仮面ライダースカル ──鳴海荘吉の肖像──   作:なら小鹿

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タイトルでなんとなく察してる方もいるかもしれませんが、黒実さんメインのエピソードです。

あと鳴海探偵事務所ってビリヤード場の二階にあるんですね。本編だと一回もビリヤードしてなかったので、看板だけかと思ってました。



Aの復讐 / 遊べない女

 

「──ナインボール」

 

 グリーンのクロスが敷かれたビリヤードテーブルには九つの的球が菱形に配置されている。手前の角は(1)、そして中心が(9)の球だ。

 

「まずはブレイクショットだ。手球を()いて的球に当てるぐらいは知っているだろ。ショットの際、プレイヤーはテーブルにある最も数字の小さい球を狙わないといけない」

 

 キューが白い手球を撞き、その手球が(1)の的球を打つ。カコン、と小気味のいい音を鳴らして菱形に並んだ的球たちが四方八方に広がる。

 

 テーブルを囲うレールに当たって跳ね返った球が、転がってきた別の球に当たった。

 カコン、カコン、と球同士の当たる音が連続する。そして、ようやく球たちの動きが落ち着いてきたところで──。

 

 ──コトン

 

(5)の的球がポケットに落ちた。

 

「数字の書かれた的球がポケットしたら、プレーを続行する。ショットでは小さい数字を狙うと言ったが、ポケットさせる的球は何番でもいい。例えば」

 

 キューが手球を撞き、それが(1)の的球を弾く。そして今度は(1)が(9)を弾いてコーナーにポケットさせる。

 

「今みたいなプレーもありだ。そうして交互にプレーを繰り返していき、先に(9)をポケットさせたプレイヤーが勝者となる」

 

 鳴海荘吉(なるみそうきち)はルール説明を兼ねた実演を終えると、落ちた的球を拾い、再び菱形に配置していく。

 

 鳴海探偵事務所は風花町一丁目にある『かもめビリヤード場』の二階に間借りしている。当然、その一階にはビリヤード場がある。

 

「手球が最も小さい数字以外の的球に当たったり、球がポケットしなかったりした場合は手番が相手に回る。言い換えれば球がポケットし続ける限りは自分の手番だ。理解したか」

「はい」

「なら、やってみろ。ブレイクショットは譲ってやる」

 

 言いながら荘吉がキューを手渡してきた。

 

「では、参ります」

 

 黒実(くろみ)りえはキューを構え、勢いよく手球を撞いた。

 スコッ、と間の抜けた音を鳴らし、手球はサイドポケットへ転がっていった。

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

 

「──働きすぎだ。少しは休め」

 

 黒実りえが仮の雇い主である鳴海荘吉から苦言を呈されたのは鳴海探偵事務所へ来て三日が経った時だった。

 

 男性二人での探偵業と聞いて、料理はもとより掃除洗濯の類には手が回っていないだろうと予想していた。

 

 そして案の定その予想は的中した。

 

 朝食は口にせずコーヒー一杯のみ。昼食は調査で外へ出ているのでどうしているのかは不明。夕食は「風麺の屋台で食ってきたからいい」と断られ続けている。

 

 いつもの白いスーツとハットは手入れも行き届いているようだったが、その他の衣類についてはアイロンがかけられた形跡すらなかった。

 屑籠には数週間分のゴミが押し込められており、床は少し掃いただけでホコリの山ができた。

 

 奥にある扉は「幽霊が出るから触るな」と釘を刺されてしまったので、まだ手を付けていないが、どのような惨状が広がっているかは想像に難くない。

 

 黒実は荘吉が調査に出ている間にせっせと事務所の床を掃き掃除し、クローゼットの肥やしになっている衣服にもアイロンをかけ、不在時に訪れた依頼人から伝言をことづかり、温かい夕食を準備して待っていた。

 そして、帰ってきた荘吉の第一声がさっきの「働きすぎだ。少しは休め」だったのである。

 

「休めと言われましても、わたくしは生まれながらのメイドでございまして」

「お前の身の上は昨日も聞いた」

 

 黒実の家は元々とある名家に仕えていた。物心ついた頃から礼儀作法と滅私奉公を教え込まれた。

 

 だが黒実が成人する頃には仕えていた一族が没落、黒実たち使用人は暇を出された。

 

 誰かに仕えるために生まれ育ってきた黒実にとっては、地図も羅針盤もないまま、夜の海に放り出されたような心持ちだった。

 

 そこから紆余曲折あって今は亡き龍之宮憧克(たつのみやどうこく)に拾われたのだ。

 

 しかし、その龍之宮も己が小説のために殺人すら厭わない人間だったと知った今では、盲目的に仕えるのではなく、その主人が本当に善き人であるか自分自身の眼で見極めなければならない、と黒実は感じている。

 

 そして、この鳴海荘吉という人物は善き人であると信じられた。とはいえ、休めと命じられても、どう休んだもか。黒実自身も困ってしまう。

 

「趣味はないのか」

「ここ数日はコーヒーを淹れることに凝らせていただいています」

「俺には仕事の一環に見えるが」

「でしたら」

 

 黒実はエプロンドレスの前に両手を揃えて頭を垂れ、

 

「何卒、鳴海様流の休み方というものを伝授していただけないでしょうか」

 

 そうした経緯で事務所の扉に『臨時休業』の貼り紙をし、二人は一階にある『かもめビリヤード場』に下りてきたのだ。

 

「キューが低すぎると手球はその場で跳ねるだけだ。球の中心を狙え」

「心得ました」

 

 白いスーツの男がヴィクトリアンメイドに手取り足取りビリヤードを教えている。なんとも奇妙な絵面だった。

 

 客は黒実たち以外にはいない。店主も来店した黒実を見た瞬間は目をこすったが、隣に荘吉の姿が見えるなり、なぜか納得したような表情になった。

 

「だが、手球にばかり意識を取られるな。常にテーブル全体を俯瞰して、狙い目になる的球を選ぶんだ」

「(3)の的球がポケットに入りそうです」

「なら狙ってみろ」

 

(3)はコーナーポケットのすぐ手前にいるうえ、(1)と(2)は既にポケットしている。

 しかし、真っ直ぐ狙うには間に(6)があって邪魔だ。(6)に手球が触れてしまえばファウル、手番が相手に移ってしまう。

 

「そういう時はテーブルを囲うレールを介して狙うんだ」

「なるほど。跳ね返らせればよいのでございますね」

「そうだ」

 

 早速、黒実は手球を狙う向きを変えた。一直線ではなく『く』の字を描くよう意識して、

 

「参ります」

 

 キューで手球を撞いた。カコン、とレールに当たった手球が跳ね返り……(3)の横を通りすぎてコーナーポケットに落ちた。

 

「角度が浅すぎたようだな」

「その角度、というものがいまいち理解できないのでございます」

 

 さっきもレールに当たった手球があらぬ方向に転がってファウルになってしまっていた。

 

「そう難しいものでもない。浅い角度の球は浅く跳ね返って、深い角度の球は深く跳ね返る。入る角度と出る角度は同じになる。それを計算して撞けばいいだけだ」

「言うは易く行うは難し、でございますね」

「慣れれば簡単だ。見ていろ」

 

 荘吉は黒実から受け取ったキューを構える。白い手球は位置が代わり(3)からはかなり離れてしまっている。それでも荘吉は迷わず球を撞いた。

 

 ──カコン

 

 斜め45度でレールに当たった手球は逆向きに斜め45度で跳ね返る。その先にあるのは(3)の的球。

 速度を落とした手球がコツン、とその背中を押す。わずかに転がった(3)はポケットし、手球は穴の手前で止まっている。

 

「おお。お見事です、鳴海様」

「相手のナイスプレーにも拍手を送れるのは紳士淑女の嗜みだが、お前は少しは妬むくらいがいいぞ」

「そう、なのでございますか?」

 

 黒実は首を傾げつつも、荘吉のプレーに目を見張った。

 

 そうして探偵事務所を『臨時休業』して開かれた鳴海荘吉のビリヤード教室は、生徒である黒実の腕前を『ずぶのド素人』からただの『素人』にするぐらいには役立った。

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

 

 二人してビリヤードに興じた翌日。

 

 風都はひどいゲリラ豪雨に襲われていた。傘立てに刺さったままになった黒い傘を見ながら、黒実は張り込みに出ている荘吉の身を案じた。

 

「……へくしゅっ!」

 

 そして不安は見事に的中した。それこそ荘吉がビリヤードテーブル上で見せた数々の見事なショットのように。

 

「38.2℃、かなりの高熱でございます」

「ただの風邪で大袈裟なんだよ。……へくしゅっ!」

 

 体温計の目盛り以上に荘吉の顔は赤く見えた。

 

「無茶をなさるからです。ご一報くださればわたくしが傘をお持ちしましたのに」

「どこの世界にヴィクトリアンメイドに傘を持ってこさせる探偵がいる。大声で張り込みしていることを相手に伝えるようなものだろうが」

 

 やはり、この格好は人目を惹くらしい。黒実としては一番着慣れているのだが、今後外出する際は着替えないといけないかもしれない。

 

 ──コンコン

 

 誰かが突然(ドア)を叩く。『臨時休業』の貼り紙は今は丸められて屑籠に収まっている。

 

「どうぞ」

 

 荘吉がくしゃみを堪えながら応じると、扉が開いた。

 

「……ん?」

「あの、前に来た時に言われたもの、もってきました」

 

 来客は小学生の少年だった。

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

 

「──伝言はこの女から聞いている」

 

 守野司(もりのつかさ)、11歳。風都小学校に通う五年生であり、先日、荘吉不在の間に訪れた依頼人だ。

 

 今どきの小学生らしくない、というと褒めていないのうに聞こえるが、礼儀正しい子だった。客であれ勧められるまではソファには座らず、腰を下ろしてからも背筋を伸ばし、両手を膝に置いている。

 そして、持ってくるように伝えたものもきちんと揃っていた。

 

「どれも法的効力のある書類だ」

 

 荘吉は目を通した書類をテーブルに戻す。

 

「それって……」

「そう慌てるな。法的効力があるのはこいつらが本物だったら、の話だ。……へくしゅっ!」

 

 守野少年が用意してきたのは立ち退き要求への合意書、そのコピーだ。

 

 守野少年は早くに両親を亡くし、今は祖父母の家で暮らしている。その祖父母は代々リンゴ農園を営んでいて、風都のはずれに土地を持っている。そこに開発業者から立ち退き要求の督促状(とくそくじょう)が届いたのが一週間前。祖父母にとっては寝耳に水で、当然ながら立ち退きには応じないと意思を示した。すると次は──。

 

『守野慶太郎さんですね』

『そ、そうだが。あんた、どこの誰だい』

『怪しい者じゃありませんよ。交渉代理人ってやつです』

 

 その柄の悪い男はどう見ても、ことを穏便に済ませるつもりで来たとは思えなかった。事実として──。

 

『この署名と捺印、おたくのものですよね?』

『な、なんじゃ、これは……こんなもん、見た覚えも判を押した覚えも……』

『ないとおっしゃる? おかしいですね。うちらでも調べさせてもらったところ、この捺印、おたくの印鑑証明みたいですな』

『あ、あなた……』

伴子(ともこ)、お前は下がっとれ』

 

 柄の悪い交渉代理人の男と祖父母のやりとりを、学校帰りの守野少年は農園の端から聞いていた。

 

『出るとこ出てもらっても、うちとしては一向に構いませんよ。ま、近々また来ます。その時にはいい返事を聞けると信じてますよ』

 

 合意書の写しを置いて、代理人の男は帰っていった。

 祖父母は頭を抱えるばかりで、守野少年は警察にも届け出ようとしたが「署名も捺印もあるようじゃな……」と渋られた。

 

 そうして巡り巡って依頼は、ここ鳴海探偵事務所へと持ち込まれた。

 

「しかし、その開発業者、ネオディベロ・コーポレーションと言ったか」

「はい」

「うーん……厄介だな……」

 

 荘吉が顎に手をやって考え込む。

 

「難しい依頼、なのでございますか」

「風都では名の知れた大手企業だ。風都タワーの建設にも携わっていたはずだ」

 

 相手をするには骨が折れる、といいたいらしい。

 

「そのリンゴ農園をしてる土地の権利書も見てみないと、何とも言えないな。……へくしゅっ!」

「……わかりました」

 

 むくり、と守野少年が立ち上がった。

 

「お時間をとっていただき、ありがとうございました」

 

 礼儀正しい、というより他人行儀に聞こえる台詞。少年は持ってきた書類のコピーをまとめると、そのまま事務所を出ていってしまった。

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

 鈴鳴珈琲(すずなりコーヒー)は風都で一番いい豆を売っている、と評判だった。ドアベルを鳴らし、店を出た黒実の手には店名入りの紙袋がある。

 

「あとは風邪薬と解熱剤、でございますね」

 

 日用品の買い出しは黒実の仕事だった。荘吉は「相棒がいれば、任せるんだが……へくしゅっ!」とくしゃみをしていた。

 医者に診てもらうことを勧めても荘吉は依頼を優先し、市販薬を買ってこいと命じるばかり。薬局はこの先の交差点にある。黒実が信号待ちをしていると──。

 

 ──ズガガガガガガガ!

 

 歩道に乗り上げた車が店舗の外壁に車体をこすり付けながら暴走してくる。その前には男子中学生の姿。

 

「お、おいっ、逃げろっ!」

 

 通行人の誰かが叫んだ。だが男子中学生は動かない。恐怖で体が硬直してしまっているのだ。暴走車のフロントガラスはヒビ割れで真っ白。とても前が見えているとは思えない。

 

 判断は一瞬。行動は迅速だった。黒実は逃げる歩行者とは逆方向、暴走車へ向かって走った。

 

 タックルするようにして男子中学生の体を抱きかえる。暴走車は目の前に迫っていた。もはや回避は絶望的。

 

 だから黒実はジャンプした。空中で身をよじり、尻から暴走車のボンネットへ着地。そのまま衝撃を逃がすようにフロントガラスからルーフへと車体の上を滑る。そしてトランスから再び歩道に足を着けると──。

 

 ──キキーッ! ドンッ!

 

 暴走車はボンネットに電信柱をめり込ませ、ようやく停まった。

 

「おケガはありませんか」

「は、はい……」

 

 未だ黒実の腕に抱かれたままの男子中学生はなぜか耳まで真っ赤にしている。今朝の荘吉の顔が頭に浮かんだ。風都では風邪が流行っているのだろうか。

 

「おい、そこのえーっと……メイドさん! あんた、大丈夫か! はねられたように見えたが!」

 

 ちょうどパトロール中だったのだろう。手で押していた自転車を倒して、制服姿の巡査が駆け寄ってくる。

 

 その顔には見覚えがあった。荘吉が懇意している交番勤務の、確か刃野巡査といったような……。

 

 ──ボンッ! ボボボボッ、ボンッ!

 

 そこで思考は途切れた。

 

 停車したはずの暴走車が大きく左右に揺れ、車体がボコボコになっていく。

 

「二人とも離れて! 危険だ!」

 

 ただし、凹んでいくのではない。車内から巨大な拳でなぐったかのように、暴走車がコブを作っていく。既にルーフはコブだらけで、ボンネットやトランクさえもボコボコになっている。

 

「警察だ! 今すぐ車から降り……うおっ!?」

「刃野様」

 

 警棒を手に暴走車に近づいた刃野巡査が尻餅をつく。ルーフに大穴を開けて大空へ飛び出していったのは──。

 

「ありゃなんだ……?」

 

 真っ赤な球体だった。

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

「刃野巡査から事情は聞いている。派手にやったそうだな」

「緊急事態でしたので」

 

 風都総合病院の待合室で黒実は精密検査の結果を待っていた。

 

 この町では不可解な事件が頻繁に起きているそうで、刃野巡査は手慣れた様子で応援を要請すると共に救急車を手配してくれた。一応、黒実と男子中学生は交通事故に遭った身なのだから。

 

「しかし、真っ赤な球か」

「大きさはこのくらいでございました」

「ボーリングボール大。そりゃ車がスクラップになるのも納得だ」

 

 刃野巡査から荘吉へは事故の報告だけでなく、空へ消えていった赤い球体についても情報が伝わっていた。

 

 暴走車は企業名義の社用車で、運転していたのもそこの社員。こちらは命に別状こそなかったものの、かなりの重傷だったそうだ。

 そして問題なのは、運転手のケガが電信柱との衝突によるものでないということ。

 

「医者の見立ててでは固い球形のもので全身殴打された傷らしい。例えばボーリングのボールとかだ」

「そのような状態で、車の運転ができるのでございますか」

「まず無理だな。走行中に襲われたなら話は別だが」

「……鳴海様」

「なんだ」

「もしかすると、これはドーパントの仕業なのではありませんか」

「……公共の場でその名を口にするな」

 

 ドーパント。

 ガイアメモリによって人間が変貌した怪物。風都で不可解な事件が多い理由は裏でガイアメモリが流通しているからともいわれている。

 

 かくいう黒実自身も数日前まではドーパントだった身だ。そこから救ってくれたのは、今そこで難しい顔しているハットの男だった。

 

「鳴海様、わたくし見たのですが」

「なんだ、まさか犯人の顔でも見たのか。『家政婦は見た!』じゃあるまいし」

 

 本当はそうだったらいいのだが。

 

「あの暴走車、車体に企業ロゴが入っていました」

「ん?」

「ネオディベロ・コーポレーションのロゴでございます」

「お前の言いたいことはわかる。あの小学生の依頼人が警察にも町の探偵にも相手にされなかった腹いせに、立ち退きを迫ってきた会社に復讐を図った」

「いかがでしょうか」

「ずぶのド素人だ」

「…………はい?」

 

 黒実は一瞬荘吉の言葉が理解できなかった。しかし、町の探偵は構わず続ける。

 

「それで推理した気になっているのなら、三流以下だ。そんなすぐ足の着くような犯行はガキでも踏み留まる」

 

 言いながら荘吉は仕事用の手帳を開いた。

 

「空風町三丁目、島田宅。朝凪町一丁目、尾山宅。それから町工場の蘭堂機械製作所──」

 

 いくつもの住所や町工場、商店の名前を列挙していき、荘吉は手帳を閉じる。

 

「いま挙げただけでも十件。ネオディベロ・コーポレーションから立ち退き請求が届いていた。しかも、捺印した合意書のおまけ付きだ」

「それはつまるところ」

「あの小学生の依頼人を犯人として疑うのなら、他の十件についても同じことがいえる。どの家も店も家族で住んでいる。容疑者は両手でも足りないほどいる」

「なるほど。そうでございますね」

 

 ちょうどそのタイミングで「黒実さーん、黒実りえさーん」と看護師が呼びにきた。どうやら検査結果が出たらしい。

 黒実が診察室へ向かっていると、別の診察室から顔を出した看護師がまたしても患者の名前を呼ぶ。

 

「鳴海さーん、鳴海荘吉さーん」

 

 ぶっ、帰ろうとしていた荘吉が吹き出した。無理もない。彼は刃野巡査に呼ばれて黒実の様子を見に来ただけだったのだから。

 

「ああ、言い忘れておりました。せっかくの機会ですので、鳴海様の診察券も出しておきました」

「黒実、お前な」

「早く風邪を治してくださきませ。仕える主人が病身とあっては、メイドとしては立つ瀬がございませんので」

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

「赤い球……ね」

「はい、ご存じないでしょうか」

 

『バー・シロッコ』はやや古風な内装をした、どこか入りづらさのある店だった。カウンターに座って注文するにも覚悟がいる。そんな店だ。

 

 黒実りえがここを情報提供先に選んだのは荘吉行き着けのバーだったからだ。バーテンダーを兼任する初老のマスターもどこか取っ付きにくい雰囲気でグラスを磨いている。

 

「あんた、新聞記者か、それとも週刊誌か」

「そのように見えますでしょうか」

「…………。まずは一杯頼んでしてほしいね。話はそれからだ」

「では、レッドアイをいただけますでしょうか」

 

 マスターは無言でグラスをカウンターにおいた。足の付いたカクテルグラスだ。

 そこへ冷えたトマトジュースを注ぐ。赤いジュースがグラスを半分ほど満たすと、今度はビールの栓を抜き、ゆっくりと炭酸が抜けないように注いでいく。

 

「お待ちどうさま」

 

 赤々としたカクテルが白い泡の傘を差している。グラスに口を付けると、トマトの果汁感が舌を撫で、それでいてビールの喉ごしがしっかりと伝わってくる。すっきりとしながらもコクがあって美味しい。

 

「ここ一週間ほどだ」

 

 マスターはグラスを磨きながら世間話でもするように語りだした。

 

「空飛ぶ赤い球が人や車を襲っているところを見た。そういう噂をよく聞くようになった」

 

 一週間前、守野少年の祖父母の元に柄の悪い交渉人がやってきた頃とも一致する。

 

「襲われた方や車に共通することなどはございますでしょうか」

 

 訊くとマスターは低い声をさらに低くした。

 

「……どの襲撃事件もネオディベロ・コーポレーションの関係者ばかりだ」

 

(やはり、そうでしたか)

 

 黒実はひとり納得する。

 

「ある人は取引先で社名の入った名刺を出した途端、窓から赤い球が飛び込んできたらしい。他にもロゴ入りの社用車で走っている時に襲われたという話もある」

「まるでその企業に怨みでもあるようですね」

「怨まれない人間なんていない」

「そうでございましょうか」

「善因善果、なんてのは子ども向け番組の中だけだ。成功した人間、有名になった人間はそこへ至るまでの過程で誰かを蹴落としている。そうでなくとも人間は自分にないものを持っている相手を勝手に逆恨みする生き物だ」

「それは、確かに一理ありますね。ですが、ネオディベロ・コーポレーション襲撃は果たして単なる成功者への妬み嫉みなのでしょうか」

「そいつはウチでは扱ってない情報()だ。知りたいのなら鳴海探偵事務所にでも依頼したらどうだ」

「そうしたいのは山々なので、ございますが、あいにくそうもいかない事情がございまして」

 

 

 

「──へくしゅんっ! いま誰か俺の噂をしたか?」

 

 

 

「だったら、自分で調べてみたらどうだ」

「自分で、でございますか」

 

 黒実はレッドアイのグラスを傾けかけていた手を止めた。予想外の提案だったからだ。

 

「証拠は足で稼ぐもの。ウチの常連の言葉だ」

 

 誰の言葉なのか、おおそよ見当がついた。

 

「心得ました。ありがとうございます」

「いいってことよ」

 

 黒実はレッドアイの代金をカウンターに置いて席を立つ。バーを出ると、町を照らす日はまだ高かった。

 

 

 

          ◆ ◆ ◆

 

 

「39.6℃、また熱があがっていますね。このままでは死にます、鳴海様」

「うるさいぞ、お前は看護師か……へくしゅんっ!」

 

 体温計が壊れていないか疑ったが、黒実自身の体温を計ればきちんと平熱だった。

 むしろ、常人ならとっくに寝込んでいるはずの高熱なのに、それを頻発するくしゃみだけで押さえている荘吉の方がよっぽど壊れているのかもしれない。

 

「それで、張り込みのやり方を教えてほしいって、どういう風の吹き回しだ」

「言葉通りの意味でございます」

 

 体温計をしまい、黒実はデスクに座った荘吉に向き直る。

 

「あの赤い球はいつ現れるか不明です。しかし、狙い目ははっきりしています」

「ネオディベロ・コーポレーションか。そこを張って尻尾をつかもうって魂胆か」

「おっしゃる通りです」

「はぁ……わかった」

「では調査道具の一式を──」

「断る」

 

 目力を強めて荘吉は言った。

 

「素人に探偵の真似なんてさせられるか。その格好で張り込んでいたらターゲットからだけじゃなく通行人からも不審な目で見られるぞ」

「服はいつぞや鳴海様からいただいたものがあります」

「だとしてもだ。こんなメモリの臭いがプンプンする事件にお前を関わらせられるか。却下だ却下」

「それも承知の上でございます。わたくしも鳴海様にガイアメモリから救っていただいた身でございますから」

「……そうだったな」

 

 ラックから白いハットを手に取った荘吉は思い返すようにつぶやく。

 

「だがダメだ。この町の涙を拭うのは俺と相棒の仕事だ」

「その相棒という方は、今は休暇中だと伺いました」

「だったら図書館にこもっていろ。やつは紙の上で調査していたからな……へくしゅんっ!」

 

 言い終わらぬうちに扉が開いた。依頼人か、と荘吉は顔を向けたようだったが、入ってきたのは屈強な救急隊員たち。

 

「なんだ、ここは事故現場じゃないぞ。場所を間違えてないのか」

「いいえ、こちらでございます」

 

 黒実の言葉に、荘吉は振り返る。

 その背後で救急隊員が口を開いた。

 

「40℃近い高熱を出している方がいると連絡を受けてきたのですが」

「熱なんて大したことは……へくしゅんっ!」

 

 そのくしゃみがすべてを物語っていた。

 

「この方がそうです。倒れる寸前であるにも関わらず仕事に出ようとなさっていたところです」

「黒実、お前……」

「緊急入院のほど、よろしくお願いいたします」

 

 黒実が頭を下げると同時に屈強な救急病院二人が荘吉を左右から抱え込んだ。

 

「おい待て、俺はなんとも……へくしゅんっ! 離せ、離せと言ってるだろ!」

 

 注射を嫌がる子どものように抵抗しながら、鳴海荘吉は救急車で搬送されていった。

 





39℃って高熱じゃなくて死の一歩手前ですよ。けど、逆にそれくらいしないと、おやっさん入院してくれないと思うんですよ。
とすると今度は風都の風邪がヤバすぎると風評被害がたちそうですね。どっかに野生のバイラス・ドーパントとか湧いてそうです。
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