夜の太陽   作:夜鷹ケイ

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燃ゆる夜神の国
ウェシルと云う戦士


 此方寄りて人間や多くの生物が明かし暮らす<一つの世界(テイワット)>。

 七柱の神が統治する大陸で、それぞれヒトの国には<七神(しちしん)>と呼ばれる神が存在している。

 

 風神バルバトスの領域たる「自由」の国では久しく神の御姿は見えず。

 昨今、神の去った地として治安組織。モンドを守る防衛組織<西風騎士団(セピュロスきしだん)>が事実上モンド()の統治機構的な存在を担う。

 幾らウェシルを含めた母国民(ナタ人)が外つ国の情勢に疎くとも、それ故かナタの民は言葉に宿る力に機微な方だ。その程度の事柄(情勢)は、旅行客が語って聞かせてくれる情報(コトバ)から安易に読み取る能力は、もちろんウェシルにもあったのであっさり言葉を飲み込んで理解を示し、次を問う。優れたるガイドには、そう言った顧客との会話から情報を汲み取る能力も備わっているのだ。

 モンドの在り方は言葉巧みに自由自在な表現をする詩人のように、自由で大らかなようだった。かつて旧貴族による暴政が敷かれた歴史ゆえに王などの特定の君主は頂くことはせずに、その時代に生きる人々が騎士団と言う一本のルールを基に織り成す機構を頼りに。

 それでも肩書として、旧貴族の家名は古より残し続けるのだから治安を守る人間の善性と自由を尊重しつつも、人々は目に見える指導者を失うことは良しはしなかったのだろう。

 四大貴族を残したままの理由(想像)を膨らませる。ある意味では、絵本に出てくるお姫様や王子様を知る唯一の国柄―――伝統をただしく伝えられる国だとも言えるから、その方面(伝統の存続)でも失くすわけにはいかないのかもしれない。

 これまた驚くことに酒をしこたま飲みほした旅客は、自身の国の象徴である風神バルバトスを主神として崇める<西風教会>は西風騎士団の二次組織なのだと言った。

 舞台の劇を待ちわびる客人のように目を爛々と輝かせ酒を煽る詩人は、今まさしくモンドのことを語って聞かせてくれた出身者である。四大貴族に対するアレコレと愛すると宣った口で母国のことを扱き下ろすように自慢する様はなんとも言えず、けれども詩人の顔は期待に満ち溢れたものであったから悪感情を抱くことにはならなかった。

 感想を、求められているのだろう。貴族やら何やらとは無縁なのでサッパリだったが、流れに流れて<懸木の民>の出であるウェシルには理解のある部分もある。

 

「信じらんねェほど自由性が高くて、どうにも楽しそうな国だな。」

 

 だから、ジョッキから口を唇を話して自由で楽しそうだ(共感できる)と言った。

 心より共感できるものであり、宥めるための同意でもある。ウェシルにとっては熱さましの為の一杯だったが、顔は真っ赤で焦点はウロウロさせている外つ国の人間たちには焼け付くナタの一杯はちと厳しかったようだ。

 そろそろ水でも頼んでおくかね。ほぼ目視出来る速度を越えながらもなんとか理解できる範疇にあるハンドサインを酒場のマスターへ送り、酔っ払った顧客に相槌を打つオシゴトに取り掛かる。狼狽えて涙目の給仕の少女をカウンターの向こう側へ返し、対処に困らなくて済むから自分の師匠が酒飲みのオッサンで良かったなあ、と経験が役立つときに(こんなときでも)思う。

 こんな思考がバレたら一発で「どんなことに感謝しとるんだバカ弟子!」と叱られてしまうのだろう考えをしれっと抱き、空っぽになったジョッキの縁を拭き取りテーブルに置く。

 

「ははは、ありがとう! 生きる自由(・・・・・)をおゆるし下さるがバルバドス様のよいところなのさ!」

「いいね、好きでたまンないって表情(カオ)してら。」

 

 そう言う真っ直ぐな気持ちをぶつけられる人間は好きだぜ。

 瑞々しさを感じさせる紅の瞳は甘さを帯び、真正面で対面した際には思わぬ勘違いを抱かせそうな甘さを含んで。けれどもさらりと言うのはスラリと通った鼻筋、意志の強そうな刃のごとき眼に嵌め込まれた一対の柘榴の持ち主である。

 何をも疑わぬ無垢なる心を語る唇は薄っすら開き、彫刻家による芸術品のような美貌を惜しげもなく晒してカラリと笑った青年は、生粋のナタの民だ。外の国じゃあ彼が生まれ持った一本の槍のようなうつくしさは見れない。

 モンドからやって来た詩人は、客席からナタの戦争で彼を見たその日からこうした日常の中でお見えになることを願って放浪すること数ヶ月を滞在した猛者である。通常、外つ国の人間は一ヶ月単位以上長くナタに滞在することは、体質的な問題で無理があるので粘って良かったと思える風貌が、手を伸ばせば届く距離に在った。

 夜風に煙のように薫り靡くのは、夜の帳のなか降ろした紺碧の髪束。首筋の一房残し、綺麗さっぱり切り揃えられたそれはアビスの攻撃によって短くなってしまったのだと言う。その一部だけを残すのは戒めであり、今後二度と首への攻撃を受けぬと決意の表れなのだとも。

 他の人間が真似たのならば、たとえば今相席しているモンドの男が青年の髪型を真似てみたものならば目も当てられぬ半端さとなるだろう。しかし、彼がするとまるでナタの夜風に浮かぶ月の化身のよう。ウェシルと言う名前は夜に由来するものが付随しており、それが更に青年に神秘的な雰囲気を追従させた。

 ひらりと夜風になびく髪色と異なる白の布地は、彼がこうして日常の中へ溶け込むこととなった存在を主張する。頭部の怪我を負った青年はここ暫く戦士としての活動をやむを得ず休止することとなり、今はガイドとしてナタの観光業に力を入れることとなったのだ。

 普通の丸耳ではなくウェシルの尖がった両耳を飾る銀のイヤーカフスは、頭部の怪我をせぬよう気を付けろと忠告と心配を共鳴させた師・シュバランケからの贈り物である。

 上背のある体躯には素人目で見ても分かるほど締まった肉体美がそこにはあって、青年を捕まえたときに璃月の旅客が「君を一週間買いたい!」と語弊を招くような物言いでガイドとしての依頼した気持ちが、審美眼を培った港町の人間でなくとも数多の英雄を探し求めて詩とする吟遊詩人のモンドの男は理解できてしまった。

 何かある。

 何かあると思わせる天性の存在なのだ、彼は。

 英雄は生まれながらに人の目を惹きつけるものだから不思議駆らぬことだけれど。こうして正面から捉えてみて、モンドの詩人は、きっとそう言った類のものが彼にはあるのだろうと悟った。

 今夜はしこたま酒を飲み明かす予定だったから、汚さぬようにと宿の部屋にライアーを置いてきてしまったことが悔やまれる。自国の英雄譚を聞かせてやると、そう言った外つ国のものに興味を示した青年は柘榴の瞳をキラリと輝かせて続きを催促した。

 わざとらしくモンドの詩人がコホンと咳払いして期待を込めて横目で見ると、詩人が見込んだ通りに気前の良さげな青年は、カラッと笑って酒場のカウンターに向かって手を振る。

 

「おっと悪ィなあんちゃん、語らせてばっかりでよ。でもマ、その代わりと言っちゃなんだがナタ(ウチ)で自慢の美酒でも楽しんでくれや。マスター、おかわり!」

「オウともさ! ウェシルが酒場に滞在だなんて珍しいこともあるじゃあないか。」

「戦士は戦ってこそなんぼだが、まだ頭の傷が治っとらんと師匠が口うるさくてな。最近じゃあ妹弟子殿もド派手に説教の準備をしやがるモンだから、大人しくガイドを勤めさせてもらってるところさね。」

 

 だから久しぶりに飲み明かすのも悪かねェかなって。ニカリと笑って言ったウェシルの言葉に孫でも見るかのような瞳で壮年のシワを顔に刻み込んだマスターも頬を綻ばせた。

 コレがウェシルにとって久方ぶりの休息なのだろうと理解もあるし、腰を落ち着けられるようになった成長を微笑ましく思ってのこともあった。あっちこっちのものに興味が移って走りまわる小さな頃を知る者だから、と言うのもあるのだろう。サ、これはオマケだよ。言って付けられたのはウェシルがよく好んだお手軽な肉団子だった。

 お待ちどォさま。「ホォーッ!」 見るからに上質な運ばれて来たばかりのワインを前にモンドの詩人は両手を叩きながら喜びを表し、おもむろにジョッキを掴んで顔を近づける。

 香りを楽しんだあとにはグレインの実を醗酵させたワインを一気に飲み干したモンドの男は、自国では味わえぬ異国ならではの風味にお気に召したのだろう。ウマイ酒に、ウマイつまみ。燻製させたチーズにソーセージに、あれやこれや料理をつまみながら浴びるような飲食を再開させた。

 チーズスナックを放り込んでからワインを飲み干しておかわりするのはその実、此れで六杯目である。臓腑に染み渡る感覚に唸りながら目をやんわりと見開き、詩人は赤らんだ頬を上機嫌に釣り上げておかわりを酒場のマスターへと高らかに叫んだ。

 まだまだ飲めるぞお。ちらと横目で様子を伺う限り、彼の言葉は真実なのだろう。ならもうちっとばかり放っておくかね。問題は、ガイドの雇用者の方である。

 けれども上機嫌にテーブルの上に足を乗っけたモンドの男の足を、ウェシルはやんわりと降ろさせる。机の上にナタの大地を走りまわった靴を置くのは、衛生面でよろしくない。素直におろしたそれにやっぱりまだ大丈夫そうだと確信を抱き、身体ごと雇用者へ向けると同時に首をも真っ赤に染め上げた顔で言う。

 

「モンドの神様だけじゃなくてぇ、ウゥック!」

「あン?」

 

 モンドとは別の国からやって来た旅客が据えた目つきでジョッキを睨みつけながら言った。

 自国の神もすごいんです、と明らかに酔っぱらった声色で自慢話に割って入る。酒を入れてから数時間は経過したので撤退するには頃合いだろうと思ったが、ナタの酒との相性関係でどうやら止めるのが遅くなってしまったようだった。もう見るからにもう限界をお迎えした璃月の男は、机にべったりと顔を引っ付けてぶつぶつ母国の神を自慢する。

 璃月の商人はガイドとしてウェシルを雇った雇用者だからというのもあるが、純粋にウェシルの性格として酔っぱらってふやふやな人間を放っておくことなど出来ない。シュバランケ曰く、悪ァるい人間に目を付けられてしまっては。

 仲間内だったとは言えども悪酔するタイプの仲間が主催した宴会場で酔っ払って、じゃんけん大会を開催して、丸裸にひん剥かれたことのある師匠の叫びと言ったら……。マーヴィカには放っておけと言われたが。もうなんか自業自得と割り切るには憐憫さがあったのだ。

 

「でも本当にぃ信じられませんん~……。自国の神様を第二だなんてぇ、下げることがあるだなんてゥウック! 岩王帝君をそのような、……う、璃月(ウチ)では考えられないことですよぉ…?」

 

 故郷の案内人を一任された身としては言わせてもらうならば、酒を飲むまでの彼は羽振りもよく護衛中の指示もよく聞く人柄であったが、酔っぱらってからはなかなかに愉快に絡んだり泣いたり怒ったりと喜怒哀楽を激しく表す男のようだった。

 べろんべろんに酔っぱらった男のジョッキが空っぽであることを確認し、軽く目や意識の診察をしてからマスターには勘定を頼むことにする。充実した休日だったとほうっと息をつく。羽休めも出来るにゃ出来たしな、本当にイイ息抜きになったのだ。

 気を取り直してウェシルは師匠にやるように商人の様子をザッと見た。医学の心得はなくとも、多少なりとも酔っぱらいの看病には心得がある。こりゃ明日は二日酔い確定だな。旅客はよく酒場にモラを落としてはくれるが、同時に理性や常識も落としていくのでガイドとして活動するうちに自然と覚えた対応でもあった。

 自腹を切って、領収書を受け取る。最初の一日目には遠くからよくぞ来てくれたと歓迎の意味も込めて奢らせてもらったが、その後は自分で支払うと宣言したことを考慮してのことだった。

 金の切れ目が縁の切れ目とは、金銭的な契約を重視する璃月商人ならではの矜持なのだろう。記録用になんだったかな。日付と名前と、店の名前があればよかったのだったか。

 ウェシルは酔っ払った商人の身体を揺すらぬよう気を付けながら目の前にしゃがみ込む。その傍らには布を引っかけた空っぽの桶を片手に、もう片方には水を持つ辺り、本当に手慣れてる。意識の有無を確認するためにもサックリと声を掛けた。

 

「オウ、依頼人のあんちゃんはもうそれぐらいにしときな。ウチの気候は、外つ国の人間にはちとキツイから長期滞在は出来ねェってんで、明日も此処らを探検する予定なんだろ?」

「あはは、そうだよ~。二日酔いはつらいぞぉー!」

「そう思うなら、そろそろアンタもやめときな。ちと目を離した隙に、もうそれ十杯目だろ?」

 

 二日酔いのプロフェッショナルが同意するようにテーブルの横に踊り出て、横から入れられた茶々にも呆れを含めて返す。

 モンドの酒豪っぷりを初めて見たとウェシルは机の上に並ぶジョッキの残骸を見やり、詩人が宿に入るまでも見届けるつもりで頭をふらつかせるモンドの男に視線をうつして言った。とにかく自分は此れから璃月の商人を宿の部屋まで運ぶから、此処で待っていてくれと。

 宿の部屋までの案内を依頼と定義づけ、酒場の二階にある部屋まで登って依頼人をベッドまで運び込み、しかと三日目の依頼を完了した青年は女将に伝言を頼んだ。

 明日の朝には迎えに来ると。予定としては、明日は<こだまの子>周辺のガイドをしてそのまま帰国する予定なのだとか。コースとしては最善を尽くせた方だと思うが、やっぱり当たり前のことではあるがたったの数日でナタの地を知り尽くそうとするのは無理があった。

 また折を見て来てくれると言うし、それまでには愛しきナタもうつくしき情熱の大陸に戻せるよう戦わなくては。ウンウン気合を込めて再び階段を下りて酒場に戻ると、「稲妻でウナギ肉と梅の食べ合わせは最悪だったんだ」から始まり、イカのように曲がりぐねったモンドの詩人がウェシルをとっ捕まえて語る。語る。とにかく語る。

 

「んっふふ、」

 

 支離滅裂じゃねェの。稲妻で食べたウナギ肉と梅の食べ合わせで腹を下したことがあるらしく、当時の話を食の席で赤裸々に語られるのはなんとも言えなかった。

 やんわり窘めると、詩人はそれぞれの国の神々のことを語る。これなら文句ないだろうと自慢げな顔が何も言えぬまま進んでしまう会話の流れにモヤリとしたものを感じたが、ウェシルは大人しく耳を傾けることにした。満足するまで語らせる算段なのだ。

 岩神モラクスの領域たる「契約」の国は、神託により繁栄を謳歌する。御祭りの際には、岩の神が直々にその御姿をあらわして数年に渡る方針を告げるのだ。故に、璃月の民は須らく自国の神を崇拝するので主神を下げる行為には理解が出来ぬと言うのだろう。雷神バアルの領域たる「永遠」の国は、神を絶対的な君主とするが故に。

 草神ブエルの領域たる「知恵」の国は、新たな神が根付かぬまま時が過ぎ去り。水神フォカロルスの領域たる「正義」の国は、神による栄華に浸った。"氷の女皇"と呼ばれる氷神の領域は、全てを拒絶し。

 炎神ハボリムの領域たる「戦争」の国―――此処(ナタ)は、神の名を継ぐ人間が深淵と争う。他国とは一つ変わった国の在り方なのだと。

 

 国内最強の人間が神の力と共に襲名した現人神。

 初代炎神。始炎の殉葬者シュバランケ。

 

「マ、確かに炎神サマとしてあのオッサンは崇拝する人間も探せば居るにゃ居るんだろうが、そのほとんどは、今のオレみてェに普通のオッサンとして親しむ人間のが多かろうよ。」

 

 修行をつけてくれと頼み込みに行って、小娘一人と小僧っこ一人の弟子入りを許した男。ただの人間としての顔も知る青年は、旅客の言葉をただ納得して、同時に自身の言葉を伝える。

 デキが良けりゃ戦士としての力を素直に賛美する真っ直ぐな戦士で、多少のデキが悪くとも良し悪しの改善には幾度となく協力を惜しまず、奮闘する幼き戦士にも誰よりも親身に寄り添って、時には休息と称して職務中なのに一緒に原っぱに転がり。けれどもただのオッサンらしく、腹をかく姿も何度も見た。

 国を挙げての競技大会兼武闘大会<帰火聖夜の巡礼>や<夜巡者の戦争>で見せる現人神としての葛藤、人間としての苦悩、それらを抱えながら歩むシュバランケを知る者として。

 どうして慕わずに居られよう? あんなオッサン、誰だって好きになっちまうさ。みんな素直じゃねェけど。カラカラ笑ってウェシルは言う。

 ナタで誰よりも素直な少年の心を持ったまま育った戦士は、誰よりも最前線で闘志を燃やし続けた彼はきっと正しく終わりを迎えるだろう、と心の根を語る。夜神の国をシステムだと言ったシュバランケの言葉を素直に受け止めたまま、それでも青年は何よりも信じるのだ。

 オッサンが制定した炎神(ルール)ならばきっと正しく終わらせることが出来るだろうと無垢なこどものような純真さを、燃え盛る闘志の中に宿して信じた。

 すべてが終わったら何もなくなると言うけれど、頑張った人には褒美があって然るべきだと。子どもならでは、手伝った後に褒めてもらった喜びのような細やかな幸せがあるだろうと。

 夜巡者の戦争で見た死後の世界は。

 夜神の国では。

 地上(ナタ)には当たり前にある光も彩りも温もりも、その終わりの末一切届かぬ影が確かに広がっていた。昔からよく聞きすぎる耳も、よく見え過ぎる眼も、夜巡者の戦争に参加したその身は、しかと夜神の国の現状を知ったのだ。

 

 だが、それでも。

 

 だからこそ、青年は純然たる想いを抱える。

 地上(ナタ)で終わりを迎えた魂は、夜神の国に行かねばならず。誰かが願ったオモイが力となり、誰かが祈ったココロが力となる。渦巻く炎を風でかき集めて祭殿にくべる。形どるそれはもうずっと、それこそ生まれた時からウェシルには見えるものだった。

 度重なる戦場で燃やし続けた魂たちには、みな等しく、如何な汚辱や苦痛にも苛まれることのなき清浄なる静謐があることを。地上で受けた数多の傷は、終わりの末にすべてが浄化されて報われることとなる未来を。

 便宜上、生者の世界を<現世>。死者の世界を<幽世>と呼ぶが。その二つの狭間で廻焔の炎に巻かれて終わることで始まる先覚者たち。送られてくる魂の形が魔に転じた毒素に塗れた魂だった場合、夜神の国はナタの戦争の延命装置でしかないので現状ではどうすることもできない。死後の安寧を約束するためには何かが、あるいは誰かが、秩序と守護の役割を担う必要がある。

 空間がある。世界がある。往きつく先がある。一度死した魂魄に善も悪も非ず。ただぼんやりとそこにエネルギー体としてそこに在るだけだ。

 ならば、その魂が内包した記憶は何処に? 人格は何処に? 死した後も錯乱するほどの痛みを伴う世界でも、ウェシルの呼びかけには応じて還った実績があるのだから、凡人である自分たちに分からずとも希望論だって構わなかった。

 ナタでは、そんなきっと冥府は存在するのだと心持ちが重要なのだ。大霊の導きの下、死者の安息の地はある。信じる力が異様に強かった彼は、疑うこと無く一途に想う。

 故に、ウェシルは死後の恐怖はなかった。その行く末に、過去、現在、未来の同胞たちの安息があると信じて。自分の旅路の最期は、誰の目が見てもよいものであったと胸を張れるように。押し付けるつもりはなく、ただ不安を和らげるために常々声高に言う。生者の祈りに呼応せよ。死者の魂に安寧たれ。

 彼の中に在るのは、太陽(ナタ)の如く輝ける未来。何時だって怪我を怖れず、死を懼れず、神の領域を畏れず、アビスを恐れず、戦場をおそれず。ただひたすらに前に、未来に突き進むのだ。

 誰よりも速く。何よりも迅く。どちらの声にも応えられるように、誰かの呼応に声を返し、誰かの祈りに寄り添うために。ウェシルは、兄弟同然に育ったコホラ竜にそれを誓ったから、と言うのもあったがシュバランケやマーヴィカの下ですくすく健やかに育った彼は素直に思ったのだ。

 大事な人たちの終わりには、そんなやさしなものがあればよい、と。―――結局は、彼を戦士として突き動かす原動力は、彼自身の抱える優しさ(ウェシルの根元の人格)に備わっているわけで。

 もはや考えを変えようものならば、人格が変わるまでやり合うしかなかろうが最速を目指す戦士の速度に追従で居る者はナタには居らず。とどのつまり、ウェシルが結晶の名を自覚し、■■として召し上げられるまで。否―――■■として覚醒した後ですら変わることのなき、彼の不変の信条であったことは伝説の一つとして残るものであった。




2024-12-09 調子乗って修正したら+4,000文字してました。
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