――物心付いたその時から、俺はただ守られ続け生きてきた。
ある時は千冬姉に。
道場からの帰り、夜道が怖くて立ち竦んでいた俺の手を、あの人はいつも優しく握って連れ帰ってくれた。差しのべられたあの手の暖かさを忘れたことは一度としてない。
別のある時は束さんに。
普段は他人とのかかわりを嫌うくせに、俺が神社へやってきた時のあの人はもう一人の姉みたいな人懐っこさを見せてきた。千冬姉の訃報を聞いた時だって無理矢理付き添って、茫然自失の俺の代わりに一切の手続きをこなしてくれた。
自分では人見知りだと言いながらも、いつだって気にかけてくれるあの人の優しさを俺は知っている。
――だから誰かを守りたいといつも思っていた。
母親から貰った大切な名前をいじめっ子にからかわれて、それでも気丈に振る舞おうとしていた女の子を。
突然異国からやってきたというだけで敬遠されて、クラスの中で孤立していた転校生の子を。
それだけじゃない。いつも困っている誰かの味方になりたいと、不条理を挫く正しい人間である為に戦っているつもりでいた。
でも力任せの介入で状況は何一つ変わらない。一人の拳でどれだけ戦ったって、大勢の拳には敵わない。わかっているのに毎度首を突っ込んで、大事にして千冬姉に叱られて。挙句助ける筈だった相手に自分の窮地を救われたりもして。
結局、俺は誰かに守られ続けているだけだった。どれだけ強さを求めても、どれだけ自分の力を正しく振るったつもりでも、その状況だけは変わらなかった。
――人を守るために振りかざそうとした『強さ』は、俺の
千冬姉がいなくなってから、あの人が本当に守っていたのは俺の心だったんだ、とようやく思い知った。
みんなに慰めの声を掛けられる度、心の穴を意識してしまう。鈴にも、箒にも、束さんでさえ埋められない穴。そこから俺の『強さ』が絶えず零れ落ちていくように思えてならなかった。
あの人だけにしかわからない俺の弱さ。
あまりにも奥深くにしまい込んだせいで自覚できなくなっていた恐怖心。
それを何となく理解して封じ込めてくれていたからこそ、誰かを守る自分を目指す無謀に踏み切れた。
――でも、その栓はもう
底が割れた水瓶のように、根拠を持っていた筈の自信が、強さへの自負が、とめどなく流れ出しては虚無に消えていく。
そうして最後に残ったのは包み隠してきた『弱さ』。
俺の存在の否定という原初の『恐怖』。
鋭く突き刺さる棘に苛まれて、十年を超える歳月の中で育まれてきた精神が砕かれ壊れていく。
そんな風に衰弱を重ねていた
『――――だったらいい方法があるよ、いっくん』
その時の束さんは慈愛に溢れる表情を浮かべていた筈なのに、俺には人を誘惑して魔道に堕とそうとする悪魔のように見えていた。
――いや、悪魔そのものだった。
千冬姉の喪失をきっかけに狂ったのは決して俺一人だけじゃなかったと、ようやく初めて実感することができた瞬間だった。
『いっくんを責めるソレは、普通の人にとっての薬でも、今の君にとっては苦痛をもたらす毒でしかない。だったら、影響がないようにきれいさっぱり取り去ってしまわないといけないよね』
一歩ずつ歩み寄りながら彼女は言った。
その通りだ。突き刺さり傷を付けるだけの痛みには何の利点もない。だったらさっさと取り去ってしまえばいい。
『大丈夫だよいっくん。欠けた分は新しく作って補ってしまえばいいんだから。このらぶりぃ☆束さんがいれば、いっくんはいつだってハッピーになれるんだよ』
優しく抱き寄せながら彼女は言った。
そうだ。束さんにできないことは何一つ存在しない。この人がいれば、俺の地獄を消し去ることだって不可能じゃない。
『だからねいっくん。お姉さんとひとつ約束してくれないかな?』
無抵抗の俺を抱きしめて、彼女は耳元で囁いた。
その心地良さに身を委ねながら、唯一俺を守ってくれる温もりの中で小さく頷く。その感触に一段と表情を緩めつつ、彼女は言った。
『壊れた
――悪魔は魂を対価に奇跡を叶える。目の前の彼女もまた、その対価を求めていた。
だからこそ、
自らの魂を対価に、傷付くことのなかった『織斑一夏』を実現するという奇跡の体現を。
――果たして望みは叶えられ、『織斑一夏』は実姉を未曽有の悲劇の中で喪いながらも、友人達とともに強く生きる少年となった。『彼』の中にかつての彼はなく、傷付き壊れた魂は契約の記憶ともども、その肉体から引き剥がされて消えた。
だとしたら、この記憶を持つ俺は誰だ。
過去の出来事を思考の中で回帰させている俺は何者だ。
知りえる筈のないことを知っている俺は、喪失をきっかけに独り傷付き壊れた織斑一夏であっても、今あの場所に
それが事実だとしたならば、
■ ■ ■
目を覚ましたユキが家に戻ってきたのは次の日の夕方だった。
「朝の時点で処置を済ませて引き渡そうとしていたのですが、頑なに拒絶されてしまいまして。遅れてしまい申し訳ありません」
俺の家の玄関先。頬を膨らませたユキの両肩に手を添えながら、ブランケットさんは俺達に向かって頭を下げた。
「別にそんな、謝らなくても大丈夫ですよ。今朝はだいぶ急いでましたし」
「いえ、こちらに不手際があったのは事実ですから。とりあえずISの展開に制限を掛けておきましたが、見ての通り納得して頂けてはいないので、貴方からも厳しく言い聞かせて頂けないでしょうか」
「えっと……わかりました、そうします」
彼女の要請に、俺は頷いて答えた。
とはいえ、俺達を守ることが使命のユキに『戦わないでくれ』ってお願いするのはちょっと気が引けるな。うん、どう説得したものかね――。
「それではお気をつけて」
「どうもありがとうございました」
立ち去るブランケットさんを見送った後、俺はなんとなくユキの方に目を向けた。
彼女やハルフォーフさんに何かきつい言い方をされたんだろうか。あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しく、険しい面持ちだった。
仕方ないっちゃ仕方ないんだろうが、なんだかかわいそうに思えて仕方がない。まあ、説教よりもまずはこれまでの彼女を労おう。美味しいご飯を食べれば少しは元気を取り戻してくれる筈だ。
「――飯の準備もあるし、とりあえず中に入るか。ユキも腹減っただろ?」
そう言って差しのべた手が払われる。
いつものように優しく呼びかけたつもりだった筈なのに、彼女は怯えるように体を震わせて見上げてきた。
――見捨てないで。
暗い眼差しが俺を捉えた瞬間、一瞬思考にノイズがかかったような感覚を覚えた。
『イチカ…………。怒らないのですか?』
「怒るって、何を?」
『ISを展開できない私にはイチカやホウキを守ることはできません。護衛が不可能な以上、私が存在する意味はないのではありませんか?』
確かに、敵のISと戦えないなら俺達を守ることはできない。
だとしても、その事実とユキの存在を否定することとは決してイコールじゃない筈だ。
それに――脅威と戦う術を失ったといっても、誰かを守る事自体ができなくなったわけじゃない。多分、ユキはそれにまだ気付いていないんだ。
だったら、この場で伝えればいい。
『私の居場所など、ここには存在しないのでは――』
「なあユキ」
気付いた時には両脇から肩を掴んでいた。光を失いかけた双眸と真正面から向き合いながら、俺は呼びかける。
「見ての通り、俺は守られる側の人間だ。昔は千冬姉に守られて生活してたし、今だってセシリア達が護衛してくれる中で生きてる。だけどなユキ、俺は
『意味がわかりません。理論的に矛盾しています』
「そう思うのは、お前が脅威と戦うことだけを守ることだと考えてるからだ。そうだろう?」
『それはっ――! でも、私はっ――!』
「だけどなユキ。人を守れる奴ってのは、誰かがその気持ちを支えてくれるから動けるんだ。力があるからってだけじゃない。守りたいと動く想いを受け止めて認めてくれる人がいて、そこでようやく誰かを守ることができるんだ」
必至になって言い聞かせるうちに、昔一度だけ聞かされた千冬姉の言葉を思い出した。
『いいか一夏。強さというものは孤独の先には決して存在していない。己の持つ力を他人に認められて初めて、己の強さとして成立するんだ』
あの時の千冬姉は、師範である箒の親父さんに教えられた話をそのまま俺にして、ちょっと格好付けてみたかっただけだったらしい。くだらない顛末だが、今にして思えば大切な心得だ。
力はどれだけ磨いてもただの力。それを評価してくれるからこそ、その人自身の強さになる。
だからこそ、俺は俺を守ろうとする人達の強さを認め、信じようと心に決めた。守る強さの拠り所になって、みんなを守りたいと心から思うようになったんだ。
「俺を守る誰かがその場にいるなら、俺はその想いを守る人間でありたいと思ってる。セシリア達のことも、お前のことも、同じように信じてる。だから俺は誰かに守られる側で、誰かを守る側なんだ」
『そんなものは屁理屈です。私の存在を肯定する根拠にはなりえません』
「それでもいいさ。お前が何と言おうと俺はお前の強さを信じてる。現に三度も俺達を守ってくれただろう?」
一度目はゴーレムの襲撃から救い出し、俺を治療してくれた。
二度目はセシリアが戦闘を繰り広げる中、身を挺して流れ弾を防いでくれた。
三度目は到底敵わない相手と知っていながら、俺達を守るために大破してでもオータムに挑んでくれた。
たとえ彼女がどれほど今の自分の無力さを嘆いたとしても、俺達の為に持てる力と勇気を奮ってくれた
「もし戦う力がないって言うなら、今度は俺がお前を守る。ISなんて天地がひっくり返っても動かせないけど、できる限りのことはやってみせるさ。だから、今度は俺の想いを守るためにこの家に残ればいい」
『…………本当に、無茶苦茶なことを言う人ですね』
ユキは呆れ顔で言った。
もしかしたら、引き留めるつもりで必死に主張しているようにしか見えていないのかもしれない。それでも俺は、あくまで真面目に俺自身の在り方を示しているつもりだ。
たとえ彼女に否定されようと、それが俺にとっての人を守る方法。無防備な守り手達の心を守る、唯一絶対の守護だと確信している。
だからこそ、この信念は変わらないし、容易く曲げたりはしない。
「今はわからなくてもいい。無力でも嘆かなくていいんだ、ユキ。もう一度力を取り戻した時に、今まで通り俺達を守ってくれ。それまでは俺がお前のことを必ず守ってみせる」
言い聞かせる俺を振り払い、彼女は一歩後ずさった。深く俯いているせいで表情は見えないが、多分困惑していることだろう。
――さすがに熱がこもり過ぎたか。いかんな、もっと冷静にならないと逆効果だ。
『イチカの主張は理解できませんし、納得もできません』
そう答えると、ユキは静かに顔を上げる。その目は、ほんの少しだが輝きを取り戻していた。
『……ですが、私の存在を否定していないことはわかりました』
「当たり前だ。どこにも嫌う要素なんてない、そうだろ?」
たとえもう二度と戦えなくなっていたとしても、この一週間を共に過ごしてきた彼女は俺達にとってかけがえのない存在だ。
ISが使えないくらいがなんだ。無力なだけで拒絶するような人間なら、こうして一つ処に寄り集まるようなことは初めからしていない。そんな奴は、彼女を『兵器』としてしか見ない筈だ。
俺達が好きだと思ってるのはユキ自身。そこからISという要素が抜けたとしても、俺達の中での彼女は彼女のままだ。だから、誰も否定しない。誰も嫌ったりなんてしない。
「だから安心してこの家に残ってくれ。『白式』としてじゃなく、ユキとして」
『その提案には即答しかねます。……しばらく、考える時間を頂けますか』
「構わない。ゆっくりと結論を出せばいいさ」
そう、時間はまだ十分にある。
もしこの家に残りたいと思ったなら、俺はどんな手を使ってでも彼女をこの家に引き留めてみせる。誰かの思惑で引き取られそうになったとしても、どこにも連れて行かせはしない。
仮に出ていくと決めても、その時はユキが気兼ねなく暮らせる場所を見つけ出してみせる。それが俺にできる唯一の務めだ。
「――まったく、黙って聞いていれば気恥ずかしくなる台詞ばかり口にするな。どこまでもお前らしいと言うか」
後ろで見守っていた箒がそう言ってため息を吐いた。とはいえ、彼女も俺の意見におおかた同意してくれてはいるようだ。
「ま、一夏なりの説得方法なんだからいいじゃない。私は結構好きだけど?」
腰に手を当てて聞いていた鈴も頷く。多少考えに差があっても、ユキに留まってほしいのはみんな同じだ。
「とりあえず、ユキちゃんは普通の女の子として生活してみればいいんじゃない? ユキちゃん自身が考えをまとめるには、もっといろんな経験を得ることが必要だと思うの」
「知る世界が広がれば考え方もまた自ずと変わっていくだろうからな。剣を究めることだけが剣士の糧となるわけではない、と父もよく言っているぞ」
『一理あります。私には、戦闘以外の知識は現状で最低限しか備わっていません』
口々に言う二人を前に、ユキも少しばかり平静を取り戻していた。この調子なら、いずれは落ち着いて自分なりの回答を出せるようになるだろう。
そう思いながら、俺は三人の少女に呼びかけた。
「三人とも思うことは色々あるだろうけど、まず真っ先にやるべきことがある。そうだろ?」
「やるべきこと?」
首を傾げる鈴。
いや、あるだろう。人間が生きる上で最も大切なことが。
「腹が減ってはなんとやら。まずは夕飯を作って食べないか」
――その瞬間、俺達四人の腹の虫が一斉に鳴き声を上げた。
<第11話 了>