公爵家邸宅の地下空間は、わりあい単純な構造をしていた。
エンブレムの元にあった階段を下りきると、真っすぐ続く一本の通路に繋がる。この左右には、大小様々の部屋が存在している。
中途の辺りで通路は十字に分岐し、その両翼側ともに、やはり正面ルートと同じく、一定間隔で部屋が備わっていた。
よって最初の出入り口を除けば、通路には計三つの突き当たりがあるのだが、このいずれにも地上に抜ける階段は無かった。ただ終端として、真白い壁が立ちふさがっているだけだ。
ならば、通路上に無数に並ぶ部屋のどこかに、秘密の梯子でも――と探ってみるも、これも無しのつぶて。
つまり、この地下空間への出入りする道は、あの階段一つしかないというわけだった。有事の際を考えると、非常にリスキーな構造だ。火事や、地震でもあったらどうする気なのだろう。
「中にいる者がどうなるか、なんて考えちゃいないさ」
長い階段を降りきって、通路の床に初めて足をつける。迷いの無い仕草で、准将は壁のスイッチらしきものをなぞった。
軽いラップ音がすると同時、天井に吊られた電球が一斉に明かりを灯した。ぱぁっと照らし出されるは、ずっと遠くまで伸びる白の廊下と、その両脇にある無機質な扉群。
「准将、ここは……何なの?」
アクセルが柄にもなく、少女めいた声色で尋ねた。閉じられた空間特有の反響が、遠く先へとこだまする。
「貴顕血統配合実験場」
答えとして返ってきたのは、まるで意味不明な単語の羅列だった。
「テルミヌス家が、先祖代々に渡って受け継いできた狂気の産物だよ。遡ること何百年前からか、かの名家はおよそ常識を超越した、とんでもない妄想に憑りつかれたらしくてね。その行く末が、これら独房だ」
言葉で説明するより、見た方が早い――ということか、准将はせかせかと先を歩いていく。コンクリートで補強されている廊下に、三人分の足音が響いた。
やがて探査波で事前に確認した通り、通路が十字に分かれる。すると准将は迷わず、右側方面へと曲がった。その後にレーダたちも続く。
途端、辺りの雰囲気が一変した。具体的に何が、とは指摘しづらいが、とにかく空気がガラリと入れ替わった。重苦しいような、凍てついたような、ともすれば海の底にでも潜ったかのような、ひどい窒息感に襲われる。
あまりの気持ち悪さに、レーダは堪らずその場でひざまずいた。床に両手をつき、必死に息を整える。ぱたぱたと水音が滴るも、それが自分の脂汗であると気づくのに若干の時間を要した。
「大丈夫かい?」
隣に立つ准将が、心配げに言う。彼は屈んで、横から顔色を見ようとしてくる。
「いえ……なんでもありません。平気です」
本当に何でもなかった。ここに脅威は一切存在しない。鉄の壁さえ貫通する己の探査波を、レーダは何より信用している。それは現在も、この地に敵対者どころか何の生物も存在しないと報告していた。
准将の手を借りて、やっと立ち上がる。アクセルの方はと言えば、自分ほどでは無いにせよ、彼女も何かを感じているらしく、土気色の顔をしていた。
「やはり血は争えないか。君たちの世代は、ここの風景を実際に目にした経験は無いはずだが」
「それって……どういう……」
途中で戻しそうになったのを、唾を呑み込んで必死に堪える。車内で飲んだぶどうの甘ったるい味が舌に残った。
「済まないが、いくら気分が悪かろうと引き返しはしない。私も決して暇ではないからね。この機会を逃せば、もう次は無いんだ。泣こうが吐こうが着いてきてもらう。どうしても嫌なら、私を殺してからにしろ」
「大尉みたいなこと……言うんですね」
「そうかい? 光栄だね」
それをジョークだと受け取ったレーダは、無理やり微笑み返した。
どっちみち、ここまで曰く有り気な空間に足を踏み入れておいて、尻尾を巻いて逃げ帰るつもりなど毛頭なかった。
アクセルも同じで、自分の両頬をはたいて気合を入れ直している。
「よろしい。では行こう」
准将は宣言通り、一切容赦無い足取りで通路を進んでいく。その背をえっちらおっちら追いすがっているうちに、幸いにも調子は快方に向かった。やはり明確な原因のある症状ではなく、単なる気分の問題だったらしい。
白い空間に変化が現れたのは、歩き出して間もなくのことだった。路の左右の壁に、鉄格子が備わっているのが見えだした。
どうやら正面通路と異なり、ここでは扉の代わりにむき出しの鉄格子で、小部屋と通路との境を区切っているようだ。
どういう事だ? これではまるで、牢屋か何かだ。
あまりに不気味な光景に、気の逸ったレーダは准将を追い越し、最寄りの鉄格子に取り付いた。その内部を間近に確かめる。
「あ……」
薄汚れた毛布。糸の解れた貫頭衣。鈍色の食器。隅に穴を開けただけの至極簡易な便所。
「あああ」
訳が分からないが、すごく良く分かる。
レーダの優れた感知器は、これと同様の部屋がずっと先の突き当たりまで延々と続いていることを示していた。もちろん、十字の反対側の通路にも。
これが何で、何のために使われていて、その結果としてどうなったか。准将が説明する前から、ほとんど直感的にレーダは全容を理解していた。
「貴顕血統とは何か。この施設の意義を提示するなら、この概念を解説するのが最も手っ取り早い」
通路の中央に立ち、准将はつらつらと続ける。いつものように平板で、聞き取りやすい声。
「そもそもこれは、何代目かのテルミヌス公の造語で、正式な科学的な用語でも何でもない。意味としては、とても優秀な貴人の血筋といったところか。別の定義によれば、常人から離れ、より神域に近い血筋となる――」
そこからのレーダの記憶は不思議と曖昧だ。准将の説明をただ黙って聞いていただけのようにも思えるし、一方で相槌をしきりに打って、時には質問をぶつけていた気もする。
あるいはやっぱり、泣いたり吐いたりしていただけかもしれない。
ただ、いずれにせよ話の内容は脳の隅の隅まで刻み込まれた。これは確かな事実らしかった。
――――――
貴族を貴族たらしめるものは何か? 領地か、権威か、はたまた財か。
テルミヌス公はしかし、それら全てを些末な事と一蹴した。あくまでそれは付属品であり、真の源泉によって、自ずと纏わるものに過ぎないと。
では真の源泉とは何か? 一つの人間、一つの人格を根本から成立せしめるものがあるとすれば、それは血肉に置いて他ならない。
つまり、高貴の血が流れるからこそ、彼らは貴族であるのだ。
ここで一度、論理を白紙に戻して改めて考えてみる。
およそ人が誰かしらを
しかして血を貴ぶとはどういうことか? これは技でも無ければ、領地を安堵する根拠でもない。あえて謙遜するならば、どれだけ生まれが高い地位にあろうとも、ただそこに立っているだけでは領民よりの敬意など集めようが無い。
だが、現実に貴族は尊ばれるべき立場にある。この状況は、理屈を厳密に紐解けば矛盾している。担がれている貴族も、それを支えている農民も、本来あるべき基盤を失っているわけだ。
幾代か前のテルミヌス公はこの現状を非常に憂い、苦心した末に一つの答えに辿り着いた。
貴族の身に流れる血には、かつて民を導き、より良い生を送らせるに足る力があった。しかしながら、長き年月がそれを薄れさせ、最終的には無効化した。
この、力を持った血を指して貴顕血統とテルミヌス公は名付けた。今でこそ、悲しくも外見上は市政の民と何ら変わることの無い貴族たちだが、古来の正しき血を持ち合わせれば、必ずや上に立つべき者としての真なる力を得られるのだと。
かくして始まったのが、貴顕血統配合の試みである。
長きに渡る王国史の中で、貴顕血統は方々に散逸し、原型の在処はようとして知れぬ。
しかし、水に合わせた湯とは違い、血の因子が全くの無に帰すことは理論上、有り得ないはずだ。
薄れさせるのとは逆に、濃くするように配合を繰り返せば、いずれ古き貴き血を取り戻すことが叶うのではないか?
最初期の頃は、親族同士で掛け合わせることこそが、正道かと思われたが、これはすぐに誤謬であると判明した。それらの結果として生まれるのは、むしろ先天的に問題のある者たちばかりだったからだ。
そも、現状として貴顕血統は失われ、効力を発揮していない。にもかかわらず、それら同士を掛け合わせたところで、より負の因子が増えるばかりで正に傾くはずが無かろう。
極めて単純かつ、初歩的な誤りであった。
次なる発想として、他の家名を持つ貴族たちの血を混ぜるという案が採用された。
だが、言うだけなら容易に思えるこの策も、実行には様々な困難が伴った。
まずもって、貴族の爵号にはそれぞれ順位があるが、それらは直近の功績によって上下することがままある。かつては最下位の騎士だった者が、今は伯爵まで上り詰めた例もあった。
これら後天的な貴族は、その代のテルミヌス公の弁によれば紛い物だとされた。
実力など連中はうそぶくが、所詮は剣やら槍やらを振り回し、さながら蛮族の振る舞いでもって勝ち得た地位だ。我々の目指す、真なる力とは程遠い。
だが今度は、先天的なものと後天的なものとの境を、どこで線引きするかという新たな問題が生まれてしまう。
喧々諤々の議論の末、上位の爵号を持つ名家、それも少なくとも二百年以上に及び存続するものに限って、配合元として迎え入れることとした。
この選別は当初、家系図やら歴史書などを参考に行われていたが、どうしても実行者によって、年代や親等の判定に揺らぎが生まれるため、より分かりやすい指標の設定が求められた。
引き続きテルミヌス公の号令のもと、これらの判定を子細にまとめた指示書が編纂され、その中で因子濃度という指標が新たに定義された。曰く、この値が高くなればなるほど、貴顕血統の真なる姿に近づくのだという。
これが具体的にどういった数式によって算出されたものであるかは、残念ながら定かではない。しかし後の実験結果の数々から、逆説的に理論の確かさは立証されている。
多くの予想した通り、血の配合は苛烈な工程だった。
文字で書くと、ただ血を混ぜるというだけのことに見えるが、現場の人間が為すべき作業は実に多く、そして時間の掛かるものだった。
因子濃度の高い人材をまず複数人揃え、その中から更に血統を濃くするような組み合わせを抽出し、これらを両親として子を産ませる。
次に、この子に貴顕血統が発現しているかどうかを調べねばならないが、生まれたばかりの赤子が、いかなる力を持っているかなど誰にも分かるはずが無い。
それが成長し、最低でも言語を操るまでの年月は待たねばならなかった。
五、六年が過ぎ子供が満足に喋れるようになると、いくつかの試験を科す。読み書きであったり、体力測定であったり、だ。後期ではここに、異能の測定も付加されるようになった。
この試験で見事、常人を超える点数を得る者が現れれば、それこそ晴れて真なる貴族というわけだ。今も昔も、貴族の養子はそう珍しいものではないから、適当な経緯をつけて引き取ればいい。
だが、いかんせんこの一連の流れには時間が掛かり過ぎた。計画から、結果の測定まで、どう頑張っても十年はかかる。まさしく気の遠くなるような作業だ。
他方、話は変わってエルヴァンディア国内の情勢も変化の兆しを見せていた。王権の失墜は目に見えて明らかで、近頃では農民一揆の頻度も増えてきた。噂では、知識層が徒党を組んで民を先導し、上流階級を倒せと煽り立てているともいう。
また、年々勢いを増しつつある他国の脅威も侮りがたい。
事ここに至っては、一刻も早い完成が全ての貴族の望むところだ。
愚民を従え、王権を立て直し、外患を打ち払う。これらを成し得るのは、貴顕血統の持ち主を置いて他にいない。
テルミヌス公はついに、あらゆる倫理を投げ捨てる覚悟を決めた。
公爵家の地下に、巨大な施設を建造し、そこへ多数の私生児を閉じ込めた。彼らの来歴は、口にするのもためらわれるような、悍ましいものばかりだ。
一部を明らかにするなら、濃度偏差値の高い男女を連れ去り、親族を人質に取ったなどと脅したうえ、一年ほど監禁して得たものである。
もちろんこれだけではとても追いつかないから、単純に寝所から掠奪する場合も多々あった。
テルミヌス公はその広大な領地と権威から、国内でも随一の財力を有していたが、地下施設が建造されて以来、王国史上稀にみる勢いで金銀を消費し、最終的には没落寸前まで至ったことからも、この熾烈さが見て取れるだろう。
だが、肝心の成果はなかなか得られなかった。目減りしていく資源の反面、生まれるのは何の力も持たないばかりか、そこらの農民にすら筋力も知力も劣るような、半病人ばかり。
これは多少なりとも教育学、あるいは生物学に精通している者なら全く当然の帰結なのだが、テルミヌス公は決して、来た道を戻ろうとはしなかった。
鉄格子で区切られただけの独房で、生きるのがやっとの糧食しか与えられねば、病んで死ぬのはごく普通だ。ろくな読書もせねば、思考力が育たぬのも明白だ。
しかしそういった常識を凌駕したところに、貴さは宿る。常人を従え、導くに足るのは、そうした強者であるのだと。
果たしてこの狂気とも呼べる信念の末に、ついに有り得ざる者が出現し始める。
地下独房で育った半病人たち、これらを強引に交配させ、いっそう濃度偏差値の高い子を産ませる。そういった繰り返しの先に届いた、数値にして60後半の者たちだ。
これらは明確に、普通の赤子と異なる点があった。まず病まない。どれだけ少なく、栄養価の無い糧食しか与えずとも、風邪一つ引かず、すくすくと育つ。
次に成長が早い。まともな運動はおろか、凍える独房内ではまともな睡眠も取れぬだろうに、二歳後半でうろうろと歩き回るようになる。三歳にはほとんど誰と接しておらずとも、看守の挨拶だけを頼りに、言語を解析するようになった。
おそらく人類が共通してもつ集合的無意識に脳内神経が接続されているのでは――? などと、臨席した研究者は考察したが、これはテルミヌス公からすれば片腹痛い妄想だった。
人の上に立つべくして生まれた者だ。誰に教わらずとも、言葉くらい操れずしていったいどうする。
それぞれの思惑はともかく、これら異常個体は覚醒体と呼ばれ、数々の実験に晒されるようになった。学習力、成長力だけでなく、怪我からの治癒力や毒物への耐性なども確認される。
なにより研究者たちを驚かせたのは、その更にほんの一握りの覚醒体が見せた、ある種の超能力だった。
ある物質はおおむね、より小さな物質から構成されていることは、かねてより知られていた。これを際限なく繰り返していくと、やがてそれ以上分割できない、粒子と呼ばれる概念に辿り着く。
この粒子を対象として、特異的な現象を引き起こす者がいた。
粒子発光――記念すべき第一のパーティキュレータは、何も無い暗闇に七色の明かりを灯して見せた。
初めは奇術か、はたまた奇跡的な偶然によるものと、大多数の研究者が相手にしなかったが、何度試しても光り輝く独房を目の当たりにし、早晩にも考えを改めた。
偏差値の極めて高い覚醒体には、全く原理不明ながら、一定の粒子操作能力が宿ると結論付ける。これをテルミヌス公は、パーティキュレータと呼称するように定めた。
最初こそ、せいぜい懐中電灯無しでも夜道を歩ける、程度の評価しか与えられなかった異能だが、光度を際限なく高めると火事すらも起こせることが発覚し、当該覚醒体の取り扱い基準は厳に改められた。
この第一のパーティキュレータに限った話でなく、彼らの異能はどれも上限が無い。どれだけ使用しても本人は全く疲労せず、かつどれだけでも強度を高められる。
この事実は研究者たちの頭を酷く悩ませた。近年になって、一般分野の科学者が発表した、質量保存の法則や、エネルギー保存則に真っ向から反している現象に見えたからだ。
光を放つにしても、せめて体内のカロリーくらいは消費してもらわねば、摂理に矛盾をきたす。
だがこういった苦悩もまた、テルミヌス公は一笑に付した。
いずれ、この世の君主になるものだ。世の理の一つや二つ、捻じ曲げずしてどうすると。
研究者の一人は、公爵の発言を元にある仮説を見出す。すなわちパーティキュレータは、別段エネルギーを新たに生み出しているわけでなく、この世の摂理に新たな条件文を書き足しているに過ぎないのではないか、とする説だ。
例えるなら彼らは『世の理』という大きな本に、それぞれのやりたい事を、ペンでさらさら書き足しているだけなのだ。いかなる無理を通そうとも、これなら疲弊も何も生じない。
この仮説を証明するように、次に生まれた第二のパーティキュレータ、粒子分離は鉄板だろうが貴金属だろうが、望んだ形に好きなだけ両断できた。もちろん、本人は平気な顔で鼻歌など口ずさんでいる。
事ここに至って、研究者の一部――というには割と多い人数が、テルミヌス公からの離反を決意した。
地下施設への出勤を拒否した彼らは、自宅に引きこもってベッドでかたかた震える毎日を過ごしていたが、テルミヌス公の放った刺客によって、全員が息を引き取った。
それもある種、幸せな事だったかもしれない。彼らが揃って怯えていたのは、粒子分離を持った彼女が、気まぐれに大地を両断しようとすれば、地球人類が皆あっさり死に絶えるという、科学的見地に立った終末論だったから。
あの世ではそのような杞憂に怯えずとも済む。
テルミヌス公は無論、そのような些末な事は一顧だにせず、粛々と交配と生育とを執り行い続けた。
来たる日、ついに。自らの血を分け与えた娘の一人が、荷電粒子のパーティキュレータに目覚めるに至る。