【完結】迷子の友人は羨望する 作:シキヨ
『あんなの見せられちゃ……認めるしかないじゃん……』
あの日、若葉睦……ムーコから底知れぬ悍ましいものを覚えていた。体の震えが止まらない、恐怖心が心の中にある。ただ映像という画面越しのもので自分が怖がっているという事実に驚きはしていた。
『止まれ……止まれ……』
何度もそう呟いていたけど、体の震えを止まらなかった。
寒気もしていたし、腕には鳥肌が立っていた。そういう事実ばかり突き付ける度に自分がムーコという人間を恐ろしいものと考え始めている。脳からその思考を切除したかったのにそれが全く出来なかった。まるで、余命宣告をされたような人間の気分になりつつあった、私は一先ずその映画館の前から出ようとしていたときだった……。
一台の高級車と思われる車が路肩に止まる。
それが目に入ると……車の窓が開く音したの同時に……。
『あら?貴方、もしかして睦ちゃんと一緒にバンドやっている子かしら?』
『え……?』
一瞬、反応に遅れてしまう。
それほどまでにあの映画で体感したムーコに対するものが強すぎて車の中から話しかけて来た人が誰なのかということもすぐに分からなかった。しかし、その綺麗に整えられた薄緑色の髪にすぐに普通の人ではない、本物の才能がある人間だと見抜いた私は……。
『みなみさん……』
この人は……今世間を大きく盛り上がらせている大女優の森みなみさん……。
そして、ムーコの母親である人物。
『もしかして、聞こえなかったりしてた?私それほど小さな声で言った訳じゃないんだけど、もう一度言うけど睦ちゃん、あーえっと……確かモーティスちゃんだったかしら?その子と一緒にバンドやっている子だったわよね?』
『はい……そうです』
モーティスという名前がすぐに出なかったのか、考えた末にようやく名前が出ていたような感覚があったような気がしていた……。
『折角睦ちゃんと同じバンドの子に出会えたことだし、ちょっとお話いいかしら?』
『構いません、けど……』
『そう、じゃあ中に入って』
みなみさんに案内されるがままに私は車の中へと入って行くと、すぐにお金持ちが乗りそうな車だと認識させられる。運転手はみなみさん専属の運転手と言った感じだし、外側からは恐らく中の様子を伺うことが出来ないようになっている。なにより、車内も外装も綺麗だった。
『貴方、楽器の方は何が担当だったの?』
『ドラムです』
車が走り出したのを確認してから、みなみさんは話を始めていた。
最初は世間話の内容からを切り出そうとしているのは芸能人ならでは話題を作りやすくする為のようにも気がしていた。
『そう、ドラム担当……。ドラムって凄いわよねぇ、あんなにも激しい動きをしながらもスティックで楽器を叩いたり、人によってはパフォーマンスを駆使して観客を盛り上げようとしたりするんでしょう?この前も有名なバンドがテレビで演奏したりしていたけど、結構良かったのよねぇ』
『ええ、まあそうですね……。スティックを回したり、投げてキャッチしたりとかそういうのが有名だったりします』
今にも吸い込まれそうな気弱な声で私はみなみさんの言葉に返事をしていた。
『そうそう、そういうのを確かにやってたわ。それで……話に入るんだけど貴方、睦ちゃんとは……Ave Mujicaだったっけ?バンドを始めるようになってから会うようになったの?』
『そうです……ね、元々サキコからの誘いでムジカに入ってそこでムーコとは初めて会いました』
『そう、じゃああの子のことを詳しく知っているという訳じゃないのね』
森みなみさんはムーコとは違って、何処か親しみやすく話をしてくれる人だった……。
最初の時点でまず、私に話題を振ってくれてまるでこっちの話を聞いてくれているような気分にもなりそうになっていたけど、私の方は警戒していた。この人はきっとただ単にバンドのことを聞きたい訳じゃないと……。それを物語っているのは……みなみさんの瞳から。
恐らく、今からされるのはムーコ自身の話……そんな気すらしているとみなみさんは看板に映し出されているムーコを睨むようにして見つめていた後に、こう話を切り出す。
『それじゃあ、あの子のすごーく得体の知れない気持ち悪い話をしてあげる』
『得体の知れない……?』
それがどういう話かも知らずに私の方はそれに踏み込んでしまう。
まるで知らずの内に入ってはいけない禁足地に踏み入れたように……。
『睦ちゃんはね……』
『
溜めるようにして間が空いた後に放たれたものは私にとって理解が追いつかないものでしかなかった……。しかも、それが自分の娘に向けているものとは到底思えないものでしかなかった。
『え?どういうこと……ですか?』
冷房が効いているはずなのに、それ以上に寒気がする車内の中で理解が追いつかない。
なによりも私が疑っていたのはまるで自分の家に入り込んできて来た害虫に向けるかのような目で「化け物」と言い切っていた為、余計私は自分の頭がおかしくなってしまっていた……。
『脳が理解を拒絶しているという反応をしているわね。でも、そうなるのも無理はないわ。だけど、こういう体験をしたことはなかった?例えば……』
『急に人が変わったみたいに目つき、態度、表情、そういうものが変わったこととかは?』
頭を下げてしまう。
私もムーコのそういうところを目撃していなかった訳じゃないから……。
『私は私……』
あの日、私に突き付けて来た狂気のような視線……。
あれはムーコなんかじゃなかった。あれはムーコじゃない、別の何かが私にこれ以上サキコを傷つけるようなことを言ったら「タダじゃおかない」という目だった。あの瞳が今でも私の中でも忘れることが出来ないからこそ、私の恐怖が終わることはなかった。
なによりも……。
『モーティス……我、死を恐れるなかれ』
『私達はAve Mujicaの人形としか満たされない』
『Ave Mujicaの劇ってつまんない!!もっとこう面白いものが見たいのに!!』
Ave Mujicaとしてのムーコは時より豹変していることがあったりした。
なによりも、酷かったのは一番最後のまるで駄々っ子のようにサキコに難色を示していたときのこと。つまんなそうにしながらも不服そうにしてサキコのことを見つめていたあの感じを覚えていた……。
『その感じだと見覚えがあるようね』
『はい……』
否定することも、誤魔化すことも出来なかった。
私はムーコが人が変わったようになる瞬間を何度も体験してきたからこそ何も言うことが出来なかった。
『手震えてるわね……無理もないわ。あの映画も見たんでしょう?』
『ひんながみさま、みなみさんも……見たんですか?』
『ええ、そうよ。睦ちゃんの初主演映画だったから、たあくん……私の夫と知人と一緒に見る事になったの。本当はあんまり乗り気じゃなかったけど、どうしてもたあくんは睦ちゃんの晴れ舞台を見たいというから付き合ってあげたけど、それは失敗だったわ』
みなみさんは心の底からあの映画を見たということを後悔したという顔をしている。
苦虫を噛み締めるようにしながらも……。
『どういう……ことですか?』
『逆に聞くけど、にゃむちゃんだったかしら……?貴方、あの映画を見てどういう感想を得た?率直で構わないわ』
みなみさんを見つめていた顔を私は再び、下げてしまう。
それは本当に思っていたことがあった。良い方向じゃない、悪い方向で……。
『……怖かったです、ムーコが』
『その貴方の感想、紐解いてあげるわ。最初はただの少女を演じていた睦ちゃんが演じているキャラが徐々に怪異に憑りつかれている。それ自体はホラーというジャンルを呈する映画ならよくある話。でも、彼女がその怪異に憑りつかれたことによって本物になってしまったのよ。彼女という少女が次々と家族達を幸せにしていた彼女が、最終的には祓われることによってその家族を壊して行くという過程は実に寒気がしていた。ただ淡々と描写するのではなく、本物の恐怖を描いた化け物級の映画。そうだったでしょう?』
『……そうです』
認めたくなかったけど、実際にそうだった。
勿論、カメラとか演出のおかげもあったんだろうけど、ムーコの演技は演技じゃなかった。まるで本物の怪異に憑りつかれてそれを実行して、家族を壊して行くという描写は目を瞑りたくなる光景ばかりだった……。
『あの子の演技は演技じゃなかった。だからこそ、本物の演技が出来ていた。あの映画の中で誰よりも輝いていたし、狂っていた。女優である私があの子に恐ろしいと感じてしまうほどにね』
『みなみさんが……ですか?』
『自分でも驚いたわ、まさか此処まで
薄笑いをしながらも、みなみさんは窓から外の景色を見つめているけど私には表情が見えていた。それはまるで到底自分の娘に向ける表情じゃなかった。
『あの子は小さい頃からそうだった。その辺で泣いているセミを私に見せて来たり、大物俳優や大物芸能人が私の誕生日や自分の誕生日に招待客として来てくれたときは、笑いを取ろうとしていた。前者はともかく、後者はまるでその場に適合するようにして彼女は招待客を笑わせたりして、睦ちゃんは凄いねー!と喜ばせたりしていた。たあくんはそれを育ちざかりの子供だからそういうところもあるんだろうって言っていたけど、私にはそれは違うと分かっていた』
『何故なら、あの子は生まれたときはただの普通の子だった。体重も平均的で目元とかは私に似ていたけど、普通の子だったのにそれが急にある日から人が変わったようになっていた。勿論、病院とかカウンセラーにも連れて行ったことはあるわよ?でも、アレは自分は如何にも正常であると本物になってみせた。だから、もうあの化け物は誰の手にも負えないから私はアレのことを化け物だと認識しているの、そうじゃないと自分の才能より上の幼き化け物に押しつぶされそうになるから』
悶え苦しむということはこういうことを言うのかもしれないみなみさんの表情は明らかに悪くなっていた。出来れば、ムーコの話なんかしたくない。そういう嫌なものを見ているような気分になりながらも、話しているようだった……。なにより私もみなみさんの話を聞いていて、重苦しいこの重圧感に耐えられそうになくて今にも吐きそうになっていた。
『でも、最近は違うみたいなのよね……。まるで、希望となる道を示されたみたいな表情ばかりをしている。何故、そういう顔をしているのかなんてのは考えたくもないけど、私には分かる。あれは……』
『なにかに執着心を燃やしているって……。それもとてつもなく絶対に離れないという意志を持っているかのような視線を彼女の瞳の奥から感じているの。気味が悪くて視界に入れないようにしているけど、それでも時折スマホを見ているときの表情は本当に気持ちが悪くてしょうがなかった』
『あの……聞いてもいいですか……?』
小さな声で挙手をしながらも私は質問をしようとすると、「いいわよ」という返事を貰う。
『どうしてその話を私にするんですか……?』
『そうねぇ、貴方があのバンドで……一番やっていけなさそうだからじゃないかしら?』
『どういう……ことですか?』
『だって、そうでしょう?貴方……』
『凡人だもの……。他の子達はそれなりに箔が付くものを持っている。けど、貴方は違う。努力はそれなりにしているようだけど、所詮は付け刃でしかない。そんなものであの子達と張り合うなんてのは無理でしょうし、なによりあの化け物と一緒に居たら壊れるだけよ?大人しく地元でお山の大将でもしてい『降ろしてください』』
最後まで言い切られる前に私はこの車を降りるという選択肢を選んだ。
『あら、まだ話は終わっていないわよ?』
余裕のある表情に戻りつつあったみなみさんの声掛けに私はこう答える。
『みなみさんの言っていたことは正しいかもしれません。でも、私は私の信念があって……自分をもっと売りたいと思っているんです。誰よりも誰よりも……人を魅了できるような人物になって人から愛されていっぱいお金稼いで家族を養えるぐらいの人間になりたいんです。だから、今更立ち止まることなんてできないんです……』
『そう?自ら茨の道に進むって訳ね、後悔することになるわよ?あの化け物と関わり続けるということ……』
『…………それでは、失礼します。ムーコのこと教えてくれてありがとうございました』
車が止まったのを確認してから、私は車から降りて力強くドアを閉める。
中から見えていただろうけど、私はみなみさんのことを強く睨みながらもその場から離れようとしていたとき、私の体全体が震えが止まらず動くことが出来なかった……。心の奥底から、ムーコという人間に恐怖していて……。
歩けなくなっていたんだ……。
『どうして……祥のことを傷つけたの……?祥は私にとって……』
『大切な希望だったのに……』
聞こえないはず、居ないはずのムーコの幻聴すら聞こえてしまうほど私はもうあの化け物に……狂わされていた。
「結人は何も分かっていない」
分かっていない、結人は何も分かっていない。
馬鹿みたいに善意を振りまいているだけじゃ、何も解決しない。そもそも、ムーコを助けるなんてことは絶対に出来る訳がない。みなみさんの発言を信じる上で、仮説を立てるならあの子はもう「その先」に到達している。悔しいけど、それを認めるしかないから私はあのとき動くことが出来なかった、車を出るというのが最後の勇気を振り絞れた行為だった。だから、あの日の夜サキコのことを探すというのは手伝うつもりなかった。ムーコに恐怖していたから。
『私は私……』
楽屋あの鋭い冷気を放っていた目つき、ひんながみさまの中で目を背けたくなるほど魅せられたムーコの異常性。あれは間違いない、救いの手を差し伸べようとする行為自体が間違っている。
「あのさぁ、そうやって善人振るのやめなよ?結人がそうやってムーコのことを庇おうと、助けようとしたって助けることなんて出来る訳がない。だって、そうでしょう?あの子はもう私達とは次元が違い過ぎる。あの子は普通じゃない」
気づけば私は結人のことをゆいぴと呼ぶのを辞めていた。
反射的に結人のことを脳内で軽蔑していたから。
「そうやって……逃げているだけだろ睦と対話するのを」
「は?なにそれ?いい加減偽善者辞め「ああ、俺は偽善者だよ」」
「どれだけ積み重ねとなるものを並べようとも、俺が善意を振りかざすことによって苦しめて来ていた人達の数は多い。そのせいで失敗してきていたこともあった」
「分かってんじゃん?だから、それを辞めればいいってこと。ムーコも結人もこれ以上、お互い関わってもロクなことにならない。だから、関わるのを辞める。簡単なことでしょ?結人が私と一緒に旅してきたときに小さなことを手伝ってあげたけど、今回のはデカすぎる。つまりは分不相応ってこと」
「悪いが、それを辞めるつもりはねえよ。……にゃむ、俺が危険と分かって居ながらもどうしても睦を助けたいと思うのは善意を振りかざしたい。そういうのもあると思う、ただそれ以上に……」
「俺は目の前で苦しんでいるあいつの叫びを消してやりたい。だから、俺はその為にもあいつと向き合って寄り添うって決めたんだ」
寄り添う……。
果たして、そのせいでムーコがどれだけ傷つくことになるのか……。それのせいで、結人自身がどれだけ傷つくことになるのかを何も分かっていない。それでも、結人はこの善意を続けるつもりなんだろう。それが正しいと信じ切れているから。
「それとお前は見捨てろって言いたそうにしているが、矛盾してるな」
「矛盾?私が?」
矛盾と指摘されて、私はイラっと来ていた。
「ああ、俺に睦のことを見捨てたいなら自分の手を震わせることなんてないはずだ。お前のことだから、それは睦に対する恐怖心があってとかそうやって言い返すつもりだろうが、俺にはこう見えてしょうがない」
「本当は睦を放っておけないんだろ?だから、そうやって自分の手の震えよりも俺の忠告を優先し
た」
自分の手を震えに見抜かれたことによって、私は酷く結人のことを睨みながらも嘲笑うようにして視線を向ける。
「あのさぁ、本当に馬鹿なんだね結人って。私が教えてあげたのはムーコはもう誰にも手に負えないほどの奴に成長してる訳。それを沈めることもできる訳もないし、カウンセラーでもないんだから。これで分かった?もう諦めなよ?それとも、正義の味方気取りって気取りって訳?ムーコも私も救おうって訳?本当に笑えるんだけど」
「別にヒーローになるつもりもねえよ。でも……」
「誰かに寄り添って、それで手を取ってあげることは俺には……いや、俺達には出来るはずだ。それに恐怖するな、怯えたりするなとは言わない。それでも、向き合わないと一生前に進めないんだよ」
結人の瞳の奥には、揺るぎない決意があった。
まるで周囲の空気を切り裂くような鋭さ、純粋で真っ直ぐで真面目にそういうことしか考えていないとしか物語っていない眼差しをしている。どうせこうなることはなんとなく分かっていた。結人は警告して聞くような奴じゃないということは……。
一緒に秩父に行ったとき、あいつは馬鹿みたいに人に優しさを振りまいていた。
お年寄りが辛そうにしていたら、引率して荷物を持っているあげることは勿論、子供が温泉施設で退屈そうにしていれば笑わらせてやったりしていた。少なくともこいつの優しさが見返りの為のものじゃないというのは私の目ではっきりと見て来ていたつもりだったから私には本気で結人のことを嘲笑することが出来なかった。
「マジでムーコを救えるなんて馬鹿なこと考えてるわけ?」
「ああ、俺だけじゃねえ。俺達の手で」
「俺達の手でねぇ……」
結人のことを追い掛けていたのは恐らく私だけじゃない。
多分、結人の関係者が監視し続けていた。なにかあったらすぐ出れるようにする為にも……。だから、俺「達」なんて言葉を使っていたんだ。まあ、どうでもいいことでしかない私には……ムーコのことなんて……。
「まあ、やれるだけやってみればいいんじゃない?どうせ……」
「無駄だろうけど……」
昨日のあの震えは未だに止まることはない。
そして、どれだけ結人が助けようとしていても私にはもう本当にどうでもいいことでしかなかった。あの子とはもう関わりたくなかったから……。
『結人を……傷つけた……』
『どうして……?』