「鳴海様、その方は」
「…………」
問われて鳴海荘吉は首を振った。
力なく垂れ下がった手足。ひと目見た時から生存は絶望的だった。それでも気づけば手がドアノブを握り、開かないと判断するなり右足を繰り出していた。
黒実りえに脚立をもってこさせ、下ろした遺体は床に寝かせてある。見開かれていた瞼を、荘吉はそっと閉じる。
(……じっとしているのは性に合わんな)
荘吉は立ち上がった。
「さて、話を聞かせてもらおうか、
「ど、どうして私の名前を。そもそも、あなたは誰なんですか」
「探偵、鳴海荘吉。それが俺の名前であり、質問への答えだ」
「助手の黒実りえと申します」
あくまでも臨時のだが、黒実は恭しく頭を垂れる。浅沼は未だ状況が理解できていないようだった。
「浅沼さん?」
「
食堂室の扉──さっき荘吉が蹴破った両開き扉──から中を窺っていた女が歩み寄ってくる。
その顔と名前には覚えがあった。浅沼の不倫相手。今回の依頼は浅沼の妻から夫に不倫の疑いがあるから調査してほしいというものだった。尾行していたのも浅沼がこの女と密会する現場を押さえるためだ。
「役者は揃った、といったところか」
◆ ◆ ◆
重苦しい空気を入れ換えようとテラスとリビングを仕切っている扉窓を開けたが、どうやらここは風都と違いそよ風すら吹かないらしい。
「ではまず、どのようにしてこの洋館へ来たのか。そこから伺おうか」
肘掛け椅子に収まった荘吉はそう口火を切った。どうぞ、と黒実が人数分のコーヒーを淹れてきた。
しかし、首吊り死体なんてショッキングなものを見た直後だ。カップに口を付ける者はいなかった。
「私は、信じてもらえないかもしれませんが……」
自信なさ気に浅沼が語り出す。
「夕凪町のT字路は早乙女くんとの待ち合わせ場所なんです。今日も『いつもの場所で』と連絡をもらっていたので、約束の時間にT字路へ行きました」
間違いない、荘吉と黒実が浅沼を見失ったあの場所だ。
「約束の時間ちょうどでしたが、早乙女くんはまだ着ていなくて、そしたら足下に黒いハードカバーの本が落ちていることに気づいたんです。彼女、読書好きだったので、もしかしたら落としたのかなと思い、拾ってページを開いてみたら……」
「この洋館にいたと?」
「ほ、本当なんです、探偵さん! 信じてください!」
突拍子もないせいで信憑性がないと感じたのだろう。狼狽える浅沼を落ち着かせ、荘吉は次の人物に話を振る。
「
「わたくしたちと同じですね」
コーヒーを啜りながら、黒実がまとめた。
「やはり、あのハードカバーがそうだったのか」
ドーパントないしはメモリの能力によって生み出されたもの。
(差し詰め、読んだ人間をこの異空間に幽閉するといったところか)
荘吉は次なる問題に着手する。
「先ほど食堂室で亡くなっていた人物だが、名前は
このあたりの情報は遺体の持っていた免許証と名刺から判明した。
「彼の名前や顔、それから職歴に関して何か心当たりは」
「いえ、ありません」
「わたしくも」
「あ、あの」
おずおずと挙手したのは早乙女だった。
「その人、知っています……」
「どういう関係で」
「関係なんて、そんな。ただ雑誌の書評コーナーで読んだだけです。龍之宮憧克の『風の庭の殺人』っていう本のこと、かなり酷評してて……」
死人に口なしだが、生前は毒舌家だったようだ。早乙女も直接顔を会わせたことはなかったという。荘吉も同じだ。浅沼や早乙女も不倫調査の依頼を受けるまで面識はなかった。
「あの」
再び挙手したのは早乙女だった。
「これって誘拐、ですよね……。わたしたちいつ頃、助かるんでしょうか」
もっともな疑問だった。この身はあくまで私立探偵。殺人事件は警察の領分だ。荘吉は黒々としたスタッグフォンを開く。しかし、何度見ても画面には『圏外』も文字があるだけ。
「洋館の外は。誰か見たか」
「それなら私が」
浅沼が言う。
「助けを呼ぼうとして外に出たんです。だけど、ここ無人島みたいで、港すらないんです!」
薄々予想はしていたが、的中してほしくはなかった。
「お互いに面識もなく、身分もバラバラな男女が絶海の孤島に建つ洋館に集められる。これではまるで──」
「『そして誰もいなくなった』でございますね」
アガサ・クリスティーの名作なら荘吉も知っている。今の荘吉たちと同じ状況下に置かれた男女十人が順序だてて殺害されてくというのは有名な筋書きだ。
「それで途方に暮れていたら、洋館の中からものすごい音が聞こえてきて様子を見に行こうとしたんです。そしたら食堂室の扉から……」
「首吊り死体が見えた、というわけか」
筋は通っている。恐らく殺された大路櫂人もあの黒いハードカバーを読んだのだろう。そして、ここへ飛ばされ、殺された。
「わ、わたしも聞きました。まるで銃声みたいな……」
「そちらは気にしなくて結構だ。うちの助手が湯を沸かそうとして失敗しただけだ」
まさか鋼鉄のメイドが箒型の機関銃をぶっぱなしたと話しても誰も信じまい。この女の処遇も考えなくてはいけないが、まずは目の前の殺人事件だ。
「ところで鳴海様」
「なんだ」
「状況が状況でございますし、ここはやはりあれをなさるのですか」
「あれだと?」
「はい。ずばり、現場検証でございます」
◆ ◆ ◆
凶器となったまだらの紐はシャンデリアを吊るすためのフックに引っかけられていた。
「紐というより頑丈なロープだな」
しっかりと
「あの探偵さん、さっきの人は自殺、じゃないんですか」
両開き扉から中を覗く浅沼が問いかけてくる。その後ろには早乙女もいる。
好き好んで人死にのあった場所になど来たくもなかっただろうが、例の魔犬がまた襲ってこないとも限らない。
だから、荘吉たちは全員で再び食堂室を訪れていた。
「鳴海様、食堂室の出入口ですがあちらの両開き扉の他には、奥の厨房から洋館の裏へ出る勝手口がひとつございます」
脚立から下りると、ちょうど調べにいかせていた黒実が帰ってきた。
「鍵はあちらと同じ
「そうか」
両開き扉の
「洋館の中央に位置する部屋なので窓はなし。出入口のどちらにも中から鍵か」
「典型的な密室、でございますね」
「それじゃ、やっぱりあの人は……」
自殺、と言いかけた早乙女を荘吉は手で制す。密室だから自殺などという考え方は使い古されていて、誰もが聞き飽きていることだろう。
「この紐だが、当然ながら上の端は輪になっている。しかし、下の端を見てみろ」
荘吉はまだらの紐を指差した。天井からぶら下がった毒々しい色の凶器は真っ直ぐに垂れていた。
「わ、輪になっていない……!?」
「こんなもので首を吊れるのなら教えてほしいものだ。それから、見たくもないだろうから口頭で伝えるが、遺体の着衣には乱れがあった。シャツの裾がはみ出て、靴は片方だけが脱げていた。さらに首には爪で引っ掻いた跡もあった」
「どなたかが首に紐を巻き付け、それをはずそうと抵抗なさった、ということですね」
まるでワトソンのように黒実が言う。それは助手ではなく相棒だ。
「それじゃ、私たちの他に誰かが潜んでいて……!」
「どうなのだろうな」
荘吉は顎に手をやる。この手の閉ざされた環境下──クローズドサークル──で隠れ潜んだ第三者が犯人という真相はご法度だ。
ましてや、このドーパントの正体は極度のミステリーフリーク。
あの『バスカヴィル家の犬』に『そして誰もいなくなった』のような舞台設定、そしてこの『まだらの紐』が何よりの証左──。
「……ん?」
その時、荘吉は首に違和感を覚えた。何か細いものが這っているような。
「鳴海様っ!」
どんっ、と黒実が両手で荘吉を突き飛ばした。食卓に背中を打ち付け、皿や銀食器が散らばる。そのお陰で首に巻き付きかけていたものがはずれた。
──しゅるるるる!
「黒実!」
まだらの紐が、黒実の首に巻き付いていた。
誰も手を触れていない。だというのに、まるで紐自体が生きているかのように独りでに動いている。そして動きには殺意があった。
「なる、み……さま……、ぐっ……!」
黒実が首をかきむしる。だが、二重、三重に巻き付いた紐は表面の摩擦もあって引っ張っただけでははずせない。
そして、まだらの紐が第二の犠牲者を天井へと連れ去る。足が床を離れ、首から軋むような音が鳴る。もはや一刻の猶予もない。
荘吉は床に散らばった銀食器の中からナイフをつかみ取った。
「そこを動くなっ!」
「は、はい……」
黒実と紐へ向けて言い放つと同時にナイフを投げる。矢のように飛んだ銀色が毒々しいまだら模様を切断する。テーブルへ落ちてきた黒実の首から紐を剥ぎ取る。
「けほっ、けほっ……た、助かりました……」
「俺の助手を名乗ったからには死ぬことは許さん」
「あ、あの、今のはいったい……」
震えながら今の一幕を見ていた浅沼と早乙女が尋ねる。
「これが密室殺人の正体だ。種明かしにしては早すぎるし、トリックどころかインチキだがな」
床を這って逃げようとするまだらの紐に、荘吉はフォークを見舞う。串刺しにされて動く凶器はようやく静かになった。
だが、まだ安心はできない。ここがドーパントの術中である以上、他の殺人トリックが潜んでいないとも言い切れない。
「全員洋館の外へ出ろ。首に紐を巻き付けられないよう注意しながらだ」
◆ ◆ ◆
断崖の下。寄せてきた波が岩にぶつかり、飛沫をあげて砕ける。その音以外に耳に届くものはない。
「風ひとつない草原ってのは、こうも不気味なものなのか」
沈黙の草原は踏みしめた時だけ、大地が葉音を鳴らす。
洋館から脱出した荘吉を含む四人は周囲一帯を見渡せる場所に陣取った。隠れられはしないが、逆に敵も見つけやすい。
絵画のように動かない雲の空を飛びながら、黒いスタッグフォンが荘吉の手に戻ってくる。
「いかがでしたか、鳴海様」
「案の定だ。港がないとは聞いてたが、隠し入江どころか海へ下りられる場所すらない」
島の外周はすべて断崖絶壁。島の内部に隠れ潜める場所もなし。それがスタッグフォンを飛ばせて調査した結果だった。
「敵の能力はおよそわかった」
ミステリー・ドーパントとでも仮称しようか。
その能力はリビングで荘吉が推察したように例の黒いハードカバーを扉にして読者を異空間に閉じ込めること。しかも、異空間の中は殺人トリックがあふれた死地ときた。長居は無用だ。
「どうなさるおつもりですか」
「さっさとケリを付ける。それだけだ」
折り畳んだスタッグフォンをしまう。
「しかし、この島から脱出する手立てはないと……」
「そう急かすな。この光景は恐らくドーパント自身も見ているだろう。だから、あえて言ってやろう」
「?」
「黒実、全員を集めろ。そしてタバコを吸うやつがいないか訊いてくれ」
あまりにも長くなってしまったので、ここで一旦切ります。あれ、この流れ、どこかで見たような……?