北旭川に宵宮家の住居はあった。健軍以来人民赤軍で勤務していた狂助の父が、結婚を機に再建が進んでいた北旭川に新居を求めたのである。一般党員の平均値から考えれば、中の上程度の邸宅であるが、数年前に父は天寿を迎え、母は病でそれより前に亡くなっており、今の家主である狂助とその妻も普段は軍の官舎暮らしであるために、留守にしていることが多かった。
そのため、帰宅するとたいてい埃をかぶっているため、掃除する必要性がある。これが地味に面倒であるので、父の死後、狂助は一度ならず実家を引き払うことを考えたのだが、幼少期からの思い出が詰まっている場所を手放す決心ができずに今まで来ている。いつもならかったるいので狂助は利用するところだけ掃除して済ませるのだが、連休中に妻が帰ってくるし、客人の予定もあるので、今回は隅々まで綺麗に掃除していた。
掃除を終えて夜になると呼び鈴が鳴って狂助が玄関の扉を開けると、がっしりとした肉付きをした人民赤軍の軍服を着こなした女が「ただいま」とチシャ猫のような笑みを浮かべながら抱き着いてきて、人民赤軍の規定ギリギリまで伸ばしている茶色の髪が狂助の鼻先をくすぐった。狂助の妻である宵宮真莉である。
平等社会の理想実現の為には家庭の奴隷状態に陥っている女性を解放して経済的に自立させる必要があるとする共産主義の理念的な要請から、赤い日本では初期から女性の社会進出・地位向上の努力がなされていたこともあるが、祖国解放戦争で失われた将校を速やかに補填しなければならない現実的な必要もあって、向こう側の日本の防衛大より二〇年以上先んじる形で士官学校の門戸が女性にも開かれていたのである。
彼女が士官候補生となったのは、必ずしも彼女自身が望んだからではなかった。彼女の父親も人民赤軍の将校であり、息子ができたら自分と同じく立派な赤軍将校に育てることを夢見ていたのである。しかし妻は二人目の出産時に体を損ねてしまい、できた子はどちらも女だったので、仕方なく長女の真莉に己の夢を背負わせることにしたのである。
そんなふざけた理由で自分の人生の方向性を決められてたまるかと反抗した時期もあったものだが、結局のところ父親の権威には抗い切れず、また彼女自身軍人として知識と振る舞いを覚える才覚があったのか、士官学校に入る頃には不満らしい不満も感じなくなっていた。
しかしどこか鬱屈した感情があったためだろうか。士官学校で真っ白な髪が特徴的な宵宮狂助という同期生と出会い、幾度かのやりとりを経て彼に惹かれた彼女はいささか暴走した。士官学校の規則が許容する範囲内でありとあらゆる手練手管を用いて狂助を自分にベタ惚れさせていた。そして士官学校を卒業して士官候補生としての縛りから自由になった彼女は『奇襲攻撃』をしかけて別の意味でも彼を『
そこからはもう怒涛の勢いで結婚式まで流れ込んだのであるが、真莉の両親と妹は士官学校で男を捕まえてくるという、あまりにも突飛な事態に対する精神的衝撃から暫く立ち直れずに混乱していたし、狂助の両親は息子が顔を真っ赤にしながら語るこれまでの経緯を聞いて「狂助や。そんなお嫁さんと一緒にやっていけるんか」と大いに心配したものであった。
二人とも職業軍人である為、宵宮夫婦が一緒にいる時間というのは結婚後もあまり多くはないのだが、夫婦の絆はそれをものともしないほど強固であり、二人の熱愛ぶりは今も不変であった。
「俺もいるんだけどな」
躊躇いがちに口を挟んできたのは、凛々しい面立ちの黒髪の若い人民赤軍将校である古賀遼遠である。彼は士官学校で宵宮夫婦の一期下にあたる後輩であり、特に狂助にとっては高等学校時代からの知り合いであった。第一赤衛戦車集団司令部所属の若手幕僚である。
「悪いな。式典や異動の準備で色々忙しいだろうに呼びつけちまって」
「いいですよ先輩。司令部すぐそこですし。それに家族じゃないですか」
古賀の言うことは事実である。第一赤衛戦車集団の司令部は北旭川に置かれているので、ここから車で三〇分とかからぬ距離にある。人口が過剰集中しているために頻繁に交通渋滞が発生している首都豊原と違い、北旭川は都市機能をパンクさせるほどの人口を有していない為、交通渋滞に悩まされる心配もいらなかった。
それに古賀は真莉の妹と結婚していたので、狂助とは義兄弟の関係にあった。こちらの方は、宵宮夫婦との縁で何度か出会ってるうちにお互いに惹かれはじめ、それを見ていた父親が古賀に娘を娶る気はないか問い、古賀が諾と答えて結ばれたという、宵宮夫婦のそれと比べると実にありきたりな流れによるものであった。
宵宮宅の居間で三人で日本酒を交わし合いながら雑談することになった。会話の主な内容は一六日の祖国解放記念式典の催しについてである。毎年、解放記念国民休暇の最後の日に各都市で派手な催しが行われるのだが、分断都市である北旭川で行われるそれは豊原に次ぐ規模のものであり、国内からそれを見物にくる旅行者も多い。
これに加えて旭川は被爆都市でもあるため、反応兵器が投下された八月二六日には平和祈念式典も開かれる。南側では反戦思想と反応兵器反対を趣旨としたどこか陰鬱さを覚える代物であるが、北側では米帝の邪悪性を糾弾しながらあちら側に取り残されている民族同胞を鬼畜米帝の支配から解放すべきだという信念を再確認するという大変勇ましい内容が主題となる。
この二つのイベントがある為に、北旭川で生まれ育った狂助としては、八月といえば賑やかなる祭の季節なのだが、例年ほど楽しい気分で語り続けることができなかった。
「ソヴィエトが持ちそうにないとなると、遠からずこの国は終わりかな」
狂助が零した言葉に、二人は憂いに満ちた表情を浮かべながら深く頷いた。赤い日本の人民広報省はあちら側の日本の状態を『米帝の従属国、政治的植民地である』と説明しているが、それとある程度似通った意味でこちら側の日本は『ソヴィエト連邦の従属国、衛星国』であった。主権国家としての自主性を備えていなかったわけではないが、ソヴィエト連邦との友好関係を基礎として、建国後の日本民主主義人民共和国の発展はあったのだ。
その基礎を失うとなれば、どれほどの悪影響が国内に及ぶか計り知れない。軽く想像しただけでも悪寒を覚えずにはいられない情景が続々と浮かんでくる。軍事面だけに限っても、ソヴィエト連邦との軍事同盟がなくなれば、ソ連の核の傘の中にいられなくなるし、駐日ソ連軍だって撤退していくことだろう。これでいったいどのようにして米帝軍隊を駐留させているあちら側と対峙していけというのだ。
「景気だってどこまで悪化するかわかったものじゃないわ」
首を横に振りながら真莉は言った。祖国の社会主義経済は順調な成長を続けていると表向きには発表され続けているが、数年ほど前からとてもそうとは思えない現実と接することが増えている。市場における物不足が徐々に深刻化しているような気がするのだ。最大の交易国のソヴィエト連邦の政治的・経済的混乱が波及している為だと噂されている。
ということは、もしソ連の混乱が今後も長々と続くようなら、自分たちの人民共和国はそれだけで危機的状況に陥ってしまうのではないか。いや、よしんば上手く混乱を収拾できたとしてだ。今のソ連の指導者であるゴルバチョフには社会主義体制そのものを放棄しようと目論んでいるのではないかという憶測すらあるのだった。そうなっては、同じ社会主義国であることを大前提に置いている様々な二国間関係が維持されるか疑わしい。
そして経済不況の深刻化は、人民赤軍にとって悪夢としか言えない事態を引き起こす恐れがあった。ある程度人材を厳選しなければならない赤衛艦隊や人民空軍では事情が異なるのだろうが、陸軍である人民赤軍に徴兵されてやってくるのは、ほとんどが非党員家庭の共和国公民なのである。
党員ならば、食糧の配給や住居の割り当て、高等教育機関への進学や職場での出世の優先権、医療機関の利用、海外渡航時に必要となる
この理屈に反発する慮外者は思想犯として
しかしながら、赤い日本において事実上の二級市民として半ば公然と位置づけられている彼らであるが、公然と口には出さねど党に対する反感を隠しきれていない者もいたりする。それでも紛いなりにも国家に従順であるのは、NSDによる監視体制もさることながら、党から敵視さえされなければ、貧しくとも最低限生きていけるだけの生活環境を提供してくれるだろうという信頼があるからだ。
もし経済状況が極端に悪化してその点が揺らぐようになれば、彼らの怒りがどんな形で爆発することか。人民赤軍の統制が維持できなくなるだろうし、下手をすれば内戦になる。そうでなくてもドイツのように、祖国が吸収合併される危険性が跳ね上がるだろう。
「経済がダメになったらあのドラ息子の誇大妄想に、ヤケになった軍上層部も乗っかりかねねぇ」
憤懣やるかたない口調でそう言って、狂助は日本酒が限界まで注がれているおちょこの中身を一気に喉に流し込んだ。正直なところ、ほんの数年前まで、それほど祖国の将来を悲観していなかった。どうにも好感を持つことが困難な次期指導者様とやらが、偉大な父親の死後に国政の主導権を握れるかどうか疑わしくあったのだ。
というのも、党内で哲夫に反抗している派閥があるのだった。その中核を占めているのは、敬愛する指導者である川宮勝次政権を長年に渡って支えてきた党の長老達である。彼らには偉大な同志首相の意向といえど、どうして自分達があんな若造の風下に立たねばならぬのかという不満があり、陰に陽に哲夫をただのお飾りにするか、最悪抹殺するかして、偉大な首相同志亡き後は集団指導体制で国家運営することを目論んでいた。
そうした動きがあることを噂ではなく、狂助は実体験で知っている。どちらの派閥もいざという時の為に自分たちの都合にあわせて動いてくれる軍の部隊が欲しいようで、部隊指揮官の取り込み工作に走っていた。首相が危篤状態に陥った頃、狂助のところにも両派から秋波が送られてきていたからだ。
どちらの勧誘にも「自分は常に党と国家に忠実な軍人です」と狂助は答えたものだが、内心思ったものである。耄碌しているとはいえ偉大な父からの後継者指名と支援があり、一〇年以上の時間があったにもかかわらず、反対勢力を排除することも取り込むこともできずに、このような勢力争いを起きている現状そのものが、ドラ息子のデブが指導者として不適格であるなによりの証拠ではないのか?
故に長老達の前に屈するのではないかと考えていたのである。しかし社会主義友邦が続々と崩壊し、ソヴィエト連邦も容態が悪くなっている今、哲夫の人気が党内でにわかに上昇しつつあるように感じられた。時間が経過するほど閉塞感が酷くなっていく状況下では、彼が唱える祖国を武力で統一してしまおうという国際社会を完全に無視している冒険主義的な意見は、ある種の魅力を放ち始める。
ここに今の状況が続けば現状の軍事力を維持し続けられるか怪しいという現実が加わる時、半世紀前の大日本帝国が対米戦を決意した時と同じ「このままではジリ貧になるから戦うなら戦えるうちにやった方が有利」という結論に達し、本来党の軍隊として政治的主張は厳禁とされる軍上層部をして川宮哲夫支持の姿勢をかためる可能性は否定しきれなかった。
「こんな時期に祖国を離れることになるとは歯がゆいです」
古賀は慚愧に堪えなかった。彼は今年中には駐中国大使館に駐在武官として着任する予定であった。以前より決まっていたことなのだが、きな臭くなってきている時局に祖国を離れなくてはならないというのは、共和国軍人としてとても残念であり、まるで窮地の祖国を棄てて逃げるようで恥ずかしいと感じていたのだ。
「気持ちはわかるがよ。お前が国外に行くってのは、お前が選んだことじゃねぇんだ。それと国外に行くお前に少し頼みたいことがあってな」
忙しいお前を招いたのはその為でもあるんだと狂助は立ち上がり、奥の部屋へと引っ込んでいった。数分ほどして茶色の棒状のものを片手に掴んで持ってきて、古賀につきつけた。古賀はそれを受け取ってゆっくりと端から端まで視線を走らせた。
「これは……昔の日帝の軍刀ですか?」
「ああ、俺の親父の遺品だ。九五式軍刀とか言うらしい」
死んだ狂助の父は、昔は大日本帝国の軍人であった。徴兵されて対米戦争開戦時より主に合衆国軍相手に太平洋の島々で戦い、曹長にまでなったらしい。優秀だったからというのもあるが、それ以上に人がバタバタと死ぬようになったけど、生き残れてたから曹長にまで昇進できたのだと生前の父は説明していた。そして大戦末期に北海道配置となり、ソ連軍と交戦して捕虜になったが、それでも軍刀だけは手放さなかったのだ、と。
だが、息子の狂助は父の語る大戦時の事柄にいささか懐疑的だった。帝国陸軍時代の経歴もそうだが、軍刀なんて捕虜になったら取り上げられてしまうものなんじゃないのかと思えたからである。だが、詳しく問いただす気にもなれずそのままにしていたので、真相は闇の中である。
「それでこれを俺にどうしろと?」
「
狂助の父は大戦末期に北海道に戻ってきたが、札幌からは程遠い地域に配置されてソヴィエト連邦の捕虜となった。その後、共産主義への転向を表明し、新日本の社会主義軍隊の一員となって祖国解放戦争にも従軍したが、札幌に近づける機会が一度もなく休戦を迎えた。北旭川に住居を求めたのも「ここが故郷に一番近い」という心情的理由が強かったというから、故郷への想いは相当に強かったのだろう。
古賀は泣きだしそうになるのを必死に堪えて頷き、軍刀を脇にゆっくりと置いた。狂助がそんな頼みごとを自分にしてくるということは、彼が今後の祖国の行く末をどのように考えているのか、はっきり示しているようなものだったから。
「……兎追いしかの山。小鮒釣りしかの川」
唐突に狂助は歌いだした。酒が入っていて父親の話をしたせいだろう。父はこの童謡をしばしば口ずさんでいたのだ。いや、狂助の父に限ったことではない。
「夢は今も巡りて。忘れがたき故郷」
狂助にあわせて、真莉と古賀も唱和した。初期の日本社会主義人民共和国の公民、特に軍隊には、元々大日本帝国陸軍に所属していた者が多い。ソヴィエト連邦は捕虜の送還先として、忌々しい日章旗を国旗としたままの日本ではなく、白地に赤い星が描かれた国旗を制定した新日本を選んだからだ。
そして単純に当時の人口比率的な問題で、彼らの多くが北海道以外の出身だった。軍事境界線の向こう側とはいえ、北海道内に故郷があった狂助の父は珍しいほうであった。彼らは遠くにある帰れない故郷と、そこに残してきた家族を思いながら、小学生の時分に教わったこの歌を口ずさむ者が多かったのである。
ついでに歌詞の内容的にも政治的な意味で都合が良かった。「祖国統一という志を果たしていつの日にか故郷に帰りたいのだ」という理屈がまかり通ったし、党としてもその解釈を採用し、昔と変わらず義務教育で教わる童謡となっていた。
「親たちはともかく、私たちにとって故郷はこの国よ」
「ああ、そうだ。この国の為に最後まで戦い抜くさ」
妻の言葉に狂助は深く頷いた。狂助は六〇年代半ばから七〇年代半ばにかけて、多感な年頃を過ごした。同じ分断国家状態にあった社会主義陣営のヴェトナムを、悪辣なる米帝軍隊が巨大な軍事力と謀略を持って抹殺しようとし、祖国を含む社会主義諸国が連帯してヴェトナム人民を支援し、長い戦いの末に米帝の侵略を跳ねのけて社会主義の下にヴェトナムが統一されようとしていた時代である。
当時の日本民主主義人民共和国は偉大なる川宮勝次同志の賢明なる指導の下に順調に発展していた――党員の家庭でも月に一、二回は肉が食える程度が普通のこちら側と比べて、既に高度経済成長に突入していたあちら側とは経済力で大きな差が生まれてはいたのだけれども。
しかしながら人民広報省は米帝追従による見返りと悪しき資本主義的な搾取の理屈による歪な経済成長である為に社会に深刻な亀裂を生じさせていると指摘し、東京の米帝傀儡政府に対する人民の怒りは天をつく勢いで革命に発展してもおかしくないと説明し、その証拠としてあちら側で盛り上がっていた学生運動をとりあげて報道していた。
今はそうでもないが、昔若かった頃、その理屈を狂助は疑うことすらなく心から信じた。祖国の思想的優越を。帝国主義陣営に対する社会主義陣営の最終的勝利を。いつの日か、友邦のヴェトナムのように、米帝を追い出して赤い星の旗の下に日本を統一する時がくるのだと。あの頃の党員家庭の出身なら程度の差はあれ若者の時分にそうした認識を持ったことはあるだろうが、分断都市にして被爆都市でもある旭川の北側で生まれ育った分、当時の狂助が抱いた想いは同世代と比べても強いものがあった。
酒が入っているせいか、あのデブのドラ息子が父の跡を継いで政府首相となるのも良いことかもしれないと狂助はふと思った。最高指導者になれば、あいつは確実に南への攻撃を命じるだろう。哲夫の命令ではなく、党の命令と思えば、悪くない。あるいは将校服に袖を通した時から、心のどこかで狂助はずっと渇望していたのかもしれない。党が祖国解放の為に南の傀儡勢力を粉砕せよと命じる時を。
「二人ともズルいです。俺だって残って戦いたい」
「ごめんないさいね。でも古賀君、子どもがいるでしょう? そんなこと言ってたら妹が泣くわよ」
「……やっぱズルいですよ。義姉さんにそれを言われると、なんにも言えなくなるじゃないか」
「そこで何にも言えなくのは立派よ? 妹のこと、よろしく頼んだわね」
完全にやりこめられた古賀は泣き出した。真莉に慰められているのを見ながら、狂助は内心思った。もう何度妻を抱いたかわからないが、何故か子宝に恵まれないことをこれまで不幸と感じていたが、実は幸運だったのかもしれない。子どもがいたら、童心に戻ってここまで吹っ切れ考えが浮かぶことはなかったかもしれないから。
今夜は飲もうと三人で酒を片手に思い出語りに浸った。おそらく宵宮夫婦とは自分が家族を連れて中国に旅だってしまえば、二度と生きて再会することはないだろう。だが、古賀はそれを表には出さずに努めて明るく振る舞った。
「真莉には近々俺の部隊にきてもらうからな」
「あなた、酔い過ぎよ」
顔を真っ赤にしてそんな脈略の無いことを言いだした夫に、真莉は肩を竦めた。狂助とは別の方面の部隊所属しているし、夫婦を同じ部隊に所属させるなんてできるはずがないと常識的に考えたからであるが、狂助は「違う違う」と自分のおちょこに酒を注ぎながら言った。
「休暇前に俺んとこの政治将校の幣原に頼んできたんだよ。同志幣原は約束を違える奴じゃねぇ」
「は、政治将校に? 本当にやったの?」
「おおとも。多少政治的信頼性とやらを損なおうが、最後の決戦という時、最大の戦友にして伴侶が傍にいてほしくてな」
ガハハハッとわざとらしく笑う狂助の頭を、酒気以外の理由で顔を真っ赤にした真莉がバカッと拳でこづいた。そんな夫婦のやりとりを見ながら、やっぱこの二人ズルくねぇかと古賀は唸りながら酒を飲み進めていた。