狭い小部屋には、三人の人間が残っていた。
リ・ラ・テルミヌス大尉、ジェパード・ブライト大尉、そして部屋に残った唯一の隊員であるアクセル。
物言わぬ亡骸を含めて良いなら、レーダも床に転がったままだ。換気設備の無い地下の密室には、脳髄と血との混在した、鼻の曲がるような異臭が立ち込めていた。
だが、その場の誰一人として、その点について言及する者はいなかった。通路へ出ようとの提案さえしなかった。
哀れなレーダを、物寂しい空間に置き去りにするより、ずっと重要で、差し迫った話題があったからだ。
「なんでずっと言わなかった?」
長い長い大尉の独白の後、アクセルがまず発した疑問は、この場にいないフライアの代弁でもあった。
「実の娘だったんでしょ? どうして――」
「言えるわけがない!」
大尉の声は、何の取り繕いもない、一人の女のそれだった。
「私は自ら進んであの子を捨てた。一つの餞別も持たせずに、みなしご同然に置き去った。その口でいったいどうして、母親などと名乗れると!?」
「でもまた拾ってきた!」
「そうだよ拾ったんだ!」
アクセルの怒号を、さらに上回る大尉の叫びがかき消した。
「親切で、温かい修道院で、奇跡的にも安寧の日常を送っていたあの子を、私は! 自分の都合で連れ戻した! そして――」
大尉はレーダの死体に目線を落した。
「その結果がこれだ。私は……私は」
足元から崩れ落ちるようにして、床に突っ伏す。
「ジェパードの言う通りだ。私はハナから間違っていた。何が特務隊だ、バカバカしい。……アクセル、お前を攫ってきたこともそうだ。お前はテルミヌスの血塗られた実験と、ほとんど何の関りも無かったのに」
「あたしが? でも、じゃあどうしてパーティキュレータに?」
大尉は血でも吐くようにして答えた。
「革命前夜、実験場に残されていた覚醒体たちを、私は全員解放した。ガルシアは廃棄しろと部下たちに厳命していたが……。そういった看守や使用人の連中は皆、私が撃ち殺した。
そうするのが当然だと思った。それ以外の選択など、思い浮かびさえしなかった」
「じゃあ……まさか、その覚醒体が?」
言わんとしていることは、おおよそ察せたが、それでも納得しがたい。
アクセルのそうした疑念を見越したように、大尉は補足を加えた。
「解放された時点でお前や……レーダを孕んでいたのだろう。保護された先々で出産し、その後おそらく死亡した。残った赤ん坊は――」
「その村の人たちが引き取った……。それがつまり、あたしやレーダの両親……」
アクセルの出した答えを、大尉は無言でもって肯定した。
そのまま顔を上げず、立ち上がろうともしない。あまりにも惨めな女の様を目にして、アクセルはただただ虚しさに襲われていた。
分からなかった。三年もの間、接してきた大尉と、そこで泣いている女とが、同じ人物には到底思えなかった。
なんなら、外見だけ瓜二つの双子とそっくり入れ替わったのかというくらい。
キンキンと耳に響く高音の、お嬢様言葉で喋り散らしていたあの人は、いったいどこへ消えてしまったのか。
こんな、どこから見ても貧弱な――ともすれば何の力も持たない少女のような人を、自分たちは寄ってたかって殺そうとしていたのか。
「っざけんな! なら、あたしはいったい何のために、これまであんたを――」
食って掛かろうとした矢先、通路側から「ママ!」という、少女の声が呼ばわった。
それと同時、アクセルの反射神経が身体の加速を実行する。
前方、斜め右方向。先ほど、リバイブが叩きつけられた衝撃によって、通路と部屋とを隔てる壁には、小規模の穴が開いていた。
そこへと身体を滑り込ませる。一秒と掛からず、アクセルは首尾よく通路側へと脱した。
「また会ったね、アクセル」
予想を裏切らず、そこにはフライアが待ち構えていた。
「っ……」
彼女のしている形相のあまりの惨さに、目を覆いたくなる。別に、酷い傷があるとか、その逆におびただしい返り血に塗れているといったわけではない。いつも通り透き通った白い肌に、青い瞳が輝いている。
だが、彼女がもう引き返せない地点をとっくに通り過ぎてしまっていることは、一目で分かった。
纏う雰囲気が異様過ぎる。油の煮えたぎるような殺意は、それこそこちらの肌を焼かんばかりだった。
レーダを屠る場面は、実際にアクセルも目撃したが、この様子ではおそらくリバイブもその手に掛けたのだろう。ならば、この場に飛んできた理由も推して知れた。
「あたしも殺すわけ?」
思わずそう訊くと、フライアは明け透けに頷いた。
「うん。だってアクセル、邪魔だから」
会話が成立したのはそこまでで、不可視の攻撃が挨拶代わりにやって来た。
いつもお馴染み、上方向への重力変更。そのまま天井に身体をぶち当てようとする。
だが、いかに理不尽な攻撃といえども、同じ手を何度も見せられれば対応は容易だ。アクセルは自身の落下速度を減速し、その場に踏みとどまった。
「そこだよ!」
――という反応まで読んだ上だったらしい。フライアの鋭い指示のもと、更なる重力場が発生する。今度は地面と平行方向、通路の果てにある、突き当りの壁へと向けて落そうとする。
まず上側と来て、次は横。何か嫌な予感は働きこそしたが、反射的に横ベクトルも減速で止めた。さながら糊で足元を固めたように、アクセルの座標はその場で固定される。
「ふふっ」
そして最後、半開きの口元に見えた八重歯。とっても気色の悪い笑みと一緒に、フライアの右人差し指がアクセルの胸元を指した。
――まずい、ものすごくヤバい、あれは減速ではどうにもならない。割れ鐘のような警告が頭の内で鳴り響くが、自ら身体を停止させた手前、回避もなにもままならない。
「よせっ!」
致命的なその攻撃が差し向けられる――寸前で、部屋から追って飛び出てきた女が、向かい合う二人の間に割って入った。
言うまでも無く、大尉だった。彼女は両手を広げ、フライアの前に立つ。
「やめてくれ、どうしてこんな真似をする!?」
「退いてよママ、そいつ殺せない」
「なぜだ!? アクセルがお前に何をした? レーダも、リバイブも! お前に酷いことをしたのは私だ! 殺したいなら、私を先に殺せ!」
「ぶっ……あはは!」
涙交じりの大尉の説得を、フライアは大笑いで受け流した。
「もう、バカ言わないで。ママは一度だって、私に酷いことなんてしなかった。一度捨てたのは革命戦争に巻き込まないため、迎えに来たのはパーティキュレータであることを隠すため。……でしょ?」
「聞いてたの?」と、アクセルが訊くのも、
「うん。だって、ただ待ってるの退屈だったし。リバイブ、あれだけ威張ってたのに、あっさり死んじゃったから」と、何のことは無しに答える。
「お前……!」
荷電粒子の発露によるものか、大尉の金髪がふわりと逆立った。弾丸を挟んでいると思しき、指先に紫電が集っていく。
「どうして怒るの? 私はママを困らせる奴を片付けてるだけなのに。レーダもリバイブも、いるだけでみんなが迷惑するって、ママだって知ってたんじゃないの?」
「だが殺す必要は無かった! パーティキュレータは制御できる。手の施しようの無い、化け物ではない!」
「制御できてないじゃん!」
フライアはわざとらしく、お腹を抱えてまた大笑いした。
「現実逃避は良くないなぁ、ママ。二人がここまでやってきたこと、一から説明し直さなくちゃいけない?」
「フライアぁ!」
我慢の限界を超えて、アクセルはついに加速砲で彼女を撃った。音速の数倍を更に凌駕する閃光の一射が、彼女の真正面に捉えて貫く。
到達までは数千分の一秒さえも掛からない。為すすべなく少女は弾丸とその余波によって、粉微塵に果てると見えたが――。
「ほらね?」
何も起きなかった。フライアが四散するどころか、砲撃そのものが消え去った。
軌道が重力によって逸らされたのではない。それならば、激突する際の衝撃が発生するはずだ。
フライアが前もって展開していたらしい『何か』が、アクセルの砲撃のエネルギー全てを受け止め、打ち消したのだ。
「今の、見たでしょう? アクセルだって例外じゃない。パーティキュレータはみんな揃って、安全装置の無い銃なの。……でもママは優しいから、できないんだよね。代わりに私がやってあげる」
フライアの指が再度持ち上がる。だが、致命的な瞬間が訪れるより先に、アクセルは周囲の重力場が弱まるのを体感で知覚した。
おそらく、隣に立った大尉のせいだ。アクセル一人だけの際と違って、彼女を巻き込まないようにするには、どうしても重力場による拘束を緩めざるを得なかったのだろう。
一か八か。その隙を逃さず、アクセルは大尉と共に後方へと加速した。この一手は吉と出て、辛くもアクセルは重力特異点による圧殺を逃れる。
だが代償は高くついた。退避速度を加減する余裕が無かったために、その半秒後。アクセルは凄まじい勢いで、通路の突き当りの壁に、全身を叩きつけられる羽目になる。
全身の骨という骨が軋み、胃液が喉から迸った。
減速はもちろん試みたが、フライアの重力場が絡むとどうしても完璧にはいかない。即死しなかっただけ、まだマシな方だ。
されど、もう一仕事が残っている。アクセルは再度、加速運動を励起させると、近くにあったまた別の小部屋へと、扉をぶち破って二人して飛び込んだ。
部屋の中は、先ほどまで准将といたそれと同じく、何の物も無い殺風景な白い空間が広がっている。休むためのベッドはおろか、座る椅子さえありはしない。しかし、フライアの追跡をほんの少しでも逃れる程度の役には立ちそうだった。
「アクセル!?」
一緒に運んできた大尉が、悲鳴を上げて顔を覗き込んでくる。幸いにも、彼女の方の加減速はスムーズにいったようだ。どこも打っていないらしい。
「しっかりしろ! すぐリバイブを……ああちくしょう! あの子はもういないんだったか。とにかくすぐ手当をするから」
「ねぇ大尉」
ぺっ、と血の混じった痰を吐いて、アクセルはそれでも訊いた。そんな余裕は無いと知りながら、どうしても、これだけは言わずにはいられなかった。
「どうして、さ。いっつも、あんな変な喋り方してたわけ? 今そういう感じってことは、ちゃんとした理由があったんでしょ?」
「そんな場合じゃ――」
「いいから教えてよ。それ聞かないと、死んでも死にきれない」
「それは……だって」
言い淀んで視線をさ迷わせた後、大尉はついに口を割った。
「私……わたくし、このくらいしか能がございませんから」
唇の端をゆっくりでも曲げて、無理やり笑顔を作って、彼女は言う。
「昔、ある大切な人に教わったんですの。変に堅苦しい言葉遣いって、滑稽で、愉快でしょう? ほら……わたくしこの通り、普通にしていたら、何の面白味も無い女ですし」
指でそうっと、額を撫ぜられた。鋭い痛みと、温い感触。大粒の血が、そこを伝っていることを、そうされて初めて気が付いた。
「皆……みんなにね。笑っていて欲しかったんですの。だから本当はもっといっぱい、みんなに色んなことをしたかった。
ケーキも食べさせてあげたかった。甘いお紅茶も、クッキーも、プディングも。お洋服だって、色々着させてあげたかった。あんな古臭い、青カビの被ったようドレスじゃなくて、ちゃんとした今風の綺麗なブラウスをね……。
それで五人みんなでピクニックに行きますの。わたくしがサンドイッチを作って差し上げますから、小高い丘の上でランチマット広げて……それでね」
大尉だった人はぽろぽろと涙を零しながら、そういった血迷い事を零し続けた。
「みんな良い子たちだった。わたくし、本当にみんなが大好きだったんですの。こんなわたくしを慕ってくれて、信じて着いてきてくれた。そりゃあ、ときおり乱暴な時もあったけれど、まだ年端も行かない子たちばかりですもの。暴れん坊で、当然ですわ……。だから、だからぁ……!」
目の前にいるアクセルではなく、何かに向かって、彼女は弁明した。
「離れられなかった。ダメだと分かっていても、傍にいたかったんです。ずっと、ずうっと……。そのためならわたくし、何だってやった……のに」
それきり女は泣くばかりになって、意味あることを口にしなくなった。
どうしようもない彼女を前にして、アクセルはとりあえず言ってやった。
「バーカ」
執拗に、おでこやら頬を撫でてくる彼女の腕を振り払う。立ち上がって、服についた埃を払った。
「お菓子やら服買うなんて、そんなの、いつだってできたじゃん」
「できっこありませんわ……。わたくし、大尉ですもの」
そういう気構えがバカそのものなんだと、重ねて断じてやりたがったが、もう時間切れらしかった。
「分かってるよね?」
部屋を出る前、念のため最後の確認を取った。
「これからあんたが何をすべきか。……最大まで頑張るけど、たぶん数秒が限界だと思う。チャンスも一回しか作れない。ちゃんと決めてよ?」
「アクセル……? 行ったらダメ、あなたまでいなくなったら、わたくし」
非常に残念なことに、この期に及んで女は何一つ理解していないらしかったが、あいにく説明はできそうにない。
地響きが轟く。耳をつんざく。通路沿いの壁という壁を全て破砕し、重力操る天使が舞い降りる。