ジェパード准将の持ってきた任務は、存在自体がイレギュラーな特務隊に相応しい、実に奇抜で、常識外れの代物だった。
『とある街の病院が、旧貴族連合の根城となっているという未確認情報を入手した。ついてはここへ潜入し、真偽のほどを確かめてきて欲しい』。
ここで言う旧貴族連合とは――遡ること十年前、封建体制時のエルヴァンディアにおいて、国王よりの叙勲に基づき、強固な権力と、莫大な資産を有していた貴族諸侯らの成れ果ての、そのさらに寄せ集めのことである。
既に全国民の知っての通り、革命によって王宮と貴族は倒れ、それらの有していた権威と財産は全て、元の持ち主である民衆へと分散返還された。
しかし、たとえ宝石金貨と土地と屋敷が消えようとも、そこに住んでいた人間全てがただちに死に絶えるわけもなく。
決して少なくない数の貴族が、めいめい各地に潜伏する。
多くは、その見識の低さと見込みの甘さから、頼もしき革命戦士諸君にすぐさま発見され、しかるのち処刑台行きとなったが、どの界隈にも飛びぬけて幸運な人間はいる。
生き残った彼らは、栄えある貴族に逆らった愚かな民衆共に誅罰を下すべく、臥薪嘗胆。雌伏の時を待ち望み、果てなき地下活動へと身を投じるわけである。
大胆に言い換えるなら、現政権に武力でもって真っ向から逆らう――すなわち反政府ゲリラだ。
厄介なのは、元々は全く別の家柄、家名であったはずの彼らは、封建体制を取り戻す、という一点だけで横の結びつきを構築し、高度に統率された動きを取り始めていること。
中には、元々軍務に深く携わっていた騎士号を持つ者もいるようで、敗残のゲリラの割には、大局に立った粘り強い戦い方を仕掛けてくる。
いち早く新政権としての足元を固め、他国との輸出入ルートの構築、調整に取り掛かりたい政府としては、まさに目の上のたん瘤だった。
とりわけ、上流階級からの搾取に激し、武器を取った元農民の軍人たちにとっては、彼らはにっくき敵の残党である。
見つけ次第、市内だろうと郊外だろうと、銃殺ないし撲殺することの要が、あろうことか軍規で明文化されていた。
つまり、その理屈に沿って言うなら、助手席に座っているレーダは、隣の運転席で呑気にハンドルを握っている大尉を
彼女は自身の出自が、旧体制下における有数の公爵家であったことを公言している。今朝、リバイブがやっていた悪ふざけも、それを証明する一端だった。
結局あの後、リバイブは服務規程に定められた軍服に着替えさせられた。
よって、あまり詳細に調べることはできなかったが、あのドレスが庶民では決して手の出せない、奢侈品であったのは間違いない。
やはり、どれだけ外見や行動を取り繕うとも、リ・ラ・テルミヌス大尉はかつての民衆の敵であり、ひいては――重税に苦しんだ末に、夫婦揃って命を絶った、レーダの両親の仇である。
それは未来永劫、この先何があったとしても、決して揺るがない事実だった。
「テルミヌス大尉。例の病院まで、あとどれくらいですか?」
「ん? そうですわねぇ……もう十、いえ二十分といったところでしょうか。
もしかして、酔いましたか?」
「いえ、体調は問題ないです。ただ……えっと、任務の内容について、ふあ……じゃない、疑問があって。
一口に病院に潜入しろ、とは言いますけど、そんなに簡単にいくもんなのでしょうか」
頭では全く考えていないことだったが、意外と言葉はぽんぽんと滑り出た。無意識のうちでは、この任務の理不尽さに参っていたのか。
そういった懸念を察したように、大尉はいつにも増して落ち着いた、しっとりした声で答えてくれる。
「あえて断言しましょう。簡単ですわ。
目下、現行法では医師にも看護師にしても、免許および資格の所持の義務がありませんの。
普通の国家を例にとってみれば、これは全く有り得ない無法状態なのですが、背に腹は代えられなかった、ということですわね」
「それはまた、どういった意味で?」
「現政権の首脳陣は、とにもかくにも旧体制の打破を第一に掲げていますの。
支配階級の一掃、富の独占の禁止、過酷な労働の制限。そういった流れの一つに、賄賂や癒着による体制側の腐敗――その根絶があるのです」
ぴんと背筋を伸ばし、視点は正面ウィンドウに広がる、道路の先を睨んで動かない。理想的な運転体勢を完璧に維持したまま、大尉は流暢に説明を続けた。
「医師免許の交付は、旧政権においては医務省が行っていましたわ。
ですがこの組織、発足当初はどうだったか存じ上げませんが、末期にはもう救いようの無いほど腐り切っておりまして……。
金か土地さえ積んでくれるなら、誰でも彼でも医師に仕立てあげていましたの。
大事な息子や、娘を、世間で認められる立派な医師にしたいといった強欲な貴族、あるいは豪商に、このシステムは抜群にマッチしていました。
王宮側としても、近年増え続ける軍備のために、税だけでは収入が足りませんでしたから、この腐敗を切除する決断はどうしても下せなかった……といった次第ですわ」
「酷い話ね」
それまで全く会話に参加してこなかった、後部座席のリバイブがぽろっと言った。
「それで一番、割を喰うのは、藪医者に掛かる市民じゃない。
名誉目当てに医者になったドラ息子に、真っ赤に開いた傷口を縫ってもらうなんて、考えただけでも身の毛がよだつわ」
「確かに」 うっかり同意を返してしまい、レーダはしまったと口元に手を当てた。
ほんの少しでも、この女狐と考え方が似通っているだなんて、それこそ怖気が走るというものだ。
とはいえ車内の他二人は、少女のかくも細かい心理に気づくはずもなく、大尉は解説の締めに入る。
「リバイブの言うように、これは旧体制が遺した最悪の汚点と言われていますの。
国内中を探し回れば、いくらかは名医と呼ばれる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうでない御仁に当たる確率の方が残念ながら高いと言わざるを得ません。
この有様で、資格や免許制度を旧来のまま維持する必要が、果たしてどれほどありますか?」
「そりゃあ……ないですね」
相槌をすると、大尉はしたり顔で頷いた。
「ですから首脳陣は現在、知識人を総動員して新たな資格制度、それに伴う試験の考案に躍起ですわ。
反面、世に蔓延る悪徳医師たちには、何の手も打っていません。下手に彼らの存在を規制すると、市民の生活に影響が出ますから」
「え? でも、どうせ藪なヤツの方が多いんじゃ?」
「のーたりん」
大尉に質問したつもりだったのに、リバイブの悪罵の方が早かった。
「たとえ腕が悪かろうとも、お医者さんに掛かるってこと自体が、患者にとっては重要なのよ。お薬を飲んだり、湿布を張ったりして貰ったら、実際の効能はさておき、その人は安心するの。
要は気持ちの問題ね。たいていの病気や怪我は、心持ち一つで快方に向かうわ」
「その通り」
拍手でもしそうなほど弾んだ声色で、大尉が同調した。
「いやしくも、リバイブを名乗るだけはありますわね。もしかして、こっそり勉強していましたの?」
「ふふっ」
リバイブは、相変わらず窓の外をじっと見つめているようだったが、その心底嬉し気な声は車内中に響いた。
そういうところだけは、年相応の少女らしい素直さがあると言えなくもない。
「プラシーボ、偽薬効果ですね。わざわざ説明するのもバカらしいくらい、ありきたりでありふれた現象です。大尉も、こんなことでいちいち褒めなくても良いかと」
念のため、そう言って釘を刺そうとしたところ、「素晴らしい」と突然、大尉が更なる誉め言葉を口にした。
「傷病者に関わる者ならば、その効能は直感的に気づくこともあるでしょうが、正式な名称まで知り及んでいるのは、あなたが良く勉強している証ですわね。
軍務について忙しい中、たいへん素晴らしい」
「そっ」 大尉が運転中で、本当に良かった。
「そんなにほめっ……なくても」
リンゴとかそういうレベルじゃなく、真っ赤になってるだろうから。
絶対に見られたくない。
―――――
行きの道中、二人の部下に意気揚々と断言した通り、病院への潜入は滞りなく済んだ。
『中央から派遣されてきた臨時の女医と、その助手である看護婦二名です』の言い分を、門番らしき赤ら顔の男は、少しも疑うことなく鵜呑みにした。
警戒心というか、職業意識の欠片も感じられないその姿は、自他ともに認める堅物のレーダにとってはさぞ許しがたいものだったようだ。
せっかく素通りできた門を、説教垂れるべく取って返そうとするので、慌てて宥めねばならなかった。
施設にとっての顔である門がそのようなザマであるから、内情もまた推して知るべし。
びりびりと感じた嫌な予感を裏切らず、特務隊ら三人を待ち受けていたのは、汚濁と腐臭の支配する極めて不潔な空間と、その茶と黒と黄土色とでまだらになった廊下いっぱいに、這いつくばる傷病者の群れだった。
近くで災害や、紛争があったとは聞いていないから、普段からこの様子なのだろう。武力による強引な政権奪取のツケが、こういった形で表れている。
「う……」
想定を遥かに下回る惨状に、みるみる青ざめるレーダ。
彼女は都市部から遠く離れた寒村地域出身で、こういった人口密集地帯特有の、無残な光景には全く耐性が無かった。
その場にしゃがみ込み、さっそく口元を押さえ出すのを、隣のリバイブが冷め切った目で見下ろす。
「口ばっかり……使えない子。
で? どうするの姉さま。こんなんじゃ、調査どころじゃない気がするけれど」
「決まっていますでしょう。そのために、今回はあなたを連れてきたのです。
特に制限は掛けませんから、片っ端から処置しますわよ」
「いいの?」
らしくもなく、リバイブは喜色満面の笑みで訊いた。
制限が無い。この一言は、隊に所属するパーティキュレータなら誰しも、飛び上がって喜ぶ一言だ。
と言っても、あくまで任務。いったん心を落ち着けて、大尉に再度確認する。
「でも……でもたぶんすっごく目立つ。潜入なんて、とても続けられないわ。本当にいいの?」
「気にすることはありませんわ。不審な動きがあれば、レーダが察知します。そこをわたくしが叩けばいい。いわば陽動作戦ですわね」
「姉さま……ああ、最高よ」
この地獄の中にあって、全く相応しくない陶酔の声を漏らしたかと思うと、弾かれたようにリバイブは院内を駆けて行った。
そして大尉の指示通り、処置を開始する。
さしあたり、入口ホール近くの壁にうずくまっていた、白髪の男性の元へしゃがみ込んだ。
「んあ……」
男性からの応答は鈍い。意識は一応あるようだが、栄養失調のために混濁しているのだろう。着せられている入院服はひどく簡素な造りで、ボタンはほとんどが外れ、骨の浮き彫りになった体躯が露出している。
こうなってはもう、元が何の病気だったのかすら判然としない。きちんとした医者にさえ掛かっていれば、薬か注射の一つで治っていただろうに、現状は間もなく訪れる死期を待つだけの身だ。
「少し失礼、おじい様」
リバイブは躊躇なく、斑文と皺だらけの黒ずんだ皮膚に手を添えた。
粒子の転写開始、鏡像体を創出、欠損部分と入れ替え、および充填。
たった三工程に終わる作業、時間にして一分も掛からず、そこには元通り健常な姿となった、男性の姿があった。
「あん……?」
目をぱちくりとさせ、男性は自らの両手を持ち上げて、感嘆の息を漏らした。病の進行を示す斑点は全て消え、肌の色艶も瑞々しいそれに戻っている。なにより、血色が段違いだ。まるで、全身の血液が正常なそれと丸ごと入れ替わったように。
「もう動けるわ。これに懲りたら、風邪には気を付けなさい。あと、二度とこんなクソ病院には来ないように」
とりあえずの注意を済ませると、数歩先にいる中年女性へと取り掛かる。こちらもおおむね似たような症状、ただし右腕を中心に重篤な壊死が見られる。
通常の医学なら、最先端の機材が用意されていても、医者に匙の投げられる末期症状だった。
「もう大丈夫よ、おばさま。こっちを向いて」 微笑みかけて、手を握る。構造探査、必要な部位と栄養素の選定、注入。
女性は腐り落ちかけていたはずの右手を持ち上げ、蒼髪の天使の髪を撫ぜた。
天使は少しも嫌がらず、その抱擁を受け入れる。
だが、別れは早い。彼女が救うべき人々は、まだこの空間に無数にいるのだから。
死んでいない限りは、再生できる。
これこそ、
こうした方法で、かつてとある国において、彼女は一柱の天使として君臨していた。
その神格を奪い、縋り付く信者共を皆殺しにし、自国へ連れ帰った罪深き者が――。
ちらり、と少女は一瞬だけ視線を後ろへやった。ホールの入り口、いずこから持ってきたのか、モップを携え、院内の清掃に励んでいる。
救護には加われないが、やれることがあるなら、立ち止まりはしない。あれはそういう女だ、知っているとも。
「どうしたのですか、リバイブ。何か問題でも?」
ごく平然とした顔で、リ・ラ・テルミヌス大尉は言った。
――その程度の奇跡、誇るでもない。さっさと全員を再生しろ。そういう挑発だと、リバイブは受け取った。
「いいえ、姉さま。つつがなく。
そうねぇ……この規模だと、二時間ほどかしら? それまでに、そこのげーげー吐いてるジャリガキを、ちょっとは使えるようにしておいてちょうだい」
零落した天使は、愛する女にそう伝えた。