俺には二人の幼なじみがいる。
一人は物心が付いて間もない頃に知り合った、剣術道場の女の子――
そしてもう一人は、中学校に入ってから知り合った海外からの転校生――
他にも友達や知り合いは何人かいるし、そいつらと比べて特別親しい仲にあったってわけでもない。けれども、何かといえばその二人のことを思い出してしまうくらい、強烈な形で脳裏に刻まれてしまっている。そりゃあ、毎日のように目の前で大喧嘩を繰り広げてたら嫌でも忘れられなくなるかもしれないが。
ともかく、そんなはた迷惑な二人とともに、俺は何気ない日常を送って『いた』。正確には、送ったつもりになっていた、とでもいうべきなんだろうか。通学と授業と遊びという定まったルーチンの間に食事風呂睡眠諸々を挟む、ごくありふれた子供の一日。そういうつまらないけどつつがない生活ってものが大きくなるまで延々と続いていくもんだと、ずっと俺は勝手に思い込んでいた。
――そう。目の前で絶望的な光景が繰り広げられる今この瞬間までは。
『…………ゥゥゥゥゥゥンン』
首の後ろがぞわっとするような唸りを聞いて、思考が現実に引き戻された。同時にシャツを伝う汗の感触と、不快極まりない喉の渇きを脳が捉える。
「何なんだよ、一体」
半ば理解はしていながらも、俺は自分自身に現状を確認させるかのように呟く。
今立っている場所は篠ノ之神社の鎮守の森の中、林道から少し外れた場所にできた平地。周囲には今しがた切り倒されたばかりの巨木が数本、内外からの視界を塞ぐように横たわっている。
そして、先ほどからずっと怪音を発しているのは正面に立つ漆黒の人影。正しくは、そいつが手に握っている棒状の何かだ。多分、人の目ではわずかにぶれて見える筐体が高速で振動しているんだろう。『それ』を振り回せばどうなるかは、先ほど目の前でわざわざ実演してくれたおかげで嫌というほど理解できている。
この状況で背を向けて走れば運良く逃げられるだろうか。ほんの一瞬そんな考えが過ぎったものの、追いつかれて綺麗に胴を両断される姿が思い浮かぶばかりだったのですぐに諦めた。
残された選択肢は二つ。相手の心が少しでも揺らぐことを祈って命乞いするか、覚悟を決めてばっさり切られるか。とはいえ、後者は論外だから実質一択しかない。意を決した俺は、震える指先を握り締めながら声を張り上げた。
「な、なあ! お前は何が目的なんだ?」
「目、的?」
呼びかけに対して、頭らしき場所からくぐもった声が響く。どうやら意思疎通ができないってわけでもないようだ。おかげで少し緊張も解けた。
ひょっとしたら好意的な答えが返ってくるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、俺は再び口を開いた。
「そう、そうだ。お前の目的は何なんだよ? 俺にできることなら手伝うから、今は見逃してくれないか?」
「……っ」
異形の存在は、わずかに躊躇うような素振りを見せた。――が、次の瞬間。
「不可、能。お前も、標的」
片言のように喋ったかと思うと、相手は得物を俺に向けて構えていた。
交渉失敗。もはや意思疎通に応じる気はないのか、鳥肌が立つほどの殺気を全身から迸らせている。このまま相手が飛び出せば、かわす間もなく俺の体はあの武器に抉られるなり切り裂かれるなりするだろう。
マジかよ、冗談じゃねぇなんて恰好つけた台詞は口から出る筈もなく、俺は確実に訪れる死に震える奥歯をぐっと噛み締めながら、ただ機を待つ相手を見据えることしかできずにいた。
一秒が十秒に、いやひょっとすると百秒以上もの長い時間に感じられるほど、精神的に追い詰められた末に。
相手は、ゆっくりと片足を踏み込――。
「一夏ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
――もうとして、不意の叫びに硬直した。
まさか、拾っていた外部音声よりも大きな声が響いて驚いたなんてことは……。って、そんなことはどうだっていい。
考えるよりも先に自然と足が動く。相手が止まっているうちに一歩でも早く、遠くへと。生命の危機に曝されているおかげというのも変だが、自分でも驚くほどスムーズに倒木を乗り越え、声のした方へと一目散に駆けていた。
あれほど大きな声だったのだから、あいつはそう離れていない場所にいる筈だ。それは、彼女が俺同様危険に曝されるということに他ならない。
「そこから離れろ! 早くっ!」
森の外へと走りながら、彼女に向かって必死で呼びかける。きっとこの声も聞こえている。おそらくは敵にも。
「逃げろ箒!」
叫んだ瞬間、急に視界が開けた。森の外、ちょうど神社の裏に出た俺を、いつになく心配そうな顔の箒が竹刀を握り締めた姿で出迎える。おそらくは神社の手伝いをしていたのだろう、学校の制服でも道着でもなく巫女装束を着た彼女は、俺の姿を見るなり駆け寄ってきた。
「一夏? 無事なのか一夏?」
「バカ野郎、待ってないで今すぐ離れろ!」
怒鳴りつけざまに彼女の手を引いて、境内の中央へと走る。少なくとも人気のないこの場所は危険だ。本殿の前か、社務所か……とにかく誰かに目撃されうる場所へ行けば、敵も襲撃を躊躇するかもしれない。
「一夏、一体何が起きたのだ? 森の中から木が倒れる音が聞こえたがあれは――」
箒が疑問を口にする前に、木々を掻い潜ってその張本人が現れた。薄暗い森の中では大まかな姿しかわからなかったが、ここでははっきりと全身を捉えることができる。だがそれは同時に、相手への絶望をより深める要因でもあった。
「こいつまさか、
漆黒の装甲に守られたその異形を見て、思わず声を上げる。無理もない。IS――正式名称『インフィニット・ストラトス』、当初は大気圏外での運用を目的として作られたマルチフォームスーツであり、現在は全世界が最悪の脅威と見なす
テレビの中では何度も見たことがある。国際的に暗躍していた犯罪組織が奪取し、その後数々のテロに用いてきたということも知っている。けれども、それがよりにもよって自分達へと差し向けられるなんて誰が想像できるだろうか。
「――目的は姉さんか」
いや、想像しておくべきだった。狙われうる人物が身内にいるのなら尚のこと用心しておかなければならなかったんだ。箒の口からこぼれた言葉に、今さらながら後悔の念を抱く。
「篠ノ之、束。関係者。皆、殺し」
片言で喋るその声は、簡潔にその目的を告げていた。関係者というのがどこまでの範囲を含めてなのかは知らないが、相手は戦略規模の超兵器。この町ひとつ滅ぼすことが皆殺しって解釈でもおかしくはない。
くそっ、一体どうすれば――。
「……ものか。させるものかああぁぁぁぁっ!!」
もはやどうすることもできない状況に頭を抱えたくなったその時、箒が俺の手を振りほどいた。そのまま竹刀を手に黒塗りの敵へと切りかかる。
「お、おい!」
無茶だ。現行の重火器でさえ歯が立たなかった相手に、よりにもよって竹刀だなんて。
構えを取りもしないIS目掛け、彼女は上段から会心の一撃を叩き込む。――その切っ先は相手の装甲に触れる寸前で何かに弾かれ、その反動で柄が握り締める両手から弾き飛ばされた。
「なっ――」
「無駄」
驚きと振り抜いた直後で無防備になった箒へと、武器を持たない方の腕が振り上げられる。あの状態から殴打をしのぐことは不可能だ。そして、機械の腕力で殴られれば人間がどんなことになるかなんて、考えるまでもなくわかっている。
「やめろぉ!」
とっさに飛び込んで箒ともども地に伏せる。――当然ながら、彼女の上から遅れて被さる形になった俺の方は間に合わなかった。
ほんのわずかに引っかかった拳が脇腹にめり込む。骨が軋み、衝撃にヒビ割れ、内臓が想定外の強さで揺さぶられて悲鳴を上げる。アクション映画かよ冗談じゃねぇ、と痛みに揺らぐ意識の中で考えながら真横に突き飛ばされた俺は、一瞬の後に境内を横断してどこかの扉へと打ち付けられた。
正直生きてるのが信じられない、いやもうすぐ死ぬけれどなんて馬鹿げた考えと共に鉄臭い液体が喉を勢いよく逆流してくる。
「……かはっ」
耐えられずにぶちまけたそれの色さえあやふやなほど、俺の脳は心身ともども限界まで追い詰められていた。
「ほ、うき……」
ぼやけた視界の中に幼なじみの姿を探しながら、なんとか意識を保とうと努力する。今すぐ逃げてくれ、一秒でも長く、俺より生き長らえてくれと祈りながら。
「一夏ぁ!」
おいバカ野郎、俺のことはいいから今すぐ逃げろ。駆け寄ってきた箒を叱りつけようと思っても掠れた息しか出ない。くそっ。
「死なせない。一夏は絶対に私が守る」
このまま俺は、俺達はこいつにやられるのか。箒の親父さんも、おばさんも。
「殺させるものか。絶対に」
鈴も。友達も、クラスメートも。
「私の命に代えても」
千冬姉。くそっ――そんな、そんな不条理は。一方的に奪われる結末なんてものは、絶対に認められない。
「だから――」
だから。どんな形だっていい。たった一度きりでもいい。
俺の大事な人達を。目の前にいるこいつを。
「「守る力を――――ッッ!!!!」」
――もし、『奇跡という概念をわかりやすく目に見える形にしてみなさい』という問題があったとしたなら。
それはきっと、今まさにこの場で起こった出来事がもっとも適切な解答なんじゃないか。
俺と箒の両方がそう思うくらいには、あまりにもご都合的で準備の良過ぎる『力』が。
『
その瞬間、望み通り俺達の目の前に顕現した。
<第1話 了>
本当はブルブルする剣を一夏に突き立てたかった(物理攻撃的な意味で)