――ほらね、やっぱり。
仰向けに倒れ、白目を剥いて泡を吹いているレーダ。彼女の艶やかな黒髪を押し上げ、盛り上がるたん瘤を目の当たりにして、フライアは思った。
中途半端な覚悟では、大尉を止めるなんて夢のまた夢だ。その点で言うなら、アクセルの方がよほど良い線を行っていた。
最後の瞬間、レーダではなく彼女が射手だったなら、きっと大尉に命中させていたに違いない。なにせ、彼女には一度やり遂げた実績がある。
だいたい、亜光速の弾速と必殺の照準器を持っていてなお外すだなんて、無様過ぎる。もしかして、重力場による妨害が無くとも当てられなかったんじゃないか?
「ま、そういうとこがレーダらしいよね」
フライアは腰を折って、寝転がっている少女の酷い形相へ手を差し伸べた。半開きになっているまぶたを閉じ、ついでに涎と泡も拭ってあげる。
膨れ上がった打撲痕の方も何とかしてやりたかったが、肝心のリバイブはずっと後方なので、打つ手は無かった。隊は応急処置のほとんどを彼女一人に任せきっているので、傷薬どころか包帯一つ携帯していない。
無数の電球を用いた急襲作戦において、リバイブは留守番の憂き目に遭っていた。三人もの人間を、あの電球球に入れるスペースが無かったためである。負傷する危険性を考えると、あまり褒められた選択でないものの、背に腹は代えられなかった。
「フライア」 仕方ないので、両手を合わせてお祈りを捧げていると、隣に立った大尉が名前を呼んだ。 「リバイブを迎えに行ってあげなさい」
指示を断る理由は欠片も見当たらなかったが、フライアはしかし即応しなかった。
強いて言うなら、通路の隅っこでぼうっと突っ立っているアクセルが気にかかった。見てくれは戦意を喪失していても、あの彼女のことだ。腹の底ではどういった心境か、知れたものじゃない。
「大丈夫だから」
そんな邪推を見抜いたかのように、アクセルはぼそりと呟いた。
「あんたがここにいる以上、あたしにもう大尉を殺す理由は無くなった。……ほら、行けよ」
いつにも増して、陰鬱な調子の物言いだった。ともすれば、レーダよろしく地面に倒れてしまいそうなほど。
だが、それはなぜかと訊き返す資格が、自分に無いことはフライアもよくよく自覚していたので、大人しく重粒子を励起した。収束点を後方に設置し、リバイブのいる地点へ向けて落ちる。
戻った先で、当の彼女は手遊びに石ころを増やして山にしていた。フライアが戻ってきたのを見ると、すぐ立ち上がって、その勢いで石山を自ら突き崩した。
「姉さまは!? 無事?」
「平気。レーダもアクセルも、何とも無い。……や、レーダはちょっと大きめのたん瘤ができた」
「ジャリガキはどうでもいいの。姉さまは本当に何ともない?」
「だから心配ないって。……それよりさ」
本来なら、すぐにも大尉の元へリバイブを連れて戻るべきと分かっていながら、フライアはとうとう我慢できなくなって、ついに訊いた。
「電球を増やす前……。私の身体をなんで戻したの? いい加減、教えてよ」
「姉さまにそうしろって言われたからに決まってるじゃない」
「ごまかさないで」
フライアは両腕を頭上に掲げた。あたかも万歳するような、滑稽以外の何物でもない姿勢だが、これはれっきとした脅しである。
上への落下を無傷でやり過ごせた生き物を、猫か大尉の二つしかフライアは知らない。
十数秒ほど、そうやって二人して睨み合った末に、やがてリバイブが「はあ」とこれ見よがしに肩をすくめた。
「いいわ。教えてあげる。あそこまで思わせぶりな事をしておいて、あなたが諦めるはずないものね。……ただ一点、あらかじめ言っておくけれど」
リバイブは極めて珍しくも、真剣な眼差しになった。
「この話を聞いたからといって、あなたが誰かしらへの態度を変えるなら、私にも考えがあるわよ。殺すか殺されるかの覚悟、ちゃんとできてる?」
「今更そういうこと言う?」
リバイブが紛れも無い殺気をみなぎらせるのを、フライアは鼻で笑ってやった。
――――――
フライアが急いで、大尉の元へ戻った頃には、もうとっくに手遅れだった。
おそらく潜伏先として選んでいた部屋で、彼――ジェパード准将は血の海に沈んでいた。
「どうして……?」
顔面蒼白で、レーダが言う。彼女は床に膝をつき、呆然とその惨状を見つめていた。
そこにいた人間は、ジェパード・ブライト准将だった頃の面影をほとんど失っていた。顔つきだけでなく、体格も、肌も。
着ている男性用の軍服にしても、血反吐と吐しゃ物と下血とで、元の色合いを無くして久しかった。
あるのは黒く乾いた血糊と、鼻をつく異臭だけ。傍に転がるぶよぶよとした肉塊は、どうやら彼本人が皮膚を掻きむしった形跡のようだった。僅かに残ったつま先に、皮脂と思しき黄土色の粘液がこびりついていたから。
「外部被曝による急性症候群ね」
リバイブが一見落ち着いた――その実、語尾の震えた声で言った。
「もう長くないわ。楽にさせてあげた方がいい」
「は?」
准将だった肉体の、最も近くに座っているアクセルが、振り返らずそう発した。
「何を意味不明なこと言ってんの。とっとと直しなさいよ」
「無理。できない」
ふるふると、リバイブは首を横に振る。声の揺れも、一層増した。
「できないじゃねぇよ。なんでも直せるのがあんたの能力でしょうが。それを試しもしないって、どういう了見?」
アクセルは出し抜けに立ち上がると、そのままリバイブの襟首へ両手で掴みかかった。ギリギリと締め上げ、身体ごと持ち上げる。
加速こそ用いていないらしかったが、それがかえって、暴力性を増して見えた。しかしリバイブは一切の抵抗を示さない。人形のように、むしろ脱力している。
「やめなさい」
大尉がようやく口を開いた。二人の間に割って入ると、アクセルの伸びきった両腕に、情け容赦の無い手刀を叩きつける。
鈍い音がして、アクセルは腕を抑えて屈み、リバイブも離れた。げほげほと、喉元を抑えて咳をする。
「わたくしからも一応、訊いておきますが、本当に助かる見込みは無い?」
「ごめんなさい……姉さま」
掠れた声ながら、がくがくとリバイブは首肯を示した。
「見たら分かるの。彼の身体はもう、どこを複製しても元に戻らない。参照元になる、健全な細胞が足りてない。全部……」
続けるかどうか、迷うような空白を置いた上で、結局口にした。
「全部、粒子線放射で壊されてる」
「どうしてよ!」
レーダが顔を伏せたまま叫んだ。
「私、准将に熱線なんて向けてない! 一度たりとも。怪我なんて決してされないように、部屋でじっとしているようにお願いしたもの!」
「探査波を撃ったでしょう」
言葉尻に被せるようにして、大尉が答えた。
「透過率を高めて、しかも何度も何度も。おそらくフライアの疑似天体の位置を特定するためにでしょうが……。
あれだけ不用意に探査を実行するなと言ったのに、どうして命令を守らなかったのです」
「じゃあどうして教えてくれなかったんですか!?」
狭い小部屋に、レーダの泣き声が響き渡った。
「今の今まで、本当に知らなかったんです! 粒子線放射が、ただ放たれるだけで人体に悪影響を及ぼすだなんて。殺傷力があるのは、密度を高めた熱線だけだと思っていたんです。
でも大尉は知っていたんですよね!? リバイブだって! じゃあなんで、黙っていたんですか!?」
しん、と辺りが静まり返った。誰も、すぐにはその問いに答えなかった。レーダのすすり泣く音が、ただ流れ続ける。
このままではあんまりだと思ったので、フライアは止めた方が良いと理解していながら、口を開いた。
「レーダのためだよ」
「……え?」
「生きてるだけで、周りのみんなを病気にする存在だなんて教えられたら、厭になるでしょ」
途端、凄まじい衝撃と痛みが襲い掛かってきた。視界に火花が舞い散る。口の中に溢れる血の味。
石畳の冷たさを頬に感じた頃、ようやくフライアは自分がぶん殴られたのだと分かった。
いったい誰に――と横倒しになって視界で探そうとしたが、少し考えれば、別に見ずとも判明した。
「フライア、しばらくお前は黙っていろ。私が良いと言うまで口を利くな」
上から降ってきた女性の声に、「ごめん」と返すのがやっとだった。
「あたしは……でも影響は無かった」
アクセルが自分の身体を指して言うと、リバイブが「減速」と素早く答える。
「あなた、自分に対する攻撃には自動で反射防衛を行っていたでしょ。粒子線は光そのものよりは遅いから、減速停止が間に合っていたんでしょうね」
でもって逆に――とリバイブは続けて、大尉とフライアへと視線を向けた。
「私は再生があるから別としても、二人はしっかり影響を受けていたわ。私が折を見て戻してなかったら、ジェパード・ブライト准将閣下と同じような結末をいずれ迎えたはず」
「何よそれ……」
内蔵を口からぶちまけるような声をレーダは出した。
「じゃあ、基地の兵士たちはどうなのよ。わた、私あそこでも何度も探査波撃った」
「よく見かける人には、定期的に再生を施してた。あなたが普段使っているような、透過率の低い粒子線なら、さほど脅威は無いようだったから、放置しても重篤な症状は出なかったでしょうけど。ただ……」
「何年かは寿命が縮んだ?」
言わなかった先を推測して、自らレーダは答えてみせた。リバイブは無言でもって、それを肯定する。
「あは……はは。そういう、ことね」
狂ったとしか思えない低い笑いを彼女は漏らした。誰も何も言わないでいるうちに、それは次第にエスカレートしていく。部屋の壁に乱反射して、一人だというのに輪唱のようにこだました。
「はは! そうよねアクセル、あなたの言う通りだった。私が大尉になれるわけない! みんなを守るなんて言いながら、その手で首を絞めていたんだもの!」
「リバイブ!」 その笑い声をかき消すように、凛とした声で、大尉が指示を発した。
「複製による再生は無理だと先ほど言いましたが、遺伝的に似通った細胞があればまだ見込みがあるのでは?」
「それは……適合率が高ければ」
もごもごと濁しながら、リバイブが応じる。
「でも難しいわ。最低限、血縁関係がある程度には近くないと。赤の他人じゃ、まず合わない」
「例えば親子では?」
「一親等なら、確率はかなり高い。……まさか、今から見つけてくる気?」
リバイブがぎょっとしたように言うのに、「行くよ」と声を上げる者がいる。もちろんアクセルだった。
「大尉、心当たりがあるのなら、あたしが移動をやる。地球上のどこだって、片道一秒も掛けない」
その声はいかにも迫真の思いが籠っていたが、当の大尉はぴしゃりとはねつけた。
「衝撃波で何人の人を轢き殺すつもりですか。バカを言わないでくださいまし。……いいこと? リバイブ」
大尉はゆっくりと歩き出すと、とある人物の前で立ち止まった。その場に腰を下ろし、横たわる彼女の頬をそっと撫ぜた。赤く腫れあがったその頬を、労わるように。
「フライアの細胞を増幅し、補いなさい。これなら適合率が高いはず」
「姉さま、何をおっしゃっているの?」
訳が分からないといった様子のリバイブ。だが、意味不明なのはフライアも一緒だ。
「黙っていろ」との命令を受けていなかったらきっと、出せる限界の音量で驚きを露わにしていた。
「いいから言う通りになさいまし。もう、幾ばくも時間が無いのでしょう?」
「だけど……それじゃ」
「早く! レーダを人殺しにしたいのですか?」
この一言がダメ押しとなったようで、リバイブは直ちにフライアの傍へ駆け寄ると、手をそっと伸ばしてくる。
抵抗せずに受け入れると、彼女は服をまくって腹部をそっと撫ぜた後、それだけで十分というように、すぐ立ち上がった。
取りも直さず、重体の身である准将の元へ向かう。
果たして、リバイブがいつものように再生を実行すると、瞬く間に彼の身体は元通りになった。
枯れ枝のような色と見た目だった肌には張りが、黒い血で覆われていた顔は白面の美形に、吐しゃ物と下痢に浸されていた衣服すら、ついでに新品同様の生地に直る。
「私は……いったい」
彼が落ち着いた低い声を発した瞬間、小部屋全体にほっとした空気が満ちた。
「どうした、いつの間に五人みんな揃って。私の知らない間に、密談でも行ったのかね?」
「それはもう」
大尉が、かつて聞いたことの無いほど嬉し気に笑う。
「あまりに准将閣下が寝坊助なものですから、とっくに全員、隊へと復帰してしまいましたわ。色々と策謀を巡らせていたようですが、ご苦労なことでしたわね」
「いやはや……これはどうも」
准将は頭のてっぺんを掻きながら、破顔した。
「なんだか分からないが、一本取られたらしい」
「良かった……本当に良かったです」
レーダはぽろぽろと涙を零しながら、何度も准将に頭を下げた。
あまりにその様子が必死だから、准将は何か感じるものがあったようで、事情の分からないなりに、宥めようとする。
彼が歩み寄ろうとした途端、レーダは突如、金切り声を上げた。
「来ないで!」
「いや私は――」
「来ないでください、准将閣下。どうかそのままで……」
にっこり笑った顔のまま、視線を横へスライドする。レーダが見つめた先は、大尉だった。
「大尉……」
少し寂し気な、それでいて喜びを隠さない声。
そういった一連の出来事を、律儀に命令を実行中のフライアはただ傍観していた。
まだ大丈夫、きっとレーダは大丈夫、何度も頭で同じ呪文を唱えていた。
准将は生き返った。リバイブが何とかしてくれた。そうなる過程には少し――というのは大きな異常があったけれども、とにかくレーダは無事に済んだ。
また前と同じように、特務隊にいてくれる。変わらず生真面目で、堅物で、融通が利かなくて、その割に抜けているところの多い、黒髪の少女。また、戻ってきてくれるとも。
「大尉、私を――」
ダメ。絶対にその先を言おうとしたらダメ。それを口にしたら、もう戻れなくなる。
だが逆に、フライアのどこかはそれを肯定してもいる。そうだ、レーダがそれを口にしてくれたら、道が開ける。
今までは絶対に取れなかった行動に移せる。なんの奇跡か偶然か、ちょうどいい大義名分も手に入ったことだし。
レーダの答えを察したように、大尉の右腕がそっと持ち上がる。準備の良いことで、その指先には既に弾丸が握られている。
フライアの思った通り、大尉は隊員に願われたなら、必ずそうする。彼女は迷わない人だから。どれだけ自分が嫌だと思っても、それを無視して、実行できる。
「大尉、私をころ――」
ぱん、とっても軽い音がして、レーダの頭が弾け飛んだ。辺りに血と脳漿が飛び散る。主を失った胴体から下が、ぐらりと揺れて、すぐ後にどうっと倒れた。ぱしゃ、と血しぶきが床に跳ねる。
言うまでも無く即死だった。ぴくぴくと手足が痙攣しているのが見えたが、それはきっと死後特有の筋肉の痙攣か何かで、意思あっての動作でないことは明らかだった。
おそらく、これはリバイブでもどうやったって直せない。……いいや、もしかしたら可能性はあるかもしれないが、よしんばそうだとしても、直させない。
だって。
「たいいー。私にも、どうして教えてくれなかったの?」
フライアは努めて無邪気を装って、そう訊いた。今しがた、レーダの頭部を吹き飛ばした極小の
「ジェパード准将が、私の本当のパパだってこと。それとね」
大尉は両目を皿にように広げて、こちらを睨んでくる。とても怖いが、後には退けない。どうせもう一人殺した後だ。今から何人やろうが、変わらない。
「大尉が、ママだってこと」