作者が曇らせ好きなので、やや曇らせっぽいです。
「ふぁぁ……眠い」
俺は布団の中で、大きく伸びをした。そして、もはや反射的に窓の外を確認する。早朝……か。まだ日が昇ったばかりのようだ。
まだ、不意打ちは可能だろう。
俺は寝巻きを脱いで、乱雑にタンスの中に押しやった。そうしてから、いつも通りぐるぐると上半身に包帯を強く巻いて、その上からいつもの服を着た。
ヤケクソ気味にゆかにぶっ刺さった槍を引き抜き、それを背負うと、俺はちっぽけな家を出た。
「あれが儷だよ、頭のおかしいって噂の……」
「ああ、あれが……。人間には殴りかかってこないよな?」
「それが、帝君や甘雨様たちにばかり殺しにかかるらしい。戦いの時にはきちんと戦いはするらしいが……」
俺は周りがどんどんと道を開けていくのを面白く思いながら、朝食を食べに行くため、財布に入っているモラを取り出した。
ひー、ふー、みー……うーん、足りるが贅沢はできないな。俺の好きなみたらしは、買えそうにない。外国の料理は、基本的に高価だ。
「ん、甘雨様だ」
俺はこの前ダイエット中だ、と言っていた甘雨様を発見した。つい清心を食べ過ぎたらしい。特に太ったようにも見えないが……女性は結構細かいところを気にするらしい。
「甘雨様ー、おはよう死ね」
俺は甘雨様の背後から、槍を構えて全力でついた。あまりの速さにものすごい突風が巻き起こるが、甘雨様はひらりと難なくかわした。
「儷……その、私は良いのですが、帝君にまで仕掛けるのは……よくないと思います」
「うーん、そうだけど、俺帝君を殺したいからなー。魈様にはそう言ったら殺されかけるんだけどさー!」
甘雨様は困った顔をして、えっと、と言ったまま黙りこくった。
俺は、甘雨様や魈様や帝君……とにかく、人外をぶっ殺したい。よく周りからは頭がおかしいと言われるが、俺も頭がおかしいとわかっている。
「ま、俺もまだ死ぬわけにはいかないから、なんとか生き延びてるんだけど、やっぱ魈様って強いよなー。
おっと、それより甘雨様ー。今日もお仕事ー?」
「は、はい。仕事があります」
「忙しいねー。頑張ってー。あ、そうだ。何か奢るよー?」
俺がそんなふうに軽い調子で言っても、逆に甘雨様は訝しげな顔をするだけだ。俺は不意打ち以外で、甘雨様を殺せることはないから、攻撃を仕掛けない。それのせいでよくわからないやつだと思われているらしい。
「け、結構です」
「そうー?」
残念である。みたらしを買える金はないが、人に奢るくらいの金は持ち合わせていたからだ。
俺は甘雨様と別れ、適当にモラミートでも買って頬張った。今日は、残念ながら他の魔神が戦いを仕掛けてきたりはしていないので、暇である。
「……ちぇっ、戦わないとイライラする」
俺はその辺にあった石ころを蹴り飛ばした。石は弾みをつけて、そのまま池の中に落ちていった。
そのまま意外に深い池の中に沈んでいく石を眺めていたら、無意識のうちに池に手を伸ばしていた。まるで深い海のようなそれに、吸い込まれそうになる。
「儷。やめるんだ」
「帝君……おはようございます、死ね」
帝君に声をかけられたので、迷いなく槍で一突きするが、岩元素のバリアによって阻まれ、完璧だと思っていたその一撃は難なく防がれる。
……まるで、人間は所詮人間だと言われているようで、イラッとした。
「儷。今はもう夕方だ。お前がずっと池の前で座っていると報告を受けたから出向いたが……その話は本当だったらしい」
「あー、ほんとですねー。もう夕方じゃん。そろそろ俺帰らないとだめですねー。この感じだと、どうせ明日も戦争ですし?」
「あぁ。今日はやけに周りが静かだ。大きな争いの前は、嫌に静かだと言う。俺の経験上……明日は激しい戦いになるだろう」
帝君にそう言われて、へー、とつまらなさそうな返事を返した。そんな返事と反して、俺の手は馬鹿みたいにぶるぶると震えた。
儷、と帝君が気遣うように言うが、俺はこう返した。
「俺は、契約を守る。帝君は、契約以上は何もしないでいいですよ。気にかけたり、優しくされたら、俺──
もっと、殺したくなっちゃいますよ?」
「そう言う契約だ。問題はないだろう」
問題ない、と言って威厳ある瞳で俺をまっすぐに見つめる帝君。俺は不思議で仕方がなかった。なぜ、俺にこれほど優しくするのか。なぜ、こんな俺を殺さないのか。帝君は優しい方ではあるが、甘い方ではないはずだ。
まぁ、なんにせよ、都合はいい。俺は契約に従うまでだ。
「隙ありー」
俺は槍を振りかぶって、何百人目かの敵を倒した。今回は、甘雨様と同じ場所で戦うように命令が出された。
俺は、水元素の神の目を持っている。俺と甘雨様が組めば、敵を凍結させることができるから、組ませたのだろう。
「甘雨様ー。こっちはやったよー?」
「私の方も、終わりました。えっと、今から、こちらに敵を集中させるために、前線を上げるのはどうですか?」
「そうだなー、俺も賛成。俺が前に出るから、甘雨様は凍らせつつ支援お願い」
俺は頷いてすぐに行動に移した。槍に水元素を纏わせて、戦場を音速で駆け抜ける。その時、敵を何人か水で正確に急所を打ち抜き、殺した。
水は、いつもは柔らかく、溺死と圧死以外で人間を殺すことはない。
けれど、水を細く速く飛ばせば、その威力は鎧に穴を開けるほどになる。
「……ぺっ、口に血が入った」
俺は口に入ってしまった血を、吐き出した。その隙を狙って何人かが攻撃を仕掛けてくるが、難なく全員を殺す。
しかし、おかしい。口に入った血が妙に多い。こんなには言った覚えはないのだが…………。
「うわ、やられた」
俺は、いつのまにか足に突き刺さっていた、毒針らしき針を引き抜いて投げ捨てた。
毒を盛られたらしい。視界がぼやけるし、平衡感覚がおかしい。身体の中もちょっと痛いけど、それでも、戦えはする。
俺はフラフラとしながらも、槍を構えて襲いかかってくる人を殺した。
それでも、通常通りにはいかなかった。いくつかの攻撃が擦り、幾つもの傷口が生まれた。
「儷!」
しかし、急に攻撃が止んだ。歪んだ視界の奥で、甘雨様がこちらへ駆けつけているのを見つけた。
その場に槍を支えにしてかろうじて立っていた俺は、安心してその場にへたり込んだ。
「あーあ、俺、やっぱ弱いなー」
「そ、そんなことは、ないです! 儷は強いと思います。それより、早く傷の手当てを……」
「俺に触らないで。手当なんてしなくていい」
俺は傷口に包帯を巻こうとした甘雨様を、強く止めた。甘雨様は、驚いて動きを止めた。けれど、甘雨様は諦めずに俺の上着を脱がせて、そのまま手当しようとした。
「ダメ! やめて!」
傷口は腕よりも、心臓付近を狙われたから、必然的に服を脱がせないと治療ができない。
必死に叫ぶが、甘雨様は命が一番優先だと考えているらしい。俺の上の服を脱がせた。
「包帯、ですか?」
「…………」
甘雨様に上半身に強く巻き付けてある包帯を見られた。それを不思議そうに取られて、そのまま息を呑まれた。当たり前の反応だった。
「これ……は」
「………………ダメって、いったからね」
何かを抉られた跡が二つ。それが俺の胸にはあった。それは、俺の事情や性別を明らかにしてしまう、証拠でもあった。
甘雨様はそれを見て、大きな瞳をさらに限界まで大きくさせて、驚いた。顔色は、悪い。俺はそんな甘雨様から、気まずげに目を逸らした。
この場に運よく、甘雨様と俺以外の人はいない。他のみんなは、他の味方の治療を行なっているからだ。
「儷、これは、つまり……あなたは……」
「俺は、女だよ。ごめんなさい、それ以上は聞かないで欲しい。他の人にも、言わないで欲しい。
ふふ……わがままだよねー。散々甘雨様に、殺しにかかってるのに」
「そんなことはありません! わがままなんかじゃ、ないです! 私こそ……勝手に脱がせてごめんなさい」
甘雨様は謝りながら、俺の傷口に傷薬を塗って、包帯を撒き直した。優しく人だ。だからこそ、優しくされたら殺したくなる。
いつもなら、優しくしたら殺したくなる、と素直に言うところだが、弱味を握られた今は、そんなことは言えない。
「甘雨様は……優しいね」
俺は、甘雨様にへにゃりと笑いながら、ただ、そう言った。
「あ、あの、儷。今日は一緒に出かけませんか?」
「……あの甘雨様が仕事を休日も休む? それも俺を誘って? え? もしかして俺、幻覚を見てたりする? あと、死ねー」
俺は驚きながら、ライトに槍を振りかぶって攻撃した。甘雨様はいつも通り、難なくかわすと俺の手をぎゅっと握ってきた。
俺は触られたのに驚いて、思わず手を叩いてしまった。
「あ……ご、ごめん。その、わざとじゃ……」
「わ、私こそ、急に触ってごめんなさい」
しーん、と気まずい雰囲気が流れる。しかし甘雨様は、めげることなく、また同じことを言った。
「儷は、今日は誰かと遊んだりだとか、何か用事は……」
「ない……けど、急にどうしたのー? 俺のこと、前まで嫌いだったよねー?」
甘雨様の突然の変わりように、俺は素直にそう尋ねた。
甘雨様は、一瞬だけ気まずそうに黙ったが、素直に言った。
「あなたのことを、もっと知りたいと思ったんです。あなたが、帝君や私たちを殺そうとしてくるのも……きっと何か理由があると、わかりました」
「へー、俺ただの殺人鬼かもしれないじゃん? 自分で言うのもアレだけど、俺変だよー?」
甘雨様は、それでも首を横に振った。──俺のどこが気になるのか、不思議で仕方がない。俺は帝君の部下のくせして殺そうとする、頭のおかしい人間だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「だからこそ、私は自分の目で確かめたいんです!
だから、儷。今日は一緒に出かけませんか?」
「…………はぁぁぁー」
俺は大きなため息をついた。けれど、次は振り払ってしまった甘雨様の手を、恐る恐る握った。
「いいよー、行こうー? 甘雨様がそう言うなんて、珍しいし。
ま、俺に関わっても碌なことなんてないと思うけど……」
だって、殺したくなっちゃうから。その言葉が喉の奥まででかかって、直前で止まった。甘雨様は、嬉しそうに俺の手を握り返した。
そして、数分後、俺はそう答えたことを大きく後悔することになった……。
「おぇ…………苦い」
「清心は、口に合いませんでしたか……」
こんなの、人が食える味じゃねぇ……。俺は清心を根性で飲み込んで、残りをそっと甘雨様に返した。
なんと、甘雨様は自分のおすすめの清心をプレゼントして試食させる、と言うよくわからないことをしてきた。
甘党の俺には中々──いや、かなり厳しい苦さだ。これを好んで食べている甘雨様の味覚は、一体どうなっているのだろうか?
「なんで、こんなのを食べれるのか不思議で仕方がないよ。私とて、わりと野草は食べていたけど、清心はいかにも苦そうだから、やめたくらいだよ? まず、清心はね、苦味成分が多めに含まれているから、ちょっと薬に入っているだけで、苦いんだよ? それなのに、これを好んで食べるとか……意味わからな……。
何? 何か問題で……も……」
甘雨様が、俺が話すたびに目をキラキラとさせている。少ししてから、俺は自分の失態に気づいて口を閉ざした。
せっかく作っていた話し方が、台無しである。
「本当の一人称は、私なんですね? それに、色々と物知りなんですね! 知りませんでした……」
「やらかした……じゃない。気のせいだよー?」
誤魔化してそう言っても、甘雨様は騙されてなんてくれない。俺が黙っていると、甘雨様は清心を食べさせるのは諦めて、次は俺の好きな食べ物を聞いてきた。
「えっと、儷の好きな食べ物は、なんですか? よくモラミートを食べていますが……モラミートが好きなんですか?」
「え。いや、モラミートも、嫌い……じゃないけど」
「そ、そうなんですか? では、好きな食べ物は……」
みたらし……。それが一番好きな食べ物である。あまじょっぱい味に、もちもちとした甘いお餅が、よく合う。けれど、素直に甘党だ、と言うのは恥ずかしいものがある。男のふりをして、いつも甘雨様や帝君に襲いかかっている、俺だからこそ、だ。
「いや……えっと、その………………らし」
「えっと、ごめんなさい、聞き取れませんでした」
小さい声でボソリと呟くが、もちろん聞き取ってくれるわけがなく。
甘雨様の少し困った顔にやられて、俺は仕方がなくもう一度、さっきよりは大きな声で言った。
「みたらし……が好き。一番」
俺がそう言うと、甘雨様は分かりやすく顔を明るくさせて、次はみたらしの店まで連れて行ってくれた。
俺はそこで、みたらしをお腹いっぱいになるまで食べさせられた。
「儷、今日も一緒に出かけませんか?」
「俺が断れないって知ってるくせに……。あとついでに死ねー」
俺の性別がバレてから一年ほど経つ。
あれから、毎回毎回……甘雨様は休みの日のたび俺を誘ってくるようになった。
俺が槍でまたいつも通りに殺そうとするが、甘雨様は軽くあしらった。……なんか、甘雨様俺の攻撃避けるの上手くなってない?
「儷は、どこに行きたいですか?」
「俺……? 俺は……」
初めて、行きたいところを聞かれた気がする。
考えていたらふと、甘雨様の髪に目が止まった。あの角に髪飾りをつけたら、さぞかし可愛らしいことだろう、と思った。
「一緒に、買い物に……」
そう言いかけた、その時。ものすごい轟音が鳴り響いた。
戦場慣れしている俺と甘雨様は、目を合わせると、すぐに武器を構えて、音がした方向に駆けつけた。
そこには、たくさんの敵がいて、帝君や魈様などの仙人たちがみんなを守るために戦っていた。
俺は迷いなく、遠距離から鋭い水の針を飛ばし、敵を殺した。
「帝君、一体何が……!?」
「住民に内通者が居た。その内通者が敵を誘い込み、家の一部を爆破した。それが、さっきの轟音だ」
「なるほどー。じゃ、サクッと殺しましょうかー」
俺は遠距離から近距離へ切り替えて、槍を握った。そしてそのまま勢いよく襲いかかった。
──今、俺の顔はさぞかし恐ろしい顔をしていることだろう。
「ひひ…………」
意味のわからない、不気味な笑いが口から漏れ出る。
敵が俺の顔を見た途端に後退していった。
「俺は、もっともっと……神を殺せるくらいに、つよくなってやる……!」
俺は、本能のままに、敵を虐殺した。
「う…………」
俺は、頭を抱えながら、胃の中のものを吐き出した。
自分が、気持ち悪い。頭のおかしい自分が、時々殺戮本能を制御出来なくなる自分が、何より恐ろしい。
契約だけじゃ、足りない。帝君との契約の内容だけでは、いつか暴走してしまう。
「もし……甘雨様を、殺してしまったら……」
「儷。忘れ物をしたので、取りに来たのですが……居ますか?」
甘雨様のことを思い浮かべていたら、本物が忘れ物を取りにやってきた。忘れ物とはなんだろうと、殺風景な部屋を見渡すと、ぽつんと甘雨様の鞄が置いてあった。
俺は慌てて鞄を持って、家のドアを開けた。
「甘雨様、ごめんねー。忘れてたこと、気づかなかったよ」
「そう……ですか。その、顔色が悪いです。何か、あったんですか?」
甘雨様が察しよくそう聞いてくる。俺は誤魔化そうと何かを言おうとするが、こんな時に限って、何も声に出なかった。
ただ、口を一度開いた後に閉じただけ。甘雨様は、決意のこもった瞳で、私のことを見つめた。
「もしよければ、相談してください。私は、あなたの力になりたいんです」
「私……は」
俺は、そんな甘雨様の真剣な瞳に押された。このまま誤魔化すのはよくないと……そう思った。
それでも、人間不信の塊のような俺は、すぐに相談することができなかった。
「私は、甘雨様と話すのも烏滸がましいような、汚れた人間だよ。それこそ、人間というより、化け物と呼ぶのが正しいような存在だ。
そんな私だけど……嫌いに、ならない?」
「どんなことがあっても、私があなたを嫌いになることはありません」
甘雨様は、そうはっきりと断言した。私は甘雨様のその言葉のおかげで、次は悩み事を相談しようとはっきり決められた。
「甘雨様、私が帝君と交わした契約を知っている?」
「知りません……。どんな契約、ですか?」
私はなんてことないように、言う。
「帝君を一日一回殺しにかかっていい代わりに、住民には手を出さずに帝君に協力するって契約だよ。
私は強くなりたい。だから、この契約を結んだ。誰にも負けないくらい、強くなるために」
「どうして、ですか?」
甘雨様にそう尋ねられ、私は真実を口にするのを躊躇した。けれど、甘雨様の目を見ると、誤魔化すなんて選択肢は、自然と脳内から消え失せていた。
「俺は、五年前からおかしくなったんだよ」
私が五年前────十歳だったとき。俺は全てを失った。
俺の父親は、育児放棄をしていて、俺は母親だけに育てられたようなものだった。母親は医者をしていて、そのせいで忙しかったけど、良い人だった。俺は、十歳までは曲がらずに育っていたと思う。
けれど、十歳になると、俺の父親は、俺に嫌な目を向けるようになった。
……まぁ、直球にいえば、俺を恋愛対象として見始めた。十歳になると、俺は身長も伸び始めたし、体つきも女子らしくなった。顔だって、そこそこ可愛かったと自分でも思う。
そんな俺を見て、父親はある日────俺を、犯した。
俺は、私の全てを奪われたとき、父親に猛烈な憎悪を抱いた。その時に神の目を授かり、俺は父親を殺した。
それから、父親を殺してからは、俺は全ての人間が怖くなった。
俺を犯すんじゃないか……そんな考えが脳内にこびり付いて、誰にも心を開けなかった。母親にすら、犯されたことは言えなかった。
でもある日、唐突に思いついたんだ。
全員、俺より弱かったら、俺はあんな惨めな気持ちを味わうことはない、と。
俺は自分の女性らしいところを抉って無理矢理無くした。物理的なものもそうだし、精神的なものもそうだ。
そして、母親に無言で家を出て、このあたりで一番強い帝君を、殺そうとした。でも、帝君は強いから手も足も出なかった。
それなのに、帝君は俺と契約をしてほしい、と言ってきた。それが、さっき話した契約のことだ。
そして俺は、帝君と契約をした。甘雨様たちとは比べ物にならないくらい、醜い理由で。
「ね、汚れてるでしょ? ごめんねー、こんな話をして」
「それが、私たちを殺そうとする理由、ですか?
儷。どうしてそれが、汚れているんですか? あなたは、何も悪くないです。だから、そんなふうに自分を責めるのは、やめてください!」
甘雨様の目には、涙が浮かんでいた。どうして泣いているのか、理解できない。俺は、悪いことを言ってしまったのだろうか? 慌てて、俺は言葉を付け足す。
「ご、ごめんなさい。泣かせて。でも、今はそのために甘雨様を殺しにかかってるわけじゃないよ。俺は、甘雨様より弱いけど、甘雨様を信用してるから。
だから、ありがとう。私にたくさん話しかけてくれて。甘雨様のおかげで、私は人を信用することが、できたから」
甘雨様はぽろぽろと涙を溢した。そして、俺の目にも自然と涙が浮かんで、ただ一粒だけ流れた。
流れた涙に触れて、呆然とする。
泣いたのなんて、いつぶりだろうか、と。犯されたとき、俺は泣いた。俺が泣くと、父親は大層喜んだ。その時に、泣くのは弱者の証だと思った。
次の日から、俺は泣かなくなった。弱かったら、また惨めな目に遭うのだから。
けれど、久しぶりに流した涙はひんやりとしているのに、こころがぽかぽかほかほかあったかくなった。その感覚は、嫌なものではなかった。それどころか、ひどく心地よいものだった。
そう思えたのも、甘雨様のおかげだ。
けれど、その日から、俺は恐ろしい夢を見るようになった。
「甘雨様、俺を置いていかないで……!」
「でも、あなたは人間です。寿命差がありすぎます」
夢の中で、俺の寿命がどんどんと縮んで、やがて年寄りの姿へと変化する。そして、変わらない姿の甘雨様は俺を置き去りにして、そのまま人生を歩んでいく。
最初は夢だ、と言い聞かせていたけれど。
甘雨様と仲がよくなるほど、その夢を現実のように感じてしまうことが、増えていく。
その夢を一度見るだけならまだしも、毎日見ていると、流石に俺も怖くなっていった。
「儷、ここの店はどうでしたか……? その、美味しかったでしょうか?」
「……」
そして、俺はとうとう甘雨様と出会うたびに、その夢を思い出すようになった。
「儷……?」
「あ、ごめんなさい、ぼーっとしてたー。そうだね、美味しかったよー?」
「儷。何か、また悩み事があったら、言ってください。私でよければ……力になりますから!」
甘雨様の言葉に、またこころを動かされる。俺は、甘雨様に小さな声で打ち明けた。それこそ、通行人には聞こえないくらいの、小さな声で。
「甘雨様。──俺、さ。甘雨様を殺したくなっちゃうんだ。頭、おかしいよね。甘雨様のこと、信用してるって言ったばっかりなのに」
甘雨様は、驚いた顔で固まったが、すぐに俺の手を引いて、どこかへ歩き出した。今度は俺が驚いて、そのまま甘雨様について行った。
甘雨様が連れて行った場所は、人が誰もいない荒地だった。建物もなく、広い草花が地面に広がっていた。
「儷、それなら、手合わせをしませんか? えっと、帝君が人間は時々喧嘩をするから、仲が良くなると言っていたので」
「それ、ちょっと意味が違う気がするけど……。でも、分かった」
甘雨様が弓を構える。俺は槍に水元素を纏わせ、いつも通りに勢いよく間合いを詰めた。全力の一撃は甘雨様に防がれ、それどころか氷元素で作られた花によってダメージを入れられた。
悔しい。俺は、殺せるように毎日毎日練習をした。頭の中で立ち回りだって考えていた。
それなのに、本物はこんなにも強く、戦い方まで美しい。
「殺し……たい!」
俺はその一つの感情で、頭がいっぱいになった。甘雨様は、突然猛攻になった俺の攻撃を交わしながら、隙をついて弓を放ってくる。
近距離の方が有利なはずだ。それなのに、手も足も出ない。
「儷。あなたは、優しい……ですね」
「なんで……なんで、敵わないの? 俺の計算では、一撃くらいは入れられたはず、なのに」
俺が絶望感のあまり、立ちすくんでいると、甘雨様は優しく笑った。
「最近、私への儷の攻撃は、前ほどの鋭さがない……
だから、あなたはもう、私を殺せません」
「……いや、だ」
俺はそう断言され、首をゆるゆると横に振った。
「だって、殺さないと、私また一人になっちゃうよ。
甘雨様より、ずっとずっと早く死んじゃう。それは、嫌だ。それなら、甘雨様を殺して私も死ねば、一人じゃないって、思って……」
そんなの、馬鹿馬鹿しくて幼い考えだとわかっている。けれど、私はひとりぼっちで死ぬのは嫌だった。
本当に、自己中心的な考えが抜けない。俺はそんな自分が大嫌いだ。
「一人じゃ、ないです。私は、いつだってあなたの友達です」
甘雨様は、立ちすくんでいた私の手を取った。
まるで、最初に出かけようと誘ってくれたときのように。
俺の心は、そうしてくれるだけで、自然とふんわりと温かくなった。
そして、それから怖い夢を見ることはなくなった。
「甘雨様、買い物に行こう! 昨日、甘雨様にぴったりの清心の髪飾りを見つけて……ちょっと、そんなに期待されても困るなー」
「甘雨様ー、今日は何をするー? 俺は最近、腰をやられてるからそんなに動かないところがいいなー」
「甘雨様、家まで来てもらってごめんねー。足がうまく動かなくて……あ、いや、気にしなくていいからね」
「甘雨様、そんなに急いで来なくても……。大丈夫だよー、まだ死ぬことはないから。本当だってば」
「甘雨様……、お見舞いに来てくれて、ありがとう。見取りに来てくれたの?」
何度も何度も、歳を重ねた。数えるのも面倒なほどに、俺は甘雨様と会って、遊んだ。楽しかったなぁ……。家出してよかったって、心から思えるよ。
だからさ、そんなに泣かないでよ、甘雨様。
「人間の寿命って、早い……ですね」
「そうだね。甘雨様や帝君に襲いかかっていたあの時が、今のように感じるよ」
しわしわになった手をそっと甘雨様の手に重ねた。俺は人間のくせに、四十歳くらいまで前線で戦い続けた。そのせいで、腰は悪いし膝も悪い。けれど、体力はついてくれたのか、ここまで生きることができた。
けれど、もうそろそろ限界だ。
「良い……人生だったよ。俺には勿体無いくらいだった」
「そんな……もう死ぬみたいに、言わないでください」
「いや──そろそろ死ぬよ。自分が一番分かるからね」
俺がそう言うと、やはり甘雨様は泣きながら俺の手を握った。
俺の目から涙が出ることはない。ただ──満足感や懐かしさで、こころがいっぱいだった。
「儷、お願いがあります」
「何かな?」
甘雨様は、少し恥ずかしそうに頬を染めた。けれど、勇気を振り絞っているのがよく分かる仕草で、言った。
「わ、私のことを、甘雨と呼んでください。様、なんて要りません」
「……え。──────ふふふ、今頃だね」
俺は驚いて固まってから、面白くなって笑い出した。甘雨様──いや、甘雨はむっとした表情をしたが、俺が笑ったことが何よりも、嬉しそうだった。
「ありがとう、甘雨。私の親友」
私はだんだんとぼんやりしていく意識の中、最後にそう、つぶやいた。
読了ありがとうございました!