高度育成高校を卒業し、南雲ぱいせんと同じ大学に入った後の綾小路君の短編。
堀北学、南雲雅のいる大学へ進学する、ホワイトルームからはなんやかんやあって解放された、軽井沢と続いている綾小路君。
堀北にはタメ口だけれど、南雲には敬語で、最初のうちは喜んでた南雲も、徐々に不満に感じてタメ口にしろって言ってそう。
オレは、何を言われたのかしばらく考えてから、なるべく迷惑そうな表情を南雲「先輩」に向けた。
ここ一年で習得した技だ。
主に南雲先輩からの提案で様々な遊びに付き合わされ、その都度学び、ちょっとした勝負に付き合ってみた。堀北先輩も南雲先輩も、個人の能力ではオレに遠く及ばない。しかし、状況次第では勝てない時もある。勝てたとしても、こちらの想像もつかない手段を用いる。得難い経験だった。
完全にホワイトルームと縁が切れた今でも、学びは尊いものだ。そういった意味では、南雲先輩には感謝しているし、敬意もある。
「お前、表情作るのが上手くなったな……」
神妙な表情で南雲先輩は言って。
「まぁ、まて。悪い話じゃない。お前だって軽井沢……一回別れたんだったか? それでも二人くらいしか女を知らないわけだ。勉強になる。いい経験だろう?」
「南雲先輩。経験や勉強という言葉を使えば、オレが食いつくと思っていませんか?」
ため口を使えと言われている中、ワザと敬語で言うと、南雲先輩は分りやすく眉根を寄せた。
意味のある勉強と、そうでないものがあるように。今回の南雲の提案がオレに良い影響を与えてくれるとは思えなかった。そもそも、普段はお互い恋人がいることもあって不健全な誘いなど一切ない。突然こんな話を振られては、何か狙いがあると宣言しているようなもの。
しかし、南雲がこちらが気づくことだって分かっているはず。
いくつか頭の中でパターンを作っておく。楽観的なものも、悲観的なものも。案外可能性が高いのが、高育の体制に染まったせいで、なんでも裏を読もうとしてしまっているだけというパターンだ。つまり、南雲はただの気まぐれでオレを誘ったことになる。
弱みを握る、軽井沢恵との関係を破綻させる。目的としてあり得るのも多くない。そのうえ、南雲にうま味のあるものはない。
それなら、南雲の顔を立てるのも悪くないが、今更浮気をする意味もない。
「悪いが、恵がいる以上、付き合えないな」
「はっ、お前が今更そんなことを気にするか? 表面的に倫理観を取り繕ったところで、自由が奪われるだけだろ?」
南雲先輩は、こちらの事情をある程度は知ったうえで煽るようなことを言う。
「それに――」
「今までこういった誘いが無かったのが急に来るのが奇妙に映ったか?」
「ああ」
「堀北先輩がいたからな。堀北先輩は確実に乗ってこない上に、不誠実だとか言って妨害するだろ? 今はちょうど試験勉強で忙しくしているみたいだしな」
「……」
堀北学は国家公務員採用試験に挑む。Aクラス卒業の特権をここでも使わず、試験は受けるつもりらしい。
流石の学も、忙しくしていた。
「試験は、六月だったか」
結局、学ぶと「遊べた」のは、去年の一年間だけだった。
「言っておくが、流石に
「……何になるつもりなんだ?」
もしかしたら、オレも南雲も寂しかったのかもしれない。
去年一年間。就職や進路についての話題は出てこなかった。それは、誰もが去年の一年間がおそらく全員が対等で、同じ環境で、同じ所属で過ごせる唯一の一年だったから。
決まり切っていた進路が消滅したオレは、まだこれといった見通しが立たないでいるが、学も南雲も、しっかりと先を見据えていた。
「まだ言えないが、楽しみにしてろ」
そう笑う南雲の顔は、高度育成高等学校の時とは違っていた。
数多の敗北。幾度かの勝利。オレと学と、それから南雲はいくつもの勝負を繰り広げて来た。
パチスロから格闘技。チェスから園芸。水泳からスキー。
多くでオレが勝利し、学も食らいつき、南雲は敗北を重ねながらも成長した。
南雲の今の表情には、驕りもなければ油断もない。それでいて、確かな自信が感じられる。
もっとも、その南雲が風俗に誘ってきたのが問題なのだが。
「それで……来るのか?」
さて、どうしたものだろうか。
先ほども考えたように、行ったところでオレに良い影響があるとは思えない。
ただ、純粋な学習という面では、高度育成高等学校はホワイトルームに劣っていた。それでもホワイトルームでは絶対に学ぶことのできないものが多かった。
学習に貴賎なし、か。
「行ってみるのも――」
「よし。もう予約してある」
「…………」
勝ち誇った顔をする南雲に、オレは何度目かの敗北を味わった。
■ ■ ■
「それで。言い訳は終わり?」
完璧に隠していたつもりだったオレだが、恵は同棲している部屋に戻ってくるなりすぐに不機嫌になり、すべてを見通していたかのように笑顔で問い詰めて来た。
最初こそはとぼけてみたものの、いつの間にやら恵は成長していたらしい。こちらの言い分の些細な穴を見つけては広げ、見つけては広げを繰り返し、とうとうオレも敗北を察した。
こちらが論理で相手どろうとしても、恵は恵なりに確証を持っていたらしい。
参考までに聞いてみると、初めこそ「次に活かそうとしてるんじゃないでしょうね!?」とさらに怒髪天を衝く勢いだったが、恵もオレの境遇を知っている人間の一人だ。
オレがどうして本気で隠そうとしているのに恵に気づかれたのか、純粋に気になったのだと理解して。
「なんか、いつもの清隆と違ったから」
恵の語るところによれば、殆ど感覚的なもの。オレが意識して変化を乏しくさせている事すらも、それがどれだけ普段のオレに近づけていたとしても、恵には違和感に映る。その違和感が数秒積み重なるだけで、決定的なものになる。
「で、謝罪の言葉がまだなんだけど……それとも、また私を捨てる?」
「それはしないつもりだ……」
オレは、今を持っても、恋愛感情というモノを理解できていない。
ある程度以上に学習は進んだが、自分のモノにはなっていないのだ。
それを恵も分かっている。恵はそれを知ったうえで、それでもオレと一緒に過ごす道を選択した。
ただ。
「悪かった。二度としない」
恋人として過ごすにあたって、まずは正しい付き合いを心掛ける必要があるのは間違いなかった。
「女は怖いだろ?」
というのは、のちになずな先輩から転送されてきた南雲のメッセージ。
どうやら、南雲は最初からオレに対して教育するのが目的だったようだ。仮にも先輩ということか。
ただ、そのメッセージがどうしてなずな先輩から送られてきたのかを察し、オレは僅かながらも恐怖の感情を覚えずにはいられなかった。