「待って、様子がおかしい」
入口方面から見て、左方面の通路、その中間地点。
重力嵐の暴威より免れ、今をもって綺麗に白色を保っている廊下に、レーダとアクセルの二人は陣取っていた。
「何が? 相変わらず、動いてないっぽいけど」
「それがおかしいって言っているの。大尉とリバイブはともかく、あのじゃじゃ馬が飛んでこないのは妙よ。さっきはあんだけ血走った目で突っ込んできたのに」
「単にビビッてるだけじゃない?」
アクセルは簡単に言ってのけると、前に真っすぐ構えていた右腕を下ろした。
そのまま屈み込むと、足元に置いてある弾薬ケースから、一つ二つと弾を拾い上げていく。内容は、最近お気に入りになったそうであるフルメタルジャケット弾だ。
この跡地を訪れるにあたって、准将の許可の元に一ケース、すなわち二百発分を携行していた。
正規の兵士ならばともかく、長身痩躯の少女が持ち運ぶには重く、嵩張る代物だったが、加減速の応用で無理やり移動させてきた。
何の動力も備わっていない無骨なケースが、音も無く宙を進むという奇抜な光景を目にすることができたのは、果たして僥倖と言うべきか。
それらを抱えるようにして、両手にたっぷりと持ち上げると、アクセルは背後に控えるレーダに再度、尋ねた。
「何がそんなに不安なわけ。向こうに動きが無いのは、むしろ好都合でしょ?」
「それはそうだけど……」
当のレーダは曖昧な口調で頷いた。
ちらり、と更に後方の、とある小部屋の方を窺う。そこではジェパード准将が、巻き添えを喰らわないように身を潜めていた。
大尉と、彼女の率いる二人の隊員らと交戦するにあたって、准将は彼らを打倒する以外の勝利条件を考案した。
最寄りの駐屯地へ応援要請を出し、大隊を一つ寄越すように取り計らった。彼の言葉を信じるなら、あと一時間もすれば到着するとのこと。
パーティキュレータ三人に対し、陸軍兵士の大隊など、有り体に言って勝負の土台にさえ立てないほど貧弱と評せざるを得ないが、准将の目論見はもちろん武力による鎮圧ではない。
彼の推測が正しければ、特務隊は――より正確に言うなら、大尉は、軍に真っ向から歯向かうことは決してない。
もしそれをやれば、エルヴァンディア陸軍の中に、彼女の立場は無くなる。ただでさえ大尉の階級を失い、准将という後ろ盾すら失った彼女のことだ。その上、犯罪者の汚名まで着せられては、国内でおよそ真っ当な活動はできなくなる。
よって、大隊がこの現場に到着すれば、大尉らを少なくとも撤退させられると、准将は断言した。レーダ、アクセルの奮闘次第では、その場で拘束さえできる。
「だから隊の到着まで、とにかく時間を稼げって……そういう話でしょ?」
アクセルは平然と言うが、物事を単純化し過ぎるのは彼女の悪い癖だ。
あの大尉のことだ。こちら側が、時間稼ぎを図っているのはとっくに見抜いているはず。だというのに、みすみす膠着したまま手をこまねいている、なんて有り得ない。
つまり逆に言えば、何らかの思惑あっての静止状態と考えるのが妥当だ。可能性としては……例えば、特異な攻撃を行うための準備に取り掛かっているとか?
「アクセル!」
そこまで考えの至ったところで、レーダは鋭い声で、相方に注意を促した。
「油断しないで。たぶん大技が来るのよ」
「そんな指示で、何に警戒しろっつの。もっと具体的に頼む」
「う……。えっと……減速停止の用意! 何を撃ってこようが、あれなら絶対確実に無効化できる。一発も漏らさないようにして」
「それはもうやってる。てかずっと。……あんたこそ、粒子ビームの充填は十分なわけ」
「もちろん」
頷くのに合わせて、アクセルの前方の床に、高密度粒子線……彼女の呼ぶところの、粒子ビームを弱めに照射した。
白い床にそれがぶつかった結果、薄紅色をした小さな丸い点が描かれる。ビームの発射口を左右すると、同じく点も座標を移動させた。
この微弱なビームによって現れる点を、ある種の目印として、交戦中にレーダはアクセルへ指示を送っていた。これなら声よりずっと速く、正確に情報を届けられる。なにせ亜光速だ。
薄紅色の光点は、ある時は砲撃の照準点を担い、またある時はフライアの疑似天体の位置を示す。
地下という光源の少ない立地も適していて、これまでの間、送信に不足は生じていなかった。日光の明るい、昼間の地上ではこうはいかない。
アクセルの減速停止による絶対の防御と、レーダの探査波による確実な感知。二つの要素が織り成すこの完璧な布陣を、果たして大尉はどうやって攻略しようというのか。
にや……と、レーダは自然と自分の口角が吊り上がるのを自覚した。
いいや、できるわけがない。今頃、策を編み出そうと頭を悩ませているのかもしれないが、どうせ堂々巡りの、無駄なあがきだ。
前々から思っていたが、はっきり言って大尉の――リ・ラ・テルミヌスの持つ荷電粒子の能力は、指揮官向きではない。
更に付け加えるなら、弱い。間違いなく隊の中では最も出力が低く、物理世界に及ぼす影響も少ない異能だ。
そして力が低い割に、リスクは大きい。
一度に放出できる荷電粒子の量には制約こそ無いが、しかし大尉は一定以上の規模を持った電撃は行わない――というか、行えない。
なぜなら、あまりに強力な電撃を発すると、自身が感電死する可能性を無視できなくなるからである。
これこそ、アクセルやフライアといった面々と大きく異なり、かつ重篤な弱みでもある点だった。
パーティキュレータの有する最大の特徴は、何と言っても上限が無いことだ。能力の範疇に収まる物理現象なら、何でも無制限に引き起こせる。
だが、荷電粒子には生まれながらにして歯止めが掛かってしまっている。全く残念なことだ。
もしも、この制限が大尉に無かったと仮定したなら、勝負の行方はあっという間についたに違いない。大尉が地下全体を覆う規模の雷を発生させて、それでおしまいだ。
アクセルは電気の直接関わる現象を減速させることができない。二人は為すすべなく、電撃のショックで麻痺ないしは昏倒するだろう。
「――だけど、そうはならない。なぜって、大尉が弱いからです」
相変わらず、何の動きも無い通路の奥を睨んで、レーダは一人、呟いた。前方のアクセルにも聞き取れないほど小さな声が、誰にともなく続ける。
「私たちの方が強いんですよ。本気を出せば、いつだってあなたを殺せたんです。でもそうしなかったのは……」
好きだったから。
おそらくアクセルも、フライアも、リバイブは言わずもがな。他ならぬレーダ自身だって、熱線を躱す余地の無い屋外では、決して大尉との戦闘を試みなかった。
それをやったら最後、自分は何の言い訳もできず、彼女を焼き殺さざるを得なくなるからだ。
実際のところ、大尉が復讐なんて陳腐な動機で特務隊を率いていないことは、レーダは百も承知だった。
准将はやけにそう決めつけたがっていたが、もう彼には騙されない。なにせ、大尉本人が口にしていたのだから。
隠れ蓑だと。
あの言葉を聞いた瞬間、ピンときた。
なぜ特務隊とは言いながら、隊員たちはたいした任務も、訓練もせずに基地で過ごしているのか。どうして、この有り余る異能の数々を眠らせたままにしておくのか。
決まっている。それは隊員たちを守るためだ。
准将がかつて言ったような、軍の一兵器としての運用や、もしくは無尽蔵のエネルギー資源としての飼い殺しから。
そのためだけに、大尉は無茶苦茶に働いた。自分の身体を最底辺にまで貶めるような行為も憚らず、とにもかくにも必死だった。
だがそれは……あまりにも傲慢ではないか?
どうしようもない感情の猛りが、勝手に口をついて出る。
「私の方が強いんです。なのにどうして自分より弱い人に、守ってもらわなくっちゃいけないんです? バカにするのもいい加減にしてください……」
「レーダ?」
ぶつぶつ言っているのが、さすがに聞こえたらしく、怪訝な顔をしてアクセルが振り返る。しかし怒りは収まらず、レーダはあえてそのまま続行した。
「あなたもあなたよ、殺すならちゃんと殺しきって。いつまで大尉を頑張らせれば気が済むの? それともフライアみたいに、どれほどの拷問と辱めに遭おうが、本人が望んでいるなら苦しみ続けろって言いたいの?」
「は? 急に何の――」
「リバイブのしょうもない噂なんて聞かなくたって、私は探査波があるからだいたい全部知ってるのよ。基地だけじゃなく、首都でやらされていたことだって、指の一本に至るまで詳細にね」
途端、アクセルの表情が能面のようになる。怒りでも、絶望でもない、透明な色。しかし、それが何よりの激情を指すとはレーダも知っている。
知っているからこそ、より腹が立つ。
「はっ、勝手にキレてなさいよ。それが何の役に立つっていうの? 私たちがどれだけ暴れたところで、もっと大尉の負担が増えるだけよ。ちょうど今みたいに!
だから実行に移すなら、二つの道しかない。大尉を殺してでも止めるか、もしくは――」
レーダは軍服の襟についた、真新しい階級章を指して、怒鳴った。
「新しく大尉になるか、よ。あなたも准将もバカにしてくれたけど、私はまだ本気。私なら、絶対もっと上手くやってみせる。探査波を使えば、誰のどんな情報でも仕入れられるもの。軍の幹部も、政府の要人も脅し放題。何なら、敵国のスパイとかだって利用してもいい。
あんな弱っちい、可哀そうなだけの女に頼らなくたって、みんなを守れる!」
「あんた……」
アクセルは言葉少なに、レーダの絶叫を受け止めた。この期に及んで、何と答えたら良いか迷うような素振りに、憤りを通り越してもはや失望を覚える。
「私はやるわ。感情に任せて突っ走るんじゃない、あくまで冷静に、為すべきことを為す。大尉がそうしていたように、かしずけと言われれば靴を舐めるし、邪魔というのなら何人だって焼き殺す。
そうでもしないと、あなたたちは真っ当に生きていけない。青空のもと、仲良く空中で鬼ごっこなんて、どれだけ奇跡的なことかほんとに分かってた?」
「あんたには……」
最終的に、絞り出すようにアクセルは言った。
「レーダには無理。大尉の真似なんてできない」
「できるもん!」
すごく、とてつもなくバカにされた気がして、恥も外聞も捨てて喚いていた。
「できるもん! 意地っ張りじゃない、私は大尉に――」
と、そこで周期的に放っていた探査波が大質量の出現を検知した。
レーダは慌てて、意識を周囲の確認へと引き戻した。ひとりでに頬を伝っていた涙を袖で拭い、通路の奥を見やる。
探査波が捉えたのは、ずっと離れた地点――ちょうど大尉たちのいる区画に、突如として生じた巨大な物体だった。
崩壊した天井から、岩雪崩が流れ込んできたのかと思ったが、構造からしてどうも違う。体積こそ尋常でないが、物体の密度はごく低い。中身はほとんど空洞に近かった。明らかに岩や、土砂の集合ではない。
もう一度、今度は少し透過率を下げた探査波をレーダは照射した。物の詳細を確かめるには、こうして透過の割合を上下させたうえで、何度か放つ必要がある。
とはいっても、この工程にさほど時間は要さない。探査波が対象まで到達するのに、地球上なら、どれだけ遅くとも数千分の一秒すら掛からないためである。
月にある物体を確かめようとするなら、多少は面倒かもしれない。
だが、それはレーダが意識的に、高い集中力をもって操作した上で、初めて成立する作業速度だ。
この点で、今のレーダにはその要素が残念ながら欠けていた。時間にして、たっぷり二秒と少し。本来の亜光速と比すと、目も当てられないほど悠長な時が過ぎる。
そして、このロスタイムが致命的だった。
「なっ!」
ほんの僅かの遅れのうちに、その巨大物質との距離が詰まった。何もなかったはずの通路が、いきなりとんでもなく大きな何かに占拠される。
有り得ざる瞬間移動。それはレーダたちを今にも圧し潰さんと、圧倒的な速度で迫ってくる。
「止まれ!」
直前で、アクセルが間に合った。ぴたり、と何の音も無く、その物体は高速移動を――正しくは重力落下を止めた。
距離にして、百歩ほどの近さだった。減速がもうあと半秒でも遅ければ、容赦なくそれは少女らを呑み込み、轢き潰していたことだろう。
「いったい何を……」
アクセルが、その物体の正体を確かめようとしてか、まじまじと見入る。だが、彼女より一足先に、答えを知ったレーダはただちに叫んだ。
「ダメ! 逃げて!」
声が届くよりも、その物体が本来の役割を果たす方が早かった。
突如、通路は白光に爆発的に包まれた。視界全てを塗り替え、思考すら焼くほどの凄まじい光量が、そこから発される。
大尉たちが放ってきたのは、電球の集合体だった。地下実験場の天井にあらかじめ備わっていた、ありふれた照明器具である。
それが何千何万と増幅された後、重力でがちがちに固められ、飛んできていた。
「ぐっ……! アクセル、早く加速して!」
レーダはとっさに両手で目を覆い、床に伏せる。これでもまだ眼球が痛むほど眩しい。この上、立って走るなんてとんでもない。重力場に襲われた際と同様に、加速による移動で退避するべきだ。
傍にいるはずの、担当の相方に向かって指示するも、しかし反応は芳しくなかった。
「無理に決まってる! 前もろくに見えないのに、テキトーに加速なんてしたら壁に激突して死ぬよ」
「私の探査波なら見える!」
「あんただけね!」
「くそっ!」
思わず舌打ち。アクセルの言う通り、レーダの探査波は結局のところ、自分でしか情報を得られない。他人にどこそこといった座標を指図するなら、何らかの媒体で伝達する必要がある。
粒子ビームを用いた光点による送信も、この有様では不可能だ。莫大な光源の中にあっては、微小な光点などかき消されるし、そもそもの話アクセルの視力が失われている。
ならばあとは声による音波しか残らないが――。
「斜め後ろ! 七時の方角に向かって後退!」
「いや分かる訳ねぇでしょ!」
戦車の操縦手でもなければ、正規の軍事教練すら受けたことの無い彼女には、この指示は荷が重かった。何より、一歩間違えば死傷のリスクを伴う行為だ。こんな博打に身を投げ出せるわけがない。
やられた――。まさかこんな手で、アクセルの粒子加減速を無力化してくるなんて。
電気に加えてもう一つ、彼女は光も減速できない。この方法なら確実に、防御壁をすり抜けられる。
となると、この次に大尉が打ってくる追撃の手は、わざわざ予測するまでも無かった。
地下を揺るがすような轟音が鳴り響く。視界はいまだ真っ白に染まったままだが、レーダの探査波は、今しがた何が起きたかをはっきり覚知した。
ぎちぎちに詰まった電球の集合体、その中心部から飛び出してくる、二人の人間の姿を。
一人はもちろん大尉。全身から荷電粒子を迸らせ、まさしく生ける電源と化している。
そしてもう一人がフライア。莫大な数の電球を一つに束ね、ここまで高速移動で落下させてきた立役者。
レーダは瞬時の判断で、大尉に的を絞った。彼女を撃破すれば、ひとまずこの発光は収まるはずだ。フライアの重力場は脅威だが、アクセルの視力さえ復帰すれば対処できる。
「喰らえっ!」
粒子線を指先に集約し、一筋の熱線として撃ち放つ。弾速は無論、亜光速。放たれた時点で、既に目標に命中していると言って良い。
そしてレーダの照準は絶対だ。あらゆる物体の座標を事前に知り及んでいる彼女が、狙いを見誤ることは有り得ない。
以上の二つから、熱線はしかるべくして大尉を撃ち落とす。
――はずだったのに。
照射の起点となる、レーダ自身の座標が移されたのでは、当てようもなかった。
そうだと気づいた時には既に、レーダの身体は宙に浮きあがり、天井へ向けて真っ逆さまに落下していた。
「あ」
悲鳴を上げる間もなかった。彼女は硬いコンクリートへ頭を強かにぶつけ、たちまち気絶した。