フライアが不時着したのは、司令基地から遠く離れた寒村だった。
人口、数千にも満たないほどに過疎と貧困の進んだ地域で、家屋の影はまばら。
住人はもっぱら農業で生活を営み、他地域との交流と言えば、行商人の行き交いがせいぜい。
その農地にしても多くが放棄され、ただの荒地と化してしまっている。度重なる凶作や、かつての王権が課した重税……といった種々の事由はあるが、主たる原因は別にある。
畑を耕す者がいなくなったのは、革命政権が打ち出した施策によるものだ。
彼らはエルヴァンディアの主要産業を、農業から重工業に転換すべきと主張し、大胆な法制改革を断行した。
同じ労働者でも、農村よりも工場で働く方が税制面、給与面で圧倒的に優遇される。
加えて、天候に成果を大きく左右される農業と違い、工業では毎期確実に、決まった賃金が支給される。
こうなると、地方の農民たちが都市部へ流出するのは極めて自然な成り行きで、この村も例に漏れなかった。
村に残った少数の例外は、先祖代々継いできた地を守ろうとする帰属意識の強い者か、あるいは流行りの概念を一切受け付けない、思想の凝り固まった中高年くらい。
空き家をフライアに貸し出したのは、ちょうどその二つに該当する老夫婦だった。
少々手狭な印象のある平屋は、息子とその嫁が暮らしていた家だったという。現在はどちらも揃って都市へ出稼ぎに行ったそうだが、ベッドや机といった家具はそのまま残してあった。
なんでも、故郷を去る際に息子らは「十分、金を貯えたらすぐにも帰ってくる」と言っていたそうだ。
これを頑なに信じ、老夫婦は今でも欠かさずに空き家の手入れをしているのだと。
「だども、たまにゃあ、人に使ってもらわねぇと、家も家財も錆びちまうでな。通りがかった旅人さんらに、よお貸し出しとるのよ」
「それはたいへん、結構ですこと。なにぶん道中を急ぐあまりに、野宿の用意が無いものでしたから、とても助かりましたわ。……して、お値段の方はおいくらに?」
恐る恐る大尉が切り出してみると、あにはからんや、老爺は黄ばんだ前歯を覗かせて大声で笑った。
「いやいや、もう十分もらっとる。あのケッタイな髪をしたお嬢さんからな。これ以上はご近所さんにやっかまれるんで、勘弁してつかぁさい」
老爺はしきりに礼を述べ、しまいには「好きなだけ泊まっていけばいい」とまで口にした。おまけにパンと新鮮な野菜の入ったバスケットまで押し付けられる。
それを両手に抱えて、えっちらおっちらと例の貸家まで戻った大尉は、すぐさま下手人の確保に取り掛かった。
すなわち、ベッドで行儀悪く寝っ転がっているリバイブの首根っこをひっ捕まえて怒鳴った。
「リバイブ! あなたまさか、農村の貨幣経済にインフレ危機をもたらしてはいませんわよね」
「ちょっと、帰ってくるなり激しいわ姉さま。ま、そういうのもたまには悪くないけれど。むしろ好きな方ではあるけれども」
「茶化さないでくださいまし。いったい何をあのご老人方に、宿泊費として差し上げたのです? 金銀財宝の山とかじゃありませんわよね」
「そんなわけないじゃない。こんな片田舎の農民が、ぴかぴかの金貨を何枚も持ってたら、盗賊団扱いのうえ焼き討ちよ。私だって、そのくらい弁えてるわ」
ばたばたと大尉の腕の中で、若干楽しそうに暴れていたリバイブは、やがて諦めたようにくたっと身体から力を抜いた。そのまま、大尉にしな垂れかかってくる。
長時間、毛布にくるまっていたと思しき少女の身体は、いやに熱ぼったく、大尉は「暑苦しい!」の一喝と共に、彼女を椅子の上へと引き剥がした。
ただでさえ前の一件から、フライアから二人へと向けられる視線が鋭さを増しているというのに、これ以上ことを悪化させるわけにはいかない。
「牛よ、牛。あのもーもー言うやつ。一頭ヨボったのがいたから、新品にした後、五頭に増やしてあげたの。入れ歯を落っことすくらい喜んでくれたわ」
「あなたね……。それはもっと不味いでしょう」
どう考えても、超常現象以外の何物でもない。しかしリバイブはどこ吹く風だ。
「そうだったかしら? こういう労働力の足らない村では一番の贈り物だと思ったのだけど。何なら、消えちゃった息子夫婦とやらを増やしてあげた方が良かった?」
いたずらっぽく笑うリバイブ。冗談めかしているが、その目は本気だった。仮に老夫婦がその願いを口にしたなら、彼女は躊躇せずに実行するだろう。そう信じるに足る、真剣みがあった。
判断はただちに行動と連結した。狭い室内に、鋭い破裂音がこだまする。大尉の右手が、リバイブの頬を張り飛ばした音。
「止めなさい。物ならともかく、命を軽んじることはわたくしが許しませんわ」
「へっ……」
あの鉄蓋を、一人で持ち上げ切った女が放つ平手だ。みるみるうちに、リバイブの頬が、リンゴさながらに腫れて膨れ上がる。
「で、でへ……へ」
その程度の外傷ならば、息を吸うように戻せるだろうに、そうしない。痛みとは真反対の感覚を味わっているように、リバイブは口元を下品に緩めた。
「……申し訳ありませんわ。ちょっと手が過ぎました。少し、頭を冷やしてまいります」
堪らなくなって、大尉はそっと身体を離すと――離してくれなかったので、乱暴に身体を突き飛ばすと――家の玄関から外へと出た。
そのまま早歩きに、前方へまっすぐ伸びる農道を行く。特に行く当てはない。ただ、リバイブと同じ空間にいたくなかっただけ。
幸い、その目論見は叶い、後ろから追ってくる気配は無かった。
黙々と両脚を前へと進ませながら、ふと己の右腕に視線をやる。ついさっき、リバイブに暴行を加えた腕だ。
指の爪が食い込むほど、キツく握りしめた。
すると案の定、頭の中ににっくき父――ガルシア・ラ・テルミヌス公爵の顔が蘇った。
何度謝っても、願い出ても、成果を上げても、冷徹に幼い自分を殴り続けた、男の顔が。
吐き気がするほど気持ちが悪い。あの男と直接の血縁関係にあるという事実が、どうしようもなく悍ましい。
だがなによりも、身をもってそれを証明し続けていることが、最もいやだ。
あれだけ嫌い、二度と味わいたくないと思ったはずの暴力から、なぜだか全く逃げ出せない。足掻くほど食い込む鎖のように、あるいは底なし沼に沈むように、より遠ざけようとすればするほど、逆に事態が悪化する。
ではどうすれば解放されるのか。何をどうすれば、この右手を振るわずとも良くなるのか。
「バカみたいですわね……」
たまらず、自嘲した。これまで自分がやってきたのは、それとは完全に逆向きの努力ばかりだ。
「たいいー」
狙いすましたかのようなタイミングで、頭上から呑気な声が降ってきた。視線を上げれば、そこには長髪を風になびかせる、少女の姿。
ふわりふわりと木の葉のように気ままな動きで落ちてくる。
「大尉、命令された哨戒任務、終わったよ。ひとまず隣の街まで見てきたけど、軍関係の車両は見つからなかった」
「よろしい。他に何か、気になったものは?」
フライアは大尉のすぐ前に着陸すると、右手を掲げ、額の横へかざした。どうやら敬礼の真似事らしい。
しかし残念なことに、特務隊の面々は正式な訓練を一切受けていないため、指先の曲げ方や角度など、細部に誤りが見受けられる。
厳しい上官なら、即座に叱責を飛ばすところ、大尉は黙って流した。彼女らが他の軍人と行動を共にすることは未来永劫、決してあってはならない。ならばどうして、形ばかりの礼儀にこだわる必要があるだろう。
「ううん、特にはなんにも。強いて言うなら、ここらがホントにド田舎なんだなって、実感したくらい? けっこう色んなとこ見て回ったけど、軍人どころかそもそも人があんまりいなかった」
「地理的に見て、国境に近い地域でもありますしね。貧しい上に、戦に巻き込まれる危険度も高いとなれば、人々が去るのも頷けますわ。
ま、そういった考察はさして重要ではなくって」
大尉がいったん言葉を切ると、フライアは以心伝心で先を続けた。
「大事なのは、これからどうするかってことだよね。分かってる。
ね、大尉。私から一つ、提案があるんだけど」
ほう、と大尉は目を細めた。
珍しいこともあるものだ。フライアが見た目の割に、頭の回転が速い方であることは薄々察していたが、自ら意見しようとするのはこれが初めてかもしれない。
がぜん興味を惹かれ、腰を屈めて彼女に目線を合わせようとする。が、それに先んじてフライアの足が地面から離れ、あべこべに向こうから合わせてきた。
「大尉、亡命しようよ」
その一言に、ますます驚かされた。立った姿勢を保ったままで正解だった。変にしゃがんでいれば、無様にも尻餅をついていたかもしれない。
「あなた、その単語の意味、本当に分かっていますの?」
「当たり前でしょ。有名だもん。前にいた王だの貴族だのがやろうとしてたことだよね。パパもママも、隣の家のおばさんも言ってたから」
となると、それは確実に悪い文脈で出てきたはずだ。にもかかわらず、フライアは自分たちに当てはめようとしているらしい。
驚愕を通り越して、不気味なものを感じた。
「フライア。とりあえず、場所を移しましょう。こんな公衆の往来でする話ではありませんわね」
「ん、いいよ」
了承と同時に、大尉の足までもが浮き上がった。
まずい、と次に訪れる展開を察したが、時すでに遅し。重力は裏返り、天と地が入れ替わる。
一瞬にして、二人は上空へと移動した。足元から見える視界には、粒のように小さくなった村の家々。現在、寝泊りしている貸家もその中にある。
反対に、距離が狭まった灰色の雲は、巨大な戦艦のような圧迫感に満ちていた。
「ここなら誰にも、リバイブにだって盗み聞きされないよ」
それは全くその通りだ。大抵なんでもできるリバイブも、空は飛べない。
そういった観点に立つなら、なるほど上空は究極の防音室であるとも言える。
いかなる機器を用いても、ここでの会話を盗聴することは絶対に不可能だ。
大尉は諦めたように肩をすくめると、「それで」と話を主題へ戻した。
「正しく亡命の意味を理解しているなら、そうするに足る動機をまずは教えていただけますこと? なにせ軍を裏切り、国を見捨てる一大事ですわ。そんじょそこらの決心では、到底追いつきませんわよ」
「動機? そんなの決まってる」
フライアはさも、なんて事の無いように答えた。
「この国にいたって、大尉は幸せになれないよ。ここにいる連中はみんな、大尉を苦しめる奴らばっかり。あんなのほっといて、さっさとどこか安全なとこに逃げるべき」
「あなた」
遮るものの無い上空では、吹き付ける風はより強く、より冷たい。しかし、背筋に覚えた寒気はそれだけが原因では無かった。
「誰から聞きました?」
「誰から? おっかしいの。誰でも知ってるよ。基地にいるなら、誰でもね。むしろ知らない人がいるとすれば、それこそ大尉だけなんじゃない?
みんなとっくに気づいてるんだよ。大尉が特務隊を存続させるため、何でもかんでも売ってるってことくらい」
「リバイブですか」
話の流れを無視し、大尉はその名前を出した。
「あいつが口を滑らせやがりましたの?」 隠しきれない怒りが声に、口調に滲み出る。
「んー。まぁ、そうなんだけど、そうじゃないよね。そのリバイブだって、結局は基地の誰かから伝え聞いてるわけだし。だから、やっぱりみんなだよ。
私、聞いちゃったんだ。訓練してる兵士のみんなが、陰で大尉のことなんて呼んでるか。……ここでそれ、言った方がいい? 一言一句正確に唱えられるよ」
一度、深呼吸した。ゆっくり吸って、吐く。季節はもう夏に近い頃だったが、高みにある空気はひんやりとしていて、思考が澄み渡るようだった。
「亡命の可否についてですが」
再び会話の流れを切って、大尉は言った。こうなるともう、第三者からは二人の対話は全く嚙み合っていないようにすら聞こえただろう。
だが、実際には違う。これ以上無いくらいぴったり嵌まっている。
なぜならフライアにとって『大尉が話を合わせなかった』事が、なによりの答えであるからだ。
「わたくしはそのような卑怯な真似はいたしませんわ。エルヴァンディア軍に仕える一兵士として、最後まで誠心誠意、お国のために励みます」
「そこまで嘘くさいセリフ、よく平気な顔で言えるよね。たぶんアクセルが聞いたら大笑いするよ」
「失敬な。誓って嘘ではありませんわ」 あまりにフライアからの視線が冷たいので、小声で付け足した。「……少なくとも、亡命しないという点については」
「どうしても?」 「どうしても、ですわ」
「ホントのホントに、何があっても?」 「絶対確実に間違いなく、決してですわ」
「それこそ天地がひっくり返っても?」 「ひっくり返っている最中でしょう。無理ですわ」
「どうしてもって言うならさ」
出し抜けにフライアは全く別人のような、淡々とした声色で言った。
「この国の偉い人たち、皆殺しにしてもいい?」
「そのようなこと、あなたにできるはずありません」
「いいや、できる。大尉が許してくれるなら、今すぐにでも。
あの腐り切ったゴミカス連中をみんなまとめて、ぺしゃんこにしてあげる。骨どころか血の一滴も残さないくらい圧縮する。一秒だって掛からない」
聞くも恐ろしい表現を口にしながら、少女は戯れに手を曇り空へ向かって伸ばした。
「フライアって、大尉がつけてくれたコードネーム。私、大好きだよ。可愛いし、呼びやすいし、なによりすごく誤解しやすいから。
飛んだり跳ねたりなんて結局……副作用って言うの? おまけみたいなものだから」
「ならば、真意をぜひ読み取っていただけませんこと?」
その伸ばした腕を、大尉の手がそっと握り、胸元まで引き戻した。
「わたくしがあなたに求めているのは、たったそれだけのことなのです。誰がいつ、人を傷つけろだなんて頼みましたか」
「そういうところだよ!」
空中に、全力の怒声が放たれた。成長途上の少女のそれは、裏返った金切り声に近く、仮に室内だったなら、居合わせた誰もが両耳を押さえること請け合いの、全く非常識なものだった。
「大尉のっ、そういうとこがっ、そーいうとこがぁっ! 嫌いなんだよ! 私たちに何もさせてくれない! ただ守るだけ!
なのに自分はこれ以上無いくらいに苦しんで、毎日毎日、死にそうなほど働く。そのくせ私には空でも飛んでろだって!? バカにするのもいい加減にして」
「わたくし、そんなつもりは――」
「あ、そうだ」 弁明しようとした大尉の言葉を遮って、いやに明るく軽快にフライアは思いつきを口にした。
「国の大臣たちをぶち殺すのがダメなら、逆にこの国以外の全部を滅ぼすってのはどう? 時間がちょっと余分にかかるかもしれないけど、アクセルの協力があればそれもほんの誤差だろうし。
あはは! 天下布武のちに、帝国の勃興だよ! 初代皇帝の座にはもちろん、大尉が就くの。絶対、ぜぇーったい誰も大尉の命令には逆らえない。だって、わたしたち特務隊が勢ぞろいしてたら、できないこと探す方が難しいくらいだもの。
それらを従える大尉は、まさしく皇帝! パーティキュレータの力を駆使して、民のみんなを平和に、幸せにする。……どう、すっごくいい未来だと思わない?」
高らかに笑い、いかにも楽し気にフライアは妄想を垂れ流す。いいや、あながちその内容は誇張でもない。
四人のパーティキュレータが、全知全能を発揮すれば、ほぼ確実に世界中を掌握できるだろう。
いずれは、かつてリバイブのいた神殿のように、久遠の帝国が地球規模で完成する日も訪れるかもしれない。
エネルギーも物資も尽きず、争いの起きる要因など何一つとして無い理想郷だ。異なる人種や宗教といった概念も、永遠に等しい時間の前にやがて垣根を消滅させ、人類全てが然るべくして兄弟となるだろう。
だが、それは結果だけを先取りにした机上の空論だ。過程をあまりにも無視し過ぎている。
フライアの言う武力制圧を実際に行えば、真っ先に失われるものがある。それは――。
「リバイブが、故郷でかつてイスラフルと呼ばれていた頃。わたくしは目にしましたの。人間の望みには限りが無い。アレを叶えれば、コレも叶えねばならなくなる。その繰り返しの果てに、イスラフルは人間性を失いました。
彼女はそれでも強い子でしたから、どうにかまた人に戻ってこられましたが、同じ奇跡が何度も起こると期待してはなりません。
わたくしはあなたたちを、人を導く君主や天使にするつもりはございません」
「そう」
フライアはこれまでの激昂が嘘だったかのように、力なく項垂れた。それに呼応して、二人の高度も徐々に下がっていく。
みるみるうちに地上へ近づき、先に大尉の足先が地面に着いた。
フライアの身体に両腕を回し、しっかりと抱きかかえる体勢を取る。
やがて重力場が消失すると、フライアはその小さな身体を大尉のうちにすっぽり埋めた。
頬を摺りつけてくる少女の頭を、上から優しく撫ぜた。
「分かってくれたようで、何よりですわ」
答えは返って来なかった。フライアはしきりに抱擁をせがんでくるばかりで、一向に顔を上げようとしない。
そのため表情から心境を推し量ることもまた、叶わなかった。