石化王に帰る国はない 〜 目覚めた王は、盟友と新世界を駆け抜ける   作:裃 左右

57 / 81
第56話 生き残った者の気持ち

「……メッツァくん、きみは本当に……うう、バカぁ」

 

 途切れがちな声とともに、コレーは悔しげに唇を噛んだ。

 先ほどまでの威圧感は消え失せ、残されたのは、ただ幼い悲痛な響きだけ。まるで、大切な宝物を失った直後のように、覚束ない口調。

 

「わたくしたちは、ただ、ヘカーティア様の意思を継ぎたかっただけなのに」

 

 リューファスは、そんなコレーを静かに見下ろしていた。瞳には、憐憫ともつかない複雑な感情が宿る。

 

「コレー。余は妻の想い、願い、そして罪。その全てを背負っていかねばならぬ。故に『聖杯』を渡す訳にはいかぬ」

「……放り投げて、押し付けたくせに」

「あの時は、あれが最善だったと信じている。批判は本人以外からは受け付ける気はない」

 

 メッツァは眉間にしわを寄せた。

 さすがに「妻に聖杯を放り投げて、押し付けた」と言う話は聞いていない。思わず、説教をしてやりたくなったが、空気を読んで何とか沈黙を保った。

 

 しばらくの間、じっとリューファスを見つめていたコレーだったが、力なく首を振った。

 

「……わかりました。今もなお、あの忌まわしき『聖なる火』が、あなた様と共にあることは理解しています。ですが、諦めたわけではありません。ベスタル家は、必ず聖杯を取り戻し、あなた様を、しかるべき場所に導きます」

 

 再び従者たちに視線を送った。黒装束の一団は、粛然(しゅくぜん)と部屋から出て行く。ダムとディーに酷似した女たちも、忠実な人形のように後に続く。

 最後に、コレーはリューファスを見つめた。

 

「それでは、失礼いたします。しかし、遠からず、またお会いすることになるでしょう」

 

 そう言い残し、コレーは黒犬を連れて部屋を出て行った。扉が閉まると、部屋には再び静寂が訪れた。

 

 メッツァは大きなため息をつき、椅子に深く腰掛けた。

 

「ああ、本当に疲れた。なんとか、丸く収まった、か?」

 

 張り詰めていた空気が、ようやく緩んだが、冷汗がまだ止まらなかった。自分が生き残った実感が遅れてくる。

 

「……メッツァ」

「ああ? なにさ」

 

 語り掛けてくるリューファス。返答には、つい棘が生えた。

 部屋には穏やかな空気が流れているものの、メッツァの心臓はまだ少しだけ早鐘を打っている。

 

「礼を言う」

 

 彫刻のように端正な顔立ちが、わずかに和らいでいた。素直に礼を言われたのは珍しい。だが、それでも先に立つのは怒りだった。

 ここまで素直に礼を言われたのは、あまり記憶にない。

 しかし、それを踏まえても、先に立つのは怒りだった。

 

「そう思うなら、少しは慎重に行動しろよ。バカじゃないの? きみは命を捨てて戦う覚悟があるかもしれないけど、僕にはそんなのまっぴらだ!」

「しかし、ヘカーティアは余に聖杯を返すつもりでいたのだろうか。改めて問われると、わからぬものだな」

「僕の話、ちゃんと聞いてよ! そんなの、僕が知るわけないでしょ。自分の奥さんのことくらい、自分で考えて?」

 

 死者の気持ちなど、正直、メッツァにはわからないことだった。自分が生き残るために、どちらかを諦めさせるしかなかったからこそ、言葉と論理を尽くしただけだ。

 メッツァはさらに言葉を重ねようとしたが、リューファスの視線が窓の外に向けられていることに気づき、言葉を飲み込んだ。

 

 リューファスは、遠くアイアンウッドの森を見つめていた。その表情は、先ほどの威圧感とは打って変わり、どこか遠い場所を見ているようだった。

 

「……そうだな、余が考えるべきことだった」

 

 リューファスの声は、和やかで、確かな重みを伴っていた。

 

「気高く聡明で、そして……折れることを知らない女だった。己にも厳しく、なにかと説教臭くて素直ではない女だ」

 

 紡がれる言葉には深い敬意と、失われたものへの哀惜が込められている。

 

「――だが、強すぎる故に、孤独だったのかもしれぬ」

 

 リューファスはふっと息を吐いた。窓から差し込む光が、その横顔に陰影を落とす。

 

「全てを一人で背負い込もうとした。余にさえ、弱みを見せようとはしなかった。責任感が強いことなどわかっていたはずなのにな」

 

 言葉を聞きながら、メッツァは静かに息を吐いた。

 

(先祖の惚気話ってどんな顔すればいいのさ。……喪中の夫に、あまりキツいことも言うのもな)

 

 客観的に見れば、そういう話なのだ。

 古き英雄であると言うフィルターを外し、素朴に捉えれば、妻の理解が不足だった男の悔恨。そして、その遺品をどう扱うか、と言う話なのだ。

 

 そして、そうでしかないことを理解しているのは、この世界でメッツァだけだった。

 

「……余は、もっと早く気づくべきだったのだ。余の言葉がどれほど、あの女を縛るかを。残されたのは、背負わせた罪と為した功績。犠牲の果てに託された、この王の証(レガリア)だけだ」

 

 だからこそ、リューファスは残りの一生を、妻と向き合うためにも使うつもりなのだろう。

 窓から差し込む陽光が、リューファスの金髪を照らし、横顔を一層際立たせていた。刻まれた左頬の呪痕と、変色してしまった銀眼が、背負ってしまった宿業を現わしている。

 

 やがて、メッツァは頭を搔いてから、作業机へと歩いた。

 

「なら、これからの人生は、『生き残った者』の気持ちを考えて生きるんだね」

 

 そう言い残し、再び論文の執筆に取り掛かった。カリカリとペンを走らせる音が響き渡る。それもまた、メッツァなりの死者への向き合い方。

 

 決して、なかったことにはしない。たとえ、ありのまま世に出ることがなくとも。

 

 この目で見たこと、この手で触れたこと、そして何よりも、ヘカーティアという存在が確かにそこにいたことを、何らかの形で後世に伝えなければならないと思っていた。




◎レガリア
この世界において、レガリアとは二つの意味を持つ。

一つは、正当なる王の地位を示す証。
燦然と輝く王冠、威厳を示す笏、そして、力を象徴する宝剣。
それらは王権の象徴として、民に畏怖と敬意を抱かせる。

そしてもう一つは、魔術師の家にとってのレガリア。
魔術師の血脈を繋ぐ、秘儀の道具。
特に家名を冠する呪具や礼装は、一族の歴史と力を体現する。

どちらも、その所有者の地位と力を示す、貴重な品。
だが、その本質は異なる。
王のレガリアは、民の前に示されることで、その力を発揮する。
魔術師のレガリアは、秘匿されることで、その価値を保つ。
光と影、レガリアは二つの側面を持つ概念である。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。