アクアにもあかねにも幸せになってほしいんですよ

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アクあか幸せになれ


可能性があったかもしれない未来

一月の風はやはり冷たい。

 

トレンチコートを羽織ってはいるものの、所々出ている素肌から冷たい空気は容赦なく熱を奪っていく。特に花束を抱えた両手は手袋をしていなかったため冷え切っており、徐々にではあるが手先から感覚が鈍くなっていくような気がする。

 

本来ならばもっと厚着をしてくるべきだったのだろう。しかし、こと彼を見舞う日だけは敢えて少しだけ薄着をして寒空の下をゆっくりと歩いていく。

 

(君も、あの時はこんな感じだったのかな)

 

彼の場合十二月の冷たい海にお腹に大きい傷を負った状態で放り出されたのだから、その苦しみや冷たさは到底今の比ではなかった筈だ。でも、それでも、彼の味わった苦しみを少しでもいいから感じたい――共有できるものならば少しでもしたいと、そう思うのであった。

 

(意味のないことなのだろうけど、ね)

 

事実、前回のお見舞いでこのことを話したら呆れられるとともに身体を大事にしろと怒られたのだから。こちらからすればどの口がと言いたかったのだが、女性は身体を冷やしちゃ駄目だと真剣な表情で言われたのでその場では反論できずに頷くしかなかった。とはいえ後々思い出して腹が立ったので結局今日もこうして比較的薄着できているのだけれど。

 

まあ、寒いものは寒いので今日の彼の態度如何では次回から厚着できてもいいかもしれないなと、そんな何とも気の抜けたことを考えながら歩き続け、身体が芯から冷える寸前でようやっと都内にある大学病院の前へと辿り着いた。

 

身体を震わせながら中に入り、必要な書類を書いてから受付に面会希望を告げる。毎度同じ人に提出しているためすでに一方的な顔見知りになりつつあった事務員さんは、書類を受け取ってこちらの顔をちらと見ると笑みを浮かべて面会証を差し出した。

 

「いつもご苦労様です」

 

「ありがとうございます」

 

そんな他愛のないやり取りを交わしてから、どうやら顔見知りなのは一方的ではないのかもしれないと思いつつ面会証を首にかけて彼のいる病室へと向かう。

 

大きい病院であるし花束を抱えていることもあって、病室に向かうまでに通るホールや廊下などでそれなりの人の視界に入る。その際にすれ違う人からの視線を受けたり、その直後に後ろから「もしかして、黒川あかね……?」という言葉が聞こえてくるときもあるのだが、変装用の眼鏡も帽子も身に着けていないから多少は仕方ない。それにもはや何度も来ているから慣れたものでもあった。

 

エレベーターと徒歩で数分の移動をし、ようやっと病室の前までたどり着く。そこはそれなりに高い階層、それなりに良いランクの個室で扉には面会謝絶の札がかけられている。

 

普通の見舞客ならばこの札を見た瞬間に肩を落としてUターンしなければいけないのだが、ことこの病室に限っては札がかかっていても面会ができる人間の一人に私は含まれていた。

 

ふぅと、軽く息を整えてからノックをする。「どうぞ」という声が聞こえてきたので「お邪魔します」と言って中に入ると、身体をベッドから起しつつ私の姿を確認した病室の住人はいつも通り呆れたように口を開いた。

 

「お前、また来たのか」

 

「来てもいいって言われてるからね」

 

「今日は随分と早いな。午後から撮影か?」

 

「ううん。今日は一日お休み」

 

彼の質問に淡々と答えた私。すると休みという単語を聞いて、彼はぎょっとしてからため息をついた。 

 

「映画にドラマに忙しいだろう。休みの日くらい自分のために使えよ」

 

「使ってるからここに来てるんだよ」

 

「お前なぁ……」

 

再びのため息と共に頭を抱える彼の姿を横目に見つつ、花束を棚に置いてからベッドのそばの椅子に腰を下ろす。そして、彼の手に私の手を重ねると冷たさに驚いたのだろう、ピクリと体を震わせてから口を開いた。

 

「手袋、また着けてこなかったのか?」

 

「うん」

 

「身体冷やすなって言ったろ」

 

「まあ、そうなんだけどね」

 

言葉を聞き流しつつ、体温を感じがてら手首を軽く押さえて脈を計る。とく、とくと規則正しく指先に伝わる彼の血液が流れる感触。うん、どうやら心臓はしっかりと動いているようだ。

 

「ちゃんと生きてるみたいだね、アクアくん」

 

「おかげさまでな、あかね」

 

私の言葉に気持ち呆れながらも微笑みつつ返す金髪の少年。クリスマスの夜、全てが終わるはずだったあの夜を乗り越えて彼は――星野アクアは、今もなお生き続けている。

 

 

 

 

 

ツクヨミちゃんから連絡を受けて壱護さんたちとアクアくんとカミキヒカルが緊急搬送されたという病院に向かい、到着した時の手術室前の光景は悲惨としか言いようがないものだった。

 

ルビーちゃんは手術室の扉のすぐ横で頭を抱えて蹲り、椅子に座って泣き続けるかなちゃんをメムちゃんが涙を流しながら慰めている。その場にいた唯一の大人であるミヤコさんは何とか平静を保っているようであったが、流石に他人を気遣う余裕はなかったのだろう、顔を青くしながら自分を抱きしめるように両手を組んで廊下の壁に寄りかかるように立っていた。

 

自分たちが到着したことで――特に壱護さんがいたことで――ホッとしたのだろう。ミヤコさんが涙を流しながら壱護さんに縋りつき、私もかなちゃんやメムちゃんに話しかけられた記憶がある。だが、正直に言って内容はあまり覚えていない。

 

何故なら、その時の私の頭を支配していたのは後悔の二文字だったから。

 

決着をつけると、全てを明かしてくれたアクアくんを引き留めることなく行かせてしまったのは私だった。

 

アクアくんがどれだけの決意をもってカミキヒカルと決着をつけると決めたのかを知っていたというのに。

 

計画を話してくれた彼が未来を生きたいという顔をしていたから。

 

死にたくないという人の顔をしていたから。

 

ただそれだけの根拠だけで、彼が戻ってきてくれるとなんの裏付けもなしに信じ切ってしまっていた。

 

きっと帰ってきてくれるのだろうと思って――思い込んで、私は彼を止めることができる唯一にして最後の立場にいたのに、自分の願望を優先してその機会を逸してしまったのだ。

 

彼の最も大切な存在であるルビーちゃんを託されたことで満足感を得てしまったのか。それとも、ルビーちゃんのことを考えているなら死ぬなんてありえないと、そう決めつけてしまったのか。

 

きっと大丈夫、そんな言葉で自分を納得させた結果が今のこの状況を生み出してしまっている。

 

自らの愚かさによって作り出した地獄の中で後悔に苛まれ続けていたが、それが終わりを告げたのは手術室のランプが消えた後、手術を担当したお医者さんの「命だけは取り留めました」という言葉を聞いた時だった。

 

手術が終わって集中治療室へと運ばれたアクアくんを見送った後、彼の家族として説明を受けて戻ってきた時の二人の憔悴ぶりは見るからに酷いものであったが、それでも一旦は最悪の事態は避けられたと集まっていた人たちに声を震わせながら説明してくれた。

 

生きているのは神の御加護か奇跡か何かが起こったからだろう。死んでいて当然という状態だった。

 

ミヤコさんとルビーちゃんが告げられたのはそんな言葉だったらしい。

 

二人は駆け付けてくれたことへの感謝を述べた後、壱護さんに付き添われて事情を聴きに来た警察への対応に向かった。その時にカミキヒカルは既に亡くなっていることが私たちの耳に入ってきたが、それに対しては皆そこまで動揺することはなくその場は解散となる。

 

帰路、タクシーの中でようやく一人になれた私は彼の生存に安堵したからか涙が零れてくるのを抑えることができなかった。

 

運転手さんにすいませんと謝りつつ家に到着するまでの半時程泣き続けることになったのだが、家に近づくにつれて、感情を吐き出していくにつれて頭が冷え、思考が再び回転し始めるのを自覚する。

 

家に着くと泣き腫らした私の顔を見て心配する家族に事情を軽く説明し、着替えやら入浴やらを終えた頃には私の思考は完全に普段通りに戻っていた。本当に、本当に随分と薄情な女だと自嘲せざるを得なかったが、全ての事情を知ってしまっている以上ぼんやりとなどしていられないというのが実際のところだ。

 

いまだ確定していないことではあるが結果を見ればわかる。彼は――アクアくんはカミキヒカルを殺害することに成功した。ならばこれからやらねばならないのは関係者に対する根回しと証言のすり合わせだ。

 

対象は彼の家族のルビーちゃんとミヤコさん。そして、一連の出来事の手回しに協力してくれた壱護さん。

 

壱護さんに関してはルビーちゃんの身代わりになる一件を話したときに既に私からある程度のことを話してあるから協力を得るのもそこまで難しいことはないだろう。

 

しかし、残りの二人に関しては話は別だ。

 

事情を全て話すとなった時、彼女たちから見れば私はアクアくんが死地に向かうのを止めなかった女ということになる。全てを知りながら彼が自分の命より目的達成を優先することを認めたと認識するだろう。

 

そんな人物に必要だからとお願いされたとして、、果たして冷静な判断をしてもらえるかどうか。これが一番の問題だった。

 

(アクアくんの将来のためと言っても、そのアクアくん自体が目を覚ましていない状態じゃ……)

 

暗い部屋の中で唯一明るく光るパソコンのモニターを前に、私は椅子の背もたれに大きく寄りかかりながら机の端を軽く蹴った。ゆっくりと反動で椅子が後ろ向きに動いていく中、ペンの頭をおでこでカチカチと何度も押しながら光景を想像する。

 

難しいかもしれない。依頼すること自体は話を合わせようという単純なものだが、二人が極端に追い込まれている状態である以上感情的な部分からの反感が出てきてしまう可能性は大いにある。そうなってしまえば難易度は一気に跳ね上がるだろう。

 

とはいえ、これはアクアくんが目覚める前に必ずやっておかねばならず、先延ばしにはできないことだ。彼が目覚めればすぐにではないだろうが確実に事情聴取が行われるだろう。その時に物証や状況証拠などどうしようもないことは別として、それ以外の関係者はこういう認識を持っていたという感情、視点的な部分は示し合わせておかなければならない。

 

しかも、既に三人が警察から事情を聴かれているだろうからその内容を踏まえて対策を練る必要がある。本当なら事情聴取がある前にすり合わせができているのが最善だったのだが――無理だっただろう。あの時は全員が相対することになった現実に踏み潰されそうになっていたのだから。

 

(状況は、結構厳しいよ。アクアくん)

 

後手に回ってしまった。だが、何か手があるはずだ。

 

私はアクアくんにルビーちゃんを守ってくれと頼まれた。それは彼女の命を助けろというだけの意味ではない、彼女の未来をも守れということだ。

 

そのためには星野アクアは明確な被害者であることが求められる。客観的に見れば刺されたので自分共々海に飛び込み心中を仕掛けたいうこの事実を、星野アクアはそうせねばならなかったという方向に向けねばならない。

 

ほんの僅かであっても、彼に親を殺したなどという印象を持たせてはいけないのだ。

 

そのためにはどうしてもルビーちゃんと苺プロに動いてもらう必要があって、それこそB小町や異母兄弟の姫川さんにもお願いがする必要があるだろう。

 

(動くのは早い方がいい。早速明日から――いや、今日だ。今すぐ動かないと嗅ぎ付けたマスコミが取材に行きかねない)

 

少なくともルビーちゃんとミヤコさんとは早急に話し合わなければならない。その場には仲介役として壱護さんもいてもらった方がいいだろうし、そうすれば何より無駄がなくなる。

 

方針は決まった。ならば動かなければと、私は椅子から勢い良く立ち上がるとスマホを手を伸ばした。

 

 

 

 

 

翌日の夜。案の定早々に嗅ぎ付けたマスコミが私のところにまで取材が来たが、ノーコメントを貫いて仕事終えた後はアクアくんの家まで直行する。既に星野アクアとカミキヒカルが心中を計ったらしいという情報は流れているようで、家の前にも記者やカメラマンが数人見受けられた。当然そこでも囲まれたがこれはもうどうしようもない。

 

再びノーコメントを貫いて玄関を開けるとルビーちゃんが出迎えてくれた。相対した彼女は顔色は青白く、目元は腫れ上がっている。普段の天真爛漫な姿とはまるで違う姿に流石に一瞬言葉を失ったが、彼女に促されて家の中へと入っていく。

 

既に壱護さんは到着していたようで、上着を脱ぐとリビングのテーブルを囲むように四人で席に着いた。隣には事情を知り事前に話を通している壱護さん、正面にはルビーちゃんが座りその隣にミヤコさんという感じだ。

 

「それで、伝えなければならない真相。そして謝らなければならないって一体何かしら?」

 

するとテーブルについて早々にミヤコさんから切り出された。彼女もルビーちゃんと同様に顔色は酷いものだったが、その視線は鋭い。何を話すかわからないがこの状況で下手なことを言ったら許さないと視線で訴えているよな、そんな視線だった。

 

だから私も、単刀直入に話を切り出す。

 

「はい。私は、アクアくんがカミキヒカルに会いに行くことを知っていました」

 

「っ!? あなた……!」

 

「どういうこと!? どうしてあかねちゃんが……!」

 

私の言葉を聞いた途端、それまで青白かった顔色が瞬時に赤く変わりミヤコさんは机を両手で叩きながら立ち上がり、ルビーちゃんはテーブル越しに私に詰め寄るように前のめりになった。

 

「落ち着け! これには事情がある! ついでに言えば、俺もそれを知っていた!」

 

まるで今にも私に掴みかかりそうな二人を見て、壱護さんが慌ててそれを制する。それを見て二人は座りなおしたが、先ほどよりさらに鋭い視線を――殺意すら感じるほどの――私たちに送ってきた。

 

やはり状況が悪すぎる。二人からすれば自分の息子が、兄が、今まさに死にかけている時に、その人は被害者ではなく加害者だなどと言わなければならないのだから。

 

覚悟はしてきたがここまで強い感情を向けられると流石に挫けそうになる。しかし、ここで圧し切られるわけにはいかない。今日の話如何でアクアくんとルビーちゃんの人生が決まるのだから。

 

私は再び心の中で活を入れると、二人に向き直ってこれまでの出来事と当日の動きを順に話し始めた。

 

アクアくんがアイを殺した犯人に対して復讐をしようとしていたことは二人とも既に知っており、その対象がカミキヒカルであることもルビーちゃんは既に知っているようだった。

 

なので、私が話したのはその後のことだ。

 

カミキヒカルは既に手遅れなほどに醜悪な存在になってしまっており、ほぼ間違いなくルビーちゃんを狙ってくること。

 

それに利用されたのが元B小町の新野冬子で、彼女がアイの殺害にも関わっており、クリスマスライブの当日にルビーちゃんを狙いに来るであろうこと。

 

そして、それを確認した段階でアクアくんはカミキヒカルと決着をつけると決め、私にルビーちゃんを守ってほしいと願ったこと。

 

これらのことを順に、可能な限り客観的にゆっくりと話していく。

 

すると、最初こそ二人は感情を露わにしていたものの、話が進むにつれて徐々に顔色は元の青白いものへと戻っていった。

 

「つまり、お兄ちゃんは私を守るためにあんなことをしたってこと……?」

 

「アクアくんとカミキヒカルが具体的にどんなやり取りをしたかはまだわからないよ。でも、その目的は徹頭徹尾ルビーちゃんの命を未来を守ることだった。それだけは間違いないね」

 

「お兄ちゃん……センセ、どうしてそんな……」

 

私の話を聞いていたルビーちゃんが顔を両手で覆いながら俯いた。それを見てここでいったん区切ろうかとも思ったが、時間を置いたところで状況は変わらないだろうと判断し話を続ける。

 

「アクアくんにとってはね、ルビーちゃんが何よりも大切だった。貴方の命も、未来も、どうしても守らなければならないものだったんだと思う。仮に、自分の命を捨てることになったとしても」

 

そう言い切ると、俯いていたルビーちゃん以外の二人が頷いたのでそちらに視線を向ける。

 

「でも、それを成すには実質的に二つの選択肢しかありませんでした。一つはカミキヒカル自身に罪を認めさせて司法に裁かせること。もう一つは物理的に排除すること。そして、そのどちらを選ぶかを判断するのに必要なのがカミキヒカルがどう動くかということだった」

 

「つまり、ルビーを狙うか、狙わないかってことね」

 

「はい。もし改心していたならそのままで問題ない。でも、カミキヒカルの心がもう手遅れなほどに壊れているのならば決着をつける他はないと、アクアくんはそう言っていました」

 

「なるほど。それで、前者だった時のために壱護たちと一緒にこの家で待機していたってわけね。急に家を少し借りるって言われて驚いたけど……」

 

「ま、そういうことだ。黒川から人手が必要だって言われてたし――それに、同じ手を食うわけにはいかんからな」

 

壱護さんの言葉にミヤコさんは深く頷いた。この人たちにとってアイの事件は悪夢以外の何物でもなかっただろう。その点で言えば、悪夢の再来を防ぐことができた今の状況は僥倖と言えなくもなかった。

 

「ニノの犯行を黒川の協力もあって防ぐことができた。それで、話を聞いてあのくそ野郎が絡んでることがわかったわけだ」

 

「はい。それで、私からアクアくんに連絡を入れました。カミキヒカルは黒だったと」

 

「そう……。裏ではそんなことが……」

 

ミヤコさんはため息を一つつくと、私に申し訳なさそうな表情を向ける。

 

「一歩間違っていたらルビーが殺されていた可能性があったのは理解したわ。それを黒川さん、あなたが身体を張って防いでくれたことも」

 

「うん。あかねちゃん、本当にありがとう」

 

ミヤコさんの言葉に涙目になりながらも顔を上げたルビーちゃんが感謝を表すようにこちらに頭を下げた。

 

「ううん、私がやると決めたことだし。それに、アクアくんに頼まれたからね」

 

「あ、あのね、あかねちゃん。そのことで、一つ聞きたいんだけど」

 

「ん? 何かな?」

 

「その、あかねちゃんは、どうして命を懸けてまでお兄ちゃんの頼みを聞いてくれたの? その、あかねちゃん以外に人がいなかったってのはわかるんだけど」

 

おずおずと、こちらを窺うように問いかけるルビーちゃん。それに同意を示すようにミヤコさんが続けた。

 

「確かにルビーの身代わりができる人なんて、この状況では黒川さんしかいないのは理解できたわ。でも、どうして? 一歩間違えればあなたはアイのように死んでいてもおかしくはなかった。仮にお腹じゃなくて首を狙われていたら、大変なことになっていたはずよ」

 

「そうですね、その可能性は正直あったと思います」

 

アイが腹部を刺されている以上、今回も腹部を狙うだろうというのは簡単に予想はできた。だが、予想はあくまで予想だ。仮に新野冬子がアイの容姿に対して強いコンプレックスを持っていたら当然顔や首を狙いに来てもおかしくはなかっただろう。

 

それを伝えると、言い合いを止めて居住まいを正したルビーちゃんが真剣な面持ちで私に尋ねてくる。

 

「どうして? どうしてあかねちゃんはそこまでしてくれたの? 私はあかねちゃんとは仲が良い友達とは思っているけど、命がけで守ってもらえるほどの関係はまだ築けてないと思う。それなのにどうして? お兄ちゃんに命を助けられたから?」

 

ルビーちゃんの言葉にミヤコさん、そして壱護さんも頷いてこちらに視線を向けてきた。

 

当たり前の疑問だと思う。確かに、今の私には彼女の身代わりになってまで死ぬという選択肢は取れない。だが、それは仮にルビーちゃんと私だけの問題だったらの話だ。そこに彼が――アクアくんが絡んでくれば、当然話は変わってくる。

 

「私はね、ルビーちゃん。アクアくんがくれたものを――借りを全然返し切れてないんだ」

 

「借り?」

 

「うん。今だから話せるんだけどね、実はアクアくんと付き合ってた時こんなことがあったの」

 

そう前置きして、私は人生で最も幸福を感じていた日々を思い返しながら言葉を紡ぐ。

 

最初は本当にビジネスカップルだったこと。

 

それを続けている最中でアクアくんの母親がアイであることに気づき、彼が苦しみながらも復讐を企ててこの業界にいることを知ってしまったこと。

 

そして、心の奥底では復讐から逃れたいと思っていることに気づいてしまったこと。

 

「カミキヒカルってさ、私の劇団のOBだったんだ。それで、この人がアクアくんの父親で復讐の対象だってわかって……。実を言うと、私殺しに行こうと思ってたんだよね」

 

「ころ……えっ? カミキヒカルをってことよね?」

 

「はい。賞を取った時に花を送ってくれて、そのお礼を口実に会いに行こうと思って。その時に花束の中にナイフを仕込んでおいたんです。話を聞いて、やばそうなら死なば諸共って」

 

「そ、それはまた、とんでもない無茶するなお前……」

 

壱護さんの困惑した言葉にミヤコさんもルビーちゃんも大きく頷いた。

 

「まあ、その途中に歩道橋の階段で突き落とされちゃって。それはまあ事故だったかもしれないんですけど、そこでまたアクアくんに助けてもらって……そのせいでばれちゃったんですけどね」

 

「えっ? えっ? なんか大変なことをサラッと言ったけどそこは置いといて、お兄ちゃんがたまたまそこにいたの?」

 

「ううん、もらったキーホルダーにGPSが入っててね。私が核心を掴むかもってことで尾行してたんだよ」

 

「お兄ちゃん……。えぇ……?」

 

「あの子……いえ、あなたたち一体何をやってるの……?」

 

盛大に頭を抱える二人を見ながら私は話を続ける。

 

「それでまあ、これ以上関わるなって言われちゃって。それでカップルという関係も終わったんですけど」

 

「じゃああれか? 今回のことも、アクアに命を助けてもらったからってことか?」

 

「それもありますけどね、それだけってわけではないんです」

 

壱護さんの言葉に首を振ってから、私は一度だけ息を吸って、心を落ち着かせてから口を開いた。

 

「私は、アクアくんを救ってあげられなかったんです。復讐に囚われて十年以上生きてきて、でも本当は復讐なんてしたくなくて、私と付き合っているときは少しだけ明るい姿を見せてくれて……」

 

東京ブレイドの舞台を終えた頃くらいから、アクアくんはそれまでと違って私の前では年相応の男の子だったように思う。時々妙におっさん臭いことを言うことはあったけれど、それでも高千穂の出来事の後からは本当に仲の良い恋人として付き合うことができていた。

 

「でも、結局彼は復讐の道へを突き進んでいった。私があんな馬鹿なことをしなければもしかしたら復讐を忘れて幸せに生きることができたかもしれないのに。私はそれを望んでいたのに、私の早まった行動がその引き金を引いてしまったんです」

 

愚かなことをした。彼の性格を考えれば、他人が自分のために犠牲になることを許容するわけがなかったのに。結局私も視野狭窄に陥ってしまっていたのだろう。私に命を、幸せを与えてくれたアクアくんのためにという大義名分を使って、なんとか彼に対する借りを返そうと焦っていたのかもしれない。

 

「私は彼を救えなかった。でも、決裂した後も許されるなら私は彼のためなら何でもしようと誓いました。だから、ルビーちゃんを守れと言われた時も何の逡巡もなく頷いたよ。これで少しは借りを返せるかもって」

 

私が即答で頷いた時のアクアくんの顔は面白かった。自分が言ったことなのに呆気に取られて、その後すぐに溜息を吐いて「自分を大事にする気はないのかと」怒ったのだから。こっちのセリフだよね、ホント。

 

その時の光景を思い出して少しだけ笑みがこぼれた。それを見たのか三人がぎょっとしていたので、コホンと一つ咳払いして「そろそろ話を戻しますね」と断ってから話を続ける。

 

「私はニノさんから事情を聴いた後アクアくんに電話をしたんです。事情を聴いたアクアくんは一言、『わかった、ありがとう』と言ってそのまま電話を切りました。それで、数時間後にツクヨミちゃんから連絡を受けて病院に向かった、というのが私と壱護さんの当日の行動でした」

 

「事情は理解したわ……。ごめんなさいね、黒川さん。あの子のせいで大変な思いをさせてしまって。どう謝罪すればいいのか……」

 

「いえ、謝るのは私の方です。今までの経緯から、私はアクアくんが最悪の手段を取る可能性があることを察していました。それでも、結局私は彼を止めなかったんですから」

 

心から申し訳なさそうな顔をするミヤコさんに、首を振ってそれは違うと答える。すると、ルビーちゃんがおずおずといったていで私に問いかけてきた。

 

「あ、あのね、あかねちゃん。その、命を助けてもらった分際でこれを聞くのはどうかとも思うんだけど……。その、お兄ちゃんを止めなかった理由って、何かあるの?」

 

「当然の疑問だと思うよ、ルビーちゃん」

 

ルビーちゃんの言ったことは、この場にいる私以外の全員が思っていたことだろう。本当に全てを知っていた私が何故彼を止めなかったのか。その理由はこれが全てだった。

 

「私と話していた時のアクアくんね、未来を生きたいって顔をしてたの」

 

「未来を……?」

 

「うん」

 

再びあの時のことを思い返すためにゆっくりと目を閉じ、理由を口にする。

 

アクアくんは今回で全てを終わらせるという強い意志と覚悟を持っているということを計画を伝える会話の中ではっきりと理解できて、当然最悪の可能性も私は考えざるを得なかった。

 

しかし、彼は生きたいと願っていた。死にたくないという顔をしていた。

 

これならば、きっと生きて戻ってきてくれるとそう思ってしまったのだ。

 

「最後の最後に、私はアクアくんの想いを自分の都合のいいように解釈してしまった。だから、止めなかったの。ごめんなさい。私があの時止めることができていれば、アクアくんがカミキヒカルに心中を仕掛けるようなことにはきっとなっていませんでした。ごめんなさい」

 

裏側を知れば感情面で同情したくなるような展開もあっただろう。でも、現実は非情で、お前たちの想いや願いなど関係ないと私たちに容赦なく襲い掛かってくるのだ。

 

はっきりと心中という言葉を口にしたとルビーちゃんもミヤコさんも表情を強張らせた。だが、それでも謝罪する私を気遣うように声をかけてくれた。

 

「……あかねちゃんは悪くないよ。だって、あかねちゃんが一番お兄ちゃんのことを理解してる。あかねちゃんが止められなかったなら、きっと誰にも止められない」

 

「そうね……。アクアが最後まで頼りにしていたのはあなただった。そのあなたがアクアが生きたいと望んでいると感じたのなら……」

 

そこで言葉を区切り、首を振ったミヤコさん。そこで会話が途切れ沈黙が続いたが、暫く経った後壱護さんが重々しく口を開いた。

 

「今回のことはアクアが自ら望んだことだ、周りは誰も悪くねぇ。だが……黒川、やらなきゃならないことがあるんだろう?」

 

「……そうですね。ミヤコさん、ルビーちゃん、協力してもらわなきゃならないことがあります」

 

そう言って、私は今日ここを訪れた本当の意味での本題を口にする。説明を終えると二人は当然のことだと口裏合わせのことを了承してくれて、警察に語った内容を教えてくれた。

 

とはいえ、二人が憔悴していたこともあってか本当に事情を軽く聞かれただけのようで、カミキヒカルとの親子関係やどのような事件当時何をしていたか程度しか話していないらしい。

 

これは好都合だと私は改めて三人にアクアくんを絶対的な被害者にするための提案とその方法を伝えると、全員即座に了承し協力すると応じてくれた。

 

それを聞いて少なくとも最悪の方向にはいかなさそうだとホッとしていると、ルビーちゃんがため息をつきつつ口を開いた。

 

「まだ事件が起きて一晩も経ってないのに……。あかねちゃんはすごいね。もうここまで考えてるなんて」

 

「ルビーちゃんを守るってアクアくんに誓ったからね。アクアくんが目覚めるまでは私が頑張らないと」

 

「……お兄ちゃん、目、覚めるのかなぁ」

 

ルビーちゃんの言った言葉は今まで誰も口にしていなかったが、全員が不安に思っていたことだったろう。

 

「命は助かったかもしれないけど、お医者さんは奇跡だって言ってたし、もしかしたらこのまま……」

 

「ルビー……」

 

最悪の事態を想像して不安になったのだろう、両目から涙を零しながら声を震わせるルビーちゃん。それを慰めるようにミヤコさんがルビーちゃんを抱き寄せて背中を擦った。

 

「そうだね。客観的に見ればその可能性は十分すぎるほどあると思う。でも、私は意外と早く目覚めるんじゃないかなって思ってるんだ」

 

「それは主観的に見てか?」

 

「それもありますけどね。実はちょっとだけ根拠があって」

 

「根拠? どういうこと?」

 

すんすんと鼻を鳴らしていたルビーちゃんが私の言葉に反応して問いかけてきた。

 

「お医者さんが言ってましたよね、アクアくんが生きてたのは神の御加護か奇跡だろうって」

 

私の言葉に全員が頷く。

 

「もしそれが本当なら、中途半端な奇跡なんてありえないと思いません? 神様が本当にいるなら、本当に奇跡を起こしてくれたなら、アクアくんは必ず目覚めて私たちのところに戻ってきてくれる――そう、思ってるんです」

 

「も、ほんと、あかねちゃんはすごいね……」

 

もはや詭弁としか言いようがない物言いだったが、それに乗ってくれたようでルビーちゃんが涙目のまま笑顔になる。それを見て大人の二人も釣られて笑みを浮かべ、重苦しかった雰囲気は雰囲気が和らぐのであった。

 

「ねぇ、あかねちゃん。もう一つ聞いてもいい?」

 

「ん? 何かな?」

 

「あかねちゃんは、まだお兄ちゃんのことが好きなの?」

 

「…………」

 

明るい雰囲気になったからなんだろうと軽く請け負ったら火の玉ストレートが飛んできた。唐突な追及に私は思わず言葉を失ったがルビーちゃんの目はとても真剣で、ついでに隣に座るミヤコさんの目も鋭いものになっていた。

 

思わず隣に逃げ場を求めれば、壱護さんが口元をにやりと歪めているのがわかる。どうやら逃げ場はないらしいと、腹を括った私は改めてルビーちゃんと視線を合わせてから口を開いた。

 

「好きだよ。アクアくんのためなら、人を殺してもいいと思っているくらいには」

 

「……そっ、か」

 

まるで想定していないような文句が付け加えられたことで驚いたのだろうルビーちゃんは一瞬呆気に取られた後、言葉をかみ砕くように小さく頷いた。ルビーちゃんはそれで満足したようであったが、どうやら私の方はそうではなかったらしい。

 

ずっと我慢していた。アクアくんが大変なことになってから、私はずっと自分の心を抑えて今後のことだけを考えていたのだ。だが、ここに来て私はついに本音を言わされてしまった。

 

今まで何とか抑え込んでいた激情が一気に溢れだして私の思考や心をかき乱していく。そして、一度口にしてしまったせいもあってか、続く言葉が口からこぼれていくのを抑えることは許されなかった。

 

「どうして手伝わせてくれなかったんだろう」

 

「あ、あかねちゃん?」

 

唐突に、激情のまま言葉を発する私を見て困惑するルビーちゃんを尻目に、私は本当に本当の、心の底からの想いを口に出した。

 

「アクアくんが望むなら、完全犯罪の手段だって一緒に考えた」

 

「殺人犯になる覚悟だってあった」

 

「彼となら、私はどこへでも堕ちていけたのに」

 

一緒に地獄にだって行く覚悟はできていたのに、私は最後まで協力者で、相棒ではなかった。パートナーではなかった。

 

それが悔しくて、悲しくて、ただただ虚しい。

 

矢継ぎ早にあふれ出た言葉。それをぶつけるようにルビーちゃんと視線を合わすと、彼女は一瞬だけ怯んだもののそれに屈することなく正面から受け止めた。

 

そして、ため息を一つついてから私に一言、こう口にする。

 

「お兄ちゃんをよろしくね、あかねちゃん」

 

何をどうよろしくするのかはわからなかったが望むところだとしっかり頷くと、ルビーちゃんは満足そうに笑みを浮かべる。そして、それを見た大人の二人はふぅと深く息を吐いて安堵しているのが目に入ったのだった。

 

 

 

 

 

それから数日の内に人気アイドルの兄が父親と心中したというセンセーショナルなニュースが公開予定の映画「十五年の嘘」の名前と共に列島を駆け巡る。

 

ニノさんが取り調べに素直に応じたおかげでカミキヒカルに関する情報はどんどん公開されていき、ルビーちゃんが狙われていたことが表に出たこともあってか、刺されつつも彼諸共海へと飛び込んだアクアくんは妹を命がけで守った被害者という世論が形成されていった。

 

私たちは警察の捜査が進むまではと基本的にノーコメントでやり過ごしたが、意図せずして望む方向に動いてくれたのは極めてありがたいことだった。本当は星野アクアは殺人犯というのをひっくり返さなければならないと覚悟していたのだから一先ずは落ち着けるというものである。

 

警察の捜査も方も当事者の二人のうち片方は死亡、もう片方は意識不明のままということで進んでいないらしい。現場検証や事件の際にアクアくんが負った腹部の傷に使われたであろう凶器の捜索などが一応行われてはいたものの、二人の特殊な関係性も相まってか話題に比して積極的な捜査はされておらず、アクアくんの回復待ちというのが警察の考えのようだ。

 

そんな感じで世間が少しだけ騒ぎつつ動いている中で、アクアくんが目覚めたという連絡が入ったのは事件が起きてから一週間後の朝、年を越える前日のことだった。電話口で「あかねちゃんの言うとおりだったよぉ!」と涙ながらに叫ぶルビーちゃんにこちらも涙声になりながら返しつつ、今すぐ駆け付けたい気持ちを必死で抑え込んで仕事に向かう。たとえ何があっても絶対に仕事で手は抜かない、女優の意地だ。

 

とはいえ仕事が終わった後は事情を説明して忘年会などを欠席し病室に駆け付ける。すると、ルビーちゃんとミヤコさんに手を握られたアクアくんがこちらに視線を向けたのが目に入った。

 

ふわりと、全てが終わったことを表すように何一つ影を感じない柔らかな笑顔でこちらを見るアクアくん。途端に、今まで抑え込んでいただろう不安や思いがこみ上げてきて一瞬で視界が涙で歪んだ。

 

「あかね……」

 

小さく、かすれた声で私の名前を呼ぶアクアくん。もう涙は止まらなくて、持ってきたバックをその場で落としつつゆっくりとベッドへ歩みを進めた。

 

「黒川さん、こっちに」

 

ミヤコさんが席を譲ってくれたので頭を下げつつ座り、それまでミヤコさんが握っていた手を両手でゆっくりと包む。

 

「迷惑を、かけたな」

 

「本当だよ、馬鹿……」

 

指先から伝わる彼の体温。もう二度と聞くことはできないのではないかと思ったアクアくんの声。それが耳に入り、心を揺らし、抑え込んでいた感情をさらけ出せというように私を刺激する。

 

だが、それをするわけにはいかない。アクアくんは病み上がりでお腹に大きい傷を負っているのだ。感情に任せて縋り付き、抱きしめては傷が開いてしまいかねない。

 

だからぐっと、ぐっと堪えて身体の代わりに手をぎゅっと握ると、それに応えるようにアクアくんの手にも力が入った。

 

我慢できたのはそこまでで、涙が握っていたアクアくんの手に零れ落ちていき彼の手を濡らす。だが、それを厭うこともなくアクアくんは手を握ったまま私に感情を吐き出せというように私の手を握り続ける。そして、傍に立っていたミヤコさんが私を慰めるように頭を撫でてくれて、そのせいか感情を抑えることが徐々にできなくなってきた。

 

それから暫くの間私は病室にいた三人に見守られながらなんとか声を押し殺しつつ泣き続けたのだが、その傍から見るとさぞ感動的だったシーンはかなちゃんとめむちゃんが病室に突撃してきたのと同時に唐突な終わりを迎えたのであった。

 

それから数日経って、予後が極めて良かったアクアくんの体調が戻るのを待って警察が事情聴取に訪れたのだが、アクアくんは警察に何があったかを素直に全部話したらしい。

 

映画の内容について呼び出されて口論になったこと。

 

その最中、カミキヒカルがナイフで自分を刺してきたこと。

 

抵抗するべくもみ合っているうちに手すりを越えて海に落ちてしまい、そのまま海の中でも組み合いを続けているうちに気を失ったことなど、事前に示し合わせていた通りに全て警察に伝えたようだ。

 

警察の方も丸ごと鵜吞みにしてわけではないだろう。だが、カミキヒカルからの証言を聞くことは永遠にできないし、客観的に見れば腹部を刺されたアクアくんの正当防衛が認められる可能性は高いと思う。

 

尤も、彼が自分でお腹を刺すのに使ったナイフが発見されてしまったら話は別であるが、どうやらその心配はないらしい。

 

「ナイフはあいつが――ツクヨミが、持って行ってくれたよ」

 

時間が戻り警察の事情聴取が行われる数日前、二人でアクアくんとの示し合わせの相談をしている最中に物証の話になった時、彼の口から出たのはこんな言葉だった。

 

突然に映画で共演した子役の子の名前が出て驚いた私は、当然のように聞き返す。

 

「ツクヨミちゃん……。あの子が? 一体それはどういう……」

 

「前に話したことがあったろ? 神様とかオカルトとか」

 

「えっと……高千穂の時の?」

 

「ああ。その時言ったよな、中には真実もあると思ってるって。……まあ、そういうことだ」

 

「…………」

 

突然出てきたオカルトな話に流石に困惑を隠せなかったが、表情を窺うにこちらをからかおうとか騙そうとかというような感情は感じられず、至極普通な表情であった。

 

流石に真正面から受け止めるのは少々難しいものがあるが、当事者たるアクアくんがそう言っているのだからそれが事実なのだろう。ならばそれを真実として話を進めるべきだし、そんな存在がいるということは聞かねばならないと、私はアクアくんに一つ質問をする。

 

「もしかして、君が生きて帰ってきたのもツクヨミちゃんのおかげなの?」

 

「……そうだ。カミキヒカルが沈んでいくのを確認して、俺も窒息して藻掻いていたんだがな。薄っすらと残る意識の中で、『君は本当に手間がかかるね』って聞こえて、一気に引き上げられたよ」

 

「そう、なんだ……」

 

「ああ。その時に、ナイフは持っていくから感謝しろって言われたよ」

 

「それは……、本当に感謝しなきゃだめだね。本当に、本当にだよ」

 

「ああ、わかってる。あいつとは色々あったが、最後の最後に助けられちまったよ」

 

はぁとため息をついて首を振ったアクアくん。そして、私に視線を移して一つ問いかけた。

 

「疑わないのか? 何言ってるんだこいつ、って」

 

「そんなことしないよ。君、嘘をついてる顔をしてないもん」

 

「……そうか」

 

そうして、アクアくんは窓に目を向ける。その先には一羽のカラスが晴れ渡る寒空を自由に羽ばたいていた。

 

 

 

 

 

しばらくして、物証が出なかったために今回の事件はアクアくんの正当防衛として片づけられるという情報が入った。アクアくんが殺人犯としてやり玉に挙げられることはなくなり、ルビーちゃんの活動にも影響することはないだろう。

 

予後は良かったものの念には念をということでアクアくんの入院は長引いていたが、年末年始ということもあってか日を追うにつれて事件の話題が取り上げられることはなくなっていき、関係者一同はそこでようやく安堵することができた。

 

そして、時計は冒頭に戻る。

 

入院中のアクアくん以外は既に普段通りの生活に戻っていたのが、病室に缶詰めにされて無聊な日々を送っているであろう彼のために、私はこうして暇な時間を見つけてはアクアくんのお見舞いに来ているというわけだ。

 

「それで、今日は何をしに来たんだ?」

 

「別に何も。生きてるのを確かめに来ただけだよ?」

 

「…………」

 

持ってきた花束を花瓶に移しながら答えると、アクアくんはもうどうでもいいわというように無言になった。せっかく心配してきてるのに、ひどいよね。

 

「……どうかな?」

 

「いいんじゃないか?」

 

花を整えてアクアくんに見せると合格をもらえたので窓の横に花瓶を置いて、再びベッドの横に椅子に腰を下ろす。

 

「それで、調子はどう?」

 

「もう完治はしてる。マスコミが五月蠅いかもしれないからもう少し入院してろと言われてるだけだけだからな」

 

「まあ、知ってるけどね」

 

「お前さぁ……」

 

「ふふ」

 

他愛のない話をしつつ、再びアクアくんの手を取る。先ほどと同じように手首に指を添えると、アクアくんが呆れたように口を開いた。

 

「こんな短時間で脈拍は変わらないだろう」

 

「脈を取ってるわけじゃないからね。心臓が動いてるかを確認してるだけだから」

 

「動いてるに決まってるだろうが」

 

「わかんないよ。突然止まっちゃうかもしれないし」

 

「この歳で突然死させるんじゃねぇよ」

 

「でも、一度止まりかけたでしょ」

 

「…………」

 

軽口を叩いていたが、私の一言でアクアくんは口をつぐむ。

 

そう、彼の心臓はきっと止まりかけていた。いや、もしかしたら止まっていたかもしれない。ツクヨミちゃんが助けてくれたから今こうして目の前で生きているけれど、その介入がなかったら私はきっと彼の亡骸と対面することになっていだろう。それを想像したときに私が――私たちが感じた恐怖を、目の前の彼は理解していないのだ。

 

「だから、君は黙って私に生きているか確認されてればいいんだよ」

 

「……わかったよ」

 

「素直でよろしい。ルビーちゃんとミヤコさんにも頼まれてるからね」

 

「あいつら、売れっ子女優に何無茶言ってんだ……」

 

頭を抱えるアクアくんを見ながら健康状態は極めて良好なのを私は改めて確認する。

 

(もう、大丈夫なのかな)

 

これまでは何やかんやと理由をつけてここに来ていたが、アクアくんはもう大丈夫そうだしこれ以上私が来たところで何か変わるわけでもない。

 

(潮時、かな)

 

やるべきことは成した。アクアくんの頼み通り、ルビーちゃんの命も、未来も守ることができた。偶然ではあったけども、アクアくんもこうして無事に帰ってくることができた。

 

今後ルビーちゃんを守るのはアクアくんの役目で、私の役目ではない。

 

そして、彼の隣にいる人間もきっと、私ではないのだ。もう復讐は終わったのだから。

 

(かなちゃん。本当にかなちゃんがうらやましいよ)

 

私も、かなちゃんみたいに普通に恋愛を楽しむことができる女の子だったら、もしかしたら今後もアクアくんのそばに入れたかもしれない。

 

でも、私は黒川あかねだ。

 

私はパートナーではなかったが、間違いなく協力者ではあった。だから、私が傍にいる限りアクアくんは復讐のことを思い出し続けるだろう。私が傍にいる限り、アクアくんはカミキヒカルを殺したことを思い出し続けることになる。

 

復讐を望んでいなかったアクアくんが自分のせいでそれに囚われ続けるのはごめんだった。

 

「ま、元気そうだし。お見舞いは今日が最後かなー」

 

想いを秘して、軽い調子で言葉を紡ぐ。

 

「なんだ、やっぱり忙しいのか?」

 

「うん。君の言う通り売れっ子女優だからね、私。中々自由な時間取れないんだよ」

 

「そりゃそうだろうな」

 

「うん。だからね」

 

そこで一度言葉を区切って、改めてアクアくんと視線を合わせてから続きを口にする。

 

「もう、アクアくんには会いに来ない」

 

私の言葉を聞いたアクアくんは訝しげにこちらを見ているが、それに構わず話を続けた。

 

「復讐は終わったからね。私が傍にいても役に立たないし」

 

「君はもう幸せになっていいのに、私がいたら君は復讐のことを思い出してずっと苦しんでしまうから」

 

「だから、会うのはこれでもうおしまい」

 

感情が表に出る前に伝えたいことを一気に言い切ることができた。女優をやってきて心から良かったと思ったが、これ以上は自信がない。私は今、人生で最も大事なものを手放したのだ。流石に平静で居続けることはできなかった。

 

「それじゃあ、アクアくん。私はもう帰るね」

 

コートを脱がず、荷物も持ったままでよかった。もし今帰る準備が必要だったら、その間に涙が零れてアクアくんにばれてしまっていたかもしれないのだから。

 

視線を逸らし、ゆっくりと椅子から立ち上がる。そして、最後に一度だけ彼の顔を見てから振り返り病室の扉へを歩みを進めた。

 

(これで、本当に最後)

 

最後にもう一度だけ振り返ろうかと思って――それは未練だと、ため息をついた。

 

(さよなら、アクアくん)

 

これからは仕事で会うことがあっても、あの頃のように親しく話すことはないだろう。その現実に押し潰されそうになるが、これが彼のためなのだと迷いを無理やり振り切ってドアノブに手を伸ばした。

 

「相変わらず、お前は好き放題言ってくれるな。黒川あかね」

 

その時、ベッドから立ち上がったアクアくんに片手を掴まれ、私は強引にベッドの横まで引き戻された。

 

「そこに座れ」

 

「ど、どうして」

 

「説教してやる」

 

「せ、説教?」

 

困惑する私にいいから座れと、アクアくんは椅子を指さした。急かすアクアくんにムッとした私は、向き合うようにベッドに腰を下ろした彼を睨むと思いのたけをぶちまけた。

 

「どうして止めるの? こっちは、君の負担にならないようにって決意してたのに」

 

「まずそれが筋違いだ。そもそも、お前が傍に居なくなれば俺が苦しまなくなるってどういう理屈なんだ」

 

「言ったでしょ。私が傍に居れば復讐のことを思い出してしまうからって」

 

「あのなぁ……」

 

私の言葉に呆れたのか、頭を抱えたアクアくんは私の顔を見てため息をついてから言葉を続けた。

 

「お前が仮に居なくなったくらいで、俺が解放されると思ってるのか?」

 

「…………」

 

「俺は、人を殺したんだぞ。そして、その罪を償うことなく人生を生きようとしている」

 

「それは、ルビーちゃんのために……!」

 

「確かに、ルビーのためだ。だけどな、俺が人を殺した事実は変わらない。俺は一生、この罪を背負っていかなきゃならないんだ。誰にも知られないよう、被害者を気取りながらな」

 

「そう、かもだけど……」

 

アクアくんの言葉に私は力なく頷くことしかできない。

 

「だからな、お前が傍に居るか居ないかなんてその点では関係ないんだ。だが、それ以外の理由で俺はお前が離れることを許容できない」

 

「それ以外の理由……?」

 

「ああ。お前は全てを知っている。俺があいつを殺したことも、俺が刺されたことが自作自演だったこともな」

 

「それは……!」

 

「あいつを殺したことはルビーも、ミヤコさんも社長も察してはいるだろう。だが、本当の意味ですべてを知っているのはあかねしかいない。だから、お前が俺から離れることは許容できない」

 

「アクアくんは、私を疑ってるの……!?」

 

酷いと、本気でそう思った。私はアクアくんのことを心の底から助けたいと思っているのに、私がどんな思いで君の頼みを聞いたのか君はきっと知っているというのに、その言い草はあまりに酷いではないか。

 

カッと頭に血が上り、思わず立ち上がって怒鳴りつけそうになったところで、アクアくんの続きの言葉が私の耳に入った。

 

「疑っているわけがない。でもな、不安なんだよ。あかねが傍に居ないと」

 

瞬時に血の気が覚め、浮かしかけた腰がゆっくりと椅子へ戻る。

 

「この期に及んで、俺があかねのことを疑うなんて絶対にありえない。ルビーに誓ってもいい。でもな、お前が傍に居てくれないと、俺は不安で幸せになれないんだよ。だから――一生傍に居てもらわないと、困る」

 

「へっ? いっ、しょう……? 一生!?」

 

言葉の意味を理解して、私は呆然とアクアくんの顔を見つめた。冗談か何かかと思ったが、アクアくんの表情には嘘偽りを感じることなどできず、ただただ真剣な面持ちをこちらに向けていた。

 

「……ルビーに言われたんだよ。女にあそこまで言わせたんだから責任を取れってな。ミヤコさんもクソ真面目な顔で頷いてた」

 

「せ、責任って。アクアくん、一体何を……」

 

「ルビーから聞いた。お前が、俺とならどこまででも堕ちてもいいって言ってたってな」

 

「っ!? もしかして全部聞いたの!?」

 

「ああ。泣きながら、あかねちゃんなら許すって言いながら、な」

 

「ル、ルビーちゃん……!」

 

あまりにも唐突な展開すぎて私の脳内は盛大にパニックを起こしつつあった。

 

私は今日でアクアくんと決別してこの想いに一生蓋をしようと思っていたのに、閉じようとしていた蓋を取り上げられた挙句中身を盛大にぶちまけられようとしているのだ。

 

でもこんな都合のいい展開が許されるわけがない。アクアくんは海に落ちた時に頭を打ってきっと錯乱してるだけなのだと、そう言い聞かせた私は思いついた言葉をとりあえず口にする。

 

「で、でも! かなちゃん! アクアくんはかなちゃんのことが好きなんでしょ!?」

 

「有馬か。確かに、お前も知っているように俺は有馬に好意を抱いていた。それは否定しない」

 

何とかして打開しようと出したかなちゃんの話題だったが、どうやら正解だったらしい。ならばこのまま圧し切るしかないとこのまま言い募ろうとして、

 

「だよね! じゃあ、やっぱり私なんかが……!」

 

「でもな、あかね」

 

アクアくんが私の手を握ったことで封じられた。

 

「俺が復讐が終わったと錯覚したときに、何を言ったか覚えていないのか?」

 

「そ、それ、は……」

 

覚えていないわけがない。私が持つアクアくんとの思い出の中で、一番印象深い出来事がそれなのだから。

 

「今まで俺は、お前に守り続けられてきた」

 

アクアくんの手が、私の頬に添えられる。

 

「でも、今度こそ復讐は終わった。だから、今度は――俺にお前を守らせてくれ」

 

あの時と同じように、アクアくんの顔が近づいてくる。

 

(ああ、これ、無理だよ……)

 

心の奥底で私が最も望んでいたことを、今こうしてアクアくんから求められている。逆らう気など、到底起きるはずがなかった。

 

目を閉じ、距離が零になる。

 

今度の口付けは、前回より少しだけ深く、長かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冷静に考えて、アクアくんから離れられるわけがなかったね」

 

「そうだな。冷静になってくれて何よりだよ」

 

キスの後、お互いに湯だった思考を落ち着かせるのに数分かかった。

 

私は自分に都合の良すぎる展開が果たして現実かどうか理解するのに苦労したし、アクアくんは「なに年甲斐のないことやってんだ……」と頭を抱えていたのだ。

 

一応復活はしたものの流石に落ち着かないので一旦休憩をしようとお茶を入れ、二人で暫しゆっくりしていたのだが、頭が完全に冷え切ったところで先ほどのセリフに繋がることになった。

 

「でもな、いいのかあかね? 俺は人殺しで犯罪者だぞ?」

 

「そうだね。アクアくんこそいいの? 私は人殺しを匿った犯罪者だよ?」

 

「まったく。マトモじゃないな」

 

「私のことマトモだと思ってくれてたんだ」

 

いつかやったことのある会話がそのまま出てきて、やはり思い出は共通しているんだなと嬉しくなって思わず笑みを浮かべると、それを見たアクアくんが優しく笑った。

 

(ああ、アクアくん。またそんな風に笑えるようになったんだね)

 

客観的に見て、アクアくんも私も、これからの人生は大変な思いをするだろう。常に犯した犯罪がばれないかという不安を抱えながら生きていかねばならないのだから。

 

でも、この様に笑えるようになったアクアくんが隣にいてくれるなら、きっと私は大丈夫。

 

そして、私が大丈夫ならきっと、アクアくんも大丈夫だろう。

 

まだまだ解決しなければならないことはある。それでもついに訪れた穏やかなひと時を、私は再び恋人となった彼と共に余すことなく堪能するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




賛否あるようですが、個人的には原作はアクアの復讐という一本の筋が最後まで伸びていて悪くなかったと思います。

とはいえ、それは別としてアクアにもあかねにも幸せになってもらいたかったのでこれを書きました。

誰かの琴線に触れることがあれば幸いであります。

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