泣き疲れたフライアを背負って、リ・ラ・テルミヌス大尉は帰路についた。
貸家に到着する頃には、陽はもう山間へ落ちかかっていた。寂れきった村には、ろくに街灯も配備されておらず、あっという間に辺りは暗がりに包まれる。
闇の中にあって唯一、目指す貸家の窓からは、黄色電球の明かりが覗いていた。ときおり、旅人も宿泊するというだけあって、電気もきちんと通っているらしい。
親切な老夫婦に心の内で感謝を述べつつ、右手に玄関扉のノブを捻る。
と、同時に鼻腔をついたのは、かつて経験したことのない刺激臭だった。反射的に、大尉は背中のフライアを庇いつつ、床に伏せた。
可燃性ガスが充満している危険性が真っ先に浮かんだからだ。
「あ、姉さま。帰ってきた?」
だが、それにしてはどうも様子がおかしい。今しがた聞こえたのはリバイブの声だ。彼女が平然と立っているなら、ガスの可能性は低い。
リバイブの再生は水責めや火炙りに代表されるような、継続的な致死性攻撃には基本的に無力であるためだ。
ならば、この世の終わりのような香りはいったい何が原因だ? 立ち上がった大尉は、じりじりと後ずさりつつも、室内のリバイブへ呼びかけた。
「あなた……この家で何をやっていましたの?」
「うん? あ、これ?」
台所に立っていた彼女は、手にしたお玉を掲げて見せた。
「お料理っての、してみたの。ほら姉さま、あの夫婦から食材貰ってたじゃない? そのままじゃ味気ないから、とりあえず煮込んでみたわ。……どう?」
今もぐつぐつと煮え立っている寸動鍋が、なるほどその後ろに見えた。だが、どうも変なのは家中に漂っている異臭は、そこを発生源としているように思えることだ。
「あの、リバイブ? どうしてお野菜を煮るだけで、このような匂いが?」
「匂い?」 くんくん、と鼻をならすリバイブ。どうやら、ずっと家にいたせいで完全に嗅覚が麻痺しているらしい。 「別に、普通だと思うけど」
「普通なわけありませんわよ! あなた本当に、ニンジンやらジャガイモやらを煮ただけなのですか? 絶対に何か、他にとんでもない物を入れたでしょう!?」
「失礼ね、嘘なんて吐いてないわよ。そもそも、他に食材なんて売ってるところ無かったし。……あー、でも」
リバイブはくるりと振り返ると、お玉で鍋の中身を一回しした。ついでに、ご機嫌な鼻歌が聞こえる。
「姉さまに元気を出してもらおうと思って、栄養素をちょっと嵩増ししたわ。大丈夫、人体の中にも存在する、ごくごく一般的なヤツばっかりだから」
「あのですね、リバイブ」
自分と、フライアの鼻をつまんで大尉は家の中へと入った。何はともあれ、相手に害意が無いのは判明したからだ。
「お料理とは、素材を活かして調理するものであって、増やして凝縮するものではありませんわ」
――――――
「まっず!」
フライアは開口一番そう言った。
「まっずいねこれ! すごいよリバイブ、あんなに新鮮なお野菜だけを使って、ここまでクソまずい料理を作れるなんて」
「フライア、いいこと?」 努めてお淑やかな口調と共に、大尉は芋で膨らんだ少女のほっぺを突っついた。
「食事中にクソなどと言ってはなりませんわ。というか、仮にも女の子ならそのような言葉は厳に慎むべき――」
「味に文句あるなら食べなくてもいいわよ。今すぐ吐き戻してとっとと寝なさい。だいたいこれ、姉さまのために作ったものであって、あなたみたいなクソジャリガキの口に合うよう調整されていないから」
「あ、今リバイブも同じこと言ったよ! 大尉、リバイブも叱ってあげなきゃ」
前提はともかく、その指摘は筋の通ったものなので、仕方なく大尉はフライアの向かい側の席に座る、リバイブの頬を軽くつねった。
「いい加減、隊のメンバーを口汚く罵るのは止めなさい。……あまりこういうことは言いたくありませんが、昔のあなたの方が、よほど丁寧な言葉遣いをしていましたわ」
「ふぅん?」
リバイブは挑発的な笑みを漏らすと、フライアを前に見据えて言った。
「おぬしのような知育の足りん幼児は、疾く母親の待つ巣へと帰り、その乳でもねぶっておるがいい。ゆめゆめまかり間違っても、巣穴を抜け出し、わらわと姉上の蜜月を妨げるでないぞ」
「あ?」
フライアの手にしていたスプーンが、ふわりと宙に浮くのを見て、慌てて大尉は間に割って入った。
「待て、お待ちなさいまし、いったんストップですわ」
がるがると互いに唸り合う二匹の狂犬を必死にいなすこと十数分、ようやく二人とも落ち着きを取り戻すに至る。
が、折り合いの方は結局つかず、同じテーブルについておきながら、ぷいと真反対の方向へ揃って視線を逸らした。そのタイミングまで、計ったように二人同時だった。
前々から分かっていたことだが、隊の中でもトップクラスにこの二人は仲が悪い。同じ任務に就かせようものなら最悪、血を見る羽目になる。
よって、よほどの事情がある場合を除き、極力近づけないようにしていたのだが……。この状況では、そうも言っていられないか。
「建設的な話をいたしましょう。フライアも言っておりましたが、この先どうするかという事についてですわ」
「ぼーめいだよ、やっぱり」
あれだけ否定してやったのに、諦め悪く食い下がってきた。
「リバイブもそう思わない? てか、それしかないよ」
と思えば、ライバルへとあえて話題を振る奇手を打ってくる。
しかしバトンを渡された当のリバイブは「無いわね」と一蹴した。
「亡命先でも姉さまは結局、軍に取り込まれるわ。するとまた同じことが繰り返されるだけよ。いいえ、階級が今より下がる分、もっと酷いかもしれない。
それとも大事な大事なあなたの大尉が、下級兵士に揉みくちゃにされるところがそんなに見たいの?」
フライアが年頃の少女にあるまじき形相になるのを見て、再び大尉は間に挟まらざるを得なくなる。
「無し無し、今の話題は無しにいたしましょう。ほらリバイブも頭を下げなさい。冗談にしてもちょっと言い過ぎですわよ」
「ふん……。悪かったわね。確かに意地悪だったかもしれない」
ここは意外にも素直に謝ったが、フライア側の怒りはなかなか収まらない。とうとう椅子ごと、完全に後ろを向いてしまった。
「そういうリバイブは、何か対案があるんですの? 一応聞いておきましょう」
「一応って何よ、姉さま。私だって、ちゃんと考えてるわ」 「失礼、ごめんあそばせ」
では肝心の内容はと言えば、これがまた聞き覚えのあるものだった。しかもごく最近。
「建国よ」
しかし本人はいたって大真面目に解説を始める。
「姉さまと私とで、一から国を興すの。大丈夫、民も土地も資源も私がいればだいたい何とかなるわ。
フライアもまぁ……仲間外れは可哀そうだから半永久機関の一種として迎え入れてあげる。どう、この方がよっぽど名案でしょ?」
「いいじゃん、それ」
後ろの壁を向いたまま、フライアが感嘆の声を上げた。議論に私情は持ち込まない主義らしい。あるいは単純に、似た思想を持つ同志の出現に喜んでいるだけか。
「それなら大尉もみんなも幸せだよ。アクセルとレーダも、後から合流させればいい。なんでもっと早くそうしなかったんだろ」
「却下ですわ」
二人の調子が合うのは良い兆しだったが、大尉は涙を呑んで棄却した。
「国を興せば莫大な責任がついて回ります。また、周辺地域も黙ってはいないでしょう。
大きな戦が起これば、仮初にも国を統べる身となったわたくしたちは、向かい来る敵を殲滅せざるを得なくなりますわ。
そうなるともう、後は坂を転がり落ちるようなもの。おびただしい返り血に塗れた道の先に、どうして民の幸福がありましょうか」
「なら、もっと規模を狭めればいい」
リバイブの声に、切迫さが灯った。
「国なんて大きな事は言わない。もっと小さな……街、いいやちょうど今いるくらいの村だっていい。例えばあのお爺さんなんて、牛や鶏をもっとあげたら、喜んでここに住まわせてくれるわ。
四人の子供と一人の大人がささやかに暮らすだけなら、誰も文句なんて言わないでしょう。たまに自警団か、軍の兵士が見回りにくるかもしれないけれど、それこそちゃちゃっと脅かして帰らせれば事足りる」
さすが、お飾りとはいえ、かつては一国の女王の立場にあった者の話だ。フライアの妄想とは訳が違う。
その努力は認めたうえで、しかし大尉は首を横に振った。
「二つの理由でダメですわね。一つに、軍はそれほど甘くはないということ。
わたくしたちに関する情報は、ジェパード准将閣下を源泉として、既に全体に知れ渡っているとみて良いでしょう。エルヴァンディア軍全てとは言いませんが、少なくともその一部は、パーティキュレータを狙った行動を起こすに違いありません。もしくは既に起こしている」
「あのスケベおじさ――じゃなかった、准将が? 本当に?」
怪訝そうにフライアが言う。
「そこまで口にしたなら、最後まで言い切りなさいよ」 こちらはリバイブの横やり。
「こほん! ジェパード准将閣下は、特務隊の創設に深く関わっているお方ですわ。必然的に、各パーティキュレータの性能もおおむね把握しています。
ここからは推測になりますが、今この席にいないアクセルとレーダは、閣下の麾下に入っているはず。粒子線放射を使われれば、地球上のどこだろうと隠れようが無いことは、あなた方も熟知しているでしょう」
「業腹だけどね」
さも不承不承ながら、リバイブは同意を示した。だが、フライアの方はまだ納得がいかないようで、椅子から立ち上がり突っかかってくる。
「二人が特務隊を裏切って、准将側に着いたって言うの? そんなはず――」
「いいえ。この場合、先に裏切ったのはわたくしたちですわ、フライア。司令基地から脱走したうえに、その後も何の連絡も取ろうとせず、家など間借りしてのんびりしているのですから。
あの規律規則に厳格なレーダなら、わたくしたちの追跡に、喜んで手を貸すでしょう」
途端に、しゅんとフライアは肩を落とした。ようやく、自分たちの置かれた状況を、正しく受け入れることができたらしい。
「そして二つ目に」
二人の部下はもう十分に納得したことを承知のうえで、あえて大尉はその先を続けた。
「あらためて周知しておきますが、特務隊に在籍する四人の隊員は、隊長であるわたくしの独断のもと、強制的に徴兵された身です。よって、あなた方がもう逃げたい、辞めたいと願うなら、それを許すにやぶさかではありませんわ。
だというのに、やれ一緒に亡命だの、やれ共に国を興すだの……。前提をはき違えているにも程がありましょう」
「やぶさかではないって……あのね。姉さま、脱退したければわたくしを殺せ、なんて言ってなかった?」
「確かに言いましたが、それが何か?」
当然のように、大尉は開き直った。
「そのために、あなた方がめいめい手を尽くすことを、わたくしは何ら禁じていません。不意打ちも、闇討ちもたいへん結構ですわ。いつでも掛かってらっしゃいまし。
まぁ、ただ? 複数が一斉に来ると、互いの能力で同士討ちする確率がシャレにならないくらい高いので、それは止めろとは明示しましたけれども」
大尉が言い終わると、部屋は急に静まり返った。
先ほどまで、あれだけ好き勝手に騒いでいた二人の少女は、今は押し黙って床板を睨むばかりである。
場の空気をむやみに重くしてしまったようで、軽い後悔の湧いた大尉は、声をなるべく明るいものに戻した。
「それはそれとして、何だかんだ食べてみればあっという間でしたわね、このポトフ」
テーブルにでん、と鎮座する寸動鍋の中身は、綺麗さっぱり空になっていた。
くたくたを越えて、ぐにゃぐにゃになるまで煮込まれていた根菜も、汁に溶け出しつつあった緑黄色野菜も、一滴残らず残っていない。
食べた分量の内訳としては、フライアとリバイブがそれぞれ一割ずつ、大尉自らが八割だった。
味も量も、かなり絶望的な代物だったが、しかし心の籠った料理であることに変わりは無い。当然、美味しくいただけた。
「シチューのつもりだったんだけど」
「ミルクくらい入れてから言ってよ。うへー、まだ舌がひりひりする」
あれだけ文句を垂れていた割に、フライアも皿によそわれた分は食べきっている。
しかめっ面で、べーっと伸ばした彼女の舌は、なんと真緑に染まっていた。……おそらくこのシチューらしきものを口にした者は、誰しもその運命から逃れ得ぬのだろう。
鏡を見るのが怖い。
「そ……そうですわ! わたくし、前の任務で良い物を買っておりましてよ。酒場に寄る用事があったのですが、ぶどうジュースがちょうどそこに……」
「ほんと!? どこどこ」
目を輝かせたフライアが飛びついてくる。それをどうにか席に押し戻しつつ、あれはいったいどこへやったか、と大尉はしばし記憶を振り返った。
車のドア部にある収納スペースに挟み込んだところまでは憶えている。リバイブに見咎められると大騒ぎされること請け合いだからだ。
そのまま基地に到着して、瞬間にアクセルが砲撃をしてきた……。
「あ」 ということは、まだ車の中だ。
大尉の表情の移り変わりから、事情をある程度察したらしい。
後方でリバイブが、やれやれと息を吐いた。
「じゃ、ダメね。今から基地に戻るなんて論外だし」
「うぅ……せっかく大尉が私に買ってきてくれたのに」
意気消沈するフライアを、「大丈夫ですわ」と宥めすかす。
「アクセルはともかく、レーダならきっと残してくれていますから。二人と再会したら、みんなで飲みましょう」