「――――っつう」
痛む頭を押さえ、凰鈴音は上半身を起こした。
幸いにも大した怪我は負っていなかったが、鈴もろとも吹き飛ばされた端末は、落下の衝撃で大きく亀裂が入ってしまっている。素人目に見ても、もはや使い物になる状態ではなかった。
(一体どうなってるのよ。気がついたらこんな場所にいるし……)
突然誰かに『呼ばれた』ような気がしたと思ったら、自然とその足が動いていた。まるで誰かに操られるように、曖昧な意識の中でその『声』の呼ぶ先へと歩いて――。
そうして、気が付けばこの場所に立ち竦んでいた。
「まったく、オカルト体験だなんて冗談じゃないわ」
よろめく足で立ち上がった彼女はそう呟いた。我に返った時には漂う煙のせいでよく見えなかったが、周囲には嵐の過ぎ去った後を思わせるような破壊痕が幾つもある。おまけに、うっすらと残る煙の向こう側では、未だに銃声と金属同士のぶつかる音が絶えず響いていた。
「よくわかんないけど……この場所に留まっているのは危険よね」
いつこちらに再び被害が及ぶかわかったものではない。彼女は脅威から遠ざかろうとして――その行く手を黒い影に阻まれた。
「目標、確認」
「なっ――!?」
刺突用の武器だろうか。杭のようなものが突き出た武装を両腕に一本ずつ装着したゴーレムが、彼女の目の前に佇んでいた。そのラインセンサーアイが攻撃対象を捉えると同時に、片腕が大きく振り上げられる。
「破壊する」
その抑揚に欠けた声に恐怖を覚えた鈴が逆側の腕へ走り込んだ瞬間、拳が叩きつけられた。ほんの一瞬遅れて脇をすり抜けた一撃は、近くに転がっていたコンテナの側面を貫き、大きくひしゃげさせる。続けて打ち込まれた杭の衝撃が破孔を内側から食い破り、何倍にも拡大させた。
「初撃回避。目標、再捕捉」
原形を失った貨物から腕を引き抜いたゴーレムは、首だけを回してその目に鈴の後姿を捉えた。
「修正。逃走経路、破壊、最優先」
射出態勢の整った側の腕を構えて敵が跳ぶ。その目標は彼女ではなく、通路脇に積み上げられたコンテナの一角。落下とともに打ち出された拳は『壁』を吹き飛ばし、走る鈴の眼前にその残骸を降り注がせた。
(まずいっ!)
すぐさま足を止めた鈴は、進行方向とは逆に走る。わずかな間ではあったが、その努力は落下物の回避という形で実を結んだ。だがそれは唯一の逃げ口を失い、袋小路に追い詰められたということでもあった。
「目標、再捕捉」
彼女の目の前に再びゴーレムが現れた。左右は壁、後方は瓦礫で埋まり、どこにも逃げ場は残っていない。
「……最悪だわ」
なんでこんな目に遭わなければならないのか、と文句を垂れなければやりきれない気分だった。仮に運よく回避できたとしても、また回り込まれて道を塞がれるだろう。そして、遅かれ早かれあの凶器に穿たれることになることは確実だ。
(正直、こんな人生の終わり方ってないと思ってたんだけど)
ファントム・タスクが世界各地で事件を引き起こしているといっても、その頻度はあくまで重大な事故が発生する程度のものだ。だから大半の人間は、世界の脅威とは無縁のまま生を謳歌している。そういう意味では、自分は悪い方向で非常にツイているのかもしれない、と鈴は思った。
ついでに『奇跡の生還』という幸運も上乗せされることを望みたかったが、この状況ではそうも上手くはいかなさそうだ。
(せめて『辞世の句』みたいなものは残しておきたいけど、それも無理そうよね)
半ば諦めムードを漂わせながら、彼女はゴーレムを見つめる。その背後に先ほど貫かれていたコンテナの残骸を見つけた瞬間、不意に体が強張った。
『声』が聞こえる。あの中から何かが呼んでいる。
「回避行動、未確認。装填、完了」
敵の機械的な音声もまともに入ってこないほどに、鈴は意識を吸い寄せられていた。足が自然と動き、前に踏み出し始める。
あろうことか敵へ向かって走る彼女へと軸を合わせ、ゴーレムは両方の腕を振り上げた。
大雑把なモーションで繰り出される二つの拳。確かに標的を捉えた筈の殴打は――。
――不思議なことに空を切った。
単なる偶然か、それともあえて狙ったものかはわからない。いずれの形であれ攻撃を回避した彼女は、無防備な敵の脇を抜け、その奥の残骸へと走り込んだ。
すぐ傍まで寄ったことで、鈴はコンテナの悲惨な状態を目の当たりにすることとなった。頑丈そうにも見える外壁は、杭の射突によって大きくひしゃげ、人が容易に通り抜けられるほどに広く抉り取られていた。
追撃を恐れる素振りすら見せず、鈴はコンテナの中へと入る。内側の空間も同じく衝撃でひどく損壊していたが、彼女はそこに鎮座する『何か』だけは無事だという確信を抱いた。外からの光に反射する、擦り傷ひとつないその表面に、彼女は右手を伸ばして触れた。
その瞬間、彼女の中に情報の奔流が押し寄せた。
それは、目の前の物体に記録された稼働の為の情報。あるいはその核に刻み込まれた運用の記憶。入り混じり渦のように暴れるそれらが、彼女の脳内に必要とする知識体系を強制的に築き、操縦の感覚を意識の深層へと繋げていく。
激しい頭痛と吐き気に襲われながらも、鈴は意識と関係なしに言葉を紡いだ。
「動きなさい、
装甲の継ぎ目、エネルギーラインの走る内部構造に桜色の輝きが灯る。名を呼ばれたことで起動したISは、その重厚な鎧の内部へと彼女を飲み込んだ――。
■ ■ ■
「セシリア」
スタッフの誘導で埠頭とは逆側にあるゲートに辿り着いた箒は、すぐ隣に立つ護衛の少女へと呼びかけた。
ここへ来るまでにも何度か爆発音を耳にした。建物に隠れているせいで何が起こっているのかは確認できないが、少なくとも向こう側で戦闘が続いていることは確かだろう。
一夏やユキ、それに鈴の安否が心配で居ても立ってもいられない。まさしくそんな状況だった。
「一夏達は……あいつは、大丈夫なのか?」
「ええ。きっとみなさんは無事ですわ。ですから、今はこの場で係員の指示を待ちましょう」
不安を隠しきれない彼女に、セシリアは落ち着いた口調で言い聞かせた。
とはいえ、あまり楽観できないことも確かだ。一夏達は真っ直ぐ埠頭を目指して走っているが、すぐに鈴と合流できるとは到底思えない。しかも、現場では今もクラリッサがオータムとゴーレム数機を相手に戦っている最中だ。
チェルシーのサポートで戦闘区域を避けて動くように指示は出しているものの、何かの拍子にクラリッサが捕捉しきれなかった敵と遭遇する可能性もある。最悪の事態に至らないことを心の底から祈りながら、彼女はあくまで箒を不安がらせないよう平静を装っていた。
――その時、待機中のISからセシリアの意識内にコールが届いた。
チェルシーからの暗号通信。それも、個人端末宛てではないことからして緊急のものに違いない。彼女は即座に思考を切り替えて応答した。
『クイーンよりビショップ、何か起きましたの?』
『はいお嬢様。埠頭内にて新たなISの反応を確認しました』
『新たな……? ユキさんのものではなくて?』
『いいえ』
訊き返す彼女に対し、チェルシーは緊迫した声音で答えた。
『現在登録されている機体との照合を行っているのですが……これはまさか!』
『その反応からおおよその見当は付きましたわ』
そう言って、セシリアは静かに息を吐き出した。
『移送中の試作機。いえ、正確には中国の手掛けた第三世代型IS、『
『はい、その通りです。ですがお嬢様、どうしてそうと言い切れるのですか』
『同じ第三世代型の操縦者としての直感、でしょうか。単なる偶然かもしれませんが、曰くつきのアレなら尚のことあり得る話でしょう』
以前から、『時としてISに人が操られる』というオカルトめいた噂はあった。勿論それは根も葉もないものだが、あの『甲龍』に限っては――『IS殺し』と呼ばれ恐れられるあの機体だけは――嘘とも言えない。
研究施設での稼働試験がある日に限って、待機を命じられていた筈の操縦者が勝手に乗り込み、試験中のISに襲いかかる。それが基本運用試験であろうと模擬戦闘であろうと構わず乱入し、敵と認識したISを問答無用で叩きのめすのだという。
当然、第三世代型に攻撃された側は大抵無事では済まず、試作機の破損、設備の損壊、操縦者の負傷など、研究施設には甚大な被害が生じた。事後に降りてきた操縦者を捕えて事情聴取しても、操っていた筈の当人は揃って『声が聞こえた瞬間意識が遠くなり、気がついたら拘束されていた』と答えるばかり。挙句、ISのデータログにはコア自身の厳重なロックが掛けられているせいで戦闘中の挙動分析もできない始末だった。
そのような事故が何例も続いたせいで、日本が国産機の『打鉄』三機分のフレームと交換で引き取るまで、運用試験から外され厳重に封印されていたとも聞いている。
貴重な操縦者まで巻き込んで暴走するような代物を引き取る日本も物好きだが、その特殊性を知った上での取得ゆえに、敵の襲撃を避けて別ルートでの搬入を試みたのだろう。しかし、この場で戦闘が発生したことで『甲龍』が目覚めたのだとしたら――。
(あまり考えたくはありませんが、ここから詳細を把握するのは不可能。ここはチェルシーとクラリッサに任せるしかありませんわ)
ふと鈴の姿が脳裏に浮かぶ。彼女は操縦者ではないし、ISを見たとはいえ直接触れる経験はしていない。だが、それでも可能性は否定できない。
「セシリア、表情が険しいがどうかしたのか?」
「いいえ。大丈夫ですわ」
一瞬思い浮かんだ最悪の状況を払うように、彼女は首を左右に振った。
■ ■ ■
『――寄越セ。コノ身ヲ駆ル
頭の中に響くざらついた声に不快感を覚えながら、鈴は意識を覚醒させる。
さっきまでのこめかみを締め付けられたような頭痛、胃がひっくり返りそうな強い吐き気は不思議となかった。代わりにこの耳障りな声が耳の奥、脳そのものにしつこくまとわりついてくる。
(って、何なのよこれ。なんか患ってる変な奴みたいなこと喚いてるし)
嫌悪感を募らせつつも、彼女はひとまず状況を確認しようと見回す――必要がなかった。後ろにも真横にも、上下にさえも目がついているかのように全方位が知覚できる。まるで意識だけが飛び出して、目の前の自分を俯瞰しているようにさえ感じられるほどだ。
機械を全身にまとったその姿を見て、彼女はISを装着しているのだと初めて理解した。同時に、これがどんな機体なのか、どう動かせば良いのか『わかって』いることにも気付く。この『甲龍』というIS、言っていることは物騒だが、乗せる上で一応の準備は整えてくれたらしい。
『寄越セ寄越セ寄越セ――』
「だぁっ、うっさい! アンタなんかに渡すもんなんかないの!」
延々と続く呻きにひとり怒鳴り声を上げ、彼女は装甲に覆われた腕を動かした。重厚な見た目に反して重さはほとんど感じられない。
(まずはこの中から出ないと駄目ね。よっこら、せ!)
軽く拳を壁にぶつけてみるが、反応はない。さすがはこの機体を封じ込めていた輸送設備、そこまで柔にもできていないらしい。
(って、そんなことしなくても穴空いてるし)
もう一度と拳を構えたところで、彼女は側面の破壊痕を見つけた。中へ飛び込む時に使った大穴だ。この場所からなら、ISを装備していても出られそうに見える。
問題は外に待ち構えているであろうゴーレムだが、ISがある今なら対抗できる筈だ。そう考えた鈴は、呻き続けるISに大声で呼びかけた。
「えーと、アンタ『甲龍』って言ったっけ? ちょっとばかし力貸しなさいよ」
『ナラバソノ
「アンタ、馬鹿じゃないの!? 動かすのがこの私、従うのがアンタなの!」
相変わらずの相手に彼女は憤慨した。全くもって、主従の関係というものをこのISはわかっていない。とんでもなく失礼な機体だ。
それに、この頓珍漢は自分をここへ連れてくるまでの間さんざん危険な目に遭わせてくれたのだ。こうして操縦者として乗せた以上、その苦労にはちゃんと報いてもらわないとこちらの気が済まない。
(何としても従わせてやるわ。全ては私を甘く見た罪よ!)
半ば意地のような意思をもって、彼女は『甲龍』に命じた。
「『
『我ガ名ハ『シェンロン』――』
「アンタなんか『こうりゅう』でいいの。これは決定事項よ、け・っ・て・い・じ・こ・う。偉そうに言ったって、操縦者がいなきゃただのポンコツなんでしょ?」
的確な指摘に黙り込む『甲龍』。対する鈴は追撃の手を緩めない。
「大体
『ム……』
「いい、世の中にはユキちゃんみたいに従順で真面目なISだっているの。だから私の中のISに対するイメージは概ねユキちゃんだったのよ。それをアンタみたいな横柄で喧嘩腰な奴にぶち壊されるなんて、到底許されることじゃないの。アンタのその言葉、行動は、全てのISに対する冒涜よっ!」
『我ノ否定……何トイウ想定外ノ事態……』
驚愕――ISにそんな感情があるとするならばだが――したように呟く『甲龍』を相手に、鈴は勝ち誇った表情を向けた。
ただしその相手は自身の装着する兵器。当然ながら、他人にはひとり喚き立てているようにしか映らない行動である。誰一人として見聞きしていないのと、彼女にその自覚がなかったことが不幸中の幸いだった。
「いい、『甲龍』。私はこの場の窮地を切り抜けたいの。でもってアンタは私を操縦者として認めたIS。ここはお互い協力し合うべきじゃない?」
『戯言ヲ。我ハ我ノ為ニ
「今だけは認めて。さもなきゃここで共倒れよ」
出口に手を掛けながら、彼女は『甲龍』に言い聞かせた。
「大体、協力っていっても簡単なことじゃない。目の前の敵をぶっ飛ばすだけなんだから」
『敵ヲ倒ス。ナルホド、我ガ行動ノ理ニ適ッテイル』
「いい具合に脳筋で助かったわ」
彼女はようやく意思疎通できたような、けれどそうでもないようなISの言葉に呆れながら、コンテナの外へと出た。姿を捉えて振り向く漆黒のゴーレムに、構えを見せつつ対峙する。
同時に、『甲龍』の機体構造が高速で組み変わっていく。ISコアが全力稼働して一次移行とやらを進めているのだろう。疑似投影されたステータス画面の巡るましい変化を確認しつつ、彼女はISに呼びかける。
「さあ――
『承知』
両拳を握りしめ、『甲龍』は眼前の敵に殴りかかった。
<第16話 了>