航空機というのは運用回数に対して事故を起こす確率が非常に低いと言われている。けれども、それはごく当たり前の運用方法で、なおかつ悪意を持った誰かの破壊工作が及ばなければという前提条件があってのことだ。
そして、万が一事故が発生した場合に命が助かる確率もまた――非常に低い。
『貴方のお姉さんの乗った飛行機が先ほど消息を絶ったの。乗客の生存は絶望的だそうよ』
だから、電話口で告げられたその言葉は、半ば死刑宣告と言っていいようなものだった。
箒が誰に電話をしているのかはまったくわからないし、その情報を寄越した人物がどれだけ正確に状況を把握しているかも不明ではある。だがおおよそ見当はついているのだろう。
『篠ノ之束の乗った飛行機はファントム・タスクの標的になり、彼女一人を抹殺するためだけに撃墜されたのだ』と。
「そんな……」
思わず膝をついてしまうほどのショックを受け、箒の顔は絶望一色に染まっていた。
『現在は信号の消失地点を中心に捜索範囲を広げているわ。高高度での空中分解となると飛散した範囲も相当広くなるでしょうけど、痕跡が見つかるまでそう長くはかからないと思う。新しい情報が入ればまた連絡するわ。それと、貴方の方は大丈夫だった?』
「はい。今の、ところは」
今にも倒れそうな状態で辛うじて踏みとどまりながら、電話に応対する箒。今すぐにでも替わってやりたい。そう思ったものの、このタイミングで面識のない俺が出たら逆に怪しまれかねないとつい二の足を踏んでしまっていた。
『できるだけ早いうちに護衛を付けるわ。それまではくれぐれも用心して』
「お心遣い、感謝します。では失礼します」
震える手で受話器を下ろした箒に、
『こうなることを予見して私を用意した方です。きっと襲撃に際しても何らかの対抗手段を備えていたに違いありません』
「憶測だけで語るな!」
おそらく励ますつもりで言ったのだろうが、今の箒には逆効果でしかなかったようだ。彼女は反射的に立ち上がると、直立するISへ掴みかかろうとした。
「やめろ、怪我するぞ!」
俺の静止も利かず突き出された彼女の手は――防御に阻まれることもなく首許のアーマーを掴み取っていた。
「どういうつもりだ、貴様」
意図的に防御を解いた白式を引き寄せ、箒が詰問する。空いた方の手はきつく握り締められ、今にも振り下ろさんと震えている。そんな箒を静かに見つめながら、白式は答えた。
『私を殴ることでマスターの怒りが少しでも和らぐのならどうぞ。今の私には、貴方の感情を身をもって受け止める以外の対処手段が思いつきません』
「……くっ」
何度か迷った末に、箒は拳を解いた。そうして軽く突き飛ばすようにアーマーから手を離し、白式から顔を背ける。
「白式」
黙り込んだ箒に代わって、俺は白式へと呼びかけた。
「箒のこと、今はそっとしておいてくれないか。こういう状況で慰められるほど腹立たしいものはないんだ」
『マスターの指示ということであれば、今後は留意します』
納得した、というよりは自身の規則に加えたと言わんばかりの口調で彼女は答える。
「ところで、俺も箒も両方『マスター』って呼ぶのはどうかと思うぞ。せめて一夏とか箒とか、名前で呼んでくれないか」
『承知しました。では今後、貴方のことを『イチカ』と呼ばせていただきます』
「あと、お前のことは『シロ』って呼ぶからな。さすがに『白式』なんていちいち呼ぶのは恥ずかしいっていうか」
そう言いながらも、『でもシロって安直過ぎる気もしてきたな。なんかペットの名前みたいで嫌だ』なんて考えが浮かんできた。ああ、駄目だ。何かもっといいアイデアは――。
「――――ユキ」
顔を背けたままの箒から、不意にその二文字が転がり出た。
「結うに希望と書いて
「希望を結う、か。俺はシロ以外の名前が浮かばなかったし、センスのある箒のアイデアでいいんじゃないか」
「そ、そうか。センスが良いのならそう呼ぶことにする」
単純に白式から取るよりはマシだと思って言ったつもりなんだが、どうも随分と好意的な受け取られ方をしてしまったような。まあ、それでいいか。ムスッとされるよりはよっぽど気分がいい。
『ではイチカ、ホウキ。これからは私のことをユキと呼んでください』
「ああ」
「って、急に機嫌良くなってないか箒」
何だよその爽やか成分100%の『ああ』は。訃報(仮)を聞かされたのがつい数分前だってのにえらい気の変わりようだな。そう思っていると、箒はため息を吐いた。
「何を言っている。先程は気が動転していたが、冷静になって考えてみればあの人は殺しても死なない類の存在ではないか。今は無理でもいずれ元気な姿を見せに帰ってくるに違いない」
「どういうポジティブ思考なんだよ、それ」
「そう捉えでもしないとこの先どうなるかわからないからだ。どういう形であれ、敵は私達を仕留め損なった。一人の標的を消すのに航空機ごとやる連中が、たった一度の失敗で消すのを諦めると思うのか?」
言われてみれば、確かにそうだ。今回こそ窮地は脱したものの、俺達が篠ノ之束の関係者であることには何ら変化はないし、襲撃者の姿を見られている以上野放しにはしておけない筈だ。となれば、いずれまた俺達を狙ってやってくる可能性は十分にある。
「束姉さんが戻ってきた時に私達が故人では申し訳が立たんだろう。だからあの人は必ず生きていると信じて、再会する時まで必死に生き残ってみせる。そう決意したのだ」
「なるほどな。言ってることは無茶苦茶だが、俺達が生き残ることを考えるってのには賛成だ」
『私もお二人を守るにあたって、マスター自身が生存の意思を示されることは良い傾向であると考えます』
三者三様ではあるものの、それぞれ襲撃から生き残ることに全力を尽くすという決断は変わらない。よし、今の俺達ならどんな敵が現れても大丈夫な気がしてきたぞ。
「ところで一夏。実はひとつ相談があるのだが」
「おう、何でも言ってくれ」
今にして思えば、気を良くして威勢よく答えてしまったのが運のツキだったのかもしれない。
「私は神社にいて、お前は自分の家に住んでいるだろう」
「おう」
何当然のことを訊いているんだ、と最初は思った。誰だってそう思うだろうよ、こんな確認の仕方をされたら。
「護衛対象が二人なのに離れて暮らしているのは危険だ。そう思うだろう?」
「確かにそうだ。いくらユキがISっていっても一人で別の場所の二人を守るのは無理だからな」
こういう場合は両方がすぐ近くに住んでいるか、もしくは同居していることが望ましい。
……ん、同居?
「そこで提案があるのだが――」
首を傾げる俺の前で、箒は赤面しながらその先の言葉を紡いだ。
■ ■ ■
「今日は私のご飯当番ー♪リクエストは中華料理ー♪」
台所で、
この家の家主は彼女ではなく、織斑一夏。かつてはその姉の千冬がこの家を管理していたが、三年前の事故で故人となって以来、実弟であり唯一の肉親でもある彼が遺産を引き継ぐ形で住んでいる。彼女はあくまで期限未定の家出中であり、絶賛居候中の同級生である。
さすがに何年にも渡って住みついていると元の家族よりも家庭に溶け込んでしまうもので、今となっては半ば織斑家の一員と化している。ちょうど今も、一夏と交代制の食事当番として中華鍋を振るっている最中だった。
(今日は一夏直々のジャンル指定まであったくらいだし、ここは私の腕の見せ所よね)
同居人をいろんな意味で魅了するには絶好の機会。それだけに彼女の鍋捌きにはいつも以上の気迫がこもっていた。
とっておきの一品、酢豚が出来上がったところでチャイムが鳴り、彼女はステップを弾ませながらインターホンの前へと向かった。
「はーい、織斑でーす」
「ちっ。篠ノ之だ。一夏も一緒にいる」
期待していた声とは異なる――というより学校以外では絶対に聞きたくないと思っていた声を舌打ち入りで聞かされ、彼女の浮かれた気分は奈落の底へと突き落とされた。
「ちょっと、なんでアンタが訪ねてくるのよ」
一オクターブくらいはトーンが下がっているのではと疑うほどドスの利いた声で尋ねる鈴。その脳内ではいかにして相手を物理的にノックダウンさせるかの算段を付け始めていた。パンチ、キックの類は初手で封じられたことがあるから駄目。関節技を決めるには体格差が大きく影を落とす。そうなると残った手段は一つ。
「そういう貴様はいつになったら実家へ帰るのだ。いい加減一夏も迷惑しているだろうに」
「またそうやって人の心抉って! そこで首を洗って待ってなさいよ!」
床を思い切り踏み締めながら玄関へと向かった鈴は、鍵を開けると同時に膝を屈め、構えを取った。やがて扉が開き、人影が踏み込んでくる。
「覚悟しなさいこの
両手に大きな荷物を抱えたその人に向け、彼女は脚のバネを開放して飛びかかった。
「ふぐぅっ!」
渾身のタックルが鳩尾に刺さり、あわれな被害者が屈み込む。やったわ、と鈴が達成感に顔をほころばせたのもつかの間。くるんと視界が回ったかと思うと、縫い付けられたかのように俯せで床に押しつけられた。さらに両腕を背後で固められ、彼女は痛みのあまり身動きが取れなくなった。
『危害を与えた人物を確保しました。イチカ、この人物の処置方法を指示してください』
「いてて……とりあえず離してやってくれないか。鈴に悪気はない筈だ」
『了解、拘束を解きます』
「なんなのよ、もう」
動けるようになった鈴が起き上がると、腹部を押さえた一夏の姿が視界に入った。どうやらろくに確認せず攻撃を仕掛けたせいで、ぶつかる相手を間違えてしまったらしい。それは自分の落ち度としても、と先ほど自分を捕えた相手に目を向けると、彼女は訝しむような眼差しを鈴へと向けていた。
(この子、一夏の親戚かしら……)
その疑問を口にする前に、収拾がついたのを見計らったかのようなタイミングで箒が入ってきた。といってもそれは鈴の視点であって、荷物とうずくまった一夏のせいで扉が塞がれて家の中へ踏み込めなかっただけなのだが。
「まったく、来訪者に肉体言語で挨拶とは失礼だな。これだから野蛮な女は困る」
「別に無差別で仕掛けてるってわけじゃないわよ。それを言うなら、アンタだって似たようなもんでしょうが」
痛恨のミスをまんまと利用され、鈴は不満げに頬を膨らませた。
(この女、私が何かやってくることを知ってて先に一夏を行かせたのね。ある物は何でも利用する外道だわ)
などと勝手な妄想を膨らませていると、一夏が歩み寄ってきた。
「とりあえず飯にしよう……って、さすがに二人分だけしかないよな」
「だ、大丈夫! 明日のお弁当の分もと思って多めに作ってあったから、一人や二人増えたって問題ないわ」
さすがに気合を入れて作り過ぎてしまったとは言えない鈴だったが、結果的に過不足はなくなりそうだと安心する。皮肉にも箒に助けられた形だ。
(せっかくの二人っきりの時間を邪魔されるのは癪だけど、まあたまには賑やかに食べるのもアリよね)
飲むには苦痛を伴いそうな状況に無理矢理にも結論付けて納得すると、彼女は服についた砂を払った。
「それにしても、この荷物の山はどうしたの? まるで引っ越しみたいだけど」
玄関脇に積み上げられた二つのキャリーケースと箒の下げているボストンバック。これから旅行に行くと言われたら鈴でなくとも『一体どこへ出かけるつもりなのよアンタ』と思わず問いただすこと間違いない量だ。
「え? ああ、そのことなんだけどな――」
言いかけた一夏を手で制し、箒は屈託のない笑顔を鈴に向けてきた。普段のしかめっ面を嫌というほど拝んでいるのもあってか、思わずぞっとするほどの晴れやかな表情だった。
一体何を言い出すのかと身構える彼女に、箒は明瞭な声で、はっきりと告げた。
「これからしばらく織斑家で生活することになった。よろしく頼むぞ、鈴」
――直後、鈴の形容しがたい獣のような叫びが家中に響き渡った。
<第3話 了>