本編でドミニクが語ったアネモネとの過去を自分なりに形にしたものです。
独自解釈やオリジナル要素があります。
誤字やミス等があったらすみません。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ワルサワの研究施設。突如として現れ、人類に牙を向いた謎の生命体『イマージュ』に地球が侵食されているその最中、ここでは、奴らへの対抗する兵器の開発を行っていた。
奴らが現れて早数十年近くが経とうとしている中、人類はイマージュを殲滅しうる手段を未だ得ていなかった。それもあって、研究施設内では、多くの研究者達が身を粉にして開発に勤しんでいた。
「…………」
その施設内のとある区画内にある、くすんだ壁と四窓が嵌め込まれた小さな研究室。その中に置かれたで機器類に囲まれたベッドの縁で、第六号検体は無表情で座っていた。女性型のそれは、桃色の髪を長く伸ばしており、毛先がベッドに広がっている。
『彼女』は笑ったことなどない。そもそもここに隔離されてからというもの、真顔以外の表情を取ったことがない。しかしそれが『人型イマージュ』であるものの特徴故と、研究施設内では皆がそう認識していたので、誰も彼女の無には気にとめようともしなかった。
たった1人の男を除いて。
「六号、食事を持ってきたよ」
扉が開かれ、部屋に入ってきた一人の男。
彼の名はドミニク、若さを武器に日々対イマージュ兵器の開発に勤しむ、このワルサワの若き研究者の1人である。
そんな彼は、この第六号検体の世話係を任され、主に食事の提供や着替え等など、身の回りの世話をしている。女性型とはいえ、人として扱われない人型イマージュには異性の介護も良しとされていた。そもそもイマージュである時点で人間の扱いをされていないのだが。
「…………」
第六号検体はくるりと頭を捻り、ドミニクに振り向く。彼の両手は食事を載せた盆を握っていた。虚空しか見ていない瞳を前方に戻すと、第六号検体はすくっと立ち上がって、指定の席についた。
ドミニクが彼女の前に設置されたテーブルの上に盆を置くと、第六号検体は無言でそれらを食べ始める。ムシャムシャ、ガツガツ、彼女の咀嚼音が静まった室内に響く。
「………………」
無言で食べ進める彼女を見ながら、ドミニクは表情を消しているその内側で、彼女に対する謎めいた気持ちに悶々としていた。
ドミニクは、彼女に対して他の研究者とは違う見方をしていた。それがどう言ったものなのか、彼自身にも分からない。しかしこの第六号検体は、周りが言うようなものとは違う。そう思いながらも、確実なものがないために、ドミニクは口を開かなかった。
また、研究施設内の規則として、第六号検体との個人的なコミュニケーションは禁止されている。これまた真偽不明な噂のせいなのだが、イマージュについて殆ど解明されていないこの状況では、噂も真実並の力を得ていた。
カラン、という音が響き、ドミニクはハッと視線を戻した。どうやらいつの間にか時が過ぎていたらしく、第六号検体は食事を平らげていた。ドミニクが少し慌てた様子で身動いでいると、彼女はすくっと立ち上がり、そのままベッドの縁へと座り戻った。
なんて軽やかな動きなんだろう、そう内心で呟きながら、ドミニクは盆を抱えて部屋を後にした。
「…………はぁ」
扉が閉まった瞬間に、ドミニクは深い深いため息を吐いた。世話係になってからというもの、彼女と2人きりでいる時間は増えている。しかし必要以外の言葉は禁止されており、彼女と個人的な会話すらできない。しかし会う度に、ドミニクの中にある第六号への不明確な気持ちは膨れていくばかりだった。
「何が、違うのだろう」
小さく呟くと、ドミニクはその場を後にした。靴音が虚しく廊下に響くその間、部屋の中では、第六号検体が彼の背に視線を向けていたのだが、彼もそんなことは知らないし、彼女も壁の先に彼がいることなど知るはずもなかった。
◇◇◇
ある日、ドミニクは研究施設の外でとある花を見つけた。桃色のその花は、第六号検体の髪色と同じで、朝露に濡れて花弁が輝いていた。
ドミニクは、ほんの気まぐれでその花を一輪取り、食事用の盆に添えてみた。彼女が喜ぶかなとか、どんな反応をするだろうとか、ただ何となくとか、そんな気持ちで載せてみたのだ。
「六号、食事の時間だ」
そして今日もドミニクは部屋に入り、彼女は桃色の髪を揺らしながらいつもの席に座る。いつもと違うのは、盆に載せられた一輪の花だけだろう。
しかし彼女は気にも止めず、食事を摂り始めた。ムシャムシャ、ガツガツ、またもや咀嚼音が響く。
このやり取りを何時までするのだろうか、そうドミニクは内心でまたも呟き、吐きそうになったため息を呑み込んだ。
そうしていると、第六号検体は、あろうことか添えられていた花を口に運んだ。茎をつかみ、口を開けて花弁を中へと突っ込もうとする。
「あっ、ま、待て!」
突然のことに慌てたドミニクは思わず声を上げながらそれを制止させた。いくらなんでも食い物でもない花なんて食べさせたら大変なことになる、そう判断した彼が咄嗟にとった行動だったのだ。
「………………」
そんな彼の姿を、第六号検体が捉える。
しまった、と遅れて顔を上げたドミニクの視線の先には、呆気に取られた表情で彼を見つめる彼女の姿だった。
手と手が触れ合っている。人型イマージュである彼女に直で触れたドミニクは、勢いのままに口を開いた。
「……これは、食べられないんだ。花と言ってね、植物の1種なんだよ。名前は、アネモネって言うんだ」
禁止されていた会話を、彼はしてしまった。これはサーストン夫妻からも怒られるかもな、なんて考えていると、ドミニクの目の前で驚きの光景が広がった。
第六号検体が、笑ったのだ。
実験中も普段の生活でも、いつどのような状況でも表情を変えなかった彼女が、唇を微笑ませていたのだ。
これにはドミニクも遅れて呆気に取られ、そして釣られて笑ってしまった。
「そうなの。初めて知った」
そして発せられた透き通った彼女の声から発せられた言葉。これまたドミニクは驚き、思わずええ、と言いそうになる。けど、それ以上に笑顔が勝ってしまい、2人は暫しの間、互いの顔を見ながら笑顔を見せ合った。
これが、ドミニクと第六号検体の初めての会話だった。
◇◇◇
初めて会話を交わしてからというもの、ドミニクと第六号検体は、イマージュに操られるなんて言う胡散臭い噂など知らんかのように会話を楽しんだ。
「このご飯ってあなたが作ってるの?」
「ねえねえ、あの花はどこに生えてるの?」
1度打ち解けて見ればあら不思議、第六号検体は今までの無や機械的な動きが嘘のように、ドミニクに喜怒哀楽な表情と仕草を見せていた。喜ぶ時は喜び、笑いたい時は屈託のない笑顔で笑う。年頃の少女と何ら変わりのない姿で、彼との時間に幾つもの感情を表現していた。
ドミニクにとって、彼女との時間はかけがえのないものとなっていた。それは重ねる度に重みを増していき、彼自身も彼女のことをただの人型イマージュとは思っていなかった。
初めに持った彼の違和感は正しかったようだ。
「……六号、君に名前を付けてもいいかな」
ある日、いつものように世話を焼いていたドミニクが、ふと彼女にそう話しかけた。案の定、第六号はきょとんとした顔で彼を見た。
「いや、ほら。流石にいつまで経っても番号で呼ぶのは何だか変だから」
焦り気味に言う彼を見ながら、アネモネは笑みを作り、「うん」と頷いた。
ずっと考えていたものなんだ、あの花と、君と初めて話したあの花と同じ名前。君に似合うと思っていた名前。
「アネモネ、はどうかな」
少々恥ずかしそうにしながら頬をかく研究者に、第六号検体……否、アネモネはニッコリと微笑みを浮かべて「素敵」と返した。
アネモネ、それが彼女に付けられた、ドミニクが考えた名前。彼と彼女が友達になったことの証。いや、それ以上の意味を持つ名前。
◇◇◇
ドミニクと触れ合えば触れ合うほど、アネモネの感情の豊かさは日に日に増していった。最早人間の少女と大差なく、2人は関係を深めあった。
しかし、それは同時にドミニクを苦しめることにもなった。
どれだけ彼女が感情豊かになろうと、実験は通常通りに続けられる。それは酷く苦しいもので、痛みを伴うため、アネモネはいつも悲鳴と苦悶に満ちた表情を浮かべていた。
以前だったら、それに気づくことなく通り過ぎていたはずだった。しかし、彼女を知り、友となったドミニクには、その全てが見えてしまっていた。
──苦しいよ、痛いよ、助けて。
聞こえてくる彼女の悲鳴は、たとえ耳を塞ごうともドミニクの頭の中に響いてくる。目の前で苦しむ彼女の姿に、ドミニクは表情を強ばらせたまま、じっと見つめていた。こうでもしなければ、内に秘めた嗚咽や周りへの罵倒が抑えられなかったのだ。
「どうして誰も気づかない。アネモネはあんなに苦しんでいるのに……どうして、みんな、そんなにも残酷になれるんだ……っ!」
そう嘆こうとしても、無意味でしかない。周りは本当に聴こえていなかった。いや、耳を傾けてすらいないのに、彼らに彼女の声が聞こえるはずもなかった。
そしてまた、この実験によって対イマージュへの確かな成果を挙げられているのはまた事実であった。仮にドミニク以外のもので彼女の声を聞いていた者がいたとしても、この実験を止めることはなかったに違いない。
人類が生き残るための行いと一人の少女の悲鳴、その両者を天秤に掛けた際にどちらに傾くかは明白だった。
そしてそのことはドミニク自身も嫌という程理解していた。だからこそ、目の前の残酷な行いを止める覚悟などなかった。
「やめろっ!」
その一言が、ドミニクの中で幾度も繰り返され、唾液とともに喉奥へと消えていった。胃に落ちた言葉は溶けず、そのまま彼の胸元でモヤとなって残った。
今日はこれで終いにしよう。研究者の中でも上の地位を持つ1人がそう言うと、周りにいた同業者達は各々資料を纏めて散らばっていった。
残されたカプセル型の装置から、アネモネが引きずり出される。
彼女を持ち上げた研究者達も、周りの同輩達も、きっとアネモネの顔は無表情に映っているだろう。
しかしドミニクには、そう映らなかった。
関係を持ってしまった彼には、彼女が苦痛で表情を歪めていることは直ぐに分かってしまったのだ。
どうにも出来ない自分にドミニクは今日も拳を強く握り締め、手のひらに爪を食い込ませる。素手であったら血が滲み出ていたところだろう。
「アネモネ」
夜、再びドミニクがアネモネに声をかける。実験直後というのもあって、アネモネは苦しそうにしながらも、笑顔を浮かべてみせた。「今日も苦しかった」というセリフが、彼女の本音をオブラートに包んでいた。
「どうしたの、ドミニク」
よほど苦い顔をしていたのか、ドミニクにアネモネが近づき、上目遣いで彼を見た。赤い瞳がその姿を映し、そこで彼はようやく自分の表情を知ることになる。
「……すまない、アネモネ……苦しくはない?」
そんなの、苦しいに決まっているだろ。言ってから後悔し、罵声覚悟のドミニクだったが、しかし、アネモネはそのまま後ろに下がり、ベッドに着地してから口を開いた。
「うん、凄く苦しいし、痛い……でも、ドミニクがこうしていてくれるから」
その言葉は、彼女のために何かしようとしてもできず、苦しむ彼女を目の前に何も出来ないドミニクにとっては、嬉しくも悲しいものに聞こえた。
◇◇◇
苦しむ彼女の姿を見るのが、ドミニクは辛かった。しかし実験を止めるわけにもいかない。知ったが故に両者に挟まれ、苦しむことになったドミニク。
そんな彼はある日、ひとつの事を思いついた。
アネモネは太陽に弱く、陽の光を浴びると肌が焼け爛れてクリスタルが露出してしまう。また、加えて規則も厳しく、彼の意志では外へ連れ出すことすら出来ない。しかし自分はとんだ口下手なために、外の世界のことは上手く伝えられない。
それならばと、彼は文学の端くれだったその才を活かして、1つの物語を作り上げ、それを彼女に外の世界として伝えようとしたのだ。
「アネモネ、ちょっといいかな」
「なに?」
暫しの自由時間、いつのものように部屋の中で2人きり。ベッドに腰かけ、足先を上下させているアネモネに、ドミニクは自身が書き上げた1つの物語を披露した。
戦争の絶えない世界で、それぞれの陣営に生まれた少年と少女が出会い、恋をして、そして戦争を止めるために奇跡を起こす、という内容の、ベタなファンタジーモノだった。この研究所にいるものに読ませたとしたら、殆どの人間が鼻で笑うに違いない。
「それで、どうなったの?」
「そしたら、彼はこう言ったんだ──」
アネモネは聞いた事のない物語に心を躍らせた。
この狭い世界しか知らず、外にすら出れないアネモネは、ドミニクの綴る物語に瞳を輝かせ、心を惹かれていた。
「──と、今日はここでおしまい」
「もう終わりなの? 続きはどうなるのかしら」
「それは明日のお楽しみだ」
無邪気な子どものようにワクワクとするアネモネに、ドミニクは微笑んだ。
ドミニクが作りあげた物語は、苦しい毎日を送るアネモネにとっては唯一の楽しみであり、ドミニクもまた、彼女のために書き綴るこの物語の創作に没頭し、次々と物語を紡いだ。
彼が考えた物語を、アネモネが聴き、喜び、次回を楽しみにし、そしてまた考える。2人にとっては繋がりを深めるものでもあり、2人を繋げるための唯一の手段でもあった。
「ねえドミニク。雪月花って実在するの?」
「ああ、もちろんだよ。この花は実際にあるんだ」
「そっか、じゃあ、見つけたらお願いごとが叶うかもしれないのね」
「そう。だから、いつか一緒に探そう。だから、それまでにアネモネも、お願いごとを考えておくんだ」
ドミニクの言葉にアネモネは桃色の髪をふわりと揺らしながら頭を傾げ、うん、と答えた。
雪月花──物語の主人公達が最後の手段として求めたその花は、この世には存在しない。願い事の叶う花は、ドミニクがアネモネか未来に思いを馳せることを期待して生み出した架空の花であった。
そのことを、アネモネは知らない。存在すると信じている。いつか見つけて、自分の願いを叶えてもらおう。そう考えることこそが、アネモネ自身の『未来を思う、夢を見る』という行動へと繋がった。
◇◇◇
物語を創り聞かせる。その繰り返しを、彼らは一年以上もの間続けていた。
彼からすれば、その時点でアネモネは人と同然なほどに感情を豊かにさせていた。時々彼を悩ませるような我儘を要求することもあり、しかしその行動が彼女が人と変わらぬことを証明していた。
そしてドミニク先生のファンタジーもまた、広がる物語に終わらぬ物語を紡ぎ続けていた。
「ドミニク……ハグしてもいい?」
暗がりの中で、囁くような彼女の訴えに、ドミニクは頷く。アネモネが彼の体に腕を回して抱きつくと、彼もまた、彼女の腰に手を回してより体に密着させた。
今日もまた辛い実験をさせられた。苦しくて痛いあれを終えた今、アネモネはドミニクの熱が欲しかった。
愛しい人の温もり、それがアネモネにとっての痛みや全ての吐口。そしてその吐口先であるドミニクも、彼女の辛さを受け入れるように、彼女の柔らかさをその身で受け止めた。
いつも二人でいる時間が長く、かつ親しい間柄な2人が自然とそういう関係、即ち恋した男女の関係になってもおかしくはなかった。そこにはイマージュと人間という壁はなく、ただ自然に、2人は男女として恋に落ちたのだ。
「ねえ、ドミニク……物語の続きって、どうなっちゃうの? 寂しい終わり方?」
「それは、言えないな。まだまだ続くからね」
「……うん、そうよね。でも、あたし、悲しい終わり方は嫌い……だから、ハッピーエンドって、信じてる」
「……ぼくもだよ」
ギュッとアネモネの腕に力が入る。より強く抱きついた彼女の頭に、ドミニクは手を添えてそっと手櫛で撫でた。
彼女のためにも、物語は終わらせるわけにはいかない。
しかし、この関係が何時まで続くのかも分からない。先の見えない状況に、ドミニクは彼女を撫でながら、一人深く悩んだ。
物語には、3つの終わりを考えている。
1つはハッピーエンド、無事に戦争が終わり、少年と少女が結ばれる終わり方。
2つは、戦争は終わったものの、少女が消えて、少年はいつ帰るか、帰るのかすら分からない彼女の帰りを待ち続ける、ビターエンド。
そして3つは、少年が消えて、少女が彼を助けるために世界の全てを敵に回し、しかし最後の最後で彼と再会して結ばれる、少し尺を伸ばした壮大な話。
これはあくまで予定であり、もちろん、ドミニクは物語を未だ終わらせるつもりはない。
しかし、いずれは終わることになる。それは、アネモネとの関係にひとつの区切りがついてしまうことを意味していた。
◇◇◇
2人が恋を患うようになってしばらくが経った頃、ワルサワの研究施設では、北方のとある戦場跡地から発見されたあるものによって研究者達が右往左往としていた。
『第七号検体の発見』
つまり、アネモネに続く人型イマージュが発見されたのだ。即ち、イマージュから新たに送り出されたプレゼントでもあった。
「ドミニク、この子がそうなの?」
「ああ、先週発見された子だよ」
そしてドミニクの腕には今、その赤ん坊が抱き抱えられている。落ちぬように頭と体を支え、赤子をあやす様にゆっくりと体を揺らす。それもあって、第七号は瞼を閉じたまま、ゆっくりと眠っていた。
「可愛い。ぐっすり眠っているのね」
「まだ赤ちゃんだからね。きっとこの子も、君のように大きくなる」
「……それじゃあ、この子もあたしと同じで、ここであの苦しい実験を受けることになるのかしら」
アネモネの問いかけに、ドミニクは沈黙のまま苦味のある微笑みを浮かべる。これは肯定を意味しており、第七号がアネモネと同じ苦痛を受けることは避けられないと答えているようなものだった。
「辛い目にも、痛い思いも、沢山するのね」
アネモネはドミニクから第七号を受け取り、優しく包容するように自身の胸元辺りに寄せた。
この皮膚の奥には、自分と同じクリスタルが隠れている。これから先、彼女にも多くの記憶が刻まれることになる。忘れた方が救いになるようなものも、沢山あるだろう。
「……ドミニク」
アネモネが赤い瞳に第七号を映しながら彼を呼ぶ。
「あたしね、いつかこの体に、クリスタルに記録されたあなたとの大切な記憶を、イマージュに届けたい。そうすれば、もう人類とイマージュが戦わなくて済むでしょ? だって、あたしたちだって、人とイマージュだってこうして分かり合えたのだもの。できるはずよ」
アネモネの穢れのない決意と笑みに、ドミニクは相槌を返すように「ああ」と答え、第七号を挟む形でアネモネを抱き寄せた。
彼も信じている。僕達はこうして分かりあって、恋に落ちたのだから。これがイマージュに届けられれば、きっと彼らも分かってくれる。そう、彼も信じたかった。
ドミニクの内心を見透かしたようにアネモネはイタズラな色っぽい声を漏らし、眠る第七号に頬擦りをした。研究所の室内灯の白光に肌を照らしたその子は、アネモネの頬にくしゅっと、表情を動かした。
「あなたも、いつか大切な人に出逢えるといいわね」
まるで母親のように、アネモネは第七号に微笑みを向け、頬を擦り寄せる。「なら、まずは沢山食べて、大きくならないと」とドミニクが囁くと、第七号は頷く代わりのように、その小さな小さな手を動かした。
擬似的な、ほんの短い時間、しかしドミニクとアネモネと七号は、本物の家族のように触れ合い、それは第七号のクリスタルにも確かに記憶された。
◇◇◇
二人の関係は明確に変化している。しかし同時に、ワルサワに立ちこむ空気にも淀みが生まれていた。
たった一つのメッセージ、それが全てを、正確には科学者の一部集団を狂わせた。彼らは自らを『ヴォダラク』と名乗り、狂気の末に、遂に行動を起こした。
「……?」
真夜中、アネモネは少しの騒がしさに目を覚ました。
こんな時間になんだろう、ドミニクはまだ寝ているはずなのに。そう思いながら、アネモネは上半身を起こして扉の方を見つめた。
刹那、扉が開かれた。中に入ってきたのはドミニクではなく、実験に立ち会っている他の研究者達だった。
突然の入室に、アネモネは唖然としたまま目を細めた。暗い部屋にいきなり差し込んだ明かりに瞳が痛みのような擽ったさを感じた。
「(なに、なんなの)」
目の前で一言二言を交わした彼らはアネモネに向き直すと、彼女の周りに囲うように集まり、その細い体を押さえつけた。
「い、いや! 離して!」
ドミニク、と呼ぼうとしたアネモネの首筋に、細い針が差し込まれる。プシュッという音のすぐ後にアネモネの目を見開き、そしてすぐさま虚ろ眼へと変化、そのまま脱力してベッドの上にへたりこんだ。
薄れる意識の中で、アネモネはヴォダラクに体を担ぎ上げられ、どこかへ連れていかれることを悟った。しかし虚ろな意識は明確なものを思考させてくれず、深い眠りへと誘った。
そしてようやく意識がハッキリとした時には、アネモネは既に軍艦の中へと放り込まれていた。彼女が閉じ込められているのは悪魔のような外見をした黒いKLFのコックピット内だった。
「いや、助けて! 助けて! ドミニク!」
アネモネは桃色の長髪を乱しながら、愛しい人の名前を叫んだ。コックピットを叩こうにも、体は拘束されて身動きが取れない。叫びによる震えのみが、内部を揺らしている。
「ドミニク! 助けて! ドミニクぅ!」
アネモネはただ只管に泣き叫んだ。ここにはドミニクはいない。いるのはヴォダラクに乗せられた子どもたちのみ。
「ねえ、ここに女の子が閉じ込められてるよっ!」
彼らはアネモネの叫びを聞いて、彼女を助けようと手を尽くしていた。
しかしコックピットは開かない。硬く閉ざされたハッチは、まるで現実と夢を隔てる壁のように、アネモネを閉じ込めていた。
ドミニク、ドミニク、ドミニク、ドミニク、ドミニク、ドミニク、ドミニク──喉が嗄れるまで、アネモネは何度も何度も叫び続けた。
初めて会話をしたその日から、2人はいつも一緒にいた。
数多の感情も、ドミニクと一緒にいたから生まれて解されて、自分の中へと溶けていた。
笑うようになって、怒るようになって、我儘を言うようになって、からかうようになって、愛おしく思うようになった。
苦痛の伴う実験を受けていた時も、ドミニクが傍にいたから耐えられた。
彼の作ってくれた物語、それを聞くのがアネモネの楽しみであり、明日も彼と約束をした。
明日を思う、未来を思う。
しかし、それはもう叶わない。
「ドミニク…………ドミ…………」
軈てアネモネは叫ぶことを辞めた。いや、具体的には、叫ぶことが出来なかった。遠のく意識と徐々に崩壊していく思考と体。
目の前が虹色に包まれていく。
それは艦全てを溶かすように広がり、実際に艦内も子どもたちも、全てが虹の海へとバラバラに消えていった。
体が光の粒子になるその時まで、アネモネはその光景を見ていた。
そして同時に、人間への憎しみが、クリスタルに刻まれた憎悪がイマージュへと溶けてひとつになっていく。
この件が後に『ドーハの悲劇』と名付けられ、イマージュの活性化に繋がり、人々を更なる地獄へとたたき落とすことになる。
けれど同時に、憎しみとは別にもうひとつのものが、彼女にはあった。それはこの世界に散らばり、ひとつの花として現れることになる。
しかし、今はまだその時ではない。
◇◇◇
「…………」
深夜、アネモネが収容されていた研究室。ベッドと周りに置かれた機器類、食事用のテーブルとイス、研究者が監視するための空間を隔てる四窓が壁に嵌め込まれたそこに、ドミニクは居た。
本当なら、今頃彼は、アネモネに物語の続きを聞かせているはずだった。自分なりに考え、導き出した少年と少女の運命を、彼はアネモネに語るはずだった。
だが、アネモネはもういない。数日前、ヴォダラクが引き起こしたドーハの悲劇によって彼女は消えた。いや、正しくはイマージュに還ったと言えば良いか。
「アネモネ」
彼女がいつも座っていたベッドの縁に腰をかけながら、ドミニクは彼女の名を囁くように言った。
自分の知らぬ間に、全ては終わっていた。たとえ気付けたとしても、彼のみでは手遅れだっただろう。
突然のアネモネの喪失とヴォダラクへの憎悪、同じ科学者として彼らの行動を理解出来てしまう己への嫌悪、湧き出る様々な感情がここ数日間、ドミニクの内側を容赦なく傷つけ、抉っていた。
しかし、1番許せなかったのは、最後の最後まで彼女を救えなかった自分自身の愚かさだった。
見ていたはずだろう。彼女が笑って、喜んで、それ以上に苦しんで、実験中も助けを呼んでいたのを。ドミニクと自分の名を呼んでいたのを。
なのに何もしなかった。教えるだけ教えて、苦しむ彼女から目を逸らして、彼女のためと架空の物語を創作して騙して、ありもしない物を探す約束をして彼女に希望を持たせて。その結果がこの有様か。
「…………ぅぅ…………」
膝に置いた手をぎゅっと握り、研究者服のズボンをしわくちゃにしながら、ドミニクは呻くように嗚咽を漏らす。
アネモネを失ってから、彼は己の心情を誰にも悟られまいとずっと表情を殺していた。
殺して殺して、そして今、どっと崩れ落ちた。
瞼から幾数もの粒が溢れ出し、頬を伝って顎下へ集まり、手の甲や衣服へと落涙する。
何度もあった。彼女を助けるチャンスは、やめろと叫ぶことは、いつだって出来たはずだ。苦しむ彼女を、恋した彼女を救うチャンスはあったのだ。
なのに、自分はそれをしなかった。彼女を知ったくせに、感情を解放かせたくせに、夢を見させようとしたくせに。
──本当はお前も気づいていたのだろう。アネモネはイマージュから送り出されたロボットでしかなく、人間の自分とはいずれ別れることになると。
そう、お前にとっては、直前に亡くなった母親の喪失に対する穴埋めでしかなかったのだ。知らなければ良かったものを、信じさせておいて、余計に傷つけることになって、彼女を絶望させたのだ──
「違うっ!」
どんっ、とドミニクは自身の膝元を強く殴りつけた。
幻聴というやつか、はたまた彼の内に秘めた己への罵倒が表出したのか。ただ虚しく、彼の声が狭い部屋に響いた。響いた直後に、ドミニクの堪えた嗚咽がまた小さく唸った。
失ったものは、あまりにも大きかった。
◇◇◇
以来、ドミニクは絶望にその身を委ねた。
アネモネのいない日々は、彼女と出会う前と変わらないもので、彼に無力感を与え続けた。
全ての光景が荒れ果てていて、心も赤く錆びたように色褪せ、荒廃した世界のようだった。
最早、生きる気力すらも湧かない。いっその事、全てがお互いを傷つけ合い、そのまま滅べばいいと、何度も何度も思った。
そんな彼だったが、ある日、とある物を見つけ、目を疑った。
それは、間違いなく雪月花だった。
自分がアネモネのために創作した物語の中に登場させた花。100年に一度、星の粉が降る日に、虹色の光を放つ花を咲かせる、その光の中で願い事をすれば、なんでも叶う。
まさに夢のようで、希望を乗せたその花が、現実世界に存在していた。いや、現実世界に『現れた』。架空の存在であるものが、この世に現出したのだ。
それを見て、ドミニクはあることを確信した。荒れ果てた彼の心は奮い立ち、ワルサワでの研究を続けた。
今ある雪月花は虹色の光を放つ花を咲かせない。けれど、いつかは咲く。
「……ありがとう、アネモネ」
未来を、希望を、アネモネに届けるために、ドミニクは動いた。
それは長く、ドミニクにとっても想像以上に過酷なものとなる。
しかし、その時は必ずやって来る。
そして、2人は再会し、抱き合う。
物語は、ハッピーエンドでなければならない。
それ以外、彼女は許してくれないだろうから。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ママ、わたしね。素敵な人に出会えたよ。ママの言ってた通りに、レントンと出会って、彼と会うために生まれてきたんだって思えたよ。
「そう、出会えたのね。あなたも……エウレカも」
うん、だから、その気持ちをイマージュに伝えたよ。
たとえ体がバラバラになっても、レントンが生きて夢を見続けてくれるのなら、わたしもまた生き続けることができるから。
「……ありがとう、エウレカ」
ママ……こうして抱いてくれたの、あの日以来だね。
「そうね。あの時のあなたは、こんなにも小さかったわ。小さくて、頬擦りしたくなるくらい可愛かった」
……ずっと、ここに居ていい?
「……でも、あなたを呼んでいる人がいるでしょ?」
……呼んでいる人?
「ほら、ちゃんと耳を傾けて。聞こえるはずよ。あなたを、エウレカのことをずっと待ってる。一緒にいたいってお願いしてるわ」
…………ホントだ。聞こえる。レントンの声。
「なら、行ってあげなきゃ。あの子のもとへ、あなたが素敵と思えた、大切な人のもとへ」
……………………うん。
◇◇◇
「エウレカ」
名を呼ばれて目を開くと、彼女の目前にレントンの姿があった。ぼやけた視界から霞みがきえて、しかしまだ眠気が残っているエウレカは、彼の体に身を任せた。
ここはどこだろう、そう思っていると、レントンがワルサワの丘だと教えてくれた。幼い頃にレントンと二人で一緒にいたこの場所に、エウレカは帰ってきたのだ。
ゆっくりと、エウレカは顔を上げて空を見上げる。
空にはカーブを描いた七色の橋が描かれており、エウレカはそれを見て、笑みを浮かべた。ずっと見たかったそれが、すぐ目の前にある。
「そうだよエウレカ……あれが、虹だよ」
レントンは微笑みながら彼女に教えた。
レントンは、今まで出会ってきた人々へ、道に、世界に思いを馳せる。
そしてエウレカもまた、思いを馳せた。
陽の光が当たる中、焼けることなく温まる肌の表面と、レントンの温もりを感じながら、エウレカは想像した。
夢を。
この先のことを。
レントンとの未来のことを。
ハップの最後は小説版の方が好き。