ウェシルは。ウェシルと云う戦士は、人間は、名前、肉体、影、魂、大霊の加護による五つの要素から成り立つと信ずる者だ。
なにせ、ナタにおける<反魂の詩>がその役割を位置づけるものだから論より証拠は母国に在るので、信じる理由をわざわざ一から説明する手間は省ける。幾度となくコンコンと知識を敷き詰めるように解き明かしても良かったが、如何せん状況が状況だったので口を閉ざした。
自分はともかく、何しろ魂魄の器を亡くした彼には時間がない。詩人から突き刺さってくる強請るような眼差しには、彼とウェシルの間にはまだ時間があるのでまたあとで、と後に取っておくことにする。
あえて語るならば、先にも話したナタと言う国が抱えるシステムのことだろう。シュバランケが契約を結び、異郷からして特異な制度<反魂の詩>に関係する、とだけ。
ナタでは人が死ぬと魂は肉体から離れて
その認識は、ナタと言う国では、呼吸と同じほどの位置で浸透する当たり前のことだった。常識的に、一般的に、広義的に知られる夜神の国は、外つ国では冥界などと呼ばれるそことは異なる、底の果てのことを指す。
夜巡者の戦争で、人間が生身の身体で行ける場所である大前提は、実際に赴ける程度の場所に戦場なくては参加することすら叶わぬので、当然と言えば当然の場所だ。さりとて、地脈と密接な位置にあり、マグマの胎動の如し燃素が煮え滾る空間でもある為に、ナタと言う国にモンドや璃月の外つ国の来訪者が長く腰を据えることが出来ぬのと同じくして、生きた人間は夜神の国への長期的な滞在は無理がある。
地脈と密接で、燃素で編み上げられた空間と言うこともあり、<生粋の夜神の国>は高純度のエネルギー体に存在そのものを溶かされてしまう。劣化版と言うのもなんだが、ナタ人が視認できる夜神の国は、人体が耐え得るギリギリの境界線までに調整したものなのだ。
ウェシルの目は生まれつき、そう言ったエネルギーで構成される彼是を見ることが得意だった。シュバランケ曰く、他の人の目とは<違う>らしいが。
この目が他と違うからと言っても、世界を循環させるための機構が変わるでも無し。要はナタのために、ウェシルだけに出来る役目が何かあるってことだろう。その上、本人曰く、「ンなこたァどうだっていい。役立てるか、役立てねェかだ。」なのであまり深くは捉えても来なかったし。
とどのつまり、燃え盛る戦争の国。ナタの冥界機構のことを<目>でしかと視認し、つぶさに確認し、隅から隅まで分析したウェシルは、他の誰よりも冥界に詳しかった。
あそこでは肉体から剥がれ落ちた魂魄の器がそのまま生きた者であれば、自然を循環させる機構―――<大霊>の加護が魂と肉体との仲立ちとなり、ナタの
通りで古の名が今までの記録の中のどれとも掠りもしなかったわけだとか、この目にうつる世界が妙なものなのだとか、経験則から深々とした納得感すら沸く。
底の果てなんて地層で繋がった場所ではなく、もっと異なる空間のこと。世界で当たり前に横たわる概念のようなもの。あるいは、そのもの。人々が思い描く理想郷。そんな同胞たちの復活や廻焔までの時を、安息を、守ることなのだと己の果たすべき使命であったのだ。
ナタにおける
「何者もが正しく終わる為に。誰もを正しく終わらせる為に。」
マタリシとは、
二つを掛け合わせたウィスクマタリシは、そうした冥界を「照らす」ことで、地上を脅かす地下世界の悪霊などを制御する抑止の
自分は戦うのだとウェシルは言った。己の役割を明言する。意図して放った言葉は、力となった。まだ名の刻まれぬ無垢な鉱石は輝きを帯びて、ただ青年の前に顕現する。
多くを語らぬ。
多くは語らぬ。
決して口では語らぬ想いは、しかして地脈を通して伝わる。疑うことも拒絶することもなく、彼は目の前に浮かぶ大霊の意志を手にした。
否、気づくことが出来なかっただけで古の名はとうの昔にこの手にあったものだ。この手にあったからやがては来るべき道筋ではあったが、まさか今ここで手にするとは思わなかったけれども、マァでも日常の中で意志を抱くのは、ウェシルを知る者からしてみれば「らしい」と言えるのだろう。
眼を向ける。けれど目は合わず、視線は合う。木枯らしのような肉体を見やる。柘榴のような瞳が、屍を見下ろした。
ぴくりとも動かず冷え逝くばかりの肉体の警護は自分ではなく、別の誰かに頼むとしよう。物言わぬ器を置き去りにしてでも、旅行人の魂を護るために今から行かねばならぬところがあった。ここでふらりと漂流する詩人の魂魄に関係することでもあるから了承を得た上での行為だった。
詩人は震える。
目の前の光景に、ただその身を震わせる。
恐怖や絶望などではなく、歓喜のあまりにその身を震わせた。―――そうだ、ワタシはこの光景が見たかったのだ。ああ、もう。と詩人は唸る。やるせなさに、タイミングの悪さに嘆く。
大袈裟なまでに身振り手振りを取ってつけても一切合切、風を切る素振りもなかったことに重ねた自覚は宿る。どうしてワタシは何時だって伝承を見逃してしまうのだろう。記録を取り逃す星の下にでも生まれたのか。目の前で輝ける一等星があると言うのに。<
ああ、―――まったくどうしてワタシはライアーを置いてきてしまったんだ! 英雄が誕生した瞬間じゃあないか、詩の一つでも
「さァて、オレも行くとするかね。」
『ふふ、何処へ?』
屈伸をして。軽やかなステップを見る。吟遊詩人が英雄の生き様を綴るべく、尻尾のように後ろ髪を薫らせるウェシルに問う。死した見であれど、否、死した身であるからこそ紡げるものはあるのだと楽観することにした。遺せるものがあるのだと希望を持つことにしたのだ。
先ほど見たときに何もなかったはずの結晶には、ウェシルの古名。なすべきこと。生の象徴、死の象徴が、そこには在った。
戦争で今まで抱え続けた痛みや苦悩を癒しながら、魂の旅を導きに従って眠るそれである。次なる生を受ける為に、新たな明日を授かる為に。此れすなわち、ナタの夜を主る者なれば。闇の中に誘う夜を照らす者なれば。
向かうべき場所など、ただ一つであった。判ってンだろ。と当たり前を突き付けてくる眼は、傍から見たら死体蹴りの暴君のように見えるだろう。
しかし、実態は違う。ぐちゃぐちゃになって指が何処にあるのか詩人ですら分からなかった肉体をやさしく持ち上げて組ませるような動作をした。転落した際に肉体から剥がれ落ちた体の一部を簡易的に糸で繋ぎ合わせ、妹弟子に持たせてもらったハンカチで顔の汚れを適当に拭う。陥没した眼球辺りは、特に繊細な手つきで。
ここで言う適当とは、適切な加減で、と言うべきだろう骨董品を扱うかのような手さばきで汚れを落としてもらった詩人はふらふらと揺れて感謝の意を示した。
「―――…普通の人間には聞こえねェだろうが、オレにゃ聞こえてるから喋ってくれてもいいぜ。行き先は、オレの名が示す場所だ。
『ああ、死んでしまっていたんだろう? だってこんなにも流暢に喋れるような怪我じゃなかったのだもの、わかるとも。』
身体が軽くなった時点で詩人は察したとも、と言葉を遮るようにして微笑んだ。ずっと側に居てくれた優しき青年の心を曇らせるような言葉を吐き出させたくなかったのだ。
ただでさえ、君の髪が蒼穹に揺れた時、君はすでに魂魄を護るためにナタの戦士として力を発揮してくれていたのだから。
ぱちっと目を丸くしたウェシルは男を悼むように柘榴の瞳をやんわりと下げ、そして意志の宿った瞳で男の言葉を肯定した。詩人の独白が始まった頃には、とっくの昔にこと切れてしまっていたのである。ウェシルとの会話のようなそれは、詩人の魂を構築する<スピリット>なるものが代弁していたとも。
記憶や人格を内包するスピリットが霧散する前に、何処ぞへと引っ張られそうになる魂を、それでは正しく終われぬからとウェシルがただ引き留めていたに過ぎなかったのだ。
その何かに飲み込まれてしまったが最期、男は正しく終わりを迎えることが出来なくなってしまうことを漠然と、純然と理解してしまったウェシルの言動が何かに
根拠は、先からずっと話題に上がるナタのシステムにある。戦死したナタ人の魂は夜神の国に赴き、やがてその魂は大霊と一体化することとなるそれだ。しかし、すぐさま一体化できるわけではなく、暫しの猶予がある。
猶予の期間中に、夜巡者の戦争に挑んだチームが戦闘に勝利し、一人でも生きて帰ってきた場合には、魂が無事であるならば戦死したチームメンバーを反魂の詩で復活させることが可能だ。その反対に、もしチーム全員が戦死して敗北すると、彼らの古名が破壊され、反魂の詩を適用することはできなくなる。
ウェシルの古名は、そんな炎神が定めた<夜巡者の戦争>と言うナタの為のルールを反故にするものでなく、先に戦死したことで無防備になってしまった反魂の詩の対象者たちの魂を猶予の間は確実に保護する為の救済処置であり、復活を成し遂げられなかった際にはその魂の清浄なる静謐を約束する為のものであった。
副作用的なもので、他国の魂もナタに在るのであれば正しく導くことは出来るようだと気づくのは地脈を通した古名のおかげである。
何を為すべきなのか、何が出来るのか。ぼんやりと見える。感じる。判る。だからと言って音沙汰無しで行方を眩ませる、だなんてそのような不誠実な真似をするつもりはなかった。せめて一報を入れてからだろう、とは思うので筆をとった次第である。
鳥を飛ばすより自分で走った方が早くて済むが、それはそれとして詩人の魂魄を連れ回す無体を働くつもりもない。心臓を丸出しに走らせるようなものなのだ、それは。
「ああ、でもちと準備が必要なんでな。手紙を一つ、二つしたためるから、待っててくれや。」
『もちろんですとも。』
本来的には顔を見せるべきなのだが、文で事を早急に進めるのは、死した身であればあるほど魂が痛みには過敏だろうし、出来る限り楽に連れて往くつもりなのだと魂には安らぎあるものと信ずるウェシルなりの心配りであった。
それに加えて気がかりなこともある。此度の戦、些か妙な手応えを感じたのだ。前回の夜巡者の戦争から過ぎ去った日は浅くはなく、異変を探すならば好機だろう。
今なお陽光差さぬ夜神の国で同胞たちは終わらぬ戦に身を投じているはずだし、手があるうちに探索の範囲網を広げておくことを脳内で計画した。無論、夜の国で果てなき戦に身を投じる同胞たちの安否が心配だと言うのもある。古の名を持った以上、相応の能力がウェシルも授かったので、、すぐにでも行きてくてたまらない気持ちなのだ。
ウェシルは自分が理解したことは全てシュバランケ宛てにしたためる。ウマイことやってくれ、と全面的に師を信じるがゆえの丸投げであった。投げられた方は色んな意味でたまったもんじゃないが、ウェシルから寄せられる満天の信頼と笑顔を前に師匠と兄妹弟子の小言は飛んでくのでなんとも得な性格である。
一つは師匠であるシュバランケに。もう一つはナタにおける最高峰の古名を手にしようと奮闘する妹弟子殿に。一足先に、使命を授かったことウェシルがそれを自ら受け入れて更に課したことを綴り、近くを通ったテペトル竜に配達を頼んだ。
何故だか生まれつき動物に好かれる彼は、竜とも心を通わせることが出来るので。ちょこちょことした日常のやり取りは、動物や竜に頼むことがしばしばある。
そう言った特殊能力も英雄の素質なんだよ、と詩人は言ったけれどもウェシルの感覚では納得なんて出来なかった。だって、ナタではみなが英雄なのさ、と笑うから。なんたって、
どんな形であれ、ナタの戦士はそれぞれの戦場でナタに戦果を献上する。ゆえに純然たる心持ちのまま、ウェシルは誰もの終わりに等しく安らぎを希うのだ。
「アンタの身体はユムカ竜に護衛を頼んだ。確かモンドの出だったな? ブルキナの兄さんに見送りの儀を一任したから、
ニカッ、と太陽のような笑みを見せつけたウェシルは一陣の風のように駆け抜ける。一歩を踏み出したはずなのに、ウェシルの一歩は素早かった。
何なら手続きも早かった。詩人が理解する前に、ありがとうを挟む前に、もう先に進んで見えなくなってしまったのである。ありゃりゃ。詩人は目をまァるくして後を追うようにまずは一歩を踏み出して。りゃ? ―――ぐん、と身体が引っ張られるような感覚がした。
嗚呼、なんだ、乱暴って、そう言うことかと笑みすら零れる。ウェシルの後を追って、風に乗る。風を乗る。風が乗る。ナタで経験したエクストリームスポーツ? それともクク竜への騎乗体験?
どちらでもあると言えるし、どちらともでもないと言える感覚だった。自由と風の国の出であっても滅多と体験することのなき
そんな不思議な感覚が、今の詩人の魂をそよ風のように撫ぜる。峡谷から原っぱ、水の上からマグマのような燃素の上まで平然と駆け抜けて往く。彼の足跡をたどるように男が一歩を踏み出すと、ウェシルが残した吹き抜ける風が詩人の
一度乗っかってしまえばあとは彼の背を自動で追ってくれるから、呑気に彼の背や風景を見渡せてしまうから、詩人はナタと言う情熱の国のそこかしこで
ほとんどウェシルのおかげで霊体を動かさずに済んでおり、男の身体を運ぶ風もまた颯爽としていて心地良さすら感じる。ついぞ言えなかったセリフを男は心の中で吐露する。
―――嗚呼、まるで神様のようじゃあないか!
ナタ最速を誇る戦士は、世界の一つであるかのように風を起こして夜神の国へ旅立って行った。天に君臨する理の目に留まることなく、頂に坐する理の瞳に映ることなく、彼は躊躇なく冥界の門を潜る。
そして、地上の光も彩りも温もりもなき、死者の国の主のもとで後継者としての生を謳歌するのだろう。
平穏と安寧を保証する絶対統括者として、地上を脅かす地下世界の悪霊などを制御する抑止の存在として機能する。あまねくを照らす太陽の微笑みを受けぬ静謐なる世界にて。全生命が最後に辿り着く旅の終わりで彼は坐することとなるのだ。
やがてアビスとの戦争が終わらせるために。やがて来たる同胞たちの、いとおしむべき戦士たちの眠りが穏やかなものであるために。
「何年だって、何千年だって、耐えてやるさ。」
夜神の国で、彼女が眠る大地で。
アビスの毒素を、猛攻を、たった一人で出来ることなど限られようが耐えてみせる。夜神の国を守ることは、ナタを守ることに通ずるものと信じて。
くるりと師匠シュバランケより賜った、一本の朱色の槍を翻す。シウ・コアトル。炎の元素竜の骨より鍛え上げられた逸品の持ち主は、眼前に広がるアビスの巣窟をゆるりと見渡す。
剣呑さを含んだ柘榴の双眸がひたりと見据えるは敵の姿である。ウェシルは自身の攻撃に巻き込まぬよう、魂たちを蒼炎で誘導した。
「
その隙間を縫うように奔るのは、初代炎神シュバランケより賜った朱色の一本槍。共存する竜以外で信の置けるウェシルの相棒だ。最も日輪を浴び、その陽光を吸収した鉱石にて鍛え抜かれた逸品である。
「我が名はウェシル。又の名を冥界を守護する戦士、ウィスクマタリシ。夜神の国に居る魂の善悪を
夜神の国に拠点を置くアビスを中心として夜巡者の戦争を介さず暴れ回り、夜巡者の戦争を介した戦士たちから報告を受けた陽の当たる場所で戦士たちを鼓舞するナタの太陽らは目頭を押さえて天を仰ぎ見た。
シュバランケよ、「ちょっとやんちゃなだけで心優しき子よォ。」などではありませんでした。夜の国で導きを与えてくださることは、夜神による確かな御慈悲でありましょう。ですが、「生きてンのに迷子にでもなったか? 肝試しィ? 何言ってンだお前さっさと帰りな。」と肝試しでうっかり身投げしたものもどうかと思いますけれど、そんな相手を蹴飛ばし殴り飛ばして生還させるのはなかなかにワイルドでパワフルですよ。
妹弟子は地獄を見せた後で有用に活用できる道を示したうえで二度とそのような真似ができなくなるカラダに変えてくれるが(それもそれでどうなのか)、兄弟子は兄弟子で尻を蹴飛ばし背中を引っ叩き腕を掴んで引き上げるような太陽属性であったので。
夜神の国で合流した後任たちの問答には、「ウェシル。」「呼んだかい、センセ。」「こっち見てみろ。」「ン?(師匠に会えたことを素直に喜ぶ顔)」と、このように、ニッカーッとシュバランケが全敗した例の愛弟子の笑顔をお返しした。
ぐわーっ! と次々バッタバッタと倒れゆく姿を目の当たりにしたウェシルはと言えば、シュバランケやマーヴィカはたまにしてたな、と存外余裕な態度で仕事に戻った。
もうとっくの昔に魂魄だけだし、魂の損壊を回避するために魂の清浄を行うのだが。清浄することで生前抜けたダメージを全て剥ぎ取って削除する。すなわち、記憶はゆっくりなくなってしまうわけなのだけれども、遠慮もなければ自分の全てを明らかにすることへの躊躇もなく、赤裸々に何やら生前のアレコレを語り始めるのだ。
一度始まれば長くなることは経験済みなので、元気だなあ、と夜の帳を蒼穹の一点に染め上げた後ろ髪を燻らせる。シュバランケが統治した時代より遡ったり進んだり、忙しく時空を転移しながらも、夜神の国の民草に不安の色はなかった。
ナタの奥底で燃える蒼焔。線を描くように、点があちこちに移動する様は、ウェシルの足跡。お役目のために、死者のために、生者のために、駆け回ってくださる夜神の生き様をまじまじと感じて取れる風が吹くたびに彼らの心には安堵の一色に満ち満ちる。故に、今日も夜神の国は平和です。