――その女性は、ソファーの上で浅い眠りを続けていた。
漆黒のスーツをまとった肢体は柔らかなクッションの上で呼吸に合わせて小さく揺れる。蛍光灯の眩い輝きで満たされた室内にもかかわらず、その光に休息が阻害されている様子は一切なかった。
閉じられた瞼の裏で何を考えているのか、時折無音の呟きを漏らす彼女。一見奇妙にも思えるその光景こそが、この時間帯におけるこの家の『日常』だ。
昼間の護衛に就く同僚の帰還を待つ間、体力と精神力の消耗を最小限に留めるための彼女独自の策。それがこの仮眠だった。万が一の事態にも即対応できるよう意識を保ちながら、思考速度は必要最低限まで落とし、全身を支障のないレベルまで自己弛緩させての待機。こんな器用な眠り方ができるのは、組織内でも彼女ひとりくらいなものだろう。
同僚の帰宅と同時に目を覚ますつもりでいた女性は、しかし何かを察知したかのごとく急に飛び起きる。その前触れのない挙動に自身の黒髪が揺さぶられ、大きく跳ね動いた。
「――ブランケット」
一瞬のうちに肉体を覚醒させた彼女は、リビングテーブルで端末を操作するもう一人の同僚へと声をかける。
決して毛布を要求したわけではない。キーボード上で巡るましく指先を躍らせる彼女の
「チェルシー・ブランケット。状況を説明しろ」
「わざわざ訊かずとも、あなたのISが情報を逐一受け取っています。その上で確認したいのであれば説明致しますが」
再度呼びかける女性に、チェルシーは目も向けず落ち着いた口調で答えた。
「いや、いい。再び連中が動いたとわかればそれで十分だ」
「では今すぐお嬢様の援護に向かってください」
「寝起きの相手に有無を言わさず出撃しろとは、随分と人使いの荒い小間使いがいたものだな。…………まあいい、支援を任せるぞ『ビショップ』」
そう言って、女性は廊下へと歩いていく。その背中に向け、チェルシーは静かな声で呼びかけた。
「どうかご武運を。『
■ ■ ■
「ハハハハッ! 庇ってばっかじゃ話になんねェぞ小娘ェ――ッ!!!!」
オータムの背中から伸びる八本の『腕』が、それぞれ手にした機関銃を立て続けに乱射する。
撒き散らされる銃弾から俺達を庇うようにして、セシリアは敵機の前に立ち塞がっていた。
「テメェの機体特性はとうに解明済みだ。空に上げなけりゃろくに攻撃もできねェなんざ、情けねェ奴だよなァ!!」
「くっ!」
反撃を試みるものの、間髪なく叩き込まれ続ける弾幕に武装の展開さえも封じられる。距離を取ろうにも、オータムが戦う術を持たない俺達にのみ・・銃口を合わせているせいで、下手に動けない状況だ。防戦一方のセシリアは奥歯を噛み、敵を睨みつけた。
『はあっ――!』
一方へ火線を集中させた隙を突いて、ユキが剣を手に斬りかかる。
だが――。
「おっと危ねェ」
オータム自身の腕が腰アーマーと一体化していた短剣を抜き放ち、俊速の一撃を容易く受け止めた。さらに空いた手でもう一つの刃を動きの止まったユキ目掛けて突き出す。
少しの躊躇も見られない俊敏な剣戟。狙い澄まされた急所への刺突を辛うじて弾いたものの、衝撃で浮いた彼女の体は続けざまに強烈な足蹴を受け、そのまま道端の塀へと激突した。
「ユキっ!」
『問題、ありません』
瓦礫を払って起き上がる彼女。しかし、シールドの防御を貫いた一撃は胸部を包む装甲を砕き、パーツ全体に及ぶほどの大きな亀裂を刻んでいた。
「仕留めたつもりだったんだがなァ。ちィっとばかり狙いが逸れたか」
装甲の隙間からスパイクの飛び出した脚部をあえて見せつけるようにしながら、オータムは嬉しそうに口角を吊り上げる。俺達を足止めする一方、唯一自由に動ける筈のユキを片手間に圧倒してみせるその実力は、今までに対峙してきた二体の敵をはるかに凌駕していた。
「とはいえだ。碌にISの性能を引き出せてねェガキにしてはよくやるなァ『白いの』。敵だが少しは褒めてやるよ」
「なんですって…………?」
小馬鹿にしたように言うオータム。その言葉が響いた途端、セシリアが驚きの声を上げた。
「あん、気付いてなかったのか?」
彼女の反応を、怪訝な表情を浮かべた『蜘蛛』が嘲笑う。
「そこの『白いの』はまだ
「ユキさん! まさかあなた、初期状態で戦っていたんですの!?」
『…………っ』
ユキは何も言わなかった。
ただ手にした剣を構え、煽るオータムをまっすぐに見据えている。その眼差しには怒りも、秘密を知られたことへの動揺の色もなかった。
自分の状態を理解した上で、心配させまいとあえて黙っていたんだろう。それが彼女にとっても、依存する俺達にも危険を伴うような行動だとわかっていてなおそれを選んだんだ。
そして、今もまだ戦い続けようとしている。実力はおろか、明らかに性能差で上を行く相手に噛みつこうとしている。
その理由が束さんの与えた命令か、自ら課した義務によるものなのかは彼女しか知りえないことだ。けれども――。
けれども、このまま戦闘を続ければ、ユキは確実に殺される。
「とはいえよく頑張ったな。このオータム様が直々に褒美を与えてやる」
俺達を執拗に付け狙っていた銃口が一斉に動き、ユキへとその照準を定める。さらに上乗せとばかりに、オータムは両手に大型のライフル銃を展開した。
勇敢を通り越し無謀を見せつけた相手に対する破壊行為の準備を終え、遂に彼女は死の宣告を与える。
「――――無念もろとも霧散しろ、白ガキ」
そして、引き金が引かれた。
■ ■ ■
ISと操縦者、合わせて十本の腕が携える武装が一斉に火を噴き、
その身を守る不可視の防御を失い、手にした剣もこれより降りかかる猛攻を防ぐにはあまりにも頼りなく。
ただ死を待つばかりの彼女へと向けられた殺意は、宣告の通りにその命を刈り取る――筈だった。
「行きなさい、ティアーズ!」
不意に射線上へと割り込んだ青い盾が狂蟲の爪牙を遮る。
本来なら高速飛行と必殺の一撃に消費されるエネルギーを、防御と空中静止にのみ費やして展開された
オータムが『防御の死んだ相手を仕留める』という一つの行動にのみ気を取られたことで生まれた隙。到底回避不能な攻撃に介入できる唯一の機会を、セシリア・オルコットは見逃さなかった。
わずか一瞬のうちに武装を展開し、コンマ数秒の優勢を確約できうる位置へと迷いなく子機を送り込んだ手腕は、彼女の並外れた素質と血を吐くほどの鍛錬の末に成し遂げられた神技。彼女と愛機でなければこの窮地を脱することはできなかっただろう。
「チッ! とんだ横槍を――」
攻撃の失敗を敵が知覚した瞬間、セシリアの手には既にレーザーライフルが握られていた。遠隔兵器の操作に意識の大半を向けながらも、残ったリソースを武装の展開へと注力していた彼女は、自分に再度照準を合わせようと動く敵へ向け必殺の光線を放つ。
付随被害をも厭わない大出力で放たれたその一撃は、軌道に沿ってアスファルトの表面を熱で融解させ、とっさに身を逸らしたオータムの『腕』のうち半分近くをバターのように抉り取った。
「いい加減邪魔ァすんなよ小娘ェッ!!!!」
ユニットを大破させながらも、オータムは余裕を崩さない。銃を投げ捨てるなり両の手に短剣を掴み、残った『腕』を鋭敏な鋼の『脚』に切り替えてセシリアとの間合いを一気に詰める。
「貴方の思い通りには、させませんわ!」
既に携えている銃を右手で盾として翳しながら、彼女は新たな武装を呼び出した。片手で扱える長さの両刃剣を逆手に握り、二方向から振るわれる凶刃を立て続けに弾き返す。
「ほらよォッ!」
振り切った瞬間を狙い澄まして『脚』が突き下ろされた。が、それもセシリアの『読み』の範疇でしかない。
急所目掛け迎い来る軌道へ合わせるようにして、彼女は手にした得物の
「お返しです、わッ――!」
動きの止まったオータムの体をISの腕力で押し返すとともに、刃を銃のパワーセル目掛け突き立てる。所有者自らの破壊行為によって不安定になった動力供給装置は、電光を迸らせながらそのエネルギーを暴発させた。
わずか一分足らずの攻防。それにもかかわらず、周囲には紛争地域の激戦地をイメージさせるほどに深く凄惨な傷跡が残されていた。
耳を劈くような爆発音が轟く中、セシリアは酷使で刃が大きく削がれた短剣を捨て両拳を構える。有効打は与えたものの、自身は一切の武器を喪失し相手は未だに健在だ。猛攻に耐えて唯一残っていた盾も力尽きて路面に墜ち、もはや回収は叶わない。
だが、再びの窮地に立たされてなお、彼女の顔から力強い意思の光は消えていなかった。
「クソったれが」
微かに残った炎を払い、オータムが立ち上がる。
背中でぎこちなくうごめく『脚』は無残にひしゃげ、もはや武装としての機能を喪失していた。彼女は双眸に怒りをひしひしと滲ませながら、足元に落ちたライフルを拾い上げる。
「相変わらずうざってェ奴だよテメェは」
二つの銃口をあと一歩まで追い詰めてきた少女へと向けつつ、オータムは暴力的な口調でそう吐き捨てた。
「どこまでも追いかける執拗さがなければ猟犬は務まりませんわ」
「言ってろ。どれだけ吠えたところで戦闘能力を失ったテメェには勝ちの目なんざ残っちャいねェ筈だ」
苛立ちを強く含んだ指摘に、セシリアはまったく余裕を崩さない。むしろ勝ちを確信したような表情で彼女を見据えていた。
「なんだその顔は? ピンチ過ぎて頭でもおかしくなったんじャねェだろうな」
「まさか。わたくしは至って正気のままですわ。狂っているのはあなたの方ではなくて?」
「ほざけ小娘ッ――――!!!!」
煽り立てられたオータムはグリップを壊れんばかりに握り締め、その引き金を引――こうとして自らに及んでいる異常をようやく認識した。
身動きが取れない。
手だけでなく脚も、機体も。
「なん、だこれッ!?」
戸惑いの声を上げる彼女を前にセシリアはほくそ笑み、そして――ようやく現れた『増援』に不満を漏らした。
「随分と待たせましたわね、クラリッサ」
「人目を避けて飛んでいたのでな。ともあれ間に合ったのだからさして文句は出まい」
「ご冗談を。危うく全員死ぬところでしてよ」
オータムの数十メートルほど後方。片腕を前方に向けて静止する暗灰色の機影が応える。肩外装の一部が開いたそのISからはブレードの括り付けられたワイヤーが射出され、その軌道のままに先端部を虚空へと刺し留めていた。
「
「正直、その呼び名は好きではないのだがな」
驚く彼女に、女性は不機嫌な声音で肯定する。
「セシリア、そして見知らぬ操縦者。よくぞここまで持ち堪えてくれた。後は私に任せて休むといい」
「そうさせて頂きますわ」
答えて構えを解くセシリア。一方のユキは緊張の糸が解れたのか、剣を握り締めたままその場に両膝をついてへたり込んでいた。
「武装を解除しろオータム。元より手負いの貴様では応戦も適わんだろうが、この状況下では我々もさして変わらん。もっとも、交渉のテーブルに着く気がなければ問答無用で切り伏せるまでだが」
「ちっ」
オータムが一時的に拘束の解かれた両手から力を抜くと同時、二丁のライフルは射出された別の刃によって砕かれた。使用不可能なレベルまで損壊した最後の武器は、何度か地面を跳ねた後に他の瓦礫と混じって散らばる。
依然として動きを封じられたままの彼女に、『魔術師』は告げた。
「去れ。さすれば我々はこれ以上の危害を加えることもない。だが再び現れた時には、容赦なくその首を落とすと忠告しておこう」
「いいのか? あたしはテメェらの敵でそこのガキどもを殺そうとしてる犯罪者だっていうのによ」
「これは交渉だと言った筈だぞオータム。私の知っている貴様なら、私がこの手で心の臓を貫く前に弱者を一人でも多く撃ち殺すことを考えるだろう。それでは我々も任務失敗ということになるのでな。この場での損が後々多大な益を生むとすれば、今ここで貴様を見逃した方が結果的には得というわけだ」
「何でもかんでも損得で考えやがって。どこまでも打算的なクソ女め」
そう吐き捨てたオータムの腕が再び見えない枷に封じ込められる。
逆らうな、条件を飲めと言わんばかりの見下した態度に、彼女は苛立ちを覚えつつも了承した。
「まあ生き長らえられるなら悪くはねェ話だ。乗ってやるよ」
「これで交渉成立だな。セシリア、そこで腰を抜かしている娘を護衛対象と一緒に背後へやっておけ。武器がなくとも盾はまだ機能するのだろう?」
「ええ」
頷くセシリアに目を向けながら、クラリッサはオータムと交戦した機体の被害状況を大まかに確認する。
まずは彼女のブルー・ティアーズ。武器とユニットの一部を失ってはいるものの、機体そのものはほとんど無傷だ。反対に、もう一人の――称号データにないISをまとった少女――は深刻なダメージを負っている。まともに立ち上がれない状況から見ても、基礎構造にまで影響が及んでいたとして何らおかしくはない。並行して搭乗者自身の検査も行った方が良いだろう。そうクラリッサは頭の中で結論付ける。
蹲った白髪の少女を抱えて下がるのを見届け、クラリッサはようやくお尋ね者の枷を解除した。
「クソがッ! 次こそはツケをきっちり払わせてやる」
「それは私の台詞だ。再び目の前に現れたなら、その首必ず貰い受けよう」
捨て台詞を吐いて逃走するオータムに向け、クラリッサもまた冷たく言い放つ。その語気には因縁に増幅された明確な殺意が込もっていた。
再び決着を預けた相手が探知領域から消えたのを確認し、自らのISを解除する。同じく愛機を格納したセシリアと向き合った彼女は、一部始終を見ていた
「話を聞かせてもらおう。その白いISについても詳しく、な」
<第8話 了>
※まだ夕飯にありつけてない主人公とゆかいな仲間達。