再びの襲撃から一週間が経った。
立て続けに襲いかかってきたと思えば、あれ以来平穏な日常が続いているのだから奇妙なものだ。多分、セシリア達『レイス』の動きを警戒してのことだろうが、ある意味有難いことではある。気を張り詰めて生活しなくてもいい『今』が延々と続いてくれれば、なんて都合の良い現状維持を願うのはさすがに勝手過ぎるだろうか。
そんなことを考えながら俺は玄関扉を開けた。
「おはようございます、織斑さん」
開けた視界の先、織斑家の門の前でセシリアが微笑む。もしかしなくても、俺達が出てくるまであの場所で待ち構えてたんだろうな。まあ、気にしたところで改善は見込めないだろうけど。
「ふわぁー……っ。相変わらず読めない顔してるわね」
欠伸をしながら現れる鈴。昨晩はあまり眠れていないのか、その目元にはくっきりと隈が浮かんでいた。
「そういう凰さんはわかりやすい表情ですわ。また夜更かしですの?」
「まーね。たまってた宿題を片付けてたのよ」
答えつつ、彼女は目の縁を指先でこすった。
そういえば箒とユキがまだ来ないな。朝食の時は一緒だった筈なのに、あいつら一体何をやっているんだ?
「待たせてすまない。着替えに手間取ってしまってな」
俺が振り向いたのと同じタイミングで、彼女が新品の服に袖を通したユキとともに現れる。毎日通っているのによれた衣装ではだらしがない、と週末買いに行った外行き用の服装だ。フォーマルな装いを意識して女性陣に選んでもらったそれは、ユキの華奢ながら出るところの出た体型によく似合っていた。
白く艶やかな髪の上に留められた銀色のヘアピンがふと目に入る。十字架型の飾りがついたそれは、ともすれば鋼の長剣に見えなくもない意匠だった。
「あら、私のプレゼントも着けてくれたのね」
頭のアクセサリーに気付いた鈴が嬉しそうな声音を上げる。
そういえば昨日『アイツに先んじて一歩接近してやったわ』ってしきりに自慢してたな。具体的に何をやったか言わないもんだから何のことだかさっぱりだったが、ユキにとって初めての贈り物を用意したってことだったのか。
――至極どうでもいいってか、まず競うようなことじゃないだろそれ。
『初めて頂いた物なので、さっそく身に着けてみました。どうでしょうか?』
「とってもいいじゃない。私の見立て通り、ユキちゃんにぴったりだわ」
そう言うと、鈴は疲労の吹き飛んだキラキラな表情で彼女の両手を取った。
「ユキちゃん。私のことは『お姉ちゃん』って呼んでもいいのよ? ねぇ問題ないわよね一夏」
「えっ?」
いやちょっと待て、なんで俺に確認を取るんだよ。
「だって一夏似だし、立場的には一夏の妹みたいなもんじゃない。それなら私は立場上義理の姉ってことになってもおかしくないでしょ?」
「その理屈はおかしい」
「細かいことは気にしなくていいの。さ、遠慮せず呼んでユキちゃん」
全然良くないし当の本人も困惑してるだろうが。
『……これからもリンと呼びます』
少し迷ったのか、やや沈黙を置いてから答えるユキ。
ある意味律儀な性格で良かった、とひそかに思う。変に機転を利かせて『お姉ちゃん』コールを連発されたら、鈴が今以上に暴走しかねない。そして箒も別の意味で暴走しかねない。
「茶番も結構だが、時間を潰している余裕はないぞ。私達が全員揃って遅刻などだいぶ洒落にならない状況ではないのか?」
「そ、そうだな。次の列車が来るまであまり時間もないし出よう」
少し苛立たしげな表情の箒に急かされ、織斑家を後にする。
以前よりは賑やかになったものの、ほとんど変わらない平和な朝の時間。けれども、それが一時の静寂に過ぎないことを俺達は心のどこかで察していた。
■ ■ ■
「よう一夏。相変わらずハーレムを謳歌してるみたいだな」
「そういう関係じゃないって言ってるだろ。幼なじみと親戚とお向かいの同級生ってだけだ」
授業の合間の休み時間。話しかけてきた弾に、俺は冗談交じりで答えた。
鈴と箒については中学時代から知っている連中がいたから良かったが、転校生と初日から仲良くしていたところを目撃されてから噂話に尾鰭が付き始めた。用事で職員室を訪れた生徒達が必然的にユキと遭遇する状況も話の肥大化に一役買ったらしく、今じゃ『声をかけるだけで女の子を陥落させる生粋のジゴロ』だとか『歩く少女ホイホイ』だなんて不名誉な称号がいくつも付いている。
まあ、傍から見ればハーレム以外の何物でもないのだから、噂されない方がおかしいというものだ。そう呼ばれているからといってクラスメートから距離を置かれているわけではないし、変な連中がちょっかいを掛けてくる様子も今のところない。そういうわけで、一応こちらが気に留めなければ実害自体はなかったりする。
弾も数馬もその辺りの事情はなんとなく理解しているのか、羨ましい等と言いつつも接し方は普段通りだ。
「分岐前のメインヒロインを侍らせてる主人公とどう違うんだよ」
「ゲームのやり過ぎでそう見えるだけなんじゃないのか」
「いいや、完全にエロゲーの展開だな。そして今のお前は、攻略サイトを見てしまったがためにどの個別ルートに行くべきか悩んでいる初見プレイヤーだ!」
ビシィッと擬音が付きそうな勢いで指先を向ける弾。でも俺にはそんな考えはないし、箒達とはそんなつもりで行動を共にしているわけじゃない。ということで、今から口説きにかかるつもりだと言わんばかりのこいつの推測は見事に的を外れていた。
そもそも成人向けのゲームって十八歳未満は購入できないんじゃなかったか。一体どこから仕入れてるんだよお前。
「いいかね一夏クン。隠したところで同性の魂胆などまるっとお見通しなのだよ」
「ねーよ」
よーくわかってるんだぜ俺はといった調子で肩に手を乗せてきた弾を、俺は呆れ顔で見つめ返した。
少なくとも今のこいつに俺の魂胆はちっとも読めていない。いや簡単に読まれてしまってもそれはそれで困るんだが。
「まあそいつは冗談として、今日の放課後ゲーセンに行かないか。先週はお前の都合で無理だったし、久々に遊ぼうぜ」
「ああ、別にいいけど」
答えつつ、なんとなしに箒のいる方へと視線を向ける。ちょうど他のクラスメートと話している最中らしく、眼鏡をかけたその子の言葉を熱心に聞いているようだ。人に教えを乞うなんて、あの箒にしては珍しいな。
しかし音沙汰がないとはいえ、依然として単独で動くのが危険な状況であることに変わりはない。最善を採るなら今回も断っておくべきなんだろうが、あまり頑なに拒んでいると逆に怪しまれかねないしな……。どうしたものかね。
約十秒程度の短い沈黙。その間あれこれ考えた末に、俺は意を決して口を開いた。
「――――箒達も誘っていいか?」
ひとまずの妥協案として同行を提案してみる。これが駄目なら、適当な理由でも付けてまた断るしかないか。
「オーケー問題ない。むしろ大歓迎だ。つか、やっぱりお前付き合う気があるんじゃねぇか」
「いやまあ、どうでもいいと思ってないのは確かだけどそれとこれとは別――って誤解広めんなよ? 絶対だぞ」
間違いなくネタフリにしかなっていないとわかりつつも、真剣に釘を刺す。とはいえわかった上でからかってるので、こいつらが自分から流布することはまずないだろう。傍から見ている連中はどうだか知らないが、噂が立ったところで今更余計な騒ぎになるとは考えにくいし。
「んじゃ授業終わったらまた声かけに来るわ。数馬には俺から説明しとくんで女子の方はよろしく」
「おう」
授業開始を告げるチャイムとともに弾は席へと戻っていった。
さてと。
■ ■ ■
「――なるほど。これが噂に聞く『クレーンゲーム』という遊びですのね」
「噂にって、今まで見たこと一度もなかったのか」
のっけから『このぬいぐるみが欲しい。取ってくれ』と箒にせがまれ、頼りないアームを引っかけ重量物を持ち上げるという不毛な遊戯に手を出した俺を、セシリアは興味津々といった様子で見つめている。その顔に浮かべているのは普段の包み隠した微笑と違う心からの笑顔だ。
日本に来たばかりの彼女に街を案内したいからとそれらしい理由を付けて来たが、意外にも好評みたいで少し安心する。
「よし、脇にかかった!」
数回の失敗と位置調整を経て、ツメの部分が腕と胴体の隙間に差し込まれる。ここまでで既に五百円玉が二回分飲み込まれているだけに、一回で決めてしまいたい。
アームが持ち上げられ、危なげに揺れ動きながら落下口へと向かう。そして初期位置でツメが開かれ――。
「ありゃ?」
あまりに上手いこと差さってしまったらしい。お目当ての景品はぶら下がったまま落ちてくる気配がなかった。
「一夏! 一体何をやっているのだ!」
「あれ、おっかしーな……」
依頼人兼出資者の箒が吠える中、俺は首を傾げた。イメージでは、こうストンと綺麗に落っこちる筈だったんだが。
「店員さんを呼んで……きたら初期位置に戻されそうだしなぁ。箒、あと百円プリーズ」
「千円だけで何とかならないのか」
「微妙にケチだなお前」
催促する俺の前に置かれた百円玉を受け取り再度チャレンジ。ほんの少しだけ動かして揺らすと、ぬいぐるみは緩慢な動きで穴にずり落ちた。
「ほら、約束通り取ったぞ。ちょっと予算はオーバーしたけどな」
隙あらば介入しようと待機していたスタッフに拍手されながら、俺は頼まれたブツを箒に手渡した。
しかしどうして女の子ってこういうのが好きなのかね。普通にショップへ行って買った方が安く手に入ると思うんだが。その感覚がまったくもって理解できん。
「ま、まあ百円程度の出費は問題ない。こうして真っ先に取ってもらえたのだからな」
少し不満げながらも、箒は嬉しそうな面持ちでぬいぐるみを抱きしめる。それに対して、鈴の奴はあまり面白くなさそうな表情だった。
「はいはい。これから店内歩き回るんだから忘れないようにしなさいよ」
「なっ――――! そんなことするわけないだろう!」
顔を真っ赤に染めながら反論する箒。
あっはい、そうですね。いつだったか『店に○ッキーちゃんを忘れた! 今から取りに行くから一緒に来てくれ!』って電話口で喚いていたのも多分俺の記憶違いですね。
「まだ入り口で粘ってたのかよ」
先に奥のガンシューティングの筐体へ向かった弾が呆れ顔で戻ってきた。
って、もうゲームオーバーになったのか。早いな。
「いやまあ、ちょっとしたアクシデントがあってだな」
「ふうん」
「なんだよニヤついて」
「いや別に?」
そう言いながらも弾の奴は意味ありげに笑っている。何だってんだよもう。
「それよか久しぶりにレースしようぜ。カード持ってきてるよな?」
「前来た時に作った奴だっけ? 一応あると思うけど」
確か財布の中に入れてた筈――お、あったあった。俺は財布の隅からイラストの貼り付けられた安っぽいカードを引っ張り出した。
「よっしゃ。数馬が待ってるから早く来いよ」
「おう、今行く」
答えてから箒達の方を見やる。ひいふうみぃ……あれ、ユキがいない。
慌てて目で探すと、別のUFOキャッチャーの筐体の前で景品をじっと見つめている彼女の姿があった。カゴ状の棚にうず高く積まれたキーホルダーがどうも気になるらしい。
「ん、もしかして取ってほしいのか?」
『……そういうわけではないのですが』
俺にはそういうようにしか見えなかったんだが。
『それよりも、先ほど奥へ来るよう催促されていたのでは?』
「え? ああ、そうだったな」
はぐらかされるように指摘されたのが余計気になったが、多分訊き返しても取り合ってはくれないだろう。俺は仕方なく弾達の待つ筐体へと向かうことにした。
■ ■ ■
あの後、弾達と峠道のカーチェイスを繰り広げたり、セシリアが初めてのシューティングゲームで独走していたハイスコアを大きく更新する快挙を見せたりしているうちに時間は経ち、夕飯時になった。
『せっかくだから俺んちで食べて行けよ』という弾の誘い――ちなみにあいつの家はこの辺りで有名な大衆食堂だったりする――を丁寧に断り、俺達は同級生二人と別れて帰路についていた。日はとっくに地平線へと沈み、月明かりと街灯だけが足元を照らしている。
静かな夜だ。心を波立たせるような気配はなく、ただ心地よい静寂だけがある。
「セシリア、楽しかったか?」
「ええ。友達付き合いというのは良いものですわね」
微笑む彼女は本心からそう答えているように見えた。任務のために潜入しているとはいえ同年代の女の子。たまにはこうして普通の学校生活を謳歌したっていい。
「織斑さん。またいつか遊びに誘ってくださいな」
「ああ。弾にも楽しんでたって伝えとくよ」
この笑顔が非日常への緊張に塗り潰されなければいいのに。
俺のそんな想いは、無残にも即座に打ち砕かれた。
「――――随分と腑抜けた面してるなァ、レイスの猟犬さんよォ!」
乱暴な口調の声が頭上から響く。俺達は一斉にその声の主を見上げて身構えた。
電柱の上に立つその機体は、降り注ぐ月光に禍々しい色彩を輝かせる。
『毒蜘蛛』
そう形容するに相応しい凶悪さを溢れさせながら、
「ようやく現れましたわね、『オータム』」
セシリアから笑みが消え、碧眼に鋭く冷たい輝きが宿る。少女から戦士の顔に戻った彼女へと、オータムと呼ばれた人物は嗜虐的な眼差しを向け返した。
「これでテメェとカチ合うのは二度目だったか。
「それはお互い様でしてよ」
鞄を地面に置くと同時、セシリアはほんの一瞬で自らのISを展開する。
以前戦った時の余裕あり気な印象は欠片もない。全力をもって相手を仕留める、そう語るだけの気迫が傍にいるだけでひしひしと伝わってくる。
「いけすかねェ小娘が――ここでガキどもと一緒にお寝ンネしなッ!!」
光を背に、オータムもまた全身から殺気を迸らせていた。
因縁同士による一触即発の睨み合いが始まる中、
俺達にとって三度目の戦い――その火蓋が今まさに切られようとしていた。
<第7話 了>