石化王に帰る国はない 〜 目覚めた王は、盟友と新世界を駆け抜ける 作:裃 左右
さながら、巨獣の喉笛だ。
足を進めるほどに、地表の記憶が遠ざかる。熔けた鉄の芳香、化学薬品の刺激臭が混じった。
壁面を走るパイプからは、低温の冷却水が流れる音がする。絶えず稼働する機械群が、吐き出す息が混じり合い、肌をじわりと湿らせる。規則正しく脈打つ大型プレスは、心臓を思わせた。
そんな熱気を孕む終着点、そこは一つの巨大な兵器工場。
天井からは魔力灯が幾筋もの青白い光を落とす。迷路のように張り巡らされた足場、クレーン、剥き出しの配管が複雑な影を床に描く。
「ほう。これは、また見事な蟻の巣だ。これが今の世の力、その源か」
「おや、意外と驚かないね」
「フム。驚いていないわけではないが、小人たちの寝ぐらが、似た雰囲気であったな。とは言え、今さら態度に出すほどでもない」
思いの外、古き王の応答は素っ気ないものだ。魔装列車やゴーレム車両を見た時の方が、楽しそうではあった。
遠くでは炉のオレンジが明滅、熔けた金属を型に流し込む作業員たちのシルエットが揺れていた。
飛び散る火花が、彼らの汗ばんだ顔を照らしては闇に消える。
むしろ、興奮しているのは老騎士キホーテ。
「おお! これぞまさしく、伝説に謳われる鍛冶神の工房のようではないかっ! 新たな武具との出会いが、儂を待っておるのかもしれんぞ!」
「キホーテじーさん、この旅に余計な金はねえぞ。これ以上、工房製の武器とか無茶だぜ」
「よいか、サンチョよ。世の中には、金銭で測れぬこともあるのだ」
「世の中の方が、オレらを金銭で測ってくんだっつの」
どこに行っても、賑やかな二人。
横目に、メッツァは鼻眼鏡を押し上げ、解析レンズ越しに見渡す。
「正直、僕の方は驚いてるけどね。これだけの地下施設を、国家の干渉なしに維持しているとは。ソダルムスの権力構造は、想像以上に強固で……
一行の視線の先、中心部に拓けた広場には、数多くの戦士たちが集められていた。
異なる意匠の紋章を掲げた、複数の冒険者事務所の一団。それぞれが身を寄せ合い、警戒し合う獣の群れのように、微妙な距離を保つ。
毛皮を纏った北方出身と思しき者たち、東方の異国風の曲刀を帯びた軽装の一団、最新鋭の魔導兵装で身を固めた、どこかの企業が派遣したチーム。
掲げられた旗印も様々で、少なくとも大小十の異なる冒険者事務所が一堂に会しているようだった。
彼らの放つ油断ならない視線と、ざわめきが混じり合い、煮詰まったような緊張感が満ちている。表情は乾いた土くれのように硬い。
そんな中に、見知った顔があった。一際、強い感情を刺してくる集団。
壁際に寄り、他の輪から距離を置くように塊を作るは、昨夜、リューファスたちに叩きのめされた冒険者たち。
昨日の戦闘でリューファスたちに打ち負かされた、あの冒険者事務所のリーダーだ。
真新しい包帯が痛々しく腕や頭に巻かれ、顔にはどす黒い痣。周囲にいる部下も満身創痍で、手勢も少ない。
憎悪と恐怖、屈辱が入り混じった複雑な視線を投げかけてくる。居心地の悪そうな様子は、敗者のそれ。
「なんだ、思ったよりも元気そうではないか」
「こら、煽らないの! ……うわ、高速治癒処置も受けれてないみたいだな。あの事務所、もはや経営ガタガタじゃないのか?」
「余は挨拶しただけだが。むしろ、貴殿の指摘の方が傷に染みそうだ」
実際のところ、突如として現れた新参者であるリューファスらへの注目度は高いようである。昨日、この街で起こった派手な乱闘の噂は、すでに彼らの耳にも届いているのだろう。
誰かがそっと呟いた。「アレが事務所潰しだ」と。
その、刺々しく張り詰めた空気を、一つの足音が断ち切った。
コツ、と杖が床を打つ音。
工房の奥から、一人の男が姿を現した。一斉に目が吸い寄せられる。
昨夜の若造とよく似た、燃えるような赤髪。だが、雰囲気は明らかに異なる。
顔には歴戦の証のように傷が幾筋も混じり、歳を経て落ち着いた深みを湛えている。目元に刻まれた皺、無精髭に覆われた顎のラインは、厳しい決断を幾度となく下してきた者の貫禄を漂わせていた。
屈強な体躯は厚手の革エプロンに覆われているが、その下にある鍛え抜かれた筋肉の輪郭は隠せない。その男自身が鍛え上げられた鋼のようですらあった。
なによりも鮮烈な印象は、眼光。炉の奥で盛る炎めいている。
「――揃ったな」
素材の良し悪しを見定めする、眼が見渡した。ざわめきが完全に途絶え、巨大なプレスの音だけが響く。
「よく集まってくれた、ソダルムスの強者ども。知らん奴もいるだろう。俺がこのジーク魔剣工房の主、ムントだ」
工房の長、ムント・ジーク。
背後に従えるのは、昨夜に襲撃して来た赤毛の剣士。
「てめえらは、なぜ俺がこんな真似をしたか、不審に思っているだろう。ああ、察しているはずだな。でなければ、話にならん」
ムントは手にしていた、先端に槌頭がついた無骨な杖を軽く床に打ち付けた。
「昨今、この街は何かと騒がしい。よそ者同士の小競り合いに、有力事務所への襲撃、呪詛汚染による怪物どもの活性化。さぞや、やりにくいことだろう。その上、ここ最近は特に騒がしかっただろうな?」
問いかけながら、もうわかっているだろう。そう圧を掛けるムント。
「単刀直入に言う。ここ数日、このソダルムスのあちこちで起きていた小競り合い――おおよそ俺が仕掛けた
一言が、静まり返る冒険者たちにさらに緊張を走らせた。
驚き、怒り、不満、興味、笑み……だが、結局浮かぶのは納得。
「だからこそ、俺からの評定が近い連中は、こんな時期にトラブルが起きることにやきもきしただろうな。『挽回できぬ敗北』の評判がついた事務所を、うちの工房が支援してやる理由なんぞないからな」
あえて、事務所としての威信が掛かる時期を狙った策略。
口調は、淡々としていた。実際、必要な工程を経たという程度の意味合いしか含んでいないのだろう。
それに反発する冒険者事務所もあった。
「そのせいでうちの事務所では死人が出たんだぞ!」
「黙れ」
が、即座に一蹴。
「生き残ってる連中には、今まで以上の支援を約束してやる。だが、今まで通りの仕事すらこなせなくなっていたとしても、諸々の金の取り立ては止めんぞ」
「なあっ!?」
「てめえらの衝突、軋轢を見物させてもらった。個の武力、集団としての連携能力、そして何より、不測の事態に直面した際の対応力。まっ、その辺りがこの『振るい』の採点基準だ。そして、今この場に立っている者たちは、品質検査を、見事――あるいは、辛うじて通過しちまった者たちというわけだ」
潰れちまったクズ石どもは、使い道がなかっただけだな。と、ムントは嘲るでもなく、褒めるでもなく。ただ、事実として告げる。
「で、お前たちは、ソダルムスに巣食う有象無象の中から選び抜かれた、クズではない連中だが。……ああ」
ムントの視線が、リューファスたちの上でぴたりと止まった。
「――昨夜。最後の最後に、滑り込みで現れた規格外のジオードも、いるな」
「ほほう、ジオードと来たか。割れるものなら割ってみろ、貴様の金づちが先に砕けるぞ」
リューファスが、面白がるように応じる。
ムントは、不遜な態度に眉一つ動かさず、獣を思わせる笑みを端に浮かべた。
「俺の目的はただ一つ、ソダルムスの薔薇園。あの忌々しい異界迷宮を攻略する。この街に、もはや時間はない」
◎事務所潰し
事務所潰しってのは、俺たち冒険者にとって。半分は酔った時の冗談みたいなもんでな――もう半分は悪夢だ。
事務所ってのは、俺たちの生命線だ。
飯のタネであり、寝ぐらであり、背中を預ける仲間がいる場所。工房から武器を安く仕入れられるのも、医者から治癒を後払いにしてもらえるのも、『事務所』の看板があるからこそだろ。
看板の価値は、俺たちが明日もこの街で生きているはずだっていう信用なんだ。
だから、『事務所潰し』は最悪の報せだ。
看板に泥を塗られ、信用を地に落とされる。それが余所の事務所でもだ。
大手の事務所が消えるなら、うちだって潰されかねないからな。
昨日まで笑いかけてきた商人は顔を背け、酒場のツケは現金払いを要求される。
どんなに腕が立っても、一人じゃこの世の中は渡れねえ。仲間も、仕事も、居場所も、なにもかもを失う。そいつは、死よりも惨めで緩やかな終わりだ。
だから、誰かが一夜にして一つの事務所を壊滅させたなんて聞くと、酔いも醒めて飲めるのは唾くらいなもんさ。
そいつは、俺たちのルールも、積み上げてきた歴史も、何もかもを無視する化け物だ。出来りゃ近づきたくねぇ。関わりたくねぇ。災害みてえなもんだ。
やった奴は、その都市にいる冒険者を敵に回してくたばるか、一夜で伝説になるか。
……だが、心のどこかでは惹かれちまう。
自分たちには決して真似できない、理不尽なまでの『力』ってやつに。