【完結】迷子の友人は羨望する 作:シキヨ
学校の中の教室……。
険悪な空気が漂っていた。昼休みの喧騒が嘘のように静まり返り、机越しに睨み合う二人の男子。俺はその様子を、困ったような笑顔で見つめていた。
「なぁ、もうやめようぜ」
音を立てながらも両手を叩きなるべく穏やかに声をかける。
「お前には関係ないだろ!!」
一人が勢いよく言い返す。
それを受けて、もう一人がすかさず口を挟む。
「いや、結人なら分かってくれる。なあ、どっちが正しいかお前が決めてくれよ」
どちらも引かない視線の先が、俺に向けられる。自分が頼られているのだと感じる一方で、胸の奥が冷たくなる。
「決める、俺が……?」
俺は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべていた。
「どっちが正しいとかじゃないだろ。二人とも、ちょっと熱くなり過ぎだって……。少し落ち着かないか?」
言葉を選びながらも、どちらにも寄らない答えを返す。
「でも俺はこいつが……」
「いや、俺はお前が……」
二人の主張は続く……。彼ら二人が喧嘩しているのには理由があった。
お互いの男子生徒が彼女を取られた取られてないで喧嘩が始まってしまい、俺は片方の仲介を元々任されていたが俺には片方だけの味方にするなんて意志は全くなかった。彼らの言い分はどちらもそれなりには筋が通っているようには実際に見える。だが、深く考えようとすればするほど、どちから一方の味方をすることで、もう一人を傷つけてしまうのではないのかという恐れが襲って来ていた。
「なあ、二人ともさ」
俺は軽く手を挙げて、二人を見渡す。
「お互いの言いたいことは分かったよ。でもお互い誤解しているところはあったりするんじゃないのか?話し合ったのか?ちゃんと話してみないと分からないことだってあるんだから、一回話してみたらどうなんだ?」
俺が長々と話をすると、場の空気が一瞬だけ緩んだ気がしていた。
二人は顔を見合わせ、渋々とした表情で話を始めていた。
「俺は……本当にあの子とはただ話をしていただけなんだ。お前との関係があんまり進展出来てなくて相談に乗ってほしいって……」
「相談……?」
「本当だからな!!気になるならその子に聞いてみろよ!!」
彼女を取られた方は「相談」と言う言葉を聞いて腕を組みながらも険しい表情をしていたが、どうしても気になったのか彼女に電話をしているようだった。俺は一息をつくようにして椅子に座り直していると、繋がったようで軽く話をしていた。
「え!?ほ、本当に相談に乗って貰っただけだったのか!!?」
経緯は知らないがそんな声が聞こえてくる。
どうやら本当に勘違いだったらしい。彼は謝りながらも慌てて電話を切ってもう一人の方に頭を下げていた。
「わ、悪い!!」
「……俺もちゃんと説明しなかったし悪かったよ」
二人の中での険悪な感じはなくなり、仲直りは成功しているようだった。
「結人も悪い!!本当に今回はありがとうな!!」
彼女を取られた言っていた彼の方も「俺も悪かった!」と言いながらも手を合わせて俺に謝りに来ていた。それを見て、俺は「ああ、気にするなよ」と返していたが俺の中では感情が渦巻いていた。彼らが教室から立ち去ったのを見て、教室内が静かにホッとしている様子だった。俺は騒ぎが収まった教室の中で溜め息をつきながらも、窓を見ていると青空に浮かぶ雲が形を変えながらも流れて行くのを追いかけるようにして、俺の思考はまとまらないままだった。まとまっているとすれば、張り詰めたような冷たい笑顔ぐらいだっただろう。
『そうか……頑張れよ』
今でも俺の脳内で自分自身で言ったあの言葉が離れることはなかった。
謝りたかったのに俺は謝ることが出来なかった。燈の強さをじわじわと見ることによって俺は自分の弱さを実感させられた。そして、今は燈と一緒にいた頃の強さも牙もなくなり、自分が何をすべきなのかすら見失いあの頃よりも弱くなっていることを自覚させながらも一年が経とうとしていた。俺は手のひらをぎゅっと握り締めてから立ち上がり、バッグを持ってこの日は帰ることにした。
帰り道、俺はとぼとぼと歩きながらも歩いていると楽器を持っている女子生徒をよく見かけていた。此処最近はガールズバンドが流行的に流行っていて、誰もかれもがやっているというのは当たり前の時代だった。俺ら男子もそれに見習ってやろう、なんて話になったが俺はそれを断った。バンドなんてやっていたらきっと燈や立希のことを思い出してしまうからやりたくなかったんだろう。
「バンドか……」
俺はCRYCHICのライブに行くことはなかった。
燈を傷つけてしまったこを後悔していたこともあるし、燈にどんな顔をして会えばいいのか分からなくなってしまったんだ。それに燈をこれ以上傷つけたくなかった。だからもう燈とは会ってもいないし、連絡もしていない。自分勝手なのは分かっているつもりだ。いや、分かっているだけなんだろうな、きっと……。
俺は信号待ちをしている人々を横目にしながらも俺は歩こうとしていた。
今日は喧嘩の仲介もして疲れたことだし、夜はゆっくり星でも眺めに行くとするか。
「結人君……!」
誰かが俺のことを呼ぶ声が聞こえてくる。
その呼ぶ声が瞬時に聞き覚えのある声だと認識して俺の脳が「逃げろ」という信号を渡してくる。俺はそれに従うようにして呼ぶ声の方から逃げ出していたがこれで本当にいいんだろうかと悩んでいた。恐らくあの声は燈だ……。俺は必死に燈から逃げようとしていたが、心がモヤモヤとし始めていた。
「いいのか俺は……このまま燈から逃げ続けて……」
俺は一瞬立ち止まって足を止めてしまう。
此処で燈から逃げることは凄く簡単なことだけど、本当に逃げてしまっていいんだろうか。本当は俺は燈に会いたくてしょうがないじゃないのか?昔みたいに話をしたいんじゃないのか?笑い合っていたいんじゃないのか?という望みが生え来ていたが、この望みはきっと俺の心の中にずっとあったものに過ぎないんだろう。花が開いて開花するように……。
だったら、答えは一つしかないだろう。
「燈……だよな?」
俺のことを探している燈に対して俺は声を掛ける。
昔みたいに笑顔で接しながらも俺は燈と話をしていたが昔のように上手く笑うことが出来なくなっていた。きっと誰かを傷つけるのが怖くなってしまって今の冷たい偽物の笑顔を振りまくことしか出来なかったんだろう。
「今度絶対に行こうな!じゃあな燈!!」
燈と一年ぶりの再会は少しだけの会話だったが俺の体は震えていた。
燈に謝ろうとしていたが、俺は謝ることが出来なかったけど俺は燈とまた約束を取り付けることが凄く良かった。俺は一度きりだけじゃなくてちゃんと燈と会うと決めていたのだから。
『でも……俺は燈ならまた立ち直れるって信じてるから。例え駄目になってもまた立ち直れるって信じてるから……!!燈が凄い奴だっていうのをちゃんと俺は知っているから!!』
約束の日……。
俺は前のバンドが解散となったと聞いたとき、どう反応してやればよく分からなくなっていたが燈を勇気付ける為には何か言わなくちゃいけないと微かに残っている勇気が臆病な自分に打ち勝って俺は燈の言葉を返すことが出来ていた。
この後の燈からの新しいバンドの話を聞かされたときも俺はちゃんと言葉を返していたことは俺にとっても意外なことでしかなかった。もしかしたら、燈と再会できたことにより俺はかつての自分を取り戻すことが出来ていたのかもしれないと錯覚出来てしまうほどだったが、どれだけ言っても過去は変わらないのは事実でしかない。
立希が言っていたように俺は所詮燈が傷つけたことは事実。
なによりもそのことをちゃんと燈に対して謝れていない。今のバンドにライブを見に行くとは言ってたけど、あいつにはちゃんと謝れていなかった。きっと俺にとって謝るということは勇気が必要なことだったんだろう。燈が許してくれることなんて分かり切っているはずなのに、俺は声にならず感情を飲み込むことしか出来なかったんだ。だから燈に自分から連絡もしていなかったんだ。俺は燈から来てるバンドの話とか最近集めている石の話を遡りながらも俺はただスマホを見つめていた。
そして、その話を見ながらも燈が俺と会っていなかった間にも成長していることを実感させられていた。CRYCHICが解散してすぐのあいつのことは全く知らないけど、それでもあいつは前を向いて歩いていたに違いないんだ。今にも壊れそうな吊り橋にしがみつきながらも向こう岸にしっかりと渡って見せていたんだ。それに比べて俺はどうだろうか。燈と再会する前から成長しているかもしれないが、それでも俺は成長しきったとは言えない。だからあの日燈に気づいていても声を掛けなかったんだ。自分の弱さと醜さに反吐が出そうになりながらも自販機でその日缶コーヒーを飲んでいると猫が寄って来ていた。
「ゆいと?」
「楽奈か……」
自販機で飲み物を飲んでいると、俺は楽奈と遭遇した。
初めて楽奈と出会ったとき、バンドよりも猫を優先したり自由な奴だと思ったり、オッドアイと言う漫画でしか見ないような珍しい瞳に目を奪われたし、動物と意思疎通が出来るということが羨ましかった。それでも同じ動物が好きということもあって、俺は楽奈の奴を同類だと思っていた。
「なんか飲むか?」
「抹茶」
俺は楽奈に言われた通りに抹茶ラテを購入してそれを渡すと、楽奈が猫を撫でるのを止めてペットボトルのキャップを開けて抹茶ラテを飲んでからまた猫を触り始めていた。
「楽奈」
「ん?」
「……いや、やっぱりなんでもない」
猫が好きな彼女に仮に猫だとしてこの選択を聞いてみたらどうするか?聞いてみたかった俺だったが、聞くのをやめた。俺はもう一度コーヒーを飲んでいると、今度は楽奈の方から話しかけていた。
「ゆいと、ライブ来る?」
「燈達のか?」
楽奈は頷いている。
「前のバンドのときはライブ来れなかったからな、実は結構楽しみにしてるんだ」
「そうなんだ」
これは紛れもない事実。俺は今回の燈達のライブを楽しみにしていたのは事実だったんだ。
前のバンドのときも燈達がライブをやったらどんな感じなんだろうかと想像していた時期もあったほど楽しみにしていた時期もあったほどだったのだから。
「じゃあ、ゆいとの一生記憶に残るライブにしてあげる、だから楽しみにしてて」
得意げに笑いながらも楽奈は言ってみせる。楽奈と会ったのは一度だけであったが、俺によく懐いていた。俺が猫より犬派なのは少し残念そうにしていたが、それでも同じ動物というより猫が好きな奴として認識してくれたからこそこう言ってくれていたんだろう。
「ああ、分かったよ……楽しみにしてる」
飲み物を飲み終えた俺は缶コーヒーをゴミ箱に入れながらも俺は楽奈に「じゃあな」と言いながらもその場を後にしながらも都会でもよく星空が綺麗に見える場所へと足を動かしていた。
「やっぱ……あの場所の方が綺麗だな……」
俺はショッピングモールの外の階段に座り込む。
都会で近場なら此処が一番見やすいかもしれないけど、やっぱりあのキャンプ地で見た星空の方が綺麗に見えてしょうがない……。都会の星空はどうしてこうも見え辛くて仕方ないんだろうか。
「隣いいかな?」
「え?はい……」
声を掛けられて俺は「はい」とだけ答える。
その人の方に注目すると、何処か見覚えの風貌な気がしていた。帽子を被っているとはいえ、一発で分かるその一般人とは違うと言う印象。そして少し見えている金髪に紫色の瞳……。何処かで見覚えがあるような……。
「ねぇ、星眺めてたけど好きだったりするの?」
「……好きだと思う」
「どうして疑問風なの?」
見覚えのある彼女が俺の曖昧な返事に首を傾げながらも俺に聞いて来る。
「父さんが冒険家で昔から色んな場所で空を見てきたことがあるんだ。こんな都会の空からとか何もない平原とか山の上とかそれこそ海外とかで……」
「へぇ、テレビとかでも出てるような人なの?」
「流石にそこまでって訳じゃないけど、それでも父さんは色んな場所に俺を連れて行ったくれたんだ。でも俺にとって忘れられないのは……キャンプ場から少し離れた場所で見た星空だったんだ」
「キャンプ場の星空、確かに良さそう……」
彼女は目を輝かせながらも星空を眺めていた。
「山の上からの方が絶対に綺麗だろうし、天の川が見える可能性が高いけどそれでもあの場所で見えた星空が一番落ち着いて好きだったんだ。別に都会の星空を馬鹿にする訳じゃないけど‥…。なんていうか、窮屈に感じるんだ。輝きが薄れている気がしてさ……。都会ってビルとビルの間からしか星空を眺めることが出来ないからこういう場所からしかちゃんと見ることが出来ないのが凄く残念で仕方ないんだ」
父さんは俺に色んな場所で星空を見せてくれた。
海外に連れかれたときは流石に驚いたし、山を登ることになったときは本当に怖くて仕方なかった。俺はまだその頃、小学生とかだったしな……。
「窮屈かぁ、場所によってはそう見えても仕方ないかも。星空本来の魅力が薄れちゃうってのもなんとなく分かる気がするな。でも……」
「こうやって一部の星だけを集中的に眺められるのも案外悪くないんじゃないかな」
「集中的にか……」
彼女の集中的という言葉を聞いたとき、ある言葉を思い出す。
それは昔、父さんがよく言っていた言葉……。
「父さんがよく言っていたんだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚……いわゆる五感を通じて感じるものは素晴らしいって……」
「五感を通して感じるもの……?」
彼女はその言葉を繰り返す用に口にした。
「空気の匂いとか、風の冷たさとか、星の光とか……目に見えたり、触れたりするものだけじゃなくて……それが心にどう響くのかが大事だって……」
手を制服のポケットの中に入れて、少し遠い目で星空を眺める。
「心に響く……お父さん凄くいいことを言うんだね。確かに、こうやって座っていると、風の音とか街のざわめきとか、普段気にしないことが聞こえ来るね」
「……それが全部が全部いいことじゃないかもしれないけど、俺はそういうものは凄く大事だと思うんだ。だから見つけて見たいんだ、俺自身の五感や心に響くものを……」
父さんが俺に対してよく言っていた五感というものは俺にとって言葉だけで響くものとなっていたし、そういうものを見つけたいと思っていた。こういう都会の中じゃ忙しくてなかなか見つけられないけど、俺はいつか自分で見つけてみたいんだ。魂に刻み込めるものを……。
「ねぇ、名前聞いても良いかな?」
「ああ、俺は星乃結人」
「私は……」
彼女は自分の名前を名乗ろうとしているときに言葉を詰まらせている。
普通の人とは違う雰囲気は感じていたけど、もしかしてやっぱり芸能人とかだったりするのだろうか……。髪や瞳を見た感じ何処か見覚えがあるのは間違いなんだけどはっきりとしたものを思い出せない。
「
初華……?
もしかして、sumimiの初華なのか……。少し予想はしていたとはいえ、まさか本当に芸能人だとは……。とはいえ、此処でsumimiの話題を出すのも得策じゃない。誰が見てるかも聞いてるかも分からないし、見た感じオフだしな……。
「ありがとう結人、凄くいい話を聞かせて貰ったよ」
「他人からの受け売りだけどな」
俺が苦笑いしながらも言うと、彼女は首を横に振る。
「それでも凄くいい話だったよ、五感を通じて心に響くもの……見つかるといいね!」
「ありがとう、じゃあ」
「うん、また何処かで会いたいな」
初華は階段を下りながらも階段を下りた先で愛音らしき人物に挨拶をしていた。
三角初華、彼女も俺と同じように星空を眺めるのが好きだったのだろうか。此処に来て星を一緒に眺めていたということはそういうことなのかもしれない。芸能人だからこれからもまた会うなんていうのは確率的に低いかもしれないが、彼女とはまた何処かで会うことになりそうな気がする。
俺はその愛音と少し話をしていた。
内容は立希のことや燈のことを聞かれたりしていた。愛音は燈からの聞いた話でしかないが、彼女は燈のことを新しいバンドに誘ってくれた人だ。燈にとっては新しい絆を繋ぎ止めてくれたようなもんだろう。そしてある意味、燈の成長を促した奴でもあるんだろう。燈がカッコイイという話を聞いていて俺はそう思っていた。
その後、会話の途中でそよもやって来て話をしていたが途中で燈も色々とあったからという話になり、俺は気まずくなってしまっていた。元はと言えば、俺が招いた種だろとしか言いようがないがこのときの俺はまだあのときのことを受け入れようとしつつも逃げ出そうとしている自分もいたんだからこそ俺はあの日逃げたんだ。
夕暮れの空は茜色に染まり、街の喧騒が一日の終わりを告げていた。結人はショッピングモールの近くで立ち尽くしていた。人々を行き交う中で足を前に出すかどうか迷っていた。
「行けばいいだけの話だろ」
自分に言い聞かせるように呟くが、その言葉は足に力を与えてはくれなかった。
ライブ会場の場所なら知っている。燈が俺に「ライブ来てね!」と言ってくれたときの笑顔を忘れることが出来ずに俺は胸の奥が苦しくなっていた。俺が行ったら、また燈を傷つけてしまうんじゃないのか?胸の中で渦巻く不安と、足元を揺るがすような躊躇が押し寄せる。かつて、素っ気ない言葉で彼女の心を傷つけたときの記憶が蘇る度に、心の奥になにかがひび割れているような感覚に陥る。
「……俺はそんなにいいやつじゃない」
呟いた声は、喧騒の中で掻き消されていた。
それでも頭の中で燈のライブを想像するたび、心の中に小さな灯火のような感情が沸き上がって来る。新しいバンドを始め、前を向いて進み続ける彼女。その背中を追いかけることが出来なくなった自分との違いが、俺を動けなくしていた。
「でも……」
足元を見つめると当然俺の視界には自分の足が映る。視界を足から頭に戻すと、街路灯が灯り始めていた。その灯りはまるで俺に道を示すかのようなその光に、ふと父の言葉が蘇る。
『結人、お前がどんなに臆病でも何れ自分を見つけたいと思えるときがある。そして、こんなにも素晴らしい景色よりも素晴らしいものを見て五感を通じて心に響くものが絶対にあるはずだ……!!』
父さんはいつも大胆な人で母さんへのプロポーズだって流れ星が降り注ぐなかででしたりする人だった。俺は父さんの大胆さにいつも溜め息をつくことになっていたが、それでもあのときの言葉を忘れることが出来ない。
俺は深く息を吸い、夜風の冷たさを肌で感じていた。
行かなければ、この瞬間にも燈がどんな音を奏でているのかも、どんな景色を見ているのかも、自分は知らずに終わる。それに楽奈は俺に言っていた。一生の思い出に残るライブにしてやるって……。俺はそれに興味があった。だったら、進むべき道は一つしかない。閉じていた目を開けて、少し震える足で一歩を踏み出していた。一歩ずつ歩き出していた足を確かめながらも俺は信号を渡っていると目の前に見える景色が次第に変わりつつあった。そんなことは当たり前でしかなかったが、移り行き景色は徐々に速度を上げていることに気づいていた。そう、俺は走り出していたんだ。
「此処だよな……」
俺が目指した場所に着くと、そこはRINGというライブハウスだった。
もうライブは始まっているようで俺は急いでライブハウスに入ることにした。そういえば、今になって思ったけどこういうときって当日券ってあるのか……?確か、このライブってAfterglowっていうバンドと
「って此処で悩んでいたってしょうがない……」
俺は急いでライブハウスの中へ入ると、バンドの演奏が漏れ聞こえている。もう既にライブは始まっていたか……。胸の奥がずさりと痛みながらも俺はまだ入れるかもしれないと淡い期待を抱きながらもロビーの中は静まり返っていた。
「すみません、もうライブは始まってしまっているんですよ……ってもしかして?」
スタッフの女性は申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、すぐに表情を変えていた。
「もしかして最近よく楽奈ちゃんが言っている子?」
「え?楽奈が……?」
「えっと、確か結人君だったっけ……。楽奈ちゃん、よくこのライブハウスに来るんだけどそのときに猫好きないい奴見つけたって……。もしかしてライブ見に来たの?」
「は、はい……まだ中入れますか?」
スタッフの人が楽奈のことを知っているのは驚いたし、楽奈がこの場所で俺のことを話していたのも驚いた。
「本当ならダメなんだけど……楽奈ちゃんがお世話になっているみたいだし今回だけはお金だけ払ってくれたら中に案内してあげる」
「本当ですか!?ありがとうございます!!あの……楽奈によろしくお願いします!!」
俺は慌てて財布を取り出し、チケット代を支払った。スタッフに案内されながら、会場の奥へと進むにつれて、音楽がどんどん近づいてくる。胸の鼓動がそれに合わせるように速くなった。
会場の扉が静かに開かれると、全身を包み込むような歌声が流れ込んできていた。俺はその声が燈の声だということをすぐに分かり、俺の心臓が鼓動する音さえ掻き消されていた。燈の方を見ると、スポットライトに照らされる燈の姿があった。彼女はマイクを握り締め、真っ直ぐ前を見据えながら歌っている。
燈の歌声は不思議だった。澄んだ声が耳に触れたかと思えば、胸の奥を揺さぶり、心を掴んで離さない。燈の歌声は燈の部屋越しから一度だけ聞いたことがあってそのときも俺の耳に残り続けるような歌声であったが、今の歌声はそれ以上だった。一生懸命に歌っている燈の姿を見て俺は歌声に込めらえているような感情に流されるようにして一歩足を踏み入れて行くと、一瞬だけ燈が俺の方を見て心の底からホッとしているように見えていた。
「燈……俺、来たよ。遅くなってごめん……」
俺は小さく呟きながらも燈達のライブを聞き続けていた。
普段は控えめで大人しい燈が……ステージに立っているときは必死に歌っているのが伝わって来て俺は彼女の歌声に熱狂的な視線をいつの間にか送っていると、一曲目が終わり、舞台上でギターが弾かれ始めていた。
「悴んだ心 ふるえる眼差し世界で 僕は ひとりぼっちだった」
俺は二曲目の音でまた引き込まれていた。
これが燈の作り上げた歌、世界というものなのかと実感させられていた。
「君の手は どうしてこんなにも温かいの?」
「ねぇお願い どうかこのまま 離さないでいて」
ああ、そうか……。
ようやく分かった。この曲は俺は一度聞いたことがあった。サビに入るまで分からなかったけど、この曲は燈が部屋越しに練習していた曲だったんだ。きっとあのライブで大勢に披露していた曲そのものなんだ。バンドも変わっているから、前のあの曲とは違うのかもしれない。それでも俺は……今目の前で彼女が歌い続けてくれるこの曲が好きだ。なによりもきっと燈の中で過去を受け入れようと必死に頑張っている姿勢が俺には輝いて見えていたからこそ俺は燈から目を離すことが出来なかった。
なによりも俺はこのとき父さんの言っていた意味が分かった気がする。
五感を通して心に響くものは素晴らしいと言っていたことが……。
舞台上で真剣に歌っている燈の姿、燈の声を通して耳に入って来る歌声、綺麗に透き通っている高音がスピーカーから伝わり、体全体に響いて感覚を届けてくれている。燈の歌声が続く中、走って来て喉が渇いて来たことすら忘れて俺は音楽に集中していた。そして、何よりも会場内の熱気と人々の体温が混ざり合って、湿った汗の匂いが空気に漂う。
「これが五感……か」
俺はこのライブに心を奪われていた。燈の歌声、その音楽その全てに吸い込まれていくような、目を閉じると開けると遠くにいるはずなのに近くで燈が歌っている感覚すらあったのだ。目の前で実感させられていたこれが音楽の力だと……。
「ずっと ずっと 離さないでいて」
会場内で拍手喝采が巻き起こっていた。
俺も自然と拍手をしながらも燈達のことを見送っていた……。
「燈の奴、本当に凄いな……」
ライブを終わった俺は先ほどのスタッフにお礼を言ってからRINGを出て、今は歩道橋に腕をブラブラとさせていた。傍から見たら凄く危険な行為だが俺は全く気にしていなかった。頭の中では燈が見せてくれたライブが離れないでいた。あれほどまでに凄まじいものを見せてくれた燈に対して本当に尊敬の念しか抱くことが出来ずにいたが、同時に俺の心には大きな邪念がまたヘドロのようにへばりついていた。
「俺は……なにをしているんだろうなぁ……」
燈が頑張っている姿を見る度に俺は自分が全く成長出来ていないことを自覚させられる。燈の前ではあんなにも強い自分を見せられるのに学校や余所では自分を出すことができない。全く出来ない、だから俺はあのときそよにああ言ったんだろう。
『そよは俺と似ていると思う』
境遇を似ているという意味でも言ったが、俺はきっとそよが自分と本当に似ているとなんとなく気付いていたんだろう。似た者同士という言葉があるがこれこそこういうときに使う言葉かもしれない。何故なら、俺はそよとは同じ孤独感を感じていると分かった気がしていたんだ。他人に合わせようとしているところをやり方は違えどそこは同じだったんだ。ただ、俺はそよから言われた「燈を傷つけた」、「突き放すタイプ」だということを全く否定が出来なかった。燈に関しては散々言って来たが、突き放すに関しては俺は事を終えたらそれ以上自分が傷つけるのを恐れて関わろうとはしていなかった。
燈の前以外では……。
だから燈には立希のことを頼むと言った……。動物園であいつの話を聞いていたこともあったからこそあいつが抱えている劣等感を支えて欲しかったから……。今に思えばあいつも俺に似ているところがあった。自分の姉という強すぎる存在に対して、億劫になって周りを寄せ付けないようにしていた……。こう見ると燈も立希もそよも俺に似ているところがあったから俺は自分という人間が弱く見えてしまっていたのかもしれない。だから、あの後俺は……燈に力になりたいと言われても罪悪感だけが雨のように降り注いでいたんだ。
「俺は……俺は……」
路地裏のなかで俺の声が響いていた。
燈はこんな俺に力になりたいと言ってくれていた。自分のことを助けてくれたから今度は力になりたいと言ってくれていた。それが俺にとって心をぐちゃぐちゃになってしまうほどのものだった。燈が必死に手を差し伸べようとしてくれていたのは嬉しかった。それでも俺は今更燈に対する劣等感を隠し通すことが出来なかった。
例え、目でお願いだから自分をそんなに責めないでと言われても俺は自分を責めることを抑えることが出来ずにいた。燈は必死に俺に手を差し伸べようとしてくれていたが、俺はその手を払いのけて次の瞬間……。
燈のことを突き飛ばしてしまっていた。
地面に叩きつけられた彼女は、少し驚いた顔をして一瞬動きを止めていた。俺はすぐにそのことに気づくと俺は今自分がしてしまった行動が信じられないでいた。燈が倒れたその場所に、ただ茫然と立ち尽くして俺はこう言った。
「ごめん、燈……!!」
違う、違うこんなこと望んでいない……!
俺は燈を傷つけたかったんじゃない、言いたかったんだ燈に……!!こんな俺を……こんな俺を助けようとしてくれてありがとうって……!!
友人だと言ってくれてありがとうって……!!
言え、言えよ!!まだ間に合う、まだ間に合うんだから早く言えよ!!それで謝れよ燈に……!!こんなところで臆病になってんじゃねえよ!!燈はこんな俺でも認めてくれるって言ったんだぞ、なんでだよ!!なんで今泣いてるんだよ!!?泣きたいのは燈の方だろうが!!なんで俺は……言わないんだよ燈に……!!
「二度と燈に関わるな……!!」
ああ、そうか──。
俺が関わると、誰かを傷つけるなら──。
──最初から誰とも関わらなきゃいいんだよな。