ビリビリ系元公爵令嬢(たぶん悪役)   作:激辛党

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ノブレスオブリージュ

「いいか、リラ」

 

 父さまは静かに、しかし激憤に満ちた声で言った。

 

「二度とあのような失態を演じるな。なかんずく、社交の場では」

 

「重ね重ね、申し訳ございませんでしたわ。ご諫言、しかと承りました。以降は――」

 

 少女がまだ言い終わらないうちに、父さまの右手がしなった。

骨同士のぶつかる鈍い音。本日二度目となる殴打は、一度目のそれを更に上回る勢いが乗っていた。

 

灰色の冷たい床を、肌着姿の少女が滑る。

天井のランプが、あちこちに散る青痣や、鞭に打たれた傷を照らした。傷跡となった古いものから、つい最近できた真新しいものまで、大小様々の模様は、さながら趣味の悪い抽象画のようだった。

 

「諫言とは下の者が、上に対して発言する際に用いる表現だ。今の状況にそぐわない。あえて言い換えるなら、訓戒だろう。

古風な熟語をただ使えばいいと思っているのか? テルミスヌの名を背負いながら、貧相な知性をひけらかすなど、万死に値する」

 

「もうしっ」

 

 横たわった体勢のまま、口を開こうとした少女だったが、途中で不自然に声が途切れた。少女本人としても、これは意図しない挙動だったらしく、不思議そうに口元に手をやる。

 

 そこはべっとりと鮮血で濡れそぼっていた。喋っている途中で殴打を喰らったために、舌を強く噛んだのだ。

 赤いペンキ缶に漬けたようになった右手を、しばらく呆然と少女は眺める。その間にも、口元からはだくだくと液体が流れていた。

 

 少女は泣き声も上げず、表情も歪めない。どちらかというと、指示に従わない己の舌に、憤懣やるかたない――そういった風だった。

 

「今晩のところは休ませましょう。いかに覚醒体とはいえ、これ以上体力を消耗させるのはお勧めできません。

感染症にでも罹って死ねば、これまでの投資が全て無に帰します」

 

 四方を灰色に包まれた、窓の無い地下室。その隅に控えていた、燕尾服の使用人が父さまの元へ駆け寄り、小声に忠言した。

 

「そのようだな。いまだ起き上がれんとは、情けない」

 

 父さまが使用人に目配せをすると、彼はそそくさと少女のもとへ向かい、屈みこんだ。と思いきや、懐から注射器を取り出し、何の説明も猶予も取らず、少女の腕へ射し入れる。

 

 シリンダー内に満たされた薄黄色の溶液が、全てその体内に注ぎ込まれると、少女は糸が切れたように仰向けに倒れた。

 両目のまぶたはぱっちり開いたままだったが、青い瞳の焦点は結ばれていなかった。ゆらゆらと不規則に揺れている。

 

「寝室へ連れていきます」

 

 三十代ほどの男性使用人は、少女の身体を危なげなく背負い上げ、部屋から出て行こうとする。

 

「いや、待て」

 

 その後ろから、父さまが呼び止めた。地下室の端に置いてある、簡易ベッドを指さす。

 

「もののついでだ。現段階での成長具合が見たい。そこへ寝かせろ」

 

「承知いたしました」

 

 指示通り、使用人が少女をベッドへ置く。

彼の隣へ並んで立ち、父さまは傷だらけの少女の身体を見降ろした。

 

「肉体年齢はどのくらいに見える?」

 

「十二……十三といったところが、一般的な見解でしょうか。第二次性徴を終えた頃です。実年齢はご存じの通り八歳ですので、普通のにんげ――失礼、平民とかけ離れた身体の持ち主であることは、誰の目からしても明白です」

 

「うむ」

 

 使用人の回答は、父さまにとって十分納得のいくものだったようだ。常のごとく険しい顔に、笑みが兆した。

「また、記憶力や判断力に関しても、平均を大幅に上回る試験結果が得られています。識字、読解についても同様で、まだ試してはいませんが、第二第三の言語についても、より速やかな習熟があるものと予想されます」

 

「いや、多言語学習はまだ止めておけ。お前も先のやり取りを聞いていただろう、これの発話は今のところ、まだ猿真似に過ぎない。

 敬意の対象も掴めぬ愚か者が、外交など片腹痛いわ」

 

「は。差し出がましいことを申したようで」

 

 使用人の顔が面白いほどに青ざめる。まさか自分も、主の鉄拳制裁を喰らうのか、とでも考えたのだろう。

 そういった部下の心境を察し、父さまは「構わん」と鷹揚に言った。

 

「企図していることがあるなら、気兼ねなく口にしろ。最終的な裁断こそ私が行うが、提案はむしろお前たちの務めだ。

 そうでなくては、この壮大な計画は決して立ち行かん。テルミヌスの名に相応しき結果を得るには、私一人の力はいかんせん寡少に過ぎる」

 

「勿体なきお言葉でございます。……して、一つお耳に入れたいことが」

 

「なんだ、申してみよ」

 

「公爵様のご命令通り、ブライト子爵の血統について調べさせましたが、その結果が既に出ております。お聞きになりますか」

 

「早いな」 父さまにしては珍しく、感情を露わに驚いた。「ほんの数刻前に出した指示だぞ」

 

「国内に現存する貴顕血統(きけんけっとう)は既に、徹底的に図鑑へまとめてありますから。その索引を用いただけのことです。どうして余計な時間が掛かりましょうや。

 肝心の中身の方ですが……お喜びください、良縁です」

 

「なに? それは本当か。子爵以下の階級は、組み合わせ候補にまだ含めるな、と命じてあったと思うが」

 

「ええ。おっしゃる通り、交配そのものは、いぜん一例も実践しておりません。ですが、計算上の因子濃度は91と圧倒的な値が出ております」

 

「ほう」

 

 父さまは顎にたっぷりと蓄えた髭をしきりにさすった。

 

「91とな。それほどの数値はかつて聞いたことも無い。……このリ号で、79だったか?

お前がこれぞ過去最高傑作とのたまうから、公爵令嬢として迎えてやったが。それすら上回ると」

 

「はい、それはもう!」

 

 興奮した顔で、使用人は首を縦に振った。

 

「70台を突破した覚醒体は、おおむねパーティキュレータを顕現すると見て良いでしょう。73の検体では粒子分離、78では粒子共振を生じさせました。

 まだ確定はしておりませんが、リ号検体が行っているのは荷電した粒子の放出と思われます。非常に応用性に富んだ、まさしく君主が持つに相応しいパーティキュレータでございます」

 

「学者によれば、荷電粒子を用いれば金属片を音速以上まで加速できるとのことだったな。どれほどの威力となるか想像もつかんが、火薬銃とは比べるべくもあるまい。

 しかるに、91ではどうなる? 予測は立っているのだろう?」

 

「それは……」

 

 ここにきて、淀みなく流れていた使用人の説明が滞った。彼は少々、視線を漂わせた後、もごもごとした口調で言う。

 

「実のところ、パーティキュレータそのものは遺伝因子に含まれないようなのです。先に挙げた粒子分離を持った検体を交配させても、その性質は子に全く遺伝しませんでした。

そのため、仮にリ号を交配に使ったとして、その子孫に荷電粒子が顕現するとは限りません。結果がどうなるかについては、誠に申し訳ございませんが、現段階では未知数としか……」

 

 恐縮しきった様子の使用人に、果たして父さまは唇の端を僅か、吊り上げた。

「未知でけっこう。なかなかどうして、興味深い」

 獲物を前にした、どう猛な肉食獣の表情だった。

 

「どだい、この計画において、余人の推論通りに事が運んだ試しがあっただろうか。

 覚醒体も、パーティキュレータも全て、我々の立てた仮説の埒外にて、遭遇した概念だ。卑屈な言い方をあえてするなら、しょせんは偶然の産物よ。

天のよみしたもう、奇跡の御業と呼んでもいい」

 

 あたかも祭壇の前で祈りの文言を捧げるように、父さまは言った。

 いまだベッドの上で、昏々と眠る少女の頬に腕を伸ばすと、その頬を撫ぜる。

 

「ゆえに、私はこれを運命であると受け止めた。度重なった有り得ざる幸運は、為すべきことを為せという、お告げなのだ。

 鳥も魚も獅子であっても、生まれながらにして、己が宿命を果たすべき力と技を持つ。

 ゆえに力と技を持つ者は、鳥であり、魚であり、獅子であらねばならん。

 ならば我らはどうあるべきだ? これほどまでの成果を手にしておきながら、座して世の盛衰を見守るが使命か?」

 

「いいえ違います」

 

 阿吽の呼吸で、使用人が相槌を打った。

 

「パーティキュレータは人を従え、導く力そのものでございます。であるならば、彼は君主となりましょう」

 

 父さまはその答えに満足し、久々に腹の底から笑い声をあげる。

 それが耳にうるさくて、少しだけ少女の意識は浮上する。

 子爵という爵位名、ブライトの家名、良縁という評価……いくつかのキーワードが脳裏を過ぎる。

そうして、次回、自分が命じられるだろう指示の内容をおおよそ把握する。

 舞踏会で知り合った、ジェパード・ブライト卿の顔を思い出す。いかにも良家の子息といった風貌の、純朴な少年だった。

 

 三回……いや、二回も会えば十分だ。上手くやったら、一回でも済ませられる。少なくとも、素手で銃弾を発火させるより容易いのは間違いない。

アレは射出方向を誤ると、自分を撃ち抜くことになるから、少女が最も嫌悪する訓練の一つだった。何度、手足に穴を開けたか知れない。

 

 順調に事を進めれば、父さまはきっと今以上に満足される。もしかしたら、日に殴る回数も減るかもしれない。注射だって、その必要が無くなれば打たれなくなるだろう。

 

 少女にとって、これは非常な朗報だった。時と場合によっては小躍りするくらい。今は鎮静剤の効果で指一本すら動かせない有様なのが、憎たらしかった。

 

 だけど、なぜだろうか。下手くそな敬語の、ぎこちない挨拶が何度も繰り返し思い起こされる。

気付けばそこにあった鈍痛は、胸の奥を刺すようで、とても気持ちが悪くなった。

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